2018年04月

2018年04月30日

父から子。

ひさしぶりに父と一緒に大浴場に入った。

両親を連れて家族で小旅行に来てる。

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2011年にくも膜下出血で倒れた父は、一命はとりとめたものの、脳高次障害を伴い、新しい記憶は入らない。さらに意欲がなにもかも無くなり、デイサービスに通っているものの年々体も衰えている。



一緒に風呂に入るのはいつぶりだろうか?
益々体と頭が衰えていることを実感した。



新しい下着を持ってきても、古いのを来てしまい、ボディソープで頭をあらい、頭を洗ったか否か忘れ、見ていないと何度も洗う。髭反りは1度置いたら忘れてしまう。付きっきりじゃないと大浴場は彼にとって難しいのだ。



今、父母が旅行に行くときは 仲の良い近所のご夫婦と一緒に出掛ける。気がねない関係なので父の病状も理解してくれている。ただお風呂などはやはり限界がある。1度過去には他人の下着をはいて戻ってきてしまったらしい。。

必然的に部屋にお風呂があるときは、母が見ながら部屋で済ます事が多くなるらしい。




一緒に大浴場に入る。

簡単なことだが、息子にしか出来ない特権であるらしい。実はありがたいことだった。




僕の長男倫太朗と次男周平は、じいちゃんの手を取り湯船に入る父をどの様に見ただろうか??一緒に付き添い風呂から上がる姿に何を感じただろうか??

父から子、父から子へと連綿と続くこの縦の系譜に流れ行く情報。

「未那識」「阿頼那識」に溜まる前に癒す必要のあるこの情報を、彼らは感じてくれるだろうか?



大切なことは、父の建築を上回ることでも、73年ずっと低空飛行の青山建設を続けることでもない。毎日毎日「算盤勘定」中心に生活することでもなく。 自分の「死の瞬間」ばかり気にして仏教や仏道にとらわれることでもない。


僕の産まれてきた役目は、彼(父)の死の瞬間を確りと迎え入れて、往生への道を繋ぎ止めることだ。。強いて言えば自分以外の「死の瞬間」の安寧を願うことだ。



そう実感した。



aokazu0319 at 06:10Jrのこと この記事をクリップ!

2018年04月28日

親父のたこ焼き

餓鬼二人。
騒がしや。


俺がいなくなったら
味と一緒に思い出せよ


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aokazu0319 at 19:48料理 この記事をクリップ!

悩んでみたり、割り切ってみたり

少し前のブログに

「家を作ることも、死ぬことも、生きることにも特別な意味はない ただ自分の住みたいと思う空間をつきつめていく」って書いた。


けれど何かしら違和感が残って
気持ちが悪い。


自分的には、雑念を払い考えずに「完遂」するという意味で書いたんだけれども、やはり意味がないなら完遂させようと思うモチベーションも無くなってしまうじゃないか?と


そこが違和感。




家を作ることは、「死ぬこと 生きること」のモチベーションの為にあるのかもしれないなぁ…とふっと感じる。 自分の住みたい空間をつきつめていく行為は「生きたい」という渇望する現れであり、「終焉」を迎える準備かもしれない…な、と。






なんだか自分が書いた一文に
自分自身が捉われ
悩んでいる。


とりあえず


10数年間書いたブログ
「侍・建築家」を「虚無僧・建築家」に
脱皮させた。



さすれば


何かしら 気持ちの
変化がまたあるかもしれない。


aokazu0319 at 06:56ひとりごと・・ この記事をクリップ!

2018年04月20日

拝啓コルビュジェ様

LE CORBUSIERの「小さな家」を読んで。


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拝啓 コルビュジェ様におかれましては、建築人の皆様がたの記憶の中に於いて、
ますますご健勝にてご活躍のことと存じます。おかげさまで私の記憶の中隅々にもコルビュジェ様の影響が浸透し始めております。



 今回、コルビュジェ様が両親の為に設計された「小さな家」図面をトレースさせていただきました。取り組むに当たり、あなたの著書で森田一敏氏が翻訳された集文社より出版されている「小さな家」を熟読させていただいたのです。



本の中には、コルビュジェ様のイメージスケッチ・お母様の似顔絵スケッチなど拝見しながら1923年当時のコルビュジェ様がどのような気持ちで、且つどのような思考でご両親のお家を設計されたのか、ほんの少し垣間見え、理解できたような気がしています。


通常決められた敷地に対して環境や状況を読み解きながら設計をするところですが、
この「小さな家」は、ご両親様の生活を、紐解かれた上で 必要最小限の実用性から床面積を算出し“住む機械(ラ・マシン・ア・アビテ)”という条件と、南に湖が広がってアルプスが見渡せる土地という条件のもと、設計ありきで土地探しをされたのですね。私はこれを知って正直「うらやましい…」とつぶやきました。だってそんなチャンスそんなにあるわけではないですから。



 私の住む現在の日本では、LDK・便利な動線・代わり映えのしない街並工業製品化の内・外装材・・・・等々、どれもこれも似たようなお家に皆が住み、大部分の人々がそれに満足していると思い込んでいる節があります。1923年という100年近くも前の時代にコルビュジェ様は、美しい開口部の取り方

各開口部の意味・屋上の緑化・樹木と建築を既に思考つくされていたことに感服いたしております。「小さな家」全ての要素が未だ色褪せず、褪せるどころか新しいとさえ思える設計に“住む機械”は現代のミニマリストのスモールハウスにも通じるところを感じております。



 私の産まれた故郷である犬山市にはフランク・ロイド・ライト氏の帝国ホテルがあります。そのため近代建築の3大巨匠といえば今までライト氏を思い出すことが多かったのです。


ごめんなさい。

でも…正直 既に私はコルビジェ派、いやコルビュジェ一門でございます。


 

この「小さな家」がレマン湖の畔に完成した際この町の町長が“自然に対する冒涜”という理由で二度と模倣されて増えないように、この種の建物の建設を禁じたようですね。いつの時代も先駆者は異端児であります。

私もコルビュジェ様の異端ぶりをいつの世か踏襲できるように日々精進していきたいと思います。少しでもあの世からお力添えいただければ幸いです。それではまたいつの世かお会いできること楽しみにしております。そしてレマン湖畔の小さな家に遊びに行こうと思います。                
 敬具



aokazu0319 at 16:38建築読んだ本紹介 この記事をクリップ!

夕食デザイン。

親父飯。

なんか食べたくなる青菜炒め
手作り餃子。



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あと中華スープに
麻婆豆腐、白米。


昨晩の夕食デザインは
わたくしてきに良かった。


皆が美味しい美味しいって笑顔で食べてくれる、その時間、空間がそのまま浄土。

浄土は向こうにあらず、今その心が佛の浄土となりにけりってやつ。ありがたや。ありがたや。ご飯作る機会を与えて貰えて感謝します。






aokazu0319 at 11:54料理 この記事をクリップ!
略歴

青山圭成

1977年3月19日生まれ。A型。日本大学工学部建築学科卒業。一級建築士・一級建築施工管理技士。趣味は歴史散策・歴史小説。

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