ap_09

海螢の昼行燈 -To be determined-

遠隔医療

23 5月

医療情報電子化は日本の医療に大きく貢献する

医療情報電子化は手段であって目的ではない  井上晃宏(医師) : アゴラ

井上先生が大変興味深いご意見をアゴラに発表されています。

表題はまさしく正論です。

 

議論の内容は、孫正義氏の以下の構想に対する反論のようです。

1. カルテが共通化されていれば、医師から医師へのコンサルトが瞬時に可能になる

2. 検査数値や画像データが共有化されているから、他の医療機関を受診するたびに再検査をする必要がなくなり、コストが安くなる

3. 患者宅からデータを送信することで遠隔診断ができる


孫氏の構想は原則的に素晴らしいと私には思われます。

まず、遠隔医療は日本では、すでに東北大学などを中心に先進しているのではないでしょうか?

厚労省は昨年報告書を出しています。

 

井上先生の具体的反論についてはアゴラの記事を参照して頂いて、それについて個別に思うところを述べます。

 

1. 「コンサルトが瞬時に可能」について、2.とも関連し、今までだったら実際に行われるまでに何日もかかったコンサルトが、画像を含む検査の情報も紹介状と共に送られて、即日診療が可能という迅速さ、と解釈します。

コメント欄に紹介状の存在そのものを疑問視するご意見がありますが、紹介状は新たな業務の要請ですから、文書による依頼は社会生活上いかなる分野においても一般常識です。また、なぜコンサルトを依頼するのか「医学的質問事項を記載した文書」ですから必須です。

次にカルテの煩雑さについて。カルテに定期的にサマリーがついてれば、カルテを始めから終わりまで読む必要はなくなります。

これは、医療におけるハードの問題と言うより、ソフトの問題、医師のカルテの書き方自体の問題のようです。これは主治医制に起因していると思います。主治医制の対照としてチーム医療制があげられます。

 

電子化の議論からはズレますが、チーム医療になると、カバーする医師は、引継ぎ時に短時間で患者の全体像の把握をしないといけないので、字が汚くて読めないカルテを一人一人、一々網羅して読むことなどしていられません。従って、引継ぎの時に、一目で漏れなく患者像が掴めるサマリーが必要になります。コンサルト医師にとっても、サマリーがあれば、始めにカルテのどの部分を参照すればよいのか一目でわかり便利です。


主治医制からチーム制に変更すると、勤務時間をキッチリと組むことが可能になり、限られた勤務時間中に、無駄(検査結果が出るのを待つ以外することなし。当直明けだからといって昼日中から仮眠を取る)のない密度の高い業務が可能になります。早期引退状態の女医さんを現場に呼び戻したり、子育て期間中の女医さんのパートタイム医師の活用が容易になるので、良いのではないでしょうか。女性医師呼び戻しは新たな医学教育・免許試験を要せず、新規の医師養成教育と違って、大きな教育費節約になるはずです。


以上チーム医療制の利点について、主治医制に比し、カルテの質の向上と、非効率で無駄な仕事の仕方を減らすことができ、労働環境が改善される効果があることを述べました。新技術導入に伴う診療活動の改善事項として議論されても良いのではないでしょうか。

 

電子カルテは紹介状も含め、一回書いたら、コピーも保存も送信も一括して行え大変便利です。カルテを見返す必要のあるときの検索もずっと容易になります。万が一の際のバックアップもでき、保存スペースも書類に比べると圧倒的に小さいです。時間とスペースの節約が大きいので、それらに伴う経済効果も期待できるのではないでしょうか。

 

 

2. これは非常な節約源になるのではないでしょうか。検査によってはそれほど頻繁に繰り返す必要のないものは多いのではないでしょうか。同じ項目の検査法や値が施設によってあまりに違うと、国内はもちろん国際的な医療・医学情報の交換そのものが無意味なものとなってしまいます。現在では、検査結果はむしろ共有できる場合の方が多いのではないでしょうか。

 

>個人的な技量に大きく左右される身体所見に至っては、他人の記載など一切信用できない。

 

本当だとすると、これは日本の医師養成教育における大問題ではないでしょうか。日本の医師の診察技量がそれほど信頼性、普遍性のないものだとすると、医学部・医療研修の教育内容を一から検討し直して、医学生、研修医を現在より、もっと厳しくきちんと訓練しないとならないのではないでしょうか。

これは、医学部を廃止してペーパー医師という医師量産・普及の検討以前に、ただちに改善すべき点で、あるいは、すでにそういう状態で医学部教育が機能していないので、医学部はいらないという発想が出て来るのでしょうか?

 

 

3. これは技術の発達を待つのでしょうが、始めに申し上げましたように、日本の遠隔医療は実用段階で、ご懸念の「診断に役に立たない」技術的な問題は、すでにかなり解決され、残った部分も日進月歩で改善しているのではないでしょうか。日本ではかなり高価なハイテク機器を使用しているようです。それでも実際に医師が現地を訪れるより、相当なコスト減になることは間違いないでしょう(医師の人件費を考えてみてください)。

 

米国では、遠隔画像の使用用途(病歴聴取、遠隔診察、患者さんへの説明)にもよりますが、2-3万円相当の機材でスカイプレベルの画像でも、かなりの有用性が示され、患者さんの評判も良いようです。コメント欄のikuside5さんのご意見と同じ意義を含みます。スカイプより値が張るのは、お金は個人情報保護の確保に費やされているのだと推測します。

こういう日本と比べて、いわばローテク遠隔医療について、MDMBAの両方を保持する大学病院の医師などが、医療の質と経済性の向上を目的に、研究・普及に取り組んでいるようです。そしてその内容をまた、宣伝・啓蒙を兼ねてか、You Tubeに一般公開して、世界中の人がその様子を知ることができるようにしています(とは言ってもアクセス数は少ないようですが)。

http://www.youtube.com/watch?v=ROkTDqfddyE&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=DzVn3TgyIhU&feature=related

 



遠隔医療について(1)
遠隔医療について(2)

26 3月

遠隔医療について(2)

厚労省へき地保健医療対策検討会は、『へき地医療支援における遠隔医療の活用』という報告書を平成211224日付で出しています。


この報告書によれば、日本においては遠隔医療は
1997年に厚労省の通知によって、“「無診察診療」には、直ちに当たらない”とされ、その後ゆっくりとした発展が進んでいるのだそうです。

また、IT活用の重要な対象として、産業育成や社会的振興などのプロジェクトが進められているそうです。


報告書の項目を羅列すると、在宅患者や高齢者について高血圧・糖尿病・喘息の管理、イベント心電計、在宅酸素療法患者の管理、
TV電話診察、遠隔妊婦検診。専門医の支援による遠隔コンサルテーション、遠隔眼科診察支援、遠隔放射線画像診断支援、遠隔術中迅速病理診断、へき地医療拠点病院遠隔医療実施比率14.4%、遠隔医療支援クラウドの提案、とわずか6ページの報告ですが、密度の濃い満載な内容です。

 

どうですか、皆さん。ずいぶん進んでいて、さまざまなことが行われていると思いませんか?

官民あるいは官学共同の良い例だと思うのですが、遠隔医療の推進に関しては、実際の医療サービスを供給している病院施設とともに、それを普及確立するための役割を果たす厚労省は、もっと評価されても良いのではないでしょうか。

 

この報告書は、インターネットで厚労省のホームページから、簡単に閲覧できます。情報は公開されているのです。しかし、はっきり言って、普段からよほど興味を持っている人か、専門家でもなければ、こうした資料を自ら検索しようという人はいないでしょう。

 

人口が日本の二倍以上ですが、国土の面積は25倍とやたらに広いアメリカでは、そこら中へき地だらけなので、遠隔医療の推進には莫大な医療費、研究費を投じて力を入れています。日本はそれに比べると、それほどお金をかけていないはずですが、全然遜色なく、よくやっていると思います。

それではどうして、日本では天下りとは別に、厚労省の医療に関する仕事内容そのものにも、否定的な批判が多いのでしょうか。

 

そこでちょっと面白いビデオクリップを見つけたので紹介します。

訳がなくて申し訳ないんですが、画像なのでそれなりに感じがわかるのと良いのですが・・・

 

これはアップステート・ニューヨークにあるロチェスター大学が、You Tubeに公開している、同大学病院の遠隔医療推進の広報目的のビデオです。パーキンソン病という、日本では難病に指定されている神経変性疾患についての、自宅における遠隔診察・治療の様子です。

バック・トゥ・ザ・フューチャーの米国俳優、マイケル・J. フォックスの病気と言えば、もう少しどんな病気か感じがわかるでしょうか。ビデオの始めにマイケル・J. フォックスの言葉も出てきます。

このビデオクリップ自体は、自宅とは言っても、ある程度のリハビリもついている、老人ホームのような施設の様子です。パーキンソン病には専門医による治療が必要なことが多いのですが、このホームは専門医のいる大きな総合病院からは遠い所にあるのです。

 

 パーキンソン病にかかると、だんだん身動きが出来なくなり、日常動作が困難になって行きます。診療所や病院に出向かないで、自宅で診察・治療ができることは、患者さんにとって大変便利なことなのです。また医療側も、実際の生活の場での患者さんの様子が観察でき、治療方針を決めるのに、病院での診察ではわからない、大事な情報が得られる利点があるそうです。

 

なぜこんなビデオを引っ張り出して来たかというと、日本のお役人さんは黙々と誠実・勤勉に仕事に取り組んでいますが、広報活動が足りないのではないかと思うのです。これが企業だったら、自社の開発した製品の売り込みに力をいれ、広告・宣伝を上手に行います。

厚労省はこうした努力が足りないために、我々一般人にしてみたら、「何をしているのかわからない」のではないでしょうか。
そしてマスメディアや左翼・市民運動家による”権力者に搾取されるな、だまされるな“のような一斉攻撃です。片側からの声が大きすぎて、私たちには実像がとらえにくいのです。

 

ところで、このビデオには、実名による患者さんのインタビューや、患者さんの症状、リハビリを受けている様子が映し出されています。アメリカの患者さんは、たとえ難病にかかっても、公の場やカメラの前に堂々と登場し、一般の人に向かって難病についての啓蒙活動をしたり、病因・治療のための研究資金を募る活動をされる方がたくさんいます。

米国の患者さんの姿勢、人生を積極的に切り開いて生きるバイタリティーには、いつも本当に感心させられます。

 

日本では今から10年ほど前、難病のような病気にかかると、患者さん本人には何の責任がないにもかかわらず、まるで恥であるかのように隠して、日陰者のように振舞わないといけないようなプレッシャーが、まだ、ありました。

健康を失うというのは、それだけでも大変なことであるのに、社会的にも疎外されて二重苦を背負わされたのです。

難病患者は人の目には触れないところに押しやられ、一般の人にとって、このような病人の存在は、ほとんどないも同然だったのです。今、大分改善していると良いですが。

 

たまに一部の患者さんが華々しくマスコミに登場すると、大抵は誰かを一方的に悪人に仕立てて、オーバーに同情を引く煽情報道がなされます。どうも演出のために影で糸を引いている、あやしげな人物か団体がおいしい目にありつき、何かの被害を蒙った実際の患者さんには、大して益にもならないことが多いようにみえます。

 

不幸にも病気にかかった人の苦痛を和らげるために、実際に働いているのは本当は誰なのか、何が起こっているのか、私たちはこうしたことを正しく知るために、健全な情報公開、病気や病人に関する広報活動は重要だと思うのです。

21 3月

遠隔医療について(1)

遠隔医療と言うと、「僻地(へきち)医療」という言葉を思い浮かべる方が多いかと思います。1990年代から積極的に研究や実際の利用が試みられているようです。一口に遠隔医療と言っても、患者さんが引っ越したり、専門医にかかるために、カルテのコピーをかかりつけ医師から別の病院に送ることから、実際に医療従事者と対面せずに診療・治療を行うことに至るまで、その内容は実に多岐に及んでいます。

 

西暦2000年前後のもので少々古いですが、医療倫理に詳しい現東洋大学文学部の長島隆教授による『遠隔医療計画に欠如しているものー情報倫理とインフォームド・コンセントーと題するネットの記事では、遠隔医療をtelemedicine telecareに分け、

·         Telemedicine:医療機関(含個人)同士の医療情報の伝達、交換

·         Telecare:医療機関と非医療機関(含個人)間の医療情報の伝達、交換

であるとしています。

 

Telemedicineに関しては患者は自分についての診療情報が他の医療機関(個人)に伝達され、交換されていることを知らない(知らされていない)が故に問題になったことはなく、法的にも問題はなかった一方、telecareについてはインフォームド・コンセントの問題が生じるとしています。

長島氏は、日本での「遠隔医療」計画はこの二つを一つにしようとしているとし、 

1.      両概念の違いは問題を引き起こさないのかどうか

2.      この二つが一つになったとき、それぞれ独自に発達していたときと同じかたちで展開ができるかどうか

の二点を論点にしています。

また、長島氏はtelecare的な側面が計画を引っ張ることになり、その結果「医療情報とは誰のものか」という問題が核心になるとしています。

 

患者の知る権利と言う観点から日米を比較すると、これは大変興味深い見解のように思われます。

米国には連邦政府によるHIPAA (Health Insurance Portability and Accountability Act )

規制というものがあり、その中で「医療情報は誰のものか」については明確な定義を避けていますが、患者の知る権利については患者のプライバシーを守るという観点から、具体的な規制がされています。


それらの権利とは

·         医療記録(カルテ)の閲覧、複写を要求できる。

·         医療情報の訂正を加えることができる。

·         個人の医療情報がどのように利用、共有されるかの告知を受ける。

·         個人の医療情報が、特定の目的、たとえはマーケッティングのようなことに使用されたり共有されたりする前に、その許可を与えるかどうかを決断する。

·         いつ、またなぜ個人の医療情報が特定の目的のために共有されたか、報告を受ける。

·         もし個人医療情報に関して、もし上記に挙げた個人の権利が侵されたり、プライバシーが守られなかった場合、その個人は

o   医療側あるいは保険会社を訴えることができる。

o   アメリカ合衆国政府を訴えることができる。

 

これは基本的に消費者情報のプライバシー保護と同じです。医療を一般の経済活動と同様に”産業”と考える米国では至極もっともなことです。たとえば診療目的でもあっても、かかりつけではない医療機関にかかる場合、新しい医療機関が、かかりつけ医のカルテを見たい場合、かかりつけ医はカルテの複写を新しい医療機関に送るために、患者の書面による許可がいります。また自分の医療記録を手元に残すために、患者は医療機関にカルテの複写を要求することができます。

 

つまり、医療情報が誰のものであるかという点は、ぼかしつつも、長島氏のtelecare のみならず、telemedicineについてもインフォームド・コンセントが義務づけられているのです。

従って、telemedicinetelecareにおけるインフォームド・コンセントの適用を別々に考えず、両者にインフォームド・コンセントが必要と統一しても混乱は生じないと思われます。

 

 

概念、倫理的に「医療情報とは誰のものか」はさておき、日本でも、個人の医療情報の取り扱いを、盲目的に100%医療側にまかせっぱなしにするのでなく、患者側はもっと自分の医療情報の取り扱いに介入し、個人医療情報がどのように取り扱われているのか、自分がどんな医療サービスを受けているのか知るべきではないでしょうか。

 

日本では患者がこのような要求をすると、医療側と患者側の信頼関係を損なうとする意見がありますが、そうでしょうか。これは信頼関係とは別に、むしろ、医療サービスを受ける患者側の責任が増すことを意味します。患者がもっと能動的、積極的に自分の健康管理に参加するよう促すことになるからです。患者にどのような診療が行われているかを常に隠しておかないと信頼関係が保てないというのは、一方的で不健康な医師ー患者関係だと思われます。

 

また患者自身が自分の病状、治療が何であるかをよく把握していた方が、早期の副作用発見や、医療事故を未然に防ぐことに有利になることがありますし、患者が能動的に治療に参加した方が治療効果が上がるという研究報告もなされています。

 

かといって、これはどのような治療を受けるのか、患者自身が全面的にイニシアチブをとり、常に決断を下さなければならないということではありません。また細かいことを知りたくない患者さんに、何でもかんでも情報開示を強制するものでもありません。

 

要は医療提供側と患者のコミュニケーションを今よりもっと双方向性にし、患者さんを中心とした個別の医療サービスが提供できるよう、患者と医療側がともに歩むという形で医療は行われるべきではないか、ということです。

 

 

<つづく>

プロフィール

ap_09

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ