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311東北地方太平洋沖地震 - W【序】(再確認) 
  

余震・誘発地震活動

余震

余震の多発

余震活動は極めて活発で[131]、本震から1時間足らずの間にM7以上の強い地震が立て続けに3回発生した[132]。一連の余震は、岩手県沖から茨城県沖までの幅約200km、長さ約500kmの範囲を震源としている[5]。本震の直後、東北大学地震・噴火予知研究観測センターが設置していた地震計の3割が破壊されたり、通信回線が途絶したりするなどしてセンターは余震の観測データを受け取れなくなり、気象庁が発表する地震情報や緊急地震速報の発令に支障が生じる事態となった[133]

まず30分後の15時15分には茨城県沖を震源とするM7.6の最大余震が発生し、茨城県鉾田市当間で震度6強を観測した[10] [120][134][注 16]。M5以上の余震は3月中に466回あった。2014年12月23日までに観測されたものでは、M5以上が826回、M6以上が114回、M7以上が9回、最大震度4以上のものは336回、最大震度1以上のものは11,300回あった[11]。M5以上の余震の回数は日本観測史上最大であった1994年北海道東方沖地震の4 - 5倍であり、記録的なペースで推移している[23]。特に福島県浜通りから茨城県北部にかけては、4月11日の地震を最大として活発な地震活動がみられ、M3以上の地震は2012年8月までに1600回を超えた[135]

また発生数もさることながら、単独で被害をもたらすような大きな余震が時間を経て度々発生するのも本地震の特徴である。本震から1ヶ月近く経過した4月7日には、宮城県沖を震源とするM7.2、最大震度6強の余震(震源の深さ66km、スラブ内地震)が発生、4人が死亡した[10][136][137]。また、4月11日には福島県浜通りを震源とするM7.0、最大震度6弱[注 17]の余震(福島県浜通り地震内陸地殻内地震。)が発生、4人が死亡した[138][137]。さらに、本震から4ヶ月後の7月10日には三陸沖を震源とするM7.3、最大震度4の余震が発生し、小規模な津波が観測された。2012年3月14日には千葉県東方沖を震源とするM6.1、最大震度5強の余震が発生し1人が死亡した[139]。同日には三陸沖の北部でもM6.9の地震があり、津波を観測したが、気象庁は余震に該当するかどうかは不明としている。本震から一年経過後も活発な余震活動が継続しており、2012年12月7日には三陸沖を震源とするM7.3、最大震度5弱の余震[140]が発生、最大98cmの津波を観測し1人が死亡した[141]。2013年10月26日には福島県沖を震源とするM7.1(最大震度4)の余震[142]、2014年7月12日には福島県沖を震源とするM7.0(最大震度4)の余震[143]、2015年2月17日には三陸沖を震源とするM6.9の余震(最大震度4)[144]が発生し、それぞれ1m以内の津波を観測した。

気象庁は3月13日から4月21日にかけて、M7.0以上の地震が3日以内に発生する「余震の発生確率」を発表、当初は70%と高かったが次第に低下していった[5][145]余震の発生確率を参照のこと)。その後4月28日には、減少がみられることから発生確率の発表を行わなくなり「今後もまれに大きな余震が起こることもある」とした[146]。一方同年4月時点で、東京大学の井出哲准教授は「M7レベルの地震は10回以上は起きる」、東京大学地震研究所の大木聖子助教は「最大余震が1年後に発生することもありうる」、との指摘をしている[147]。また、同年11月18日に気象庁は地震予知連絡会で、同月15日から12月14日までの1か月間に本震域や周辺においては15%の確率でM7以上の余震が発生するとの分析結果を報告した。これは発生したM5以上の余震の傾向から得たもの。また余震は減少傾向にはあるものの3月11日以前の7倍の確率であり、大きな余震への警戒を要するとしている[148]

余震の広域性

一連の余震は、本震の震源域に当たる岩手県沖から茨城県沖までの幅約200km・長さ約500kmの範囲と、そこに隣接する海溝軸の東側(海溝外縁隆起帯=アウターライズ)を震源としている[5][149]。多くは本震と同種の「海溝型地震」(プレート境界地震)であるが、震源域西側の地殻の浅い所では「内陸地殻内地震」(内陸直下型地震:大陸プレート内地震)、震源域西側の地殻の深い所では「スラブ内地震」(深発地震:海洋プレート内地震の一種)、海溝軸東側では「アウターライズ地震」(海洋プレート内地震の一種)も発生している。特に日本海溝東側の海溝外縁隆起帯(アウターライズ)では本震による地殻変動の影響で、余震が発生した場合に後述のようにより規模が大きくなる可能性が高まったことも指摘されている。このほか、次節で述べるように震源域から数百kmも離れた所でM6以上の比較的大きな地震が多数発生しており、巨大地震による地殻変動の影響が考えられることも今回の地震で特徴的とされる。

誘発地震

今回の地震では震源域から離れたところでも被害地震(遠隔誘発地震)が発生している。これらも大きな視点では、今回の一連の地震活動の中に含まれると考えられており、震源域で発生する余震と区別して「誘発地震」や「広義の余震」[150]と呼ばれている。 複数の専門家が、本地震によって東日本を中心に地殻変動や応力の変化が生じ、地震の発生が促進された地域があるとの見解を発表している[151][152]

表面波による動的誘発

神奈川県箱根町の箱根火山地下浅部では、本震の揺れが継続中であった14時49分から50分にかけてM3.8-4.2の地震が4回立て続けに発生し、本震の地震動と重なって局地的に最大で震度6弱の揺れを観測したことが、神奈川県温泉地学研究所が独自に設置した地震計の地震波解析で判明した。震源は駒ケ岳大涌谷の深さ2-6km地点、M4規模であったため強い揺れは0.5秒程であった。箱根の断層が本震の影響を受けやすい向きであったために、本震による長周期の地震動(表面波)に誘発されたものとみられている。この地震は箱根に本震の表面波が到達した頃から発生しており、本震の地震波に伴う地盤の動的応力変化によって発生した動的な誘発地震と考えられている[153][154][155]

また、京都大学防災研究所の宮沢理稔が行った、気象庁や研究機関など日本各地約1500箇所の地震計のデータから本震や余震による直接の地震波を取り除く手法による解析では、本震後約15分間に関東から伊豆諸島、四国、九州までの広い範囲で約80-100回以上、M5未満の誘発地震が発生していたことが判明した。以前より活動が活発な飛騨や北伊豆で顕著に増加した。さらに誘発地震は本震の震源域から南西方向に秒速3.1-3.3kmで広がっており、これは表面波の伝達速度と一致する。本震のLg波 Rg波などの表面波により起励され、「火山近傍」「プレート境界付近」「近年の規模の大きな地震が発生した余震域」[156]などの地震が起きやすい地域で誘発されたとみられていて、動的誘発作用(ダイナミックトリガリング)によるものと推察されている。動的誘発作用が広がっていく過程が確認されたのは初めてとされる[157][158][159]

本震後の北アメリカプレート(オホーツクプレート)内部での誘発地震[編集]

3月12日未明には長野県北部地震 (M6.7) が、15日夜には静岡県東部地震 (M6.4) がそれぞれ発生した(いずれも最大で震度6強を観測)。これらの地震は内陸の活断層における地震であり、気象庁は3月12日に「太平洋沖での地震と直接関係はないが、地殻変動などにより誘発された可能性は否定できない」と述べ[160]、今後も震度6弱の余震が連続して起こる可能性があると注意を呼びかけた[5]

この他には、秋田県内陸北部、福島県浜通り、茨城県南部、長野県中部でも震度5強以上の地震が発生している[149][161]。気象庁精密地震観測室(長野県長野市松代)では、6月30日に長野県中部の地震 (M5.4) が発生した震源域付近において、本地震後から震度1以上の有感地震の増加を観測しており、本地震による地殻変動が影響した可能性があるとの見解を示している。震源域の付近に位置し本震後に発生確率が上がったとされた牛伏寺断層との関連については、「震源の状況から別の断層によるものとみられる」との見解を示している[161]。また、福島県会津地方から山形県置賜地方にかけては本震以降に群発地震が発生し、2011年5月7日のM4.6を最大として2011年12月末までに体に感じない微小地震を含め、16000回を越える地震を観測している。

本震後には東日本全体で地殻変動が観測されていることから、これらの地震は東日本内陸部の地殻に加わっていた応力が大きく変化した事が引き金になって発生したものと考えられている[162]。このような地震は特殊な例ではなく、過去の海溝型の大地震後にも余震域周辺および震源域とは離れた場所で、数年間に渡って誘発地震が発生したケースがある[163]

本震後のプレート境界での誘発地震

関東地方南方沖では北アメリカプレートと太平洋プレートに加えてその下にフィリピン海プレートが沈み込んでいて、沈みこんだプレートが地下50-100km程度に位置する茨城県南部は以前より地震が多発している地帯だが、今回の本震後も誘発地震が多数発生した。3月24日 (M4.8) と4月2日 (M5.0) の地震は沈み込んだフィリピン海プレートと上盤側の北アメリカプレートとの境界付近で発生しているが[164]、4月16日 (M5.9) と7月15日 (M5.4) の地震はフィリピン海プレートの下にさらに沈み込んでいる太平洋プレートとのプレート境界付近で発生しており[165][166]、震源となるプレート境界が異なっている。いずれも震源地としては内陸部であるが、プレート境界で発生する海溝型地震に分類されている(詳細は「東北地方太平洋沖地震の前震・本震・余震の記録」を参照)。

その他の地域では本震における未破壊領域となっている、南北に長い日本海溝にある今回の震源域の南端(房総沖および千葉県東方沖)や北端(三陸沖北部、1994年の三陸はるか沖地震の震源域)での波及地震の発生が懸念されている[注 18]。さらに、この他にも同海溝の北隣にある千島海溝十勝沖及び根室半島沖)、北アメリカプレート内の他の境界部(糸魚川静岡構造線および日本海東縁変動帯)での波及地震に注意する必要があるという指摘がある[167]

加えて、産業技術総合研究所の石川有三招聘研究員は関東南部におけるフィリピン海プレートの境界部でも地震活動が活発化していると指摘している[168]南関東直下地震の確率が上昇したとの報道が2011年9月以降にされているほか、調査により関東地方地下のフィリピン海プレートの深さが従来の想定よりも浅い所にあることが判明したことを受けて2012年3月には同地震の見直した震度推定が公表される[169]など、関東地方でも被害地震の発生が懸念されている。

東北太平洋沖で早ければ2011年4 - 5月中にも再びM8級の巨大地震が発生する可能性が高いと見る専門家もおり、これが4月に報道されていた[170]。京都大学防災研究所の遠田晋次准教授は、M8級の誘発地震が発生した場合、仙台市に10mの津波が襲来すると計算している[170]。文部科学省の地震調査委員会(地震調査研究推進本部)は、「三陸沖から房総沖の海溝寄り」の領域で発生すると予測されていた津波地震の想定Mt(津波マグニチュード)を従来の8.2前後から8.6-9.0前後に更新し、誘発される可能性があると発表した[171][172]。また、同じくM9規模の超巨大地震である2004年のスマトラ島沖地震のように、数年かけて周辺で大地震が続発する可能性があるという指摘[173]もなされている。

スロースリップ現象の誘発

千葉県房総半島沖では、明瞭な振動を伴わないスロースリップが誘発され、従来は平均6年間隔で発生していたが前回の発生から4年目で発生した[174](「千葉県東方沖地震 (1987年)#千葉県東方沖のスロースリップ現象」も参照)。この活動の総放出エネルギー量は、モーメントマグニチュードMw6.5と推定されている[175]

地殻変動

地震活動の変化

本震のすべり量が大きい日本海溝の海溝軸付近では、プレート境界より深いところの海洋プレート内部では余震が多発しているものの、プレート境界の逆断層型の余震は少ない。原因として、本震時にすべり量が大きかった場所ではひずみが十分に開放された一方、その周囲では本震や余効変動によってひずみが蓄積しているため余震が多発しているのではないかという考えがあるほか、この地域では通常プレート間の固着が非常に強固であることから、本震後すぐに強固な固着が復活してしまった可能性が指摘されている[176][177]

また、震源域に近い海域での大規模な誘発地震の発生が注目されている。宮城県・福島県遠方沖、日本海溝東側の海溝外縁隆起帯にあたる太平洋プレート上に設置した海底地震計等により4月から2ヶ月間行われた、海洋研究開発機構 (JAMSTEC) による海洋プレート内地震の調査では、深さ約20キロの浅い領域は本震発生以前の正断層型のまま変化はないが、約40キロの深い領域では本震発生以前の逆断層型から正断層型の地震に変化していた。本震の影響によりプレート内部の応力の方向が変化している可能性などが考えられ、これまでと異なり深い部分まで応力の方向が揃ったため、プレート内部の地震がM8級の巨大地震に及ぶ可能性も指摘されている[178][179]。日本海溝東側のように沈み込む手前の海洋プレート内で発生する地震はアウターライズ地震と呼ばれており、大きな津波が発生しても震源が陸地から遠いため揺れが小さくなるといった「津波地震」と類似した特徴があるため、避難行動が遅れて被害が拡大する恐れがある。本震40分後の15時25分に発生したM7.5の余震が該当し、過去には1933年昭和三陸地震もこのタイプで甚大な津波被害を出した。

虎馬:東北地方太平洋沖地震 - W 

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虎馬: 韓国人「太平洋戦争における米軍と日本軍の被害状況を比較してみよう」00:00
1. 韓国人(スレ主)


ミッドウェー海戦(1942年6月4日~1942年6月6日、米国の勝利)
米国の被害:空母1隻沈没、駆逐艦1隻沈没、戦闘機150機破壊、死者307名
日本の被害:空母4隻沈没、重巡洋艦1隻沈没、重巡洋艦1隻損傷、戦闘機248機破壊、死者3057名


ガダルカナル島の戦い(1942年8月7日~1943年2月9日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者7100名、捕虜4名
日本の被害:戦死者3万1000名、捕虜1000名


ブーゲンビル島の戦い(1943年11月1日~1945年8月21日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者727名
日本の被害:戦死者1万8500名~2万1500名


タラワの戦い(1943年11月20日~1943年11月23日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者1696名、負傷者2101名
日本の被害:戦死者4690名


クェゼリンの戦い(1944年1月31日~1944年2月7日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者348名、負傷者1462名、行方不明者183名
日本の被害:戦死者7800名、捕虜253名


トラック島の戦い(1944年2月16日~1944年2月17日、米国の勝利)
米国の被害:空母1隻損傷、戦艦1隻軽度の損傷、戦闘機25機破壊
日本の被害:巡洋艦3隻沈没、駆逐艦4隻沈没、補助巡洋艦3隻沈没、潜水艦2隻沈没、小型戦闘艦3隻沈没、貨物船32隻沈没、戦闘機270機破壊


エニウェトクの戦い(1944年2月16日~1944年2月23日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者313名、負傷者879名、行方不明者77名
日本の被害:戦死者3380名、捕虜105名


サイパンの戦い(1944年6月15日~1944年7月9日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者3426名、負傷者1万364名
日本の被害:戦死者2万4000名、自殺5000名、捕虜921名


フィリピン海海戦(1944年6月19日~1944年6月20日、米国の勝利)
米国の被害:戦艦1隻損傷、戦闘機123機破壊
日本の被害:空母3隻沈没、タンカー2隻沈没、戦闘機550~645機破壊


グアムの戦い(1944年7月21日~1944年8月10日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者1783名、負傷者6010名
日本の被害:戦死者1万8337名、捕虜1250名


テニアンの戦い(1944年7月24日~1944年8月1日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者326名、負傷者1593名
日本の被害:戦死者5542名、捕虜252名、行方不明者2265名


ペリリューの戦い(1944年9月15日~1944年11月15日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者1508名、負傷者6635名、行方不明者36名
日本の被害:戦死者1万900名、捕虜202名


レイテ島の戦い(1944年10月20日~1944年12月10日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者3504名、負傷者1万1991名
日本の被害:戦死者5万名、捕虜389名


レイテ沖海戦(1944年10月24日~1944年10月25日、米国の勝利)
米国の被害:軽空母1隻沈没、護衛空母2隻沈没、駆逐艦2隻沈没、護衛駆逐艦1隻沈没、戦闘機200機破壊、死傷者2800名
日本の被害:空母1隻沈没、軽空母3隻沈没、戦闘艦3隻沈没、巡洋艦10隻沈没、駆逐艦11隻沈没、戦闘機300機破壊、死者数12500名


ルソン島の戦い(1944年12月15日~1945年7月4日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者8310名、負傷者2万9560名
日本の被害:戦死者20万5535名、捕虜9050名


マニラの戦い(1945年2月3日~1945年3月3日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者1010名、負傷者5565名
日本の被害:戦死者1万6665名


硫黄島の戦い(1945年2月16日~1945年3月26日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者6821名、負傷者1万9217名
日本の被害:戦死者1万8844名


ミンダナオ島の戦い(1945月3月10日~1945年08月15日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者1041名、負傷者3545名
日本の被害:戦死者1万9265名、捕虜1700名、行方不明者8235名


ビサヤ諸島の戦い(1945年3月18日~1945年7月30日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者835名、負傷者1905名
日本の被害:戦死者1万4300名、負傷者1230名


沖縄戦 (1945年4月1日~1945年6月21日、米国の勝利)
米国の被害:戦死者1万2000名以上、負傷者3万8000名以上
日本の被害:戦死者11万名以上、捕虜7000名以上

翻訳元:http://www.ilbe.com/4753175323


2. 韓国人
保存した


3. 韓国人
ブーゲンビル島の戦い(恥ずかしながら初めて聞いた)は、ほぼ米国が日本を皆殺しにしたレベルだな(もちろん、米国側の被害も少なくはないが…)
カイカイ補足:孤立と自活|ブーゲンビル島の戦い - Wikipedia
日本軍は食糧不足で戦闘どころではなかった。日本軍はラバウルからブカ島まで潜水艦と駆逐艦で補給物資を輸送したが、量は微々たるもので絶望的に

カテゴリ:
太平洋戦争中の日本軍に今の自衛隊を足したら勝てたの?:ふぇー速

41: 大義私 ◆aWfrM7UWWY 2013/06/01(土) 23:26:54.22 ID:MKrfnG0J0
>>27
日本丸ごと転移の『列島大戦NEOジャパン』は4巻くらいまでよかった
自衛隊だけの転移でおもろいとおもったのは『超空自衛隊』かな
霧島那智の『連合艦隊』、
超新型空母大奮戦や地方都市が転移する波動大戦はよかったな

同じく日本丸ごと転移の原典である
『タイムスリップ大戦争』は衝撃的だったな
タンカーや大型商船をレシプロ機空母として、
ジャンボジェット機を爆撃機に改装したり



関ヶ原三百万円西軍勝利26POINT1バナナ
2事前小早川関白3立花宗茂軍大谷隊横・・

米軍百万人死亡厭戦気分・・ハワイ攻撃石油タンク
or空母第1目標・・(中国軍非情)

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