航跡

もともとは普通の日記でした。 2016年に父が自死、母が癌で死亡、2017年に弟が自死。 2年の間に実家4人家族のうち3人を失い自死遺族となった今は、記憶を留めることと気持ちを整理するために書きます。

虚無

人と話していても、ほとんど心が動かなくなっている自分がいる。

心が死んだ

本当は、旅行から帰って来たら死ぬつもりだった。
毎晩泣いている私に気づいて、次女が慰めてくれた。
なんてことを考えてしまったんだろうとその時は思ったけど
なんで死ななかったんだろうと今は思う。
何も知らなければ、こんなに惨めで、情けない自分に気づかずに済んだのに。
心が死んでしまった。殺されたのだ。

動悸

動悸がとまらない。

ふとした瞬間に、いろんなことを思い出す。

父との最後の会話

母の病室

弟の何気ない一言


3人とも死んでしまった。
私は毎日ご飯を食べ、時には笑いながら生きている。

誰も、

誰も、

私のことなど心配していない。

後はよろしくと言って死んでいった。

こんなショックなことがあるだろうか。

無気力

何もしたくない。
ずっと寝ていたい。
できれば永遠に。

死ぬ気になれば

「死ぬ気になれば何でもできる」なんて言うけれど、死ぬ気になった時には生きることへのすべての意欲が無くなっている。

だから、
なんであの人死んじゃったんだろう。死ぬぐらいならもっとこんなことやあんなことができただろうに、ということが言えるのは死ぬ気になったことがない健康な人だけだ。

そこには深くて大きな溝がある。

弟の遺書には
「どうしても前向きになれない」
と書いてあった。
傍から見れば、いくらでもどうにでもできたのにと思うけれど
本人にはその道を探す意欲がもうなかったのだ。

だからと言って納得などできないのだけど。


インフルエンザ

12月20日に弟の納骨が終わって力が抜けたのか、インフルエンザになってしまいました。
寝込んでいると夢を見ました。
夢の中で、まだ納骨は終わっていませんでした。いよいよ納骨するというとき、弟の遺骨を持ちながら墓まで歩いていく途中、具合が悪くなっていました。
ああ、落としちゃいけない、と思っているのに、体の力が抜けてぐにゃりとその場に倒れこみました。
大丈夫ですか、と参列者に声をかけられたところで目が覚めました。

まだお墓に入れたくない。
そんな気持ちが出てしまったのかもしれません。

納骨

1月20日に弟の四十九日法要と納骨を行いました。
地元の友達20名弱が集まってくれました。

弟は死亡時独身で、子どももいなかったため、もう、誰も入ることのないお墓。
両親と同じ屋根の下(地面の下?)に納まりました。

我が家の法要はいつも雨。
この日も、予報では雨ではなかったのに小雨が降りました。

30年前に、父の本籍があった島根県から移してきた先祖代々のお墓。
2016年まで誰も入ることがなかったのに、この2年弱で3回も開け閉めしました。
そしてもう、二度と開くことはないのです。

唯一あるとしたら、私が離婚する時か。

オーストラリア旅行(旅程)

以前夫婦で行ったオーストラリア旅行が楽しかったので、子どもができたらまた行こうと話していました。

そして春ごろから計画し、年末年始に念願のオーストラリア旅行へ行くことができました。
オプショナルツアーもがっつり楽しんだので、旅程の参考になれば幸いです。

家族4人(大人2名、小学生2名)の旅です。

12月31日(出発)
自宅からタクシーで羽田へ(約10分)
22:00 羽田発 カンタス航空

1月1日(ケアンズ)
9:35 シドニー着
13:20 シドニー発 カンタス航空
15:20 ケアンズ着
17:00 シャングリラ・ホテル・ザ・マリーナ チェックイン
18:30 ジャプカイ・ナイトツアー(アボリジナル・ダンスショー)
22:00 ホテル着

1月2日(グリーン島)
10:30 リーフ・フリート・ターミナルからグリーン島へ向けて出発
11:15 グリーン島着〜グリーン・アイランド・リゾートにチェックイン
14:30 パラセーリング
17:30 サンセットドリンク
18:30 夕食
20:00 ウミガメ探しツアー

1月3日(グリーン島)
9:30 グラスボトムボート
終日海で泳ぎまくり!
17:00 魚のえさやりショー〜サンセットドリンク
18:30 夕食
21:00 夜の熱帯雨林探検ツアー

1月4日(アウターリーフ〜ケアンズ)
10:00 チェックアウト
11:30 アウターリーフツアーへ出発
12:30 ポンツーン着
13:00 半潜水艦ツアー
グレートバリアリーフでシュノーケリング三昧!
15:30 ポンツーン発
17:30 リーフ・フリート・ターミナル着
18:00 プルマンリーフホテルカジノ チェックイン
19:00 BOATSHED で夕食

1月5日(ケアンズ)
8:55 キュランダ観光&どきどき動物探検ツアーへ出発
9:45 キュランダ列車ゴールドクラス乗車
11:15 キュランダ駅 着
13:30 スカイレール 乗車
14:00 カラボニカ レイクステーション着
14:30 動物探検ツアー出発
蟻塚〜野生カンガルー探し(大雨)〜ロックワラビーえさやり(雨)〜ピーナツショップで休憩〜かものはし探し〜BBQ〜夜の熱帯雨林探検
21:50 ホテル着

1月6日(ケアンズ)
10:00 ホテルのプールで遊ぶ
12:00 エムヨゴでランチ
13:00 ウールワース&ケアンズセントラルへぶらぶら買い物
15:00 コインランドリーで洗濯
18:00 ホテルのバーで無料ドリンク
18:30 BOATSHEDで夕食

1月7日(ケアンズ〜シドニー)
3:50 熱気球ツアーへ出発
6:00 マリーバにて熱気球乗船(30分)
10:00 ケアンズ空港 着
12:25 ケアンズ空港 発 カンタス航空
16:25 シドニー空港 着
トランジットを利用してシドニーハーバー、オペラハウスを見学
19:00 シドニー空港に戻る
21:35 シドニー空港 発 カンタス航空

1月8日 
5:30 羽田空港 着

成人式

成人式の晴れ着レンタル会社が計画倒産して多くの人が被害にあったというニュースがあった。

「はれのひ」振り袖業者の行方不明トラブル 100万円超、支払った新成人も「成人式出たかったな...」

成人式のレンタル着物ってそんなに高いんだ・・・
自分の時、家はまさに崩壊状態。
父と母は離婚が成立し、私は父と、弟は母と暮らしていた。
父は着物の相場など知らなかったのだろう(私も知らなかった)、それでも着物代として2万円くれた。
私は2万円持って、大学の最寄り駅でみかけた「貸衣裳」の店に行った。
「2万円で借りられるお着物ありますか?」
店員さんは驚いていた。
「2万円しかないの?お母様は一緒に来ないの?」
「事情があって母は来ません。これしかお金がないんです」
店員さんは絶句していたが、奥に行って数人で何事か話すと、一番安い着物を持ってきてくれた。
黒くシックで、私は嫌いではなかった。
このほかに必要な小物は、全部サービスしてくれた。哀れに思われたのだろう。
帰り道、重たい着物を担ぎながら、そうか普通は親と来るのかとか、着物だけでなく帯やら草履やらもそろえなくてはならないのかとか、確かに一人では持ちきれないけれど誰にも助けてと言えない、など考えてなんとも惨めな気持ちになった。

その着物を持って、母の家に行った。
そこが高校卒業まで一応住所のあった私の地元だから。成人式は同窓会のようなものだし、知らない人ばかりいるところに行っても仕方ない。
久しぶりに会う母は、弟に顔を殴られて漫画のように目の周りが青く腫れ上がっていた。
弟はこのころ、日常的に暴力をふるっていた。
母は、私のために美容院と写真館を予約してくれていたのだが、母と一緒に写真を撮ることは叶わなかった。

成人式だけではない。何かあるたび、「家族」が私の気持ちを暗くした。
長いこと、私の心には「ハレの日」なんてなかったのだ。

写真

大みそかから9日間の海外旅行へ行ってきた。
半年以上前から計画していたオーストラリアへの家族旅行。
12月に弟が亡くなったばかりで、どうしようか悩んだけれど、この2年、お出かけと言えば法事ばかりだったし子どもたちには「家族の」楽しい思い出を残してあげたかった。
結果的に、行って本当によかった。

弟の葬儀で、岡村家の家族写真を飾りたかった。
でも、どんなに探しても、4人で映っている写真は1枚もなかった。
父が亡くなった時も探したけれど、父が保管していた数少ない家族写真からも母だけは切り取られていた。(それだけ憎んでいながらなぜ再婚したのだろう?)

家族全員の写真が1枚もない家庭。
私はそんなところで育ったのだ。

子どもたちに同じ思いをさせたくない。
いまは家族が、一番大事。

でも、、、、
正直言って、自分の生きる気力とか仕事を頑張ろうと思う気持ちはどんどんゼロに近づいている。
この家族旅行が最後になってもいい、と変な考えもたびたび浮かんだ。

今でも、わからない。
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