前回はピーター・バクストンによる政府告発から、被害者と米国政府との間の和解訴訟への経過、一人当たりの補償額が比較的小額なのではないかということをお伝えしました。

 

タスキーギ梅毒実験(1)

タスキーギ梅毒実験(2)

 

 

この人体実験の背景には、アメリカ社会における、明らかな黒人への人種差別がありました。

 

そして事件は、米国黒人社会に医療サービスに対する根強い不信感を植え付ける結果になりました。何しろ国家機関が40も、故意に患者を治療から遠ざけ、公衆衛生局内では実験の非倫理性に対する申し立ての声を無視し、新聞にすっぱ抜かれてもシラを切ろうとしたのですから。

 

1997、実験が停止されてから25年後、クリントン大統領が公式に被害者に対して謝罪を表明する一ヶ月ほど前、ニューヨークタイムズに、事件が黒人社会にどのような後遺症を残したかの記事を発表しました。

さわりを拙訳で紹介します。

 

今もなお忍びよるタスキーギの魔の手

Tuskegee’s Long Arm Still Touches a Nerve

by Jeffrey Striker, April 13, 1997

  

先週、タスキーギ梅毒実験の生存者8人の内の4人が、アラバマ州ノタスルガのシロー福音教会に集まったとき、ホワイトハウスのスポークスウーマンは、クリントン大統領が、この悪名高い連邦政府主導の医学研究について、まもなく謝罪すると約束した。

 


このスポークスマンが言及しなかったことは、
"黒人男子におけるタスキーギ未治療梅毒研究“は四半世紀前に終わったものの、黒人の間には、ことに南部の農村では、いまだにその影響が続いていることである。研究から派生したあまりに大きい不信感は、黒人社会で場所によっては、エイズとの戦いを阻み続けているというのである。

 
クリントン大統領の謝罪に向けてロビー活動をした、全米エイズ協会(National Association of People with AIDS)のエグゼクティブ・ディレクターであるコーネリウス・ベイカーによれば、

「多くの黒人、特に南部の黒人は医薬を服用しようとしない、(なぜなら彼らは)マスタープランの一環として殺されることを恐れている」からだという。

 

以下、概訳です。


タスキーギ梅毒研究は
1932197240に渡って行われました。米国公衆衛生局によって始められ、後に(NYTによれば)アメリカ疾病予防センター(CDC) も加わりました。400人(正確には399人)の黒人男性が教会や診療所を通じて募集され、病名は"悪血bad blood)“とだけ告げられました。

当時、梅毒は南部農村部の黒人男性の間で蔓延しており、ちょうど現在のエイズのように、恥ずべき病気とされていました。その蔓延ぶりは、たとえばジョージア州のメイコン郡では、黒人男性の間で感染率が36でした。

 

タスキーギ梅毒研究は、梅毒の自然経過を調べるために、研究者は梅毒感染者を治療せずに、病状の観察だけを行ったのです。抗生物質のペニシリン治療が、1947には梅毒治療のスタンダードとして確立されていましたが、被験者にペニシリンが投与されることはありませんでした。

連邦政府の研究者は、被験者の地元の医師に、被験者に抗生剤を投与しないよう、約束さえさせていたのです。

研究は40年で頓挫しました。弁護士でかつてはサンフランシスコの公衆衛生局の疫学者であったピーター・バクストンが、情報を新聞社に提供したのです。1972725日、メディアにより白日のもとに曝された研究は、直ちに中止されました。しかしタスキーギの影響はそれだけではおさまらなかったのです。

 

80年代になってエイズが広まり出したとき、エイズのための教育プログラムを黒人の居住区域に作ろうという動きがありました。ところがエイズについて話しをすると、ほぼ一様にタスキーギが話題にのぼることに気付かれたのです。

多くの黒人、ことに南部の田舎では、

 

·         エイズの原因であるHIVウイルスは黒人を殺すために、実験室で意図的に創られた

·         エイズに対する初期の治療薬であったAZTは、黒人に毒を盛る計略

·         コンドームの配布は、政府による黒人の出生数削減計画の一つ

·         使い捨て注射針普及運動は、黒人地区でのドラッグ使用を促進するため

 

という考えがあったのです。

 

1990年、教会を通じた調査において、敬虔なキリスト教信者の黒人1965のうち、35エイズは民族浄化(genocide)の一型であると答えています。

この答えは、黒人の多くにとって、驚きでも何でもありませんでした。

 

 

<つづく>