建築

2018年07月12日

西行への憧れ

どうしても行きたかった。

先週金曜日
6時に起床して雨の降る中、六本木の森美術館に向かった。
「建築の日本展」


見たかった。仕事をおしてでも。




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全くの田舎モンすぎて森美術館の入り口が解らないこと(笑)
聞きまくって辿り着いた。


朝中央線で名古屋駅まで出て、急に行ったので新幹線は指定席だけれど真ん中の席しか空いておらず肩を窄めて懸命に小さくなろうとするが、日頃の不摂生は如何ともしがたい。品川で降り恵比寿経由で六本木まで。普段同様クロックスで来たことを悔やむ。


美術館に不釣り合いな みすぼらしさ。



まぁ よい。




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結構 外国人の来場者が多い。

外国人に紛れ込むとクロックスの違和感が消える。
日本人の来場者は皆きっちりとした服装。。

なんなんだ…。この差は。



日本が好きなのに海外の方が馴染む所以だ。
きっと自己がゆるいのだ僕は。




 展示は建築の日本展というだけあって日本の古来からの思想と建築の結びつきをテーマに、著名建築家の作品を使いながら進んでいく。日本独自の考え方という観点なので日本人の私からすると、の考え方が特別なことなのか?という、志向に陥ることもままあったのだが・・海外の方からすると、差異が感じられるのかもしれない。 自分としては、建築家たちの模型やデッサン・エスキースが見えることが喜びで、考え方の断片が日本的であろうとなかろうと関係はあまりなかった。



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上の写真のように…
各歴史上の人物などの格言が、テーマに沿うように用いられている。


その中で 意外な人物の言葉に出会った。
そこは撮影可能ポイントでなかった為、記録には残していないが。

意外な人物とは「西行」である。




仏教徒としての私からは外せない。
建築よりも印象に残っている(笑)


「なにごとのおわしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる」



日本の建築は、仏教と共に始まった。
常に傍らに存在する、何らかの畏怖されるべき力によって、物事が動くということの現象世界の代表が建築だったはずだ。しかしながら、今の世は一体なんだ。 

憂いても仕方のないことばかりだが。

「かたじけなさに涙こぼるる。。」
この一節がめちゃくちゃ好きでたまらない。
心にジーンとくる。




因みに西行。
めっちゃかっこいい。22歳とか23歳とかで出家する。
名家の坊ちゃんで文武両道の官僚だったのに。
妻子持ちだったのに。



僕には出来ないものが備わっている。




俗世に塗れて憐れむ対象となる 平清盛とは同僚である。

そこがまた清盛と左右対称の人生で西行は面白い。
栄枯盛衰の清盛との比較。

人生とは面白く切ない。



歌人としての才能もすごい。






辞世の句は
「願わくは花の下にて 春死なん その望月の如月のころ」
望月の如月は2月の15日 釈尊の涅槃 命日である。
花の下(はなのもと)は蓮の花 蓮台に生まれることを指す。
涅槃を得たいという歌だ。




めっちゃ かっこいい。







話がそれた。

森美術館の建築展のことだ。



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利休の待庵のレプリカが設置されてる。


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空間という識。

天井・壁・床で囲まれた得体の入れない奥深い世界。
たった4畳半の茶室。されど4畳半の宇宙。
茶室はそもそも維摩経という経典からくる。

「維摩の一黙雷のごとし」で有名な文殊菩薩との問答。

文殊菩薩と八万四千の釈尊の弟子と仏たちを、この茶室に
迎い入れ「一切皆空」を例える。







建築は奥が深い。
ある定めた広さに対する、そこに「有る」何かに対する距離感。

これが空間だ。

相対でしか空間は生じない。



広すぎても、狭すぎても 完全体すぎても…
不完全になり過ぎても駄目。




未だに解りかねるのである(笑)




その後…
六本木から乃木坂まで雨の中歩く。
一人  てくてくてくてく。




乃木坂から北千住まで千代田線。
千代田線からつくばエクスプレスで六町まで


そこに犬山にある岩田洗心館と同じ
私設の財団法人が運営する美術館がある。


その名も「六町ミュージアムフローラ」
そこの建物を見に行った。
横河健さんの設計。


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帰路に就いたのだが 大雨で新幹線停まる。
大幅に名古屋駅に遅れて到着。


それでも 行った価値はあった。
設計中の物件に思い感じた感覚は注ぎ込みたい。








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2018年06月01日

手書き

もっとセンスよく纏めたい。

手書きのプレゼンだったので、これが今の自分にできる限界。。



事前課題で作成した3案のスタディのうち、ひとつをプレゼン化する。




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はぁー(  -。-) =3
まだまだ道は長くて険しい。


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2018年05月25日

通風輪道案。

アンディゴールズワージという自然の中で自然にある現象や素材を使って作品をつくる現代アーティストの寝食可能なアトリエ。

幾つかの敷地の中からインスピレーションで、ピックアップして、その当該敷地の風土を読み取り、設計するという…


アンビルド(仮想設計)スクーリング事前課題めっちゃ難しいやんけ。



スタディ案を3案。
そのスケッチ、模型。



コンセプトレポート。



2日間、朝から晩まで机にかじりついて、漸くギリギリ今完成。



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疲れた…寝ます。
明日早いし、明日からまた2日間。
飯も食わず、誰とも話さず(笑)
みっちり建築三昧なので。




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2018年04月20日

拝啓コルビュジェ様

LE CORBUSIERの「小さな家」を読んで。


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拝啓 コルビュジェ様におかれましては、建築人の皆様がたの記憶の中に於いて、
ますますご健勝にてご活躍のことと存じます。おかげさまで私の記憶の中隅々にもコルビュジェ様の影響が浸透し始めております。



 今回、コルビュジェ様が両親の為に設計された「小さな家」図面をトレースさせていただきました。取り組むに当たり、あなたの著書で森田一敏氏が翻訳された集文社より出版されている「小さな家」を熟読させていただいたのです。



本の中には、コルビュジェ様のイメージスケッチ・お母様の似顔絵スケッチなど拝見しながら1923年当時のコルビュジェ様がどのような気持ちで、且つどのような思考でご両親のお家を設計されたのか、ほんの少し垣間見え、理解できたような気がしています。


通常決められた敷地に対して環境や状況を読み解きながら設計をするところですが、
この「小さな家」は、ご両親様の生活を、紐解かれた上で 必要最小限の実用性から床面積を算出し“住む機械(ラ・マシン・ア・アビテ)”という条件と、南に湖が広がってアルプスが見渡せる土地という条件のもと、設計ありきで土地探しをされたのですね。私はこれを知って正直「うらやましい…」とつぶやきました。だってそんなチャンスそんなにあるわけではないですから。



 私の住む現在の日本では、LDK・便利な動線・代わり映えのしない街並工業製品化の内・外装材・・・・等々、どれもこれも似たようなお家に皆が住み、大部分の人々がそれに満足していると思い込んでいる節があります。1923年という100年近くも前の時代にコルビュジェ様は、美しい開口部の取り方

各開口部の意味・屋上の緑化・樹木と建築を既に思考つくされていたことに感服いたしております。「小さな家」全ての要素が未だ色褪せず、褪せるどころか新しいとさえ思える設計に“住む機械”は現代のミニマリストのスモールハウスにも通じるところを感じております。



 私の産まれた故郷である犬山市にはフランク・ロイド・ライト氏の帝国ホテルがあります。そのため近代建築の3大巨匠といえば今までライト氏を思い出すことが多かったのです。


ごめんなさい。

でも…正直 既に私はコルビジェ派、いやコルビュジェ一門でございます。


 

この「小さな家」がレマン湖の畔に完成した際この町の町長が“自然に対する冒涜”という理由で二度と模倣されて増えないように、この種の建物の建設を禁じたようですね。いつの時代も先駆者は異端児であります。

私もコルビュジェ様の異端ぶりをいつの世か踏襲できるように日々精進していきたいと思います。少しでもあの世からお力添えいただければ幸いです。それではまたいつの世かお会いできること楽しみにしております。そしてレマン湖畔の小さな家に遊びに行こうと思います。                
 敬具



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2018年04月19日

生粋 きっすい であり 生いき

結果、それが偶々 御客さんの為になった。。。


前回書いた文章なんだけど



なんだか 妙にフィットして  好きだ。




偶々・・・(たまたま) 
ある条件が偶然に揃い、現象が偶然起こったことを意味する。




仏教では偶然は無く必然しかない。
因果の道理というやつだ。
撒かぬ種は生えぬ。。。。というやつだ。



即ち、  自己研鑽の為に励んだ結果が偶々お客さんの為になったというのは
己の計らいや己の力でお客さんが喜んだのではなく、 励んで努めた種が
何らかの作用によって、お客の喜びになって自分に返ってくるというロジック。
そして良縁現象というやつだ。


これだと何だかめっちゃすっきりして納得。




先日、設計中のクライアントご夫婦と打ち合わせの中で
「どうやったら 施工事例の方々のように素敵になるのか?」を聞かれましたが…
私の答えは「わかりません。。。偶々です」となるw

まじで正直に。

だって本当に解らないのだ。





でも研鑽して自分のやりたい新しいデザインや取り組みを
毎回毎回積み上げてきた結果がこの現象なのだ。私の力ではなく。
良縁の外力により出来上がっているのだ。
私が作ったし、施主が作ったし、職人がつくったのだ。




「社長のこだわりですか?」と仰っていただけるのだが、
たぶん僕ほど拘りが無い男は、あまりいない。
しいて言えば拘らないという拘りなのだ。




それぞれのお家の色はお客さんとの会話やお付き合いから
導き出された形・現象なのだ。 そして究極論・・・・
それらは夢幻なりっと何時も思う自分が心に存在するのだ。

家を作っときながら、無責任かもしれないが
心のどこかでいつも思っている。
(執着しすぎませんように…)っと。




だから施主様たちには、さらっと…
軽やかに、かっこよく
「こんな家なんでもねぇよ」というぐらいの
スタイルで執着せず住んでもらいたい。

それが御茶道でいう「わびさび」であり「粋」である。
これも日本から失われている大切な価値観。



それが無理な「一生に一回の清水の舞台から飛び降りる家づくり」の方は
どうかハウスメーカーさんでお話をし、
ハウスメーカーさんから与えられる枠の中で家づくりしてもらいたい。





僕じゃなくていいよね
っということだ。










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略歴

青山圭成

1977年3月19日生まれ。A型。日本大学工学部建築学科卒業。一級建築士・一級建築施工管理技士。趣味は歴史散策・歴史小説。

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