この旅の期待は加計呂麻島です。 なかなか行かれない島の一つになってて・・
鳥が翼を広げたような地形で入江が多く、周囲147キロ、人口1300人。島には大型のホテルが無いらしいので、奄美大島に一泊しました。
翌朝、奄美本島古仁屋港から海上タクシー15分で、加計呂麻島瀬相港へ
初めに行ったのは、
島尾俊雄文学碑 代表作「死の棘」 作品を知らないのですが、戦時中、第十八震洋特攻隊隊長として赴任し、出撃命令を受けたが発進(死)の号令を受け取らぬまま終戦で生き延びた異色の作家と言えます。 その後、奄美名瀬に20年在住してたそうで、文学碑は縁のこの地に建立された。
戦跡 特攻艇震洋基地跡 文学碑の遊歩道を進むと、特攻艇の格納壕が点々とあり、模型もおかれ リアル 当時はベニヤ板で作った粗末な船に乗って青年たちが出陣していった。
たった一人で、どんな気持ちで出陣する・・ 雨はいっそう重々しい雰囲気になりました。
近くにあったサキシマスオウの木 根に特徴あります。西表島に大きな木がありますが久しぶりに見ました。 実はウルトラマンの頭部に似てると言われてるそうで・・
美味しそうにさくらんぼが生ってましたが、美味では無いらしく地域では食べないそうでした。
海岸にはところどころハブ退治用の棒が置かれてます ハブ1匹3000円で役所が買い取ってくれるそうで、「良い小遣い稼ぎ」とドライバー兼ガイドさんが言ってましたが、最近は現金ではなく振込になって不便と漏らしてました。
諸鈍長浜 デイゴ並木 樹齢300年余 85本の並木は町の天然記念物になってる
トックリキワタ 花は11月頃咲くので樹姿しか見られませんでした
眺めてみたい花の一つです
初めて見たガジュマルの実・1センチほどの実は割るとイチジクに良く似てました。
安脚場戦跡公園
歴史は古く大正時代 奄美諸島は古くから外洋との戦いの拠点になってた事を改めて認識します。
帰り道にあった花 雨に濡れるコンロンカ
帰りは生間港〜古仁屋港まで海上タクシーで・・ 海辺のレストランでマグロ丼です
奄美大島の瀬戸内町はマグロ養殖日本一盛んだそうです
鳥が翼を広げたような地形で入江が多く、周囲147キロ、人口1300人。島には大型のホテルが無いらしいので、奄美大島に一泊しました。
翌朝、奄美本島古仁屋港から海上タクシー15分で、加計呂麻島瀬相港へ
初めに行ったのは、
島尾俊雄文学碑 代表作「死の棘」 作品を知らないのですが、戦時中、第十八震洋特攻隊隊長として赴任し、出撃命令を受けたが発進(死)の号令を受け取らぬまま終戦で生き延びた異色の作家と言えます。 その後、奄美名瀬に20年在住してたそうで、文学碑は縁のこの地に建立された。
戦跡 特攻艇震洋基地跡 文学碑の遊歩道を進むと、特攻艇の格納壕が点々とあり、模型もおかれ リアル 当時はベニヤ板で作った粗末な船に乗って青年たちが出陣していった。
たった一人で、どんな気持ちで出陣する・・ 雨はいっそう重々しい雰囲気になりました。
近くにあったサキシマスオウの木 根に特徴あります。西表島に大きな木がありますが久しぶりに見ました。 実はウルトラマンの頭部に似てると言われてるそうで・・
美味しそうにさくらんぼが生ってましたが、美味では無いらしく地域では食べないそうでした。
海岸にはところどころハブ退治用の棒が置かれてます ハブ1匹3000円で役所が買い取ってくれるそうで、「良い小遣い稼ぎ」とドライバー兼ガイドさんが言ってましたが、最近は現金ではなく振込になって不便と漏らしてました。
諸鈍長浜 デイゴ並木 樹齢300年余 85本の並木は町の天然記念物になってる
トックリキワタ 花は11月頃咲くので樹姿しか見られませんでした
眺めてみたい花の一つです
寅さんがここで生きている カケロマ島は「寅さん」最後の舞台にもなった島で、諸鈍辺りはリリーの家があったり、ロケ地に記念碑も・・
安脚場戦跡公園
歴史は古く大正時代 奄美諸島は古くから外洋との戦いの拠点になってた事を改めて認識します。
帰り道にあった花 雨に濡れるコンロンカ
帰りは生間港〜古仁屋港まで海上タクシーで・・ 海辺のレストランでマグロ丼です
奄美大島の瀬戸内町はマグロ養殖日本一盛んだそうです
そう言われてみれば確かにそうですね
平和な島って今は言えても・・・戦争にまつわる苦難の歴史をいっぱい抱えているんですね
でも豊かな自然はなにより誇らしい〜ハブにはちょっと腰が抜けそうですが・・・
デイゴ並木は延々と続きこれは大絶景ですね
全部に花が咲いたら緋の通りになりそう♪
寅さん最後のロケ地なんですね
ロマンもあり南国独特の植物にも恵まれでっかいナメクジには・・・
ひゃぁ〜ってなりそう!!!
普段とは全く違う世界なので興味津々〜