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虎馬:日本の分割統治計画 - W 
アメリカ国立公文書館に現存する計画書による日本の分割統治計画。東京都区部は米中ソ英4か国、近畿と福井県は米中2か国による共同統治。

日本の分割統治計画(にほんのぶんかつとうちけいかく)とは、第二次世界大戦において、ドイツが降伏後4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本北海道本州九州四国連合国それぞれが統治しようとした計画



概要

実際の歴史

連合国は第二次世界大戦中、日本が明治以降に「獲得した地域」を連合国によって分割する方針を打ち出していた。連合国は日本降伏後、かかる地域を以下のように分割占領した。

これらは、1945年(昭和20年)の日本降伏後に速やかに実行された。

これら占領地域には、日本が内地とした地域もあり、その点で言えば、日本領土は史実でも分割されている。しかし、本土決戦の回避により、上記以外の日本本土を構成する北海道本州四国九州及び付属島嶼は、連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ、実質は米国)によって1952年(昭和27年)まで統一した占領統治下におかれ、分割されることはなかった。本計画では、これらの本土地域も細かく分割することになっており、この項目で指す分割とは、この計画を指している。

日本分割占領案については、早い段階から連合軍将兵にも伝わっており、中華民国軍の兵士の証言では、ルーズベルトが中国軍を日本占領統治に参加させることを決定したとの話が兵士たちの間に伝わると、多くの中国軍兵士がこれを喜び、日本に上陸した際にどのような行動をとるかについて話し合ったという[1]

計画による統治区域

アメリカ国立公文書記録管理局に現存する計画書[2][3]によると、

という計画であった(地図参照)。

廃案

この計画が廃案となった理由ははっきりしていない。有力な説としては以下が挙げられる。

  • 米軍が原子爆弾の開発・運用に成功し、核戦力を入手した事。
  • 核戦力の獲得に乗じ、ヤルタ会談で合意した事項の幾つかを撤回する動き・兆候をソ連が推測・警戒した事。
  • ドイツ降伏直前で急死した親ソ連のルーズベルト大統領に代わり就任していたトルーマン大統領による対ソ連外交政策の転換。
  • アメリカがチャーチル英国首相から繰り返し警告されていた、戦後の社会主義国との対立を睨み、極東での陣地拡大と基地化を目論んでいた事。

その他にも、以下のような説などさまざまな主張がある。

  • 終戦直前、ソ連が南樺太千島列島に加えて、北海道北部(留萌市 - 釧路市を結ぶ線から北東側全域。留萌市・釧路市については分割せずソ連が占領)をも併合しようとする貪欲な姿勢を見せたため。
  • 日本で学んだ経験のある蒋介石が「報怨以徳」(怨みに報いるに徳を以ってする)に基づいた反対意見を出した為。
  • ダグラス・マッカーサーと親密な吉田茂の猛反発があったため。
  • アメリカが日本の権益を独占しようとした策略。
  • 対日戦で中心的役割を果し、かつ日本を占領したのは米国軍部隊であるにも拘らず、その日本をイギリス人、ロシア人、中国人と後から分割統治することに対する反発。実際にドイツや朝鮮半島など、連合国で分割統治計画があった地域でもほぼ自軍の占領範囲を統治することになった。
  • ポツダム宣言(第8条)は、北海道、本州、四国および九州と周辺諸小島を日本領とし、内地の一体性を認めているため、これを後から分割統治とすると、宣言内容と矛盾してしまう。反故にすると、速やかに大日本帝国陸軍を武装解除できず、日本軍は降伏を撤回し、最後の一兵まで戦う可能性があったとも言われる。
  • 当時の日本は天皇の下に団結しており、分割には天皇の処分が避けて通れない。しかし天皇を処分するとその後の統治が難しくなるばかりか処分国に対する報復戦が予想されるため、連合国の中から反対が出た。

この計画が実行され、仮にドイツや朝鮮半島ベトナムのように資本主義を支持する国と社会主義を支持する国で分割統治された場合、前述の国の例に鑑みれば、そのまま複数の国に分断されてしまい、最悪の場合は朝鮮戦争ベトナム戦争のように、日本人同士が相討つ事態になる可能性、さらにドイツのように再統一を果たしても、東西の経済格差がそのまま東西の差別と対立として固定化する可能性があった。また東京の共同管理にもベルリンと同様の困難を伴うと推察される。

脚注

  1. ^ NHKハイビジョン特集「歴史から消された兵士たち 〜中国「抗日老兵」の歳月〜」より
  2. ^ テレビ朝日「トップ・シークレット 救われた日本の分割占領」1985年4月30日放送
  3. ^ TBSテレビスーパーフライデー」特別企画「2000年の証言『天皇家そして妻たち 運命の岐路』」2000年

関連項目

外部リンク

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虎馬:実質実効為替レート 
https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%AE%9F%E8%B3%AA%E5%AE%9F%E5%8A%B9%E7%82%BA%E6%9B%BF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88 

「実効為替レート(名目・実質)」の解説 :日本銀行 Bank of Japan

www.boj.or.jp › 統計 › 統計の概要および公表予定 › 統計に関する解説
実効為替レートは、特定の2通貨間の為替レートをみているだけでは捉えられない、相対的な通貨の実力を測るための総合的な指標です。具体的には、対象となる全ての通貨と日本円との間の2通貨間為替レートを、貿易額等で計った相対的な重要度でウエイト ...
  • 実質実効為替レート(ジッシツジッコウカワセレート)とは - コトバンク

    https://kotobank.jp/word/実質実効為替レート-521392
    デジタル大辞泉 - 実質実効為替レートの用語解説 - ⇒実効為替レート.
  • 実質実効為替レートで“過度の円安”ってホント? - eワラント証券

    https://www.ewarrant.co.jp/.../実質実効為替レートで“過度の円安”ってホ...
    2014/11/04 - 異次元緩和による行き過ぎた円安が日本経済を痛めつけている。これが株価下落の原因だ!」といった主張を散見するようになりました。円安の論拠としては「実質実効為替レートで見ると、現在の為替レートは1985年プラザ合意前の円安水準 ...
  • 実質実効為替レート - なたでぽぽ

    popo.ara3.net/etc/eerate.htm
    実質実効為替レート. 弱い日本の強い円を読んで、実質実効為替レートが気になったのでExcelでグラフを描いてみました。使用したのはBIS(Bank for International Settlements)が公表しているデータです。 実効為替レートとは、ある通貨が他の通貨と比べて ... 

    実効為替レートとは|金融経済用語集 - iFinance

    www.ifinance.ne.jp/glossary/currency/cur110.html
    実効為替レートは、特定の二通貨間の為替レートを見ているだけでは分からない、一国の通貨の対外競争力(強さ)を、単一の指標で総合的に捉えようとするものをいう。 ... なお、本レートには、「名目実効為替レート」と「実質実効為替レート」の2つがある。
  • RIETI - アジアの産業別名目・実質実効為替レート

    www.rieti.go.jp › RIETIトップ › 研究テーマ › プロジェクトコンテンツ
    この研究の一環として、横浜国立大学経済学部附属アジア経済社会研究センターと共同で、2011年6月より産業別の名目実効為替レートおよび実質実効為替レートを公開してきた。2015年3月からは、アジア9カ国の産業別実効為替レート(名目および実質)を月 ...
  • 日本の産業別の名目実効為替レートおよび実質実効為替レート ...

    www.rieti.go.jp › ホーム › 論文 › Research Digest
    こうした中、RIETI「国際マクロプログラム」(プログラムディレクター:伊藤隆敏PD/FF)の「通貨バスケットに関する研究プロジェクト」は、産業別名目実効為替レートに続き、2012年7月、産業別実質実効為替レートを公開した。このデータは、研究、政策立案、企業 ...
  • 為替レート - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/為替レート
    実質実効為替レート に移動 - [編集]. 主要通貨の実質実効為替レートの変遷(1964-2007年、2000年 = 100). 日本では日本円と米ドルの相場に注目が集まるが(後述)、国際市場への参加者は他にも数多くあり、それぞれが自国通貨を持って変動相場制 ...

  • 伊藤元重:「日本の大バーゲンセール」状態の超円安はいつまで ...

    www.nikkeibp.co.jp/article/column/20141209/427608/
    2014/12/10 - 円レートが1973年以来の安値であるという。円の実質実効為替レートで見た数値によるものだ。今回はこの点について考察してみたい。1973年と言えば、日本が変動相場制に移行した年で、この年の円ドルレートは300円台であった。

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    量子力学の完成

    量子力学の発展に貢献した科学者達。第5回ソルベー会議(1927年)にて。

    前期量子論の、(ニュートン力学的な)粒子としての性質と(マクスウェルの電磁気学的な)波としての性質をもった量子という概念の発見であるとすれば、ハイゼンベルク、シュレーディンガー等による量子力学の基本方程式の構築は、ニュートンの運動方程式マクスウェルの方程式を統合したものであるといえる。

    最初の統一的な量子力学の理論はヴェルナー・ハイゼンベルクによって与えられた。1925年、ハイゼンベルクはそれまでの量子論における状態の遷移に関する規則を一般化し、位置のような運動学的な量と、運動量のような力学的な量を結びつけた。このハイゼンベルクの方法は、マックス・ボルンパスクアル・ヨルダンポール・ディラック、そしてハイゼンベルク自身によって発展され、同年の1925年に行列力学として定式化された[40]。ハイゼンベルクらによって、量子力学は非可換代数として理解されるようになった。

    ド・ブロイが提案した物質波の概念を発展させる試みから、ピーター・デバイの指摘に促され、シュレーディンガーは1926年シュレーディンガー方程式を得た[41]。同じく1926年に、シュレーディンガーはハイゼンベルクらによる行列力学と自身の波動力学の対応関係を示し、両者の理論が数学的に等価であることを示した[42]。シュレーディンガーによって、ド・ブロイが描いた物質の波動的描像が明確に示された。しかしながら、当初ド・ブロイやシュレーディンガーが思い描いたような空間に広まった物質の波動という描像は、波動関数が配位空間英語版上を動く波であって実空間上の波動ではないことなどから否定的に見られることとなる[43]

    1926年のシュレーディンガーの発表を受けて、ボルンは同じ年に波動関数確率解釈を提示した。ボルンが示した要請は今日、ボルンの規則と呼ばれる。

    ハイゼンベルクらによって発展された行列力学と、シュレーディンガーらによって形成された波動力学は、いずれも演算子形式の非相対論的量子力学における特別な形式の一つである。時間発展の役割を演算子に負わせた形式をハイゼンベルク描像といい、ハイゼンベルク描像における量子力学の基本方程式をハイゼンベルクの運動方程式と呼ぶ。同様に状態ベクトルの時間発展として量子系を描く描像をシュレーディンガー描像といい、シュレーディンガー描像における基本方程式をシュレーディンガー方程式と呼ぶ。あるいは、状態ベクトルを固有状態で展開した際、その固有状態の係数として現れる波動関数の時間発展方程式もシュレーディンガー方程式と呼ばれる。本来、シュレーディンガーが見出した形式は波動関数に関するものである。

    1927年にはハイゼンベルクによって不確定性原理が示された。ボーアは、不確定性原理を基礎として量子力学の物理的解釈を構築し、相補性の概念を導入することで量子力学の物理的な基礎づけを試みた。ボーアに始まる、不確定性と確率解釈を統合する物理的な描像はコペンハーゲン解釈として知られている。

    量子力学の解釈については、大きな議論が巻き起こった。確率解釈を嫌ったアインシュタインは、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を残した。

    ハイゼンベルクやシュレーディンガーらによって示された量子力学は非相対論的な理論であった。相対論的な量子力学の定式化は、シュレーディンガーが波動力学を模索するにあたり、非相対論的理論を構築する以前に試みられていたが、既存の結果に一致するものは得られていなかった。相対論的な形式として、1926年にクライン=ゴルドン方程式が示されたが、クライン=ゴルドン方程式はスピン角運動量を含まず、波動関数の確率解釈を適用するには、確率が負になるという困難があった。 1928年の1月にポール・ディラッククリフォード代数を導入することにより、確率が負にならない相対論的量子力学を構成した。ディラックが導いた方程式はディラック方程式と呼ばれる。

    またディラックは1939年ブラ-ケット記法を導入した。ディラックに因み、ブラ-ケット記法はディラック記法: Dirac notation)とも呼ばれている。ブラ-ケット記法とは、ヒルベルト空間のようなある空間上の状態ベクトルをケット: ket)、その双対空間上のベクトルをブラ: bra)で表す記法のことで、ブラとケットの自然な積として波動関数の内積などを簡潔かつ視覚的に示す目的で利用される。

    1932年ジョン・フォン・ノイマンは演算子理論としての量子力学の厳密な数学的基礎を与えた(量子力学の数学的基礎)。

    量子力学の完成以降の発展と応用[編集]

    量子力学の定式化が行われるようになって、現代物理学では量子力学とアインシュタインの相対性理論が最も一般的な物理学の基礎理論であると考えられるようになった。その後、電磁相互作用、重力相互作用を量子力学に組み込むことが求められるようになった。それぞれ、特殊相対性理論一般相対性理論と量子力学の橋渡しをしてひとつの定式化された理論を目指すことに相当する。

    1950年代にリチャード・ファインマンフリーマン・ダイソンジュリアン・シュウィンガー朝永振一郎らによって量子電磁力学が構築された。量子電磁力学(りょうしでんじりきがく、: Quantum electrodynamics: QED)とは、電子を始めとする荷電粒子間の電磁相互作用を量子論的に記述する理論である。一方、量子力学と一般相対性理論を合わせた理論(量子重力理論)は、いまだ完成されていない。

    さらに素粒子物理学の発展によって従来考えられていなかった電磁力や重力以外の基本相互作用が認められるようになった。量子色力学が研究されるようになり、1960年代初頭から始まる。今日知られる様な理論はデイヴィッド・ポリツァーデイヴィッド・グロスフランク・ウィルチェックらにより1975年に構築された。すべての基本相互作用を含む大統一理論の探求がおこなわれている。

    これまでに、シュウィンガー、南部陽一郎ピーター・ヒッグスジェフリー・ゴールドストーン英語版らと他大勢の先駆的研究に基づき、シェルドン・グラショースティーヴン・ワインバーグアブドゥス・サラムらは電磁気力弱い力が単一の電弱力で表されることを独立に証明している(電弱理論)。

    量子力学の成立によって物性物理学の発展に基づいた現代の工学の発展は可能になった。今日のIT社会ないし情報化社会と呼ばれる状況を成立させている電子工学も、半導体技術などが量子力学をその基盤としている。量子力学はまた化学反応の現代的な記述を可能にし、量子化学の分野が発展した。

    脚注

    1. ^ 内井 2007, p. 1.
    2. ^ a b 石川 2011, p. i.
    3. ^ 松村 et al. 2014.
    4. ^ 山田 2003, pp. 6-7.
    5. ^ NetAdvance Inc. 『ジャパンナレッジ』 「量子力学」の項、2014年、NetAdvance Inc.。
    6. ^ a b 山田 2003, pp. 7.
    7. ^ 筒井 2002, p. 5.
    8. ^ 柴田 et al. 2013.
    9. ^ 村上 2006.
    10. ^ a b 清水 2004.
    11. ^ 江沢 2002, p. 83-84; 107-108, §5.4 量子力学における因果律; §6.2 状態.
    12. ^ 朝永 1981, pp. 213-224.
    13. ^ 田崎 2008, pp. 233-268, 7. 電磁場と黒体輻射.
    14. ^ 田崎 2008, pp. 185-195, 5-7 二原子分子理想気体の熱容量.
    15. ^ ペンローズ 1994.
    16. ^ ウルフ 1991, pp. 290-294.
    17. ^ Reichenbach 1998.
    18. ^ Planck 1900.
    19. ^ a b 高野 1981, p. 183.
    20. ^ 矢沢サイエンスオフィス 1998, pp. 64-81.
    21. ^ 山本 1999, pp. 356-359, 解説.
    22. ^ 都築 1995, pp. 134-135.
    23. ^ 山本 1999, pp. 221-229; 365-366, 原子核物理学における認識論上の諸問題をめぐるアインシュタインとの討論; 解説.
    24. ^ 山本 1999, pp. 365-402, 解説.
    25. ^ 山本 1999, pp. 254-257; 381-387, 原子核物理学における認識論上の諸問題をめぐるアインシュタインとの討論; 解説.
    26. ^ 江沢 2002, pp. 69-71, §5.1 電子波の干渉.
    27. ^ Rutherford 1911.
    28. ^ 江沢 2002, pp. 33-35, §2.2 原子の安定性.
    29. ^ 砂川 1987, pp. 307-311, 第7章 §3 点電荷による電磁波の放射とその反作用.
    30. ^ 江沢 2002, pp. 41-42, §3.2 ボーアの原子構造論.
    31. ^ 高林 2010, pp. 90-93, §4.2 量子条件とゾンマーフェルトの理論.
    32. ^ 江沢 2002, pp. 52-54, §3.5 アインシュタインの遷移確率.
    33. ^ 山本 1999, pp. 215-217, 13. 原子物理学における認識論上の諸問題をめぐるアインシュタインとの討論.
    34. ^ 高林 2010, pp. 132-133, §5.2 スピンと排他律.
    35. ^ 高林 2010, pp. 133-134, §5.2 スピンと排他律.
    36. ^ 高林 2010, p. 134, §5.2 スピンと排他律.
    37. ^ 高林 2010, pp. 134-135, §5.2 スピンと排他律.
    38. ^ 高林 2010, pp. 135-136, §5.2 スピンと排他律.
    39. ^ 高林 2010, p. 93, §4.2 量子条件とゾンマーフェルトの理論.
    40. ^ 山本 1999, pp. 38-41; 352-354, 1. 量子仮説と原子理論の最近の発展; 解説.
    41. ^ 江沢 2002, pp. 56-59, §4.1 シュレーディンガーの波動方程式.
    42. ^ 山本 1999, pp. 352-354, 解説.
    43. ^ 山本 1999, p. 47, 1. 量子仮説と原子理論の最近の発展.

    参考文献

    関連項目

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    虎馬:ジル・ドゥルーズ - W 
    ジル・ドゥルーズ
    Gilles Deleuze
    生誕1925年1月18日
    フランスの旗 フランスパリ
    死没1995年11月4日(満70歳没)
    フランスの旗 フランスパリ
    時代20世紀の哲学
    地域西洋哲学
    学派経験論
    大陸哲学ポスト構造主義
    生気論
    研究分野哲学哲学史
    美学文化
    形而上学認識論存在論
    精神分析学
    メタ哲学
    主な概念器官なき身体
    脱領土化
    生成変化
    出来事
    内在平面
    存立平面
    リゾーム
    テンプレートを表示

    ジル・ドゥルーズGilles Deleuze, 1925年1月18日 - 1995年11月4日)は、フランス哲学者パリ第8大学哲学教授を務めた。20世紀フランス現代哲学を代表する哲学者の一人であり、ジャック・デリダなどとともにポスト構造主義の時代を代表する哲学者とされる[1]。ただし、同時代のあらゆる哲学者にとって他称でしかない「ポスト構造主義」というカテゴライズについて、ドゥルーズ本人は否定している(本頁「哲学史上の意義」の節を参照)。ドゥルーズの哲学体系に賛同し、またはそれを積極的に取り入れようとする哲学者は、「ドゥルーズ派」、「ドゥルージアン(Deleuzian)」とも称される。



    概説

    ドゥルーズは、数学の微分概念を哲学に転用して、差異の哲学を構築し、スコトゥス存在の一義性(これについては、アラン・バディウのドゥルーズ論に詳しい)という視点から、ヒュームスピノザベルクソンらの著作を読み解いた。ただし、アラン・ソーカルからは『知の欺瞞』において数学的概念の用い方のいい加減さを批判された(詳しくはソーカル事件を参照)。 また、プルーストカフカマゾッホサドといった近代文学の読解、画家のフランシス・ベーコン論、映画論(『シネマ1, 2』)などの著作も著している。フーコーとの親交は良く知られ、彼の死後、フーコー論を著す。また、『記号と事件』に「追伸」として収められた「管理社会について」では、「フーコーが近い将来、私たちにのしかかってくると考えていた」ものとして、「管理社会」という概念を提示している。この概念は、監視カメラやデータベースなど、個人情報の大規模な集積を容易にする電子技術の発達との関連から、規律に代わる、個人の管理(コントロール)のための新たなテクノロジーの発展を予期したものである。

    精神科医で哲学者でもあるフェリックス・ガタリとの共著のなかで、戦争機械リゾーム器官なき身体(これは作家、劇作家のアルトーの言葉から発したもの)等の「概念」を次々と創造していった。いまだその概念の可能性のすべては汲み尽くされていないとされる。これらの理論はニーチェベルクソンにその源流を持つ「生成の哲学」とも言うべきもので、日本の思想界にも大きな影響を及ぼした。浅田彰中沢新一などのニューアカデミズムは、彼からインスピレーションを得ている。

    生涯

    1925年1月18日パリ第17区で生まれる。ほとんどパリから離れる事はなかったという。父の名はルイ、母の名はオデット。1944年ソルボンヌ大学で哲学をカンギレムイポリットガンディヤックらのもとで学ぶ。1948年教授資格試験に合格し、1957年までリセの教師を務め、1957年ソルボンヌで哲学史講座の助手となる。近世哲学史の読み直しをはかろうとする研究から、哲学者としてのキャリアをスタート。ベルクソンニーチェスピノザヒュームカントなどについて、彼独特の視点から論じた研究書を次々に書きあげる。その過程で自身の哲学を練り上げていった。慢性的な飲酒癖があったが、心肺が生来より弱かった為、重度のアルコール中毒に至る程は飲めなかった。晩年は本格的に肺病を患い、人工肺で生存していたが、1995年に自宅アパルトマンから投身自殺した。

    思想

    哲学史上の意義

    「ポスト構造主義」という呼称は自分には関係のないものだと、ドゥルーズ自身はインタビューの中で述べている。そのことを考慮しても、構造主義の台頭以前から著述活動を行っていたドゥルーズの思想を「ポスト構造主義」と分類することにあまり意味があるとは言えない。構造主義の成果を引き継ぎつつも、ドゥルーズはきわめて独自の観点から自身の哲学を展開した。以下にドゥルーズの仕事を粗描する。

    • 前期:ヒューム、ベルクソン、スピノザ、カント、(ニーチェ)等を自身の問題にひきつけて整理
      • 経験論、差異、一義性、超越論的なもの、内在性といった、ドゥルーズの主要タームに関する省察が行われる
    • 中期1:『差異と反復』『意味の論理学』の時期
      • 個々の哲学者の整理を離れ、独自の哲学を展開する
      • 西洋形而上学を貫く「同じもの」をめぐる悪しき「思考のイメージ」が批判される(デカルトのコギト、カントの超越論的なもの等)
      • 自身の方法論となる超越論的経験論の整理
      • 深層と表層をめぐるトポロジー
      • ドクサに対するパラ‐ドクサ(パラドクス)の論理学の対置
      • 三つの位相で展開される時間論
    • 中期2:『アンチ‐オイディプス』『千のプラトー』の時期
      • 多くの概念群が創造される。ガタリとの共同作業。「外」へと向けて「哲学」が開かれる。
    • 中期3:『シネマ』二巻、『感覚の論理』の時期
      • 映画論、絵画論
    • 後期:自身の哲学の体系的叙述(特異なテーマ群)
      • 「襞」の概念をめぐっての、ライプニッツ、フーコー論
      • あくまで「内在性」を考察する
      • 『哲学とは何か』における総括的記述
      • 「内在」と「潜在性」の再記述

    用語

    • 器官なき身体
    • リゾーム
    • 潜勢的(virtuel)

    主な著作

    • Empirisme et subjectivité. Essai sur la nature humaine selon Hume (1953)
    • Nietzsche et la philosophie (1962)
    • La philosophie critique de Kant (1963)
    • Proust et les signes (1964)
    • Nietzsche (1965)
      • 『ニーチェ』湯浅博雄訳 朝日出版社、1985/ちくま学芸文庫、1998
    • Le bergsonisme (1966)
      • ベルクソンの哲学』宇波彰訳、法政大学出版局:叢書ウニベルシタス、1974 
    • Présentation de Sacher-Masoch : le froid et le cruel (1967)
    • 原子と分身 ルクレティウス/トゥルニエ 原田佳彦丹生谷貴志訳 哲学書房 1986
    • Différence et différenciation 
      • 『差異について』 平井啓之訳 青土社 1989、改訂1992.2000
    • Différence et répétition (1968)
      • 差異と反復』 財津理訳 河出書房新社、1992/河出文庫上下、2007 
    • Spinoza et le problème de l'expression (1968)
      • スピノザと表現の問題』工藤喜作ほか訳 法政大学出版局、1991 
    • Logique du sens (1969)
      • 『意味の論理学』 岡田弘・宇波彰訳、法政大学出版局、1987 
      • 『意味の論理学』 小泉義之訳、河出文庫上下、2007 
    • Dialogues avec Claire Parnet (1977)
      • 『対話』 河出書房新社
    • Spinoza: Philosophie pratique (1981)
      • 『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 1994/平凡社ライブラリー 2002
    • Francis Bacon: Logique de la sensation (1981)
    • Cinéma 1: L'image-mouvement (1983)
      • 『シネマ1 運動イメージ』財津理、斎藤範訳 法政大学出版局、2008 
    • Cinéma 2: L'image-temps (1985)
      • 『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一ほか訳 法政大学出版局、2006 
    • Foucault (1986)
      • 『フーコー』 宇野邦一訳、河出書房新社、1987/河出文庫、2007  
    • Le Pli: Leibnitz et le Baroque (1988)
      • 『襞──ライプニッツとバロック』宇野邦一訳 河出書房新社、1998 
    • Pourparlers 1972 - 1990 (1990)
      • 『記号と事件 1972-1990』 宮林寛訳、河出書房新社、1992/河出文庫、2007 
    • Critique et clinique
      • 『批評と臨床』 守中高明・谷昌親・鈴木雅大訳、河出書房新社 2002/河出文庫、2010
    • L'Île déserte et autres textes: Textes et entretiens 1955-1974 (2002)
      • 『無人島 1953-1968』宇野邦一ほか訳、前田英樹監修 河出書房新社、2002
      • 『無人島 1969-1974』稲村真実ほか訳、小泉義之監修 河出書房新社、2002
    • Deux Régimes de Fous (2002)
      • 『狂人の二つの体制 1975-1982』宇野邦一ほか訳 河出書房新社、2004 
      • 『狂人の二つの体制 1983-1995』宇野邦一ほか訳 同

    ガタリとの共著

    • L'Anti-OEdipe: Capitalisme et schizophrénie 1 (1972)
    • Kafka: Pour une littérature mineure (1975)
    • Rhizome, extrait de Mille Plateaux (1976)
    • Mille Plateaux: Capitalisme et schizophrenie 2 (1980)
      • 『千のプラトー──資本主義と分裂症』 宇野邦一ほか訳、河出書房新社、1994/河出文庫上中下、2010.9-11 
    • Qu'est-ce que la philosophie? (1991)
      • 『哲学とは何か』 財津理訳、河出書房新社、1997
    • Politique et psychanalyse 

    他の共著

    • 『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』第5巻、蓮実重彦訳、小沢書店〈叢書エパーヴ〉、1975年
    • 『ドゥルーズの思想』 田村毅訳、大修館書店、1980年ISBN 978-4469250213
    • 『情動の思考-ロレンス『アポカリプス』を読む』 鈴木雅大訳、朝日出版社〈ポストモダン叢書〉、1986年ISBN 978-4255860183
    • 『消尽したもの』 宇野邦一・高橋康也訳、白水社、1994年ISBN 978-4560019757
    • 『重合』 江口修訳、法政大学出版局〈叢書・ウニベルシタス〉、1996年ISBN 978-4588005282
    • 『ヒューム』 合田正人訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2000年ISBN 978-4480085429
    • 『対話』 江川隆男・増田靖彦訳、河出書房新社〈ちくま学芸文庫〉、2008年ISBN 978-4309244501

    映像作品

    • L'Abécédaire de Gilles Deleuze

    ドゥルーズ研究

    • フランソワ・ドス『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』杉村昌昭訳、河出書房新社、2009年8月
    • 小泉義之、鈴木泉、檜垣立哉編『ドゥルーズ/ガタリの現在』平凡社、2008年
    • 現代思想臨時増刊号 総特集ドゥルーズ=ガタリ』1984年9月、青土社
    • 『現代思想 特集ドゥルーズ』2008年12月号、青土社

    関連項目

    出典

    1. ^ 千葉雅也、『動きすぎてはいけない』、河出書房新社、2013年、14~15頁。

    外部リンク

    カテゴリ:
    虎馬:ヨーゼフ・シュンペーター - W 
     
    ヨーゼフ・シュンペーター
    歴史学派
    生誕1883年2月8日
    Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国 トリーシュ
    死没1950年1月8日(66歳)
    アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コネティカット州タコニック
    研究機関ツェルノヴィッツ大学 (1909-1911)
    グラーツ大学 (1912-1914)
    ビーダーマン銀行 (1921-1924)
    ボン大学 (1925-1932)
    ハーバード大学 (1932-1950)
    研究分野経済学
    母校ウィーン大学
    影響を
    受けた人物
    オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクレオン・ワルラス
    論敵カール・マルクスジョン・メイナード・ケインズ
    影響を
    与えた人物
    ポール・サミュエルソンフレデリック・シェラー
    実績イノベーション理論
    景気循環
    経済発展
    企業家精神英語版
    進化経済学
    テンプレートを表示

    ヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter, 1883年2月8日 - 1950年1月8日)は、オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコモラヴィア生まれの経済学者である。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。また、経済成長の創案者でもある[1]



    生涯

    モラヴィアのトリーシュ(現チェコ領トジェシュチ)に出生。1901年にウィーン大学法学部に進学し、1906年同大学にて博士号(法学)を取得。1908年『理論経済学の本質と主要内容』発表。

    1909年にツェルノヴィッツ大学准教授、次いで1911年グラーツ大学教授に就任。1912年『経済発展の理論』発表。1913年アメリカ合衆国コロンビア大学から客員教授として招聘され名誉博士号を受けた。

    1919年オーストリア共和国の大蔵大臣に就任したが同年に辞職。1921年にはビーダーマン銀行の頭取に就任したが、1924年に同銀行が経営危機に陥ったため、頭取を解任され、巨額の借金を負った。

    1925年 ボン大学の教授に就任したのち、1927年にはハーバード大学の客員教授を引き受け、1932年には正教授に就任。この間の1931年には初めて来日し各地で講演を行っている。

    1939年『景気循環の理論』発表。1940年計量経済学会会長に就任し、その後も1947年アメリカ経済学会会長に、1949年国際経済学会会長に選出された。

    1942年 『資本主義・社会主義・民主主義』発表。

    1950年1月8日、コネチカット州にて動脈硬化症で急死。遺稿を元に『経済分析の歴史』が1954年になって出版された。

    経済理論

    一般均衡

    シュンペーターはレオン・ワルラス流の一般均衡理論を重視した。初の著書『理論経済学の本質と主要内容』はワルラスの一般均衡理論をドイツ語圏に紹介するものであった。古典派が均衡理論をもって現実経済を診断するのと異なり、シュンペーターは均衡をあくまで理論上の基準点として捉える。均衡状態はイノベーションによって不断にシフトしており、イノベーションが加わらないと市場経済は均衡状態に陥ってゆく。均衡では企業者利潤は消滅し利子もまたゼロになるという。市場均衡を最適配分とみる古典派の見解と異なり、シュンペーターにとって均衡は沈滞である。だから企業者は、つねに創造的な破壊をし続けなければ生き残れない。

    イノベーション

    イノベーションはシュンペーターの理論の中心概念であり、経済活動において旧方式から飛躍して新方式を導入することである。初期の著書『経済発展の理論』では「新結合」と呼んでいた。日本語では技術革新と訳されることがあるが、イノベーションは技術の分野に留まらない。

    シュンペーターはイノベーションとして以下の5類型を提示した。

    1. 新しい財貨の生産
    2. 新しい生産方法の導入
    3. 新しい販売先の開拓
    4. 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
    5. 新しい組織の実現(独占の形成やその打破)

    イノベーションの実行者を「企業者」(アントレプレナー:entrepreneur)と呼ぶ。この意味における企業者は、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、生産要素を全く新たな組み合わせで結合し(新結合:neue Kombination)、新たなビジネスを創造する者として重視される。この点を明確にするため近年[いつ?]は「起業者」と訳されることがある。

    信用創造

    資本主義経済ではイノベーションの実行は事前に通貨を必要とするが、起業者は既存のマネーを持たないから、これに対応する通貨は新たに創造されるのが本質であるとシュンペーターは考えた。すなわちイノベーションを行う起業者が銀行から信用貸出を受け、それに伴い銀行システムで通貨が創造されるという信用創造の過程を重視した。貨幣や信用を実体経済を包むだけの名目上の存在とみなす古典派の貨幣ヴェール観と対照的である。

    「銀行家は単に購買力という商品の仲介商人なのではなく、またこれを第一義とするのではなく、なによりもこの商品の生産者である。……彼は新結合の遂行を可能にし、いわば国民経済の名において新結合を遂行する全権能を与える」とシュンペーターは語っている。

    景気循環

    起業者が銀行組織の信用供与(銀行からの借入)を受けてイノベーションを実行すると経済は撹乱されるが、その不均衡の拡大こそが好況の過程であるとシュンペーターは考えた。一方で、イノベーションがもたらした新しい状況において独占利潤を手にした先行企業に後続企業が追従して経済全体が対応し、信用収縮(銀行への返済)により徐々に均衡化していく過程を不況と考えた。以上は初期の『経済発展の理論』における基本的な見方であるが、後の大著『景気循環の理論』では景気循環の過程をより緻密に考察した。

    資本主義・社会主義

    シュンペーターは社会学的アプローチによる研究も行っている。この分野の主著『資本主義・社会主義・民主主義』は、経済が静止状態にある社会においては独創性あるエリートは官庁化した企業よりは未開拓の社会福祉や公共経済の分野に革新の機会を求めるに至る。持論のイノベーションの理論を軸にして、経済活動における新陳代謝を創造的破壊という言葉で表し、また、資本主義は、成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが官僚的になって活力を失い、社会主義へ移行していく、という理論を提示した。マーガレット・サッチャーイギリスが、つねにこのシュンペーターの理論のとおりにならないよう警戒しながら政権運営をしていた。

    またシュンペーターはカール・マルクスを評価しており、『経済発展の理論』[2]日本語訳(1937年)に寄せられた「日本語版への序文」で「自分の考えや目的がマルクスの経済学を基礎にしてあるものだとは、はじめ気づかなかった」「マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する」と述べている。

    ほか、経済学史家としても仕事をしており、初期に『経済学史』を著し、晩年に大著『経済分析の歴史』を執筆、没後に遺稿を元に出版されている。

    人物

    シュンペーター門下の日本人経済学者としては、ボン大学時代の留学生である中山伊知郎東畑精一、同じくハーバード大学時代の柴田敬都留重人などがいる。なお、伊東光晴によると、「日本の経済学者でシュンペーターのもとを訪れた者のうち、シュンペーター自身が、来る前から異常に高く評価したのは柴田敬であり、来た後に高く評価したのが都留重人であって、これ以外の人についてはほとんど評価していない」とされている[3]

    小室直樹は、シュンペーターの業績は経済学界ではさほど継承されておらず、むしろ経営学によってその発想や視点が旺盛に摂取されている、と述べている[4]。また小室は、シュンペーター自身は数学は得意ではなく、弟子のポール・サミュエルソンの数学の講義を聴いて勉強したと書いている[5]

    主な著作

    • Wesen und Hauptinhalt der theoretischen Nationalökonomie, 1908
    『理論経済学の本質と主要内容』大野忠男・安井琢磨・木村健康訳
    • Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, 1912
    経済発展の理論ドイツ語版 : 企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究』 塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳
    • "Epochen der Dogmen-und Methodengeschichte",Wirtschaft und Wirtschaftwissenschaft, p19-124, 1914
    『経済学史 : 学説ならびに方法の諸段階』中山伊知郎・東畑精一訳
    • Die Krise des Steuerstaats, 1918
    『租税国家の危機』木村元一・小谷義次訳
    • Business Cycles, 1939
    『景気循環論 : 資本主義過程の理論的・歴史的・統計的分析』 金融経済研究所訳
    • Capitalism, Socialism, and Democracy, 1942
    資本主義・社会主義・民主主義』中山伊知郎・東畑精一訳
    • History of Economic Analysis, 1954
    『経済分析の歴史』東畑精一訳

    関連書籍

    • 伊東光晴根井雅弘『シュンペーター』(岩波新書、1993年)
    • 根井雅弘『シュンペーター』(講談社学術文庫、2006年。シュンペーターの評伝)
    • 金指基『J・A・シュムペーターの経済学』新評論(1979年)

    脚注

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    1. ^ 馬場宏二 (2003). ""経済成長" の初出". 大東文化大学経済学会経済論集 81: 79–87. 
    2. ^ 「シュムペーター経済発展の理論」1937年、中山伊知郎、東畑精一共訳、岩波書店
    3. ^ 宮崎義一、伊東光晴「忘れられた経済学者・柴田敬」経済評論53/8月号
    4. ^ 小室直樹 『経済学をめぐる巨匠たち』 ダイヤモンド社、2004年、170頁
    5. ^ 小室直樹 『経済学をめぐる巨匠たち』 ダイヤモンド社、2004年、217頁

    外部リンク

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