2018年11月15日

信仰と性と美意識と――三島由紀夫「潮騒」

昭和29年に書き下ろし長編として刊行された作品だという。当時、三島由紀夫は29歳。一度も読んだことはなかったが、伊勢海の小島を舞台とした、若者の清純無垢な恋物語ということは知っていた。五度も映画化されている、テレビドラマにもなっている、国民的といっていいほどの有名な小説だから。

読み終えて印象に残ったのは、海に生きる人々の信仰心の篤さと、性と肉体へのミシマの美意識だった。

人口わずか千四百の歌島には、もっとも眺めの良い場所がふたつある。ひとつは、島の頂にある八代神社。もうひとつは、東の断崖の上に建てられた燈台。
八代神社には、綿津見神がまつられている。島に生きる男は漁夫、女は海女。人々は、神に海上の平穏を敬虔に祈り、熱心に捧げものをする。
信仰心の篤さは、迷信の深さと表裏一体でもある。船に乗っているときに災難にあえば、神の禁を犯したせいだと考える。それが、海難事故でなく、米軍の機銃掃射にやられたのだとしても。
燈台は、夜の海に明るい灯をともし、船を導いてくれる。海に出る男たちにとって、神様にも等しい存在なのだろう。主人公の新治は、漁から戻るたびに、まるで神様に感謝の捧げものをするように、漁の獲物をさげて台長のもとを訪れる。

あらしの夜、焚火をはさんで、新治と初枝が向き合う場面。二人は、濡れた衣服を乾かすために裸になっている。初枝は、新治に、いっそ下帯もとっちゃえば、なんて大胆なことをいう。新治が素裸になると、その火を飛び越えてこっちへおいで、と誘惑する。恋人が勇気をふるいおこして火を越えてくると、ダメ、わたしは結婚するまでは純潔を守りたいの、なんて自分で挑発しておきながら拒絶する。
島の娘なら、性にはもっとおおらかだろうに、ミシマの処女崇拝思想が、都会のお嬢さんのようなお固いことをいわせるのだと思った。

海女たちが焚火のまわりで乳房くらべをする場面では、細やかに生き生きと、女たちの乳房の描写をしている。太陽の下で海に潜り、労働にいそしむ女たちの健康な肉体を賛美するように。

主人公の新治は、親孝行で男気がある。恋人の初枝は、一途に新治を思う。歌島丸の船長には、門司の港にも、横浜の港にも、女がいる。
この小説の原型はギリシャ神話にあるらしいが、世界観はまるで演歌のよう。



aotuka202 at 08:41|PermalinkComments(0)  ・三島由紀夫 

2018年11月06日

<獣>は、ぼくらの内に棲む――ウイリアム・ゴールディング「蠅の王」

この本を、さいしょに読んだときの衝撃は、いまでも忘れられない。
そのとき読んだのは、集英社文庫、平井正穂訳。その本は、いまも手元にある。
本の発行年月日を見ると、1994年6月4日。二十五年も前だった。
今回、改めて読んだのは、新訳版ハヤカワepi文庫(黒原敏行訳)。
黒原さんは、学生時代に平井さんの訳本を読んだという。

五、六歳から十二、三歳ぐらいまでの少年たちが、北ヨーロッパの国(おそらくイギリス)から、南海の孤島にやってきた。そのいきさつの詳細は、書かれていない。
彼らの会話から推測すると、戦争があったらしい。それも、原子爆弾を落とし合うような。彼らは学校の制服を着ていた。安全などこかへ、疎開する途中だったのかもしれない。飛行機は、敵に攻撃されて海に不時着、自力で脱出できた少年たちだけが、助かった。大人たちは炎上する飛行機とともに、海に沈んでしまったらしい。

島には美しい礁湖があり、森には食べられる果実がたわわに実っていた。

はじめのうちは、うまくやっていけそうだった。
彼らは、リーダーを選び、さまざまなルールも決めた。
救助されるために、火を焚き煙をあげて、交代で火の番をすることにした。
通りかかった船が煙をみつけ、ぼくたちは救助されるだろう、それまで大人のいないこの島で自由に楽しくやっていくさ。
大きい子たちは、そう思った。

無人島の夜の闇は深い。
小さな子たちは、<獣>におびえて泣いた。
こんな小さな島に、大きな<獣>なんていないんだよと、大きい子たちは小さな子たちをなぐさめた。

しかし、<獣>は、少年たちの心の奥深くに眠っていた。
島には、野生の豚がいた。ナイフを持っていた少年が、木を削って槍を作り、狩猟隊を結成して、豚狩りをした。血を浴び、殺すという行為が、眠っていた<獣>を目覚めさせてしまったようだ。
火を守り平和的に救助を待とうというリーダーと、楽しく残酷に狩りをしたい狩猟隊の隊長と、二派に別れて<戦争>が始まる。「ごっこ」ではない、戦死者も出るほんものの戦争が―――。

島が大火事になって、少年たちは、イギリスの巡洋艦に救助されたが、ああよかったとホッとしていいのだろうか。文明社会にもどったところで、そこでは、大人たちが、もっとひどい戦争をやっている。世界を滅亡させるような核戦争を。
狩猟隊の隊長が、狂ったように狂暴化していったのは、救助されたところでその先にあるのは絶望だけだと、知っていたからかもしれない。

この小説が発表されたのは、1954年。いま読んでも、衝撃的だ。
世界のどこかで絶えず戦争があるのも、人が人を殺してしまうのも、人間は心の中に一匹の<獣>を宿しているかせいかもしれない。
理性のたがが外れたとき、その<獣>は、暴れ出す。

作者は、1983年にノーベル文学賞を受賞している。


aotuka202 at 13:42|PermalinkComments(0) 翻訳文学 | ノーベル文学賞作家

2018年11月03日

地霊が語る――奥泉光「東京自叙伝」

この本を読み始めたのは、一か月以上も前のことだった。
きょう、やっと読み終わった。ずいぶん時間がかかったものだ。

なんだかよくわからない話だったなあと思う。
読み終えるのに、時間がかかったのは、そのせい。

なにしろ、語り手が、人でも動物でも物でもなく、地霊なのである。
東京の地霊。地中にすむのか、地中の奥深くにうごめいているのか。人に憑依するのだから、地面にはりついているのかもしれない。

幕末の江戸から語り起こし、東日本大震災後の東京で終わる。
六つの章から成り、各章に中心となる人物がいる。
地霊は、駅伝のタスキのように、各時代のランナーに憑りついていく―――のなら、わかりやすいのだが、そんなに単純な話ではない。

人から離れて、動物や魚や昆虫に憑りつくこともあるという。
ただ、かれらは寿命が短く自我がはっきりしないから、その間の記憶はあいまいなのだそうだ。
漱石先生の猫の中に入っていたこともあるというから、クスッとわらってしまう。

地霊が憑りつく人物は、頭がよく、狡猾で、野心的だが、刹那的で破滅的だ。
地霊に憑りつかれてそうなってしまうのか、もともとそういう傾向の人間だから憑りつかれるのか、その辺はよくわからない。
金閣寺に放火したのは、京都の地霊に憑りつかれた学僧だったとか。
三島由紀夫が割腹自殺したときは、東京の地霊が憑りついていたのだとか。

東京という都市が膨張していくにつれ、地霊も拡散していって、複数の人物や動物に同時に憑りつくようになったというから、話はますますわかりにくくなる。

東京の地霊なのに、東京の繁栄を願っているわけではない。
逆に、破滅せよ、消えてしまえと、呪っているようにみえる。

欲望にまみれて巨大化していく大都市が、地霊は好きではないのだ、きっと。



aotuka202 at 22:56|PermalinkComments(0)  ・奥泉光 

2018年10月22日

船出の日まで――川端康成「乙女の港」

昭和12年から13年にかけて、「少女の友」(実業之日本社)に連載された少女小説です。2011年に実業之日本社から文庫化出版されたものを読みました。
「少女の友」連載当時と同じ、中原淳一の挿絵が添えられています。

昭和十二年といえば、川端康成は「雪国」を刊行し、すでに文壇に確固たる地位を築いていました。少女小説なんか、ほんとうは書きたくないけど生活のために書いたというのではないようです。巻末の解説によれば、川端康成自身が、少年時代に「少女の友」を愛読していたそうです。オファーがきたときは、きっと喜んで執筆陣に加わったのでしょう。

「乙女の港」は、海の見える港町にあるミッションスクールが舞台です。
幼稚園から、高等部の上の専修科まであり、裕福な家庭なお嬢様たちが学ぶ学校です。
中等部の入学式の日から、物語は始まります。
小柄で美しい三千子のもとに、上級生から、まるで恋文のような手紙が二通舞い込みます。
一人は五年生の洋子。もう一人は、四年生の克子。
三千子は、洋子の人柄と美しさに惹かれ、エスの関係を結びます。
洋子は、ただの苦労知らずのお嬢様ではありません。
三千子は、どんな不幸にも動じず、おだやかな笑顔で前を向く洋子に、深く心を寄せていきます。

ふたりの間に割って入ろうとするのが、克子です。
はなやかで美しく、競争心が強く、勝気。公平で正義感も強く、人をも自分をも、厳しく鞭打つ。
夏休み、三千子が軽井沢に避暑に行くと、たまたま克子もそこにいて、ひと夏をともに過ごします。
洋子を裏切るようで心苦しさを感じながらも、克子にふりまわされる三千子。
エスが姉妹のエスならば、三人姉妹でいいじゃないかと思うのですが、恋人や夫婦と同じで、お互いが唯一無二の存在でなければだめなようです。

物語は、洋子の卒業で幕を下ろします。
乙女の港とは、世間の荒波から隔てられた女学園のことをいうのでしょう。
卒業は、船出を意味します。
「わたしたちは、一生一緒にいることはできないのよ」と、洋子はいいますが、ふたりの友情よ永遠にと、昭和の少女たちは、願いながら本を閉じたことでしょう。

それにしても、川端康成という人は、乙女(少女)がすきなんだなあと思います。
「竹取物語」の解説で、かぐや姫のことを、「一個の可憐な乙女」と書いていた人ですから。





aotuka202 at 12:49|PermalinkComments(0)  ・川端康成 

2018年09月30日

人はみなひとりひとりが宝――市川朔久子「小やぎのかんむり」

図書館のティーンズコーナーでみつけた本です。

家族とは、親子とは何か、深く鋭く読者につきつけてくる作品です。

万木夏芽は、中高一貫の名門私立女子校の中学三年生。
父と母と、三人家族です。
まあまあの会社で働いている父。
娘の学費のために再就職した母。
娘が名門校に合格した記念に、町の写真屋さんで家族写真を撮りに行くような、傍から見れば幸せそうな家族です。
しかし、夏芽は、人知れず苦しんでいました。父親の暴力に。
愛情がないわけではないのです。
おまえのためだ、おれのいうことをきけと、娘を殴る。
殴られるのは自分が悪いからだと自身を責め、夏芽は心身を病んでいきます。
父も病んでいるのかもしれません。殴るときは魚のような目になるといいます。

夏休み、夏芽は、ある事件を起こし、父から逃げるように、山寺のサマースティに参加します。
参加者は夏芽ひとり。そこに、五歳の雷太が加わります。
雷太は、親から虐待され、捨てられた子でした。

サマースティを企画した美鈴さん(女)と穂村さん(男)も、家族というものに傷つき、家族を捨て(捨てられ)てきた人たちでした。

寺には、三匹の子やぎがいました。
境内の雑草を食べさせるために、農業高校生の葉介が連れてきました。
身体中が傷だらけで笑わない子だった雷太は、子やぎの世話をするうちに、太陽なような笑顔を見せるようになります。

「子どもは、のうのうと生きていればいい」
住職のことばが、夏芽を元気づけます。


夏休みが終わり、あの父がいる家に帰る日、住職は、夏芽のてひらに「宝」の文字が入ったスタンプをぎゅうっと押してくれました。

人は、みなひとりひとりが宝です。
暴力で支配されたり、傷つけられたり、心を踏みにじられたりしてはならないのです。
たとえそれがが親であっても。

そういえば、サマースティの寺の名は、『宝山寺』というのでした。






aotuka202 at 19:33|PermalinkComments(0) 児童文学 

2018年09月27日

ともだちってなに?――岩瀬成子「ともだちのときちゃん」

さいきんの児童書には、対象年齢というものが書かれていないのですね。
むかしは、裏表紙に記してあったものです。「小学初級向き」とか、「三、四年生向き」とか。
そんなことを明記するのは、野暮ってもんだからやめたんでしょうか。
どんな本でも、読みたい人が読めばいいわけですから。
子どもでも大人でも、おじいさんでもおばあさんでも。

「ともだちのときちゃん」の主人公は、二年生の女の子です。
「わたし」の一人称でかかれていますが、名まえは「さつき」です。
さつきは、何でも知っていて、しっかりものの女の子。
ときちゃんは、はずかしがりやでおっとりした女の子です。

さつきは四月生まれで、ときちゃんは三月生まれ。
本には書かれていませんが、さつきとときちゃんは、家が近くて、赤ちゃんのころからいっしょに遊んでいたのでしょう。
おねえさんが妹のめんどうをみるように、さつきはときちゃんの世話をやいてきたんじゃないでしょうか。
さつきは、ときちゃんのおかあさんからたのまれていました。
「ときちゃんをよろしくね」、と。

学校に行くようになると、同じクラスで席もとなりどうしになりました。
ぐうぜんとは思えませんね。
きっと、そこには、大人の「配慮」がはたらいているのです。
さつきは、ときちゃんのめんどうをよくみています。

でも、さつきだってまだ二年生の女の子。
だんだん、ときちゃんが重荷になってきました。
何をしてものろいときちゃんを置いて、先に学校を出てしまったり、ときちゃんをほっといてなかよしのれなちゃんと遊んだりします。
ちくりと胸に痛みを感じながら。

そんなとき、ときちゃんのお母さんが、さつきと、さつきとなかよしのれなちゃんを、家に招待します。ピザを焼くから、遊びに来て、と。
思っていることを口に出せないときちゃんですが、おかあさんには話していたのかもしれません。
さつきちゃんはれなちゃんとなかよしで、わたしはひとりぼっち、と。

でも、さつきは、ときちゃんのことも、ちゃんと見ていました。
道端にしゃがみこんで、アリの行列に見入ってしまうときちゃんを。
亀の甲羅には思い出がつまっているという、ときちゃんを。
きのうの木ときょうの木は、同じ木でもちがうと思うという、ときちゃんを。

さつきは、ときちゃんの個性に気づいていきます。
ときちゃんの個性をみとめたとき、ときちゃんは、面倒見てあげなきゃいけない妹から、友だちになりました。

コスモス畑でときちゃんと空を見上げ、「ときちゃんと友だちでよかったなあ」と、心から思えるようになったさつきでした。

さて、この本の対象年齢は?
小学校二、三年生の女の子。深読みできるのは、その子たちのお母さん、というところでしょうか。






aotuka202 at 09:27|PermalinkComments(0) 児童文学 

2018年09月23日

ヒーローは少年の永遠の夢――市川宣子「きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは……」

ひさびさに児童文学を読みました。
対象年齢は、小学校低学年から中学年というところでしょうか。

児童文学でありながら、作者の目は、子どものあっくんではなく、あっくんのおとうさんにそそがれています。

あっくんのおとうさんは、なかなか帰ってこない日があります

ありますね。世のおとうさんには、そういうこと。
あっくんのおとうさんの職業は、挿絵を見る限り、サラリーマンです。

なかなか帰ってこない日が、週に一日か二日なのか、四日か五日なのかはわかりません。
でも、おそらく、おしなべて、ほぼ毎日がおそい。

あっくんが寝ついてから帰った夜は、おとうさんは、あっくんの寝顔に語りかけるのです。
おそく帰ったそのわけを。

それは、部長にさそわれてことわれなかったとか、お客の接待があってとか、仕事に思わぬトラブルがあってとか、そんなつまんないいいわけではありません。そんなことは、おかあさんに話せばいいのです。

おとうさんがおそく帰ったそのわけは……

ある夜は、もぐらやありといっしょに穴をほっていました。地底湖に届く深い穴。そこで、悪い夢にうなされているなまずに子守唄を歌ってあげて、地震を防ぎました。

ある夜は、雷の子をボートにのせて、空までこいでいき、どしゃぶりの雨をふらせました。

ある夜は、あらいぐまといっしょに夜空の星を……
また、ある夜は、くまのためにいのちがけでくすのきに登り……

おはなしの中で、おとうさんはいつもヒーローです。
それは、永遠の少年の夢なのかもしれません。

おはなしの終わりには、おとうさんは、眠っているあっくんに、きまって約束するのです。
あしたは、いっしょにキャッチボールしような、とか
こんどの日曜日には、いっしょに公園に行ってボートに乗ろうな、とか
あしたの朝は早く起きて、いっしょに散歩しような、とか。

それは、いつも忙しく、くたくたに疲れているおとうさんの、せいいっぱいの約束です。

ヒーローは少年の永遠の夢。
あっくんと遊ぶことは、ささやかで切実なおとうさんの夢。

おとうさん、たいへんね。でも、がんばって。
そんな作者のエールが聞こえてくる一冊でした。


aotuka202 at 13:36|PermalinkComments(0) 児童文学 

2018年09月14日

ノーベル賞作家最後の少女小説――川端康成「親友」

小学館の月刊誌「女学生の友」に、昭和29年1月から30年にかけて15回に分けて連載された少女小説です。小学館文庫で復刊されています。

都内のとある中学校の1年B組、新学期の一日目から、物語は始まります。
「ふたりの少女」と小見出しの付けられた最初の章は、クラス担任の高田先生の視点で書かれています。受け持ちのクラスには、18名の女子生徒がいるのですが、安宅めぐみ田村かすみが、双子でもないのに瓜二つなので驚く、という内容です。めぐみとかすみが、どれほどそっくりかを読者に伝えるために、先生の目を借りたのでしょう。高田先生の視点で書かれたのは、この章だけでした。

めぐみとかすみは、誕生日までもが同じでした。二人は、お互いに親しみを感じ、仲良しになります。めぐみは、何一つ欠けることのない恵まれた家庭の女の子ですが、かすみは、母一人子一人の寂しい家庭の子です。かすみのさびしい境遇が、ふたりの友情にも影を落とします。

ストーリーの展開が早く、次から次へと小さな事件を起こしていく手法で、読者をひきつけます。
文章は平易なのですが、ときどき、ハッとするような見事な表現があります。
例えば、かすみが、初めてめぐみの家を訪れる場面。めぐみのおかあさまが、娘たちを出迎えるために、玄関に立っています。

色白にふっくらと太って、幸福が迎えているようです。

めぐみの家が、善意と思いやりにあふれた、笑い声の絶えない家庭であることが、過不足なく表現された見事な一行だと思いました。

昭和29年の時点で中学生ということは、登場する子どもたちは、昭和13年から16年の生まれでしょう。彼女たちの家庭は、運不運の差はあっても、戦争による傷を負っています。かすみが母一人子一人なのも、おとうさまが戦争で亡くなったせいです。おとうさまの遠い親戚のお金持ちのおじさまから、おかあさまが経済的支援をうけていることに、かすみは少女らしい潔癖さで、反発しています。かすみが、「おねえさま」とあこがれる坂本容子も、大陸でおとうさまが戦死、兄は東京の空襲で行方不明になってしまいました。

「伊豆の踊子」や「招魂祭一景」などの作品を読むと、川端康成が、旅芸人やサーカス団などの漂泊の民にシンパシーを感じていたことがわかります。この小説にも、そういう人がでてきます。坂本容子の兄の郁夫。東京空襲の混乱の中からいのちを救ってくれたのが、テキヤの五平おじさんでした。フーテンの寅さんのような人です。郁夫は、七年間も、五平おじさんと旅から旅へ、日本全国を怪しい薬を売り歩いて暮らしました。東京にもどってきたとき、偶然におかあさまにみつけられ、家に帰ることができたのですが、なかなか市民社会になじめさません。善良な市民ばかりの登場人物の中に投げ込まれた、アウトローの悪のエッセンスとして、郁夫の存在は、読者に緊張感を与えます。

わずか7,8か月の間の話なのですが、少女の読者は、かすみとめぐみの永遠の友情を信じて本を閉じることができるでしょう。その父母や祖父母の年齢の人が読めば、ちょっと不穏な陰を感じるかもしれませんが……

本文のところどころに、連載当時の玉井徳太郎氏の甘美なイラストが載せられています。ついうっとり見とれてしまうような。



aotuka202 at 20:44|PermalinkComments(0)  ・川端康成 

2018年09月11日

戦争と原爆への深く重い憤り――井伏鱒二「黒い雨」

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。

井伏鱒二は、生家のある広島県福山市に疎開していた。
爆心地の広島から命からがら避難してきた人や、原爆症に苦しんで死んでいった人を、多く目にしたにちがいない。

「黒い雨」は、「新潮」昭和40年1月号から昭和41年9月号まで連載された。「姪の結婚」という題で連載を始め、途中から「黒い雨」に改題されたという。
構想は、おそらくその何年も前からあったにちがいない。
凄惨な原爆の被害を目の当たりにして、作家としての使命感につき動かされないわけがない。
終戦から作品発表までの二十年という時間は、煮えたぎる激情を冷まして、重すぎるテーマにじっくりと向き合うための冷却期間だったのかもしれない。

物語の舞台は、広島から四十何里東方の小畠村である。戦後数年が経っている。閑間重松は、農家の主人として穏やかな生活を営みながら、自身の被爆日記を清書している。
戦時中、重松は、広島市にある軍服を作る工場に勤務していた。8月6日午前8時15分、出勤途中に横川駅のプラットホームで被爆した。
清書した被爆日記は、地元の小学校の図書室に寄付することになっていた。「これは、わしのヒストリーじゃ」と、重松は語り、黙々と筆を走らせる。

小説の大半は、被爆日記からの引用である。
8月6日から8月15日まで。自身も顔の半分に重度の熱傷を負いながら、被爆という阿鼻叫喚の非日常を、必死で生き抜いた日々の緻密で詳細な記録である。人から聞いた話や、電車の車内でのちょっとしたできごとや、道端で見かけた植物や、小川を遡上するウナギの稚魚までつぶさに観察し、丹念に書き留めている。

被爆日記の合間には、戦後数年を経た重松の農家の主人としての日常が描写される。
重松は、原爆症を発症している。慢性的に体がだるい、髪の毛が抜ける、歯がグラグラするなどの症状がある。いつ悪化して倒れてもおかしくはない。だからこそ「わしのヒストリー」としての被爆日記の清書なのである。
さらに重松には、大きな懸案がある。同居する姪の矢須子の結婚である。矢須子は、ピカドンの熱光線を浴びていないのに、被爆者だと誤解され、縁談がことごとく破談になる。しかし、矢須子は、熱傷こそ負っていないものの、戦火から逃げる途中、黒い雨に打たれていた。やっと縁談がまとまりかけた矢先、原爆症を発症し、急激に悪化、死の淵を彷徨うようになる。

阿鼻叫喚の地獄をくぐりぬけたからこそ、重松は、平凡でささやかな百姓の日常をいとおしく思う。
だからこそ、矢須子の病状の回復という奇蹟を願わずにいられない。

戦争と原爆、それを許してしまった人間への、作者の深く重い憤りが、静かにひしひしと伝わってくる小説である。




aotuka202 at 20:32|PermalinkComments(0)  ・井伏鱒二 

2018年08月26日

やっぱり初代がいい――井伏鱒二「太宰治」

太宰治が、井伏鱒二の小説「幽閉」を読んで、驚愕、感動したのは14歳のときだったという。
東京帝大仏文科に入学し、東京に出たとき、「会ってくれなければ自殺する」と脅迫めいた手紙を送り、押しかけ弟子のように師事した。以後、井伏鱒二は、師として友として、ときには後見人のような立場で、太宰治と親交を結んだ。

井伏鱒二「太宰治」(中公文庫)には、太宰の思い出や作品の解説など二十二編が収められている。
太宰の作品が生まれた背景を知ることができ、とても興味深く読んだ。
巻末には、1884年の「太宰さんのこと」と題した井伏夫人のインタビューも載せられている。

太宰治は、女にモテた。いっしょに死んでもいいという女の人が、つぎからつぎへと現われるのだから、尋常ではない。太宰の生涯を彩った(?)多くの女性の中で、私には一人、とても気になる人がある。太宰の最初の妻、初代さん。小説「姥捨」で、心中未遂の果てに捨てられ、「東京八景」では「H」の頭文字で書かれている女性、太宰がいちばん苦しいときに、そばにいてくれた人だ。

「太宰と料亭『おもだかや』」「琴の記」には、初代さんのことが書かれている。
初代さんは、津軽の芸者だった。津島修二(太宰治の本名)は、弘前高校三年生のころから、料亭『おもだか屋』に通い、まだ半玉だった初代さんと馴染みになったという。
東京に出てから、初代さんを呼び寄せ、同棲後、「初代がいい」といって結婚した。同棲と結婚の間には、別の女性と心中を企て、失敗している。
津島家の兄たちは、問題児の弟を初代さんに押し付け、清々したかったようだ。
太宰と初代さんは津軽弁で会話するので、傍で聞いていてもさっぱりわからなかったという。
太宰は、学問のない初代さんを教育しようとしたようだ。英語を勉強させたり、大きな机を買ってマルクスを読ませたり……。学問の基礎のない初代さんには、苦痛でしかないことだった。初代さんに、太宰の妻は無理だったのかもしれない。太宰は、22歳で初代さんと結婚し、27歳で離別する。

離別の理由となったのは、「東京八景」に書かれている初代さんの『過ち』である。
パビナール中毒を直すために太宰が入院中、初代さんは洋画家と、いまの言葉でいえば不倫した。
わたしは死にますと悔いる初代さんを連れて、太宰は心中を図るが、未遂。
「姥捨」の中で、太宰は書いている。自分はこの女を愛している、だけどもういい、と。
『もういい』とは、どういうことか。もう『飽きた』ということではないのか。
男のずるさと残酷さをみるようで、わたしには、この小説がとても不快だった。

「琴の記」には、離別後の初代さんのことが書かれている。
初代さんは、琴を井伏家に預けたままにして、津軽へ帰る。
その琴は、結婚するときに、太宰の姉から贈られたものだった。
津軽の富裕な名家のぼっちゃんと身分ちがいの結婚をして、離別されたのだ。田舎に帰っても、初代さんの居場所はなかったのだろう。
その後、初代さんは、大陸の青島に渡り、終戦前にそこで亡くなったという。33歳だった。

巻末のインタビューで、井伏夫人は語っている。
初代さんは、素直でやさしい、かわいい人だった。りくつなど言う人ではなかった。太宰のことを、「おとちゃん」と、津軽弁で呼んでいた、と。

太宰が死んだのは、初代さんが逝って三年後だ。
もしもあの世というものがあるなら、初代さんと再会した太宰、「やっぱり初代がいちばんいい」とギュッと抱きしめたと、思いたい。








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