2018年08月14日

ああ、慈愛の涙の海に、溺れそう――内田百痢屮離蕕筺

表紙カバー写真の、何か言いたげな猫の目に惹かれて買った一冊。(撮影は町田康)
生別、死別した二匹の猫のことを書いた、随筆集である。

昭和三十年ごろの話。
七十歳を過ぎた百寮萓犬、野良猫の子を飼うことになった。
飼いたくて飼うことになったのではなく、かわいがっているうちに、だんだんに先生の家の中に入りこんできたのだった。
それは、先生と夫人の心の中に入りこんできたということだった。
「野良猫のままで飼うことにした」と、百寮萓犬禄颪い討い襦
野良猫のままでとは、どういうことか。猫は猫らしく、猫の習性を尊重して、というほどの意味だろうか。
先生は、オスの子猫に「ノラ」と名付け、夫人とともにわが子のように慈しんだ。
猫は、さかりの季節になると、恋を求めて外に出て行くようになる。
ノラも、一匹前のオス猫になると、野生の呼び声に、そわそわと落ち着かない。
「お前、行くのかい」と、先生と夫人は、心配そうに愛猫を送り出す。
まるで、思春期の息子をハラハラしながら見守る親のように。

先生の家の猫になって一年半ほど経った、三月のある日。
ノラは、庭の木賊の茂みをくぐって外へ出て行ったきり、帰って来なかった。
「ノラやノラや」と、先生は、いなくなった猫を思って泣いた。ノラを探すために、新聞に公告を出し、何千枚もチラシを刷って配った。死んだ猫を埋めたという話を聞けば、かけつけて、掘り返し、ノラではないことを確かめた。何日も、何か月も、何年も、百寮萓犬魯離蕕鯊圓疎海院探し続け、思い出しては泣いた。

クルは、ノラがいなくなってから、先生の家の庭に現れるようになった猫だ。
ノラによく似た毛並みのオス猫だった。迷い猫のようだったので、夫人が憐れんで餌をやっているうちに、抱かれるようになった。
ノラがそうだったようにクルも、だんだんと先生の家の中へ、そして心の中に入りこんできたのだった。先生は、ノラを探し、ノラを思って泣きながらも、クルを慈しむようになった。
夫人が大病を患って入院したとき、クルは先生の大きな慰めになってくれた。
クルは、六年ほど先生の家にいて、病気で死んだ。死ぬ前の十一日間は、毎日獣医師の往診があり、先生と夫人と女中さんに手厚く看護された。座敷の夫人の布団に寝たきりで、糞尿を垂れ流していたが、先生も夫人も汚いなんて思わなかった。

内田百里蓮⊂赦損予熟伺四月に、八十二歳で世を去った。死ぬまで、ノラのことを思って泣いていたという。猫たちのことを文章に書いていたから、なおのこと忘れられなかったのかもしれないが、書くことで愛するものを失った悲しみを癒そうとしていたのだとも思う。

百寮萓犬蓮猫を飼いはしたが、支配はしなかった。猫が猫であることを尊重して慈しんだ。
しあわせだったね、ノラとクル。

ああ、先生の慈愛の涙の海に、読んでいるわたしも、溺れそうだった。


aotuka202 at 23:41|PermalinkComments(0) ノンフィクション |  ・内田百

2018年08月11日

生きることは記憶を積み重ねていくこと―――カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」

わたしたちは、時の流れの中で生きている。
いまは、一瞬で時間の流れにまきこまれ、過去になる。過去に自分が何をしてきたか、何を思ったかは、自分自身と、時間を共有してきた他者との記憶の中に残る。

人生は、記憶の積み重ねである。
記憶を失ってしまったら、自分が何者であるか、なぜそこにいるのかもわからなくなるだろう。おそらくは、人生の意味さえ失われてしまう。

国家や村という共同体の歴史も、記憶の積み重ねである。
忘れてしまっているから平和が保てる、と、いうことも、ときにはある、かも、しれない……

「忘れられた巨人」は、ぼやんとした霧におおわれてしまったせいで、過去を思い出せず、失われた記憶をとりもどすために旅に出た、老いた夫婦の物語である。
夫の名は、アクセル。妻の名は、ベアトリス。

五世紀か六世紀ごろのイギリス。国家という枠組みは、まだない。
ブリテン島のブリトン人の村で、アクセルとベアトリスは仲睦まじく暮らしていた。
二人には息子がいたが、いまは、村にいない。
息子がいたということは確かなのだが、なぜ自分たちといっしょにくらしていないのか、いつ、どこへ行ったのか、息子の顔すら思い出せない。
老人性の健忘症ではない。村中の人が、昨日や一昨日にあったことさえ、かたっぱしから忘れてしまうのだ。若者も子どもも。

アクセルとベアトリスの旅は、ぼやんとした記憶の中の息子に会いに行くための旅だった。
息子は、大平野の向こうの村にいるはずだった。
ほんの数日あれば、言って帰って来られると思い、二人は村を出た。

大平野といっても、道は平坦ではない。
道なき荒れ野で、悪鬼の出る森も、川もある。天候の急変にもあう。
お互いをいたわりあって難儀な道を行く老いた夫婦を見れば、だれだって、揺るぎない愛情で結ばれているのだなあと思うだろう。

ほんの二、三日の旅なのに、波乱万丈である。
雨宿りに寄った廃屋では、恐いことをいう不気味な船頭に出会う。
一夜の宿を請うたサクソン人の村では、霧の正体が、雌竜の吐く息であることが明かされる。
サクソン人の戦士や少年や、アーサー王の甥という老騎士との出会いがあり、彼らは旅の道連れとなった。

息子に会いに行くはずだった老夫婦の旅は、いつのまにか雌竜退治の旅になる。
毒餌にするための山羊を連れて、強風に吹かれながら、よろよろと坂を上るアクセルとベアトリス。

やっとみつけた雌竜は、老いて蚯蚓のようにやせ細り、か細く息を吐いているだけだった。
そんな雌竜の首を切り落としたのは、サクソン人の戦士だった。

目的を遂げたのに、戦士の心はなぜか晴れない。
ブリテン島に散らばるサクソン人たちが、ブリトン人に虐殺された民族の記憶を取り戻し、復讐の戦いに立ち上がるという確信があったから。

アクセルとベアトリスも、忘れていた過去と向き合わなければならない。
なぜ、息子が二人の前からいなくなってしまったのか、息子は、いま、どこにいるのか――――

最終章は、渡し舟の船頭の一人称で記される。
旅の初日、雨宿りの廃屋で出会った、恐いことをいう不気味な船頭だ。
長い人生を共にしてきた二人、実は、不実も裏切りも諍いもあった。
妻には知られたくない過去も、夫には隠していた事実も思い出した。
それでも、なにもかもぼんやりと忘れていたときと、変わらぬ二人でいられるのかどうか―――

読む者の心に、ぐいぐいと迫ってくる。
人生のいまを生きる私の心に。
歴史の中の現在を生きる一人としての私の心に。











aotuka202 at 13:52|PermalinkComments(0)  ・カズオ・イシグロ 

2018年07月16日

境界はテムズ川を渡る塔橋ーー夏目漱石「倫敦塔」

明治33年10月から35年の12月まで、夏目漱石は、文部省の命令で英語学を学ぶためにイギリスに留学しています。
出発のとき、漱石は33歳。長女と、次女を妊娠中だった妻を日本に残し、単身での留学でした。

「倫敦塔」は、帰国して三年後の明治38年1月、雑誌「帝国文学」に文学士夏目金之助の名前で発表されました。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」などと同時期で、小説家としての出発を告げる作品のひとつとなりました。

夏目漱石が、ロンドン塔を訪れたのは、イギリスへ到着して間もなくのこと。
初めての名所見物だったようです。
方角もわからない、地理も知らない、まるで御殿場の兎が急に日本橋の真ん中へ放り出されたようだと、そのときの心境をふり返って書いています。
どのような道筋で塔にたどりつき、どうやって宿に帰り着いたかも覚えていない。
前後は不覚なのに、宿世の夢の焼点のように、ありありと思い浮かべることができる倫敦塔の記憶を、漱石は、幻想的な文章にしたためました。

まず、塔橋に立った時の情景を、丁寧に描写しています。
季節は、冬の初め。灰汁桶を掻き混ぜたような色の空。
壁土を溶かし込んだようなテームズ川のゆるゆるとした流れ。
漱石の目には、対岸にある塔が二十世紀を軽蔑するように立っていると映ります。
しばらく塔橋にたたずんで、倫敦塔に見とれていましたが、やがて長い長い手に手繰り寄せられるように、塔の中に引きこまれて行きます。

11世紀に要塞として築かれ、幾たびか王朝が交代する中で、王宮としても監獄としても使われてきた倫敦塔。

亡霊か幻視か、空想か。
塔を巡り歩くうち、漱石は、過去に幽閉され処刑された王子や王妃や女王の有様を、まるで見てきたように書くのです。
くるくると舞台が回る歴史劇の観客になったように。
観光名所ですから、他の見物客だっています。カラスにえさをやる子どもと、三羽しかいないカラスを「五羽います」と言い切る母親は、劇中劇に溶け込んで、まるで登場人物のよう。

また漱石は、壁に刻まれたおびただしい文字を見て、処刑されるまで生きねばならなかった囚われ人の、血まみれの爪を想像します。
悲劇の女王ジェーン・グレーの、斬首刑も目撃します。首切り役が斧を振り下ろした瞬間、漱石のズボンの膝に数滴のの血がほとばしり……

はっと我に返った漱石は、無我夢中で宿に帰りつきます。
宿の主人に倫敦塔へ行ってきたことを話すと、ああ行ってきたの?カラスが五羽いたでしょ、そう決まってるんだよ。壁に刻まれた文字?見物客の落書きでしょ。なんて、身もふたもないことを言われてしまいます。


読み終えてから、これは紀行文ではなく小説だと思いました。
異世界との境界をテムズ川、出入口を塔橋とするファンタジー小説。




aotuka202 at 14:42|PermalinkComments(0)  ・夏目漱石 

2018年07月09日

濁った水に散る花―――樋口一葉「にごりえ」

樋口一葉は、1872(明治5)年に生まれました。
17歳の時に父が病死。歌人として活動していた一葉でしたが、母と妹との三人の生活を支えるために、小説を書き始めます。

「にごりえ」が書かれたのは、1890年ごろでしょうか。
一葉は、24歳6か月で、肺結核のために死んでしまいます。小説が認められ、作家として活動できたのは、わずか一年半ほどでした。

「にごりえ」という言葉を広辞苑で引くと、「水の濁った入江」とあります。
小説の舞台となっている遊郭や遊郭のある街を、「にごりえ」にたとえたのかもしれません。

文章は、文語と口語が入り混じり、地の文の中に会話が溶けてしまっていて、はじめのうちは読みづらかったのですが、慣れてくると、流れる川のような文体に心地よさを感じるようになりました。


主人公は、お力という名の遊女です。
源七というなじみの客がありました。源七は妻子持ちなのに、お力に入れあげ、家業の蒲団屋もつぶしてしまいます。それでも、熱心に通い詰める源七を、お力はなにやら疎ましく感じていました。

結城朝之助は、独身で金離れのいい上客でした。お力は、ある夜、自身の身の上を語ります。
元は良い家柄であったこと、祖父は教養のある人だったこと、落ちぶれても父は腕のいい職人だったこと……
一葉は、お力に自身の身の上を重ねて書いているようです。
話を聞いた朝之助は、お力の心を見透かしたように、「おまえは出世をのぞむな」といいます。

一方、お力に袖にされた源七は、身持ちの悪いことを妻のお初に厳しく責められ、逆上して妻子を家から追い出してしまいます。
仕事も家族も失った源七は……

幾日か後、遊郭のある街を、二つの棺が出て行きました。
女は逃げるところを後ろから斬られ、男は切腹。遊女と蒲団屋の亡骸でした。

まるで、近松の心中もののような話です。

それにしても、一葉さん。お金が欲しいからといって小説を書き、すぐにモノになるなんて、才能ある人はちがいますね。




aotuka202 at 22:14|PermalinkComments(0)  ・樋口一葉 

2018年07月03日

あなたは真っ直ぐでよいご気性だ――夏目漱石「坊ちゃん」

坊ちゃんとは、主人公の青年のことである。
彼は、親譲りの無鉄砲な性格で、幼少のころから乱暴者。
友だちや兄に働いた暴力の数々が書きならべてあるが、ちょっと度が過ぎている。
いまの世なら、発達障害のレッテルを貼られそうだ。
親譲りと書いてあるから、父親も似たり寄ったりの乱暴者だったと思われる。
その父親も手を焼くほど暴力的だったのだ。
主人公は、父親から疎まれる。
母親は、早くに死んでしまったが、その母親からも愛想をつかされていた。

父からも母からも見捨てられた男の子を、心から慈しんでくれた人がいた。
女中の清。
「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」と、抱きしめてくれた。
きっとあなたは偉くなりますと、温かく期待して励ましてくれた。
その女中の清が、主人公のことを「坊ちゃん」と呼んでいた。
「坊ちゃん」とは、清の坊ちゃんなのである。
清は、坊ちゃんの心の母なだ。

主人公が中学校を卒業した年に、父親が死んだ。
遺産を少し分けてもらって、彼は、物理学校に進学する。
「生徒募集」の立て札を見て入ったというから、恐れ入る。
ビリに近い成績で卒業したが、四国の中学校へ数学の教師として赴任することになった。月給は四十円。

四国へ立つ三日前に、甥の家に厄介になっている清をたずねた。
風邪をひいて寝ていた清は、坊ちゃんいつ家をもちなさると、目に涙をいっぱいためてきいた。

主人公は、四国の中学校に就職したものの、たった一か月で辞めてしまう。
その一か月の騒動が、この小説の大半を占めているのだが、主題は、坊ちゃんと清との強い心の結びつきなのではないかと思う。

東京へ帰った坊ちゃんは、ある人の周旋で、街鉄の技手になった。月給二十六円。
家賃六円で小さな家を借り、清と暮らした。
清は、まもなく肺炎になって死んでしまったけれど。

最後に清を幸せにしてあげて、主人公は、「坊ちゃん」から卒業できたのかなと思う。




aotuka202 at 15:49|PermalinkComments(0)  ・夏目漱石 

2018年06月27日

執念のノンフィクション――水上勉「金閣炎上」

三島由紀夫の「金閣寺」は三島の思想や心理が、色濃く投影された小説だった。
水上勉の「金閣炎上」は、丹念に調査や取材を重ねて、放火者の真実に迫ろうとしたノンフィクションである。

昭和19年の8月はじめ、作者は、ひとりの中学生に出会った。
舞鶴軍港近くの青葉山うら、峠から茅原に続く道で。
作者の友人が、その中学生を連れていた。
中学生が金閣の小僧で、法事のために帰省していることを、友人から聞いた。
中学生本人とも、短い会話をした。
そのとき作者は、中学生のひどい吃音に驚いたという。
水上勉は、生家が貧しかったため、少年時代は京都の相国寺に小僧に出されていた。
その中学生に出会ったのは、還俗して小学校の助教をしていたころである。
寺で修業しながら中学校に通う身の上は、我が身の通った道だけに、強く記憶に残ったことだろう。

昭和25年7月3日の金閣寺放火事件を、作者は、新聞で知った。
放火者の名は、林養賢。
金閣寺の小僧をしながら大谷大学に通う、20歳の若者だった。
彼だ、あのときの中学生だと、作者は愕然とした。

林養賢には懲役七年の刑が科された。
服役中に精神の病を発症し、結核も重症化して、刑期の半分を医療刑務所ですごしたという。
昭和31年、刑期を終えても社会に復帰することなく、病院で死亡した。
死因は肺結核。28歳だった。
昭和31年といえば、三島由紀夫が「新潮」に「金閣寺」を連載していた年である。
小説の中で放火者は、金閣を焼く炎を見て「生きようと思う」とつぶやいていたのに、現実の放火者はその年に死んでしまったのだ。

水上勉は、小僧の境涯の厳しさを知っている。
仏教界の腐敗堕落した裏側も見てきた。
それだけに、あの時の少年が、国宝金閣に火を放った理由を、つきつめて考えてみたかった。
いろいろと周囲のことを調べ上げ、関りのあった人から話を聞き、作者なりに考えをまとめ、本として世に出すまで、二十年の歳月を要したという。

林養賢が金閣に放火したのは、7月3日午前3時。その3時間前まで、客人の僧と碁を打っていた。
養賢の弟弟子の父親で、養賢をよく知る人だ。
その客僧はいう。
あれは、自殺ですよ。
金閣へいって、大学へも行かせてもらっても、どもりと結核で差別されては生きようがなかった。
父親は、結核で死んだ、母親とは折り合いが悪い。帰る田舎もない。
心身ともにゆきづまった時期で、あの子は、死にたくなって火をつけたんですよ。
かわいそうな子ですよ。

作品は、作者が養賢の墓を探し当てたところで終わっている。
金閣に放火した若者の墓は、母の墓と並んで建てられていた。
母親は、息子が逮捕された翌日、面会を拒絶された帰り、列車の窓から保津川に身を投げて死んだのだった。





aotuka202 at 10:55|PermalinkComments(0)  ・水上勉 

2018年06月20日

金閣を、焼かねばならぬ――三島由紀夫「金閣寺」

昭和二十五年夏、京都の鹿苑寺金閣が、焼失した。
鹿苑寺の学僧による放火だった。

六年後の昭和三十一年、小説「金閣寺」が、「新潮」一月号から十月号まで連載され、十月に単行本にまとめられた。作者の三島由紀夫は、このとき三十歳だった。

「金閣寺」は、金閣放火事件をモチーフとした小説である。
主人公は、放火者の学僧で、「私」の告白体で書かれている。

作者は、放火者の心理の奥深くに降り、放火者が独自の美意識と哲学で金閣に火を放つまでを語りつくしている。
読後には、世間を驚愕させる大事件を起こす犯罪者の心理というものは、なるほどこのようなものなのかと、力ずくで納得させられてしまったような、割り切れなさと不快感が残った。

主人公の放火者は、日本海に面したうら寂しい町の寂れた寺に生まれた。
吃音があり、自分の思いや考えを言葉にして発することに、人一倍の努力を要する。
そのせいで、周囲の子らから、からかわれたりいじめられたりした。
彼は心を閉ざし、独自の世界観を持つようになる。
通俗的なわかりやすい言い方をすれば、ひねくれてしまったのである。
彼の意識の中では、この世は憎悪と悪意に満ちていて、愛も善意も偽りなのである。

彼は、寺の子だから、寺を継がねばならず、父親の伝手で京都の鹿苑寺に徒弟として預けられる。
鹿苑寺の金閣のことは、幼いころから、父親からことあるごとに聞かされていた。
彼の心の中には、圧倒的な美として屹立する金閣の虚像がそびえたっていた。
金閣は、彼のあこがれであり、醜く卑小な自己を脅かす恐れでもあったのだ。

隠微で陰湿なことばかりいろいろあって、金閣を焼かねばならぬと、彼は決意するに至る。
第十章は、放火を実行するまでの描写である。
臨場感と迫力と勢いのある文章でつづられる。
ぐいぐい引き込まれて読んだ。
この小説は、この章だけでいい、あとはいらないと思ったほどである。

放火者の彼は、金閣に火を放ち、その火に焼かれて自分も死ぬつもりだった。
わずか三間四尺七寸四方の、黄金の壁と天井に囲まれた小部屋で。
しかし、その小部屋には固く錠がかけられ、入ることができなかった。
放火者は、金閣に拒まれたのである。
彼は、炎の中から転がり出る。
無我夢中で左大文字山の頂までのぼり、金閣を焼く火と煙をながめ、達成感と満足感にひたり、「生きよう」と思ったのだった。

頭のいいミシマは、放火の理由を、美だの哲学だの難しいことを書いているが、わたしは、凡庸な頭で考えた。
放火者にとって、金閣は、重圧だったのではないか、と。
日々の読経や説教や説法は、僧侶の職務である。
吃音にコンプレックスを持つ彼にとっては、苦行でしかないだろう。
そういう仕事に、ほんとうは就きたくなかったのではないか。
しかも、彼の母は、将来は鹿苑寺の住職になれなどと、大それた期待を寄せる。
金閣は、彼にとって、美の象徴なんかではなく、僧侶という仕事の象徴だったのではないか。

国宝の放火者に下された刑罰がどのようなものだったかは知らないが、重圧から解放された彼は、人の愛や善意を少しは信じて生きたと思いたい。




aotuka202 at 12:16|PermalinkComments(0)  ・三島由紀夫 

2018年06月04日

吾輩は名探偵である――奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」

本の奥付を見れば、2009年1月1日発行とあった。
「吾輩は猫である」が「ホトトギス」での連載を終えたのが、1906年8月だから、103年の歳月が経っている。
にもかかわらず、まるで漱石猫の続きを読み始めたような錯覚に陥った。
文体の模倣が巧みなのである。

あのとき、死んだはずの猫君が、実は生きていたって?しかも、猫君が水がめに落ちたあの夜、主人の苦沙弥先生は、何者かに撲殺されていたという。
事件は未解決。
現場に残された百合一輪の謎……

なぜか、猫君は、上海の租界にいる。名前は、まだない。
道端に捨てられていた日本語新聞で、苦沙弥氏殺害事件を知り、真犯人をつきとめるべく探偵ごっこを始める。
上海租界の猫仲間が、探偵ごっこに加わる。
彼らの飼い主は、フランス貴族、中国人革命家、ドイツ軍人、などなど。
飼い主が、それなりの人物だから、猫たちもみんな頭がよくてインテリなのである。
猫君が、「吾輩が猫である」の一部始終を語り、その話の細部から不可解な点を探し出し、犯人を割り出そうというのである。
猫種も国籍も様々な猫たちだが、彼らの公用語は猫語であり、万国共通である。

なんて愉快な話だろうと思って、読んでいった。
なにが愉快といって、ここでの猫君が、自由でのびのびしていることである。
パブリック、ガーデンというところに猫たちは集まり、さながらサロンのように、ああでもないこうでもないと、事件の謎を語り合うのである。
ここでは、愛猫家のイギリス婦人が、毎朝餌をくれるので、飢える心配もない。上海の歓楽街のゴミ箱には、栄養たっぷりの残飯があふれている。

思えば、珍野家では、猫君は冷遇されていた。
主婦や女中からは邪険にされ、主人には頭を叩かれたり腹を蹴られたりしたこともあった。食餌といえば、主人の食べ残しがあればいい方である。
初恋の猫ミケ子が死んでからは、引きこもりのようになって、猫の仲間と交わらず、主人の客人のくだらない話ばかり聞いていた。
だから、ああよかったなあ、猫君、上海でやっと猫らしく生きられて、と一読者としてうれしかったのである。

この小説は、漱石猫ファンの壮大な感想文みたいなものかなあと思いながら読んでいたのだが、話が長い。長すぎる。
kindole版で読んだから本の厚さはわからないが、読んでも読んでも終わらない。

そのうち、楽しい猫サロンを離れ、アヘンの密造密売だの、革命党だの、あげくは、タイムマシーンだのと、話が拡散していき、何がなんだかわからなくなった。

で、けっきょく苦沙弥氏殺害事件とは何だったのか。
最後まで読むだけは読んだが、途中で倦んでしまったわたしには、不明なのである。

作者によれば、猫君は、時空を旅できる特殊な猫らしい。
いつかどこかで、名前をつけてくれるやさしい主人に巡り合えることを、願ってやまない。







aotuka202 at 15:15|PermalinkComments(0)  ・奥泉光 

2018年05月21日

猫が死に際に生涯を思い起こす――夏目漱石「吾輩は猫である」

1905(明治38)年1月から1906(明治39)年8月まで、文芸誌「ホトトギス」に掲載された。夏目漱石の初めての長編小説。全11話から成る。

生まれて間もない一匹の野良の子猫が、中学の英語教師の家に入りこみ、飼い猫となった。不慮の死を遂げるまで一年数か月。その間に見聞きしたあんなことやこんなことが、軽妙な語り口で書かれている。

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
最初の一行は、あまりにも有名だ。
これは、生まれたばかりの子猫がいっているのではない。死ぬ間際の猫が、生涯を回想して語り起こした始めの言葉なのだ。
一年数か月もの間飼われていたのだ、名前ぐらいはつけてほしかったと、無念の思いがにじみ出ているではないか。

いったい、猫の吾輩は、飼い主である珍野家の面々に愛されていたのか。
三人の小さな女の子たちには、しっぽをつかまれ吊り下げられる。
奥さんと女中の清には、邪険にされる。
主婦や家事使用人に愛されないと、動物は幸福にはなれない。
彼女たちは家庭の食物を支配しているから。
猫の吾輩は、はたして餌というものをもらっていたのか。一家の食事風景は活写されているが、そこに猫の皿は見当たらない。

じっさい、猫の吾輩は、常に腹を空かせていたようだ。
椀の底に残った雑煮の餅を盗み食いして、窒息しそうになり、苦しさのあまり踊り狂ったことがある。先生の客の食べ残したかまぼこの切れ端を、失敬したことがある。
女中の清のサンマを盗み食いしたことがある。
ねずみを獲ろうとして、大事なヒゲやしっぽに食いつかれたこともある。
庭でカマキリやセミを狩ったこともある。
プライドの高い猫だから、やれ好奇心に負けたの、運動のためだのというが、腹が減っていたから、食うためにやったことにちがいない。

とはいえ、猫の吾輩は、ただ腹を空かせてかわいそうなだけの猫ではない。
類まれな知能を天から授かった猫である。中学三年生ぐらいの知力学力はあると自認している。
先生が新聞を読んでいるときは、膝に乗って、のぞき読みする。先生のところにきた手紙だって読んでしまうのだ。
中学の教師のくせに、なぜか家にばかりいる先生のところには、理学士だの美学者だの哲学者だの詩人だの、インテリの客がひっきりなしに出入りして、駄弁を弄していく。百年経った今日では、聞くに堪えないような差別的な話も、滔々と語っていく。
吾輩は彼らの話に聞き耳を立て、先生の心の中まで見透かしてしまうすごい猫なのである。

猫の吾輩が、二年足らずで生涯を終えることになったのは、天才ゆえの宿命かもしれぬ。主人の部屋に集っていた客たちが散会し、静けさとわびしさの漂う夜。話題になっていた自殺論に影響されたのか、「死ぬのが万物の定業で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢いかもしれない。」なんて、猫らしからぬことを考え、客の飲み残したビールをびちゃびちゃと飲み干し、ふらふら歩いているうちに、水甕の中に、ぼちゃん……

夜が明けて、水甕にぷかりと浮かんだ猫の吾輩を見て、珍野家の人々は、「せめて名前ぐらいつけてやればよかった」と、その死を悼んだと信じたい。





aotuka202 at 12:28|PermalinkComments(0)  ・夏目漱石 

2018年05月10日

毒薬は弱者の凶器――渋澤龍彦「毒薬の手帖」

雨が降る日、地下鉄を下り地上に出ると、アーケードのある商店街。
その一角に古書店がありました。
軒下の本棚にズラリと並べられた、河出文庫の渋澤龍彦コレクション。
おそらく同一の人物に、手放された本たちでしょう。
「黒魔術の手帖」「秘密結社の手帖」……。
どれもこれも魅惑的だったけれど、わたしが選んだ一冊は、「毒薬の手帖」。
店の奥でうつむいて読書している四十がらみの店主のもとに持って行くと、「300円です」とぼそりといって、いんぎんに紙の袋に入れてくれました。

買ってすぐに読み始めたかというと、そういうわけでもなく、しばらくは、本棚の目立つところに飾っておきました。これは、近いうちに読むぞという、自分自身への意思表示。タイトルの「毒」という文字が、わたしを本に近づけたり、本から遠ざけたりします。
読み始めたのは、本が本棚をひと月も飾った後でした。

人と毒薬との歴史を語った本でした。
人がどのようにして毒と出会い、毒に魅了され、毒薬を製造し、己の欲望や快楽のために毒を飲ませ殺してきたか、あるいは腹いせや絶望のために毒をあおって自らの命を断ってきたか……。
古くはソクラテスから、二十世紀のイギリス中流家庭の未亡人まで、多種多様な人物のエピソードが紹介されています。

ソクラテスの刑死に用いられたのは、ドクニンジン。
コニインという神経毒の成分が含まれているそうです。
徐々に毒が効いて死に至ったソクラテスの様子を、弟子のプラトンが、生々しく『パイドン』に書き残していました。

ドクニンジンは、いまでは日本にも自生しているそうです。
春の野の水辺に、いかにも食べられる野草という風情で。
死亡事例もあるそうです。ああ、恐い。

著者によれば、毒殺の犯人というのは、ほとんどが女性だそうです。わかるような気がします。
むかしから女は、男のように剣や銃を持ちませんから。憎いあんちくしょうを殴り殺す力もない。
毒薬は、弱者の凶器なのです。
それに、女は台所で食物を支配していますからね。
愛する夫や親や子どもが飲むスープに、一匙の白い毒の粉を溶かし込むなんて、朝飯前のこと。

十九世紀フランスのブルターニュ地方で、ヒ素を用いた有名な毒殺事件を、著者は紹介しています。
エレーヌ・シュガーという女性は、そこらで売っているヒ素を容易に手に入れて、34人を殺害したといいます。
彼女が女中として住み込んだ家では、一家全員が惨殺されるという惨事も稀ではなかったとか。
表面は利口で感じのいいの人だったので、勤め先では信用されていたそうです。
主人一家に個人的恨みなどはなく、もしかしたら、階級的憎悪のようなものが、心の奥深くにくすぶっていたのかもしれません。
日の当たらない台所で家事労働に明け暮れる女中が、主人一家が集う明るい食堂に、ほくそ笑みながら毒入りのスープを運ぶ―――― やはり、毒薬は弱者の凶器なんだなと思います。
一種の殺人マニア、精神病者だったのでしょうが、十九世紀のこと、彼女はギロチンにかけられたそうです。

それにしても、メモをとりながら、こんな本を読んでいるわたし、なんだか危ない人みたい……







aotuka202 at 08:24|PermalinkComments(0)  ・ 渋澤龍彦