青山貞一ブログ

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裁判

市民感覚のはき違え「推定有罪」判決と大メディアの傲慢 青山貞一


 陸山会事件の判決が、2011年9月26日東京地裁 登石郁朗裁判長であった。

 この判決については、多くの弁護士はもとより元検察官らも疑義を呈している。またこの問題を追ってきた多くのフリージャーナリストも同様に首をかしげている。

 この事件について当初から発言してきた元地検特捜部検事で、現在名城大学教授(弁護士)の 郷原信郎氏は、ツィッターで次のように述べている。

 今回の事件では、裁判所は、検察が用意した検察官調書という料理を食べないで推測、憶測で料理を作り上げた。こういうことがまかり通るのであれば、検察官は、適当な証拠で取りあえず起訴すれば、有罪判決となることもある、ということで、無責任な起訴がまかり通ることになってしまう

 検察がストーリーを固定化して、それに沿う調書を不当な手段でとろうとするのも問題だが、それ以上に、その調書すら必要とせず、裁判所が、推測や憶測で勝手に事実を認定するようになったら、不十分とはいえ、検察という組織のハードルがかかるのと比較して、さらに事態は悪化する。
 
 さらにこの事件を法廷を傍聴する中で追跡してきた江川紹子さんも次のように述べている。

 裁判所の大胆で強気な判断の連続に、判決を聞いていて驚きを禁じ得なかった。

 実際に報告書を作成した石川知裕、池田光智両被告は有罪とされることは十分ありうる、と思っていた。この事件は、お金の出入りについて、政治資金収支報告書に記載すべきかどうか、いつ記載すべきかが、本来は最大の争点だった。

 なので、実際に支出があった年に報告しなかったり、小沢一郎氏の他の政治団体など身内間の金の融通についても逐一報告しなければ違法、と判断すれば、有罪になる。

 なので、主文言い渡しの際、2人が有罪となったことについては(求刑通りという厳しさには「おっ」と思ったが)、特に驚いたわけではない。驚いたのは、判決理由と、陸山会事件で大久保隆規被告も有罪とした点だった。  

 東京地裁は、6月に証拠採否の決定で、検察側主張を支える供述調書の多くを退けた。自ら証拠を排除しておいて、判決ではそれを「当然…したはずである」「…と推認できる」など、推測や価値観で補い、次々に検察側の主張を認めていった。しかも、その論理展開は大胆に飛躍する。

 他方、この東京地裁判決に大マスコミや自民党など野党は、こぞって鬼の首を取ったかのような大騒ぎである。

 言うまでもなく、この判決の最大の問題は、判事の価値判断と推論でいわば事実に基づくことなく有罪を決めたことである。

 裁判でもっとも重要なことは法理と証拠であることは言うまでもない。仮に裁判官がいくら疑わしいと感じたとしても、物的証拠がない場合は無罪とする、すなわち「推定無罪」として被告人の利益とするのが近代司法の大前提である。

 今回の陸山会裁判はもともと政治資金規正法に絡む事件である。

 大久保元公設秘書が突然逮捕され、その後、池田元秘書、石川衆議院議員が逮捕された。常軌を逸した異常な取り調べのなかで、特捜部検事の操作シナリオに沿うような証言をしたとしても、それらの多くは裁判のなかで当人らは否認している。

 四億円のカネの出し入れにともなう政治資金収支報告書への記載漏れをめぐる問題は事実であり真実であったかも知れない。しかし、執行猶予付きとはいえ3人が有罪判決を受けた背景、理由に、水谷建設から5000万円を二回に分けもらったと決めつけられたことは、どうみてもおかしい。

 5000万円を2回に分けて授受した場所は私もよく使っている東京港区六本木のアークヒルズの一角にある全日空ホテル1階のラウンジであるという。このラウンジは大きな吹き抜けの下にあり、二階部分からラウンジは丸見えの場所である。

 ここで金銭の授受をしたことの証拠は二転三転した水谷建設社長の証言しかない。ホテルに行ったときの自動車の運転手でさえこれを裏付けていない。渡す以前に、行ったかどうか分からないのである。

 秘書らは全面否定しており、控訴している。

 このように、裁判官があたかも事実であるかのように認定した水谷建設からの1億円の裏金だが、これはせいぜいカネを渡した水谷建設側が一方的に『渡した』と言っているだけであり、目撃者もいない。それを法廷で証言した水谷功会長でさえ、上述のように公判では『分からない』と証言していた。

 物的証拠なく、かつ検察側の証人の証言もいいかげんななかで、判事が事実認定するのはどうみても無理なのである。

 判事の判決を読むと、東京地検特捜部の起訴内容のフレーズをコピペしたような部分が続々出てくる。さしたる物的証拠がなく、証言もあやふやな事案を裁判官の推認により有罪化したのではたまったものではないだろう。

 週刊朝日の元編集長、山口一臣氏は、ツイッターのなかで、

 古い資料をひっくり返していたら、驚くべきことに気がついた。先ほど指摘した、判決要旨に書かれた岩手県等における公共工事の受注に関するくだりは、西松建設事件の裁判のときの検察側冒頭陳述の丸写しだった。一言一句、ほぼコピペされているといっとも過言ではない。こういうことは、よくある

と述べている。

 水谷建設の川村元社長は現金授受現場の都内のホテル(六本木の全日空ホテル)に向かう移動手段についても、タクシーであるか社用車なのかについて曖昧な証言をしている。これについて登石裁判長は5年前のことなので、やむを得ないと度外視しているが、不動産購入資金4億円の原資問題については、10年前のことといえ巨額の資金の出入りを覚えていないのはおかしいと断罪している。

 過去、公共事業を巡る談合問題、天の声問題などが新聞紙上を賑わしたことはあるとしても、ことは裁判の場で、判事の価値論や推論、すなわち価値判断で「疑わしきは有罪」としたのでは、司法そのものの存立に係わることになる。

....

 ところで、この一億円授受問題では、TBSテレビが水谷建設側の言い分をもとに、あたかも秘書がホテルでカネを受け取ったかの再現シーン(架空の番組)を放映したことがある。これについては多くの識者がTBSに疑問を投げかけた。

 再現シーンは、水谷建設社長が検察側の証人として出廷した際の証言の内容とほぼ同じであり、到底、TBSが独自に取材したとは考えにくい。TBSがその検察にのせられ、その場に居合わせたとおぼしき人物に接触し、真実であるかわからない情報を映像にして流していたとというのが実態であろう。

 以下はTBSの番組一部であるが、検察が水谷建設側からのあやふやな情報を裏をとることなくTBSにリークし、それを以下のような架空の番組とし、カネのやりとりをあたかも真実であるような放映は、きわめて不可思議であった。

 











 
 TBSがしたことは、報道機関にあるまじきことなので、当時、私もTBS報道局に記名(氏名、所属)の質問状を送ったが、TBSからは未だに何一つ返事がない。これだけ大胆なことをしておきながら視聴者からの質問に何一つ応えなかったのである。

....

 2011年10月2日のサンデープロジェクトで陸山会事件判決に関口氏が触れ、佐高氏と神保氏(ビデオニュースドットコム)は、判決に対し、私の疑問と同じ疑問を理路整然と呈していた。

 しかし、毎日新聞の岸井氏は、陸山会事件の判決はまっとうな判決であるとし、その理由として、市民裁判員制度など刑事司法の改革は市民感覚を司法に反映させることにあり、今回の判決は、世論が「政治とカネ」や公共事業を巡る談合、天の声などに感じてきたことを反映したものだ、と述べていた。

 私は岸井氏の上の発言は明らかに間違っていると思う。

 そもそも、日本では市民感覚、世論は新聞、テレビなど大マスコミが国民、市民に一方通行的に情報提供する内容により大きな影響を受けている。市民感覚、世論と言えば聞こえが良いが、その実、市民感覚、世論は大メディア報道が作り上げたものと言えるのではないか
 民主党が政権交代する前から自民党、東京地検特捜部、大メディアは、小沢一郎氏を標的にしてきたことは言を待たない。それについて今までさんざん論じてきたので、はここでは詳述しない。

 地検は真実であるかどうかわからない情報を洪水のように大メディアにリークし、リークを受けた大メディアは、それこそあることないことを出所、出典を示すこととなく連日連夜、紙面やニュースで国民に垂れ流してきたのである。

 そのうえで出来た市民感覚や世論であり、それを司法に反映するとすれば、法と証拠に依拠すべき司法が、物的証拠ないまま、推論で1億円の金銭授受が認定され、秘書らが有罪となっているのでは、まさに司法の機能不全、刑事司法における「推定無罪」原則の放棄である。

 TBSはじめ大メディアがしたことは、情報操作による世論誘導そのものではないか?

 その意味でも、毎日新聞(TBSと同じ系列)の岸井氏の主張は、法理、刑事司法のイロハを理解せず、自分たちが検察リークで一方的に報道してきたことを市民感覚、世論を理由に合理化、正当化するもので、到底首肯できない。
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痴漢事件、最高裁逆転無罪判決に寄せて  青山貞一


痴漢事件、最高裁逆転無罪判決に寄せて

青山貞一
15 April 2009

独立系メディア「今日のコラム」


最高裁判決は、本来、司法として当たり前の判決である!
 

 最高裁は今回の判決に際し、次のように述べている。

 事実誤認の主張に関する審査は、最高裁が原則として(法令違反の有無を審理する)法律審であることにかんがみ、原判決の認定が論理則、経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが、本件のような満員電車内の痴漢事件は物的証拠等の客観的証拠が得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上、被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合、その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから、これらの点を考慮した上で特に慎重な判断が求められる。

 多くの冤罪犠牲者を踏み台としてやっとのことで司法があたりまえの判断をしたというのが実感である。ある識者は、最高裁たるものが事実認定にまで踏み込むのは誤りだと形式論を述べているが、痴漢裁判に関しては、最高裁の小法廷が下級審に差し戻すのではなく、自ら事実認定を行い、そのうえで推定無罪という刑事事件の原則に立ち戻ったと見るべきである。それほど痴漢裁判にあっては、地裁、高裁は機能不全、思考停止していて、警察、検察の主張を追認していたと言うことであろう。



超満員電車でひとたび手を捕まれたら残り半生は地獄!

 下は少々古いデータであるが、東京を中心とした首都圏を走るJR、東急、西武、京急、東武などの電車の路線別の痴漢関連の検挙数を示している。当然、日本全体では以下の検挙数の数倍あるはずである。

 
図1 首都圏鉄道の路線別「痴漢」検挙数 (平成17年)

 周知のように、混み合った通勤電車のなかで、ひとたび女性に手をつかまれ、痴漢呼ばわりされたら最後、否認するとかなりの確率で起訴され、さしたる客観的証拠がないまま、被害者の供述によって有罪判決されている。

 もちろん、逮捕後、警察、検察による取り調べで容疑を認めないと、20日間拘留され、そのあげく起訴される。容疑を認めれば略式命令請求、すなわち略式起訴により科料で保釈してやるなどと言われ、実際には何もしていないにもかかわらず、世間体などから実際には痴漢行為をしていなくとも、容疑を認める場合も多いと聞く。

 もちろん、不起訴、起訴猶予もあるにはあるが、容疑を認めない場合、大部分は起訴され刑事裁判にかけられることになる。


被害者の供述だけ、物的客観的証拠なしで有罪!

 今回の最高裁判決が示した要に、まさに痴漢事件では、「痴漢事件は物的証拠等の客観的証拠が得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上、被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合、その者が有効な防御を行うことが容易ではない」という特性をもっているものの、従来は、まさに警察、検察にひとたび逮捕、連行されると、まったく何もしていなくとも、一方的に犯罪者扱いされることになる。

 被害を受けていないのに、金銭目当てに男性を痴漢呼ばわりし、示談金を詐取する事件(甲南大学法学部学生らが引き起こした事件)もあったが、このような虚偽告訴罪の対象となるケースはおそらくそう多くないと思われる。

 冤罪や冤罪モドキとなる多くのケースは、被害を受けた女性が下半身や下着、胸などに手を伸ばしてきた男性の手を直接捕まえたケースではなく、近くにいる男性を一方的に加害者と思いこむケースであると推察できる。

 すなわち、被害者はいるとしても、その被害者が実際に誰かを客観的に特定することなく、超満員の電車のなかで名指しされたり、その後手を捕まれた男性は、第三者が明確に「この人ではないですよ」など、よほどのことがない限り、後の祭りとなってしまう。


正義なく暗黒、地検の筋書きだけのメンツ裁判

 だが、当然のこととして、何もしていない場合には、逮捕され取り調べを受けた男性は、いくら容疑を認めろ!といわれても、通常は否認せざるを得ない。だが、否認を通せば、逮捕し、取り調べている警察、検察の側は、メンツもあり、何としても逮捕後20日間であらゆる手をもちいて、「落とす」ことに全力をあげることになる。

 今回の最高裁関係以前の場合を例にとると、裁判所でも男性はしていなければ、していないと言い張ることになる。他方、女性側は最高裁の判事が述べているように、『痴漢被害者が公判で供述する場合、検察官と入念に打ち合わせするので、供述の内容が「具体的」「迫真的」「不自然・不合理な点がない」となるのも自然の成り行きである』のである。

 さしたる物証が無く、DNA鑑定もないにもかかわらず、圧倒的多くの判事はその「具体的」「迫真的」「不自然・不合理な点がない」女性の供述を信じ、実刑を含む有罪判決をだすのである。


被害者と被告の供述が「水掛け論」は本来無罪

 しかし、被害者と被告の供述が「水掛け論」になり、それぞれの内容をその他の証拠に照らして十分検討しても、それぞれに疑いが残り、結局真偽不明と考えるほかないのであれば、犯罪は証明されていないことになる』場合には、本来、刑事事件の鉄則は、いうまでもなく「推定無罪」でなければならない。

 にもかかわらず、痴漢裁判では、被害者と被告の供述が「水掛け論」となった場合でも、痴漢被害者が公判で供述する場合、検察官と入念に打ち合わせするので、供述の内容が「具体的」「迫真的」「不自然・不合理な点がない」ということになり、客観的証拠がないまま、有罪となる。

 当然、執行猶予がついたとしても有罪となれば、勤務先を負われ、家族は地域社会で白い目で見続けられ、引っ越しを余儀なくされるなど、当人だけでなく家族、親類縁者が社会の厳しい目のもとに生き続けざるを得なくなる。

 私見では、推定するに過去、膨大な数の男性が被害者と被告の供述が「水掛け論」でありながら、有罪となったのではないかと思える。


アウシュビッツ強制収容所並みの殺人的混雑

 ところで筆者は先の図1にある東急田園都市線で毎日、大学まで通勤している。幸い私の場合、東京都品川区(自宅)→横浜市都筑区(大学)→東京都品川区(自宅)なので、同じ田園都市線でありながら朝、夜とも田園都市線はにガラガラである。

 しかし、朝、横浜市、川崎市から東京(渋谷)、さらに都心方面に向かう田園都市線は、まさに毎日、殺人的大混雑である。私は毎日を見ているので間違いない。

 この3月、ナチスドイツがポーランドにつくったアウシュビッツ、ビルケナウ、マイダネクの3大強制収容所を現地調査してきた。多くのユダヤ人は理不尽にも貨車にこれでもかとつめこまれ、身動きすら出ない状態でそれらの強制収容所に運ばれ、その多くはガス室などで殺された実態をつぶさにみた。

 ひるがえって、毎日見る田園都市線の朝夕の超ラッシュの殺人的大混雑は、上記の強制収容所やガス室を彷彿とさせるものである。これはけっして誇張ではない。

 当然のこととして、痴漢事件発生以前に、そもそもこれほど異常な混雑そのものが問題である。こんな異常な混雑した電車で毎日、朝、夕(夜)通勤することが人間のすることかと思う。


慢性化している田園都市線の超混雑
出典:Wikimedia

 結局、マイホームを郊外に買い都心に殺人的混雑のなかで通っている人々は、絶えず痴漢の冤罪候補者となっていると思える。生きていくため、給与を稼ぐため、毎日毎日殺人的混雑で通勤している人が、ひとたび痴漢と間違えられれば、残りの人生の半分以上がなくなったも同然と思える。実際そうだろう。


技術は生かせないだろうか?

 とかくDNA鑑定が好きな警察、検察だが、今回の事件ではDNA鑑定をしていないという。警察、検察は自分たちに明ら不利になることはしない、あるいはあっても出さないと言われる。

 今回の事件はその典型では無かろうか? 自分たちに有利となると居丈高となって人権を無視してまで鑑定などを行っているにもかかわらずである。

 ところで、これだけデジタル技術、無線技術などIT技術が進歩した現在、一瞬にして一生を台無しにされる恐れが高い、痴漢時間を防止する技術はないものだろうか?と思う。

 全車両にWebカメラを導入するというのは、おそらくプライバシー、人格権、肖像権の侵害などと言われるだろうが、朝夕ラッシュ時だけでも有効かも知れない。ただし、上からのWebカメラでは当然のこととして限界があるだろう。

 田園都市線では申し訳程度に女性専用車が1両だけある。

 これを2−3両と増やせば、とりあえずであるが未然防止にはなるだろう。1両ではどうにもならない。

 この際、通勤時間をずらすのもよいだろう。

 日本社会は「犬の卒倒」、恐怖のワンパターン社会である。画一的なライフスタイル、ビジネススタイルが超混雑を加速していることは否めない。ワークシェアリングもよいが、もっと積極的な時差出勤、専門裁量型労働をいれたらどうか?


極度に中央集権的な国土政策・都市政策失敗の犠牲者?

 さらに言えばすべて都心に向かう超中央集権的国づくり、都市づくりを何ら疑問を持たず、推進してきた国土交通省、東京都、横浜市などにも大きな政策的な瑕疵があると思える。

 すなわち多くの人々を冤罪地獄の恐怖に陥れているこの問題は、何も司法の問題だけでなく、ひろくは日本における国土政策、都市政策の誤りでもあると思う。

 たとえば横浜市と同じ人口規模を持つベルリンの交通網をみると、横浜市内の鉄道網の貧弱さに唖然とさせられる。

 私は大学で全学リスク管理委員長をしている。大学の教員は、誰も自分だけはそんなことにならない、巻き込まれないと思っているようだ。そうだろうか。 たまたまだが「それでもぼくはやっていない」の周防監督は、私の大学の附属高校を卒業されている。

 私達は、いつなんどき冤罪地獄に巻き込まれないとは言えない。私は教員にそう警告している。

 もちろん痴漢はれっきとした刑事犯罪であるが、刑事犯罪であればこそ、断じて「推定有罪」はあってはならない。

 最後に、最高裁判事が言うように、被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い、「合理的な疑いを超えた証明」の視点から厳しい点検が欠かせない。

 と同時に、沿線に明らかに交通容量を超える土地開発、住宅開発を行い続けている都市産業、電鉄会社にも、この痴漢事件、冤罪の責任の一端はあるだろう。

横浜事件再審開始と大島隆明裁判長  青山貞一


横浜事件再審開始と
大島隆明裁判長


青山貞一 

掲載日:2008年12月28日

 今日(2008年12月28日)のテレビ朝日サンデープロジェクト後半の特番の事例、すなわち布川事件、横浜事件のうち、横浜事件に対する度重なる再審請求が却下されるなか、今年10月31日、第四次再審をが定された。決定したのは、横浜地裁の大島隆明裁判長であった。
 
 大島隆明裁判長という名前を聞いて、すぐにぴーんと来た。

 横浜地方裁判所の大島裁判長は、昨年春から夏にかけ、すんでのところで冤罪となりかかった私の大学の中国からの留学生(大学院生)、K君事件で初審無罪判決を出したあの大島裁判長だったからだ。

 横浜地検、東京高検が控訴を断念したあのK君事件を担当した裁判長である。

 大島隆明裁判官は、横浜地方裁判所第二刑事部の裁判官である。

 私は都合8回、横浜地裁で開かれたK君の公判すべてを傍聴していましたが、あの大島裁判長ならまったく開かずの扉だった横浜事件の再審請求を決める、しかも裁判所自身が証拠を焼却処分したことへの反省を含め決めるひとであると率直に感じた。

 K君はその後、私が修士論文の指導を行いこの春、無事卒業、就職しています。一旦、検察側が起訴し、公判に持ち込んだ刑事事件を初審敗訴で控訴しない事例は、5000件に1件などきわめて異例であることはいうまでもありませんが、その背後には、大島さんのようなまっとうな判事の存在があったことは見過ごせない。

 本件に関しては、以下のブログもある。

◆横浜事件再審開始決定/戦い続けた22年、裁判官の勇気に敬意-

 また大島裁判長の判断に関しては、以下のブログもある。

◆司法(裁判所)の正義


 以下はWikipediaによる横浜事件の概要説明。


横浜事件

 第二次世界大戦中の1942-1945年におきた言論弾圧事件のことである。

 1942年、雑誌『改造』に掲載された論文が問題になり、執筆者が治安維持法違反で検挙された。これを発端に編集者、新聞記者ら約60人が神奈川県警察特別高等警察課によって逮捕された。横浜地裁は敗戦から治安維持法廃止までの期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した。

 戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求を繰り返し、2005年に再審が開始されることになったが、最終的に罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴が確定した(後述)。なお、別の遺族が2002年3月に申し立てた第4次再審請求について、2008年10月31日、開始される事が決定した。



 以下は、K君事件の関連ブログ

◆身代わり教唆、無罪判決〜事実の証明がない:横浜地裁

◆青山貞一:神奈川県警+横浜地検共作による留学生准冤罪事件

◆青山貞一:神奈川県警+横浜地検共作による留学生准冤罪事件

◆青山貞一:冤罪を生み出す構造(9) 中国人留学生に無罪判決

北陵クリニック事件、上告審報告・再審決起集会概要    青山貞一

 2008年6月7日(土)午後1:30−16:40まで東京都港区で仙台・北陵クリニック事件に関する上告審報告・再審決起集会が開かれ鷹取さんと一緒に参加したた。以下は会合の概要である。

●報告:藤沢顕卯さん(首都圏の会事務局長)
 一審では150回の公判の後、無期懲役の判決。二審ではたった4回の公判で事実調べをほとんど行わず控訴棄却。2/25 最高裁上告棄却され一審の無期懲役の判決が確定。 
 現在、宮城刑務所に収監されている。近く別の刑務所に移送される可能性あり。2001/1 に最初の件で逮捕・拘留されてから7年半が経過。
 元患者の一人が民事訴訟で損害賠償請求をもとめ、地裁では原告の訴えを認める判決。

●小川国亜さん(日本国民救援会・中央本部・事務局次長)
 再審制度について説明。 再審が認められるのは、今回の事件に当てはまるものとしては「原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見した時」。
 明白性と新規性が重要だが、これをクリアすることが難しかったため「開かずの扉」と言われていた。真犯人が現れてさえも再審が認められなかったケースもある。
 「白鳥決定」・「財田川決定」で、確定判決における事実認定に「合理的な疑い」があれば十分であり、旧証拠と新証拠を総合的に評価すること、疑わしきは被告人の利益に、という原則が示され、「開かずの扉」が開かれた。
 しかし、この直後から最高裁が逆流を始め再び再審が認められない流れが始まった。大崎事件の決定では「白鳥・財田川決定」で示された原則を否定している。
 再審請求審は非公開。地元である宮城の世論を代える必要がある。

●花島弁護士(弁護団・主任弁護士)


 2/25 最高裁上告棄却、3/10 異議申し立て棄却。再審に向けた努力が必要。
 5/27 元患者による損害賠償請求(民事訴訟)判決では原告の言い分を認め5000万円の慰謝料の判決。控訴審へ。
 事件を評価する2つの柱は、捜査のあり方と医学・科学の目。 捜査のあり方については鑑定と自白。守さんを有罪にすることで誰が何を守ろうとしているのか。
 鑑定は筋弛緩剤が検出されるかどうかについてだが。警察が試料をすべて使い切ってしまったとして空のきれいに洗浄した容器を戻してきて、再鑑定が出来ない状態。他の刑事事件、たとえば覚醒剤のような事件でも、多くの場合試料を使い切ったとされ再鑑定が出来ない。今回の事件は原告が否認しているからなおさら再鑑定が必要だが、これが問題だと認めると他の刑事事件に影響が及ぶのでそれをおそれているのか。
 裁判官の医学、科学に対する理解がおかしい。科学の目でシロクロつける鉄則を忘れている。
 判決では法廷でどちらからも主張されていないこと(看護士が書き間違えたのだろういうこと)を裁判官が勝手に付け加え都合の悪い事実を却下している。
 背景には医師と看護師の立場の格差がある。病院を守るためではないか。
 最高裁の上告棄却では、法廷が開かれず、一通の手紙(判決文)が拘置所にいる被告と主任弁護士に送られてくるだけ。法廷で理由が述べられることがない。
 最高裁判決では、原判決についてのおかしな点(直接証拠が1つも無い、試料を全量使い切ってしまった、状況証拠を並べるだけ等)について、いっさいふれることなく、判断のものさし(鑑定のあるべき姿等)を示すこともない。最高裁の職責の放棄、判断の放棄。早く手じまいしたいという裁判所の態度も問題。
 検察のリークによる報道がつくったイメージが判決に影響する。これをひっくり返すことが非常に難しい。本来は疑わしきは罰せずで、有罪であることを検察が立証する必要があるが、実態は有罪が前提で、無罪であることを被告が立証しなければならない立場に追い込まれている。再審請求はこれがさらに強いので難しい。
 東北大医学部を中心とした医療「業界」ではモノが言いにくく、個々人に聞くと「おかしい」と言っても、「もう終わってしまったことだから」と公の場では話してもらえない。
 裁判員制度が始まると、「有罪にすることが決まっている」ことを裁判員が無罪と判断することは非常に難しいだろう。

●阿部弁護士
(弁護団長、再審無罪となった松山事件も担当していた)



 最高裁判決後、守さんに会ったが拘置所から刑務所に移され、髪はバリカンで剃られ、私服から刑務所の服に替えられ、判決が確定してしまったことを実感した。
 守さんは7年間1日も欠かさず日記をつけてきた。1ページ毎に逮捕されてからの日数が書かれている。これによると今日は2710日目。朝、昼、夕の食事の内容も書かれている。今日の集会に向けみなさんにメッセージ(2682日目の日記)。この事件の真実を日本の津々浦々に広めて欲しい。
 看護士、准看護師の上に医師、病院、医学部があるヒエラルキーが事件を規定してしまった。これに加え捜査の誤り、鑑定の誤りがえん罪を造っている。
 刑法学者であり判事でもあった、先年亡くなられたわたなべやすお(?)さんが最高裁で調査官をしていた時に、多くの刑事事件で有罪を破棄すべきという意見書を挙げていた。事実上の遺言として、最近は被告人の利益よりも秩序・治安の安定に重点を置く保守化した判決が増えていると書かれていた。
 今回の事件は警察の発表からはじまり、大報道、「急変の守」(実際にはそのように呼ばれていた事実はなかったと裁判でも示されている)との報道、5件の「事件」の逮捕・起訴の繰り返し、105日間の強制捜査、20人急変が発生し、うち10名が死亡かとの報道され、前代未聞の事件だった。
 起訴された5件の1つ1つをみると、症状がばらばらで、筋肉弛緩剤によっておきる症状の順番と違う(医師の証言)、カルテには当初から別の死因が書かれていた等、筋弛緩剤による死亡でないことが明らかだった。それが最初の逮捕、報道以降、すべて筋弛緩剤の投与によるものであるとされてしまった。
 そもそもは、急変の原因が分からなかった1歳の女児について、法医が症状が筋弛緩剤によるものに似ていると指摘し「犬殺し」(筋弛緩剤)は検出されないものだ、と伝えたのが発端で警察が動き、捜査本部が立ち上げられたのがきっかけで、報道(クリニックの経営者夫妻が訴えた)と違う。
 その後、「疑いの風船」がふくらみ、同時期の急変、死亡がすべて筋弛緩剤の投与によるものであるかのように思われた。
 守さんが就職した時期は、クリニックが老人養護施設と契約し、多くのお年寄りを受け入れるようになったので、80〜90歳の患者さんの急変、死亡が増えていた。また、救急病院の医者がやめ、救急患者が搬送されるようになったが措置が出来ない医者がいて、子供の急変、死亡が起きていた。そのため、その状況を当時は誰もおかしいとは思っていなかった。
 鑑定が唯一の証拠だったはずだが、スポーツのドーピング検査ですら、再鑑定ができるよう試料を取っておくのに、試料をすべて使い切ってしまった。本人が否認しているのだから、再鑑定が必要になることは明らかだったはず。
 国家公安委員会規則には、再鑑定のために試料を残すように書かれている。(ただし刑事事件に対する拘束力はない。)
 また、再鑑定するまでもなく、大阪府警の鑑定結果のデータの読み方がおかしく、実際には筋弛緩剤が検出されていないとする証言もあった。
 そのため、分析化学も医学(症状が筋弛緩剤によるものでない)も無視して、有罪を維持できるのか、と疑問だった。
 それにもかかわらず、判決ではこれらの疑問に答えていない。
 そもそも鑑定したとされる試料の存在そのものが疑問なケースがある。4歳の患者の場合には、3項目の血液検査のため3本の試験管に分けて外部に検査に出された。残った血液は存在しないはずなのに、試料の入手元についての説明すらない。
 再審の条件として求められる「新証拠」、「明白性」については、1、2、3審で判断の対象となっていない証拠は「新証拠」になりうると考える。また、筋弛緩剤の標準試料について分析を現在依頼している。病気の鑑定についても現在依頼中。
 日弁連の再審請求に向けた支援を要請している。日弁連では支援すべきかどうかを判断するための調査に入ることになった。
 再審請求を行うタイミングについては、新証拠によって世論をもりあげ、弁護団、科学者の支援を得て、再審に望ましい状況を作ってから行いたい。

----------------10分休憩

主な質疑(略)


●守さんの父親からの挨拶


 本人は気持ちの優しい、気が小さい、臆病な性格。教授を慕っており、こんなことになった今でも信頼しているよう。
 1ヶ月の未曾有の報道、青天の霹靂だった。
 弁護士に本人は無実だと伝えられても安心させるために言っているのではないかと疑心暗鬼だった。
 自分の仕事をどうするか。とりあえず病欠したが、学校の先生、銀行員をやっている兄弟に相談したところ、すでに辞表を出したという(受理されなかったが)。近くにいる身内が去っていた。
 自分の職場では理解してくれて、圧力がなかったのが幸いだった。
 自分自身の目に見えない大きなプレッシャーが非常に大きかった。
 遠くにいる親戚や知らない人たちが支えてくれた。支援の輪が広がっていった。
 命の続く限り息子を助けるためにがんばりたい。
 もともとは裁判を信じていたが、うらぎられた。最後は神、仏に頼んだが、か
なわなかった。今は皆さんにお願いするしかない。


●守さんの知人(クリニックに出入りしていた検査センター勤務)
 直接、守さんを知る人として。
 優しいお兄さん。会に届いた手紙でもわずかな期間しか会ったことのない自分に言及していて今でも優しい気持ちを持ち続けている人だと感じた。
 TVで事件の報道をみて、何かの間違い、絶対に違うと思っていたが、遠くで見守ることしか出来なかった。それを今は後悔している。出来ることを少しでもやりたい。守さんの笑顔をみたい。

冤罪の専門雑誌発刊   青山貞一

  2008年6月7日、東京都港区三田で開催された「仙台・北陵クリニック事件の再審決起集会」に参加した。北陵クリニック事件では、さしたる物証もないまま、薬学、医学、化学などの世界ではおよそ考えられない不可思議なロジックと、大阪県警科学捜査研究所による血液、尿などに含まれるとされる筋弛緩剤の分析とその鑑定をもとに、守大助さんの無期懲役刑が確定してしまった。

 三審制のどの審議でも、判事は弁護側が執拗に指摘した杜撰な捜査を見抜けず、未来ある若者を無期懲役に陥れてしまったのである。 この事件が教えるところは、冤罪は何も警察、検察の専売特許ではなく、裁判所もトライアングルの一部であるということだ。我が国の司法には、いまさらながら憤懣やるかたない。 同様に、警察や検察情報だけで世論を操作、誘導するマスメディアの恐ろしさを今更ながら感ずる。

 ところで2008年2月、その名もずばり、「
冤罪File」と言う季刊雑誌が発刊された。冒頭の集会にいらした今井さんという方から第2号(左の表紙参照)をいただいたのだが、大学と自宅を行き来する田園都市線の車内でしっかり読んでみた。 さすが、どの記事もずっしり重く秀逸だ。しかも、記事はどれも「冤罪が起こる日本の警察、検察、裁判の核心の現場」に鋭くせまっている。あっという間に全ての記事を読んでしまった。

 私自身、大学の教え子が昨年の今頃、危うく冤罪となるところを、川崎市の小山弁護士らの献身的な尽力で初審の横浜地裁で勝訴した。しかも、横浜地検は何と控訴を断念した。ということは、いうまでもなく物的証拠がなにもない事件で、警察と検察がいかに取り調べの自白、それも当初、思い描いたシナリオにそって事件をでっち上げているかを如実に示すものである。

 本「冤罪File」には、実際にあった冤罪あるいは冤罪に類する事件を全国からくまなく集め、弁護士や当事者に直接インタビューするなど、高見の評論ではない、現場に密着した記事で構成されていて、大変読み応えがある。

 450円も手頃だ。 今後に大いに期待したい!



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