歴史・民俗学

2019年03月01日

堕ちた天使―――池内紀「悪魔の話」

著者の池内紀さんは、ゲーテやカフカなど、多くの訳書があるドイツ文学者。
講談社学術文庫の一冊とはいえ、親しみやすい文章で書かれ、堅苦しさはない。

1940年生まれの著者。その年(昭和15年)、東京の下町に流れた都市伝説から語り起こされている。
赤マントをつけた人さらいが出没し、子どもをさらっていくという「赤マント事件」。
デマの元は、加太こうじの紙芝居だという。赤いマントの魔法使いが、靴磨きの少年をさらって弟子にする話。
自分はキリスト教徒じゃないから、悪魔なんてべつに―――と思っていたけれど、この導入で、ぐっとひきつけられた。

悪魔の前身は天使だという。
光り輝く神様をとりまく白く清潔そうな天使たちの絵を想像してみる。
その中に混じる、一個の全身まっくろで赤い目をした天使。
親に似ぬ子を鬼っ子という。
鬼っ子は、親から疎まれ邪険にされる。
神様とは似てもにつかぬ黒い天使は、きっと爪弾きされ、神様の光が届かぬ闇の世界に堕ちていったのだろう。
そう考えると、なんだか悪魔がかわいそう。ぐっと親近感がわいてきた。

悪魔に魂を売る、という言葉をよく聞く。
錬金術で有名なファウスト博士。
悪魔と契約をかわし、地上の快楽のかわりに魂を売り渡したという。
ファウスト博士は、伝説上の人物だが、どうやら実在していたらしい。
多くの異本があり、その人物像は様々で、ゲーテ作の「ファウスト」はその一つだという。
あらすじも書いてあったが、おもしろそう。ぜひ読んでみたいと思った。
池内紀さんの訳もいいけど、やはり森鴎外訳で。

12の章を立て、さらに項目で細分化し、読者が倦まないよう配慮されている。
締めはニーチェの妹とヒットラーで、ほんとうの悪魔とはなんなのか、考えさせられる。






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2019年01月10日

少年のころの夢に導かれ――増田義郎「インカ帝国探検記」(中公文庫)

昨年の11月、博物館で「古代アンデス文明展」という企画展があり、その特設ショップで買った本。
本棚のすみに眠らせること二か月。
休眠期間がわりと短かったのは、縄のれんのようなキープとよばれる記憶装置や、ミイラ、黄金の神像などの展示物の印象が、強烈だったからだと思う。

著者の増田義郎は、英文学の研究者だったが、アンデスへ調査旅行を敢行する。
1959年、31歳の時だった。
エクアドルからペルーを経て、ボリビアのサンタ・クルスに至るまでの地上旅行と、その後の三年間、ハーバート大学での史料研究。
その成果が、著作として実を結んだのが、この「インカ帝国探検記」だという。

インカ帝国の興亡の歴史が、征服したスペインと、滅ぼされたインカ帝国の両側から公平に、わかりやすい読み物として書かれている。

1533年、ピサロがインカ帝国を滅ぼす――世界史の年表にあるこの一行。
内実は、スペイン兵によるインディオの虐殺と文明破壊だった。
その兵士たちは、黄金に目がくらんだならず者の集まりだったのだ。

インカ帝国は、古代国家だった。
建国の伝説は、日本の古事記に似たところもあっておもしろい。
農業国で、太陽を神として崇拝していた。
皇帝は「日の御子」を称し、絶対的な権力者であり、人民も土地も皇帝の所有物だった。
人民は我欲を持たず、皇帝の精神奴隷だった。
自我を皇帝に預けてしまっているので、皇帝一人をとらえてしまえば、インカ兵は、たたかう気力も能力もない烏合の衆にすぎなかったという。
黄金はザクザクあったが、鉄も紙も馬もなかった。
宮殿は金ぴかに飾られていたが、インカの人々にとって、黄金はそれほど貴重なものではなかったようだ。

読み応えがあったのは、征服された後の抵抗の歴史だ。
いつのまにか、鉄や馬を手に入れ、高度な戦闘能力を身につけ、ゲリラ戦を戦ったインディオたち。
キリスト教の神を、けっして受け入れなかったインカの人々。

インカ文明は、文字を持たなかった。
インカの記録は、スペイン兵や、後に文字を学んだインディオが書き残したものだ。
インカを貶めて書いていたり、美化して書いていたりしないか、解読には慎重を要したという。

著者は、「大アマゾンの秘密」という少年冒険小説を読んだときの興奮が、わすれられなかったという。著者をインカ帝国の研究に導いたのは、少年のころの夢だったのだ。




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2016年02月17日

旧く遠き物語――京極夏彦、柳田國男「遠野物語拾遺retold」

「遠野物語拾遺」は、遠野物語に漏れた譚ばかりを集め纏めたものだという。
全部で299ある話を、順を違えて、朔日から晦日に章立てして、現代の作家京極夏彦が語り直している。
本の後半には、柳田國男の原文も載っている。
譚の頭にふられた番号をたよりに、両者併せ読むことができる。
「二」は、継子が養父母から疎まれ、馬放しに行った野で、焼き殺されてしまう話だ。笛吹峠という地名の由来譚なのだが、原文は、たったの三行。それを京極夏彦は、「望月」の章に配し、見開き二ページを使って、叙事詩のようにretoldしている。笛を愛し笛を吹きながら死んだ継子の少年が、哀れでならなかったのだろう。
語られる話の中で、特に印象深かったのは、若い娘が、馬や木に恋をしてしまう話だ。
恋と書いてあるわけではないが、後を追って天に上ったり、池にとびこんだりするのは、恋していなければできないことだろう。相手が馬ならわからないでもないが、木を死ぬほど好きになるというのは、なんというファンタジー。
好きになった娘が狐の変化とわかってもあきらめきれない若者の話、沼の大蛇が村の娘を見染めて沼の中に引きこんでしまう話、山男が里の若妻を攫って女房にしてしまう話……遠野の物語は、衣類婚姻譚の宝庫である。
人や動物を殺す話も、たくさんある。
人というものは、元来、殺したり殺されたりして、命をつないできたものなのだなあと思う。
殺してしまったことへの罪悪感が、信仰心や怪異譚を生むのだろう。
お寺の鐘を別のお寺に移そうとしたら、いやがって転がり、池に落ちて沈んでしまったという話もある。
単に、鐘を運び損なっただけなのだろうが、擬人化して話を作り伝えていく遠野の人たちの想像力に脱帽。







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2015年04月16日

山窩とサンカの狭間で

河出文庫『サンカの民を追って――山窩小説傑作選』が書店に平積みにされていた。
サンカといえば、山中を移動しながら暮らしていた漂泊の民。そんな人たちは、もういないのだろうなあと思いながら、思わず買ってしまった。
大正から昭和の初めにかけて書かれた、十人の作家による作品集だ。
偏見や差別も含めて、サンカとは何か、どういう人たちのことをいうのか、十人十色の見方があって興味深い。
田山花袋「帰郷」は、家族単位で山中を漂泊している人たちが、根拠地を目指す物語。彼らは、油紙のテントを張って野営をくり返しながら、移動する。毎年冬になると、列島のどこかの山奥のあるところに、同種族の人々が集結する根拠地があるらしいのだ。故郷など持たない漂泊の民が、根拠地にたどりついたときの、湧き立つような喜びが伝わってくる。
小栗風葉「世間師」は、サンカというよりも渡世人の話である。木賃宿をねぐらにして、いかがわしい占い稼業で世過ぎしている男。義理人情に厚く、主人公の家出青年に金銭の援助をしてくれる。こういう人も、サンカの範疇に入れられてしまうのかと、ちょっとびっくり。
岡本綺堂「山の秘密」に描かれている山窩の女の子は、人を殺すことなんて、なんとも思っていない。倫理や道徳とは無縁に、山奥に生息している野獣のような原始人だ。
国枝史郎「山窩の恋」は、一般社会で元婚約者を殺してしまった男が、サンカ社会に迎え入れられる話だ。飛騨のとある山の奥深くに、サンカの一族の部落があるという。彼らは戸籍を持たない人たちで、国家の法に従うことなく、頭の統制のもとで、独自の掟に従って生きている。犯罪者となり、浮世ではな生きられなくなった者が、駆け込む異界が、サンカ部落なのだ。
堺利彦葉山嘉樹は、サンカを近代になっても狩猟採集生活をする自然民ととらえ、夢とロマンを抱いている。

それにしても、サンカってなんだろう。
「サンカと説教強盗」(礫川全次、河出文庫)によると、サンカという言葉は、警察用語、犯罪学用語としての山窩に由来するという。山窩は、近代以前から箕作りや川漁を生業として生活してきた漂泊民とは別ものであり、かれらがサンカと呼ばれるようになったのも、近代以降ではないかという。









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2012年06月18日

セレブなおんなの旅日記――『きよのさんと歩く大江戸道中記』(金森敦子・著)

江戸時代の中期から幕末にかけて、空前の旅行ブームだったという。江戸時代といえば、男尊女卑の封建社会で、女は家にしばりつけられていたというイメージがあるが、女性の旅人も珍しくなかった。お伊勢参りを旅の目的にあげれば、誰も反対したり止めたりはできなかったとか……

電車も自動車も飛行機もない時代、江戸から伊勢への旅だって、危険がいっぱい、楽ではなかったろうに、羽州鶴岡から、日光、江戸、伊勢、京都、新潟を巡る旅なんて。
旅をしたのは、三井清野さん、三十一歳。文化十四(1817)年のことだった。
裕福な商家の家付娘で、夫は婿養子。長女が十四歳になり、子育ても一段落したところで、時流にのって、お伊勢詣での旅に出たものと思われる。三井家の先祖は、伊勢から鶴岡に移住した人だというから、お墓参りもりっぱな理由だったにちがいない。
家業の商いがあるから、夫婦で家を空けるわけにはいかない。夫は同行せず、二人の男性が清野さんのお供をした。武吉と八郎治。八郎治は荷物持ちの下男だが、武吉は清野さんと対等の身分の人らしい。夫が許したのだから、かなりの年配者だったのだろう(と、思いたい)。

出発の日は、陰暦の三月二十三日(陽暦五月七日)。その日から、清野さんは、旅日記をつけている。旅行記とか紀行文とかいう文学的なものではなく、走り書きのメモのようなもの。どこからどこまで馬に乗ったとか、舟で川を渡ったとか、何を食べたとか、旅籠はよかったとか悪かったとか。払ったお金を、きちんと書きとめているのは、さすが商家の主婦である。
メモ書きのような本文のあとに金森敦子さんのていねいな解説があって、江戸時代の街道を、清野さんといっしょに旅しているような気分になる。

感心したのは、江戸時代の治安の良さだ。
かなりの大金を持って旅に出たと思われるのに、盗まれたとか襲われたとかいう話は、いっさい出てこない。お姫様が山道を歩いていれば、必ず山賊に襲われる『今昔物語』の時代とは、おおちがいだ。
同伴した武吉さんが、実は、ものすごい剣豪で、賊を寄せ付けなかったのかもしれないが。
日光や伊勢、京都といった大きな観光地には、必ずガイドがいて、お金を払えば案内してくれるというのもおもしろい。江戸時代には、観光は、りっぱな産業になっていたのだ。

江戸時代の旅で気になるのは、関所だろう。とくに箱根の関所は、江戸から出ていく女性に厳しい。その厳しい関所を避けるように、脇街道がいくつもあって、裏関所がもうけられている。清野さんも、箱根をさけて、わざわざ迂回して、裏関所のひとつを通っている。そこは、詮議などないに等しいところで、いくらか払って地元の人に同行してもらい、顔見知りということにして通ってしまったらしい。関所抜けが、商売になっている。
清野さん、箱根の関所にかぎらず、行く先々で関所抜けをしている。関所の裏山の険しい崖道を歩いたり、谷川の川床を石伝いに歩いて渡ったり。魚津から糸魚川までは、番所を避けるために、わざわざ闇夜に舟に乗って、日本海の荒波に揺られて行っている。このときは、手判を持っているのに。高額な手数料を払って、スリルを楽しんでいるとしか思えない。

清野さんが鶴岡の家にもどったのは、陰暦の七月十一日(陽暦八月二十三日)だった。108日間、移動距離六百十七里(約2420キロ)の旅だった。
出発には、盛大な見送りがあり、帰還にも、盛大な出迎えがあった。
治安が良くても、観光が産業になっていても、旅は、命がけの時代だったのである。

それにしても、読んでいる間中、ずうっと気になっていたことがる。
女性ならば、月のものがあるだろう。なのに、ひと月に数日間、休んでいたとか、宿にこもっていたとか、そんな話は、まったく出てこない。「この日は休み」と書いている日はあるが、たいてい一日だけだ。
まともな生理用品なんてなかっただろうに、どうしていたのだろう。
そんなこと気にしないで、どんどん歩いたということか。ワイルドだったのね。
きよのさんと歩く大江戸道中記: 日光・江戸・伊勢・京都・新潟……六百里 (ちくま文庫)
きよのさんと歩く大江戸道中記: 日光・江戸・伊勢・京都・新潟……六百里 (ちくま文庫)
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2012年05月13日

古代の記憶――吉野裕子「蛇――日本の蛇信仰」

蛇というのは、好き嫌いを越えて、気になる生き物だ。
私が生まれて育った家の床下には、黒い蛇がすんでいた。母は、「家の守り神だからしょうがない」と、気持ち悪そうにいっていた。庭の置き石の上に、蛇の古い皮が、びろんと脱ぎっぱなしにされていたこともある。
平野のまん中なのに、山神社という神社が、家の近くにあって、祠の中をのぞくと、小さな白へびの置物が、ご神体として、祀られてあった。

しかし、神様といわれるわりには、「蛇のような」という例えは、良いことには使われない。
いったい、蛇は、聖か邪か。

図書館で、単行本の表題だけを見て、この本のことは知っていた。
こんど借りて読もうと思っているうちに、時が流れた。
書店で、文庫化されていること知り、やっと買って読んだ。

古代の日本人は、蛇を祖神として祀っていたという。
しめ縄は、交尾する雌雄の蛇をかたどったもので、鏡餅は、とぐろを巻いた蛇をかたどったものだという。
鏡餅は、神様へのお供え物ではなく、ご神体なのだそうだ。
正月にまつる年神様は、山から下りてくる農耕の神で、それこそが蛇神だという。
農耕神=山神=蛇神であるならば、平野のまんなかに山神社があることも、山神社のほこらに白蛇の置物が祀られていることも、納得がいく。

わたしの実家は、名古屋市の住宅街にある。
築五十年の木造家屋は、何度もリフォームを繰り返しているが、まだ、蛇はいる。
いったい、何を食べて、生きているのだろう。
用水路や藪や草むらなど、蛇の好みそうな環境は、周辺からは、なくなった。
床下に、ネズミでもいるのだろうか。
アオダイショウだと思うが、見かけるたびに、同じぐらいの大きさだ。
何十年も生きながらえているのか、代替わりしているのか。
初代の子孫だとしたら、雌雄の蛇がいるはずだが、見かけるのは、いつも一匹だ。
…やっぱり、蛇は、神秘の生き物だ。


蛇 (講談社学術文庫)
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2008年01月20日

赤子の変身と再生――糞便から子宝へ

 引き続き「竈神と厠神」(飯島吉晴著、講談社学術文庫)を読んでいる。

 (古来日本では)赤子と糞便は同一視されていた
 これを読んだ時は、わあと叫びそうになった。妙に納得してしまったから。出産経験のある人なら分かると思うが、分娩と脱糞はよく似ている。分娩の後は、百年の便秘が終わったようにスッキリする。育つかどうかわからないはかない存在だったせいもあり、生まれたばかりの赤子は人とはみなされなかった。生後七日目のお七夜の行事を経て、初めて此の世のものとして人の仲間入りが許された。そのお七夜の行事に、東日本では雪隠参りを行う地域が多いという。雪隠に入り出てくることによって、糞便から子宝へと、変身を遂げるのである。厠(雪隠)は、変身と再生のための空間とみなされていたのだ。
 トイレのことを「化粧室」ということがある。化粧とは、変身を意味する。舞台に立つ役者の化粧などは、まさにそうなのだが、女の人が外出時にする化粧だって、プチ変身といえるだろう。デパートやレストランの化粧室にかけこんだ人が、化粧崩れを直して、シャンと背筋を伸ばして出てくる。厠とは、もともと変身と再生の空間だったのだ。最近は、バスや電車の中で化粧する女子高生がいる。つけまつげをつけ、アイラインをひき、紅をさし、あれよあれよとうまに、見事に変身を遂げる。昔話では、変身しているところを人に見られると、再生できなくなってしまうのに、彼女たちは公衆の面前で平気で化粧する。行儀が悪いとかはしたないとかではなく、時代や生活環境の激変に耐えてかろうじて伝承されてきた先祖からの記憶が、ついに途絶えてしまったのだなと思う。
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竈神と厠神 異界と此の世の境 (講談社学術文庫)


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