・新田次郎

2012年10月02日

数学の夜明け――新田次郎「二十一万石の数学者」

新潮文庫「梅雨将軍信長」には、もうひとつ、江戸時代の数学者の話が収められている。

主人公は、市井の人ではなく、久留米藩二十一万石の藩主、大名である。
有馬頼徸は、十六歳で、藩主となった。
彼は、将軍吉宗に謁見した時、「好きなものは何か」と問われ、「数理を学ぶことでございます」と答えるほどの数学好きだった。
数学の天才だったのである。
藩主となるまでに、すでに関流の見題免許、伏題免許を得ていた。
当時の数学は、一門の流派に閉ざされ、芸事のように師匠から弟子へと口伝で伝えられていた。

頼徸は、理詰めで論理的な藩政を行い、藩主としても優秀だった。
数学の勉強にも本格的にとりかかり、二十六歳のときには、円理の法則の奥義に達した。
そんな頼徸に、将軍吉宗は、数学の本を書いて出版しろという。
西洋の優れた科学技術の根底には、きっと優れた数学があるはずだ。
数学を一門や流派の殻の中に閉じ込めておくのはよくない、殻を破れ、と。
徳川吉宗は、開明的な将軍だったのである。

頼徸は、数学の本を書き続け、「拾璣和算」五巻として出版したのは、五十五歳の時だった。
最大の理解者吉宗の死から十七年経っていた。
「拾璣和算」の出版によって、一門の中に閉ざされていた数学が、世に放たれた。
口伝、秘伝によらずとも、本を開いて学ぶことができることになったのだという。
梅雨将軍信長 (新潮文庫)
梅雨将軍信長 (新潮文庫)
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aotuka202 at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年09月29日

江戸の数学者――新田次郎「算士秘伝」

三大和算家の一人とされている久瑠島義太がモデルだろうか。

江戸時代中期の話。
乾坤堂というそろばんを教える塾に、みすぼらしい浪人がやってくる。
彼は久瑠島義政と名乗った。
独学で数学を学んだ算法の達人だった。
久瑠島は、乾坤堂に迎えられ、算法を教えるようになる。
解よりも証明を重視する教え方は、たちまち江戸の数学好きの間に評判を呼ぶ。
江戸時代は、算学にも、関流、宮城流など流派があって、一門の秘伝とされていた。
関流の門下生が、久瑠島の数学理論を自分の流派にとりこもうと潜入したり、
ずばぬけて優秀な町人の弟子が、実は京都の流派のスパイだったり、
久瑠島は、その頭脳を欲しがる算学流派の争奪戦に巻き込まれていく……

乾坤堂の美しい娘あやの女数学者ぶりが、
窒息した封建社会のかたすみに咲く一輪の花のよう。

算学にも剣術のような他流試合があったとか、
神社仏閣には算額絵馬が掲げられていて、算士が自分の解いた問題を誇示していたとか、
江戸時代の算学を巡る社会風俗がおもしろい。

新潮文庫「梅雨将軍信長」に収載されている。

aotuka202 at 08:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)