ひとりごと・・

2018年11月20日

切ないsystemに組み込まれた我ら

一昨日の未明、親戚の子が事故で23歳の若さで亡くなった。本日葬儀にどうしても参列出来ない私は、昨晩通夜に訪れた。


産んだ息子に先立たれた私の従兄弟である母親は、泣きじゃくり辛うじて立っている。自分だったらきっと立つことも出来ずに、気がおかしくなってしまうのではないか。

気持ちを重ねれば重ねれるほど、なんて声を掛けて良いか解らず、臆病者の自分は、式が終わるや、ひそひそと帰宅した。気持ちを重ねて祈ることしか出来ない。


浄土真宗八代目法主蓮如が信徒に送った手紙を集めた「御文」の中に(白骨の章)という項がある。



―さて、人間の定まりない有様をよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、この世の始めから終わりまで幻のような一生涯であります。 だから、人が一万年生きたということを聞いたことがありません。 一生は過ぎやすいものです。末世の今では、いったい誰が百年間身体を保つことができましょうか。

 私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれず、おくれたり、先立ったり、人の別れに絶え間がないのは草木の根本にかかる雫(しずく)よりも、葉先にやどる露よりも数が多いと、いわれています。
 
 だから、朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう身であります。 現に無常の風が吹いて、二つの眼がたちまち閉じ、一つの息が永久に途切れてしまえば、血色のよい顔も色を失って、桃や李(すもも)のような美しいすがたをなくしてしまうのです。

 その時に、家族・親族が集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。そのままにしておけないので、野辺の送りをし火葬すれば、夜半の煙となってしまい、ただ白骨が残るだけです。
あわれという言葉だけではいい表し尽くすことができません。

 
あなかしこ、あなかしこ。―


この無常感こそが、生きる上で最も大切な物だと私は思うのです。一見人生を悲観的に捉えたマイナスなイメージを受けるかもしれませんが、それは表面的なことです。この無常感がいつも心に存在したならば、今という一瞬を大切に噛み締めて生きることができる筈であり、大切なものの順番が聡明になるに違いないと思うのです。僕も自分にいつもこの無常感を問いながら今を大切にしようと必死にもがいている最中。



今日は夕方から明日夜にかけて、御寺の奉仕に出掛けます。昨晩の気持ちをもう一度整理し向き合って人間の切ない所業を噛み締めてこようと思うのです。




因みに浄土真宗八代目蓮如さんが、久兵衛という他宗派の親しくしていた人に送った手紙がこの白骨の章。 何人もの子に先立たれた久兵衛の奥様に宛てた手紙だそうです。その後久兵衛は蓮如さんのお弟子僧侶になるのです。


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2018年10月26日

守るべきもの

昨日。「FPの家」グループのオーナー会議ということで、浜松に東海地区のグループオーナーが集まった。


珍しく参加した。


会議の休憩の合間に、例の愛知県教育委員会発注 某高校プールコンクリートブロックを撤去して目隠しアルミフェンスに変える工事の構造計算書を紐解いてコツコツ計算してた。


そこへグループ役員の方が通りかかり「何やってんの??構造計算?そんなの設計の仕事じゃないの??」と仰有る。

僕は案の定 咄嗟に返す言葉が見つからず…「そうかもしれないけど、そんなの嫌じゃん!」とだけ答えていた(笑)

何が嫌なのか(笑)全く今思うと意味不明な返答だ。。

僕が言いたかったのはこうだ。。。

確かに設計の仕事かもしれない。発注される前に計算され基礎も何もかも設計されているべきだ。。けれど、国全体で危険箇所を洗い出し 急いで発注しまで漕ぎ着け、何百箇所ある工事を、発注する部署がてんてこ舞いなのは目に見えている。たとえ設計が覚束無い場合でも、私の仕事はこうだ。。。とか、ここまでだ…とか、そういう思想には僕はならない。その思想は金銭という価値観土俵の上でのみ存在するのであり、僕はその価値感を持ち合わせていない。

そして、その価値観で物事を見るのは嫌いだし、仕事として自分がやれるべきことは、全てやりたい…からやっているのだ!俺に構うな!と言いたかった。





言えなかった(笑)

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先日トヨタスタジアムで「FPの家」告知活動として豊田産業フェスタに参加をした。。長久手の栄建 安藤社長から誘われたから、出て見ようかな…って思った。それは安藤社長が参加費を頭割りする会社を探しているから誘われたことは承知の上で参加した。商圏も違うし、お客のアンケートも不要だと断った。 お手伝いをして頭割り分の金額は見返りがなくてもきちんと支払う手筈だ。

これは安藤社長や他の主体的な工務店さんの、為になりたいと思った僕のエゴだ。


先日わが社がある犬山市で同じ産業祭があり、犬山にあるわが社ではない「FPの家」グループの会社が主体会社となって参加した。これには僕は参加しなかった。



「何故に会社がある犬山で参加せず、豊田市ではやるんだ…やっぱり変わってるなーあいつ。。」という声が幾人から届いた。



これも、返答をしたくても出来ない自分がいた。。 

僕は犬山で参加する会社は一社にするべきだ!って思った。勿論、法人会や商工会に昔から加盟しているのに、今まで、お手伝いをしていないわが社が自分の営利活動にだけ参加をするのか??という、後ろめたさも少しはある。 けれども僕がいないほうが、もう一社にとって必ず良いと確信したから出なかった。。



やっぱり、僕は他人からみると変わってるらしく、色々構われて鬱陶しいです。

お酒を呑んで、何億稼いできて、此れからも生き残るぞ!!的な話をする価値観は僕にはありません。


もう当分この類いの集まりには行きません。

僕は僕に頼んでくれているクライアントさんに、幸せな気持ちになってもらいたいエゴと、自分の設計の限界天井をあげて繊細さを極めたいエゴによる価値観だけに時間を使いたい。



勝ち残るか、残らないか。
知ったことではないし、知るよしもない。勝ち残る結果は勝ち残れない屍の上にのみ存在する。そのフィールドでは僕は存在すらしたい気持ちにならない。


僕は僕のエゴにより起因した感覚を信じるしかない。守るべきものはこの気持ちとこの心。









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2018年10月18日

cycle

季節の為せる術なのか…


何だか解らない 
この得体の知れない淋しさ。
心を支配しようとしてくる。

それを懸命に前向きな気持ちに物事を解釈したり、仕事のことを考えるようにして気を紛らわす。



じっくり考えてみると、この気持ちは 他人様から心ない言葉を投げ掛けられ、己の気持ちが乱された時に毎度毎度やってくる気がするのだ。。



心を直視して調え、「佛縁」の修行をして気持ちを素直に、自分に傲らないように精進する場所として、僕は寺と向き合っている。けれども、悲しいかな人間社会、そこにもやはり人間と人間の関係と距離感の難しさは、一般経済中心社会と何も変わらずに我が物顔で存在している。

相手の感情を言葉として浴びせられ、瞬時に何も言い返せないと、結局は自己防衛のために動揺しまいと、準備して、身構えていても、結果的に心は乱されている。


このブログが更新されていないときは、比較的穏やかな日々を過ごしていて、ブログ的には書く話題がないというネタの欠如になるのかも知れないが、日々穏やかであるという幸せを確実に積み上げている。僕の臨む本音はブログが更新されないということ。



淋しい気持ちを、妻に相談しようとも日々の忙しさと役所内部の人間関係で、幾度となく「ふぅ〜」というため息にも似た息継ぎをしている彼女にとても話す気持ちになれないし、話すきっかけも探れないでいる。もう一人相談したい相手がいるが、極珠にメールをしても、最早関心がないのかありきたりの簡潔な返事しか帰ってこないことが重なり、既に此方も「縁」は確実に薄まりつつある。


まぁ、僕が面倒な人間だから…
こうゆう結果になっているのだろうな…と自覚もしているし、バーチャルなブログというフィールドでしか、気持ちを整理して言葉を探していくことが出来ず、現実社会でうまく表現できない自分を、欠陥だなと自虐する気持ちも当然にある。



妻の息継ぎを少なくするために、日々休みなく僕も気を使い家事をこなし、合間と隙間で仕事(笑)と建築課題と佛縁をこなしている。(因みに御茶道は暫く接することが出来ていない。)

この日常や自らを取り巻く環境には、バランスがあって、このバランスこそが最も重要なのだと思っているし。一旦崩れてしまうと、全てが嫌な気持ちを抱きながら物事にせっしなければならなくなるので、本末転倒なのだ。



感情を心ない言葉に変換して、私にくださった相手の価値観は、僕の価値観とは(ずれ)があり。それをお構いなしに、議論すら出来る隙を与えられず、強制力と威圧的な言葉で問題提議されると、反発したくなるのが、僕のような凡庸な人間の性であります。



どちらにせよ 

この淋しい気持ちと
うまく付き合っていかねば、

根元的な「何故に産まれてきたのか?」という問いに、再び嵌まってしまうので、これだけは避けないといけないのです。



どんなときでも、simpleに。相手と対等にフラットで、素直に傲らず お互いを思いやり、いい距離感で生きていきたい。


自分は一番それを願うのです。





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2018年10月07日

あと少しの我慢

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くそー。 あとちょっとが… ちっとも完成しない。 完成したら。 模型写真撮影して レイアウト、ポートフォリオ作成。 まだ道は長い。。

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2018年09月29日

つきささる2

駐車している土地の隣人。
いつも僕を訝しげに見ている気がしてた。
多分僕の車とお宅の玄関が正面に向き合っているため、覗いていないか?とか…そんな感じで見ているのかな?って思ってた。


先日、次男と長女をお迎えにいき帰宅した際のこと。。。


降車する時に、隣人のおばあちゃんが、丁度出掛けるらしく我々と重なった。。相変わらず訝しげな表情のような気がした。


すると4歳の長女が「こんにちは」って元気に挨拶した。。



その瞬間に理解した。



(あっ…俺挨拶したこと無かった)と。。

急激に恥ずかしくなり、
今までの自分を悔いた。



おばあちゃんは、今まで見たこともない食い付き方で、娘に「おりこーだねぇ!」と誉めた。。  やはり挨拶出来てなかったことで、変人奇人カテゴリーに参入されていたものと思われる。


そのあと娘に「凄いね。偉いね。パパ挨拶出来てないけど、ななちゃん出来るねー」って誉めたら…


「保育園の先生に妖しい人がいたら、大きい声で、こんにちは!って挨拶しようって教えて貰ったもん。」

だって。



なんだか複雑なものがつきささる。


よく現場付近で小学生や子供にそう言えば挨拶されるなぁ…って思い出しながら。。



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略歴

青山圭成

1977年3月19日生まれ。A型。日本大学工学部建築学科卒業。一級建築士・一級建築施工管理技士。趣味は歴史散策・歴史小説。

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