読んだ本紹介

2018年07月20日

2冊の本による。

先日7人の死刑囚がいっぺんに執行されて、なんだか死刑制度が気になって、関係する本を手にとった。


堀川恵子氏のノンフィクション
2冊を選んだ。

そして読んだら

かなり、沈んでる。



参った…

立ち直りにまだかなり時間を要する。



2011年 新潮ドキュメント賞
「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙」(講談社)


2014年 城山三郎賞 「教誨師」(講談社)



この2冊の前に、何を思ったか普段読まないミステリー短編小説の「満願」を読んでたもんだから、殊更、どんよりが酷い(笑)





教誨師という役割は、戦後巣鴨プリズンでの「花山信勝氏」を存じ上げていたので、理解はしていたが、執行の一つ一つ事例を取り上げたものを読むと、いい結果ばかりでは無いことがよくわかる。


教誨師、浄土真宗の渡邉普相氏の記録として内容は進んでいく。


「教誨師」の中、最も響いた一節がある。


「かたや軽率な言葉の刃物で相手の心をスブリと貫き、直らぬ傷を刻みつけ、その人生までも狂わせてしまうものを罰する法律は見当たらない。見えない傷は、人間の法律では裁けない。何より言葉を吐いた側の多くは、自分が大変な事態を招いていることなど気づいてもいない。まさに浄土真宗でいう(悪人)と(善人)の話である。」


勿論ケースバイケースだが…


ズシッとくる。
重みのある言葉。


因果の通りに関係なく、法を犯した結果で裁かれる。そこに至らしめた相対法則のプロセスは蔑ろになる。


(善人)だと口にする人間は少ないだろう。
しかし、自分は(悪人)だと仄めかしながら、心の奥底では(善人)だと思っている人間が今の世の中大半だろう。。

悪人正機説というのは、こうゆうことなんだな。。。



人間は、不完全で悪人しか存在しない。


それが、人間を裁き人間の命を国家の名において絶つ。。僕は死刑反対論者ではないけれど、なんだか神の領域を侵している横暴な気がして、なんとも言えない気持ちになる。
しかし、現世で全く落ち度のない被害者家族の心情も計り知れない。。



執行する拘置所職員や教誨師、判決を下す裁判官、求刑する検察、全ての苦悩、苦しみ、涙、ずっしり来て 当分ブルーです。


暫くつかいものになりません。
お許しくだされ。
制度の答えは出ませんが
確実にブルーにはなれます。
この本。



どんよりーぬ。
どんよりーぬ。


aokazu0319 at 16:59 この記事をクリップ!

2018年04月20日

拝啓コルビュジェ様

LE CORBUSIERの「小さな家」を読んで。


KIMG0737


拝啓 コルビュジェ様におかれましては、建築人の皆様がたの記憶の中に於いて、
ますますご健勝にてご活躍のことと存じます。おかげさまで私の記憶の中隅々にもコルビュジェ様の影響が浸透し始めております。



 今回、コルビュジェ様が両親の為に設計された「小さな家」図面をトレースさせていただきました。取り組むに当たり、あなたの著書で森田一敏氏が翻訳された集文社より出版されている「小さな家」を熟読させていただいたのです。



本の中には、コルビュジェ様のイメージスケッチ・お母様の似顔絵スケッチなど拝見しながら1923年当時のコルビュジェ様がどのような気持ちで、且つどのような思考でご両親のお家を設計されたのか、ほんの少し垣間見え、理解できたような気がしています。


通常決められた敷地に対して環境や状況を読み解きながら設計をするところですが、
この「小さな家」は、ご両親様の生活を、紐解かれた上で 必要最小限の実用性から床面積を算出し“住む機械(ラ・マシン・ア・アビテ)”という条件と、南に湖が広がってアルプスが見渡せる土地という条件のもと、設計ありきで土地探しをされたのですね。私はこれを知って正直「うらやましい…」とつぶやきました。だってそんなチャンスそんなにあるわけではないですから。



 私の住む現在の日本では、LDK・便利な動線・代わり映えのしない街並工業製品化の内・外装材・・・・等々、どれもこれも似たようなお家に皆が住み、大部分の人々がそれに満足していると思い込んでいる節があります。1923年という100年近くも前の時代にコルビュジェ様は、美しい開口部の取り方

各開口部の意味・屋上の緑化・樹木と建築を既に思考つくされていたことに感服いたしております。「小さな家」全ての要素が未だ色褪せず、褪せるどころか新しいとさえ思える設計に“住む機械”は現代のミニマリストのスモールハウスにも通じるところを感じております。



 私の産まれた故郷である犬山市にはフランク・ロイド・ライト氏の帝国ホテルがあります。そのため近代建築の3大巨匠といえば今までライト氏を思い出すことが多かったのです。


ごめんなさい。

でも…正直 既に私はコルビジェ派、いやコルビュジェ一門でございます。


 

この「小さな家」がレマン湖の畔に完成した際この町の町長が“自然に対する冒涜”という理由で二度と模倣されて増えないように、この種の建物の建設を禁じたようですね。いつの時代も先駆者は異端児であります。

私もコルビュジェ様の異端ぶりをいつの世か踏襲できるように日々精進していきたいと思います。少しでもあの世からお力添えいただければ幸いです。それではまたいつの世かお会いできること楽しみにしております。そしてレマン湖畔の小さな家に遊びに行こうと思います。                
 敬具



aokazu0319 at 16:38 この記事をクリップ!

2016年04月13日

スッタニパータ

鼻中隔を削ると上の軟骨が沈んむんじゃね?っという ど素人な質問にも 真摯に対応してくださる主治医の先生は 医科大学病院の耳鼻咽喉科局長。

流石 人の上に立つ人は 出来てる。

しかし むかしは 軟骨が沈んでしまう合併症もあったようで鞍鼻と呼ばれるらしい。一応その、同意書は求められた。
しかし 僕の鼻中隔矯正術と下甲介除去術は綺麗に手術が成功し心配は回避。

全く有難いことだと 
深く感謝しております。


入院してから PCを病室に持ち込みリフォームの見積もりや、読書を苦しみながらもしております。


読み終えた本は 3冊(笑)
みうらじゅん氏の「ない仕事」の作り方

黒坂和雄氏の「ブッダの闘い」 

永井隆氏の「この子を残して」


の3冊。


どれも素晴らしい本だった。

特に黒坂和雄氏のブッダの闘いは、人間ゴータマシッダールタが 縁起の法則を見つけ  死後の世界については語らず 生きている人の為に解いた仏教という 教えをスッタニパータという原始仏教経典を紐解きながら 

 死んでからお経を唱えても 遅い!!と 切実に訴える。


小説仕立てになってあるが、中田という 社会人が過去の女性に囚われ執着し 私と執着を消したい…と寂しさに溺れ、安寧を願いながら物語は進む。


スッタニパータに綴られている ゴータマブッダの言葉を纏めた部分が、この本には記載があるので 転載したい。


〜かれは与えられないものを取らない。かれは生き物を殺さないように心がけている。かれは怠情から遠ざかっている。目覚めた人は精神の統一をやめることがない。かれは嘘をつかない。また、粗暴な言葉を発しない。また中傷の悪口を言わない。くだらぬおしゃべりを言わない。かれは欲望の享楽に耽らない。またその心は濁っていない。全ての迷妄を超えている。目覚めた人として諸々のことがらをあきらかに見とおす目を持っている。彼は明知を具えている。またかれの行いは清らかである。かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。彼はもはや再び世に生まれることがない〜


参照  ブッダの闘い  著者黒坂和雄
編集22世紀アート編集部。


最後の部分。…かれはもはや再び世に生まれることはない。。  
此れに強く惹かれます。



因縁によって作り出されたものは、因縁がなくなれば過ぎ去り、滅んでいく無常のもの。生じたものは必ず滅びる。自分のものというものは、自分を含めて何一つない。羨むべきものも何一つない。まして自分の力ではどうにもならない、そういったものに執着することは 愚かなこと。すべては過ぎ去っていく。何も考えずに 今の瞬間を直視する。そして自分に働きかけてくるものを感じるなら、 それが凡て。思い上がらず。真剣になり 生きているうちに 怠る事なく  実践する。


因縁による執着に固執するなら 再度 母胎に宿ることになる。 死んでからでは遅い。そうスッタニパータは訴える。


Amazon35000円の僧侶
葬式で丁寧にお経をあげてもらう。

仏教とは全く関係のないこと。
生きている間の実践で 
次は決まるらしいです。


aokazu0319 at 13:39コメント(0) この記事をクリップ!

2016年03月06日

アドラー人生の意味

アドラー心理学
「人生の意味の心理学」という本を読んでる。。 基本的にはいつも サエちゃんとのディベートでも出るような、相対性からこの本も展開される。



 人生の意味。
それは相対的な意味付けしかされない。

つまり 花や植物 物 全ては 私にとっての意味を人間は常に観ている。

「私」という主観にとって存在する意味しか存在しえない。   


つまる 人生の意味も「私」にとっての意味でしか 存在できない。相対性により「私」にとっての意味づけするということは 周りの人間との関わり 貢献などから 賛同、批判を受けて 初めて 意味が見出せる。。


「私」を無くすという仏教。「私」は周りとの関係から見出せるという理。  既にアタマはパニック及びパルプンテ。

貪欲、瞋恚、愚痴という「私」という執着で起こる三毒の煩悩は周りとの関係により消して行けるということか??


私って本当に存在しているのか?
私は何者なんだ?


これは お金という対価がある世界では 間違いなく 解決出来ない気がする… 欲を多少なりとも 引きずったまま 周りとの関係に没頭しても「私」の根源的な要素がお金という形に残されたままで 一向に私は消される雰囲気にない。。


それとも そもそも 「私」は消す必要がないもなのか…  解らん。  


気になって寝れん。










aokazu0319 at 04:06コメント(0) この記事をクリップ!

2016年02月07日

寛容性




カラス事件という 18世紀フランスで起きた事件を契機に啓蒙思想家だったヴォルテールが書いた本だ。

ジャンカラスは当時カトリックが主流だった時代に異端扱いされたプロテスタントの信仰者。


そのジャンカラス宅で プロテスタントではない長男が亡くなったことで 自分の息子を殺めた…という罪により 死罪にされてしまう。   

ヴォルテールはこれが冤罪であったと検証していく。さらに、異端扱いされ死に追いやった背景には 宗教的不寛容や人間の不寛容さがあると検分していく。



様々な考え、人間、宗教……と  人は同じではない、私の当たり前は貴方の当たり前ではない…という 他者を赦し認め合う「寛容論」が ヴォルテールによって展開される。


実は偶々 先日NHKでこの寛容論について知り ヴォルテールの本を読み始めた。 宇宙を創造した何かを「神」と表した理神論者の寛容と言う考えかたは とても胸打つものだった。



特にヴォルテールの言葉で 胸が熱くなる部分がある。


〜私が訴えるのは もはや人類に対してではなく  それはあらゆる存在  あらゆる世界  あらゆる時代の神であられるあなたに向かってである。


なにとぞ我々の本性と切り離し得ない 過去の過ちの数々に憐れみをもってご覧くださいますよう。

これらの過ちが我々の難儀の元になりませぬよう。


あなたは、お互いに憎しみあうために心を、またお互いに殺し合うために手を、我々にお授けになったのではございません。


苦しい 束の間の人生の重荷に耐えられるように、我々がお互い同士助け合うよう お計らいください。


すべて滑稽な我々の習慣。
それぞれ不備な我々の法律。
それぞれ馬鹿げている我々の見解。


われわれの目には 違いがあるように思えても  あなたの目から見れば  なんら かわることのない  われわれ各人の状態。


それらのあいだにある ささやかな相違がまた「人間」と呼ばれる微小な存在に区別をつけている  こうした一切のささやかな微妙な差が増悪と迫害の口火にならぬようお計らいください。


すべては兄弟であるのを皆んなが思い出さんことを〜




神と呼び
仏と呼ぶ
宇宙を創造したであろう
その法則は 寛容性が第一条件とする ヴォルテールの考査に 共感します。


日常生活でも 我々は 自分の思い込みや常識だと思っている慣習に支配され 無意識の領域を左右される。  それは 自我を強くさせ  寛容を弱める。


明日からも再度
自分自身を見つめなおしたい。




aokazu0319 at 20:07コメント(0) この記事をクリップ!
略歴

青山圭成

1977年3月19日生まれ。A型。日本大学工学部建築学科卒業。一級建築士・一級建築施工管理技士。趣味は歴史散策・歴史小説。

コメントありがとう!
月別アーカイブ
livedoor Readerに登録
RSS
livedoor Blog(ブログ)