2018年04月28日

悩んでみたり、割り切ってみたり

少し前のブログに

「家を作ることも、死ぬことも、生きることにも特別な意味はない ただ自分の住みたいと思う空間をつきつめていく」って書いた。


けれど何かしら違和感が残って
気持ちが悪い。


自分的には、雑念を払い考えずに「完遂」するという意味で書いたんだけれども、やはり意味がないなら完遂させようと思うモチベーションも無くなってしまうじゃないか?と


そこが違和感。




家を作ることは、「死ぬこと 生きること」のモチベーションの為にあるのかもしれないなぁ…とふっと感じる。 自分の住みたい空間をつきつめていく行為は「生きたい」という渇望する現れであり、「終焉」を迎える準備かもしれない…な、と。






なんだか自分が書いた一文に
自分自身が捉われ
悩んでいる。


とりあえず


10数年間書いたブログ
「侍・建築家」を「虚無僧・建築家」に
脱皮させた。



さすれば


何かしら 気持ちの
変化がまたあるかもしれない。


aokazu0319 at 06:56ひとりごと・・  この記事をクリップ!
略歴

青山圭成

1977年3月19日生まれ。A型。日本大学工学部建築学科卒業。一級建築士・一級建築施工管理技士。趣味は歴史散策・歴史小説。

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