2011年04月19日

<ヽ'A`>2011.04.19 再始動!

 
お久しぶりです 生きてます。

20110412143831

どこかのイケメンに「ブログ放置し過ぎじゃね?wwwww」と言われたので恥ずかしながら帰って参りました。
半年以上ほったらかしにしていましたねえ。放置し過ぎて記事編集に使っていたhtmlタグとかもうすっかり忘れておりますタハハ・・・

私の方は相変わらずでして、下記事で告げた手術もほぼ後遺症無しで成功しました。
半年以上放置しておいてナンですが、

暖かい言葉の数々、本当にありがとうございました。
こちらを通してしか音信できない方もおりますので、改めてお礼申し上げます。

これからもクソつまんねーくせに時間は足りないぼっち人生の合間に!徒然なるままに記事をあげていきたいと思う次第です。

それでは今日はこの辺で!これからも変わらずよろしくお願います<ヽ'A`>



以下は最近やってるファンタシースターポータブル2インフィニティの話なので、興味のある方だけどうぞ
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2010年07月12日

<ヽ'A`>手術する事になりました。

 
天使s

        みなさまお久しぶりです。


グラールの方でもお久しぶりですが、まあそれはそれとして。(久しぶりに遊ぶとやたら面白いっす)



このたびちょいと、入院して手術をばする事になりました。
今日検診に行って決まったところです。

真珠腫性中耳炎という、名前がやたら怖そうな症状の手術でございます。
肉芽が頭蓋骨を溶かして骨破壊を引き起こすという説明もやたら怖いです。

ほっといても別に死にはしません(多分)が、突発的にめまいや痛みが来るので切り開いて摘出しちまいます。


キモs


……実をいうと、この手術を受けるのは学生の頃以来の二度目です。
耳を切り開いて鼓膜をいじくるので、聴力をかなり悪くします。実際、結構落ちてます。

二度目となると「難聴になる恐れがある」とお医者さんに言われました。

不安が全くないといえば嘘になりますが、(今こうして書き散らしているのも不安だからなのでしょー、多分) しかしまあ、なっちまったモンは仕方ありませぬ。
今更気負いして何か変わるわけでもありませんし、按ずるよりナントヤラです。

約一ヶ月は入院になるので、買ったまま読まずに積み上げてる本を読み倒す機会とでも思う事にしましょう・・・へっへっへ。


そういうわけで8月5日から入院の予定です。しばらく音沙汰が無くなるかも知れません。
しかしまあ、生存してますのでご安心くださいませ。

こうふんs


・・・書いといて今更だけど、
こんな半死ブログでわざわざこういう報告がいるのだろうか…?
 
まあいいや、それではこの辺で!

※今回、画像にまっっったく意味はないっす。文字だけだと味気ない…と……

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2010年06月19日

<ヽ'A`>『トイレの神様』はなぜ女神?

 
トイレには それはそれは 綺麗な女神様が いるんやで〜

最近、有線放送でよく耳にする『トイレの神様』の一節です。




しかしまあ、考えてみると、なぜよりによってトイレに女神様がいるんでしょうか。
この曲を歌った植村花菜さんは兵庫県出身だそうですが、兵庫にはこういった言い伝えがまだ残ってるんでしょうか。


――我が国にはたしかにトイレの神様……いわゆる厠神《かわやがみ》がいます。
で、そこから零落したと思わしき妖怪なんかもいるわけで。


鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より
SekienKambari-nyudo

【加牟波理(がんばり)入道】

大晦日の夜、厠にゆきてがんばり入道郭公と唱ふれば、妖怪を見ざるよし、世俗のしる所也。
もろこしにては厠神の名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日の談なるべし。


大晦日の夜に便所に行き、「がんばり入道ホトトギス」と唱えれば妖怪を見なくなる、……というのは有名な言い伝えである。
中国では厠神の事を郭登(かくとう)と呼ぶ。これは遊天飛騎大殺将軍の別名であり、人に災いや幸福をもたらすのだという。郭登を郭公を同一視する説である。



……要するに「便所に入って名前を唱えれば、災いが遠ざかる」というわけです。
どうしてそうなるのか分からないのが妖怪らしいといえば、らしい(笑)



さて、厠神は元々は日本の神ではなく、石燕さんも述べているように中国の神だったといわれています。
主として道教で祀られる神で、総じてかなり高い地位に置かれています。俗に

妊婦が便所を掃除すると綺麗な子が生まれる
便所を綺麗にしておくと幸運が舞い込む

などといわれ、健康や家内安全を保障する神と信じられたそうです。
植村さんが祖母から聞いたという話にも・・・まあ、似ている??

まあ考えてみれば、不衛生な場所である便所を掃除すれば、現実問題として、家族が病気にかかる可能性は大幅に減るはずです。昔の中国人はそれを「厠神が喜んで家を守ってくれた」……と考えたわけなのでしょう。



で、厠神には美しい女性といわれるモノもいるそうで、石燕さんが描いたオッサンみたいな姿は、どちらかといえば少数派になります。
道教でもっともメジャー(と思われる)厠神は紫姑(しこ)という名の女神です。
その由来として、以下のような伝説があるそうです。


――昔、紫姑という美しい娘がいた。
彼女は子胥という男の妾(めかけ)であったが、その美しさゆえに正妻よりも愛されていた。

そのため正妻は紫姑を激しく憎み、便所や豚小屋の掃除など、汚い仕事ばかりを彼女に押し付けた。
そんな生活の過労がたたり、ある年の一月十五日、彼女はとうとう便所の中で死んでしまった。
それを見て憐れんだ天神は、彼女の霊を厠神として取り立て、紫姑神とした。

それ以降彼女の命日である一月十五日になると、
人々は便所に紙で作った人形を供え、紫姑神を弔うのだという。

紫姑神はいつでも便所にいるのだが、彼女は未だに正妻を恐がっている。
なので彼女を弔うときは紙人形を便所に飾って、こう唱えれば良い。

旦那様はお留守」「正妻は里帰り」 「お妾さん、一緒に遊びましょう

こう唱えれば、紫姑神は安心して出てきて人形に宿る。
紫姑神は人形に宿って、その年一年の家運を授けてくれるのである



これが、厠神が美しい女神とされる理由です。
おそらくはこの伝説が海を越えて日本にまで伝わり、若干形を変えつつ、植村さんの祖母の代まで語り継がれたんじゃないかなーと思ったり。


面白い例として、文化的には日本と中国の中間に位置する沖縄にも厠神がいるそうで。
沖縄の『トイレの神様』は フールヌカミ と言いますが、これまた大変美しい女神であり、家の中で一番尊い神なのだといわれるそうです。
沖縄のユタ(祈祷師)はトイレに捧げ物を置き、人々の長寿や健康を祈るそうで……。

これまた紫姑神に似ている感がありますね。
中国の紫姑神→沖縄のフールヌカミ→本土の厠神……と、
紫姑神が伝わるうちに溶け込んでいく過程が見えるようで、個人的には面白いものがあります。



一説には、紫姑神の伝説があちこち削げ落ちたり混入して厠神になる過程で、いわゆる学校の怪談にでてくるような、トイレのオバケ達の遠祖になったという説もあります。
(学校の怪談でおなじみの赤い紙・青い紙トイレの花子さんって、実は江戸時代から既に似たような怪談があるんですよ・・・)

神の特徴が削げ落ち、ほんの一部だけが気味悪く残ったのがいわゆる妖怪とかオバケです。

言われてみれば、便所で「は〜なこさん、一緒に遊びましょう」と唱えて呼び出すなんて、紫姑神伝説とも似てる気がしてきます。

花子さん2


中国の紫姑神が海を越えて我が国に伝わり、一方では『トイレの神様』(美しい厠神)になり、一方ではトイレの花子さんになったのかも知れない。 そう考えてみると楽しいものがありますね

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2010年05月08日

<ヽ'A`>笑顔ってどんな顔?

 
笑っている顔を描けと言われたら、どう描くだろうか。しかもできーるだけシンプルに。


顔文字だと  (^^) こんな感じか。

怒るとしたら (`´) こうで、

悲しむなら  (;;) ……こう。



さて、英語圏だと顔文字は横向きだ。

笑えば  :-)  こうなる。

怒れば  :-||  これだし、

悲しめば :-<  こーなる。



日本人はで感情を表現するし、読み取る民族らしい。対して欧米人はで感情を読むのだそうだ。
その辺の感性の違いが、顔文字にも現れているよーだ。

いわれてみれば、アメリカ的なデフォルメキャラクターの典型であろうミッキーマウスやポパイは黒目だけのシンプルな目をしているし、スマイリーマークなんかもそうだ。
点みたいな簡単な目に、大きな口。 あちらさんのキャラクターは、口で表情を作る。

笑顔2ポパイ



(^^) はいわゆる『三日月の目』だけど、日本の絵画だと昔からこんな表情で描かれた顔が結構ある。
七福神やお多福なんかは、特に分かりやすいと思う。

河鍋暁斎 『恵比寿大黒豆撒図』(明治初頭)
恵比寿大黒豆撒図


この辺は、目つきや雰囲気で気持ちのやりとりする国と、言葉で明確に気持ちのやりとりをする国の違いなのだろーか?とか思ったりもする。
そういえば日本には 目は口ほどにものを言う なんてことわざがあるし、
目が笑ってないとか言い表したりもするし…ねえ。




そういうわけで、たとえばアメリカ人には、↓のドラえもんの顔が笑顔に見えないらしい。
俺達には^^は笑顔の表現にしか見えないのに、あっちの人には至極不気味な顔に見えるのだそうだ。

笑顔1

(まあ言われてみれば、瞳が^^の形になっているのはおかしい気もするが…笑)


『サウスパーク』でも、日本かぶれになった主人公達が^^の目になるというギャグがあった。
我が国のマンガやアニメは、やっぱり外からはこーいう表現を多用しているように見えるのだろう。

笑顔5


逆に日本人もディズニーやカートゥーンの描く表情に、なんともいえない気持ち悪さを感じる時があるし、(いや、俺だけかも知れないが…)お互い様というところかも知れない。

なんにしろ、こういう細かいところにまで文化の違いが見えるのは、なかなか面白いなーと思う。



さあ、笑顔はどんな風に見えるのでございましょうか<ヽ^A^>

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2010年04月05日

<ヽ'A`>お花見の意味とは?

 
さて、お花見の季節がやってまいりました。日本人にとっては春の代名詞といっても過言ではないですね。奈良時代からすでに、単に「花」といえば桜、「花見」といえば桜を見に行く事を指していたそうです。

花見

一方でお花見といえば酔っ払いがウヨウヨ、品性の無いバカ騒ぎ、後にはゴミがわんさかといったネガティブなイメージもあります。
こーいった問題ははるか昔からあったようでして、たとえば鎌倉時代の『徒然草』には、
「よき人」と「片田舎の人」の花見を対比させたこんな一節があります。


“よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑なり。
 片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。
 花の本には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、
 酒飲み、連歌して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。
 泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし。”


《感性の良い人は、ともすれば無関心であるようにさえ見え、楽しむ様子も穏やかである。
 反対に田舎者は、目に見える実体だけをありがたがって持てはやすものだ。
 桜の木の根元に陣取って決して離れず、ジロジロと見つめていたかと思えば、
 酒を飲み、大勢で歌をうたい、挙句の果てには太い枝を折り、持って帰ろうとする。
 彼らは泉には手足を入れたがり、雪には足跡を付けたがる。
 遠くから見るだけでは楽しめず、触れないと満足できないようだ。》



花見を楽しむならば「片田舎の人」にならないように気をつけたいところですな・・・。


桜はパッと咲いてパッと散るところから、しばしば武士や軍人に喩えられました。
玉と砕けて花と散るというやつです。そーいえば自衛隊の隊旗にも桜があしらわれてますね。
参照:自衛隊の旗 - wikipedia

月岡芳年『芳年武者無類』(明治18年の作品)より 花見を楽しむ源義経と弁慶。
花見2


昔の武士は(もちろん咲いてる季節なら、の話ですが)花見を行ってから出陣したそうです。
これはもちろん、桜と武士を重ねて考えていたから・・・という部分もあるのですが、実はもう一つ理由があります。 そしてこれは、我々一般ピーポーまでもが花見を行う理由でもありました。

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