さ行

2018年05月10日

毒薬は弱者の凶器――渋澤龍彦「毒薬の手帖」

雨が降る日、地下鉄を下り地上に出ると、アーケードのある商店街。
その一角に古書店がありました。
軒下の本棚にズラリと並べられた、河出文庫の渋澤龍彦コレクション。
おそらく同一の人物に、手放された本たちでしょう。
「黒魔術の手帖」「秘密結社の手帖」……。
どれもこれも魅惑的だったけれど、わたしが選んだ一冊は、「毒薬の手帖」。
店の奥でうつむいて読書している四十がらみの店主のもとに持って行くと、「300円です」とぼそりといって、いんぎんに紙の袋に入れてくれました。

買ってすぐに読み始めたかというと、そういうわけでもなく、しばらくは、本棚の目立つところに飾っておきました。これは、近いうちに読むぞという、自分自身への意思表示。タイトルの「毒」という文字が、わたしを本に近づけたり、本から遠ざけたりします。
読み始めたのは、本が本棚をひと月も飾った後でした。

人と毒薬との歴史を語った本でした。
人がどのようにして毒と出会い、毒に魅了され、毒薬を製造し、己の欲望や快楽のために毒を飲ませ殺してきたか、あるいは腹いせや絶望のために毒をあおって自らの命を断ってきたか……。
古くはソクラテスから、二十世紀のイギリス中流家庭の未亡人まで、多種多様な人物のエピソードが紹介されています。

ソクラテスの刑死に用いられたのは、ドクニンジン。
コニインという神経毒の成分が含まれているそうです。
徐々に毒が効いて死に至ったソクラテスの様子を、弟子のプラトンが、生々しく『パイドン』に書き残していました。

ドクニンジンは、いまでは日本にも自生しているそうです。
春の野の水辺に、いかにも食べられる野草という風情で。
死亡事例もあるそうです。ああ、恐い。

著者によれば、毒殺の犯人というのは、ほとんどが女性だそうです。わかるような気がします。
むかしから女は、男のように剣や銃を持ちませんから。憎いあんちくしょうを殴り殺す力もない。
毒薬は、弱者の凶器なのです。
それに、女は台所で食物を支配していますからね。
愛する夫や親や子どもが飲むスープに、一匙の白い毒の粉を溶かし込むなんて、朝飯前のこと。

十九世紀フランスのブルターニュ地方で、ヒ素を用いた有名な毒殺事件を、著者は紹介しています。
エレーヌ・シュガーという女性は、そこらで売っているヒ素を容易に手に入れて、34人を殺害したといいます。
彼女が女中として住み込んだ家では、一家全員が惨殺されるという惨事も稀ではなかったとか。
表面は利口で感じのいいの人だったので、勤め先では信用されていたそうです。
主人一家に個人的恨みなどはなく、もしかしたら、階級的憎悪のようなものが、心の奥深くにくすぶっていたのかもしれません。
日の当たらない台所で家事労働に明け暮れる女中が、主人一家が集う明るい食堂に、ほくそ笑みながら毒入りのスープを運ぶ―――― やはり、毒薬は弱者の凶器なんだなと思います。
一種の殺人マニア、精神病者だったのでしょうが、十九世紀のこと、彼女はギロチンにかけられたそうです。

それにしても、メモをとりながら、こんな本を読んでいるわたし、なんだか危ない人みたい……







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2018年01月13日

やがて夜明けを見るために――志賀直哉「暗夜行路」

新しい本は買わない。積読の本を一冊ずつ丁寧に読んでいこうと決意した2018年の幕開け。記念すべき第一冊目は、志賀直哉「暗夜行路」。ほんとうは、昨年の暮れから読んでいた。読みだしたら止まらないという類の小説ではないので、読了が今日になった。

巻末の年譜を見ると、志賀直哉は、明治16年(1883)に生まれ、昭和46年(1971)に88歳で没した。「暗夜行路」の前身となる「時任謙作」の執筆開始が29歳のとき(1912年)、「暗夜行路」前編が新潮社から刊行されたのが39歳のとき、「暗夜行路」後編が完成したのが54歳のとき(1937年)。長い年月をかけて書かれた作品なのである。

作者あとがきによれば、「暗夜行路」は、作者の半自伝的小説だという。主人公の時任謙作はほぼ作者自身だが、周辺の登場人物やできごとは創作なのだそうだ。
だから、志賀直哉は祖父と母との間にできた子であるとか、志賀直哉のおくさんがイトコと浮気したと思い込むのはまちがい。
お祖父さんはりっぱな紳士だし、おくさんは賢夫人なのである。

時任謙作の祖父は、前編の序詞(主人公の追憶)に登場する。
下品で自堕落な人。古い小さな家に、お栄さんという女の人と住んでいる。種々雑多な人たちが出入りして花札に興じている。
謙作の父は広い屋敷に住み、書生や車夫まで抱える暮らしをしているのに、この差は何だと思ったら、お栄さんは祖父の妾で、古い小さな家は妾宅なのだった。
謙作が六歳のとき、母が亡くなり、兄妹の中でなぜか謙作だけが、祖父の妾宅に預けられた。
読み進むうちに明らかにされて行くのは、謙作の出生の事情。
謙作が、祖父と母との過ちの末にできた罪の子だということ。
罪だ過ちだというが、これは、舅の性的暴力だ。被害者である母に何の罪があろう。
それがわかっているから、父は母を離縁したりせず、謙作を自分の子として理性で受け入れ、祖父を妾宅へ追いやったのだろう。
ともあれ、出生の秘密を知り、謙作は深く傷つく。
祖父の淫蕩の血が、自分の身の内に濃く流れているのではないかと恐れ、だからこそ身を慎んで生きようと決意する。

謙作は、小説を書くことを仕事としているが、祖父にもらったお金で生活は保障されている。
真摯にまじめに生きていることはわかるけど、稼がなくてもいいというのは、気楽なものである。
芸者遊びをしたり、放蕩したり、書くことに行き詰ったから気分を変えたいといって、尾道や京都に引っ越したり、いい身分だなあと、うらやましくなる。

京都に住み始めたとき、直子を見染めた。一目惚れだった。友人知人に頼み込み、八方手をまわして結婚にこぎつけた。その前には、祖父の妾で、自分の母親のようなお栄さんに結婚を申し込んで断られている。
直子がかわいい無垢な人であることは、新婚生活のエピソードで十分表現されている。
謙作が芸者遊びで夜明けに帰宅しても、責めたりなじったりせず、心配しました、ご無事でよかったと、心底安堵し喜ぶような女性なのだ。
その直子が、謙作の留守中に、イトコと過ちを犯した。
直子に浮気心があったとは思えない。
みだらな気持ちがあったのは相手の方で、男の強い力には抗えなかったのだろう。
レイプなのだ。
女にもスキがあったとか、油断していたとか、現代でもいう人がいるが、直子は被害者だ。
謙作は直子を信じてはいるが、事実を知ったときは、打ちのめされた。
直子は妊娠する。
イトコの子か、自分の子か、どちらとも判断できないような日に、その子は誕生する。
直子をゆるそう、子を自分の子としてうけいれようと、理性では思うが、心の深いところで、不信、怒り、憎悪の感情がどろどろと渦巻く。
その感情のどろどろが、ふとしたはずみに、ひどい暴力となって噴き出すことがある。

謙作は、悩み苦しみ、妻と子から離れ、一人旅に出ることを思いつく。
大山に登り、独り見た美しい夜明け。
手あかのついた表現を借りれば、それは謙作の死と再生の旅だったのだ。
下山して宿の寺に帰りついたとき重病に倒れ、生死の境をさまよう。
瀕死の床で、直子のことを心底ゆるせる、子を自分の子として受け入れ心から愛せると、謙作は思う。
謙作キトクの報を受け、駆け付けた直子。
弱った謙作の手を握り、何があってもこの人とともに生きて行こうと思う。

謙作は死んだとも助かっとも書かれていないけれど、きっと死なないと思う。
重病の原因は鯛の食あたりで、下痢を無理に止めたためというのだから、ちょっとびっくり。
下痢止めを乱用してはいけないというのは、こんな怖いことになるからです。




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2017年04月22日

男の欲望の怖さ醜さ……渋澤龍彦「狐媚記」

応仁の乱のころの話であるらしい。
左少将の北の方が、狐の子を産み落とした。
夫の左少将は、おまえは狐とたわけたのかと激怒し、生まれた子を殺してしまう。
身に覚えのない北の方は、鬱になり、狐の幻覚と遊ぶようになり、幻覚の中で、狐の女の子をわが手で殺してしまう。
実は、左少将、ひそかに別邸の書院に狐球を安置し、日夜眺め愛でていた。
狐球とは、狐の霊異を現わすエネルギーが凝って一丸となったものだという。
北の方が狐の子を産んだのは、妻の貞操を疑った左少将が嫉妬して呪ったせいであるらしい。
左少将の性癖は、子の星丸に遺伝して、やがてその子も狐にたぶらかされて……
真に恐ろしいのは狐の妖ではなく、男の欲望と嫉妬なのだとしみじみ思う怖い話。


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2016年12月17日

夢と転生の物語――渋澤龍彦「高岳親王航海記」

高岳親王は、平城天皇の第三皇子。叔父である嵯峨天皇の皇太子となるが、薬子の変に巻き込まれる形で、廃太子される。24歳のとき出家して、空海和上の弟子となり、64歳で唐に渡り、その翌年には、天竺を目指して広州より出航、その後消息を絶った。マレー半島の南端で虎に害されたとも伝えられている。
九世紀のことであり、64歳といえば、かなりの高齢。
「高岳親王航海記」は、死出の旅路の物語のようにも思われる。全編を通して、どこまでが現のことで、どこまでが親王の夢の中の話なのか、よくわからない。
最初の章で、親王の父平城帝の寵姫だった薬子の思い出が綴られている。
薬子は、当時8歳だった親王に添い寝して、寝物語に天竺の話をしてくれた。
天竺は、お釈迦様がお生まれになった国なのよ。見たこともない鳥獣が野山を跳ね回り、珍しい草木が庭をいろどり、空には天人が飛んでいる。天竺では何もかもがわたしたちの世界とは正反対なのよ……
薬子は、幼い親王に暗示をかけるように予言する。
みこは大きくなったら、お船に乗って、天竺にいらっしゃるのね。わたし、次に生まれるときは、ぜひとも卵生したい。鳥のように蛇のように、卵から生まれたい。
そして、高齢になった親王の心の底に、鮮やかな光景として張り付いている記憶。
すのこに立って、月の光を浴びながら、何か光るものを暗い庭に向かって投げている薬子のすがた。そうれ天竺まで飛んでゆけ、と唱えながら。森の中で月の光にあたためられて五十年経つと、わたしはあれの中から鳥になって生まれてくるの……。
薬子の死から五十年。高岳親王の天竺行きは、転生した薬子に巡り合うための旅だったに違いない。
風まかせ運まかせの船旅、密林に分け入り、不思議な動物に出会い、美しい王女と縁を結び、目に涙をためて「みーこ、みーこ」と鳴きながら飛ぶ、鳥に転生した少女春丸……
波乱万丈の旅なのだが、親王が広州を出てマレー半島の南端で虎に食べられて遷化するまで、わずか一年足らず。
親王が臨終の床で、初恋の女性薬子の暗示に導かれて見た夢の物語のようでもある。


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2016年10月02日

永訣を重ねる――川端康成「葬式の名人」(塩見鮮一郎編「被差別文学集」より)

川端康成は、幼少のころに両親と死別した。
祖父母のもとで育てられたが、8歳の時に祖母が死に、16歳の時には祖父も死んだ。
祖母と祖父の死の間に、姉も死んでいる。
16歳で祖父の葬式の喪主を務めた康成は、従兄たちから「葬式の名人」と呼ばれるようになる。
作者24歳の時の作品で、肉親の縁薄い作者の寂しさが、ひしひしと伝わってくる。
この小説が、河出文庫『被差別文学全集』(塩見鮮一郎編)に収載されている。
この作品がなぜ被差別文学集に?と、最初は腑に落ちなかったが、巻末の作品解説を読んで、ああ、と思った。
川端康成は、73歳で自死した。
死後、その理由を探索した小説が出版された。少女のような家政婦への失恋が原因だとか、その少女の出自は……とか。
川端康成は、踊り子や温泉街の芸妓や曲馬団の娘など、社会の底辺を漂流するように生きる少女をよく書いた。自身の初恋の人も、田舎から出てきたカフェの女給だった。
同情とか、哀れみとか、義憤とか、思想からくるものではない、被差別の側にある人に親しみを感じ共感する魂の持ち主だったのだと思う。
それは、「16歳の日記」や「葬式の名人」に書かれたような、彼自身の生い立ちによるものではないか。
多感な時期に、肉親との永訣を重ねた。そのことが、自死の遠因になっているように思う。
日本の文豪が、ゲーテのように十代の少女に恋をしていたとしても、少しも不思議ではないけれど。
恋人の出自を気にするような文豪じゃないさ!


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2016年09月17日

立ちはだかるのは差別の壁――島木健作「黎明」(塩見鮮一郎編「被差別小説傑作集」より)

河出文庫「被差別小説傑作集」(塩見鮮一郎編)には、十一人の作家による十一の短編小説が収載されている。
いずれも、被差別部落を扱った作品である。
徳田秋声、小栗風葉、島崎藤村、森鴎外、宇野浩二……。そうそうたる作家の作品が並んでいるが、その中で一つといわれたら、島木健作「黎明」を選ぶ。
十一人の中で、島木健作だけが、二十世紀(1903)の生まれである。
あとの十人は、十九世紀に生まれている。

「黎明」は、部落問題の教科書のような作品だと思った。
部落民でない農民が、部落民の農民を差別する様子が書かれている。
町の商人が、部落民を穢れた者として忌避する行為が書かれている。
歴史と伝承が部落民のプライドであり、そのプライドが部落どうしの連帯を妨げている現実が書かれている。
地主からは、一等劣悪な土地をあてがわれ、過酷に搾取されている。
大田建造は、農村にオルグに入り、部落民の岩田熊吉を貧農として農民組合に入れようと奔走するが、立ちはだかる差別の壁は厚くて高い。

この短編集を読みながら、思いおこされてならないのは、中上健二「奇蹟」の中で、オリュウノオバが礼如さんに投げかけた、血を吐くような問いである。
牛馬を屠り、皮をはぎ、肉を切った者の罪より、肉を食い、皮の靴を履いた者の罪のほうが軽いのか。


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2016年01月17日

父ちゃん来い――佐多稲子「三等車」

2016年センター試験の国語・小説は、佐多稲子「三等車」が出題された。
予備校のサイトに掲載されるのを待って、さっそく読んでみた。
今年も短編の全文というのが、うれしい。
小説は、戦後間もないころの話である。
「私」は、所用があって出かけるため、鹿児島行きの急行列車に乗り込む。
料金の安い三等列車。あわただしく、人の往来も多い年末のこと。
客車は満員だったが、「私」は、闇屋に二百円という大金を払い、窓際の座席を手に入れる。
後から工員風の若い夫婦が乗り込んで来て、「私」のすぐそばに荷物を下ろした。
妻は赤ん坊を背負い、三歳ぐらいの男の子を連れている。
妻と夫は、なにやら諍いをしている。
若い父親は、発車のベルが鳴る前に、客車を下りてしまった。
事情があって、母子は父親と離れて暮らすことになるらしい。
母親は、混み合った車内で苦労して赤ん坊のミルクを作リ始める。
それを手助けする「私」や周囲の乗客たち。
母親は、赤ん坊にミルクを飲ませながら、一家の事情をぼつぼつと語リ始める。
去年、いまよりもっと幼かった二人の子を連れて東京に出てきたこと。物価の高い東京では親子四人の暮らしが立ち行かないこと。母子だけ故郷の鹿児島に帰ることになったこと。
出て来たときも、帰るときも、夫の言葉に振り回されてのことらしい。若い母親は、「男って、勝手ですねえ。封建的ですわ」と、吐き出すように言う。
周囲の乗客は、若い母親の話を聞くともなく聞いている。三等車内に生まれる同情と共感の空気。「私」は、ひざに上の男の子を抱いている。闇の座席を買った罪滅ぼしのように。
目覚めた男の子は、窓の外の移り変わる景色を目で追いながら、「とうちゃん来い、とうちゃん来い」と、歌うようにつぶやく。
ざっと、以上のような話である。

さて、問題。問い5で、少し迷った。△か、どちらか。
正解は△蕕靴い、このお父さん、怒りっぽくて乱暴なところがある。満員の車内でむずかって泣く赤ん坊の口に、ビスケットをねじ込んだり。だから、も間違いではないと思うのだ。「私」が家族の「悲哀」を感じているという記述にも、ちょっと惹かれる。佐多稲子は、貧しい家に育ち、二度も離婚を経験している。家族の悲哀には敏感な人だと思うから。






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2013年09月12日

終わりのない旅――朱川湊人「箱庭旅団」

旅団といっても、軍隊ではない。
心を病んだ八歳の少年が、白馬にまたがって、箱庭の空想世界を旅行する、全十六話。
一つ一つの話の中のどこかに、旅の途中の少年が、潜んでいるはず。
ここかな、あそこかなと、詮索しながら読んでいると、つい何回も読み返してしまう。
白馬の旅行者は、物語の中をさりげなく横ぎっていくこともあるし、登場人物の傘の模様に現れることもある。
孫になっておばあちゃんの話をきいていることもあるし、インタビュアーとして、おもしろい話を聞き出していることもある。
「藤田くんと高木くん」は、アパートの一室での二人の会話で、話が進められていく。
これは、となりの部屋で、旅行者の少年が、盗み聞きしていたのだよ、きっと。
「オツベルと象と宇宙人」では、宮沢賢治の童話の中に旅行者が宇宙人として降臨して、パロディにしちゃったんだ。
「暗闇カラス丸」は、八歳の少年が主人公。夫と別れ、夜の店で働くシングルマザーに育てられているユキオこそが、箱庭の旅行者じゃないかとも思う。
第一話で出発した旅行者は、最終話で帰還するものだが、少年は、白馬から下りようとはせず、まだまだ旅を続けるという。
過去へ、未来へ、遠い異国へ、空想の世界へ。
そう。本(物語)を読むのは、空想の世界を旅しているのと同じ。
読者はみんな旅人なんです。次から次へと、別の世界へ行きたくなる。終わりのない旅。
いつでも帰れる、でも、永遠に帰れない。

箱庭旅団
朱川 湊人
PHP研究所
2012-06-08



さらさ らん(赤い芥子粒)の本


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2013年08月23日

父権は虐待する――佐多稲子「キャラメル工場から」

佐多稲子(1904−1998)は、中学生の父と女学生の母の間に生まれた。母は佐多が七歳のときに亡くなり、父は定職に就かず、家は貧しかった。小学五年で学校をやめて、キャラメル工場に働きに出た。このときの労働体験を小説にして、1928年2月、「プロレタリア芸術」に発表した。独学で果たした24歳の作家デビューだった。

小説の主人公の名は、ひろ子。十三歳の少女である。
ひろ子の父親は、虚栄心の強い男だった。体裁をとりつくろうことばかりに熱心で、どの仕事も長続きしなかった。何の方針も計画もなく、家族をひきつれて田舎から東京に出てきたが、貧乏のどん詰まりになった。父親は、新聞の求人広告を見て、十三歳の娘を、キャラメル工場に働きに出すことを決める。
キャラメル工場は家から遠く、電車で通勤しなければならない。朝暗いうちから家を出て、遅刻すると、門から締め出され、その日は仕事をさせてもらえない。小さな紙切れにキャラメルをのせて、包む仕事だった。成績優秀者と劣等者の名まえが、毎日張り出され、日給は出来高制だった。似たような境遇の少女たちが、歌やおしゃべりで気を紛らわせながら、親や家族のために、一日の辛い立ち仕事を耐えていた。ひろ子の名まえは、いつも成績劣等者として張り出された。がんばっても、仕事が進まなかった。
ある日、父親が、もう工場はやめろといった。少ない日給から電車賃を引いたら、いくらも残らないから、と。
父親は、別の働き口をみつけてきて、ひろ子を連れて行く。
住み込みでそば屋で働き始めたひろ子のもとに、郷里の学校の先生から手紙が来た。
誰かから学資を出してもらって、小学校だけでも卒業するように、たいしたことではないのだから――親切のつもりだろうが、ひろ子にとっては心ない残酷な文だった。ひろ子は、便所にかけこみ、手紙を握りしめて泣いた。

父権が絶対の時代だった。女工を搾取するのは資本家だが、学業途中の子を工場に追いやるのは、ダメ親父だ。国家が父権の後ろ盾になっているのだがら、だれも父親の横暴から子を守ってくれない。資本家よりもダメ親父に憤りを覚えたプロレタリア作家のデビュー作だった。



さらさ らん(赤い芥子粒)の本




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2013年05月23日

太閤秀吉は悔悛する――坂口安吾「狂人遺書」

昭和三十年一月号の「改造」に発表された作品である。
豊臣秀吉の朝鮮侵略と、大日本帝国の大陸侵略を重ねて書いたのだろう。
どちらも、狂気の沙汰としか思われない戦争だった。
この小説を発表した翌月、坂口安吾は、脳出血で急死した。四十九歳だった。

老いて死の床に就いた豊臣秀吉が、朝鮮出兵を悔悛する。
始まりは、明と貿易を開始して、巨万の富を得たいと望んだことだった。
五十を過ぎて恵まれた実子鶴松のためにも、諸大名家の追随を許さぬ大金持ちの豊臣家を築きたかった。
しかし、その鶴松は、三歳で死んだ。
絶望した秀吉は、狂ったように大明征伐を唱え、朝鮮出兵を開始する。
家康の涙ながらの諫言も聞き入れない。
日本海軍は朝鮮水軍に大敗。制海権を奪われ、半島に糧食の輸送もできない。
日本兵は、飢えと寒さで戦闘どころではないのに、引くに引けない戦争になってしまった。
戦争中に秀頼が生まれた。
子煩悩が、老いた秀吉の狂気に拍車をかける。
関白秀次とその妻妾子女の凄惨な処刑。
民の苦しみなど眼中にない。秀吉は、京都で、能に花見にと、遊びふけった。
明との戦争が無謀であることなど、よくわかっていた。撤兵を言い出せないのは、意地と虚栄のためだった。
いまわのきわにあって、秀吉は、遺言するぞ、と心に誓う。
朝鮮の兵をたのむ、一兵も殺すことなく日本へ帰るようにしてやってくれ、と。
秀頼のことなんか、ぜったい口にしないぞ、と。

秀吉が死んだのは、1598年8月18日。62歳。
じっさいの遺言状には、秀頼をたのむとしか書かれていなかった。
秀吉が死ねば、意味のない侵略戦争なのに、明、朝鮮両国との交渉や、撤兵の手筈など、まったく手つかずの状態だった。
講和交渉などうやむやのまま、日本軍が撤退を開始したのは、同年10月。撤退完了は、11月18日。
1万人以上の朝鮮人捕虜が、日本に連行されたというが、捕虜の送還が開始されたのは、
1600年になってからであった。
道鏡・家康 (時代小説文庫) [文庫]


さらさ らん(赤い芥子粒)の本
狐巻山奇譚
狐巻山奇譚 [Kindle版]

まじない師サエラ
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