どうやらこういうことらしい

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澤口俊之 - W

ロボットアニメ - W(保存)【前半】

虎馬:ロボットアニメ - W 
ロボットアニメ
目次 1 類型 1.1 ヒト型ロボット 1.2 自律型ロボット 1.3 装着型ロボット 1.4 遠隔操作型ロボット
1.5 搭乗型ロボット 1.6 分類基準 2 歴史 2.1 70年代から80年代まで 2.2 90年代以降 2.3 00年代以降
3 ロボットアニメの制作会社 3.1 ロボットアニメの主な制作会社 4 放映局 5 世界のロボットアニメ
6 著名なロボットアニメのシリーズ 7 関連項目 8 外部リンク
類型
ロボットアニメは登場するロボットの種類によって幾つか類型に分けられる。ただし、「ヒト型(等身大)ロボットアニメ」「装着型ロボットアニメ」という分類が使われた事例が皆無に等しく、また一般的にロボットアニメといえば「自律型ロボット」「遠隔操作型ロボット」「搭乗型ロボット」もしくはそれらをひっくるめた「巨大ロボットアニメ」を差すことは留意されたし。なお、ここでは日本におけるロボットアニメについて述べる。
ヒト型ロボット
ヒトの形をしたロボットがおもに主人公となるジャンルで、等身大ロボットアニメとも呼べる。活劇はもちろん、人間との交流・共存、果ては恋愛がテーマとなることが多い。 最初のロボットアニメ作品は最初のテレビアニメ作品でもある『鉄腕アトム』(漫画:1952年、アニメ:1963年)。
自律型ロボット
自我を持つロボットが主人公となるジャンル。ヒト型と同様、活劇はもちろん、人間との交流・共存がテーマとなる作品が多い。 代表作品は『タイムボカンシリーズ』『トランスフォーマーシリーズ』『勇者シリーズ』など。 カラーのロボットアニメ作品第1号である『アストロガンガー』(アニメ:1972年)では、「生きている金属」を使って生成した自律型ロボットに主人公が融合することでさらなる力を引き出すという異色な作品となっている。
装着型ロボット
ヒトが装着型ロボットに変身するジャンル。補佐キャラクターに自律型ロボットが登場する作品も多い。 代表作品は『機甲創世記モスピーダ』『トランスフォーマーシリーズ』『機甲警察メタルジャック』など。
遠隔操作型ロボット
巨大ロボットを、人間が外部から操作するタイプ。 代表作品に、最初の巨大ロボット作品でもある『鉄人28号』(漫画:1956年、アニメ:1963年)など。
搭乗型ロボット
巨大ロボットに人間が乗り込み操作するタイプ。ロボットアニメの中で、最も作品数の多い一大ジャンルである。一般的にロボットアニメというとこのジャンルを指す例が多い。 最初の搭乗型巨大ロボットが登場する作品は、フランスの『やぶにらみの暴君』(アニメ:1950年)であり、『マジンガーZ』(漫画・アニメ:1972年)でジャンルとして確立。以降の代表作品に『機動戦士ガンダム』(アニメ:1979年)、『超時空要塞マクロス』(アニメ:1982年)、『新世紀エヴァンゲリオン』(アニメ:1995年)がある。 操縦方法も多種に渡り、『アストロガンガー』(アニメ:1972年)や『勇者ライディーン』(アニメ:1975年)では、ロボットと操縦者がシンクロする操縦方法が採用されている。
分類基準
何をもってロボットアニメとするかは見る側で基準がまちまちである。本記事においても「ロボットが登場する作品一覧」と題された項目へ無造作に作品を列挙する事態が常態化していた。ちなみに同一覧は編集履歴2014/2/8およびそれ以前の版を参照。
巨大ロボットは登場してもそれが物語の中枢に無いもの『キスダムR』『ヒロイックエイジ』などが該当。ネット上でしばしばロボットアニメ扱いされるもの『ドラえもん』『Dr.スランプ アラレちゃん』などが該当。いずれも主人公がロボットであるのでそう扱われやすい。パワードスーツを題材とした作品『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』などが該当。パワードスーツ装着状態の上からロボットを着る(纏う)、あるいはロボットに内蔵される様式でより判別が難しい作品もある。こちらには『バブルガムクライシス』『Get Ride! アムドライバー』などが該当。一般的にはロボットアニメ扱いだが、その風潮に反発があるもの『新世紀エヴァンゲリオン』などが該当。これに登場する人型兵器・エヴァンゲリオンは設定上かつ描写的には旧来からのロボットとは程遠い人造人間であるゆえ、一般的にロボットアニメ扱いされる現状に未だ難色を示す意見もある。スーパーロボット大戦シリーズに参戦したもの『宇宙の騎士テッカマンブレード』『疾風!アイアンリーガー』などが該当。前者については上記「パワードスーツを題材とした作品」にも該当し、ロボットに内蔵される要素も持つ。
歴史
70年代から80年代まで
1970年前半は現在では「スーパーロボット系」などと呼ばれるジャンルのテレビアニメが生まれた時代である。魅力的かつ個性的な造形を持ち、通常兵器では到底及ばぬ強大な戦闘力を持つ巨大人型戦闘ロボットの存在を前提として、勧善懲悪と巨大メカ戦を基本にしながら今なお多くのファンを持つ作品群が数多く生まれた。そのほぼ全ての作品が玩具として商品展開されており、その中には『鋼鉄ジーグ』の様に視聴率には恵まれなくとも、玩具の販売成績の優秀さに支えられて放映が続いた作品も存在していた。

1974年に「合体・変形ロボット」作品の元祖と位置づけられる『ゲッターロボ』が制作される。これ以降数々の合体・変形ロボットアニメが制作されるようになった。

1976年になると長浜ロマンロボシリーズの第一作である『超電磁ロボ コン・バトラーV』が制作された。それまでのロボットアニメにみられる勧善懲悪から脱却し、敵側が地球を侵略する理由を強く描いて善悪の相対化を行い、それと同時に様々なドラマ性が追求され高年齢のファンを獲得することになる。

その後、1979年の『機動戦士ガンダム』の出現を皮切りに、世界観に政治・軍事・組織論なども絡ませ複雑化する物語や、物理学・機械工学・SF理論などにある程度準拠したリアリティのあるメカデザイン・設定や戦闘描写がなされた「リアルロボット系」と総称されるアニメ群が一代ムーブメントを巻き起こす。そして、このリアルロボット系作品もまた『超時空要塞マクロス』『装甲騎兵ボトムズ』など様々な方向性に分化し、それぞれに頂点といえる作品を経ながら、その席巻は1980年代中盤にかけて続いた。

この1970年代から1980年代は、ロボットアニメブームと呼ばれるほど多数のロボットアニメ作品が制作された。これは、当時の日本の人口の多数を占めていたバブル世代・プレ団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアの子供たちによって支えられていたと考えられる。視聴率も平均して高く、主な放送時間も夜7時から9時のプライムタイムであった。視聴者層の大半を占める子供たち向けの玩具(アニメに登場するロボットのプラモデルなど)の売り上げも好調であり、それらを販売する玩具メーカーがテレビアニメのスポンサーについた。だが、ピークを過ぎてくると、作品の量的飽和や過剰なリアル志向への行き詰まり感、人間キャラによるバトル物の流行などに伴ってタイアップ玩具の市場の閉塞感が見え隠れする様になり、それらに反動するかの如く、1970年代のスーパーロボット系作品へのオマージュを盛り込みつつ美少女や超能力といった要素を持たせたOVA作品が1987年頃から立て続けに製作され、この流れは1990年代前半まで続いた。
90年代以降
1990年代でも玩具業界のタイアップによるロボットアニメの特徴を正統に受け継いだ作品は製作され続け、『勇者シリーズ』や『エルドランシリーズ』『平成ガンダム』と呼ばれる一連の子供向け作品群が生まれた。また、テレビゲーム『ドラゴンクエスト』などのブームを受けて、『魔神英雄伝ワタル』といったファンタジー要素を持たせたロボットアニメも放映された。

こうした状況下で『新世紀エヴァンゲリオン』は発表された。アニメ・漫画・特撮・SF・その他文芸作品など、過去作品のオマージュをふんだんに盛り込んでおり、リアルやスーパーといった分類ではくくりきれない個性を放つ作品となった。

しかし、1990年代後半には視聴率低下やテレビ局側の事情などによる『勇者シリーズ』や『平成ガンダム』の打ち切りで陰りが見え始め、2000年代に入るとポストエヴァの作品も勢いを失い、その後継となる大きな潮流も生まれずロボットアニメは全体的に衰退傾向を呈している。特に全日帯アニメにおけるロボットアニメは壊滅状態となり、深夜アニメでの放映が事実上の標準となった。これは家庭用ゲームやトレーディングカードゲームの普及などによる趣味の多様化によって選択肢が増加した事を原因とする玩具業界全体の不振に伴うスポンサーの撤退、テレビ局と制作会社・玩具会社との軋轢などや、日本の総人口に占める子供の割合が低下したことによってそこからさらに獲得できる客層の割合が減少したこと、そして現実の技術の発達や情勢の変化による従来の定番の陳腐化などが主な要因だった。
00年代以降
こうした経緯を受けて、その後のロボットアニメでは企画段階から玩具会社を排除し、従来は子供向け玩具として製作されていた立体造形物も対象年齢がより高いガレージキットなどの限定的な版権許諾型ビジネスに留める一方で、DVDを販売する映像レーベルやメディアミックス系出版社などの販売が企画の中核となり、既にロボットアニメに親しんでいる大人層向けのアニメとして制作しソフトの売り上げを主たる収入源と位置づけるという、新たなビジネスモデルに基づいた作品が作られるようになり、それら客層に合わせて過去のヒット作のリメイクや続編作品なども作られるようになっていった。

今日ではオリジナル・シリーズもの共に一定のヒット作が生まれつつも、上記の通り大人層を主流としたことによる主要客層の高齢化・固定化や定番構造をあまりにも多用し続けていることによる作品構造のマンネリ化といった問題は依然として抱えており、特に子供や若年層などの新規客層の乏しさが一層問題視されるようになっている。それでも現在は未だ数多くの作品が制作され続けているが、ロボットを単独のメインに据えずあくまで一構成要素に留める作品も作られる等ジャンルの拡散が進んでいる状況であり、現在も各社が新しいロボットアニメの主流の模索を続けている。
曖昧さ回避 この項目では、ロボットの登場するアニメーション全般について説明しています。2013年放送のテレビアニメについては「直球表題ロボットアニメ」をご覧ください。
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ロボットアニメとは、ロボットを主人公格に据えた、あるいは中心的な題材としたアニメのこと。

科学 - W(保存)

虎馬:科学 - W 
曖昧さ回避 「科学」のその他の用法については「科学 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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科学シリーズ記事からの派生

自然科学

社会科学と行動科学

応用科学

形式科学

関連項目

科学(かがく)という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。
(広義)体系化された知識や経験の総称。
(広義)自然科学、人文科学、社会科学の総称。
自然についての体系的知識[1]。
自然科学。
(狭義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。

他にも以下の意味で用いられることも多々ある。
近代精密科学
ドイツ語のWissenschaftの訳語(英語圏のscienceとも異なる用法)
英語圏のscienceの訳語(英語圏の意味であることを暗示するために「サイエンス」と表記することもある)
英語の語源はラテン語のscientiaでその意味は知識knowledgeである[2]
目次
1 緒論 1.1 科学の範囲の変化、科学を語ることの困難
1.2 世界の科学の俯瞰(西洋科学と非西洋科学)

2 古代-中世の科学(古典科学) 2.1 古代ギリシャの科学
2.2 イスラーム科学
2.3 中世ラテン科学

3 近代科学
4 非西洋科学
5 日本語における「科学」 5.1 「科学」という言葉が持つ意味の変遷
5.2 近代科学が導入された当時の日本の事情

6 科学的手法 6.1 科学と非科学の境界設定
6.2 具体的な科学の適用論

7 自然科学、数学、応用科学
8 現代科学の諸問題 8.1 科学の肥大化
8.2 科学者による不正行為
8.3 諸問題関連項目
8.4 関連項目
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
緒論
科学の範囲の変化、科学を語ることの困難
「科学」なるものが何であるかについて論ずるのは、歴史的なコンテクストに依存していて、容易なことではない[3]。一言で言えば、歴史とともに「科学」の意味は変遷してきている[3]。 また、どのような知識内容が「科学的」であるか(あったか)を定めるそれなりの基準を設定しようと努力することはそれなり意味はあるが、厳密な境界設定は実際上はほとんど不可能である[3]、ともされる。 ただし、だからといって「科学」とは何であるか議論したり追究することが無意味というわけではない[3]。人々が、ある種の知識を「scientia」「science」あるいは「科学」と呼び、それに一定の権威を認めて、その知識の拡大と深化に努力してきた事実は残っている[3]。

世界の科学の俯瞰(西洋科学と非西洋科学)[編集]

「科学」という語の意味は多様であるが、たとえばそれを「自然についての体系的知識」と限定的に解釈する場合でも、それを俯瞰的にみると、世界の各地域にそれはあったのであり、それをたとえば西洋科学と非西洋科学とに分かれていると見なすことも可能である。そして西洋科学は時代ごとに古典科学、近代科学に分かれていると見なすことも可能である[1]。

西洋科学と非西洋科学の関係を俯瞰し、あえて図に現すとしても、それは優劣が比較できるような直線的な図であらわされるようなものではなく、網状の複雑な地形図になるであろう[1]。また、そもそもそれらを共通の尺度で測るということ自体が無理なのである。そのようなことを、科学史家のトーマス・クーンは「incommensurable通約不可能」とか「通約不可能性」と呼んだ。西洋の科学と非西洋の科学では、それぞれ異なった言語ゲームを行っており、相互に通約することは不可能なのである[1]。

本記事では、まず西洋の科学を時代順に古典科学、近代科学の順で解説し、つづいて非西洋科学について解説し、そして日本の科学事情や現代科学について解説する。

ただし、科学について解説するとは言っても18世紀ないし19世紀ごろになるまでは現代の意味での「科学」という言葉があったわけではなく(後述)、厳密に言えば当時の人々は学問をもっぱらphilosophiaフィロソフィアという言葉で把握し実践していたので、結局、その広範囲で様々な性質を備えた知的営みの中から、現代の科学史家らが「科学」に分類されると判断し、部分的に、そして恣意的に抽出したことを解説することになる。(よって、そのもともとの位置づけや性質を正確に理解するには、philosophia(哲学)やphilosophia physica(自然哲学)の記事も併せて読むことが望ましい)

古代-中世の科学(古典科学)[編集]
古代から中世にかけての知的探求は基本的にはフィロソフィアと呼ばれていた。
古代ギリシャ以降、近代ヨーロッパまで、知の探求全般は、古代ギリシア語: φιλοσοφια(フィロソフィア)と呼ばれていた(直訳すれば「愛知」。知を愛すること。[4])

古代から中世にかけての知識のうち、科学史家などによって科学に分類されるものは、現在では「古典科学」と呼ばれることがある[5]。

現在の英語やフランス語等のscienceという語は、ラテン語: scientia に由来したもので、scientiaスキエンティアは単に「知識」という意味でしかなかった [6]。このようなscientiaの用法は、18世紀まではごく普通に流通し、さらに19世紀のある時期までも存続しつづけていたようだ[6]という。[7]

「論証的学問」や「厳密な証明を伴った学問の性質をそなえた」という意味での表現ならば、古代や中世からすでに存在し、ギリシャ語では「エピステーモニコス」という語が用いられていた[8][9]。


太古の昔から、自分たちをとりまく自然の現象や自身のからだについて関心を持っていた文明もある。歴史上、古代オリエント、古代インド、古代中国をはじめとするさまざまな文明圏において、これらの関心対象を説明するための知識や経験が蓄積され、学問として体系化されていった[10][11][12]。古代に形成された学問の諸体系のなかでも後世に大きな影響力を残したのが古代ギリシアの哲学である。古代ギリシャの知識を直接に継承したのはヨーロッパではなくイスラム世界であった[13]。中世においてはイスラム科学が最も先進的な地位を占めることになった。後進地域にすぎなかったヨーロッパは、先進のイスラム諸国から科学や技術を輸入し、長い年月をかけて追いついた歴史がある[14]。

古代ギリシャの科学[編集]

古代ギリシャでも自然哲学と呼ばれる自然に関する考察は行われていたものの、当時の知的探求フィロソフィアの主たるテーマは倫理的なものや社会的なものであったので、自然哲学はそれ単独で行われるというよりも、哲学の中の一部として行われており、知的活動としては脇役的な存在ではあった[15]。

タレスは神話的思考の伝統から断絶し、「万物のアルケーは水である」と見なしたという。コスのヒポクラテスは経験主義的医学を生んだ[16]。また徹底して根拠を求める思考習慣が、「論証」や「証明」を鍵とする、理論的形態の数学を生み出した。西欧的「合理主義」の源流はこのような思考形態に求められる[5]ともされる。

古代ギリシャの古典科学は、大きく分類して二つ(ないし三つ)の構成要素から成り立っている[5]ともされる。理論数学、および経験的自然学(および、それを基礎とした医学・医術)である。

ここでいう理論数学とは、議論の出発点に諸原理(定義や公理)を置き、そこから何らかの命題が真であることを論証してゆく形態の数学のことであり、演繹的に命題群を証明してできた体系を「公理論的数学」という。このような数学を、キオスのヒポクラテスが体系づけはじめ、紀元前300年ころには、ユークリッドが『原論』を編纂し、集大成した。ユークリッドの『原論』を幾何学の書とするのは誤解であり、算術を含んでいた。当時の純粋数学は、離散量についての理論的学科としての算術と、数直線から構成される連続量についての幾何学を含んでいた。離散量を扱う算術の応用に音階学(現在の音楽)があった。当時すでに幾何学は平面幾何学と立体幾何学を含んでおり、立体幾何学の応用部門として天文学が存在していた。

physica自然学は論理的・経験的方法で営まれた。今日その代表例と見なされているのがアリストテレスの『自然学』であり、日常的観察と徹底した論理的思索によって成っていた。尚、自然学では議論できない自然を超えた存在、超越的存在、自然現象を生じさせる究極の原因などは、アリストテレスの学問体系では『形而上学』において扱われた。数学と自然学の間の中間的な学問としては、視学(今日の光学)、機械学、および前述の音階学、天文学などがあると見なされていた。

イスラーム科学[編集]

「イスラム科学」も参照

古代ギリシャ科学を直接に継承したのは、ヨーロッパ世界ではなく、イスラームを基礎とし、アラビア語を共通言語として成立している世界(すなわちイスラーム世界)であり、地中海の広大な地域であった[13]。この科学は一般に「イスラーム科学」もしくは「アラビア科学」と呼ばれている。このイスラーム科学は9世紀から13世紀まで栄え、世界の科学をリードしもした[13]。

インド数字による計算法(今日の算用数字による計算法の起源)、Al-jabrアルジャブルという未知数を使った計算理論が、フワーリズミーによって数学理論に加えられた(これは現在の代数学(英: Algebra)へとつながるものである)。自然を実践的・実験的に操作する学問としてAl kimiyaが重視されていた[13](Al kimiya(錬金術)は化学の源流となった)。イスラーム科学には研究センターが存在しており、バクダードにバイト・アル・ヒクマ(知恵の館)があった[13]。

中世ラテン科学[編集]

イスラームで発展した先進の諸知識(フィロソフィア、現代で言う「科学」を含む)は、12世紀ころになると、大量のアラビア語文献がラテン語に翻訳される形で中世ヨーロッパ世界に導入されるようになりはじめた[17](この大翻訳運動を12世紀ルネッサンスとも言う[17])。それによってイスラーム世界に継承されていた古代ギリシャの知識が流入するようになり、それまでヨーロッパの人々はアリストテレスを知らなかったのであるが、アラビア語からラテン語へ翻訳された形で接するようになった。(また、数は少ないが、直接ギリシャ語からラテン語に翻訳された文献も一部にはあった[17]。)

13世紀になると、上記のごとく流入してきたアリストテレス的学問がキリスト教的に解釈しなおされて、キリスト教的なアリストテレス主義の哲学(学問)体系が現れた[17]。これはスコラ哲学と呼ばれる。中世の学者らはアリストテレスの用語や概念で思索を行うようになったのである。  

この中世ヨーロッパの学問(スコラ学)に含まれる(現代で言うところの)科学関連の知識を抽出したものは、それの記述に用いられていた言語(=ラテン語)にちなんで中世ラテン科学と呼ばれることがある[17]。

この「中世ラテン科学」の傑出した人物としてはアルベルトゥス・マグヌスとトーマス・アクイナスを挙げることができる[17]。同時代、イギリス側ではロジャー・ベーコン(1214 - 1294)が当時世界の最先端にあったアラビア科学の文献を読み、当時のヨーロッパとしては珍しく、実験や観察を重視した。ビュリダン(1295頃 - 1358)はインペトゥス理論を構築した。

近代科学[編集]

前述のごとくscientiaないしscienceという用語は、もともと単に”知識”という意味であり、17世紀当時でもきわめて広義に用いられていたので、今日的な意味での「近代自然科学」の意味で使う人が現れた時期がいつなのか探るのは困難であり、せいぜい、"精密自然科学が成立したのと同時"というほかはないという[8]。つまり、その時期に現代で言うところの精密科学的な活動をする人が一部現れたのだから、scientiaという言葉がそれを指す場面もあらわれたのではないか、語にそういう意味が加わったと見なすことも可能ではあろう、という程度のことである。ごく一部、例えば学問基準を定めようとしていたトーマス・ホッブズが自著の中でscientificusという言葉を用いた時の用法が、現代風の精密科学という意味にいくらか似ているとはいう。だが、その事例ですら「論証的学問」という意味も引きずっていたといい、やはりはっきりしない[18][19]。

20世紀の歴史学者ハーバート・バターフィールドは、17世紀のヨーロッパにおいて、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち実験(冒険)という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為が形成されたとした。バターフィールドはこれを「科学革命」と名付け、人類史上における一大画期であるとして高い評価を与えた[20]。

非西洋科学[編集]

長らく西洋より高度な水準にあった中国科学は、天文学や物理学などの領域では17〜18世紀頃に西洋科学に並ばれ、ついには追い抜かれもした。だが、対象が生命に関する領域や、有機体論的な性格を帯びた領域では、単純に西洋が優れているわけではない[21]。特に医学の領域である。そうした、中国の科学が優れた分野として、例えばニーダムは中医学の鍼療法を挙げている[21]。中国や日本における臨床結果から一定の効果があることが知られていて、症状によっては西洋医学でも治せないものが、鍼療法でなら治せるというものがあるが、西洋医学の理論体系では鍼療法がなぜ効くのかその原理をうまく把握することが出来ないでいる[21]。それがなぜ効くのかの解明は、中国・日本などの協力でなされなければならない[21]、と佐々木は述べた。

中国科学の体系を西洋科学では把握することができないのである。西洋医学は西洋的な考え方をし、東洋医学は東洋的な考え方をしているという。(素朴な人は“科学は事実を記述している”などと思うが、それは一種の幻想なのであって)考え方・理論が異なると、同じ症状を眼の前にしても、解釈が異なり、異なった姿が描き出されることになる[22]。症状が同じでも、考え方が異なると、そこに別の病気の実態を見ているのである[22]。他の理論体系を理解するには、まず、ものの見方・考え方によって森羅万象が異なった姿に見えてくる、ということに気付くことが第一歩になる[22]。それはちょうど、同じ風景を見て描いても描く人によって全然異なった風景画ができあがるのと同じようなことだという[22]。からだを見る見方にも、《関連する一連の構造物》と見なす観点と、《相互に依存しあう一連の機能》と見なす観点があるが、西洋医学は構造物と見てしまう傾向があり、東洋医学は機能に着目する傾向がある[23]。中医学は、構造にあまり重きを置かなかったおかげで、そのかわりにからだの諸機能同士の関係を明らかにしてきた歴史があり、そのおかげで患者の健康を増進させることができたのである[23]。

《構造物》にばかりこだわる者たちは、無思慮なことに、大切な免疫器官を破壊してしまったのであり、《機能》を重視する東洋の医学者・科学者は、それらの器官の有益な働きを増強する具体的な方法を開発した[23]とワイルは指摘した。

また、西洋でデカルトなどが主張した結果18〜19世紀に人々に広まってしまった(内的な力を無視し、外的な力ばかりにこだわる思考様式としばしば関連のある[24])機械論というパラダイムに問題があると指摘されることもあり[25]、さらに機械論に加えて西洋医学の還元主義というパラダイムも問題だと指摘されており、(還元主義は、ただの絵空事のドグマ(=教義)としては成立するかも知れないが[26])本物の生命を相手にする臨床の場においては全然間違っていて、非常に問題があるものだ、との指摘されることもある[26]。

日本語における「科学」[編集]

「科学」という言葉が持つ意味の変遷[編集]

「科学」という語は、中国では、12世紀に南宋の陳亮という人が科挙で試される学問「科挙之学」の略語として使ったことが知られている。しかし科挙の意味は、科目ごとの試験によって官吏(かんり)を選ぶという意味であった。 これが日本に入ってきたと言われている[27]。 

幕末から明治にかけての日本では、中国語を借りて「科學」という語が使われはじめた。井上毅(『学制意見案』1871年)、福沢諭吉(『学問のすすめ』)1874年、西周(『明六雑誌「知見四」』1874年)に「科學」という言葉が使われている[27]。 (字体は新字体の採用により「科学」と書くようになった。) ただし日本語で「科学」という用語は、自然科学のために排他的に使われた言葉ではなく、一般に「個別学科」を意味していた[28]。

明治元年には福澤諭吉が執筆した日本初の科学書である『窮理図解』が出版されている。また、明治時代に science という語が入ってきた際、啓蒙思想家の西周が、その訳語として「科学」を当てた[29]。

明治が進み、日本で学問教育体制が整うにつれて、「科学」という用語は、今日的な意味での「近代自然科学」という意味で用いられ定着していった。 更にその使い方が中国に伝播して、中国でもサイエンスの意味に使われるようになったと考えられている[30]。

英語、フランス語のscienceの訳語としては、「理学」という言葉も用いられた。これは、近代日本で自然科学の高等教育を授ける場の「理学部」、学位の「理学博士」などの制度的名称として残っている(尚、フランスで教育を受けた中江兆民はphilosophie(philosophyのフランス語)に「理学」という訳語を与えたが、他の訳語の「哲学」のほうが定着した)。

また、明治時代の日本では「理学」は、(今日で言う)自然科学と工学を総称する言葉であった[31][28]のであり、今日で言う「科学技術」に似た意味を持っていたことになる[28]。東アジアに西欧近代科学が体系的な形でもたらされたのは19世紀後半であったが、ちょうどこの時期ヨーロッパやアメリカでも科学と技術の融合が進み、そのような状態で科学と技術を受容した東アジア諸国の人々は科学と技術を簡単には識別できなくなった[32]。

近代科学が導入された当時の日本の事情[編集]

自国において科学を成熟させ、制度化して専門分化させてきた西洋諸国(特にドイツ)と違い、明治政府はそれらの「科学」(すなわち「分科の学」)を導入していった経緯を持っている[33]。 

当時の日本の国家戦略が確定した経緯として、伊藤博文が起こした「明治十四年の政変」がある。 これは当時、イギリスとフランスをモデル国家にしようとしていた自由主義派と、ドイツ帝国、中でもプロイセンをモデル国家にしようとする、天皇制絶対主義派があり、伊藤博文が主導して自由主義派を追い落とした政変で、これにより日本はドイツのプロイセンをモデルとする方向に定まった。 明治政府は近代国家をめざして、1877年に東京大学を創立し、1886年には、それを西欧科学導入を目的として「帝国大学」の名で再編したが、その際「ドイツ近代大学」がモデルとされたのはそういう理由からである[34]。

イギリスでは別の学問モデル(個別学問分野での専門的研究を中心とするのではなく、全人教育)を採用していたのに対して、ドイツ学者は自分が従事する学問の意味を深く問うこともなく、特定分野で業績をあげることばかりを追求し、他の学問分野については驚くべき無知さをあらわにしつつあった(と当時のイギリス人が観察していた)[35]。

ヨーロッパでは、文化・学問はしっかり根があり、系統立っている(ササラ型の)構造であるのに対し、日本では、共通の根を切りすててしまい、狭い分野に独立して独創的研究で成果をあげる事が求められる(タコツボ型の)構造になっているのには上記のような歴史的事情による[36][35]。

科学的手法[編集]

「科学的方法」も参照

科学的手法とは、ある事物や現象を説明するにあたり、考えられる様々な仮説から、再現性を持つ実験や観測を行い、その結果に矛盾しない説明を選びだすプロセスの事である。 科学的説明には、用いた実験方法や測定方法が公開され、第三者に検証される事が重要である。 また、実験や測定には、ある程度の精度がある事が望ましいとされる。

科学と非科学の境界設定[編集]

詳細は「線引き問題_(科学哲学)」を参照

何が科学で何が科学でないのか、数世紀におよぶ議論は混沌としていたが、20世紀前半の科学哲学者カール・ポパーが反証可能性の概念を提示し、それを条件とすることで理論が科学(彼が考える狭義の科学)に属するかそうでないかを線引きできることを示してみせた。混沌とした議論に悩まされ続けていた科学者らの中には反証可能性の概念や反証主義をひとつの解決策として歓迎する人が多かった。現在でも、これを科学と疑似科学とを区分する基準として採用する人は多い [37]。

(ただし、ポパー流の視点に基づけば、「光の速度は不変である」という仮説をおくことは、観察によって反証することが可能なので、科学たりうる。一方、ジークムント・フロイトの精神分析学やカール・マルクスのマルクス経済学は、観察によって反証するすべを持たないので、これら科学とは呼べないことになる。)

こうしたポパーの科学観に対しては1960年代から批判が加えられるようになった。その代表は科学史家トーマス・クーンのパラダイム論である。パラダイム論によれば、観察は、データを受動的に知覚するだけの行為ではなく、パラダイムすなわち特定の見方・考え方に基づいて事象を能動的に意味付ける行為である。従って、パラダイムそのものは個別の観察によって反証されるのではなく、別のパラダイムの登場によって「パラダイムシフト」の形で覆される。

また、科学に属する諸学問は科学的であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。

なお、論理実証主義をベースにし、「検証できないものは科学ではない」と考える科学者も未だに少なくないが、これには論理実証主義それ自体の検証が非常に困難であることをはじめ、数多くの理論的困難に出会い頓挫するため、これを境界の根拠にするのは難しい。

具体的な科学の適用論[編集]

科学の根本的な原理については一部の著名な科学者や科学哲学者らによって活発な議論が行なわれたわけだが、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについては、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを発達させてきた。

物理学や無機化学は、対象の無機的・機械的なレベルでの振る舞いに限定して着目し、実験で同一の現象が再現されることを重視しており、その記述は、一般法則や全称命題が中心である。 天文学や考古学など、実験や冒険による実証が困難な領域においては、十分な観察と分類にもとづき学問を成立させており、これらの学問も科学的な知見として尊重されている。

近代の経済学者たちは、経済学を、ただの蓋然的言説ではなく科学的なものとしようと試みてきた[38]。

生体によって引き起こされる現象を扱う医学、薬学、心理学や、人々の巨大な社会集団を扱う経済学、社会学は、考察対象とする生体や社会そのものが根本的に複雑性や複合性を内包している。これらにおいては個体差が重要な要素となったり、対象が情報を記憶することで内部状態を変化させてゆくものがあり、現象の再現性を問うこと自体が困難である場合が多い。そのため、物理学や無機化学におけるような手法に加え、統計論的な手法やその他の手法も適用されている。

現代における科学的方法に関する一つの指針としては、全米科学振興協会による「すべてのアメリカ人の科学」がある。

科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ(自然の斉一性)。このため予測が「科学的」といえども、絶対的な確信は危険である。論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在により、しばしば裏切られるからである(バタフライ効果、カオス理論、複雑系などをそれぞれ参照)。

自然科学、数学、応用科学[編集]

「自然科学」も参照

19世紀後半以降、science という語は狭義において「自然科学」の意味で用いられるようになった。今日では、多くの局面において「科学」と言えば暗黙裡に「自然科学」を指していることも多い。自然科学は、自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称である。物理学、化学、生物学などの理学と呼ばれる分野と、医学、農学、工学などの応用科学と呼ばれる分野とを含んでいる。なお、今日では便宜上、19世紀以前の自然哲学の諸研究も、自然科学の一部として分類し扱っている。

この背景として、第1に、自然科学においては科学的方法を適用しやすい点があげられる。ただし、科学的方法が適用可能なのは自然科学のみとは限らない。また、一般的には数学は自然科学の一分野として認識されることが多いが、現代の数学は公理を前提とした演繹手続きとして定式化されており、実験や観察を伴わないことから、科学には含まれないとする見方もある。

第2に、産業革命以降、自然科学の一部が技術と結びついた点があげられる。歴史的には、科学は自然の探求として科学者によって担われ、技術は生活の利便を向上させるものとして職人階層によって担われてきた。しかし産業革命以降、自然科学の知識と手法を応用することで、技術は科学技術へと進化し、工業生産性の向上、公衆衛生水準の向上、そして軍事上の優位など、社会に対して巨大な実用的利益をもたらした。同時に、技術進歩のニーズによって科学研究も大いに刺激を受けた。

第一次世界大戦と第二次世界大戦では、科学者は国家によって動員され、化学兵器や核兵器の開発によって戦争の帰趨に影響を与えた。戦後、科学技術政策は国家政策においても重要な要素として取り込まれている。また科学技術の一層の進歩により、科学は社会から遊離した純粋な知的営為として位置づけることは困難となっている。

現代科学の諸問題[編集]

Unbalanced scales.svg この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため偏った観点から記事が構成されているおそれがあります。議論はノートの「現代科学の問題について」節を参照してください。(2010年7月)

科学の肥大化[編集]

池田清彦によれば、18世紀ごろまでは、科学はアマチュアによって行われており、「科学者」という職業はなかった、と言われている。19世紀の終わりから20世紀にかけて、大学に科学系の学部が設置された。 19世紀になると、フランスのエコール・ポリテクニークに代表されるように、科学技術教育の制度化が一部で行われるようになったが、まだ科学は基本的には一部の(大学の専門教育制度を経ていない)天才的な者(ベンツ、デュポン、エジソンなど)によって担われていた。 だが、20世紀になると、軍事力強化、富国強兵などを目指す国家は国策として、科学技術の興隆に力を入れ、それにより若者が高等教育機関に吸い寄せられ、養成機関を経て科学者や技術者になる者ができる制度ができた(科学の制度化)。それにより科学の探究が職業化するという現象が起き(科学の職業化)、同時に科学に「天才の科学」から「凡人の科学」への転換が起きたという。 つまり、科学をあくまで「身すぎ世すぎ」(生活費を稼ぐこと)のための道具とする人々が出現することになった。科学に必要な興味が無くなっても、才能が枯渇しても、そもそも才能が足りなくても、おいそれとは研究をやめるわけにはいかないというような人々が出現したのである[39]。

20世紀を通して成長した科学は、技術と一体化し、エレクトロニクス、情報通信技術、生命科学技術などの分野でそのメリットが認められ、拡大の一途をたどってきた。それにともない、科学研究に投入される資金の額は増加の一途をたどってきた。科学コミュニティのメンバーの数がみるみる増大し、各メンバーが使う資金や各メンバーの人件費の総額も加速度的に大きくなってきたのである。だが、その結果、社会・国民が供給可能な資金・資源には限界があることは直視せざるを得ないようになっている。科学研究を行うということは資源や資本の使用が伴うが、現代の科学が使っている資源・資本の量はすでに社会が供給できるものの限界に迫りつつある [40]。

池田清彦は「科学は資金面に関しては、社会の寄生虫のようなもの」と表現している[41]。 また、「現代科学は、自己増殖という欲望をもつ生命体に似ている。ひとたび科学のある専門分野が巨大化の道をたどり始めると、これを止めるのは容易ではない。(科学が巨大化すると)そこにつぎ込まれるカネが膨大になるわけだから、それで食ってる奴が大勢でてくる。関係者にとってみれば、巨大科学がつぶれるかどうかは死活問題であるから、さらなる巨大化のために、あらゆる努力を惜しまないことになる」とも述べている [42]。

また、「巨大科学は、なんだか日本の公共工事に似ている」とも述べている。かつてはそれなりの経済効果があったが、最近では意味がないものが多く、借金だけが累積するという最悪の構造になっている。(土木事業の例だと)もうかるのはゼネコンとそれに癒着した政治家だけであり、国と地方自治体の借金は膨大になっており、国民が税金を徴収される形でそれを払わなければならない状態であり、「大多数の国民にとってメリットよりデメリットの方がはるかに大きい」と述べている。一度、制度として作られたものを変化させることは、いかなる制度であっても容易ではなく、「公共事業が大変なお荷物になったのと同じように、巨大科学もまた、やっかいなお荷物にならない保証はない」と述べられている [43]。

巨大科学の成果が、(一部の科学関係者にとっての満足を除けば、)普通の人々にとっても、莫大な資金・資源を費やすほどの価値のあるものであるかということは自明ではないとされる。例えば、素粒子の発見などに使うカネがあったら、今この瞬間も苦しんでいるアフリカの難民たちの命を救うべく援助するべきだろう、と普通の人々は考えているかも知れないのであり、巨大科学などに費やしたりせず、「(そもそもは自分のお金であった)税金を返せ」と普通の人は思っているかも知れないのである [44]。

科学者には、"学術雑誌に沢山論文を書いた学者に、地位と報酬を与えるのは当然だ"といった考えが深く染み付いているのだろうが、それはあくまで科学者仲間の内部にしか通用しない理屈であって、科学のパトロン(特別なこととして資金を提供している側)である社会・国民は、それで納得するとは限らないとも指摘されている [45]。

また、「科学」という名のシステムの内部でパイの奪い合いが起きている[46]とされている。

池田清彦は次のように説明する。(税金の名目で)国家(政府)に集められたお金が支出されるとなると、このお金を誰が使うか、誰が自分の懐に入れるか、ということについて競争が起きる。名目上(あるいは建前として)このお金は国民の福祉に使われることになっている。すると、もっともらしいお話が作られなければならないなどと考える者が出てくる。「直接的な市場価値を有さない基礎科学の場合、これはほとんどウソつき競争のようになってくる可能性が高い」と池田清彦は述べている。例えば、発生学の研究者が"自分の研究が将来、ガンの治療や老化の防止に役立つ"と言って、(元は国民が払った税金の)研究資金を得て、研究を行い、後でその研究がガンの治療や老化の防止に全く役立たない、と判明しても、解雇もされないし、咎められない(このような事は民間企業では許されない)。 おまけに、この資金で論文を数篇書けば、科学者仲間では評価が高くなるのだという。だが、このような社会をゴマかすやり方、国民全体を欺くようなやり方が、いつまでも通用するかどうかは明らかではないと池田清彦は述べている [47]。

科学者による不正行為[編集]

上述のとごく、社会(国民)が供給できる資金には限りがあり、その資金で雇うことのできる科学者の数、ポストの数は限られている。ところが、科学システムの拡大を指向する科学コミュニティはメンバーを累増させるべく様々な活動を行い、大学は大学院生の数を増やし続けてきた。その結果、科学者になろうと計画し大学院を出た者の多くは容易に職に就くことができず、数年ほどポストドクターとして働くことはできても、その後の未来が不透明な状態になっている。

このような者たちは、“専門家として生き残るためには、何らかの「業績」を示し、それにより評価されることで研究資金を供給されなくてはならない” などと考えることになる。現代の制度化された科学システムは、一度糸口をつかむと、流れに乗ることができるような構造があるが、成果は必ずしも努力に見合うような形で得られるものではない。このような状況で焦りに駆られて、研究におけるデータの偽造やねつ造を行う研究者が、近年目立つようになっている[48]。

研究者が、科学の研究において行うデータの偽造や研究の捏造は「科学における不正行為」と呼ばれている。

諸問題関連項目[編集]
巨大科学
科学における不正行為

関連項目[編集]
複雑系
非線形科学
全体論
有機体論
非局所性

脚注[編集]

[ヘルプ]

1.^ a b c d 佐々木力 1996, p. 23.
2.^ http://www.etymonline.com/index.php?term=science&allowed_in_frame=0
3.^ a b c d e 佐々木力 1996, p. 8.
4.^ 古代ギリシャ当時の「フィロソフィア」は、今日の日本人が「哲学」という語を聞いた時に専ら連想するものとはいささか異なっていたのである。
尚、知的な探求や学術的な探求に「フィロソフィア」の語を用いる伝統は現在に至るまで続いている。現在でも通常、欧州や米国で博士号を取得した時に得られるタイトルは、物理学の博士号を取得した時も含めて英: Doctor of Philosophy(=「Ph.D. 」(英語圏の例)あるいは「D.Phil.」)であり、「フィロソフィア」が各国語に翻訳された語が入ることが一般的である。
5.^ a b c 佐々木力 1996, p. 28.
6.^ a b 佐々木力 1996, p. 4.
7.^ 中世ヨーロッパではscientia naturalis(スキエンティア・ナトゥーラーリス)という表現は一応存在し、「自然に関する知識」のことで「自然哲学」とほぼ同じ意味で用いられていたとはいう。(佐々木力 1996, p. 4)
8.^ a b 佐々木力 1996, p. 5.
9.^ 「エピステーモニコス」は「エピステーメー」と同系統の語である。
10.^ アンドレ・ピショ『科学の誕生〈上〉古代オリエント 』、せりか書房、1995年、ISBN 4796701923
11.^ アンドレ・ピショ『科学の誕生〈下〉ソクラテス以前のギリシア 』、せりか書房、1995年、ISBN 479670194X
12.^ 平田寛『図説 科学・技術の歴史―ピラミッドから進化論まで 前約3400年‐1900年頃』、朝倉書店、ISBN 4254102038
13.^ a b c d e 佐々木力 1996, p. 30.
14.^ 都築洋次郎『世界科学・技術史年表』、原書房、ISBN 4562021918
15.^ 世界大百科事典
16.^ 佐々木力 1996, p. 28-29.
17.^ a b c d e f 佐々木力 1996, p. 31.
18.^ 具体的には、トーマス・ホッブズの『物体論』で「幾何学はscientificusであるが、倫理学はscientificusではない。」という表現が見られることである。
19.^ 佐々木力 1996, pp. 5-6.
20.^ ハーバート・バターフィールド著、渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』、講談社学術文庫、1978年
21.^ a b c d 佐々木力 1996, p. 93.
22.^ a b c d 三浦於菟 1996, p. 2.
23.^ a b c weil 1999, p. 27.
24.^ (注)デカルトは一方で懐疑論を唱えながらも、他方、その実は素朴実在論で世界を見ており、モノは外からゴツンとぶつからなければ動きに変化はない、というような固定観念にとらわれていた。(その結果、渦動説を唱えた。)デカルト個人の素朴な考え方が西洋の学問の世界で後の時代にまで影響を及ぼすことになった。
25.^ *手島 恵「連載 ものの見方・考え方と看護実践(2) 新しい世界観とは何か?」1998年 [1]
26.^ a b 『21世紀の医学・医療 日本の基礎・臨床医学者100人の提言』日経BP社、1995年
27.^ a b 佐々木力 1996, p. 3.
28.^ a b c 佐々木力 1996, p. 18.
29.^ 佐々木力 『科学論入門』、岩波新書、1996年、ISBN 4004304571
30.^ 佐々木力 1996, pp. 3-4.
31.^ 辻哲夫『日本の科学思想 - その自立への模索』1973年
32.^ 佐々木力 1996, p. 20.
33.^ 佐々木力 1996, p. 15.
34.^ 佐々木力 1996, pp. 14-17.
35.^ a b 佐々木力 1996, p. 17.
36.^ 丸山眞男『日本の思想』1961
37.^ 伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』、名古屋大学出版会、ISBN 4815804532 など
38.^ 佐々木力 1996, p. 7.
39.^ 池田清彦 2006, pp. 150-152.
40.^ 『科学の社会科シンドローム』p.3-5
41.^ 池田清彦『科学とオカルト』p.182
42.^ 池田清彦 2006, pp. 179-, 「巨大科学の問題点」.
43.^ 池田清彦 2006, p. 181.
44.^ 池田清彦 2006, p. 179.
45.^ 池田清彦『科学とオカルト』p.182「問われる市場価値」
46.^ 石黒武彦 2007, p. 5.
47.^ 池田清彦『科学とオカルト』p.184-p.185
48.^ 石黒武彦 2007, pp. 6-7.

参考文献[編集]
佐々木力 『科学論入門』 岩波書店、1996年。ISBN 4004304571。
池田清彦 『科学はどこまでいくのか』 筑摩書房、2006年。ISBN 978-4480422811。
石黒武彦 『科学の社会化シンドローム』 岩波書店、2007年。ISBN 978-4000074711。
三浦於菟 『東洋医学を知っていますか』 新潮社、1996年。
Weil, Andrew 『心身自在』 上野 圭一訳、角川書店、1999年。
ハーバート・バターフィールド著、渡辺正雄訳 『近代科学の誕生』、講談社学術文庫、1978年
石黒武彦『科学の社会化シンドローム』岩波書店、2007年 ISBN 4000074717
トーマス・サミュエル・クーン著、常石敬一訳 『コペルニクス革命―科学思想史序説』、講談社学術文庫、1989年
アラン・チャルマーズ著、高田紀代志・佐野正博訳 『科学論の展開―科学と呼ばれているのは何なのか?』、恒星社厚生閣、1985年(新版)
ジョン・デスモンド・バナール著、鎮目恭夫訳 『歴史における科学』全4巻、みすず書房、1966年
村上陽一郎編 『現代科学論の名著』、中公新書、1989年
ハンス・ライヘンバッハ著、市井三郎訳 『科学哲学の形成』、みすず書房、1985年

関連項目[編集]

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外部リンク
小山慶太「科学」(Yahoo!百科事典)
カテゴリ: 哲学の主題
科学
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超弦理論 - W(保存)

虎馬:超弦理論 - W 

この記事の正確性に疑問が呈されています。問題箇所に信頼できる情報源を示して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2007年7月)
カラビ-ヤウ空間   弦理論    Calabi-Yau-alternate.png    理論   概念
関連項目    科学者

超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。

宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。
目次 1 概論 2 基本的な説明 3 宇宙論への応用 4 歴史 4.1 カルツァ=クライン理論 4.2 弦理論初期
4.3 第1次ストリング革命 4.4 第2次ストリング革命 5 現状 5.1 問題点 6 脚注 7 参考文献 7.1 原論文
7.2 教科書 7.3 読み物 8 関連項目 8.1 関連理論 9 外部リンク

概論
超弦理論が登場する以前に最も小さなスケールを記述した理論は場の量子論である。そこでは粒子を点、すなわち点粒子として扱ってきた(局所場の理論に代わる、広がりを持った粒子の概念を導入したS行列理論や非局所場理論などもあった)。一方、超弦理論では粒子を弦の振動として表す。1960年代、イタリアの物理学者、ガブリエーレ・ヴェネツィアーノが核子の内部で働く強い力の性質をベータ関数で表し、その式の示す構造が「弦 (string)」によって記述されることに南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセンらが気付いたことから始まる。

弦には「閉じた弦」と「開いた弦」の2種類を考えることができ、開いた弦はスピン1のゲージ粒子(光子、ウィークボソン、グルーオンなどに相当)を含み、閉じた弦はスピン2の重力子を含む。開いた弦の相互作用を考えるとどうしても閉じた弦、すなわち重力子を含まざるを得ない。そのため、強い力のみを記述する理論と捉えることは難しいことが分かった。

逆に言えば、弦を基本要素と考えることで、自然に重力を量子化したものが得られると考えられる。そのため、超弦理論は万物の理論となりうる可能性がある。超弦理論は素粒子の標準模型の様々な粒子を導出しうる大きな自由度を持ち、それを元に現在までに様々なモデルが提案されている。

このように極めて小さい弦を宇宙の最小基本要素と考え、自然界の全ての力を数学的に表現しようというのが、いわゆる弦理論(超弦理論、M理論を含む)の目指すところである。

この理論の想定する「ひも」の大きさが実証不可能に思えるほど小さい(プランク長程度とすると 10-35m)ことなどから、物理学の定説としての地位を得るには至っていない。また今後実証されるかどうかも未知数の理論である。

基本的な説明

一般相対性理論と量子力学の折り合いをつけた理論(量子重力理論)を構築することは、物理学者を悩ませていた大問題であった。超弦理論は、その問題を解決する可能性をもった理論である。

超弦理論には5つのバージョンがあり、それぞれタイプI、IIA、IIB、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8と呼ばれる。この5つの超弦理論は理論の整合性のため10次元時空が必要である。空間の3次元に時間を加えた4次元が、我々の認識する次元数である。我々が認識できない残りの6次元は、量子レベルでコンパクト化され、小さなエネルギーでは観測できないとされる[1]。また、11次元超重力理論をその低エネルギー極限に含んだM理論は更に1次元を加えて合計11次元を必要とする[2]。これら6つの理論は様々な双対性によって互いに繋がっている[3]。超弦理論の5つのバージョンを統合するものとしてM理論が注目されている。

弦の振動は、コンパクト化されている6次元により制約を受け、その振動の形により、特定の量子を形作っている。超弦理論では基本的物体は1次元の弦であったが、M理論では加えられたもう1次元によって基本的物体は2次元の膜であると提唱されている。

また超弦理論で表記される10次元中にはDブレーンと呼ばれる様々な次元の拡がりを持ったソリトンが存在する。Dブレーンは、もともと1次元の弦が端点を持ちうる空間として定義されているものだが、重力子等の閉じた弦はこの空間に依存せずにブレーン間を往来する。

超弦理論は重力の量子論の有力な候補であり、現時点でも特殊な条件の下でならブラックホールのエントロピーに関する問題に答える事ができる。ブラックホールのエントロピーは表面積に比例しているが、この事実をDブレーンに張り付いた弦の状態を数え上げる、という方法で導き出している。これは熱力学のエントロピーを統計力学の手法で導き出すことに対応している。

宇宙論への応用

ブレーン描像を宇宙論に適用した理論は、ブレーンワールドと呼ばれ、典型的な模型では我々はこのブレーンの上に住んでいることになる。またこのモデルでは、量子力学で使われる3つの力に対して、何故重力が極端に弱いのかを説明がつけられるとしている。つまり、他の3つの力、即ち、電磁気力(電磁力ともいう)、弱い力、強い力に比較して弱いのは、他の次元にその大半が逃げてしまっているためと考えられる。

これに関連して、例えば宇宙論のインフレーションをブレーンの運動で捉えるなど、様々な研究がなされている。なお、ビッグバンは我々の存在する宇宙が所属する膜と他の膜の接触によるエネルギーが原因で起こったとするモデルもあり、エキピロティック宇宙論と呼ばれている。通常のインフレーションを導出しようとする試みも進行中である。

歴史   [icon] この節の加筆が望まれています。

カルツァ=クライン理論

詳細は「カルツァ=クライン理論#歴史」を参照

超弦理論は10次元時空でのみ理論が定式化されるため、超弦理論に基づいた多くのモデルでは、現実の4次元時空を導くために「カルツァ=クライン理論」のアイデアを応用している。

1919年、テオドール・カルツァは5次元時空上での一般相対性理論(重力)を、4次元時空では、マクスウェル方程式(電磁気力)を考えるという理論の元となるアイディアをアルベルト・アインシュタインへの手紙の中で明らかにした。論文はしばらくアインシュタインの机の中にあったが、その後アインシュタインの助力を得て1921年に発表された。

1926年になって、オスカル・クラインがカルツァの理論を修正して五次元時空の理論に余剰次元を非常に小さなスケールに折りこむというコンパクト化の理論を組み込んだ理論を発展させ、カルツァ=クライン理論として知られるようになった。

弦理論初期

詳細は「弦理論#歴史」を参照

1950年代末から1960年代にかけて強い相互作用をする粒子(ハドロン)が多く発見され、それらの分類とその構成の成り立ちについての考察が始められた。超弦理論の元となった弦理論は、こうした粒子間に働く強い力の性質を記述するために考え出された。

まず、1950年代はじめにトゥーリオ・レッジェは、ハドロンの散乱実験において、共鳴状態の静止質量の2乗とスピンとの間に直線関係があることを見出した(レッジェ軌道)。1968年にイタリアのガブリエル・ヴェネツィアーノは、レッジェ軌道を再現する非常に簡単な公式で「散乱振幅」として表現した(ヴェネツィアーノ振幅)。

その公式を元に、ハドロンは振動する弦であると発表したのが、1970年の南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセンである。それぞれ独立に発表された彼らの弦理論では、ハドロンは粒子ではなく振動する弦から構成され、粒子はそれぞれの振動モードに対応するというものであった。ただしこの理論では、弦の振動に理論の不安定性を表すタキオンが含まれるという欠陥が内包されていた。

南部らの弦理論ではボース粒子のみを記述していてフェルミ粒子は扱えないという問題もあったが、当時はフェルミ粒子を含めてボース粒子以外の記述を弦理論を拡張することで解を得ようという学者は少数派であった。1971年に、フランスのP.ラモン、A.ヌヴォ、アメリカのJ.シュワルツの3人によってボース粒子とフェルミ粒子の両方が扱える模型が提唱された。この模型が、超弦理論へと発展していくことになる。

第1次ストリング革命

1984年、グリーンとジョン・シュワルツによって、10次元の超重力理論および超弦理論でアノマリーのない理論が存在することが示されると、超弦理論は脚光を浴びるようになった。 特にE8×E8のゲージ場を含むヘテロティック超弦理論において、理論の定義される10次元のうち余分な6次元をカラビ-ヤウ多様体でコンパクト化した理論は、低エネルギーで \mathcal{N}=1 の超対称性を持つ理論が導かれ、重力を含む統一理論の候補として盛んに研究された。

しかし、余分な6次元がコンパクト化されるメカニズムが不明であること、コンパクト化として可能な多様体の種類が無数にあり、その中から1つを選び出すことが摂動論の範囲では不可能であることなどの困難が存在した。

第2次ストリング革命

1995年、 ポルチンスキーによりDブレーンが超弦理論のソリトン解であることが示され、また、ウィッテンによりこれまで知られていた5つの超弦理論を統一する11次元のM理論が提唱されると、超弦理論は再び脚光を浴びることとなった。この2つは、それまでに予想されていた種々の双対性(S双対性、T双対性)と組み合わせることで、これまで摂動論の範囲でしか定義されていなかった超弦理論の非摂動的な性質の理解を深めることとなった。また、Dブレーンの低エネルギーでの性質は超対称ゲージ理論で記述されるため、ゲージ理論を用いて超弦理論の性質を調べること、逆に、Dブレーンの適当な配位を考えることでゲージ理論の非摂動的な性質を調べることが可能となり、精力的に研究された。

このDブレーンは、ブラックホールのエントロピーの表式を統計力学的に導出する際にも用いられ、超弦理論が重力の量子論であることの傍証となった。また、マルダセナによるAdS/CFT対応は、まったく別の理論である超対称ゲージ理論と超重力理論が、ある極限のもとで等価となることを予想し、超弦理論や重力理論、ゲージ理論に対して新しい知見を与えることとなった。

現状

超弦理論は、現時点では観測や実験事実を説明するまでには至っていないが、上記のようなブラックホールの問題への回答、宇宙論や現象論の模型への多大な影響、そしてホログラフィー原理の具体的な実現など、その成果を挙げるにはいとまがない。超弦理論に懐疑的な発言をしていたスティーヴン・ホーキングも、近年は超弦理論の成果を用いた研究を発表している。

一方で、Not Even Wrong[4](邦訳:ストリング理論は科学か)[5]を執筆したPeter Woit、The Trouble With Physics(邦訳:迷走する物理学)[6]を執筆したLee Smolinのように、超弦理論は現実的に検証不能なだけでなく、物理学研究全体に有害であるとする反対派・懐疑派も存在している。

問題点
1.『超弦理論』では現在のところ観測されていない10次元といった多数の次元を必要とする点で問題がある。超高エネルギーでの実験が可能ならばそのような次元を直接確認し、理論を検証できる可能性があるが、21世紀初頭の技術的展望では不可能だとされている。
2.超対称性理論と同様に、現在観測されている素粒子の倍程度の新粒子の存在を予言する。
3.重力の量子論の有力候補とされているものの、現在の超弦理論は背景依存の理論形式であり、背景独立でない理論は真の量子重力理論にはなり得ないという批判がある。
4.カラビ-ヤウ空間の形状などに依存して、膨大な数の超弦理論が存在し得る。そのようなパラメータを調整して、我々の宇宙の物理法則と適合する超弦理論を選び出すことは計算量の面から非常に困難なことが判明している。膨大な数の超弦理論が、それぞれ別の宇宙を表すとの考え方もあるものの、我々の宇宙の法則を得られなければ、実用理論としては意味が無いかもしれない。

このため超弦理論を物理学の仮説として扱うことに疑問を持つ物理学者も多い。また弦理論の業績に対しては現在のところノーベル物理学賞は与えられていない。弦理論に重要な貢献を果たした南部陽一郎、デビッド・グロスらは別の業績で受賞している。

しかしながら、現在も探求が行われている分野でもあり、かつまた、その研究の発展は数多くの大統一理論及び、超統一理論の候補の1つとして、今も数多くの研究が行われている。

脚注  [ヘルプ]

1.^ 矢沢サイエンスオフィス 『最新素粒子論』 学習研究社、1990年、77〜79頁。
2.^ ブライアン・グリーン; 林一・林大訳 『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』 草思社、2002年、383〜384頁。ISBN 4-7942-1109-0。
3.^ ブライアン・グリーン; 林一・林大訳 『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』 草思社、2002年、398〜401頁。ISBN 4-7942-1109-0。
4.^ Woit, Peter (2006). Not Even Wrong. Jonathan Cape. ISBN 978-0224076050.
5.^ ピーター・ウォイト 『ストリング理論は科学か』 松浦俊輔訳、青土社、2007年。ISBN 978-4-7917-6369-6。
6.^ リー・スモーリン 『迷走する物理学』 松浦俊輔訳、ランダムハウス講談社、2007年。ISBN 978-4-270-00292-6。

参考文献

原論文

1992年以降の論文のプレプリントは、arXivのhep-thセクションで読むことが出来る。日本国内からは、京都大学基礎物理学研究所のミラーを使うことが推奨されている。

教科書
Michael B. Green, John H. Schwarz, Edward Witten (1988). Superstring Theory. Cambridge University Press. ISBN 978-0521357524. - 超弦理論の最初の教科書。
Joseph Polchinski (2005). String Theory. Cambridge University Press. ISBN 978-0521672276.
Joseph Polchinski (2005). String Theory Vol. 2. Cambridge University Press. ISBN 978-0521672276. - D-ブレインの発見者が書いた教科書で、90年代半ばの発展までがまとまっている。
太田信義 『超弦理論・ブレイン・M理論』 シュプリンガーフェアラーク東京〈シュプリンガー現代理論物理シリーズ〉、2002年。ISBN 978-4431709701。 - 著者が大阪大学理学系大学院(前期課程)の講義で使ったノートをまとめたもの。
Barton Zwiebach (2004). A First Course in String Theory. Cambridge University Press. ISBN 978-0521831437.
Elias Kiritsis (2007). String Theory in a Nutshell. Princeton University Press. ISBN 978-0691122304.
Kartin Becker, Melanie Becker, John H. Schwarz (2007). String Theory and M-Theory: A Modern Introduction. Cambridge University Press. ISBN 978-0521860697. - AdS/CFTなどの発展まで触れた教科書。

読み物
Brian Greene, The Elegant Universe, Vintage Books 1999, 2003, ISBN 0-375-70811-1 ブライアン・グリーン(著),林一(訳),林大(訳), エレガントな宇宙 -超ひも理論が全てを解明する-, 草思社 2001, ISBN 978-4794211095

Lisa Randall, Warped Passages -Unravelling the Universe's Hidden Dimensions, Allen Lane, 2005 リサ・ランドール(著), 向山信治(監訳),塩原通緒(訳),ワープする宇宙-5次元時空の謎を解く-, NHK出版 2007, ISBN 978-4140812396

川合光(著),はじめての超ひも理論 -宇宙・力・時間の謎を解く-,講談社現代新書,2005, ISBN 978-4061498136 - 当時、著者が理化学研究所との併任へと移行する時期と重なったため、ルポライターの高橋繁行によって記述が行われた。
ミチオ・カク(著), 斉藤隆央(訳), パラレルワールド -11次元の宇宙から超宇宙へ-, NHK出版 2006, ISBN 978-4140810866
レナードサスキンド(著),村田陽子(訳), 宇宙のランドスケープ -宇宙の謎にひも理論が答えを出す-, 日経BP 2006 ISBN 978-4822282523
橋本幸士(著),UT Physics2 Dブレーン -超弦理論の高次元物体が描く世界像-, 東京大学出版会, 2006, ISBN 978-4130641012
村山斉(著),宇宙は何でできているのか -素粒子物理学で解く宇宙の謎, 幻冬舎新書, 2010, ISBN 978-4-344-98188-1
大栗博司(著),重力とは何か -アインシュタインから調弦理論へ、宇宙の謎に迫る, 幻冬舎新書, 2012, ISBN 978-4-344-98261-1

関連項目
ブレーンワールド - Dブレーン
AdS/CFT対応 - 共形場理論
M理論

関連理論
ゲージ理論 - 標準模型 - 統一場理論 - 超対称性理論
相対性理論 - 超重力理論 - 量子重力理論
宇宙論
数学 - 物理学
非可換幾何学

外部リンク
夏梅誠 (2009年2月4日). “目で見る超弦理論(超ひも理論)”. 超弦理論の解説. 2011年12月27日閲覧。
The Elegant Universe(動画) (英語)

重力理論

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カテゴリ: 弦理論
統一場理論

M理論 - W(保存)

虎馬:M理論 - W 

M理論(えむりろん)とは、現在知られている5つの超弦理論を統合するとされる、
11次元(空間次元が10個、時間次元が1個)の仮説理論である。
尚、この理論には弦は存在せず、2次元の膜(メンブレーン)や5次元の膜が構成要素であると考えられている。
目次 1 低エネルギー極限 2 超弦理論との関係 3 M理論に関する研究の現状 4 その他
低エネルギー極限
この理論の低エネルギー有効理論は、11次元超重力理論となる。この理論に登場する場は重力場(グラビトン場)・グラビティーノ場・3形式場しかなく、
超弦理論の低エネルギー有効理論である10次元超重力理論よりも単純な理論であると言える。
また、登場する場のスピンが2以下である超重力理論の最高次元は11次元である(時間次元が1個と仮定した場合)。
従って、11次元超重力理論は超弦理論が登場する以前、究極理論である可能性があると考えられていた時期もあったが、
その後、繰り込み不可能であり、多様体へのコンパクト化でカイラルな理論が作れないと考えられたため、無視されていた。
1995年、エドワード・ウィッテンによって提唱されたこのM理論は、
11次元超重力理論がもつこれらの難点を克服すると考えられるものであり、
その提唱は第二次超弦理論革命へのきっかけとなった。

超弦理論との関係
超弦理論が1980年代に物理学界で話題になると研究が急速に進み、超弦理論は5つの異なるバージョンに発展してしまった。それらの5つのバージョンの超弦理論はそれぞれ、I型、IIA型、IIB型、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8と呼ばれる。これらの5つのバージョンを統合するのがM理論である。M理論は特にIIA型超弦理論の強結合極限として定義され、さらにこれらすべての超弦理論が双対性によって互いに繋がっていることが示唆されたため、超弦理論よりも根源的な理論と考えられている。ここでの双対性とは、弦の強結合領域と弱結合領域を関係付けるS双対性(strong-weakの略)、空間の極大領域と極小領域を関係付けるT双対性(target-spaceの略)、S,T双対性を結びつけたU双対性(unifiedの略)である。特に、T双対性は極大領域における弦の振動モードと極小領域における弦の巻きつきモードを対応付けるものであり、小さい領域に巻きつくという弦特有の(点粒子には無い)性質が反映されたものになっている。従って、M理論が定式化できた暁には、5つの超弦理論はM理論の一部であると主張されることになるであろう。

M理論に関する研究の現状
現時点ではM理論は超弦理論より更に未完成であり、現実の物理法則に合致するものも得られていないため、最終的に物理理論として成立するか不明瞭である。
数学的な仮説の段階だとも言える。また最近では、M理論を超弦理論よりも深遠な理論であるとすることに疑問を持っている研究者も少なからずいるようである。M理論を定式化するにあたっての特に大きな問題は、2次元の膜を量子化する方法が分からないことであろう。これについては、IIA型超弦理論におけるD0-braneを自由度とした行列模型(flat時空を背景とするBFSS行列模型、pp-wave時空を背景とするBMN行列模型)によってM理論を定式化しようとする動きもあり、研究が進められている最中である。

その他
ウィッテンは、名称の「M」について、2003年のヒストリー・チャンネルのドキュメンタリー番組『美しき大宇宙』の中で「Mは、マジック(Magic)、ミステリー(Mystery)、
メンブレーン(membrane;膜、超弦理論における「ひも」の構成要素)など、その人の好きなものを意味します。」と悪戯っぽく語り、「M」の意味について明確に述べていない。
membrane(膜)は、p-braneなどと派生することもあり、この理論の意味ではbraneと略されることもある。
重力理論

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カテゴリ: 統一場理論

ノーベル賞 - W(保存)

虎馬:ノーベル賞 - W 
受賞対象
物理学
化学
医学生理学
文学
平和
経済学

主催
スウェーデン・アカデミー
スウェーデン王立科学アカデミー
カロリンスカ研究所
ノルウェー・ノーベル委員会


スウェーデン、ノルウェー

初回
1901年

公式サイト
nobelprize.org
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ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞のことである。物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野で顕著な功績を残した人物に贈られる。

目次
1 沿革
2 部門
3 選考
4 資格
5 授賞式 5.1 晩餐会
5.2 その他のイベント

6 授与
7 メダル
8 科学史としてのノーベル賞
9 受賞条件と辞退
10 評価と論争
11 3通の遺言
12 候補者の予想
13 賞に関する記録
14 脚注
15 関連項目
16 外部リンク


沿革[編集]





ノーベルの遺言
ノーベル賞は、スウェーデン語ではNobelpriset、ノルウェー語ではNobelprisen、英語ではNobel Prize(英語発音: [ˈnoubel ˈpraiz] ノウベル・プライズ)と言う。1895年に創設され、1901年に初めて授与式が行われた。一方、ノーベル経済学賞と一般に言われているアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞は、1968年に設立され、1969年に初めての授与が行われた。

賞設立の遺言を残したアルフレッド・ノーベル(1833年10月21日 - 1896年12月10日)はスウェーデンの発明家・企業家であり、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いた。しかし爆薬や兵器をもとに富を築いたノーベルには一部から批判の声が上がっていた。1888年、兄のリュドビックがカンヌにて死去するが、この時フランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」との見出しとともに報道。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになった[1]。1896年12月10日に63歳でノーベルは死去する[2]が、遺言は死の1年以上前の1895年11月27日にパリのスウェーデン人・ノルウェー人クラブにおいて署名されていた[3][4]。

この遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナに及んだ[5]。周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった[6]。その後、彼の遺志を継ぐためにRagnar SohlmanとRudolf Lilljequistがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った[7]。賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされた。1897年4月には平和賞を授与するためのノルウェー・ノーベル委員会が設立され、6月7日にはカロリンスカ研究所が、6月9日にはスウェーデン・アカデミーが、6月11日にはスウェーデン王立科学アカデミーが授与機関に選定されて[8]選考体制は整った。賞の授与体制が整うと、1900年にノーベル財団の設立法令がスウェーデン国王オスカル2世によって公布された。1905年にノルウェーとスウェーデンは同君連合を解消したが、両国分離後も授与機関は変更されなかった.[6]。

部門[編集]

以下の6部門から構成される。
物理学賞
化学賞
生理学・医学賞
文学賞
平和賞
経済学賞(正式にはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)

特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、医学生理学賞の3部門における受賞は科学分野における最大級の栄誉であると考えられている。近年は医学生理学賞と化学賞、物理学賞との境界が曖昧な分野が増えてきている。

複数人による共同研究や、共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合は、一度に3人まで同時受賞することができる。ただし、同時受賞者の立場は対等とは限らず、受賞者の貢献度(Prize share)に応じて賞金が分割される。なお、性質上「複数人による業績」が考えづらい文学賞は例外で、定数は一度に1人と定められている。また、基本的に個人にのみ与えられる賞であるが、平和賞のみ団体の受賞が認められており、過去に国境なき医師団などが受賞している。

選考[編集]





ノーベル文学賞の決定機関であるスウェーデン・アカデミー(2005.08)
選考は「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「医学生理学賞」はカロリンスカ研究所が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会[9]が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。

ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表される。よって「ノーベル賞の候補」というものは公的には存在しないことになるが、「いつか受賞するだろう」と目される人物が各分野に存在するのも事実である。トムソン・ロイターは旧トムソン時代から毎年独自にノーベル賞候補を選定発表している(トムソン・ロイター引用栄誉賞)が、これは近年の論文の引用数などから算出したものである。ただしノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いので、必ずしもこの基準で賞が決まるわけではない。最終選考は発表日当日に行われることが慣例になっており、マスコミの事前予想が難しい所以である。

資格[編集]

1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもあった。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルドが授賞決定発表時に故人であった。

1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。しかし、2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことが後に判明し、問題となったことがある[10]。

ただし、授賞決定発表の後に本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。上記のスタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まった。

授賞式[編集]





ストックホルム・コンサートホールでの授賞式(2010年)
授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、「平和賞」を除く5部門はストックホルム(スウェーデン)のコンサートホール、「平和賞」はオスロ(ノルウェー)の市庁舎で行われ(古くはオスロ大学の講堂で行われた)、受賞者には、賞金の小切手、賞状、メダルがそれぞれ贈られる[11][12]。

晩餐会[編集]

授賞式終了後、平和賞以外はストックホルム市庁舎(1930年まではストックホルムのグランドホテルの舞踏室)にて、スウェーデン王室および約1,300人のゲストが参加する 晩餐会が行われる。平和賞の晩餐会はオスロのグランドホテルで行われ、こちらにはノルウェーの国会、首相および2006年以降はノルウェーの国王夫妻を含めた約250人が招かれる。1979年の平和賞の晩餐会は受賞者のマザー・テレサが「貧しい人にお金を使ってください」として出席を辞退、開催を中止させて、晩餐会に使うはずだった7000USドルの費用はカルカッタの2000人のホームレスへのクリスマスの夕食に使われた。これは現時点で唯一の晩餐会が中止になった例である。

1991年にノーベル賞90周年事業の一環として、晩餐会に使う食器類をすべてスウェーデン製に置き換えようとしたが、カトラリーだけはその複雑なデザイン故に仕上げ研磨ができる技術が国内に無く、カトラリーのデザインを担当したゴナ・セリンが懇意にしていた新潟県燕市の山崎金属工業に依頼した[13]。食器類など受賞式に使う調度品は、普段は厳重に鍵のかかった倉庫に保管されており、ノーベル賞の晩餐会にのみ使用される。 晩餐会で使用されるカトラリーセットは「ノーベルデザインカトラリー」として一般向けにも販売されている。

その他のイベント[編集]

受賞者は受賞後にノーベル・レクチャーと呼ばれる記念講演を行うのが通例になっている。その後、受賞者はストックホルム大学やストックホルム経済大学などの大学の学生有志団体が毎年持ち回りで行うパーティーに出席し、そこで大学生らと希望する受賞者はさらなる躍進を願っていっせいに「蛙跳び」をするのが慣例となっている。

授与[編集]

受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられる。受賞者に与えられる賞金は、ノーベルの遺言に基づき、彼の遺産をノーベル財団が運用して得た利益を原資としている。但し「経済学賞」は1968年に創設され1969年から授与されたが、その原資はスウェーデン国立銀行の基金による。そのため、この賞は正式名称を「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞」としており、厳密にはノーベル賞には含めない場合も多い。

2001年から現在まで賞金額は1,000万スウェーデン・クローナ(約1億円)である。しかしスウェーデンのノーベル財団は2012年6月11日の理事会で、過去10年間にわたって運用益が予想を下回ったこと等を理由として、2012年のノーベル賞受賞者に贈る賞金を2割少ない800万スウェーデン・クローナ(約8,900万円)とすることを決めた[14]。 賞金の配分については、受賞者が2人(団体)の場合は全賞金を折半する。受賞者が3人(団体)の場合は、「1人ずつが単独の研究による受賞」「3人の共同研究による受賞」であれば1/3ずつ分けられ、「1人が単独、2人が共同研究による受賞」であれば単独受賞の人物が1/2、共同受賞の2人が残りの1/2(1人あたり1/4)を得る形になる。

メダル[編集]

受賞時に渡されるメダルは1902年から使用され、ノーベル財団によって商標登録されている。1901年の第1回受賞時にはメダルが間に合わなかったため、第2回からの授与となっている。

メダルには表面にアルフレッド・ノーベルの肖像(横顔)と生没年が記されている。表面のデザインは物理学賞・化学賞・医学生理学賞・文学賞では同じであるが、平和賞と経済学賞では若干異なる。裏面のデザインは賞によって異なるが、物理学賞と化学賞では共通のデザインで、自然の女神のベールを科学の女神がそっと外して横顔を覗いているデザインとなっている。1980年以前のメダルは24Kの純金であったが、落としただけで曲がってしまったり、傷がつきやすいということもあって、現在では18Kを基材として、24Kでメッキした金メダルが使用されている。重量は約200g、直径約6.6cm。

メダルのレプリカは、受賞者本人が上限を3個として作成してもらうことが許可されている。

2010年まではスウェーデン政府の機関が制作していたが、予算削減のため2011年からノルウェーの企業に委託されることになった。しかし国内での製造を望む国民の要望が多かったため、2012年からスウェーデンの民間企業で製造されることが決定した。

ガムラスタンにあるノーベル博物館には、ノーベル賞のメダルを模した「メダルチョコ」が売られており、観光客だけではなく授賞式に訪れた受賞者本人も土産として購入するという。益川敏英はこのチョコを600個も買い込んで話題となった[15]。

科学史としてのノーベル賞[編集]

前述のようにノーベル賞の自然科学分野における受賞者は欧米の研究者を中心としており、1920年代に日本人の山極勝三郎がノミネートされた際には、選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」との発言があったことも明らかになっている[16]。欧米以外の国で研究活動を行った非欧米人では、1930年にインド人のチャンドラセカール・ラマンが物理学賞を受賞したのが最初である。日本人である湯川秀樹、朝永振一郎らがやはり物理学賞で受賞している。

受賞条件と辞退[編集]

ノーベル賞は受賞者が自然人の場合、「本人が生存中」が受賞条件だが、かつてはノミネート時点で生存していれば受賞決定時に死亡していてもよいこととされており、そのケースに当てはまる受賞者には、1931年文学賞のエリク・アクセル・カールフェルトと、1961年平和賞のダグ・ハマーショルドがいる。1973年から、10月の各賞受賞者発表時点で生存している必要があるが、その後死亡しても取り消されないことになり、その規定により1996年経済学賞のウィリアム・ヴィックリーは授賞式前に亡くなっても受賞が取り消されなかった。2011年医学生理学賞のラルフ・スタインマンは受賞者発表の直後に当人がほんの3日前に死亡していたことが判明したが、これには受賞決定後に本人が死去した場合と同様の扱いをし、変更なく賞が贈られることになった。

これまでにノーベル賞の受賞を辞退したのは、ジャン=ポール・サルトル(1964年文学賞辞退)、レ・ドゥク・ト(1973年平和賞辞退)、ゲルハルト・ドーマク(1939年医学・生理学賞辞退)の3人であるが、ドーマクは本人の意思ではなく、ナチスの圧力で強制的に辞退させられただけなので、戦後の1947年に賞を受け取っているため、最終的に受け取らなかったのは前者2名である。

評価と論争[編集]

ノーベルの遺言により、平和賞の選定はスウェーデンの機関ではなくノルウェー国会に委任されている。理由は諸説ありはっきりしないが、当時のスウェーデンとノルウェーは同君連合を組んでいたこと、そして当時のノルウェーには自主的外交権がなかったために平和賞の選考には常に中立性が期待できたことなどが理由と考えられている[17]。

1929年の医学生理学賞はビタミンB1の発見によりオランダのクリスティアーン・エイクマンに贈られているが、エイクマンは米ぬかの中に脚気の治癒に効果のある栄養素(ビタミン)が存在することを示唆したにすぎず、実際にその栄養素をオリザニン(ビタミンB1)として分離・抽出したのは日本の鈴木梅太郎である。

1926年の医学生理学賞は寄生虫によるガン発生を唱えたデンマークのヨハネス・フィビゲルに贈られ、同時期に刺激説を唱えていた山極勝三郎が受賞を逃している。後年フィビゲルの説は限定的なものであるとして覆されている。

ポルトガルのエガス・モニスはロボトミー手術を確立したことで1949年の医学生理学賞を受賞しているが、ロボトミーは効果が限定的であるにも関わらず副作用や事故が多く、またその後向精神薬が発達したこともあり、現在では臨床で使われることはない。モニス自身も実験的な手術を行っただけで、臨床に導入してはいなかった。

文学賞は、過去には歴史書や哲学書の著者にも贈られたことがあったが、1953年にイギリス首相のウィンストン・チャーチルが自著『第二次世界大戦回顧録』を理由に文学賞を受賞したことで選考対象の定義をめぐる論争が起った。結局これ以降は、文学賞の対象は純文学に限られることとなった。

戦争を起こした当事者が平和賞を受賞したこともある。キャンプ・デービッド合意によりエジプトとイスラエルの間に和平をもたらしたことが評価されて1978年の平和賞はエジプトのアンワル・サダト大統領とイスラエル首相のメナヘム・ベギン首相に贈られたが、そもそもその仲介役としてアメリカの重い腰を上げさせるために第四次中東戦争を企画し、イスラエルへの奇襲作戦を主導したのはそのサダト自身だった。結果的にサダトの狙いは的中したが、これは外交手段の一環として引き起こした戦争を恒久的平和にまで持ち込むことに成功した稀な例となった。一方、サダトとベギン両首脳に実に12日間にもわたってワシントンD.C.郊外の大統領保養地キャンプ・デービッドを自由に使わせ、難航する和平会談の成功に奔走したアメリカのジミー・カーター大統領が、この両首脳とともに平和賞を受賞しなかったことに対しては疑問を唱える声が各方面から上がった。そのカーターには2002年になって「数十年間にわたり国際紛争の平和的解決への努力を続けた」ことなどを理由に遅ればせながらの平和賞が贈られている。

平和賞は圧政下における反体制派のリーダーに贈られることがあることから、受賞者の国の政府から反発を受けることがよくある。その例として、ナチス・ドイツの再軍備を批判したカール・フォン・オシエツキー、ソ連の際限ない核武装を批判したアンドレイ・サハロフ、中国に軍事占領されたチベットの亡命政権を代表するダライ・ラマ14世、ポーランド民主化運動を主導した「連帯」のレフ・ワレサ、南アフリカの人種隔離政策を批判したデズモンド・ツツ主教、ミャンマー軍事政権の圧政とビルマ民主化を訴えたアウンサンスーチー、中国の人権侵害を批判し民主化を訴えた劉暁波などが挙げられる。

1958年にノーベル文学賞を受賞したボリス・パステルナークは、ソ連政府の圧力により授賞辞退を余儀なくされた。それでもノーベル委員会は彼に一方的に賞を贈っている。




3通の遺言[編集]

ノーベルの遺言は3通ある[18]。書かれた年次は、順に1889年、1893年、1895年である。1889年の初めて書かれた遺言は破棄されている。

1893年に書かれた2通目は、最も形式が整ったものである。具体的な金額が盛り込まれておらず、遺産分配の割合が記されていた。親類・仕事仲間・友人らへ20%を与え、協会や研究所などに16%を寄付し、残りの64%を基金の設立のためにストックホルムの科学アカデミーに移譲するという内容であった。
16%枠にオーストリア平和協会が入っていて、「平和運動推進のため」使うよう明記されていた。ベルタ・フォン・ズットナーに宛てた言葉と考えられている。
64%枠について、(生理学と医学を除く分野で)業績を残した者に利子を与えること、そして、受賞要件とはしないが、欧州平和裁判所の設立に関して、政府や国家の偏見と、著作や行動で果敢に戦う者は、候補として推挙すること、なお、選考で国籍や性別を問わないことが記されている。

1895年に書かれた3通目は、ノーベルが翌年夏、ストックホルム・エンシルダ銀行に保管した。2通目以前を無効とする旨が明記されているが、2通目との違いは大きく分けて2点ある。1つは個人相続分が具体的な金額で示され、結果として2通目と比べた総額は実質的に1/3程度に縮小された点である。内訳は次の通り。なお、兄ロベルトの子供たち4人その他には生前にそれぞれ2万クローナが振り込まれた。
甥ヤルマー 20万クローナ
甥ルードヴィ 20万クローナ
甥エマニュエル 30万クローナ
ゾフィー・ヘス 年金として26000フローリン
オルガ・ボットゲァー嬢(ゾフィーの妹) 10万クローナ
アラリック・リードベック 10万クローナ
エリーセ・アンツン嬢 年金として2500フラン
アルフレッド・ハモンド 1万ドル
エミー・ウィンケルマン嬢 15万マルク
マリエ・ウィンケルマン嬢 15万マルク
家政婦のゴーシャー婦人 10万フラン
召使アウグスト・オスワルド 年金として1000フラン
アウグストの妻アルフォンセ・オスワルド 1000フラン
元庭師ジャン・レコツ 年金として300フラン
郵便局員デッソル夫人 年金として300フラン
ジョルジュ・ファーレンバック 1899年1月まで毎年5000フラン

2通目との相違における第2点は、文学賞、医学賞、平和賞の選考主体を新たに指定した点である。これらの選考がスウェーデン王立科学アカデミーには難しいとノーベルが考えていたことが推測されている。

なお、3通目の終わりで指名された遺言執行人は、ラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストの2人である。

候補者の予想[編集]

トムソン・ロイターは、同社が運営する代表的なサイテーションインデックス(学術文献引用データベース)のWeb of Scienceの情報に基づいて、ノーベル賞の有力候補者の予想を行っている。2011年の受賞者9人は、全て過去に候補に挙げている[19]。

賞に関する記録[編集]
ノーベル賞を二度受賞した人・団体 マリ・キュリー(1903年に物理学賞、1911年に化学賞)
ジョン・バーディーン(1956年と1972年に物理学賞)
フレデリック・サンガー(1958年と1980年に化学賞)
ライナス・ポーリング(1954年に化学賞、1962年に平和賞)
国際連合難民高等弁務官事務所(1954年と1981年)

ノーベル平和賞を三度受賞した団体 赤十字国際委員会(1917年と1944年と1963年)

親子でノーベル賞を受賞した組 ピエール・キュリー、マリ・キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリーの親子
ジョセフ・ジョン・トムソンとジョージ・パジェット・トムソンの父子
ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグの父子
ニールス・ボーアとオーゲ・ニールス・ボーアの父子
マンネ・シーグバーンとカイ・シーグバーンの父子
アーサー・コーンバーグとロジャー・コーンバーグの父子
ハンス・フォン・オイラー=ケルピンとウルフ・スファンテ・フォン・オイラーの父子

兄弟でのノーベル賞を受賞した組 ヤン・ティンバーゲンとニコ・ティンバーゲンの兄弟

叔父-甥の関係でノーベル賞受賞 チャンドラセカール・ラマンとスブラマニアン・チャンドラセカール

夫婦で共同受賞した組 ピエール・キュリーとマリ・キュリー(1903年物理学賞)
フレデリック・ジョリオ=キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリー(1935年化学賞)
カール・コリとゲルティー・コリ(1947年生理学・医学賞)

親子で共同受賞した組 ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグ(1915年物理学賞)

最年少ノーベル賞受賞者 ローレンス・ブラッグ1915年25歳で物理学賞受賞

最年長ノーベル賞受賞者 レオニード・ハーヴィッツ(2007年に90歳で経済学賞受賞)
レイモンド・デービス(2002年に88歳で物理学賞受賞)
ドリス・レッシング(2007年に88歳で文学賞受賞)
ペイトン・ラウス(1966年に87歳で生理・医学賞受賞)
カール・フォン・フリッシュ(1973年に87歳で医学生理学賞受賞)
ジョセフ・ロートブラット(1995年に87歳で平和賞受賞)

(受賞の決め手となる功績から)最短記録 バラク・オバマ - 2009年4月にプラハで行った「核のない世界」への包括的構想の発表から約半年後の2009年に受賞[20]

(受賞の決め手となる功績から)最長記録 ペイトン・ラウス - 発がん性ウイルスの発見の約55年後の1966年に受賞
エルンスト・ルスカ - 電子顕微鏡の開発の約55年後の1986年に受賞


脚注[編集]

1.^ Golden, Frederic (2000年10月16日). “The Worst And The Brightest”. Time (Time Warner) 2010年4月9日閲覧。
2.^ Sohlman, Ragnar (1983). p. 13.
3.^ Sohlman, Ragnar (1983). p. 7.
4.^ von Euler, U. S. (1981年6月6日). “The Nobel Foundation and its Role for Modern Day Science” (PDF). Die Naturwissenschaften (Springer-Verlag) 2010年1月21日閲覧。
5.^ Abrams, Irwin (2001). p. 7.
6.^ a b Levinovitz, Agneta Wallin (2001). pp. 13–25.
7.^ Abrams, Irwin (2001). pp. 7–8.
8.^ Crawford, Elizabeth T. (1984). p. 1.
9.^ ノーベル平和賞 (Norway - the official site in Japan)
10.^ “ノーベル賞受賞のスタインマン氏、死去していた”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年10月3日). オリジナルの2011年10月5日時点によるアーカイブ。 2011年10月3日閲覧。
11.^ AFP (2013年2月26日). “DNA構造発見のノーベル賞メダルが競売に、米NYで4月”. AFPBB News 2013年6月15日閲覧。
12.^ “About the Nobel Prizes”. Nobelprize.org (2013年1月15日). 2013年6月15日閲覧。
13.^ ノーベル賞との関わり - 山崎金属工業株式会社
14.^ “ノーベル賞の賞金、2割減らします…運用益低迷”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2012年6月12日). オリジナルの2012年6月15日時点によるアーカイブ。
15.^ 益川教授「土産はこれだ」 メダルチョコ600個も購入 - asahi.com 2008年12月9日
16.^ 朝日新聞社編 『100人の20世紀(上)』 朝日文庫 p237-「山極勝三郎」。ただし、科学ジャーナリストの馬場錬成はその著書『ノーベル賞の100年』(中公新書)の中で、3回にわたるノーベル財団への取材経験から、ノーベル賞選考における日本人差別は「100パーセントないだろう。」と指摘している。また、2004年に(山極が候補となった)1926年の医学生理学賞の選考書類を再調査した文献でもそのような指摘はない(山極の項目を参照)。
17.^ ノーベル平和賞(Norway - The official site in Japan)
18.^ ケンネ・ファント 服部まこと訳 『アルフレッド・ノーベル伝』 新評論 1996年 68章
19.^ トムソン・ロイターのノーベル賞予測:今年のノーベル賞受賞者9名すべてを過去に予測、2011年10月
20.^ 自然科学分野では、ヨハネス・ゲオルグ・ベドノルツとアレキサンダー・ミュラーが、酸化物高温超伝導体の発見の論文発表から約1年後の1987年に受賞したのが最短記録。

関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、ノーベル賞に関連するカテゴリがあります。

ウィキニュースにはノーベル賞に関連するニュースのカテゴリがあります。
ノーベル賞受賞者の一覧
国別のノーベル賞受賞者 日本人のノーベル賞受賞者 国道41号 - 日本人ノーベル賞者に縁のある場所が沿線に多いことから、「ノーベル街道」の異名あり。

ハンガリー人のノーベル賞受賞者

ノーベル財団
アーベル賞(数学)
フィールズ賞 (数学)
チューリング賞(計算機科学)
ゲーデル賞(理論計算機科学)
ダーウィン・メダル(生物学)
プリツカー賞(建築)
クラフォード賞(数学、地球科学、生物科学、天文学) - ノーベル賞が扱わない科学領域
アルバート・ラスカー医学研究賞
ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞(生化学・生物学)
ジョン・ベイツ・クラーク賞(経済学)
ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会)
ストックホルム国際青年科学セミナー
イグノーベル賞 - ノーベル賞のパロディ版
ルードヴィ・ノーベル賞 - ロシア版ノーベル賞
ライト・ライブリフッド賞
スティーブン・A・クーンズ賞
テンプルトン賞
Nobel laureates by university affiliation
孔子平和賞 - 劉暁波への授与に猛反発する中国がノーベル賞に対抗して設立した独自の賞。
スターリン平和賞 - ソビエト連邦がノーベル平和賞に対抗して創設した賞。後にレーニン平和賞と改められる。
ドイツ芸術科学国家賞 - カール・フォン・オシエツキーへの平和賞授与に反発したナチス・ドイツによって創設された賞。
トムソン・ロイター引用栄誉賞 - ノーベル賞受賞の可能性が高い人達に授与される賞。トムソン・ロイター社

外部リンク[編集]
Nobelprize.org(ノーベル賞の公式サイト)(英語)
ノーベル賞候補者@ウィキ

表・話・編・歴
ノーベル賞

部門
物理学賞 - 化学賞 - 生理学・医学賞 - 文学賞 - 平和賞 - (経済学賞)


受賞者一覧
部門別・年代別 - 国別(日本人 - ハンガリー人)


選考
スウェーデン王立科学アカデミー(物理学賞・化学賞・経済学賞) - カロリンスカ研究所(生理学・医学賞) - ノルウェー・ノーベル委員会(平和賞) - スウェーデン・アカデミー(文学賞)

カテゴリ: ノーベル賞
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生理学・医学賞
文学賞
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日本人受賞者
湯川秀樹 1949年 物理学賞 中間子の存在の予想。コロンビア大学在籍中に受賞。
朝永振一郎 1965年 物理学賞 量子電気力学分野での基礎的研究。
川端康成 1968年 文学賞 『雪国』、『千羽鶴』、『古都』等の作品。
江崎玲於奈 1973年 物理学賞 半導体におけるトンネル効果の実験的発見。IBM在籍中に受賞。
佐藤栄作 1974年 平和賞 非核三原則の提唱。
福井謙一 1981年 化学賞 化学反応過程の理論的研究。
利根川進 1987年 生理学・医学賞 多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明。MIT在籍中に受賞。
大江健三郎 1994年 文学賞 『万延元年のフットボール』、『燃え上がる緑の木』三部作等の作品。
白川英樹 2000年 化学賞 導電性高分子の発見と発展。
野依良治 2001年 化学賞 キラル触媒による不斉合成反応の研究。
小柴昌俊 2002年 物理学賞 天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献。
田中耕一 2002年 化学賞 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発。
小林誠 2008年 物理学賞 対称性の破れによるクォーク世代の予言(小林・益川理論)。
益川敏英 2008年 物理学賞 対称性の破れによるクオーク世代の予言(小林・益川理論)。
南部陽一郎[3] 2008年 物理学賞 自発的対称性の破れ。量子色力学。シカゴ大学在籍中に受賞。
下村脩 2008年 化学賞 緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見とその開発。ボストン大学在籍中に受賞
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インフルエンザ予測

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日本8月/感染疑惑/発症濃厚/入通院/−/発表死者
第1週・5万人・0.5万人・500人・−・5人
第2週・7.5万・0.75・750・−・7.5
第3週・11万・1.1・0.11・−・11
第4週・17万・1.7・0.17・−・17
9月一般予測『若干少目最低ライン』
第1週・26万・2.6・0.26・−・26
第2週・52万・5.2・0.52・−・52
第3週・104・10.4・0.1・−・104
第4週・208・20.8・0.2・−・208
10月本格化SL予行演習本番特訓
次回・・追記次回
2C初見:哲学
支配者ロスチャイルドと、予言者ジュセリーノ
無  職  と  哲  学   
世界とは何か(存在論 第2スレッド)
ヒューレットパッカード 予測市場 BRAIN
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「みんなの意見」の活用法―IT企業が導入する予測市場の成果
予測市場(prediction market)
予測市場で会社の行方を占う「はてなアイデア」2005/11/26 近藤淳也

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6/12日朝警告レベル世界的大流行(パンデミック)フェーズ6
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9月〜M(マグニチュード)震(動)度フェーズ7
12月〜M震度フェーズ8
15月〜M震度フェーズ9?・・
世界保健機関(WHO)パンデミックインフルエンザ警報フェーズ
- 2005年11月当時で「フェーズ3」。
国立感染症研究所感染症情報センター「インフルエンザパンデミック
Current WHO phase of pandemic alert(英語)
- フェーズの表と解説。WHO
[図解]「フェーズ」って何? 
流行過程を6段階に分類 - iza(2009年4月28日)
[用語]世界保健機関(WHO)の警戒水準 - 東奥日報4/25(土)
8/6世界報告確認感染者数177,457(1,462死)
7/24日本報告確認感染者数4,986(0)8/17初死?

CDCによる情報−各種ガイダンス・ガイドライン
IDSCによる情報−各種ガイダンス(2009年〜最新)
WHOによる情報−流行状況−アーカイブ(2009年〜最新)


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再確認News
読売新聞5/12
「新型」致死率、100万人超死亡「アジアかぜ」並…WHO
100万人以上死亡1957年アジアかぜ並0.4%
メキシコ政府12日現在、感染者数2059人、死者数56人公表
メキシコ4月末0.6万人〜3.2万人感染推計
2万3000人感染=致死率は0.4%(0.6万死/26万感染2.2%)
スペインかぜ(1918年)0.4億〜1億以上死亡
毎日新聞8/18
米国致死率1.2%、カナダ0.18%算定。しかし、
米国流行当初死者出実際致死率より高め、
カナダ発病時期不明患者多いため低め計算可能性高、
統計学的処理、実際致死率は0.5%程度推計。
季節性インフルエンザ致死率は0.1%未満。
約200万人死亡アジアかぜ致死率約0.5%
インフルエンザによる死亡数の推移 -
1950年から2007年までのグラフ。社会実情データ図録
1918年 スペイン風邪 H1N1型 4000万人 2.0% (〜5.0%)
1957年 アジア風邪 H2N2型 200万人 0.5% (〜1.0%)
1968年 香港風邪 H3N3型 100万人 0.5%
【統計魔術】最低中間最高各値数倍差『日常茶飯事』
5/9:29国0.34万人48死
6/12:74国3万人145死
7/6:136国9.5万人429死
8月上旬:200国17万人500死?
【実数各百倍以上】0.17億人5万死
通常インフルエンザ毎年50万〜100万死?
(日本1万〜:米国5万)殆TV噂・・
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