2018年04月18日

勝残ったあとの夢の跡

先日の「FPの家」総会でも、何度も聞かれた言葉なんだけど…
(勝残る) (勝残っていける工務店)



この言葉には正直違和感を感じてる。


まぁ 工務店や設計事務所という括りのカテゴライズも違和感はあるのだが、更に「勝残る」というフレーズにも

何だかなぁ…

と  溜め息がこぼれる。




当然、僕が現世のマジョリティ価値観からすれば、「あまちゃん」だということに相違ない。  


生物学的な弱肉強食の世界を、避けることは出来ないのだろうか?  人間と鳥獣もやはり同じような仕組みが当たり前なのだろうか?




何だかんだ言っても、自分の中で違和感を感じることは事実だし、それもまた致し方ない。。



昔の大工さんが自ら設計していた頃のように、家を商材とせず、自分自身の成長のために研鑽する建築学として捉え、考え、ご飯が食べられることに感謝し、必用以上の欲求を抑制していけば、新資本主義的なもっと社会主義に近い資本主義の形が、自ずと現れてくるのかなぁ。。なんて


無意味な妄想したりもする。



「勝残る」などという価値観は、今ある現状から任意で定めた状態になった段階で自社が存在しているかどうか?という定義だと思うが、 最後家を作る人間が周りに居なくなって、自分一人だけになったとき初めて「勝残った」と思うのか? 

それとも、周りの知り合いの工務店が2〜3社無くなったら、「勝残った」と思うのか?


それもまた価値観と煩悩の度合いで違ってくる。。所謂、そこで一旦「勝残った」と喜んでみても、結局は更に目標を設定せざるを得ずに、更なる勝残りを追求する 飽くなき煩悩となる。



煩悩は自分との闘い。
煩悩は広げるのではなく抑制すべきもの。



目標という、一見現世価値観では耳障りの良い、意味なきポジティブシンキングにより作られた幻想。。





それより、一棟一棟 自分の技術、センスの向上を思い 結果、それが偶々 御客さんの為になった。。。そうゆう具合が一番心地良いのである。


それが芭蕉の
「夏草や兵どもの夢のあと」の真髄。


aokazu0319 at 23:30家造り | 心理 この記事をクリップ!
略歴

青山圭成

1977年3月19日生まれ。A型。日本大学工学部建築学科卒業。一級建築士・一級建築施工管理技士。趣味は歴史散策・歴史小説。

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