どうやらこういうことらしい

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SF/目標/未来

世界初:完全な量子テレポーテーションに成功

世界初:完全な量子テレポーテーションに成功
https://youtu.be/wH3IwJe_bIk
元々:世界初:完全な量子テレポーテーションに成功 
http://jp.diginfo.tv/v/13-0068-f-jp.php 
量子テレポーテーション
https://youtu.be/D237ochmEF4 
National Geographic 「タイムマシン」 
https://youtu.be/mNj2TNIeVwA 
付記:タイムマシンの作り方
1992年:光速の約2倍〜独ケルン大
直後検証:光速の1.5倍〜4倍米 伊
記憶修正2000年:光速310倍米プリンストン大秒速9300万Km
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大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )は、日本の経営コンサルタント、起業家。「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者[1]。
元カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院公共政策学部総長教授[1]。韓國梨花女子大学国際大学院名誉教授[1]。高麗大学名誉客員教授[1]。(株)大前・アンド・アソシエーツ創業者兼取締役[1]。(株)ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長[1]。ビジネス・ブレークスルー大学学長[1]。
目次 1 略歴 2 主張 3 人物 4 家族・親族 4.1 大前家 5 著書 5.1 共著
5.2 翻訳 6 脚注 7 関連項目 8 外部リンク
略歴
福岡県若松市(現北九州市若松区)出身。父・忠男は長崎県対馬の漁師の家に生まれた三男で、博多の百貨店に勤めていた時に陸軍に召集された陸軍大尉[2]。
第二次世界大戦中は山口県富田に疎開し、大阪府の親類の家に身を寄せた。1951年母の出身地である神奈川県横浜市神奈川区反町に移り住んだ。
神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、早稲田大学理工学部卒業[1]。東京工業大学大学院原子核工学科で修士号を取得[1]。1970年マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号を取得[1]。日立製作所へ入社(原子力開発部技師)[1]。
1972年経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー入社[1]。この頃書きためたノートを「企業参謀」のタイトルで1975年に出版[1]。マッキンゼー・アンド・カンパニーではディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を務めた[1]。1987年の「「見えない税金」に怒れ」で第49回文藝春秋読者賞受賞。
1992年11月、新自由主義を標榜する市民団体・平成維新の会を設立し、同会代表に就任。翌1993年、文藝春秋3月号で「新・薩長連合結成宣言」を発表。知事連盟構想を掲げて1995年東京都知事選挙に立候補したが青島幸男に敗れ落選する。同月の北海道知事選挙では、大前の構想に呼応した友人の三浦雄一郎が出馬したが落選した。1994年マッキンゼー・アンド・カンパニーを退職[1]。
第17回参議院議員通常選挙に比例区から、平成維新の会公認で大前、三浦を含め10人が出馬したが、10人全員が落選した。この選挙の際、ユダヤの手先説を始め、フリーメイソン、統一教会、勝共連合、半島出身説等、数々の誹謗中傷が流布された[3]。統一教会説は、当時衆議院議員だった石原慎太郎が自由民主党の総務会で発言したものだが、大前が石原を問い詰めたところ、石原は「いや、そういう噂があるから調べとけ、と言っただけだ。自分がそう思っているわけではない。自分も最初のときは世話になったこともある」と答えたという[4]。
平成維新の会は参院選惨敗後に事実上解散したが、その後、一新塾を主宰(2003年1月より特定非営利活動法人化)。さらに教育関連事業会社ビジネス・ブレークスルーを設立。2004年には構造改革特区制度により、株式会社運営による大学院大学・ビジネス・ブレークスルー大学院大学を開校し学長に就任。自ら教授として講義と学生指導を担当している。ビジネス・ブレークスルーは2005年12月に東京証券取引所マザーズ上場。アジアのドラッカーとも呼ばれる。
スタンフォード大学ビジネススクール客員教授、梨花女子大学国際大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授も務める一方、中国遼寧省、重慶市および天津市の経済顧問など、世界の大企業やアジア・太平洋における国家レベルの経営コンサルタントとしても活躍した。[5]
2011年10月28日、民間プロジェクトチーム TeamH2Oの総括責任者として、報告書「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」をまとめ、細野豪志環境大臣兼原子力発電所事故収束・再発防止担当大臣に提出した。
2012年9月11日、東京電力株式会社の取締役会の諮問機関として新設された「原子力改革監視委員会」の委員に就任した。
主張
移民政策を行うべきだと主張し[6]、1990年代前半より「グリーンカード制」導入を提案している[7]。母国の学校を優秀な成績で卒業した人や、きちんとした資格を持つ人を積極的に受け入れ、2年間無料で日本語、日本の社会習慣、法律を教育し、成績優秀者には永住と勤労を保証するというものである[7]。
道州制の導入を主張している[8]。市町村合併の延長ではなく、世界中に余っているお金を呼び込む単位、産業基盤を確立する単位として道州制が必要だと説いている[8]。
18才成人制の導入に肯定的な立場である[9]。例えば、「18歳以上を対象とするのは国民投票に限られるが、普通の選挙は20歳から」と言われれば、矛盾があると感じるのは当たり前。そうではなく、18歳で成人と定義し、自動車免許、飲酒、タバコなどを許可し、全ての選挙権を与えるとするべきと主張している[9]。
2008年、日本経済新聞上にて『これからは韓流。日本は韓国を見習え』と韓国経済を評価する主張をしていたが、6年後の2014年には『サムスン電子と心中か? 韓国経済の暗雲』という表題でPRESIDENT紙上にて「サムスン電子がコケたら皆コケた」という韓国経済の脆弱性を批判している[10]。
北方領土は旧ソ連の“正式な戦利品”であり、「北方領土は日本固有の領土」という日本側の主張は史実を曲げていると主張している[11]。
医療費抑制策として、救急車の有料化を主張している[12]。
地方議員はすべて無給のボランティアにすべきだと主張している[13]。
航空機が東京都心上空を通過するルートをとる、都心の飛行拡大案については、騒音などの問題をきちんと議論するという条件付きで、基本的賛成の立場をとっている[14]。
人物
Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年4月)
趣味はスキューバダイビング、スキー、オフロードバイク、スノーモービル、クラリネット[1]。
高校時代は不登校であまり学校へ通わなかったが吹奏楽部に入部していた。東京藝術大学への進学を希望していたが、親の反対を受け、音楽家への道を断念した。
「社長と社員の給料の差は、1000対1でいい」と発言している。
消費税に代わる付加価値税の導入を提唱している(付加価値税はイギリスにおける消費税であり、本質的には同じもの)。
大阪維新の会の橋下徹の個人的な助言などをしている。橋下徹が推進する発送電分離や道州制は大前研一の案である。また、大阪維新の会の命名は、橋下徹が大前の許可をもらって平成維新の会より名付けたものである。
家族・親族
大前家
父・忠男(元百貨店従業員、元陸軍大尉)
明治43年生まれ[2]。長崎県対馬の漁師の三男として育つ[2]。漁師を継いだ父の長兄は船の転覆で亡くなった[2]。父・忠男は大倉高商(現東京経済大学)で経理を学んだ[2]。そして博多の百貨店に勤めていた時に陸軍に召集され、ノモンハンに行った[2]。大前によれば「親父がホワイトカラーながら陸軍大尉まで進んだのは、田舎育ちで身体が頑丈な上、漁師の経験がものを言って、ナイフの扱いから縄結びまで器用にこなし、サバイバル能力が高かったせいもあるだろう」という[2]。母[2]
姉[2]
昭和16年生まれ[2]。妻・ジャネット[1] オーボエ奏者・日本伝統楽器奏者。- 大前がマサチューセッツ工科大学留学中にオーケストラを通じて知り合った。
長男・創希(実業家・クリエイティブホープ社長)
次男・広樹(実業家・KH20社長)
著書
『悪魔のサイクル 日本人の"よりかかり"的ものの見方・考え方』明文社 1973 のち新潮文庫 
『企業参謀 戦略的思考とはなにか』ダイヤモンドータイム社 1975 のち講談社文庫 
『続・企業参謀 戦略的経営計画の実際』ダイヤモンドータイム社 1977 のち講談社文庫 
『マッキンゼー現代の経営戦略』編著 プレジデント社 1979
『加算混合の発想 硬直思考からどう脱するか』プレジデント社 1980
『マッキンゼー成熟期の成長戦略』編著 プレジデント社 1981
『ストラテジックマインド 変革期の企業戦略論』田口統吾,湯沢章伍訳 プレジデント社 1984 のち新潮文庫
『トライアド・パワー 三大戦略地域を制す』講談社 1985 のち文庫 
『大前研一の新・国富論』(講談社 1986)のち文庫 
『世界が見える/日本が見える』講談社 1986 のち文庫 
『大前研一の日本企業生き残り戦略』プレジデント社 1987 のち新潮文庫 
『日本経済に斬りこむ』文芸春秋 1987
『遊び心』学習研究社 1988 のち新潮文庫 
『地球時代の新視点』プレジデント社 1989 のち新潮文庫 
『平成維新』講談社 1989 のち文庫 
『ボーダレス・ワールド 日本語版』田口統吾訳 プレジデント社 1990 のち新潮文庫 
『生活者革命 国家主義の終焉』日本放送出版協会 1991 のち新潮文庫 
『世界の見方・考え方 The Japanism』講談社 1991 のち文庫 
『平成維新 part 2』講談社 1992 のち文庫 
『マッキンゼーボーダレス時代の経営戦略』編著 プレジデント社 1992
『新・大前研一レポート』講談社 1993
『理想の国 内向き、下向き、後ろ向き政治への訣別』ジャパンタイムズ 1993
『異端者の時代 現代経営考』マネジメント社 1994
『平成官僚論』小学館 1994
『インターネット革命』プレジデント社 1995
『大前研一敗戦記』文芸春秋 1995
『「金融」危機からの再生 日本的システムは対応できるか』プレジデント社 1995
『生活者たちの反乱 平成立法講座』小学館 1995
『地域国家論 新しい繁栄を求めて』山岡洋一,仁平和夫訳 講談社 1995
『柔らかい発想 この人たちから学んだこと』イースト・プレス 1995 のちPHP文庫 
『アジア連邦の世紀 日本がアジアで成功する10の法則』小学館 1996
『親が反対しても、子どもはやる 新・家族論』ジャパンタイムズ 1996 のちPHP文庫 
『さあ、やりなおそう!』小学館 1996
『税金って何だろう 哲学のない税制が日本をダメにする』ダイヤモンド社 1996
『「知」のネットワーク 時代を動かす力』イースト・プレス 1996 のちPHP文庫 
『「国家」の限界が見えてきた。 インターネット社会の「国家」と「個人」』一新塾共編 ダイヤモンド社 1997
『時代の交代世代の交代』PHP研究所 1997
『デジタル革命とニュービジネス』アタッカーズ・ビジネススクール共編著 プレジデント社 1997
『もう騙されないぞ! 本当の問題の読み方』青春出版社 1997
『大前研一のガラガラポン』テレビ東京制作スタッフ共著 フォレスト出版 1998
『変わる世界変われ日本! これが経済再浮上の条件だ』PHP研究所 1998
『日本再建へのシナリオ グローバル・スタンダードへの大転換』一新塾共編 ダイヤモンド社 1998
『21世紀維新 栄える国と人のかたち』文春新書 1999
『新しい日本をつくるために私ができることあなたができること』一新塾共編 ダイヤモンド社 1999
『大前研一のアタッカーズ・ビジネススクール 起業家スキルと事業アイデア養成講座 pt.3』プレジデント社 1999
『サラリーマン・サバイバル』小学館 1999 のち文庫
『「一人勝ち」の経済学 選択をやめた日本人』光文社 1999
『Re-Boot! ゼロからの出発 日本のエスタブリッシュメントはなぜ崩壊したか』大前・アンド・アソシエーツ共著 PHP研究所 2000
『サラリーマン・リカバリー』小学館 2000
『ドットコム・ショック 新旧交代の経済学』小学館 2000
『eブレークスルー』テレビ東京「大前研一のガラポン2001!!」共著 ダイヤモンド社 2001
『大前研一「新・資本論」 見えない経済大陸へ挑む』吉良直人訳 東洋経済新報社 2001
『やりたいことは全部やれ!』講談社 2001 のち文庫 
『サラリーマンIT道場』小学館 2002
『新・ビジネス思考 ボンド大学・BBT MBAプログラム』編著 PHP研究所 実践!MBAトレーニング 2002
『チャイナ・インパクト』講談社 2002
『中華連邦 台湾から明日の中国が見える』PHP研究所 2002
『中国シフト』小学館 2002
『なぜあなたはやらないのか 異端起業家になる』小学館文庫 2002
『ビジネス・ウエポン 生き残りたいサラリーマンのための発想術』小学館 2002
『大前研一のアントレプレナー育成講座 アタッカーズ・ビジネススクール』ほか編著 プレジデント社 2003
『質問する力』文藝春秋 2003 のち文庫 
『ドットコム仕事術』小学館 2003 のち文庫 
『50代からの選択 ビジネスマンは人生の後半にどう備えるべきか』集英社 2004 のち文庫 
『考える技術』講談社 2004 のち文庫 
『日本の真実』小学館 2004
『遊ぶ奴ほどよくデキる!』小学館 2005 のち文庫 
『ザ・プロフェッショナル 21世紀をいかに生き抜くか』ダイヤモンド社 2005
『東欧チャンス pathfinder 5』小学館 2005
『ニュービジネス活眼塾 アタッカーズ・ビジネススクール講義録』プレジデント社 2005
『私はこうして発想する』文藝春秋 2005 のち文庫 
『新・経済原論 世界経済は新しい舞台へ』吉良直人訳 東洋経済新報社 2006
『即戦力の磨き方 下剋上の時代を生き抜く』PHPビジネス新書 2006
『旅の極意、人生の極意』講談社 2006
『「ベンチャー起業」実戦教本 決定版!』アタッカーズ・ビジネススクール共編著 プレジデント社 2006
『ロウアーミドルの衝撃』講談社 2006
『大前研一戦略論 戦略コンセプトの原点』吉良直人訳 ダイヤモンド社 2007
『大前流心理経済学 貯めるな使え!』講談社 2007
『ビジネス力の磨き方 大チャンス到来!』PHPビジネス新書 2007
『マネーハザード金言集 お金と人生の本質 大前研一通信・特別保存版』ビジネス・ブレークスルー出版 2007
『サラリーマン「再起動」マニュアル』小学館 2008
『社会を生き抜くための知的武装金言集 ビジネス・サバイバル 大前研一通信・特別保存版 part.2』ビジネス・ブレークスルー出版 2008
『ロシア・ショック』講談社 2008
『大前の頭脳 「産業突然死」時代を生き抜く知恵』日経BP社 2009
『最強国家ニッポンの設計図 ザ・ブレイン・ジャパン建白』小学館 2009
『さらばアメリカ』小学館 2009
『衝撃! EUパワー 世界最大「超国家」の誕生』朝日新聞出版 2009 
『「知の衰退」からいかに脱出するか? そうだ!僕はユニークな生き方をしよう!!』光文社 2009 のち知恵の森文庫 
『パスファインダー 道なき道を切り拓く先駆者たれ!! 大前研一通信・特別保存版 part.3』ビジネス・ブレークスルー出版 2009
『マネー力 資産運用力を磨くのはいまがチャンス!』PHPビジネス新書 2009
『大前研一の新しい資本主義の論点 「ニュー・ノーマル」という秩序の登場』編著 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部訳 ダイヤモンド社 2010
『慧眼 問題を解決する思考 大前研一通信・特別保存版 part.4』ビジネス・ブレークスルー出版 2010
『民の見えざる手 デフレ不況時代の新・国富論』小学館 2010 のち文庫 
『大前研一洞察力の原点 プロフェッショナルに贈る言葉』日経BP社 2011
『お金の流れが変わった! 新興国が動かす世界経済の新ルール』PHP新書 2011
『警告 目覚めよ!日本 大前研一通信・特別保存版 part.5』ビジネス・ブレークスルー出版 2011
『訣別 大前研一の新・国家戦略論』朝日新聞出版 2011
『日本復興計画』文藝春秋 2011
『「リーダーの条件」が変わった 「危機の時代」を乗り越える新しい統率力』小学館101新書 2011
『大前家の子育て 「一生食べていける力」がつく』PHP文庫 2012
『原発再稼働最後の条件 「福島第一」事故検証プロジェクト最終報告書』小学館 2012
『進化する教育 あなたの脳力は進化する!』ビジネス・ブレークスルー出版 2012
『稼ぐ力 「仕事がなくなる」時代の新しい働き方』小学館 2013
『クオリティ国家という戦略 これが日本の生きる道』小学館 2013
『挑戦 新たなる繁栄を切り開け!』ビジネス・ブレークスルー出版 2013
『日本の論点』プレジデント社 2013
共著
『マッキンゼー成熟期の差別化戦略』若松茂美共編著 プレジデント社 1982
『日本電気の総合研究 日本のエクセレント・カンパニー』他著 プレジデント社 1984
『マッキンゼー:変革期の体質転換戦略』千種忠昭共編著(プレジデント社 1985)
『証券・金融市場改革 利用者の立場に立った 東京市場が世界の仲間入りをするために』丸山嘉浩共著 プレジデント社 1991
『激論日本大改造案 いま、平成維新のときだ』田原総一朗共著 徳間書店 1992
『アジア人と日本人 マハティールマレーシア首相との対話』小学館 1994
『うろたえるな、日本 アジアから見た日米関係』ビル・トッテン共著 徳間書店 1994
『アジア合州国の誕生 世界経済に地殻変動を起こす新しい力学』織山和久共著 ダイヤモンド社 1995
『熱論合州国家・日本 :21世紀の国のかたち繁栄のかたち』平松守彦,江口克彦共著 PHP研究所 1998
『感動経営学 ヴィーナスフォート誕生秘話』宮本雅史共著 小学館 1999
『「勝ち組」の構想力 21世紀、われわれはいかに富を創出するか』田原総一朗共著 PHP研究所 2001
『実戦!問題解決法』齋藤顯一共著 小学館 2003 のち文庫 
『「茹で蛙」国家日本の末路 日本が元気になる最後の一手』田原総一朗共著 ビジネス社 2003
『時間とムダの科学 仕事の半分は「見せかけ」! なぜか結果が出る人の24時間』ほか著 プレジデント社 2005
『グローバルリーダーの条件 次はあなたの番だ!』船川淳志共著 PHP研究所 2009
『この国を出よ』柳井正共著 小学館 2010 のち文庫 
『大前研一と考える「営業」学 営業こそプロフェッショナルを目指せ』編著 斎藤顕一,須藤実和,川上真史,後正武共著 ダイヤモンド社 2011
翻訳
T.R.ブレークスリー『右脳革命 創造力活性化の決め手』訳編 プレジデント社 1981 のち新潮文庫 
T.J.ピーターズ, R.H.ウォータマン『エクセレント・カンパニー 超優良企業の条件』講談社 1983 のち文庫 
ハーベイ・ブライトマン『戦略思考学 創造的問題解決の手法』監訳 プレジデント社 1983
T.J.ピーターズ, N.K.オースティン『エクセレント・リーダー 超優良企業への情熱』講談社 1985 のち文庫
D.K.クリフォード, R.E.キャバナー『ウイニング・パフォーマンス 勝利企業の条件』プレジデント社 1986
リチャード・フォスター『イノベーション 限界突破の経営戦略』ティビーエス・ブリタニカ 1987
アナリー・サクセニアン『現代の二都物語 なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか』講談社 1995
アール・ウッズ、ピート・マクダニエル『タイガー・ウッズ父子のゴルフ&教育革命』監訳 小学館 1997
トーマス・R.ブレークスリー『あなたの右脳が全開する!』訳編 三笠書房 2003
ダニエル・ピンク『ハイ・コンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代』三笠書房 2006
ダニエル・ピンク『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか』講談社 2010
脚注
1.^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 大前研一オフィシャルウェブ(プロフィール)
2.^ a b c d e f g h i j 『文藝春秋』(2007・9、272頁)
3.^ 『「ユダヤの手先」「国賊」大前研一を斬る』太田龍 (1993/06)
4.^ 『大前研一敗戦記』11頁(文藝春秋)
5.^ 『お金の流れが変わった! : 新興国を動かす世界経済の新ルール』(PHP新書) 大前研一(第一刷2011年01月)
6.^ “長期衰退を止めるには移民政策しかない”. PRESIDENT. (2013年9月19日) 2014年5月18日閲覧。
7.^ a b “【大前研一のニュース時評】人口減少問題 働き手不足解消する「グリーンカード制」”. 夕刊フジ. (2015年5月18日) 2014年5月18日閲覧。
8.^ a b “道州制に移行しなくてはいけない真の理由”. 日経BP. (2006年11月8日) 2014年5月26日閲覧。
9.^ a b 大前研一公式サイト -大前研一「ニュースの視点」
10.^ PRESIDENT2014年3月31日号
11.^ “北方四島は日本の領土」という外務省のペテン”. PRESIDENT. (2013年7月30日) 2014年5月18日閲覧。
12.^ “国民医療費が過去最大の伸び、病院の入場制限を”. PRESIDENT. (2012年6月20日) 2014年5月31日閲覧。
13.^ 週刊ポスト2014年8月8日号}
14.^ “都心の飛行拡大案には賛成 騒音の影響など実験し議論を”. 夕刊フジ. (2014年8月17日) 2014年8月20日閲覧。
関連項目
マハティール・ビン・モハマド
新自由主義
道州制
地域国家
福岡県出身の人物一覧
東京工業大学の人物一覧
外部リンク
大前・アンド・アソシエーツグループ
ニュースの視点 - ブログ
大前経営塾
リーダーシップ・アクションプログラム
ビジネス・ブレークスルー大学、ビジネス・ブレークスルー大学大学院
大前研一イノベーション講座
アタッカーズ・ビジネススクール
ビジネス・ブレークスルー757Ch
典拠管理
-WorldCat ・
-VIAF: 108280195 ・
-LCCN: n85234016 ・
-GND: 130236586 ・
-BNF: cb12065941z (data) ・
-NDL: 00061068
カテゴリ: 経営コンサルタント
日本の社会起業家
日本の経済評論家
日本の反共主義者
リバタリアン
日本の陰謀論者
カリフォルニア大学ロサンゼルス校の教員
日本の国政選挙の立候補経験者
東京都知事選挙の立候補経験者
一新塾の人物
東京工業大学出身の人物
早稲田大学出身の人物
北九州市出身の人物
横浜市出身の人物
1943年生
存命人物
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日立製作所の人物

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虎馬:ジョン・タイター - W 
ジョン・タイター
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ジョン・タイター(英: John Titor) は、2000年にインターネット上に現れた、2036年からやってきたタイムトラベラーを自称する男性である。自分を1998年生まれだとした。
目次
1 概要
2 タイムマシンおよびタイムトラベルについて
3 パラレルワールド 3.1 未来へ帰る方法
4 「家族」との同居
5 タイターの書き込んだ未来 5.1 タイターの世界での出来事
5.2 2036年の状況
6 タイターの使命
7 疑問点
8 メディア作品への影響
9 参考文献
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク
概要
2000年11月2日、米国の大手ネット掲示板に、2036年からやってきたと自称する男性が書き込みを行った。
男性はジョン・タイターと名乗り、複数の掲示板やチャットでのやりとりを通じて、タイムトラベルの理論や自身のいた未来に関する状況、未来人である証拠などを提示していった。(その過程でアップロードされた資料は、 現在も閲覧可能である)

タイターは、最初の書き込みから約4か月後の2001年3月に「予定の任務を完了した」との言葉を残し書き込みをやめ、現在は消息を絶っている。また、2003年にアメリカで発行された、タイターの発言ログをまとめた書籍「JOHN TITOR A TIME TRAVELER'S TALE」(時間旅行者ジョン・タイターの話)にはタイターの母親を名乗る人物から寄せられた手紙や、彼女からタイターに関する全資料を受け取った弁護士の話などが掲載されている。母親を名乗るこの人物は、ジョン・タイターが自分の息子であることは否定していないものの、平穏な生活を送りたいとの理由から彼との関係の一切を断ちたいと語っている。

タイムマシンおよびタイムトラベルについて[編集]

タイターの説明によれば、彼の使用したタイムマシンは、たとえばタイムマシンを題材にしたウェルズの同名小説に出てくる機械のような、いわゆる乗り物ではなく、重力制御装置であるという。しかし、タイムトラベルにはその装置を乗用車に設置して車ごと時間移動することや、分かりやすさなどを考慮してタイムマシンと呼んでいる。

タイムマシンは2034年に欧州原子核研究機構 (CERN) により試作1号機が実用化され[1]、タイターが使用するものは正式名称「C204型重力歪曲時間転移装置[2]」で、開発はゼネラル・エレクトリック社が行ったという[3]。

タイムトラベルの方法は以下に示す通りである。
1.タイムマシンに目的の年月日時刻の座標を入力し、始動させる。
2.重力場が形成され、搭乗者の身体を包む。搭乗者はエレベーターの上昇中のような感覚が継続する。
3.装置が加速するにつれて周囲の光が屈曲し、一定まで達すると紫外線が爆発的に放射されるためサングラスが必須になる。
4.その後、周囲が次第に暗くなっていき、完全に真っ暗になる。
5.景色が元に戻り、タイムトラベルが完了する。

フルパワー駆動で約10年間飛ぶのに、およそ1時間程かかるとされる。タイムトラベルが可能な範囲は、タイターの使用したタイムマシンでは約60年であり、それ以上の過去や未来に行こうとすると、世界線(世界)のズレが大きすぎて全く異なる世界にたどり着いてしまうという[4]。それはつまり、我々が現在知ることの出来る歴史とはかけ離れた歴史を持った世界へ到着してしまうということである(60年以内の移動であっても誤差といえる程度の世界線のずれが生じるためタイムトラベルのたびに「限りなく似通ったパラレルワールド」に移動していることになる)。

銀河系も太陽系もかなりの速度で宇宙空間を移動しているため、たとえ30年前の過去へタイムトラベルが成功したとしても、そこには地球はなく、宇宙空間に投げ出されてしまうと思われる。 この疑問について、タイターは技術的に最も困難な部分であると語っている[5]。タイターの説明によると、現在地における重力の正確な測定を行うことによって、地球上での空間座標を特定しているとのこと。その空間座標はタイムトラベル中、VGL(可変重力ロック)という装置によって一定に保たれており、時計(タイターの乗るタイムマシンではセシウム時計4個)の発信周波数を基に、Bordaと呼ばれるエラー修正プロトコルを用いて制御されていると述べている。前述したように、この装置では60年間のタイムトラベルが限界で、それ以上はVGLを使用しても異なる空間座標に到着する可能性が高い。

タイムトラベルは、それを客観的に観測している人間にとっては、一瞬のうちに終わっているように見える(つまり、タイムトラベラーがタイムマシンを作動させた瞬間にもとの世界に戻ってきているように見える。たとえタイターがこの世界線において2年もの月日を過ごしていたとしても変わらない)。しかしこれは、あくまでタイムトラベルを(マシンを積んだ乗り物を移動させず)同じ空間座標で行った場合である。タイムトラベル後、元の世界線へと戻るときにマシンを作動させた空間座標が最初の座標と違う場合、観測者にとっては、その場にあったタイムマシン(とそれを積んだ乗り物)が一瞬にして消え、別の場所に一瞬にして現れるという風に見えるという。

パラレルワールド[編集]

タイターは、エヴェレット・ホイーラー・モデル(エヴェレットの多世界解釈)は正しいと発言している[5]。さらに、タイターは、「エヴェレットの多世界は、時間の異なる別の世界線であり、恐らく無限に存在する」といったような解釈を付け加えることによって、タイムトラベルの結果生じる矛盾、いわゆるタイムパラドックスの問題が解決されるとしている。 この世界線とは、いわゆるパラレルワールドと同義であり、タイターは「時間線」と合わせて三種類の語を使用していた。

タイターは、それらの異なる世界線を移動することにより、タイムトラベルは行われると説明している。例えば、過去にやってきたタイムトラベラーが自分の親を殺しても、自分がいた世界とは別の世界の自分の親を殺したことになるので、そのタイムトラベラーが消滅することはないという。同じように、違う世界線の自分自身を殺してしまっても、世界線が分岐するだけなので何ら問題は起きないと語っている。

タイターの場合は、まず2036年から1975年にタイムトラベルし、そこから自分が生まれた1998年に飛び、2000年まで滞在したという。この場合の1975年とは、2036年からの世界線のズレが約2%の世界であり、そこから未来へ遡行したために、タイターが訪れた1975年の同一世界線上の未来である1998年が、我々の世界である(つまり我々の世界線では、1975年にもタイターが訪れていた可能性がある)。2036年をAとすれば、1975年の世界線はBであり、さらに、タイムトラベルしたタイターがいるために世界は分岐してC(1975年)になった。そこからさらに、1998年へ飛んだのでこの世界線はDということになる。2%のズレはBの時点での話であるので、CおよびDを経てズレは大きくなっている。

これらの事案についてタイターは、タイムトラベルを行うことに起因して世界線が分岐するのか、あるいはタイムトラベルをする以前からその世界線は存在していたのか、という問題がタイターのいた世界でも議論になっていると説明している。

タイターが「我々の世界」に初めてやってきたのは1998年だが、その時この世界におけるタイター一家に「2000年問題によって引き起こされる災害や混乱から逃れるため」引っ越しを促している。(実際に一家は引越しをしたという)しかし、タイターの予想に反して2000年問題は大きな騒ぎとはならなかった。この原因として、タイターは、自分が任務のために赴いた1975年の行動が影響している可能性がある、と家族に話していた。さらに、タイターの説明では、2000年問題の混乱が、後の核戦争に繋がっているということで、タイターのいた世界線と我々の世界線では、未来において大きなズレがあることが考えられる。

未来へ帰る方法[編集]

タイターが元いた世界線に帰還するためには、タイムマシンが往路にて収集した重力の測定データをさかのぼって帰還するとしている。

また、自分がもといた未来の世界線へ少ない誤差で帰還するためには、一度自分がやってきた時間・場所に戻る必要があるほか、潮汐力が地球の重力に影響を与えている都合上、帰還するタイミングは一年に2回ある旨の説明をしている。

そのため、タイターが自分のいた未来へ帰るには、まず1998年に戻り、そこからさらに1975年に戻ってから、やってきた世界線に沿って時空をさかのぼる必要があるということになる。

しかし、全く同一の世界へ帰還できるわけではない。誤差は非常に小さいものの、そこは「良く似た別の世界」であることに変わりはないという。 世界線は無限に存在し、そのどれかにピンポイントで移動する方法が現在のところ見つかっていないためである(光速を超えない限り不可能であるとタイターは書き込んでいた)。

もっとも、確率的にはありえないほど低いが自分の望む世界にたどり着く余地はあり、タイターの世界では、ズレのない世界(つまり自分の世界と全く同一の時間軸上にある世界)にたどり着いたタイムトラベラーが存在するという。

「家族」との同居[編集]

タイターはまずタイムマシンで1975年に向かい自分の父方の祖父と会った。その後1998年に飛び自分の両親と生後2ヶ月の自分自身に会い、それから2年ほど4人で奇妙な同居をしたと語っている。

タイターが去って2年が経過した2003年1月。タイターの両親を名乗る夫婦が5歳の幼児を連れてフロリダの弁護士事務所に訪れたことがわかっている。夫婦は匿名を条件にタイターの存在を証言し、夫婦が連れていた5歳の幼児がジョン・タイターという名であると語った。夫婦はインターネットで交わされたタイターと質問者たちとの質疑応答の全記録、タイターの話を裏付ける証拠物件を弁護士に預託した。

タイターの書き込んだ未来[編集]

タイターは掲示板上に、自分の目で見たという近未来に起こる主な出来事を書き込んでいる。

しかし、タイターは、自分が未来に関する出来事を書き込んだ時点で未来が変わってしまうために、自身が見てきたものとズレが生じると発言している。タイターがやってきた世界線と、この世界線(2000年当時)ではおよそ2%のズレが元々あり、さらにタイターが掲示板に自分が未来人である旨の書き込みをしたため、そのズレはさらに広がっている可能性がある。

つまり、タイターは、自分のいた世界線において起きた出来事を書き込んだのであり、予言として紹介されることもあるが(#参考文献)、この世界線の未来を予言したというわけではない。

実際、タイターの書いた未来の出来事の中には、この世界線において起きたこともあれば、起きなかったこともある。

タイターの世界での出来事[編集]
2000年問題によって起きた災害や混乱が、後の内戦の火種となる。
CERNが2001年近辺にタイムトラベルの基礎理論を発見し、研究を開始する。
アメリカ国内でも狂牛病が発生する。
2001年以降にそのうち中国人が宇宙に進出する。
2001年以降に新しいローマ教皇が誕生する。
ペルーで地震が発生(2001年にペルーでの地震をほのめかした4ヶ月後にペルー地震発生)
世界オリンピックは2004年度の大会が最後となり、2040年度にようやく復活する。
2005年にアメリカが内戦状態になる。
2008年、アメリカ合衆国の都市部で急激に警察国家化が進み、都市内部と都市外部で内部抗争が発生する。

中国に併合された3地域のその後については、様々な説が存在する。本項ではその一部を載せる。
2011年、内戦が原因でアメリカ合衆国が解体されるが、翌年にはアメリカ連邦帝国が建国される。
2015年、ロシア連邦が反乱部隊の援助という名目でアメリカに核爆弾を投下。核戦争となり、第三次世界大戦へと発展する。
その後、アメリカの外交権麻痺に乗じて、中華人民共和国が覇権主義を強化。台湾、日本、韓国を強引に併合する。後にオーストラリアが中国を撃退するが、ロシアの攻撃により半壊滅状態になる。ヨーロッパ諸国もロシアによりほぼ壊滅するもアメリカが撃退し、ロシア連邦が崩壊する。2017年、30億人の死者を出した末、ロシアの勝利に終わる。
2020年、アメリカ都市部の勝利により内戦が終わる。ロシアの援助によって、新たな連邦政府が成立する。
アメリカの地方区分は、現在の州ではなくなる。分裂したときの5勢力で構成され、社会主義国家に近くなる。内戦後の生存者は図書館や大学の周りに集結してコミュニティを形成している。新たな連邦政府は首都を現在のネブラスカ州・オマハに置いている。アメリカ以外のほとんどの国も社会主義国家のような体制になっていく。2040年頃、オリンピックが復活する予定。
2045年頃、タイターの個人的な予想ではタイムマシンが一般利用できるようになるであろうと思われる。

2036年の状況[編集]

タイターのいた2036年は、以下のような状況だという。
テレビと電話はインターネットにより提供されている。
タイムマシンが実用化されて既に2年が経過しているものの、その存在を信じていない人々も大勢いる。
タイムマシンは世界の幾つかの国が複数台所有しているが、一般市民が使用できるわけではない。
無線のインターネット接続がどこででも可能になっている。核戦争後の荒廃で物理的アクセスに制約があるため、コミュニケーションツールとして重宝されている。
プログラミングの主流が、「If/Then」方式から「If/Then/Maybe」方式へと変わっているという
要出典:自らを『自分はコンピューターのエキスパートではない』と何度も言及している。タイター自身がプログラミングに関して記述した部分は原文には存在しない。タイターが2001年に来たときに新聞などで見た企業(デル、グーグル、マイクロソフトなど)は、そのどれもが存在していない。
要出典:原文においてタイターがデル・グーグル・マイクロソフトに関して語った部分は見当たらない。一般的にデジタルカメラが主流で、フィルムカメラは主に専門家などが使用している。
宇宙人は見つかっていない。タイターは現在UFOとされているものはタイターの時代よりもっと未来からのトラベラーなのではと語った。
飲料水や淡水の確保が大きな問題となっている。
地球温暖化は、さほど問題になっていない。
出生率は低い。
エイズと癌の治療薬は発見されていない。
核戦争による汚染がひどい。
核戦争の後、人類は戦争に疲れ果て、それぞれの国が孤立化した状態になる。現在のような活発な外交関係は無くなる。他国への航空便などは存在するが、本数は今よりも格段に少なくなる。しかし、核兵器や大量破壊兵器が完全に消滅したわけではなく、世界中にはまだ多数の兵器が存在している。
人間の平均寿命が60歳に満たなくなる。また、警察国家を信奉する勢力を壊滅させたとはいえ、完全に消滅したわけではない。そうした勢力が、タイターらの住むコミュニティ外に密かに存在している。そうした集団との戦争は続いている。
信仰は2036年の人々の生活の中でも大きな存在であり、タイター自身もキリスト教徒であるが、宗教自体が現在のような一様な価値観からもっと個人的なものに移り変わっている。また、お祈りの日も日曜日ではなく土曜日になっている。
善悪についての考え方が大きく変わった(一人の人間がとるあらゆる行動は、どこかの世界線において行われている、という世界観が広まったため)。

タイターの使命[編集]

ジョン・タイターは、IBM 5100の入手が、過去へ来た目的であると語っている。タイターがこの任務を任された理由については、彼自身が「祖父がIBM 5100の開発に携わっていたため」と書きこんでいる。IBM 5100には、マニュアルにはないコンピュータ言語の翻訳機能があることが2036年にわかったという。彼の使命は、2年後に迫っている2038年問題に対応するためのものであり、過去から受け継いだコンピュータプログラムをデバッグするためにIBM5100が必要なのだという。[6]実際のところ、IBM 5100は、内部でSystem/370のエミュレーションをおこなっており、メインフレーム上のプログラムのデバッグに使用できる機能がある。このことは、A. D. Falkoff著「The IBM Family of APL Systems」[7] にある。

我々の世界線においては、2000年問題への対策を通じて2038年問題を解決する方法も既に明らかになっており、システムメンテナンスによって大きな問題は起こらないと考えられている(詳しくは2038年問題の項を参照)。

また、重要なのはIBM 5100を持ちかえること、1975年である人物に会う事であるとも発言している[8]。

疑問点[編集]

Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年6月)
 A 世界情勢や混乱しているアメリカ以外の情勢への言及が少なく、あったとしても説明不足な点が多い。
 B 中国が覇権主義を進めるきっかけとなった出来事、ロシアが中国やヨーロッパ諸国を攻撃した理由がまったく明らかになっていないなどがある。
 A-1、B-1 アメリカ国内でのアメリカ人同士のチャット内容であるという背景を考慮すべき。
 C タイターは未来でもドル紙幣が使われていると語っているが、アメリカは内戦で既存政府が崩壊したという話と整合性が取れていない。
 D 未来でもクレジットカードを使う人がいると語っているが、中央集権的な銀行は全て崩壊したという話と整合性が取れていない。
 D-1 チャット英文原文においてタイターは『Yes, we have money and credit cards. However, like everything else, the monetary system is decentralized. Banking is based mostly around the community structure. There are no multinational banking or computerized economic systems. There are also no income taxes.』『コンピューター管理の全国規模の銀行は無いが、地域ベースの小規模銀行があり、貨幣やクレジットカードが使われている』と述べている。つまり20世紀半ばの地方信金や、(全国ベースのVisa・Master・Amexなどと違い)地元銀行カードのようなシステムが使われているという意味と取れる。
 E アメリカは第三次世界大戦に参加したというが、仮に国内が内戦状態で敵国と戦う余裕があるのかが疑問である。
 F 一連の内容は米国で著作権登録されている。(US Copyright Registration)
 F-1 タイターが去った数年後に第三者がJohn Titor Foundationという団体を作り2003年10月27日に著作権登録している。それがタイター自身に対する疑問にはなり得ないとも思える。

メディア作品への影響[編集]
2007年に放送された日本のテレビドラマシリーズ『ガリレオ』の、翌2008年10月4日に放送された前日譚『ガリレオΦ』には、「2036年の未来から来たタイムトラベラー」に言及する場面がある。
2009年に発売された日本のアドベンチャーゲーム『STEINS;GATE』では、現実のタイターが語った内容を脚色した物語が描かれている[9]。作中では、2000年に現れたジョン・タイターへの言及があるほか[10]、2036年の未来から2010年の現代へとタイムトラベルしてきたという人物が登場する。後に小説化、漫画化、テレビアニメ化された。

参考文献[編集]



出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明示してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年2月)
『未来人ジョン・タイターの大予言―2036年からのタイムトラベラー』マックス(MAXムック)、2006年 ISBN 4903491137

脚注[編集]

[ヘルプ]

1.^ ジョン・タイター 2000年11月2日の書き込み
2.^ 英: C204 Gravity Distortion Time Displacement Unit
3.^ ジョン・タイター 2001年2月12日の書き込み
4.^ ジョン・タイター 2001年2月25日の書き込み
5.^ a b ジョン・タイター 2000年11月4日の書き込み
6.^ ジョン・タイター 2000年11月15日の書き込み
7.^ IBM Systems Journal誌、IBM、30巻 No.4, (1991年), pp. 416 ff
8.^ ジョン・タイター 2001年2月15日の書き込み
9.^ “STORY / TIPS”. TVアニメ『STEINS;GATE』公式サイト. 2012年1月10日閲覧。
10.^ “#02 時間跳躍のパラノイア”. STORY / TIPS. TVアニメ『STEINS;GATE』公式サイト. 2012年1月10日閲覧。

関連項目[編集]
タイムマシン
タイムトラベル
カー・ブラックホール
フランク・ティプラー

外部リンク[編集]
公式まとめサイト(英語)
IBM 5100(英語)
John Titor's Time Machine(英語) - タイムマシンの写真の他に、パラレルワールドの構造図や、タイターが所属している組織のロゴマークのイラストなどもある。
 John Titorのチャット投稿全文(英語・原文) http://convictionofatimetraveler-johntitor.blogspot.com/p/posts-of-john-titor.html




カテゴリ: インターネットの人物
インターネットの文化
タイムトラベル
1998年生
身元不明の人物

M理論 - W(保存)

虎馬:M理論 - W 

M理論(えむりろん)とは、現在知られている5つの超弦理論を統合するとされる、
11次元(空間次元が10個、時間次元が1個)の仮説理論である。
尚、この理論には弦は存在せず、2次元の膜(メンブレーン)や5次元の膜が構成要素であると考えられている。
目次 1 低エネルギー極限 2 超弦理論との関係 3 M理論に関する研究の現状 4 その他
低エネルギー極限
この理論の低エネルギー有効理論は、11次元超重力理論となる。この理論に登場する場は重力場(グラビトン場)・グラビティーノ場・3形式場しかなく、
超弦理論の低エネルギー有効理論である10次元超重力理論よりも単純な理論であると言える。
また、登場する場のスピンが2以下である超重力理論の最高次元は11次元である(時間次元が1個と仮定した場合)。
従って、11次元超重力理論は超弦理論が登場する以前、究極理論である可能性があると考えられていた時期もあったが、
その後、繰り込み不可能であり、多様体へのコンパクト化でカイラルな理論が作れないと考えられたため、無視されていた。
1995年、エドワード・ウィッテンによって提唱されたこのM理論は、
11次元超重力理論がもつこれらの難点を克服すると考えられるものであり、
その提唱は第二次超弦理論革命へのきっかけとなった。

超弦理論との関係
超弦理論が1980年代に物理学界で話題になると研究が急速に進み、超弦理論は5つの異なるバージョンに発展してしまった。それらの5つのバージョンの超弦理論はそれぞれ、I型、IIA型、IIB型、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8と呼ばれる。これらの5つのバージョンを統合するのがM理論である。M理論は特にIIA型超弦理論の強結合極限として定義され、さらにこれらすべての超弦理論が双対性によって互いに繋がっていることが示唆されたため、超弦理論よりも根源的な理論と考えられている。ここでの双対性とは、弦の強結合領域と弱結合領域を関係付けるS双対性(strong-weakの略)、空間の極大領域と極小領域を関係付けるT双対性(target-spaceの略)、S,T双対性を結びつけたU双対性(unifiedの略)である。特に、T双対性は極大領域における弦の振動モードと極小領域における弦の巻きつきモードを対応付けるものであり、小さい領域に巻きつくという弦特有の(点粒子には無い)性質が反映されたものになっている。従って、M理論が定式化できた暁には、5つの超弦理論はM理論の一部であると主張されることになるであろう。

M理論に関する研究の現状
現時点ではM理論は超弦理論より更に未完成であり、現実の物理法則に合致するものも得られていないため、最終的に物理理論として成立するか不明瞭である。
数学的な仮説の段階だとも言える。また最近では、M理論を超弦理論よりも深遠な理論であるとすることに疑問を持っている研究者も少なからずいるようである。M理論を定式化するにあたっての特に大きな問題は、2次元の膜を量子化する方法が分からないことであろう。これについては、IIA型超弦理論におけるD0-braneを自由度とした行列模型(flat時空を背景とするBFSS行列模型、pp-wave時空を背景とするBMN行列模型)によってM理論を定式化しようとする動きもあり、研究が進められている最中である。

その他
ウィッテンは、名称の「M」について、2003年のヒストリー・チャンネルのドキュメンタリー番組『美しき大宇宙』の中で「Mは、マジック(Magic)、ミステリー(Mystery)、
メンブレーン(membrane;膜、超弦理論における「ひも」の構成要素)など、その人の好きなものを意味します。」と悪戯っぽく語り、「M」の意味について明確に述べていない。
membrane(膜)は、p-braneなどと派生することもあり、この理論の意味ではbraneと略されることもある。
重力理論

執筆の途中です この項目は、物理学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:物理学/Portal:物理学)。

カテゴリ: 統一場理論

ノーベル賞 - W(保存)

虎馬:ノーベル賞 - W 
受賞対象
物理学
化学
医学生理学
文学
平和
経済学

主催
スウェーデン・アカデミー
スウェーデン王立科学アカデミー
カロリンスカ研究所
ノルウェー・ノーベル委員会


スウェーデン、ノルウェー

初回
1901年

公式サイト
nobelprize.org
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ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞のことである。物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野で顕著な功績を残した人物に贈られる。

目次
1 沿革
2 部門
3 選考
4 資格
5 授賞式 5.1 晩餐会
5.2 その他のイベント

6 授与
7 メダル
8 科学史としてのノーベル賞
9 受賞条件と辞退
10 評価と論争
11 3通の遺言
12 候補者の予想
13 賞に関する記録
14 脚注
15 関連項目
16 外部リンク


沿革[編集]





ノーベルの遺言
ノーベル賞は、スウェーデン語ではNobelpriset、ノルウェー語ではNobelprisen、英語ではNobel Prize(英語発音: [ˈnoubel ˈpraiz] ノウベル・プライズ)と言う。1895年に創設され、1901年に初めて授与式が行われた。一方、ノーベル経済学賞と一般に言われているアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞は、1968年に設立され、1969年に初めての授与が行われた。

賞設立の遺言を残したアルフレッド・ノーベル(1833年10月21日 - 1896年12月10日)はスウェーデンの発明家・企業家であり、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いた。しかし爆薬や兵器をもとに富を築いたノーベルには一部から批判の声が上がっていた。1888年、兄のリュドビックがカンヌにて死去するが、この時フランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」との見出しとともに報道。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになった[1]。1896年12月10日に63歳でノーベルは死去する[2]が、遺言は死の1年以上前の1895年11月27日にパリのスウェーデン人・ノルウェー人クラブにおいて署名されていた[3][4]。

この遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナに及んだ[5]。周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった[6]。その後、彼の遺志を継ぐためにRagnar SohlmanとRudolf Lilljequistがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った[7]。賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされた。1897年4月には平和賞を授与するためのノルウェー・ノーベル委員会が設立され、6月7日にはカロリンスカ研究所が、6月9日にはスウェーデン・アカデミーが、6月11日にはスウェーデン王立科学アカデミーが授与機関に選定されて[8]選考体制は整った。賞の授与体制が整うと、1900年にノーベル財団の設立法令がスウェーデン国王オスカル2世によって公布された。1905年にノルウェーとスウェーデンは同君連合を解消したが、両国分離後も授与機関は変更されなかった.[6]。

部門[編集]

以下の6部門から構成される。
物理学賞
化学賞
生理学・医学賞
文学賞
平和賞
経済学賞(正式にはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)

特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、医学生理学賞の3部門における受賞は科学分野における最大級の栄誉であると考えられている。近年は医学生理学賞と化学賞、物理学賞との境界が曖昧な分野が増えてきている。

複数人による共同研究や、共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合は、一度に3人まで同時受賞することができる。ただし、同時受賞者の立場は対等とは限らず、受賞者の貢献度(Prize share)に応じて賞金が分割される。なお、性質上「複数人による業績」が考えづらい文学賞は例外で、定数は一度に1人と定められている。また、基本的に個人にのみ与えられる賞であるが、平和賞のみ団体の受賞が認められており、過去に国境なき医師団などが受賞している。

選考[編集]





ノーベル文学賞の決定機関であるスウェーデン・アカデミー(2005.08)
選考は「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「医学生理学賞」はカロリンスカ研究所が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会[9]が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。

ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表される。よって「ノーベル賞の候補」というものは公的には存在しないことになるが、「いつか受賞するだろう」と目される人物が各分野に存在するのも事実である。トムソン・ロイターは旧トムソン時代から毎年独自にノーベル賞候補を選定発表している(トムソン・ロイター引用栄誉賞)が、これは近年の論文の引用数などから算出したものである。ただしノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いので、必ずしもこの基準で賞が決まるわけではない。最終選考は発表日当日に行われることが慣例になっており、マスコミの事前予想が難しい所以である。

資格[編集]

1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもあった。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルドが授賞決定発表時に故人であった。

1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。しかし、2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことが後に判明し、問題となったことがある[10]。

ただし、授賞決定発表の後に本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。上記のスタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まった。

授賞式[編集]





ストックホルム・コンサートホールでの授賞式(2010年)
授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、「平和賞」を除く5部門はストックホルム(スウェーデン)のコンサートホール、「平和賞」はオスロ(ノルウェー)の市庁舎で行われ(古くはオスロ大学の講堂で行われた)、受賞者には、賞金の小切手、賞状、メダルがそれぞれ贈られる[11][12]。

晩餐会[編集]

授賞式終了後、平和賞以外はストックホルム市庁舎(1930年まではストックホルムのグランドホテルの舞踏室)にて、スウェーデン王室および約1,300人のゲストが参加する 晩餐会が行われる。平和賞の晩餐会はオスロのグランドホテルで行われ、こちらにはノルウェーの国会、首相および2006年以降はノルウェーの国王夫妻を含めた約250人が招かれる。1979年の平和賞の晩餐会は受賞者のマザー・テレサが「貧しい人にお金を使ってください」として出席を辞退、開催を中止させて、晩餐会に使うはずだった7000USドルの費用はカルカッタの2000人のホームレスへのクリスマスの夕食に使われた。これは現時点で唯一の晩餐会が中止になった例である。

1991年にノーベル賞90周年事業の一環として、晩餐会に使う食器類をすべてスウェーデン製に置き換えようとしたが、カトラリーだけはその複雑なデザイン故に仕上げ研磨ができる技術が国内に無く、カトラリーのデザインを担当したゴナ・セリンが懇意にしていた新潟県燕市の山崎金属工業に依頼した[13]。食器類など受賞式に使う調度品は、普段は厳重に鍵のかかった倉庫に保管されており、ノーベル賞の晩餐会にのみ使用される。 晩餐会で使用されるカトラリーセットは「ノーベルデザインカトラリー」として一般向けにも販売されている。

その他のイベント[編集]

受賞者は受賞後にノーベル・レクチャーと呼ばれる記念講演を行うのが通例になっている。その後、受賞者はストックホルム大学やストックホルム経済大学などの大学の学生有志団体が毎年持ち回りで行うパーティーに出席し、そこで大学生らと希望する受賞者はさらなる躍進を願っていっせいに「蛙跳び」をするのが慣例となっている。

授与[編集]

受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられる。受賞者に与えられる賞金は、ノーベルの遺言に基づき、彼の遺産をノーベル財団が運用して得た利益を原資としている。但し「経済学賞」は1968年に創設され1969年から授与されたが、その原資はスウェーデン国立銀行の基金による。そのため、この賞は正式名称を「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞」としており、厳密にはノーベル賞には含めない場合も多い。

2001年から現在まで賞金額は1,000万スウェーデン・クローナ(約1億円)である。しかしスウェーデンのノーベル財団は2012年6月11日の理事会で、過去10年間にわたって運用益が予想を下回ったこと等を理由として、2012年のノーベル賞受賞者に贈る賞金を2割少ない800万スウェーデン・クローナ(約8,900万円)とすることを決めた[14]。 賞金の配分については、受賞者が2人(団体)の場合は全賞金を折半する。受賞者が3人(団体)の場合は、「1人ずつが単独の研究による受賞」「3人の共同研究による受賞」であれば1/3ずつ分けられ、「1人が単独、2人が共同研究による受賞」であれば単独受賞の人物が1/2、共同受賞の2人が残りの1/2(1人あたり1/4)を得る形になる。

メダル[編集]

受賞時に渡されるメダルは1902年から使用され、ノーベル財団によって商標登録されている。1901年の第1回受賞時にはメダルが間に合わなかったため、第2回からの授与となっている。

メダルには表面にアルフレッド・ノーベルの肖像(横顔)と生没年が記されている。表面のデザインは物理学賞・化学賞・医学生理学賞・文学賞では同じであるが、平和賞と経済学賞では若干異なる。裏面のデザインは賞によって異なるが、物理学賞と化学賞では共通のデザインで、自然の女神のベールを科学の女神がそっと外して横顔を覗いているデザインとなっている。1980年以前のメダルは24Kの純金であったが、落としただけで曲がってしまったり、傷がつきやすいということもあって、現在では18Kを基材として、24Kでメッキした金メダルが使用されている。重量は約200g、直径約6.6cm。

メダルのレプリカは、受賞者本人が上限を3個として作成してもらうことが許可されている。

2010年まではスウェーデン政府の機関が制作していたが、予算削減のため2011年からノルウェーの企業に委託されることになった。しかし国内での製造を望む国民の要望が多かったため、2012年からスウェーデンの民間企業で製造されることが決定した。

ガムラスタンにあるノーベル博物館には、ノーベル賞のメダルを模した「メダルチョコ」が売られており、観光客だけではなく授賞式に訪れた受賞者本人も土産として購入するという。益川敏英はこのチョコを600個も買い込んで話題となった[15]。

科学史としてのノーベル賞[編集]

前述のようにノーベル賞の自然科学分野における受賞者は欧米の研究者を中心としており、1920年代に日本人の山極勝三郎がノミネートされた際には、選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」との発言があったことも明らかになっている[16]。欧米以外の国で研究活動を行った非欧米人では、1930年にインド人のチャンドラセカール・ラマンが物理学賞を受賞したのが最初である。日本人である湯川秀樹、朝永振一郎らがやはり物理学賞で受賞している。

受賞条件と辞退[編集]

ノーベル賞は受賞者が自然人の場合、「本人が生存中」が受賞条件だが、かつてはノミネート時点で生存していれば受賞決定時に死亡していてもよいこととされており、そのケースに当てはまる受賞者には、1931年文学賞のエリク・アクセル・カールフェルトと、1961年平和賞のダグ・ハマーショルドがいる。1973年から、10月の各賞受賞者発表時点で生存している必要があるが、その後死亡しても取り消されないことになり、その規定により1996年経済学賞のウィリアム・ヴィックリーは授賞式前に亡くなっても受賞が取り消されなかった。2011年医学生理学賞のラルフ・スタインマンは受賞者発表の直後に当人がほんの3日前に死亡していたことが判明したが、これには受賞決定後に本人が死去した場合と同様の扱いをし、変更なく賞が贈られることになった。

これまでにノーベル賞の受賞を辞退したのは、ジャン=ポール・サルトル(1964年文学賞辞退)、レ・ドゥク・ト(1973年平和賞辞退)、ゲルハルト・ドーマク(1939年医学・生理学賞辞退)の3人であるが、ドーマクは本人の意思ではなく、ナチスの圧力で強制的に辞退させられただけなので、戦後の1947年に賞を受け取っているため、最終的に受け取らなかったのは前者2名である。

評価と論争[編集]

ノーベルの遺言により、平和賞の選定はスウェーデンの機関ではなくノルウェー国会に委任されている。理由は諸説ありはっきりしないが、当時のスウェーデンとノルウェーは同君連合を組んでいたこと、そして当時のノルウェーには自主的外交権がなかったために平和賞の選考には常に中立性が期待できたことなどが理由と考えられている[17]。

1929年の医学生理学賞はビタミンB1の発見によりオランダのクリスティアーン・エイクマンに贈られているが、エイクマンは米ぬかの中に脚気の治癒に効果のある栄養素(ビタミン)が存在することを示唆したにすぎず、実際にその栄養素をオリザニン(ビタミンB1)として分離・抽出したのは日本の鈴木梅太郎である。

1926年の医学生理学賞は寄生虫によるガン発生を唱えたデンマークのヨハネス・フィビゲルに贈られ、同時期に刺激説を唱えていた山極勝三郎が受賞を逃している。後年フィビゲルの説は限定的なものであるとして覆されている。

ポルトガルのエガス・モニスはロボトミー手術を確立したことで1949年の医学生理学賞を受賞しているが、ロボトミーは効果が限定的であるにも関わらず副作用や事故が多く、またその後向精神薬が発達したこともあり、現在では臨床で使われることはない。モニス自身も実験的な手術を行っただけで、臨床に導入してはいなかった。

文学賞は、過去には歴史書や哲学書の著者にも贈られたことがあったが、1953年にイギリス首相のウィンストン・チャーチルが自著『第二次世界大戦回顧録』を理由に文学賞を受賞したことで選考対象の定義をめぐる論争が起った。結局これ以降は、文学賞の対象は純文学に限られることとなった。

戦争を起こした当事者が平和賞を受賞したこともある。キャンプ・デービッド合意によりエジプトとイスラエルの間に和平をもたらしたことが評価されて1978年の平和賞はエジプトのアンワル・サダト大統領とイスラエル首相のメナヘム・ベギン首相に贈られたが、そもそもその仲介役としてアメリカの重い腰を上げさせるために第四次中東戦争を企画し、イスラエルへの奇襲作戦を主導したのはそのサダト自身だった。結果的にサダトの狙いは的中したが、これは外交手段の一環として引き起こした戦争を恒久的平和にまで持ち込むことに成功した稀な例となった。一方、サダトとベギン両首脳に実に12日間にもわたってワシントンD.C.郊外の大統領保養地キャンプ・デービッドを自由に使わせ、難航する和平会談の成功に奔走したアメリカのジミー・カーター大統領が、この両首脳とともに平和賞を受賞しなかったことに対しては疑問を唱える声が各方面から上がった。そのカーターには2002年になって「数十年間にわたり国際紛争の平和的解決への努力を続けた」ことなどを理由に遅ればせながらの平和賞が贈られている。

平和賞は圧政下における反体制派のリーダーに贈られることがあることから、受賞者の国の政府から反発を受けることがよくある。その例として、ナチス・ドイツの再軍備を批判したカール・フォン・オシエツキー、ソ連の際限ない核武装を批判したアンドレイ・サハロフ、中国に軍事占領されたチベットの亡命政権を代表するダライ・ラマ14世、ポーランド民主化運動を主導した「連帯」のレフ・ワレサ、南アフリカの人種隔離政策を批判したデズモンド・ツツ主教、ミャンマー軍事政権の圧政とビルマ民主化を訴えたアウンサンスーチー、中国の人権侵害を批判し民主化を訴えた劉暁波などが挙げられる。

1958年にノーベル文学賞を受賞したボリス・パステルナークは、ソ連政府の圧力により授賞辞退を余儀なくされた。それでもノーベル委員会は彼に一方的に賞を贈っている。




3通の遺言[編集]

ノーベルの遺言は3通ある[18]。書かれた年次は、順に1889年、1893年、1895年である。1889年の初めて書かれた遺言は破棄されている。

1893年に書かれた2通目は、最も形式が整ったものである。具体的な金額が盛り込まれておらず、遺産分配の割合が記されていた。親類・仕事仲間・友人らへ20%を与え、協会や研究所などに16%を寄付し、残りの64%を基金の設立のためにストックホルムの科学アカデミーに移譲するという内容であった。
16%枠にオーストリア平和協会が入っていて、「平和運動推進のため」使うよう明記されていた。ベルタ・フォン・ズットナーに宛てた言葉と考えられている。
64%枠について、(生理学と医学を除く分野で)業績を残した者に利子を与えること、そして、受賞要件とはしないが、欧州平和裁判所の設立に関して、政府や国家の偏見と、著作や行動で果敢に戦う者は、候補として推挙すること、なお、選考で国籍や性別を問わないことが記されている。

1895年に書かれた3通目は、ノーベルが翌年夏、ストックホルム・エンシルダ銀行に保管した。2通目以前を無効とする旨が明記されているが、2通目との違いは大きく分けて2点ある。1つは個人相続分が具体的な金額で示され、結果として2通目と比べた総額は実質的に1/3程度に縮小された点である。内訳は次の通り。なお、兄ロベルトの子供たち4人その他には生前にそれぞれ2万クローナが振り込まれた。
甥ヤルマー 20万クローナ
甥ルードヴィ 20万クローナ
甥エマニュエル 30万クローナ
ゾフィー・ヘス 年金として26000フローリン
オルガ・ボットゲァー嬢(ゾフィーの妹) 10万クローナ
アラリック・リードベック 10万クローナ
エリーセ・アンツン嬢 年金として2500フラン
アルフレッド・ハモンド 1万ドル
エミー・ウィンケルマン嬢 15万マルク
マリエ・ウィンケルマン嬢 15万マルク
家政婦のゴーシャー婦人 10万フラン
召使アウグスト・オスワルド 年金として1000フラン
アウグストの妻アルフォンセ・オスワルド 1000フラン
元庭師ジャン・レコツ 年金として300フラン
郵便局員デッソル夫人 年金として300フラン
ジョルジュ・ファーレンバック 1899年1月まで毎年5000フラン

2通目との相違における第2点は、文学賞、医学賞、平和賞の選考主体を新たに指定した点である。これらの選考がスウェーデン王立科学アカデミーには難しいとノーベルが考えていたことが推測されている。

なお、3通目の終わりで指名された遺言執行人は、ラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストの2人である。

候補者の予想[編集]

トムソン・ロイターは、同社が運営する代表的なサイテーションインデックス(学術文献引用データベース)のWeb of Scienceの情報に基づいて、ノーベル賞の有力候補者の予想を行っている。2011年の受賞者9人は、全て過去に候補に挙げている[19]。

賞に関する記録[編集]
ノーベル賞を二度受賞した人・団体 マリ・キュリー(1903年に物理学賞、1911年に化学賞)
ジョン・バーディーン(1956年と1972年に物理学賞)
フレデリック・サンガー(1958年と1980年に化学賞)
ライナス・ポーリング(1954年に化学賞、1962年に平和賞)
国際連合難民高等弁務官事務所(1954年と1981年)

ノーベル平和賞を三度受賞した団体 赤十字国際委員会(1917年と1944年と1963年)

親子でノーベル賞を受賞した組 ピエール・キュリー、マリ・キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリーの親子
ジョセフ・ジョン・トムソンとジョージ・パジェット・トムソンの父子
ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグの父子
ニールス・ボーアとオーゲ・ニールス・ボーアの父子
マンネ・シーグバーンとカイ・シーグバーンの父子
アーサー・コーンバーグとロジャー・コーンバーグの父子
ハンス・フォン・オイラー=ケルピンとウルフ・スファンテ・フォン・オイラーの父子

兄弟でのノーベル賞を受賞した組 ヤン・ティンバーゲンとニコ・ティンバーゲンの兄弟

叔父-甥の関係でノーベル賞受賞 チャンドラセカール・ラマンとスブラマニアン・チャンドラセカール

夫婦で共同受賞した組 ピエール・キュリーとマリ・キュリー(1903年物理学賞)
フレデリック・ジョリオ=キュリーとイレーヌ・ジョリオ=キュリー(1935年化学賞)
カール・コリとゲルティー・コリ(1947年生理学・医学賞)

親子で共同受賞した組 ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグ(1915年物理学賞)

最年少ノーベル賞受賞者 ローレンス・ブラッグ1915年25歳で物理学賞受賞

最年長ノーベル賞受賞者 レオニード・ハーヴィッツ(2007年に90歳で経済学賞受賞)
レイモンド・デービス(2002年に88歳で物理学賞受賞)
ドリス・レッシング(2007年に88歳で文学賞受賞)
ペイトン・ラウス(1966年に87歳で生理・医学賞受賞)
カール・フォン・フリッシュ(1973年に87歳で医学生理学賞受賞)
ジョセフ・ロートブラット(1995年に87歳で平和賞受賞)

(受賞の決め手となる功績から)最短記録 バラク・オバマ - 2009年4月にプラハで行った「核のない世界」への包括的構想の発表から約半年後の2009年に受賞[20]

(受賞の決め手となる功績から)最長記録 ペイトン・ラウス - 発がん性ウイルスの発見の約55年後の1966年に受賞
エルンスト・ルスカ - 電子顕微鏡の開発の約55年後の1986年に受賞


脚注[編集]

1.^ Golden, Frederic (2000年10月16日). “The Worst And The Brightest”. Time (Time Warner) 2010年4月9日閲覧。
2.^ Sohlman, Ragnar (1983). p. 13.
3.^ Sohlman, Ragnar (1983). p. 7.
4.^ von Euler, U. S. (1981年6月6日). “The Nobel Foundation and its Role for Modern Day Science” (PDF). Die Naturwissenschaften (Springer-Verlag) 2010年1月21日閲覧。
5.^ Abrams, Irwin (2001). p. 7.
6.^ a b Levinovitz, Agneta Wallin (2001). pp. 13–25.
7.^ Abrams, Irwin (2001). pp. 7–8.
8.^ Crawford, Elizabeth T. (1984). p. 1.
9.^ ノーベル平和賞 (Norway - the official site in Japan)
10.^ “ノーベル賞受賞のスタインマン氏、死去していた”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年10月3日). オリジナルの2011年10月5日時点によるアーカイブ。 2011年10月3日閲覧。
11.^ AFP (2013年2月26日). “DNA構造発見のノーベル賞メダルが競売に、米NYで4月”. AFPBB News 2013年6月15日閲覧。
12.^ “About the Nobel Prizes”. Nobelprize.org (2013年1月15日). 2013年6月15日閲覧。
13.^ ノーベル賞との関わり - 山崎金属工業株式会社
14.^ “ノーベル賞の賞金、2割減らします…運用益低迷”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2012年6月12日). オリジナルの2012年6月15日時点によるアーカイブ。
15.^ 益川教授「土産はこれだ」 メダルチョコ600個も購入 - asahi.com 2008年12月9日
16.^ 朝日新聞社編 『100人の20世紀(上)』 朝日文庫 p237-「山極勝三郎」。ただし、科学ジャーナリストの馬場錬成はその著書『ノーベル賞の100年』(中公新書)の中で、3回にわたるノーベル財団への取材経験から、ノーベル賞選考における日本人差別は「100パーセントないだろう。」と指摘している。また、2004年に(山極が候補となった)1926年の医学生理学賞の選考書類を再調査した文献でもそのような指摘はない(山極の項目を参照)。
17.^ ノーベル平和賞(Norway - The official site in Japan)
18.^ ケンネ・ファント 服部まこと訳 『アルフレッド・ノーベル伝』 新評論 1996年 68章
19.^ トムソン・ロイターのノーベル賞予測:今年のノーベル賞受賞者9名すべてを過去に予測、2011年10月
20.^ 自然科学分野では、ヨハネス・ゲオルグ・ベドノルツとアレキサンダー・ミュラーが、酸化物高温超伝導体の発見の論文発表から約1年後の1987年に受賞したのが最短記録。

関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、ノーベル賞に関連するカテゴリがあります。

ウィキニュースにはノーベル賞に関連するニュースのカテゴリがあります。
ノーベル賞受賞者の一覧
国別のノーベル賞受賞者 日本人のノーベル賞受賞者 国道41号 - 日本人ノーベル賞者に縁のある場所が沿線に多いことから、「ノーベル街道」の異名あり。

ハンガリー人のノーベル賞受賞者

ノーベル財団
アーベル賞(数学)
フィールズ賞 (数学)
チューリング賞(計算機科学)
ゲーデル賞(理論計算機科学)
ダーウィン・メダル(生物学)
プリツカー賞(建築)
クラフォード賞(数学、地球科学、生物科学、天文学) - ノーベル賞が扱わない科学領域
アルバート・ラスカー医学研究賞
ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞(生化学・生物学)
ジョン・ベイツ・クラーク賞(経済学)
ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会)
ストックホルム国際青年科学セミナー
イグノーベル賞 - ノーベル賞のパロディ版
ルードヴィ・ノーベル賞 - ロシア版ノーベル賞
ライト・ライブリフッド賞
スティーブン・A・クーンズ賞
テンプルトン賞
Nobel laureates by university affiliation
孔子平和賞 - 劉暁波への授与に猛反発する中国がノーベル賞に対抗して設立した独自の賞。
スターリン平和賞 - ソビエト連邦がノーベル平和賞に対抗して創設した賞。後にレーニン平和賞と改められる。
ドイツ芸術科学国家賞 - カール・フォン・オシエツキーへの平和賞授与に反発したナチス・ドイツによって創設された賞。
トムソン・ロイター引用栄誉賞 - ノーベル賞受賞の可能性が高い人達に授与される賞。トムソン・ロイター社

外部リンク[編集]
Nobelprize.org(ノーベル賞の公式サイト)(英語)
ノーベル賞候補者@ウィキ

表・話・編・歴
ノーベル賞

部門
物理学賞 - 化学賞 - 生理学・医学賞 - 文学賞 - 平和賞 - (経済学賞)


受賞者一覧
部門別・年代別 - 国別(日本人 - ハンガリー人)


選考
スウェーデン王立科学アカデミー(物理学賞・化学賞・経済学賞) - カロリンスカ研究所(生理学・医学賞) - ノルウェー・ノーベル委員会(平和賞) - スウェーデン・アカデミー(文学賞)

カテゴリ: ノーベル賞
スウェーデンの賞
スウェーデン
北欧
北欧の文化

天使 - W

虎馬元:天使 - W 

天使出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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その他の用法については「天使 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
「エンジェル」はこの項目へ転送されています。
その他の用法については「エンジェル (曖昧さ回避)」をご覧ください。
歌を歌う天使達。ウィリアム・アドルフ・ブグロー (1881)。
セラフィム。ヴィクトル・ヴァスネツォフ (1885-1896頃の作品)。天使(てんし)は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典や伝承に登場する神の使いである。以下、しばしばアブラハムの宗教と呼ばれ、比較宗教論の宗教分類で並置されるこの3宗教の天使について叙述する。
キリスト教による日本語訳聖書では「御使い」と訳される。
日本ハリストス正教会では神使(しんし)とも訳す(日本正教会では「天使」という語も併用される)。
目次
1 語源
2 ユダヤ教における天使
3 キリスト教における天使
4 イスラム教における天使
5 聖書偽典における天使
5.1 アダムの家系と天使
5.2 堕天使
6 『バルクの書』の天使
7 オカルティズムにおける天使
8 天使の概念史
8.1 天使と神々
8.2 2種類の天使
8.3 天使像の変遷
9 註
10 参考文献
10.1 一般
10.2 神話学・美術史
10.3 哲学・神学史
10.4 キリスト教神学
11 関連項目
語源[編集]英語の angel はギリシア語のアンゲロス(αγγελος;angelos)に由来し、その原義は「伝令」「使いの者」である。古代ギリシア・ローマ世界では、アンゲロスは生身の人間としての伝令であると同時に、神々と人間の中間の霊的存在としての伝令を指す言葉でもあり得た。古代の非キリスト教徒のネオプラトニストは、アンゲロスを神々やダイモーンのような超自然的存在として扱った[1]。また、「密使」を意味するペルシア語の「アンガロス」や「神の霊」の意であるサンスクリットの「アンギラス」も、ギリシア語のアンゲロスとともに語源に挙げられることがある[2]。
ユダヤ教における天使[編集]天使は、ヘブライ語ではマルアハ (םַלְאָךְ [mal’aḵ]) という。これは「遣わす」を意味する語根 √l’k の派生語である。
ユダヤの伝承では、天使サンダルフォンやメタトロンなどが存在する。サンダルフォンなどは背の高さが世界の大きさの半分に達するなど、「御使い」としての天使とはかなりイメージや存在が異なる。
キリスト教における天使[編集]詳細は「御使い」を参照
キリスト教における天使は旧約聖書と新約聖書に基づいている。御使いは新約聖書の福音書、使徒行伝、ヨハネの黙示録、エペソ書などで言及される。コロサイ2:18、黙示録19:10, 22:8-9 から、天使崇拝は偽りの教師の異端的な教えとして否定される[3]。
天使は人間よりも優れた知恵と能力を持った、肉体を持たない“霊”であるとされている。天使長はミカエル(ダニエル書10:13、ユダの手紙1:9)、そのほかにセラピム、ケルビム、一般的な御使いがいる。キリスト教では悪魔(ギリシア語でsatanas)は堕落した天使であり、もともと神によって善きものとして造られたが[4]、神に逆らって地獄に堕ち、人間に悪を行うことを薦めるようになったとされる(Cf. 堕天使)。
カトリック教会における天使論は偽ディオニシウス・アレオパギタ(偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース)の『天上位階論』の影響もある。
守護天使の存在がカトリック教会で肯定されている[5]。
宗教改革者ジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』でキリスト教徒を守るために遣わされる御使いについて教えており、今日の福音派においても、神の御使いとしての人格をもった天使が存在すると考えられている[6][7][8]。ただし、カルヴァンは綱要でローマ・カトリックの天使に関する教えについて批判している。自由主義神学(リベラル)では、天使は擬人的表現であるとも捉えられ、天使が実在するとは必ずしも考えられていない。一方、福音派では、聖書は天使の存在を当然としているのであって、人格をもった天使が存在することは聖書の教理であると信じられている[9]。
イスラム教における天使[編集]イスラム教では、天使の存在は信徒(ムスリム)が信仰すべき六信のひとつである。アラビア語で単数形マラク (مَلَك [malak]) でヘブライ語からの借用語とみられるが、通例、複数形のマラーイカ ( مَلائِكة [malā'ika])、マラーイク ( مَلائِك [malā'ik]) で呼ばれる。マラーイカは唯一神であるアッラーフが創造した存在であるが、神と人間の間で仲立ちを務める、霊的に神と人間の中間の存在であるとされる。イスラム教での天使もユダヤ教、キリスト教での天使とほぼ同じである。
ジブリールから啓示を受ける預言者ムハンマド(集史より)。マラーイカは数多く存在するが、その頂点にあるのがジブリール ( جبرئيل [Jabra'īl]、جبرائيل [Jabrā'īl, Jibrā'īl]、جبريل [Jibrīl])、ミーカーイール ( ميكائيل [Mīkā'īl])、イズラーイール ( عزرائيل [`Izrā'īl])、イスラーフィール ( اسرافيل [Isrāfīl]) の四大天使である。ジブリールとミーカーイールはクルアーンに登場する。クルアーンには名前と役割の明らかな天使はそれほど登場しないが、ハディースなどの伝承において天使に関する様々な言及が存在する。それによれば、天使は神が光から創造した存在で、主に天上にあって神を助ける役割を帯びている。
ジブリールはクルアーンに3度言及されており (Q 2:28-29, 66:4)、天使の筆頭とされる。イスラムの預言者ムハンマドに啓示を教えた存在として特に重要視されている。キリスト教での教義と同様にイエス(イーサー)の母マリア(マルヤム)に受胎告知を行った天使であり、またアブラハム(イブラーヒーム)がイサク(イスハーク)を犠牲に捧げようとした時に、神の命令によってこれを制止した天使もジブリールとされている。ミーカーイールはクルアーンで一度だけ「ミーカール ( مِيكَال [Mīkāl])」と表記されてジブリールと並んで出て来るが (Q 2:98)、イスラム諸文献ではジブリールに比べると言及される頻度はあまり多くない。イズラーイールはクルアーンにも言及されている「死の天使 ( ملك المَوْت [malak al-mawt])」(Q 32:11) のことと考えられており、死を司る天使とされている。魂を引き離す役割を担い、人間が世界のいついかなる場所にあっても予定された時に必ず現れて死をもたらす存在であるという。ただし、個人の死の予定については神が決めるため、イズラーイール自身には分からないという。イスラーフィールは終末の審判の時に、その到来を告げるラッパを吹く天使とされる。頭は天に達し足は地に至るというほどの巨体であるという。終末に天使がラッパを吹くことはクルアーンで述べられているが、イスラーフィールという名は出て来ず、ハディースなどでその名前が知られている。
イスラム教では後に創造されたものであるほど優れているという考えがあり、アッラーフは天使に、最初の人間であるアーダムを礼拝するように命じた。天使は神を称讃して止まぬ存在で、神の唯一性(タウヒード)や啓示の真正さを確証する存在でもあるとされる。そのため、神の啓示を預言者たちに伝える役割を担い、終末にはラッパを吹き鳴らし、死者の生前の善行や悪行など行いの全てについてやその判決を記録する者ともされている。多くは神の天の玉座の周りを神を讃美しながら幾重にも巡っているといい、天の楽園の番人たちも天使の役割とされている。また、場合によっては個人の救済のために現れることもある。総じて、イスラム教の天使は、神の補佐役として様々な役割を遂行する存在である。
聖書偽典における天使[編集]アダムの家系と天使[編集]旧約偽典「ヨベル書」によれば、アダムの子孫は代々天使と人間の間に生まれた娘と結婚し、その一族エノク、メトシェラ、ノアなどが生まれたという。
堕天使[編集]詳細は「堕天使」を参照
創世記のノアの洪水の部分と旧約聖書の偽典でエチオピア正教会の正典エノク書によれば、天使の一部グリゴリ(200名)が人間の娘と交わりネフィリム(天から落ちてきた者たちの意味、通常は巨人と訳されている)を生みだすという事件を起こしたが、大洪水でノアの方舟以外のネフィリムを含む人間は死に絶えている。キリスト教におけるヨハネの黙示録による学説では、天使の一部は神に反逆し堕天使となり、その長は元天使長暁の天使ルシファーで、争いに敗れて地獄の長となったとされる。
ヘレニズム期のユダヤ教セクト、クムラン教団で破壊をもたらす闇の天使とされたベリアルは、新約聖書の時代には悪魔の固有名詞として扱われるようになった[10]。コリントの信徒への手紙二では、ベリアルがキリストと反対の位置にあることが示されている[11]。
『バルクの書』の天使[編集]ヒッポリュトスの『全異端反駁』の報告するところでは、グノーシス主義ナハシュ(蛇)派の『バルクの書』には以下のような神話が含まれていたという。
第二の男性原理エロヒム(万物の父)と第三の女性原理エデンまたはイスラエル(体は女性、足は蛇身)の間に24の天使が生まれた。この天使をモーゼはパラダイスと呼んだ。エロヒムとエデン各12の天使が仕えた。エロヒムの天使がエデンの人身の土からアダムとイヴの体を創った。エロヒムが天に昇ったので怒ったエデンはナハスとアフロディテ(バベル)により人間の霊を苦しめさせた。エロヒムの天使バルクはモーゼや他の預言者、ヘラクレスなどに働きかけて人間の霊を天上へ昇らせ救おうとするもモーゼ・預言者はナハス、ヘラクレスはアフロディテの誘惑に敗れる。バルクはイエスに全てを話し、ついにイエスの霊は天上に昇り後続の人間も救われた[12]。
オカルティズムにおける天使[編集]ダイアン・フォーチュンは、心霊現象から自分を防衛する必要がある時に魔法円を描いて天使に祈る方法を紹介している[13]。 また、「天使うらない」という占いが行われている[14][15]。
天使の概念史[編集]「仕える霊」としての「み使い」は捕囚期以降の観念であると考えられている。古い文書、とりわけモーセ五書に登場する「ヤハウェの使い」はむしろヤハウェ(エホバ)の特別な顕現ないし密接な関係にある高次の霊と考えられた。セラフィムやケルブ・ケルビム、あるいはオファニムなども、「み使い」の意味での天使とは考えられていなかった。彼らは、神ヤハウェ(エホバ)と密接な関係を持つ高次の霊ではあるが、何か異質な者と考えられていた(この考えはまた、初期のキリスト教の神学者たちも感じていた)。
捕囚期以降、神が多数の霊に仕えられているとする観念が生まれた。この「天の宮廷」にバビロニア神話の影響をみるものもいる。またおのおのの国にはそれを司る天使(国の君)がいるという考え方が生まれた。
天使と神々[編集]
多数の羽根を持つケルビム。作者不詳 (1156)。3宗教の聖典であるモーセ五書における「神の使い」「ヤハウェの使い」は、ヤハウェの顕現体であり、ときにヤハウェ(エホバ)と同一視されるが、天使はこれと異なり、「仕える霊」として描写される。旧約聖書における「仕える霊」「天の軍勢」としての天使への言及は比較的新しく、ユダヤ人のバビロン捕囚期以降に成立した概念と考えられている。ミカエル、ラファエルなど固有の名前をもった天使は、捕囚期以後に成立した文書にはじめて現れる。3世紀のラビ・シメオン・ベン・ラキシュはこのことを指摘し、これらの天使がバビロニア王国に捕囚されていた時代に由来するとの説をたてた。
ここから、天使の概念は、アブラハムの宗教が広まり、他民族を取り込んでイスラエル民族が成立していく過程で、他宗教の神を、唯一神によって創造された下位の存在として取り込んでいったとする考えがある。またゾロアスター教の神の組織のあり方に、天使の組織のあり方が類似しており、天国と地獄の概念、善悪の天使に分かれて戦う戦争の概念はゾロアスター教の考え方から影響があると言われている。しかし、天使が本来持っている霊的・神学的な概念を示す最古のものは、古代世界とはほとんど関係が無く、全ては旧約聖書と新約聖書に結びついている。
2種類の天使[編集]天使は主に二つの類に分かれる。第一は「み使い」と呼ばれる天使である。第二は、セラフィム(熾天使)、ケルビム(智天使)、オファニム(座天使)がそうであるが、多数の眼を持ち、多数の翼等を持った姿の天使である。これらは一般的な天使のイメージとはほど遠い怪物的なイメージで表現されている。
第一の天使は、『旧約聖書』『新約聖書』においては、姿が見えないか、翼など持たず普通の人と変わらない、成人か若い青年の姿で現れる。(なお、ガブリエルやミカエルは下級天使の位階である大天使とされるが[16]、上級天使である熾天使や智天使の位階にあるとされる場合もある。これは、キリスト教で天使位階を論じて、彼らを最高位天使としたためである。彼らは、怪物のような姿では考えられていない)。
天使像の変遷[編集]初期のキリスト教では、天使は(現在の一般的な天使イメージとは異なり)翼を持たない姿で描かれることもあったが、聖書中には4つの翼を持つケルビム[17]と6つの翼を持つセラフィム[18]の記述が存在する。この内、ケルビムの描写は翼の下に人間の手があるとされ、現在膾炙している天使の容姿と合致する内容である。聖書と内容を一部共有するクルアーンにおいても、天使は2対、3対、または4対の翼を持つ存在であるとされている[19]。天使が有翼の姿であると普及するようになるのは、オリエント・ペルシアの天使・精霊のイメージなどが混合されてきたことも一因であると考えられる。
中世ヨーロッパにおいては、絵画から窺える限りでは、天使は有翼で、当時の西欧人の衣装をまとい、「天の聖歌隊」を構成する天使たちは美少年の姿に、悪と戦う使命を持ったミカエルなどは、鎧をまとい剣を帯びた、雄々しい戦士の姿で描かれていた。
近世以降、無垢な子供の姿や、女性の姿、やさしい男性の姿を取って表現されることが多くなった。これはルネサンス期にローマ神話のクピド(女神ウェヌスの子である愛の神)からイメージを借りたとされる。場合によっては童子の顔と翼だけで身体を持たない姿に描かれることもある。

1.^ Luck, Georg. Arcana Mundi - Magic and the Occult in the Greek and Roman Worlds. The Johns and Hopkins University Press
2.^ グスタフ・デイヴィッドスン 『天使辞典』
3.^ 『新聖書辞典』
4.^ 『天使論序説』 p.137
5.^ 『公教要理』、『カトリック教会のカテキズム』
6.^ ビリー・グラハム 『天使』 いのちのことば社。
7.^ ヘンリー・シーセン 『組織神学』 聖書図書刊行会。
8.^ マーティン・ロイドジョンズ 『キリスト者の戦い』 いのちのことば社。
9.^ 尾山令仁 『聖書の教理』「神が造られた歴的世界」。
10.^ 南條竹則 『悪魔学入門』 講談社、2010年。
11.^ 『新共同訳聖書』 コリント第二 6章15節。
12.^ 荒井献・他訳 『ナグ・ハマディ文書 救済神話』 岩波書店、1997年。
13.^ ダイアン・フォーチュン 『心霊的自己防衛』 国書刊行会、pp.187-189。
14.^ 鏡リュウジ 『天使のしあわせ運び 』 二見書房。
15.^ 鏡リュウジ 『天使うらない』 小学館。
16.^ 『岩波 キリスト教辞典』 p.780
17.^ 旧約聖書 エゼキエル書10章21節
18.^ 旧約聖書 イザヤ書6章2節
19.^ クルアーン35章1節
参考文献[編集]一般[編集]グスタフ・デイヴィッドスン 『天使辞典』 創元社、2004年。ISBN 4422202294
マルコム・ゴドウィン 『天使の世界』 青土社、2004年。ISBN 4791761030
ジョン・ロナー 『天使の事典―バビロニアから現代まで』 鏡リュウジ訳、柏書房。
パオラ・ジオベッティ 『天使伝説』 鏡リュウジ訳、柏書房。
神話学・美術史[編集]吉田敦彦 『世界の始まりの物語 天地創造神話はいかにつくられたか』 大和書房。
ローラ・ウォード/ウィル・スティーズ 『天使の姿―絵画・彫刻で知る天使の物語』 新紀元社、2005年。ISBN 4775304186
哲学・神学史[編集]稲垣良典 『天使論序説』 講談社〈講談社学術文庫〉、1996年。ISBN 4061592327
キリスト教神学[編集]トマス・アクィナス 『神学大全』第44冊 稲垣良典訳、創文社。
ジャン・カルヴァン 『キリスト教綱要』 改革派教会。
ヘンリー・シーセン 『組織神学』 聖書図書刊行会。
ビリー・グラハム 『天使』 いのちのことば社。
関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、天使に関連するメディアがあります。
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カテゴリ: 天使聖書

アーサー・C・クラーク - W5

虎馬元:アーサー・C・クラーク - W 

サー・アーサー・チャールズ・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke、1917年12月16日 - 2008年3月19日)は、イギリス出身のSF作家。20世紀を代表するSF作家の一人であり、科学解説者としても知られている。
目次
1 概要 2 生涯 2.1 作家としての経歴 2.2 その後 3 ビッグ・スリー 4 宗教観 5 超常現象に対する姿勢 6 作風
7 映画化作品 7.1 2001年宇宙の旅 7.2 2010年 7.3 宇宙のランデヴー
8 静止衛星 9 受賞・栄誉 10 作品リスト 10.1 長篇 10.1.1 宇宙の旅シリーズ
10.1.2 ラーマシリーズ 10.2 短篇集 10.3 ノンフィクション 10.4 その他
11 TV番組 12 脚注・出典 13 参考文献 14 関連項目 15 外部リンク
概要
1950年代から1970年代にはロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍した[2]。他の2人がエンターテイメント、SF叙事詩を志向したのに対して、クラークは豊富な科学的知識に裏打ちされた近未来を舞台にしたリアルなハードSF作品群と仏教思想に共鳴した「人類の宇宙的進化」を壮大に描く作品群とに特色がある。代表作は『幼年期の終わり』、『2001年宇宙の旅』。作品のほとんどが邦訳されている。短編では「太陽系最後の日」や「星」などが有名。SF以外の小説はイギリス空軍時代の体験を基にした1963年の Glide Path(日本語未訳)の一作のみ。

1941年から1946年までイギリス空軍にてレーダー技師を務めた。1945年には人工衛星による通信システムを提案した[3][4]。1946年から1947年まで英国惑星間協会の会長を務め、1951年から1953年にも再び会長を務めた[5]。

1956年、スリランカ(当時セイロン)に移住したが、これはスキューバ・ダイビング好きが高じたのが主な理由であり[6]、死去するまでほとんどの期間をそこで過ごした。『スリランカから世界を眺めて』というスリランカでの暮らしに触れたエッセイ集もある。晩年まで小説を執筆した。1998年エリザベス女王よりナイトの称号を授与され[7][8]、2005年にはスリランカの文民向けの最高の勲章 Sri Lankabhimanya を授与された[9]。

生涯

1917年12月16日に、サマセット州マインヘッドにて生まれる[2]。少年時代は天体観測を趣味とし、アスタウンディングなどのパルプ誌をはじめとしたSF小説に熱中していた[10]。1934年に英国惑星間協会へ入会し、活発に活動する(1946年には会長になった)。1936年にグラマースクールを卒業した後は公務員(教育委員会の年金部門の監査役)として働いていた[11]。

第二次世界大戦中にはイギリス空軍の将校として電波探知法、レーダーの開発に取り組み、教官も務める。レーダーによる早期警戒システム構築に関わり、このシステムがバトル・オブ・ブリテンでの勝利に寄与した。戦時中に特に力を入れたのは着陸誘導管制 (GCA) 用レーダーの開発であり、半自伝的小説 Glide Path に描かれている。戦争中にGCAが広く実用化されることはなかったが、その後の開発によって1948年から1949年のベルリン封鎖では大いに活用された。軍での階級は当初伍長だったが、1943年5月27日には空軍少尉(技術部門)となっている[12]。さらに1943年11月27日には中尉に昇格している[13]。復員時には大尉だった。戦後、ロンドン大学のキングス・カレッジに入学し、物理学と数学を専攻する。一時、大蔵省に勤めるがすぐに退職。

静止衛星の概念そのものはクラークの発明ではないが、人工衛星による電気通信のリレーというアイデアはクラークのものである。1945年にそのアイデアを論文にし、英国惑星間協会の主要メンバーに見せた。その論文を改稿したものを同年10月に科学雑誌“Wireless World”へ寄稿し、現在、通信の基幹となっている衛星通信の構想を初めて科学的に示したとされる[14][15]。1946年から1947年にかけて英国惑星間協会の会長を務め[16]、さらに1951年から1953年にかけても同職を務めた[17]。クラークは宇宙開発に関する科学解説書もいくつか書いており、『宇宙の探検』(1951) と The Promise of Space (1968) が特に有名である。赤道上空高度36,000kmの静止軌道を衛星通信に利用するというアイデアを提唱したことから、国際天文学連合はその軌道を公式に「クラーク軌道」と名付けた[18]。

1953年、フロリダに旅行して子持ちの22歳のアメリカ人女性 Marilyn Mayfield と出会い、電撃的に結婚[19]。6カ月後には別居したが、離婚が正式に成立したのは1964年のことである(映画2001年宇宙の旅の製作時期のアメリカ滞在中)[20]。クラークは「この結婚は最初から間違いだった」と述べている[20]。その後クラークが結婚することはなかったが、スリランカ人男性 Leslie Ekanayake とは親密な関係となり、『楽園の泉』の献辞には彼について「生涯ただ1人の親友」と書いていた[21]。クラークはコロンボにある墓地で、約30年前に亡くなった Ekanayake と同じ墓に埋葬された。スタンリー・キューブリックの伝記を書いた John Baxter は、クラークの同性愛指向について、彼がスリランカに移住した理由の1つとしてスリランカの法律が同性愛に寛大だったからだとしている[22]。あるジャーナリストがクラークに同性愛者なのかと尋ねたときは否定していた[23]。しかし、マイケル・ムアコックは次のように書いている。

誰もが彼がゲイだと知っていた。1950年代にはボーイフレンドを伴った彼と飲みに行ったこともある。彼の同棲相手やその家族にも何度も会ったことがある。彼らは一様に彼の親切に感謝していた。やや自己陶酔的で絶対禁酒主義者だったが、全く完璧な紳士だった。[24]

ムアコックの主張を裏付ける文献はないが、PLAYBOY誌1986年7月号のインタビュー[25]でクラークは両性愛の経験があるかと尋ねられ「もちろん」と応えている[26]。

クラークは原稿や個人的メモの膨大なコレクション "Clarkives" を維持していた。現在は兄弟のフレッド・クラークが保管している。クラークはかつて、死後30年経過するまで日記を公開しないと述べている。なぜ日記を封印したのかと聞かれ「まあ、あらゆる種類の恥ずべきことがそこに書かれているかもしれない」と応えている[27]。

作家としての経歴

クラークは1937年から1945年までファンジンにいくつか小説を発表していたが、1946年、アスタウンディング4月号に掲載された短編「抜け穴」で商業誌デビューする。実際に最初に売れたのは翌5月号に掲載された「太陽系最後の日」である。この作品は評価が高く、日本では『S-Fマガジン』創刊号に翻訳が掲載され、支持を得た。作家活動が本格化してきた1949年に Science Abstracts 誌の編集助手として働くようになったが、1951年以降は専業作家となった。また、イギリスのSFコミック Dan Dare シリーズの原作も手がけており、最初の長編3作は子供向けを意図して書いていた。

クラークは1940年代から1950年代にかけてC・S・ルイスと文通しており、一度オックスフォードのパブで会い、SFと宇宙旅行について議論したことがある。ルイスの死後、クラークは別世界物語三部作を本物の文学といえる数少ないSF作品だと述べ、最大限の賛辞を贈った。

1948年、BBCのコンクール向けに「前哨」を書いた。選外となったが、この作品がその後のクラークの経歴に変化をもたらした。それは『2001年宇宙の旅』の元になっただけでなく、クラーク作品により神秘的および宇宙的要素が加わるきっかけとなった。その後のクラークの作品では、技術的には現在よりも進歩しているが未だに偏見にとらわれた人類がさらに優れた異星生命体に出会うという設定が特徴的に見られるようになった。『都市と星』(およびその元になった『銀河帝国の崩壊』)、『幼年期の終り』、2001年シリーズといった作品では、優れた異星種族との出会いが概念的突破口を生み出し、人類がさらに次の段階へと進化することになる。クラーク公認の伝記において Neil McAleer は「いまだに多くの読者や批評家が(『幼年期の終り』を)アーサー・C・クラークの最高傑作としている」と書いている[20]。

クラークは1956年から亡くなる2008年までスリランカに住んだ。移住当初はまだ「セイロン」と呼ばれており、まず南のUnawatunaに住み、その後コロンボに引っ越した[23]。クラークはイギリスとスリランカ両国の市民権を持っていた[28]。大のスキューバ・ダイビング好きで、Underwater Explorers Club の会員でもあった。作家活動の傍ら、クラークはビジネスパートナーの Mike Wilson と共にダイビング関連のベンチャーを何度か起業している。1961年、Wilsonは Great Basses Reef で難破船を発見し、そこから銀貨を回収した。翌年その難破船にダイビングして本格的に宝探しする計画だったが、クラークが麻痺を訴えて計画が中止され、ポリオと診断された。翌年、クラークは海岸や船上で銀貨回収を観察した。その難破船は最終的にムガル帝国のアウラングゼーブのものと判明し、ルピー銀貨の溶融した袋や大砲などが見つかり、クラークは詳細に記録した文書を元にしてノンフィクション The Treasure of the Great Reef を出版した[20][29]。スリランカに住みその歴史を学んだことが、軌道エレベータを描いた小説『楽園の泉』の背景となった。軌道エレベータはロケットを時代遅れにし、静止衛星よりもこちらの方が重大な科学的貢献になるとクラークは信じていた[30]。

1958年ごろ、クラークは様々な雑誌に科学的エッセイを連載し多くの予言を残している。これらは1962年の『未来のプロフィル』にまとめられている。2100年までの年表[31]には様々な発明やアイデアが盛り込まれており、例えば2005年に "global library" という記述がある。同書には「クラークの第一法則」が書かれ、後の版で「クラークの三法則」に改められている[20]。

その後

1970年代初め、クラークは3作品の出版契約を結んでおり、当時のSF作家の新記録だった。そのうちの1作目『宇宙のランデブー』は1973年に出版され、主な賞を総なめにし、シリーズ化されることになり、2001年シリーズと並んで後期のクラークの経歴の基盤となった。1970年、「国際SFシンポジウム」(小松左京主宰)にジュディス・メリル、フレデリック・ポール、ブライアン・オールディス、ユーリ・カガルリツキーらと共にゲストとして来日、各地を遊歴。親睦会にてクラークはスリランカ風フラダンスを披露。

1980年代にはテレビ番組 Arthur C. Clarke's Mysterious World、Arthur C. Clarke's World of Strange Powers、Arthur C. Clarke's Mysterious Universe でクラークの名は一般に浸透した。1986年にはアメリカSFファンタジー作家協会からグランド・マスター賞を授与された[32]。1988年にはポリオ後症候群を発症。1962年のポリオ感染が原因で、その後は車椅子が必要になった[23]。クラークは長年 British Polio Fellowship[33] の副後援者を務めた。

1989年のイギリス女王の誕生パーティに招かれ、大英帝国勲章 (CBE) を授与された[34]。同年クラークは国際宇宙大学の初代学長に就任し、2004年まで同職を務めた。また、1979年から2002年までスリランカのモラトゥワ大学の学長も務めている。

1994年、テレビ映画 Without Warning に出演している。アメリカ製作のこの映画は、ニュース番組の形式で異星人とのファーストコンタクトを描いたものである。同年、ゴリラ保護活動の後援者になっている[35]。携帯電話用電池のためのタンタル採掘がゴリラを脅かしていることが判明すると、それに対するキャンペーンにも力を貸している[36]。

2000年5月26日、コロンボでの式典でナイトの称号を授与された[8][37]。ナイトに叙することは1998年の New Year Honours で発表済みだったが[7][38]、デイリー・ミラー紙がクラークを小児性愛で告発したため[39][40]、クラーク側の要請で授与が延期されていた。その告発はスリランカ警察の調べで事実無根であることが判明している[41][42]。デイリー・テレグラフ紙によれば、ミラー紙が後に謝罪記事を掲載したため、クラークは法的手段に訴えることはしなかった[43][44]。その後クラークは正式にナイトの称号を受けた。

2004年12月末に起きたスマトラ島沖地震では自宅は無事だったが、津波によって海に面したダイビング用の小屋やバンガローなど("Arthur C. Clarke Diving School" の施設)に被害を受けた。彼は人道支援を呼びかけ、アーサー・C・クラーク財団は災害警報システムの改善に取り組むようになった[45]。ダイビング学校は後に再建された。

2007年9月、NASAの探査機カッシーニが土星の衛星イアペトゥスをフライバイしたことについて、クラークがビデオで歓迎の言葉を送った(イアペトゥスは『2001年宇宙の旅』で重要な役割を演じた)[46]。2007年12月、クラークは友人やファンに向けて別れの言葉を述べたビデオを録画した[47]。

同じく2007年12月には、生きている間に宇宙人のいるという確かな痕跡を見たかったと話していた。他に晩年には、トンデモ的な非正統科学への傾倒の向きがあり、「超伝導体の回転による重力遮蔽」が近年に実現するだろうと語ったり[48]、リチャード・ホーグランドの「火星に森林がある説」を擁護する[49]、などの言動があった。

2008年3月19日午前1時30分[50]、自宅にて心肺機能不全のため90歳で死去[2][23][51][52][53]。彼の秘書は、ポリオ後症候群に起因する呼吸困難と心不全だと発表した[54]。

死の数日前、クラークは最後の作品 The Last Theorem の原稿のチェックを終えたところだった。この作品はフレデリック・ポールと電子メールでやり取りしながら書いた共作である[55]。同書はクラークの死後に出版された[56]。クラークは3月22日にコロンボの墓地にスリランカ風に埋葬された。弟のフレッド・クラークやクラークのスリランカ人家族が数千人の観衆に混じって参列した[57]。

ビッグ・スリー[編集]

クラークはアイザック・アシモフやロバート・A・ハインラインと共にSF界の「ビッグ・スリー」と称されていた[2]。クラークとハインラインは『宇宙の探検』を出版した1951年に文通するようになり、翌年には直接会っている。長年の友として、互いの家(アメリカとスリランカ)を訪問したこともある。しかし1984年、ラリー・ニーヴンのカリフォルニアの自宅で会ったときはアメリカの宇宙開発および外交方針(特に戦略防衛構想)に関して激しい口論になったという。2人は公式には和解したとしていたが、1988年にハインラインが亡くなるまでずっと疎遠のままだった[20]。

アシモフとは1953年にニューヨークで会った。その後数十年に渡って友好的なジャブの応酬を続けた。アシモフと、もし「最高のSF作家は誰か?」と聞かれたら互いの名を答える「アシモフ - クラーク協定(Asimov-Clarke Treaty of Park Avenue)」を結んでいたと言われている[58]。1972年、クラークは自著 Report on Planet Three にこの協定のことを書いている[20][59]。

宗教観[編集]

宗教的テーマはクラーク作品によく見られるが、クラーク自身の宗教観はなかなか複雑である。彼は「知識へと至る道は神へと至る道である。あるいは真実へと至る道でも何でも好きに呼べばよい」と述べている[60]。また、自らを「神という概念に魅了された者」と称した。空軍に入隊した際には、認識票の宗教欄にイングランド国教会ではなく、「汎神論者」と記した[20]。2000年にはスリランカの新聞のインタビューに「私は神も来世も信じていない」と述べ[61]、自身を無神論者だとしている[62]。International Academy of Humanism からは名誉ヒューマニストの称号を与えられている[63]。また自身を「隠れ仏教徒」と称しつつ、仏教は宗教ではないと主張している[64]。若いころは宗教への興味をほとんど示しておらず、例えば結婚当初の数カ月間だけ妻の強い勧めで長老派教会に入信していただけである。

Alan Watts による3日間のインタビューの中でクラークは、宗教に対して偏見を持っており、宗教が残虐行為や戦争を防止できない点を許すことができないと語った[65]。

また自身の名を冠した番組(Arthur C. Clarke's Mysterious World の "Strange Skies" という回)で「私は時折、宇宙が天文学者を永久に驚かせるよう設計された機械ではないかと思うことがある」と述べている。また同じ回の最後の方でベツレヘムの星を取り上げ[66]、その正体がパルサーだという説を述べている。パルサーはクラークの短編「星」(1955) とその番組(1980) の間に発見された天体である。そして当時発見されたばかりのパルサー PSR B1913+16 について「キリストの誕生を知らせた星の死にかけた声が今も聞こえるとしたら、何とロマンチックだろう」と述べている[66]。

クラークは自身の葬儀について指示を書き残していた。そこには「あらゆる種類の宗教的儀式を葬儀で行うな」とあった[67]。

クラークの有名な言葉として「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ」というものがある[64]。

超常現象に対する姿勢[編集]

クラークは若いころ超常現象を好み、『幼年期の終り』の着想の原点の1つが超常現象だと述べていた。1992年の伝記で、超常現象が詐欺だと判明した例をいくつも挙げ、徐々に完全な懐疑主義者になっていったと述べている[20]。1993年と2004-2005年のインタビューでは、転生を可能にする機構が存在不可能だとして転生を信じないと述べている。しかし、J・B・S・ホールデンの言葉「宇宙は我々が想像する以上に奇妙などころか、想像できる以上に奇妙なのだ」をいつも好んで引用しているとも述べている[68][69][20]。彼は転生の概念を魅力的だとも言っているが、限りある存在であることを好むとしていた[70]。

作風[編集]

クラークの作品は、科学の進歩によって人類が太陽系や海洋を探究していくだろうという楽観的な作風を特徴とする。作者の理想に基づき、高度に発達したテクノロジー/生態学/社会によるユートピア的設定がしばしば見られる[71]。初期作品は、技術革新や科学的躍進によって発達した社会が最終的に衰微していく未来を描いたものが多い。

「前哨」(1948) で初めて宗教的テーマが導入され、『都市と星』などの作品でそれがさらに追究されている。「前哨」には、知的種族が進化すると神に近いものになるというもう1つのテーマがあった。これをさらに深めたのが1953年の『幼年期の終り』である。この考え方は『地球帝国』にも若干現れている。この進化による超越という考え方はオラフ・ステープルドンの追究したテーマに近い。クラークはステープルドンの『最後にして最初の人類』(1930) について「この本ほど私の生涯に影響を与えた作品はない(中略)そしてそれに続く『スターメイカー』(1937) と共に(ステープルドンの)最高傑作に挙げられる」と述べている。

クラークは海洋(特に深海)にも大きな興味を持っており、「ビッグ・ゲーム・ハント」、「海底牧場」、「きらめく生きもの」、『イルカの島』といった作品にそれが表れている。

多くの科学者や宇宙飛行士らと親交があり、何人かは小説に登場している。他にもしばしば作中で現実とのクロスオーバーを行っており、『2010年宇宙の旅』で登場人物が遺棄宇宙船の中である有名SFホラー映画を話題にしたり、『2061年宇宙の旅』ではモノリス調査隊が映画『2001年』の撮影用プロップを発見したエピソードが登場している。

映画化作品[編集]

2001年宇宙の旅[編集]

詳細は「2001年宇宙の旅」を参照

クラークはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』で映画と関わるようになった。2人は1964年、ニューヨークで会い映画製作で協力する可能性について話し合った。その過程でクラークの短編「前哨」(1948) を元にした物語とすることが決まった。元々はクラーク自身が脚本を書くことになっていたが、キューブリックがブレインストーミングの中で、まずイマジネーションを自由に羽ばたかせるために小説を書き、それに基づいて映画を作ってはどうかと提案した。クラークは後に「そういう形で始まったが、最終的には小説と脚本は同時進行で相互にフィードバックする形で進められた。だから私は映画の試写を見た後にいくつかの章を書き直した。創作技法としては苦労が多いもので、これを楽しめる作家は滅多にいないだろう」と述べている[72]。すなわち「映画原作本」「映画のノベライゼーション」といった関係ではない。映画の劇場公開は1968年4月であり、小説の出版は同年7月である。

最高のSF映画として全世界で高く評価されており、日本の旧文部省が「特選」に指定した唯一のSF映画でもある。

映画製作の忙しいスケジュールの合間を縫ってキューブリックとクラークが小説について協力するのは難しかった。クラークは1964年末に小説の草稿を完成させ、1966年に予定されていた映画公開にさきがけて1965年に小説を出版する予定だった。しかし映画の公開は1968年にまで延び、小説もその後に完成した。小説の作者としてはクラークだけが記された。後にクラークは、キューブリックがクラークの作者としての影響を軽く見せかけるために状況を操作し、小説の出版が後になることで映画のノヴェライゼーションであるかのように見せかけたと不満を述べている。様々な理由から物語の詳細は小説と映画では異なっている。映画には個々の事象についてほとんど説明がない。一方クラークは小説版で全ての事象について因果関係を完全に説明している。ジェームズ・ランディが後に述べたところによると、映画の最初の試写の際に宇宙飛行士が11分間延々とジョギングしているシーン(公開版ではカットされている)を見た後の休憩時間にクラークが目に涙を浮かべて試写室を後にしたという。このシーンはキューブリックのアイデアで、宇宙旅行がいかに退屈なものかを示したのだという[73]。

1972年、クラークはエッセイ『失われた宇宙の旅2001』で映画作成時の状況について詳しく説明し、主なシーンの別バージョンについても説明している。1999年に出版された A Space Odyssey の特別版にはクラークによる小説と映画のリリースまでの経緯を詳細に記した文章が序文として掲載された。

2010年[編集]

詳細は「2010年 (映画)」を参照

1982年、クラークは「2001年」の続編『2010年宇宙の旅』を出版した。この小説もピーター・ハイアムズ監督で1984年に『2010年』として映画化された。当時の政治情勢を反映し、映画では冷戦がテーマのひとつになっていたが、小説には迫りくる核戦争の危機は現れていない。映画は2001年ほど革命的でも芸術的でもないと言われたが、評価は概ね肯定的だった。その映画化に際してクラークはキューブリック抜きを条件にし、映画の仕上がりに満足したという。

クラークとハイアムズの電子メールのやりとりを含む『オデッセイ・ファイル―アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ』が1984年に出版された(原題は The Odyssey File: The Making of 2010)[74][75]。当時最先端の通信手段だった電子メールを使って、別々の大陸に住んでいたクラークとハイアムズが毎日のようにやり取りして映画の計画や製作について話し合った経緯が綴られている。また、クラークが選ぶベストSF映画のリストも掲載されている。

クラークはこの映画で2カ所にカメオ出演している。1カ所は主人公のフロイド博士がホワイトハウス前で会話をしている背後で鳩に餌をやっている人物で、もう1カ所はボーマンの母の病院でのシーンで、タイム誌の表紙を飾っているアメリカ大統領がクラーク、ソ連書記長がキューブリックになっていた。

宇宙のランデヴー[編集]

クラークの『宇宙のランデブー』(1972) は何年も前に映画化権が購入されているが、未だに製作が進行していない。俳優のモーガン・フリーマンが『宇宙のランデブー』を原作とした映画を製作したいと述べていたが、2003年には資金集めに苦労していると明かしていた。IMDbでは一時期2009年公開予定とされていた。映画製作はフリーマンの制作会社 Revelations Entertainment が行う予定だった。Revelations のウェブサイトには『宇宙のランデブー』のページがあり[76]、そこに監督として名が挙がっているのがデヴィッド・フィンチャーである。彼は2007年のインタビューで『宇宙のランデブー』の映画化に意欲を見せていた[77]。しかし2008年、フィンチャーはこの映画が製作されない可能性が高いと述べた。脚本がなく、モーガン・フリーマンの健康状態が思わしくないことなどを理由に挙げている[78]。IMDbからも削除された。

静止衛星[編集]





静止軌道
詳細は「静止軌道」を参照

クラーク最大の科学的貢献は、静止衛星による電気通信リレーというアイデアだと言われている。彼は1945年10月の Wireless World に Extra-Terrestrial Relays — Can Rocket Stations Give Worldwide Radio Coverage? と題した論文を発表した[79]。このため静止軌道を「クラーク軌道」と呼ぶこともある[80][81]。

しかし、これが実際に通信衛星の開発に着想を与えたかどうかは不明である。エコーやテルスターといった通信衛星の開発に関わったベル研究所の John R. Pierce は1954年のインタビュー(1955年出版)ではクラークの論文記事に全く言及していない[82]。

クラークの衛星同士のリレーというアイデア以前に、静止軌道上の人工衛星による通信というアイデアは既に存在していた。静止衛星の概念はヘルマン・オーベルトが1923年の著書 Die Rakete zu den Planetenraumen(惑星空間へのロケット)で記述しており[83]、人工衛星による無線通信というアイデアは Herman Potočnik が1928年の著書 Das Problem der Befahrung des Weltraums — der Raketen-Motor (The Problem of Space Travel — The Rocket Motor) の Providing for Long Distance Communications and Safety という章[84]と Observing and Researching the Earth's Surface という章[85]で記述している。クラークは『未来のプロフィル』でこれら先達の業績を認識していることを示している[86]。

受賞・栄誉[編集]
1961年、科学を普及させた貢献に対してUNESCOがカリンガ賞を授与[87]
1963年、Stuart Ballantine Medal を受賞[88]
『2001年宇宙の旅』以降、クラークは科学コメンテーターとしてメディアによく登場するようになり、特にアポロ計画についてコメントを求められることが多かった。アポロ13号の指令船は『2001年宇宙の旅』に因んで "Odyssey" と呼ばれた[89]。
『2001年宇宙の旅』については、スタンリー・キューブリックと共同でアカデミー賞脚本賞にノミネートされた[90]。
1986年、クラークが賞金の資金(当初1000ポンド)を提供し、イギリスで出版されたSF作品を表彰するアーサー・C・クラーク賞を創設した。2001年には賞金が2001ポンドに増額され、その後は年号と賞金額が同じになっている(例えば、2005年は2005ポンド)。
1989年にCBEを授与され[34]、2000年にナイトの称号を得ている[7][37][38]。健康上の問題からイギリスに行って女王から直接受けることができず、駐スリランカの高等弁務官がコロンボで式典を行った[8]。
1994年にはノーベル平和賞に推薦されたことがある[91]。
2004年、ハインライン賞を受賞[92]
2005年、クラークの名を冠した Sir Arthur Clarke Award が創設された。この賞はクラーク自身が選んだ者に英国惑星間協会が授与するもので、主にイギリスの宇宙開発に貢献した者を表彰する。
2005年11月14日、スリランカ政府が文民向けの最高勲章 Sri Lankabhimanya を授与[9]
クラークはキャロル・ロシンの創設した Institute for Cooperation in Space の名誉理事、ヴェルナー・フォン・ブラウンが創設した National Space Society の理事も務めていた。
クラークの名を冠した小惑星 4923 Clarke がある。2001番の小惑星の方がふさわしいと思われたが、それには既にアインシュタインという名がついていた。
角竜類の恐竜 Serendipaceratops arthurcclarkei にもクラークの名がつけられている。

作品リスト[編集]

長篇[編集]
『宇宙への序曲』 Prelude to Space (1951年) ISBN 4150109656
『火星の砂』 Sands of Mars (1951年) ISBN 4150103011
『宇宙島へ行く少年』 Islands in the Sky (1952年) ISBN 4150106827
『幼年期の終り』 Childhood's End (1953年) ISBN 4488611028 ISBN 4150103410
『銀河帝国の崩壊』 Against the Fall of Night (1953年) ISBN 448861101X
『地球光』 Earthlight (1955年) ISBN 4150103089
『都市と星』 The City and the Stars (1956年) ISBN 4150102716
『海底牧場』 The Deep Range (1957年) ISBN 4150102252
『渇きの海』 A Fall of Moondust (1961年) ISBN 415010235X
『イルカの島』 Dolphin Island (1963年) ISBN 4488611036
『地球帝国』 Imperial Earth (1975年) ISBN 4152020032 ISBN 4150106037
『楽園の泉』 The Fountains of Paradise (1979年) ISBN 4152020318 ISBN 4150107319 - ヒューゴー賞[93]、ネビュラ賞[94]受賞
『遥かなる地球の歌』 The Songs of Distant Earth (1986年) ISBN 4152020598 ISBN 4150111359
『星々の揺籃』 Cradle (1988年、ジェントリー・リーと共著) ISBN 4152020660 ISBN 4150112185
『悠久の銀河帝国』Beyond the Fall of Night (1990年、グレゴリー・ベンフォードと共著) ISBN 4152020741
『グランド・バンクスの幻影』 The Ghost from the Grand Banks (1990年) ISBN 415202075X ISBN 4150112088
『神の鉄槌』 The Hammer of God (1993年) ISBN 4152079827 ISBN 4150112355
『マグニチュード10』 Richter 10 (1996年、Mike McQuayと共著) ISBN 4102235027
『トリガー』 The Trigger (1999年、マイクル・P・キュービー=マクダウエルと共著)ISBN 4-15-011383-1 ISBN 4-15-011384-X
『過ぎ去りし日々の光』 The Light of Other Days (2000年、スティーヴン・バクスターと共著)ISBN 4150113386 ISBN 4-15-011339-4
『時の眼』(タイム・オデッセイ1)Time's Eye (2003年、スティーヴン・バクスターと共著) ISBN 4152087838
『太陽の盾』(タイム・オデッセイ2)Sunstorm (2005年、スティーヴン・バクスターと共著) ISBN 4152089121
『最終定理』The Last Theorem (2008年、フレデリック・ポールと共著) ISBN 9784152091017
『火星の挽歌』(タイム・オデッセイ3)FIRSTBORN (2008年(邦訳は2011年)、スティーヴン・バクスターと共著) ISBN 4152092599

宇宙の旅シリーズ[編集]
『2001年宇宙の旅』 2001: A Space Odyssey (1968年) ISBN 4150102430 ISBN 415011000X (改訳決定版)
『2010年宇宙の旅』 2010: Odyssey Two (1982年) ISBN 4152020555 ISBN 4150110522
『2061年宇宙の旅』 2061: Odyssey Three (1987年) ISBN 4152020636 ISBN 4150110964
『3001年終局への旅』 3001: The Final Odyssey (1997年) ISBN 4152080884 ISBN 4150113475

ラーマシリーズ[編集]
『宇宙のランデヴー』 Rendezvous with Rama (1973年) ISBN 4152020164 ISBN 4150106290 - ヒューゴー賞、ローカス賞、ジョン・W・キャンベル記念賞[95]、ネビュラ賞、英国SF協会賞[96]受賞
『宇宙のランデヴー 2』 Rama II (1989年、ジェントリー・リーと共著) ISBN 4152020733 ISBN 4150110875 ISBN 4150110883
『宇宙のランデヴー 3』 The Garden of Rama (1991年、ジェントリー・リーと共著) ISBN 4152020784 ISBN 4150111596 ISBN 415011160X
『宇宙のランデヴー 4』 Rama Revealed (1993年、ジェントリー・リーと共著) ISBN 4152020806 ISBN 4152020814 ISBN 4150111839 ISBN 4150111847

短篇集[編集]
『前哨』 Expedition to Earth (1953年) ISBN 415010607X
『明日にとどく』 Reach for Tomorrow (1956年) ISBN 4150106606
『白鹿亭綺譚』 Tales from the White Hart (1957年) ISBN 4150104042
『天の向こう側』 The Other Side of the Sky (1958年) ISBN 415010560X
『10の世界の物語』 Tales of Ten Worlds (1962年) ISBN 4150106177
『太陽からの風(英語版)』 The Wind from the Sun (1972年) ISBN 4150102929
The Science Fiction Hall of Fame (1981年、George W. Proctorと共編) - アンソロジー
『太陽系オデッセイ』 (自選短篇集) The Sentinel (1983年) ISBN 4102235019
Tales from Planet Earth (1989年)
Project Solar Sail (1990年)
More Than One Universe (1991年)
The Collected Stories of Arthur C. Clarke (2001年) ISBN 0-575-07065-X

ノンフィクション[編集]
『惑星へ飛ぶ』 Interplanetary Flight (1950年) 時事通信社
『宇宙の探検』 The Exploration of Space (1951年)
The Exploration of the Moon (1954年)
The Young Traveller In Space (1954年)
The Coast of Coral (1956年)
The Making of a Moon (1957年)
The Reefs of Taprobane (1957年)
Boy Beneath the Sea (1958年)
Voice Across the Sea (1958年)
『宇宙文明論』 The Challenge of the Spaceship (1958年) 早川書房
The Challenge of the Sea (1960年)
The First Five Fathoms (1960年)
Indian Ocean Adventure (1961年)
『未来のプロフィル』 Profiles of the Future (1962年) ISBN 4150500452
Glide Path (1963年)
『人間と宇宙の話』 『宇宙への挑戦』 Man And Space (1964年) タイムライフ
The Treasure of the Great Reef (1964年)
Indian Ocean Treasure(Mike Wilsonと共著)
Voices from the Sky (1965年)
The Lion of Commare & Against the Fall of Night (1968年)
The Promise of Space (1968年)
First On the Moon (1970年)
Into Space (1970年、ロバート・シルヴァーバーグと共著)
『失われた宇宙の旅2001』 The Lost Worlds of 2001 (1972年) ISBN 4150113084
Beyond Jupiter (1972年、Chesley Bonestellと共著)
Report On Planet Three (1972年)
Tchnology And the Frontiers of Knowledge (1975年)
『スリランカから世界を眺めて』 The View from Serendip (1977年) ISBN 4150501440
サイモン・ウェルフェア&ジョン・フェアリー『アーサー・C・クラークのミステリー・ワールド』 Arthur C. Clarke's Mysterious World (1982年) ISBN 4048410091
Ascent to Orbit: a Scientific Autobiography (1984年) ハヤカワ文庫
Spring, a Choice of Futures (1984年)
『オデッセイ・ファイル―アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ』 The Odyssey File (1984年、Peter Hyamsと共著) ISBN 4893620029
『(アーサー・C・クラーク) 超常現象の謎を解く (上・下)』 Arthur C. Clarke's World of Strange Powers (1984年) ISBN 4898000290 ISBN 4898000304 ISBN 484220219X ISBN 4842202203
『アーサー・C・クラークの2019年7月20日』 Arthur C. Clarke's July 20, 2019: Life in the 21st Century (1986年) ISBN 4010703547
Arthur C. Clarke's Chronicles of the Strange and Mysterious (1987年)
『楽園の日々―アーサー・C・クラーク自伝』 Astounding Days: a Science Fictional Autobiography (1989年) ISBN 4152034440 早川書房のち文庫
The Fantastic Muse (1992年)
『地球村の彼方 - 未来からの伝言』 How the World Was One (1992年)
By Space Possessed (1993年)
The Colours of Infinity (1994年)
『オリンポスの雪―アーサー・C・クラークの火星探検 水と緑の「惑星誕生」ものがたり』 The Snows of Olympus (1994年) ISBN 4198607222

その他[編集]
Rendez-vous in Space 2001(小室哲哉がオーガナイザーを務めたイベント、第2部の脚本を手がけた)

TV番組[編集]
アーサー・C・クラーク 未知の世界へ(ARTHUR C. CLARKE'S MYSTERIOUS UNIVERSE)[97][98] イギリスで1994年に制作された、全26話のテレビ・シリーズ。クラークが語り手となり世界中の「超科学的な現象」を分析し、科学的な説明をつけていくドキュメンタリー番組。日本ではCS・ミステリチャンネルで放送[1]。


脚注・出典[編集]



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1.^ a b “Arthur C. Clarke”. books and writers. (2003年) 2008年3月18日閲覧。
2.^ a b c d Lech Mintowt-Czyz and Steve Bird (2008年3月19日). “Science fiction author Arthur C Clarke dies aged 90”. London: The Times 2008年3月19日閲覧. "Science fiction writer Sir Arthur C Clarke has died aged 90 in his adopted home of Sri Lanka, it was confirmed tonight."
3.^ The 1945 Proposal by Arthur C. Clarke for Geostationary Satellite Communications
4.^ The Arthur C. Clarke Foundation
5.^ Moon Miners' Manifesto: Arthur C Clarke nominated for Nobel
6.^ “Remembering Arthur C. Clarke”. 2008年3月27日閲覧。
7.^ a b c “The new knight of science fiction”. BBC News (BBC). (1998年1月1日) 2009年8月26日閲覧。
8.^ a b c “Arthur C Clarke knighted”. BBC News (BBC). (2000年5月26日) 2009年8月26日閲覧。
9.^ a b Government Notification—National Honours, November 2005. Retrieved on 20 October 2008
10.^ アーサー・C・クラーク著 山高昭訳『楽園の日々-アーサー・C・クラークの回想録』ハヤカワ文庫
11.^ London Gazette: no. 34321, p. 5798, 1936年9月8日. 2008年3月19日閲覧。
12.^ London Gazette: (Supplement) no. 36089, pp. 3162–3163, 1943年7月9日. 2008年3月19日閲覧。
13.^ London Gazette: (Supplement) no. 36271, p. 5289, 30 November c1943. 2008年3月19日閲覧。
14.^ Clark, Arthur C. (October 1945). “Extra-Terrestrial Relays — Can Rocket Stations Give Worldwide Radio Coverage?”. Wireless World: pp. 305-308.
15.^ “Peacetime Uses for V2 (JPG)”. Wireless World (1945年2月). 2007年2月8日閲覧。
16.^ Journal of the British Interplanetary Society Vol 6 (1946)
17.^ Parkinson, B. (2008) (Ed.)'Interplanetary - A History of the British Interplanetary Society', p.93
18.^ “Clarke Foundation Biography”. 2008年3月19日閲覧。
19.^ Arthur C Clarke - a quick summary
20.^ a b c d e f g h i j McAleer, Neil. "Arthur C. Clarke: The Authorized Biography", Contemporary Books, Chicago, 1992. ISBN 0-8092-3720-2
21.^ 献辞の全文は次の通り "To the still unfading memory of LESLIE EKANAYAKE (13 JuIy 1947 – 4 July 1977) only perfect friend of a lifetime, in whom were uniquely combined Loyalty, Intelligence and Compassion. When your radiant and loving spirit vanished from this world, the light went out of many lives."
22.^ Baxter, John (1997). Stanley Kubrick: A Biography. New York: Carroll & Graff. p. 203. ISBN 0786704853. "But Clarke and Kubrick made a match. [...] Both had a streak of homoeroticism[...]"
23.^ a b c d “Arthur C. Clarke, Premier Science Fiction Writer, Dies at 90.”. New York Times. (2008年3月18日) 2008年3月19日閲覧. "Arthur C. Clarke, a writer whose seamless blend of scientific expertise and poetic imagination helped usher in the space age, died early Wednesday in Colombo, Sri Lanka, where he had lived since 1956. He was 90. He had battled debilitating post-polio syndrome for years."
24.^ Michael Moorcock (2008年3月22日). “Brave New Worlds”. The Guardian 2008年8月25日閲覧。
25.^ NNDB page on Clarke
26.^ Clarke's interview in Playboy magazine
27.^ Man on the moon
28.^ “Happy Birthday Sir Arthur C. Clarke!”. Sunday Observer (2005年12月11日). 2007年2月8日閲覧。
29.^ Throckmorton, Peter (1964). “The Great Basses Wreck” (PDF). Expedition 6 (3, Spring): 21–31. ISSN 0014-4738 2010年2月3日閲覧。.
30.^ Personal e-mail from Sir Arthur Clarke to Jerry Stone, Director of the Sir Arthur Clarke Awards, 1 November 2006
31.^ “Chart of the Future”. 2007年2月8日閲覧。
32.^ SFWA Grand Masters
33.^ British Polio Fellowship - Home
34.^ a b London Gazette: (Supplement) no. 51772, p. 16, 1989年6月16日. 2008年3月19日閲覧。
35.^ “Gorilla Organization mourns loss of patron Sir Arthur C Clarke – a true champion for gorillas”. London: Gorilla Organization (2008年3月27日). 2010年5月5日閲覧。
36.^ Campaign for gorilla-friendly mobiles
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87.^ Summary List of UNESCO Prizes: List of Prizewinners, p. 12
88.^ “Franklin Laureate Database”. 2010年5月6日閲覧。
89.^ Peebles, Curtis. “Names of US manned spacecraft”. Spaceflight, Vol. 20, 2, Fev. 1978. Spaceflight. 2008年8月6日閲覧。
90.^ Arthur C. Clarke - Awards
91.^ Burns, John F. "Colombo Journal; A Nonfiction Journey to a More Peaceful World" New York Times, 28 November 1994
92.^ “Sir Arthur Clarke Named Recipient of 2004 Heinlein Award” (プレスリリース), (2004年5月22日) 2009年6月20日閲覧。
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97.^ "Mysterious World" (1980) - インターネット・ムービー・データベース(英語)
98.^ Arthur C. Clarke's Mysterious World on YouTube. Retrieved on 23 March 2008.

参考文献[編集]
『S-Fマガジン』2008年7月号「アーサー・C・クラーク追悼特集2 完全年譜」 (経歴の節)

関連項目[編集]
クラークの三法則
SETI@home
浅倉久志(SF作品の翻訳家。ペンネームの由来となる)

外部リンク[編集]





ウィキメディア・コモンズには、アーサー・C・クラークに関連するカテゴリがあります。

The Arthur C. Clarke Foundation
アーサー・C・クラーク - Internet Speculative Fiction Database(英語)
アーサー・C・クラーク - インターネット・ムービー・データベース(英語)
Arthur C. Clarke (1917-2008) 国際宇宙航行連盟
The Arthur C. Clarke Award
Sir Arthur C Clarke: 90th Birthday Reflections - YouTube













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カテゴリ: アーサー・C・クラーク
イギリスの著作家
イギリスのSF作家
ヒューゴー賞作家
ネビュラ賞作家
ローカス賞作家
スリランカの小説家
LGBTの著作家
SETI
宇宙探査
モラトゥワ大学の教員
サマセット出身の人物
両性愛の人物
1917年生
2008年没

デイヴィッド・ブリン - W

関連:知性化シリーズ - W 

虎馬元:デイヴィッド・ブリン - W 

デイヴィッド・ブリン(David Brin, 1950年10月6日 - )は、アメリカ合衆国の小説家、
SF作家。スケールの大きなハードSFを得意とする。親日家でもある。
ヒューゴー賞[1]、ローカス賞[2][3][4]、ジョン・W・キャンベル記念賞[5]、ネビュラ賞[6]を受賞している。
2007年に日本の横浜市で開催されたワールドコンにゲストとして招待され、
暗黒星雲賞月曜部門を受賞した。また、同賞ゲスト部門でも次点となっている。
目次
1 経歴
2 知性化シリーズ
3 作風とテーマ
4 小説以外の活動
5 作品リスト
6 脚注・出典
7 外部リンク
経歴
1950年、カリフォルニア州グレンデールに生まれる。1973年、カリフォルニア工科大学で天文学学士号取得。カリフォルニア大学サンディエゴ校で応用物理学の修士号(1978年)と宇宙科学の博士号(1981年)を取得している。

2010年、ニック・ボストロムの Institute for Ethics and Emerging Technologies のフェローになっている[7]。

現在、子供たちと共にカリフォルニア州南部に在住。

知性化シリーズ[編集]

詳細は「知性化シリーズ」を参照

未来史の一種である知性化シリーズは作品数は少ないが、評価が高い。「知性化の嵐」シリーズも含めた長編6作品の他に、短編もいくつかある。

知性化シリーズはロールプレイングゲームであるガープスのサプリメントとしてゲーム化されている。ただし、ブリンは情報を提供しただけでサプリメントの作者ではない。

作風とテーマ[編集]

知性化シリーズ以外の作品では、技術革新が人類に与える影響がよく描かれている。これは、北米の現代SF全般によく見られるテーマである。例えば、『プラクティス・エフェクト』、『グローリー・シーズン』、『キルン・ピープル』がある。

ユダヤ人であることが作品テーマにも影響を与えている。1つは Tikkun Olam という教えで、「人間は世界をよりよい場所にする使命を負っている」という考え方である。もう1つは法律と合法性の重視というユダヤ教の伝統である。

小説以外の活動[編集]

ブリンはアメリカ国防総省、CIA、P&G、SAP、Googleといった様々な組織や企業でコンサルタントを務めている。

また、SFやファンタジーの評論も書いており、スター・ウォーズや指輪物語を批判している。スター・ウォーズに関しては、ジョージ・ルーカスが反民主主義的な階級社会を描いている点を批判し[8]、指輪物語については、反対勢力を虐殺する点に伝統的階級社会への愛着が現れているとし、同時にロマン主義的な後ろ向きの世界観を批判している[9]。

作品リスト[編集]
知性化シリーズ サンダイバー (Sundiver, 1980)
スタータイド・ライジング(Startide Rising, 1983) - ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞受賞
知性化戦争 (The Uplift War, 1987) - ヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞受賞

「知性化の嵐 (Uplift Storm)」シリーズ 変革への序章 (Brightness Reef, 1995) - 知性化の嵐1
戦乱の大地 (Infinity's Shore, 1996) - 知性化の嵐2
星海の楽園 (Heaven's Reach, 1998) - 知性化の嵐3 - 星雲賞受賞

プラクティス・エフェクト (The Practice Effect, 1984)
ポストマン (The Postman, 1985) - 大規模な世界大戦により荒廃し、通信網も寸断された近未来のアメリカ。偶然にもかつての合衆国郵便配達夫の制服を手に入れた一人の流れ者の男が、秩序を取り戻そうと活躍する事になる。ジョン・W・キャンベル記念賞、ローカス賞受賞。ケビン・コスナー監督・主演にてアメリカで映画化され、1997年に公開された。
彗星の核へ (Heart of the Comet, 1986) - グレゴリー・ベンフォードと合作。
ガイア -母なる地球- (Earth, 1990)
グローリー・シーズン (Glory Season, 1993)
ファウンデーションの勝利 (Foundation's Triumph, 1999) - 新・銀河帝国興亡史3
キルン・ピープル[上・下] (Kiln People, 2002)

脚注・出典

1.^ http://www.thehugoawards.org/?page_id=35
2.^ http://www.worldswithoutend.com/novel.asp?ID=31
3.^ http://www.worldswithoutend.com/novel.asp?ID=207
4.^ http://www.worldswithoutend.com/novel.asp?ID=35
5.^ http://www2.ku.edu/~sfcenter/campbell.htm
6.^ http://www.sfwa.org/awards/archive/pastwin.htm
7.^ IEET > Fellows > David Brin
8.^ "Star Wars" despots vs. "Star Trek" populists by David Brin
9.^ The Lord of the Rings: J.R.R. Tolkien vs the Modern Age by David Brin

外部リンク
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公式サイト
Contrary Brin - 本人のブログ
David Brin - Internet Speculative Fiction Database(英語)
デイヴィッド・ブリン - インターネット・ムービー・データベース(英語)
Interview with David Brin at SFFWorld.com
Interview with David Brin at Actusf.com
カテゴリ: アメリカ合衆国のSF作家
ヒューゴー賞作家
ネビュラ賞作家
グレンデール (カリフォルニア州)出身の人物
1950年生
存命人物

グレッグ・ベア - W

虎馬元:グレッグ・ベア - W 
グレッグ・ベア(Greg Bear:Gregory Dale Bear, 1951年8月20日 - )は、アメリカ合衆国のSF作家、ファンタジー作家。著作はSFが中心だが、ハードSFからファンタジーまで幅広い作風をもつ。
目次
1 経歴
2 作家活動
3 作品一覧 3.1 SF
3.2 ファンタジー
3.3 短編集
4 受賞歴
5 脚注・出典
6 外部リンク
経歴
カリフォルニア州サンディエゴで生まれる。1973年、サンディエゴ州立大学を卒業。1975年に一度結婚したが1981年に離婚。1983年、SF作家ポール・アンダースンの娘と結婚し、子供を2人もうけている。現在はワシントン州シアトル郊外に住んでいる。

映画「スター・ウォーズ」の熱心なファンとしても知られる。
作家活動
1967年、15歳にして、『フェイマス・サイエンス・フィクション』誌に『Destroyers』でデビュー。

ベアはしばしば、虚構の解決策によって現代科学や文化の大きな問題に対処するという形の作品を書く。例えば『天空の劫火』ではフェルミのパラドックスについての1つの解釈を提供している。すなわち、銀河系は潜在的な捕食性を有する知的存在で満たされていて、若い文明はその捕食者の注意を惹き付けないよう静かにしているという説である。『女王天使』では社会における犯罪と処罰の意味を問い、その核として意識とは何かを追求し、付随して人間とのコミュニケーション能力が高度に発達し自意識すら獲得したコンピュータを描いた。『ダーウィンの使者』と続編の Darwin's Children では人口過剰問題を扱い、ヒトのゲノムの突然変異によって新たな種へと変貌を遂げることで解決策を与えている。またそこでは、全く新しい不可避なものへの文化的受容という問題も扱っている。

ベアが好んで取り上げるテーマとして、観察者の機能としての現実がある。『ブラッド・ミュージック』では観察者(数兆個の知的な細胞サイズの個体)の数がどんどん増えるに従って、現実が不確かなものになっていく。『天界の殺戮』(『天空の劫火』の続編)と『火星転移』では、粒子間の情報交換を基盤とした架空の物理学が登場する。『火星転移』では、それに基づいて火星を太陽系とは全く別の星系に転移させる。

『ブラッド・ミュージック』はナノテクノロジー(正確には分子ナノテクノロジーとそれによるDNAの再プログラム)を扱った初のSF小説とされている(短編版は1983年)。『女王天使』と続編の『斜線都市』では、近未来のナノテクノロジー全盛の社会を詳細に描いている。同じ系統の作品としては、量子コンピュータを扱った『凍月』や『火星転移』がある。また、これらは「自意識を持った人工知能」という古くからあるテーマ(ロバート・A・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』など)とも関係が深い。

『ダーウィンの使者』とその続編などの最近の作品では、ウイルスに関する分子生物学やネオダーウィニズムの既知の事実を前提として、奇妙な病気によって進化が促されるという説を扱っている。思索的なアイデアも含まれているが、科学的知識の扱い方が厳密だとしてネイチャー誌でも賞賛された。
ベアは、グレゴリー・ベンフォードとディヴィッド・ブリンと共にアイザック・アシモフのファウンデーションシリーズの続編となる「新・銀河帝国興亡史」を書いた。ベアは三部作の2作目を書いている。
ベアの作品の多くはSFだが、初期の『無限コンチェルト』と『蛇の魔術師』は明らかなファンタジーである。またもっと以前の Psychlone(1979年)はホラーだった。近作の Dead Lines(2004年)はSFとファンタジーを融合させた作品で、ベア本人はこれを "high-tech ghost story" と称している。
作品一覧
SF
The Way シリーズ 永劫 (Eon, 1985)
久遠 (Eternity, 1988)

The Forge of God シリーズ 天空の劫火 (The Forge of God, 1987)
天界の殺戮 (Anvil of Stars, 1992)
Queen of Angels シリーズ 女王天使 (Queen of Angels, 1990)
斜線都市 (Slant, 1997)
Darwin シリーズ ダーウィンの使者 (Darwin's Radio, 1999)
Darwin's Children (2003)
何らかのシリーズや作品世界に属するもの 宇宙大作戦/コロナ (Star Trek: Corona, 1984)
ファウンデーションと混沌 (Foundation and Chaos, 1998) :新・銀河帝国興亡史2
スター・ウォーズ/ローグ・プラネット (Star Wars: Rogue Planet, 2000)
HALO:Cryptum (2011)
シリーズ以外 ブラッド・ミュージック (Blood Music, 1985)
凍月 (Heads, 1990)
火星転移 (Moving Mars, 1993)
ファンタジー
Songs of Earth and Power シリーズ 無限コンチェルト (The Infinity Concerto, 1984)
蛇の魔術師 (The Serpent Mage, 1986)
短編集
タンジェント (Greg Bear's New Collection):日本オリジナル(1993年)
受賞歴
ベアは数々の賞を受賞しており、中でもヒューゴー賞を2回、ネビュラ賞を5回受賞している[1]。
1982年、中編「鏖戦」(Hardfought)でネビュラ賞受賞。
1983年、短篇「Blood Music」でヒューゴー賞、ネビュラ賞を受賞[2]。同作は後に長編化され、代表作となる。
1986年、短篇『タンジェント』(Tangent) でヒューゴー賞、ネビュラ賞を受賞。
1994年、『火星転移』でネビュラ賞受賞[3]。
2000年、『ダーウィンの使者』でネビュラ賞受賞[4]。
2007年ノーベル文学賞を受賞したドリス・レッシングはインタビューで「私はSFの最上級の作品(the classic sort of science fiction)も高く評価している。例えばグレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』。彼は素晴らしい作家だ」と述べている[5]。
脚注・出典
1.^ “Top SF/F Authors”. Worlds Without End. 2009年7月11日閲覧。
2.^ “1984 Award Winners & Nominees”. Locus Awards Database. 2009年7月11日閲覧。
3.^ “1994 Award Winners & Nominees”. Worlds Without End. 2009年7月11日閲覧。
4.^ “2000 Award Winners & Nominees”. Worlds Without End. 2009年7月11日閲覧。
5.^ Doris Lessing: Hot Dawns, interview by Harvey Blume in Boston Book Review
外部リンク
Greg Bear's website
グレッグ・ベア - Internet Speculative Fiction Database(英語)
Interview at SFFWorld.com
An excerpt from Slant (1997)
Greg Bear on Worlds Without End
Interview with questions submitted by Reddit.com users
カテゴリ: アメリカ合衆国のSF作家
アメリカ合衆国のファンタジー作家
ヒューゴー賞作家
ネビュラ賞作家
サンディエゴ出身の人物
1951年生
存命人物

関連:グレッグ・ベア “久遠” - three million cheers. 

フィリップ・ホセ・ファーマー - W

関連:階層宇宙の創造者: Manuke Station : SF Review 

虎馬元:フィリップ・ホセ・ファーマー - W 

フィリップ・ホセ・ファーマー(Philip Jose Farmer, 1918年1月26日 - 2009年2月25日)は、アメリカ合衆国のSF作家、ファンタジー作家。
代表作は《階層宇宙》シリーズ (1965-93) と《リバーワールド》シリーズ (1971-83)。性や宗教をテーマとした先駆者であり、かつてのパルプ・マガジンのヒーローたちを愛し、架空の作者を作り上げ、からかい半分のペンネームで彼らの活躍する作品を書いたこともある。ファーマーは過去のSF、ミステリ等の有名キャラクターを登場させた作品を執筆していることでも知られ、それらの作品群内では、シャーロック・ホームズ、ジョン・カーター、ターザン、チャレンジャー教授らは「血縁関係にある」という設定になっている。筆名のジョナサン・スウィフト・ソマーズ3世とは、それらの作品を執筆した際に「実際に彼らに会ってその経験を手記(=ファーマーの小説)に書いた」という設定人物である。
文芸評論家レスリー・フィードラーはファーマーとレイ・ブラッドベリを比較し、どちらも「アメリカの田舎の変人」で「SF小説の古典的な限界を広げようとした」とした。しかし、ファーマーが特異なのは彼が「神学とポルノグラフィと冒険を奇妙に混合しながら、素朴であり同時に洗練されていた」点だとした[1]。
目次
1 生涯
2 主なシリーズ作品 2.1 《リバーワールド》シリーズ
2.2 《階層宇宙》シリーズ
3 作品テーマ 3.1 性
3.2 宗教
3.3 パルプ・ヒーロー
3.4 ペンネーム
4 受賞歴
5 日本語訳作品リスト 5.1 長編
5.2 短編集
6 脚注・出典
7 参考文献
8 外部リンク
生涯
インディアナ州ノース・テレホートで、クリスチャン・サイエンスを信奉する家庭に生まれた。父は土木技師であり、地元の電力会社の管理職他だった。本名はフィリップ・ジョーズ(Jose)・ファーマー。「ホセ」は本名のミドルネーム「ジョーズ」をもじったものであり、スペイン系というわけではない[2]。フレデリック・ポールの言によれば、ミドルネームは叔母の Josie からとったものだという[3]。イリノイ州ピオリアで育った。読書好きでバローズ、ヴェルヌ、H・R・ハガードらの作品を愛読し、少年時代から習作を重ねた。小学校4年生のころに作家になると心に決めたという。14歳で不可知論者となる。1941年、23歳で結婚し、後に息子1人と娘1人をもうけた。第二次世界大戦中は航空機の操縦訓練をしていたが、戦後は地元の製鋼工場に勤めた。同時にブラッドリー大学で英語学を学び、1950年に学士号を取得した[4]。
デビュー作は"O'brien and Obrenov"という普通小説で、1946年に「アドヴェンチュア」誌に掲載された。1953年の中編『恋人たち』はSF作家としてのデビュー作で、人類と地球外生命体との性的関係を題材にしている。この作品は初めジョン・W・キャンベル(「アスタウンディング」誌)やH・L・ゴールド(「ギャラクシー」誌)に採用を断られ、「スタートリング」誌1953年8月号に掲載された(その後、長編化)[2]。この作品で1953年のヒューゴー賞の "most promising new writer"(新人賞)に選ばれている。それに励まされ、仕事を辞めて専業作家となった。各出版社の新人コンテストに応募し、間もなく後の《リバーワールド》シリーズの萌芽を含んだ作品で賞金4000ドルの1等賞を得ている。しかし作品は出版されず、賞金ももらえなかった。作家として成功しても経済的には苦しい状態が続き、1956年にピオリアを出てテクニカルライターとして働き始めた。その後14年間、軍需産業各社でテクニカルライターとして働き、シラキュースからロサンゼルスまで転々とした。SFの執筆はその合間に続けた[4]。
1967年の中長編『紫年金の遊蕩者たち』で2度目のヒューゴー賞を受賞。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』のパスティーシュであり、手厚い福祉国家への風刺である。これで勇気づけられたファーマーは1969年に再び専業作家となった[5]。1970年にピオリアに戻り、作家としての絶頂期を迎え、10年間で25冊の単行本を出版することになった。1971年、20年以上前にコンテストで優勝しながら出版されなかった作品を練り直した『果てしなき河よ我を誘え』で3度目のヒューゴー賞を受賞。1975年の長編『貝殻の上のヴィーナス』は、文学界やメディアを騒然とさせた。キルゴア・トラウトが一人称視点で書いたとされる作品で、キルゴア・トラウトとはカート・ヴォネガットの小説にしばしば登場する不遇のSF作家の名である。これを評論家らがヴォネガットの作品と誤解し、しかも名作だと評価したため、ヴォネガットは決してこのいたずらを喜ばなかった。ファーマーはヴォネガットからこの作品を書く許可を得ていたが、後にヴォネガットはそれを後悔していると語った[要出典]。
ファーマーは毀誉褒貶が激しい作家だった。レスリー・フィードラーは「史上最も偉大なSF作家」とし[6]、「宇宙全体、過去・現在・未来を丸呑みして、それを吐き出そうとする大きな熱望」があるとしてファーマーのストーリーテリングの方法を賛美した[7]。アイザック・アシモフはファーマーについて「素晴らしいSF作家だ。実際、私よりずっとうまい」と書いている[8]。しかし、Christopher Lehmann-Hauptは1972年、ニューヨーク・タイムズに「SF界の平凡な賃金労働者」だと書いている[4]。
2009年2月25日、死去[9][10]。
主なシリーズ作品
《リバーワールド》シリーズ[編集]
詳細は「リバーワールド」を参照
《リバーワールド》シリーズは、これまで生きていた全ての人間がとある惑星全体に伸びる1つの川の流域に沿って同時に復活するという奇妙な世界を描いたもので、リチャード・バートン、ヘルマン・ゲーリング、サミュエル・クレメンスといった多様なキャラクターが活躍する冒険小説である。『果てしなき河よ我を誘え』(1971)、『わが夢のリバーボート』(1971)、『飛翔せよ、遥かなる空へ』(1977)、『魔法の迷宮』(1980)、Gods of Riverworld (1983) の5作からなる。Riverworld and Other Stories (1979) はRiverworld (1966) という《リバーワールド》を舞台にした小説としては2番目に出版された中編を含む短編集で、この話自体は独立している。『果てしなき河よ我を誘え』は2つの中編 "The Day of the Great Shout"(1965) と "The Suicide Express"(1966) を元にしており、『わが夢のリバーボート』は Worlds of Tomorrow 誌とイフ誌に掲載された連作短編 "The Felled Star"(1967) を元にしている。1990年代には "Crossing the Dark River"(1992) と "Up the Bright River"(1993) という中編が加わっている。ファーマーは自分自身の分身として Peter Jairus Frigate(イニシャルが同じ)を作中に登場させている。
《リバーワールド》の始まりは1952年にコンテスト用に書かれた Owe for the Flesh である。コンテストでは優勝したが、出版はされず賞金も支払われなかった。このためファーマーは一時期絶筆に近い状況となった[11]。オリジナル原稿は紛失してしまったが、後にファーマーはその題材を再構成して上述したような《リバーワールド》シリーズを執筆するようになった。後にファーマーはガレージにあった箱の中からオリジナルの小説の改訂版コピーを発見し、1983年に River of Eternity として出版した。この版の序文にファーマーが事の詳細な経緯を書いている[11]。
《階層宇宙》シリーズ
《階層宇宙》 (World of Tiers) シリーズは《リバーワールド》シリーズ以上に熱心なファンがいるが、一般にはそれほど知られていない。数万年前、神にも等しい力と不死性を実現する高度なテクノロジーを手に入れた人類のある種族が人工的に並行宇宙を建設した。主な舞台となるのは数ある並行宇宙の中でもタイトルにある「階層宇宙」で、円柱状の段が直径を小さくしながらいくつも重なった形状の世界である。物語は普通の地球人たちが偶然そのパラレルワールドに行き、そこで神のごとき人類らと共に繰り広げる冒険を描いている。登場人物の1人で地球人の Kickaha は本名を Paul Janus Finnegan (PJF) という。『階層宇宙の創造者』(1965)、『異世界の門』(1966)、『階層世界の危機』(1968)、『地球の壁の裏に』(1970)、The Lavalite World (1977)、More Than Fire (1993) の6作からなる。ロジャー・ゼラズニイは《真世界アンバー》シリーズの世界構築の際に《階層宇宙》が脳裏にあったと述べている[12]。Red Orc's Rage (1991) はシリーズの直接的な続編ではないが、一部の事象や登場人物について背景情報を提供している。これはファーマー作品の中でも最も「心理学的」なものである。
作品テーマ

ファーマー作品は性をテーマとすることが多い。初期のそういった作品は当時のSF界においては画期的だった[5]。初期の中編小説『恋人たち』(1953) はSFにおける性のタブーを打ち破った作品と認識されている[13]。これによってファーマーは一挙に注目されるようになった[14]。短編集『奇妙な関係』(1960) もSF界を騒然とさせた[5]。性の解放をテーマのひとつとしているロバート・A・ハインラインの『異星の客』(1961) の献辞には、ファーマーの名もある[15]。SFではないが Fire and the Night (1962) は異人種間の恋愛を扱っており、社会学的かつ性心理的なねじれをテーマとしている。Night of Light (1966) では、女性一人に男性複数人でないと物理的に性交(受精)できない異星人を考案している。『淫獣の幻影』(1968) と続編の『淫獣の妖宴』(1969) ではグループセックス、惑星間旅行を扱っており、「チャイルド・ハロルド」のような架空の人物やフォレスト・J・アッカーマンのような実在の人物が登場する。《階層宇宙》シリーズではエディプスコンプレックスもテーマのひとつになっている。
宗教
宗教もテーマとすることがある。《リバーワールド》シリーズ(中編 Riverworld に登場。『魔法の迷宮』で彼はもう死んだという言及がある)や Jesus on Mars にはイエス・キリストが登場する。Night of Light にはあまり敬虔ではない神父 John Carmody が登場し、精神的な力が物質世界に影響を与える異世界を描いている。『太陽神降臨』(1960) は、宇宙飛行士が800年後の地球に帰還してみると、異教の女神崇拝が支配していたという話である。他にも宗教をテーマにした作品がいくつかある。
パルプ・ヒーロー
ファーマー作品には既存の小説や歴史上の人物を登場させるものが多い。The Wind Whales of Ishmael (1971) はハーマン・メルヴィルの『白鯨』の世界の遠い未来を描いた続編となっている。The Other Log of Phileas Fogg (1973) は、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』で描かれていない期間を埋めた作品である。A Barnstormer in Oz (1982) は、ドロシーの息子が成長してパイロットとなり、飛行中に偶然オズの魔法使いの世界に迷い込む話である。
ファーマーはターザンやドック・サヴェジといったパルプ・マガジンのヒーローを作中に登場させたり、パスティーシュとして書いたりしている。「シャーロック・ホームズ アフリカの大冒険」では、ターザンとシャーロック・ホームズが手を組む。ターザンに似た Lord Grandrith とドック・サヴェジに似た Doc Caliban が活躍するシリーズもある。ファーマーはこの2人について伝記形式で Tarzan Alive (1972) と Doc Savage: His Apocalyptic Life (1973) を書いている。これらは元々彼らや他の小説の登場人物が実在の人物で、オリジナルの記録者がそれを小説化したという設定を採用しており、様々な架空の人物がある一族の系統の属しているとして "Wold Newton family" と呼ばれる設定が生まれた。さらにファーマーは公認のドック・サヴェジものの小説 Escape from Loki (1991) とエドガー・ライス・バローズの遺族から公認を取り付けたターザンの正式な続編 The Dark Heart of Time (1999) も書いている。Time's Last Gift (1972) ではターザンとタイムトラベルを組合せている。Lord Tyger (1970) は冷酷な億万長者が本物のターザンを作ろうと考え、自分の息子を誘拐させ、さらに息子にターザンと同じ試練を与えるという話である。
Hadon of Ancient Opar (1974) と Flight to Opar (1976) では、ターザンもので重要な役割を果たす秘境オパルがかつて栄えていた時代を描いている。
ペンネーム
キルゴア・トラウトはカート・ヴォネガットの著作に登場する架空の小説家で、ファーマーがキルゴア・トラウト名義で書いた『貝殻の上のヴィーナス』 (Venus on the Half-Shell) もキルゴア・トラウトの設定上の作品とされているものである。トラウトが書いたとされる他の多くの架空の作品を同名義で発表する計画もあったが、ヴォネガットの許可が得られず実現しなかった[16]。その後、ファーマーは主にF&SF誌で架空の作家のペンネームで小説をいくつも発表している。これらは、他の小説の登場人物を作者として書かれたものである。そのような短編小説の最初のものはジョナサン・スウィフト・ソマーズ3世 (Jonathan Swift Somers III) を作者としたものである。この名は『貝殻の上のヴィーナス』に登場するが、エドガー・リー・マスターズの『スプーン・リヴァー詩集』に出てくる名が元になっている。その後ファーマーは「コードウェイナー・バード」というペンネームも使っている。これはハーラン・エリスンがかつて映画およびテレビ業界で仕事をしていたときに作品を気に入らなかったときに使っていたペンネームである。また、"The Jungle Rot Kid On the Nod"(1968) には注記として「もしエドガー・ライス(・バローズ)ではなくウィリアム・S(・バローズ)がターザンを書いたとしたら」と書かれている。
受賞歴
1953年: ヒューゴー賞、Most Promising New Talent、『恋人たち』中編版
1968年: ヒューゴー賞 中長編小説部門、『紫年金の遊蕩者たち』
1972年: ヒューゴー賞 長編小説部門、『果てしなき河よ我を誘え』[17]
2000年: デーモン・ナイト記念グランド・マスター賞
2001年: 世界幻想文学大賞生涯功労賞
日本語訳作品リスト
長編
緑の星のオデッセイ The Green Odyssey (1957)
太陽神降臨 Flesh (1960)
恋人たち The Lovers (1961)
貝殻の上のヴィーナス Venus on the Half-Shell (1975)
気まぐれな仮面 The Unreasoning Mask (1981) :1982年ローカス賞ノミネート
デイワールド Dayworld (1985)
《階層宇宙》シリーズ 階層宇宙の創造者 The Maker of Universes (1965)
異世界の門 The Gate of Creation (1966)
階層世界の危機 A Private Cosmos (1968)
地球の壁の裏に Behind the Walls of Terra (1970)
《リバーワールド》シリーズ 果しなき河よ我を誘え To Your Scattered Bodies Go (1971) - 1972年、ヒューゴー賞受賞[17]、ローカス賞ノミネート
わが夢のリバーボート The Fabulous Riverboat (1971) - 1972年ローカス賞ノミネート
飛翔せよ、遥かなる空へ The Dark Design (1979) - 1979年ローカス賞ノミネート
魔法の迷宮 The Magic Labyrinth (1980) - 1981年ローカス賞ノミネート
《ダンジョン・ワールド》シリーズ ダンジョン・ワールド 1 暗黒の塔 Philip Jose Farmer's The Dungeon Book 1: The Black Tower (1988) - リチャード・A・ルポフ (Rochard A. Lupoff) と共著
ダンジョン・ワールド 2 天空の穴 Philip Jose Farmer's The Dungeon Book 2: The Dark Abyss (1989) - ブルース・コーヴィル (Bruce Coville) と共著
ダンジョン・ワールド 3 雷鳴の谷 Philip Jose Farmer's The Dungeon Book 3: The Valley of Thunder (1989) - チャールズ・デ・リント (Charles De Lint) と共著
《私立探偵チャイルド》シリーズ 淫獣の幻影 The Image of Beast (1968)
淫獣の妖宴 Blown (1969)
短編集
奇妙な関係 Strange Relations (1960)
脚注・出典
1.^ Fiedler, Leslie A., ed. (1975), In Dreams Awake: A Historical-Critical Anthology of Science Fiction, New York, New York: Dell Publishing Company, pg 120.
2.^ a b 伊藤典夫「リバーワールド以前のファーマー」(ハヤカワ文庫版『恋人たち』巻末解説)
3.^ Pohl, Frederik (2009年2月28日). “Josie!”. The Way the Future Blogs. 2009年3月1日閲覧。
4.^ a b c Jonas, Gerald (2009), "Philip Jose Farmer, Daring Science Fiction Writer, Dies at 91" [Obit], The New York Times, 26 February 2009.
5.^ a b c Clute, John; Nicholls, Peter (1993). The Encyclopedia of Science Fiction. London: Orbit Books. pp. 1200. ISBN 978-1857231243.
6.^ Stoler, Peter (1980), “’Riverworld’ Revisited”, Time, July 28.
7.^ Fiedler, Leslie A. (1972), "Getting into the Task of Now Pornography", The Los Angeles Times, April 23. (Reprinted in slightly different form as “Thanks for the Feast: Notes on Philip Jose Farmer”, In: Farmer, Philip Jose (1973), The Book of Philip Jose Farmer, or the Wares of Simple Simon’s Custard Pie and Space Man, New York: Daw Books, Inc, pp 233-239.)
8.^ I, Asimov. Isaac Asimov. Bantam Books. p. 504. 1994.
9.^ Official website
10.^ [1] Retrieved April 8, 2009
11.^ a b Farmer, Philip Jose (1983). River of Eternity. Huntington Woods, Michigan: Phantasia Press. ISBN 0-923096-28-X.: Author's Introduction
12.^ A Conversation With Roger Zelazny 8th April, 1978 - ウェイバックマシン
13.^ Merrick, Helen (2003), “Gender in Science Fiction”, in Clute, John; Nichols, Peter, The Cambridge Companion to Science Fiction, Cambridge: Cambridge University Press, ISBN 0-521-81626-2
14.^ Carey, Christopher Paul. “The Grand Master Of Peoria: Philip Jose Farmer's Immortal Legacy”. The Zone. 2007年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月29日閲覧。
15.^ Heinlein, Robert A. (1991). Stranger in a Strange Land. New York: New York: Ace/Putnam. ISBN 0-399-13586-3.
16.^ Trout
17.^ a b “1972 Award Winners & Nominees”. Worlds Without End. 2009年10月5日閲覧。
参考文献
Brizzi, Mary (Mary Turzillo). Reader's Guide to Philip Jose Farmer, Starmont House, Mercer Island, WA., (Starmont Reader's Guides to Contemporary Science Fiction and Fantasy Authors series, #3, ed. Roger C. Schlobin) ISBN 0916732053, 1981.
外部リンク
Official website
International bibliography of Philip Jose Farmer
An Expansion of Philip Jose Farmer's Wold Newton Universe
Farmerphile: The Magazine of Philip Jose Farmer
フィリップ・ホセ・ファーマー - Internet Speculative Fiction Database(英語)
"Yesterday's Tomorrows: Philip Jose Farmer" by Graham Sleight
カテゴリ: アメリカ合衆国の小説家
アメリカ合衆国のSF作家
アメリカ合衆国のファンタジー作家
ヒューゴー賞作家
イリノイ州の人物
インディアナ州の人物
1918年生
2009年没

スタートレック - W

虎馬元:スタートレック - W 

『スタートレック』(英: Star Trek)はアメリカのSFテレビドラマシリーズ。1966年の放映開始以来、5本のドラマ作品、12本の劇場版、1本のアニメ作品が制作されており、ハードSF的なものからスペースオペラ的なものまで、様々な話がある。

1966年に開始した最初の作品では、作者であるジーン・ロッデンベリーが理想とする未来像を描きつつ、現代における様々な社会問題をSFの形で提示した。1987年以降に開始された作品においても、現実社会の複雑化を反映して、今日に至るヒットに結びついた。
目次 [非表示]
1 作品が世に出るまで
2 作品が及ぼした影響
3 作品の内容
4 作品の一覧
4.1 ドラマ版
4.2 劇場版
4.3 正史に含まれない作品
4.3.1 アニメ版
4.3.2 小説・コミック
4.3.3 コンピュータゲーム
5 作品のキャスト
5.1 宇宙大作戦
5.2 新スタートレック
5.3 スタートレック:ディープ・スペース・ナイン
5.4 スタートレック:ヴォイジャー
5.5 スタートレック:エンタープライズ
5.6 日本語版の吹き替え
6 作品の年表
6.1 主要宇宙
6.1.1 20世紀
6.1.2 21世紀
6.1.3 22世紀
6.1.4 23世紀
6.1.5 24世紀
6.2 並行宇宙
6.2.1 23世紀
6.3 作品を超えた歴史改変
7 作品のテーマ曲
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク

作品が世に出るまで[編集]『スタートレック』はジーン・ロッデンベリーにより創作された。アメリカ西部開拓を描いたテレビドラマ『幌馬車隊(英語版)』のように、宇宙を開拓する物語が初期の構想であった。これは、SFの形をとることにより、当時のアメリカの社会問題を検閲されずに物語に盛り込み、指摘できると考えたためである。彼は『ホーンブロワー』にインスパイアされたことも語っている。

ロッデンベリーは1964年、まずメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに『スタートレック』の企画を持ち込むが、採用されなかった。次にCBSに企画を持ち込んだが、CBSではすでに『宇宙家族ロビンソン』というSFの企画が進行中であったために断られてしまった。

次にロッデンベリーがこの企画を持ち込んだNBCではパイロット版を製作するよう言われ、ジェフリー・ハンターをクリストファー・パイク船長役としたパイロット版「歪んだ楽園(英語版)」を製作する事になった。この第一パイロット版はNBCからアクションシーンの少なさを指摘された。しかし、異例ながら第二パイロット版の製作が許可され、ロッデンベリーはウィリアム・シャトナーをジェイムズ・T・カーク船長役とする「光るめだま(英語版)」を製作した。この第二パイロット版のおかげで、1966年2月に初代シリーズである『宇宙大作戦』の放映が決定され、同年9月より放映される事となった。

作品が及ぼした影響[編集]『スタートレック』の熱心なファンのことを、トレッキーまたはトレッカーと呼ぶが、アメリカのみならず世界中の宇宙関連事業関係者にもファンが多いと言われる。また、スティーヴン・ホーキングのように、『スタートレック』を自らの講演で引用したり、ゲストとして出演するような著名人もいる。また、『ターミナル』の入国審査官のように、現代のアメリカを舞台とした作品で、登場人物がトレッキーという設定になっていることもある。

トレッキーによる40万通ほどの投書が行われた事で、スペースシャトルのオービタ1号機(ただし大気圏内での滑空飛行試験用の機体)に、当初考えられていた「コンスティテューション」ではなく「エンタープライズ」の名が付けられた。そのお披露目にはキャストなどの関係者が招待されている。なお、『宇宙大作戦』の頃から科学考証をアメリカ航空宇宙局(NASA)に求める事があり、劇場版のクレジットタイトルなどでNASAの名前が出ることがある。

小惑星2309番が「ミスター・スポック」(公式には発見者のペットの同名の猫に由来するとされている)、9777番が「エンタープライズ」と命名された。ほか数個の小惑星にも、作品に出演したキャストなどの名前がつけられている。

作品の内容[編集]時代は作品ごとに違うが、おおむね22世紀から24世紀の話である。地球人は銀河系内のほぼ四分の一の領域に進出しており、様々な異星人と交流しながら、残りの領域の探索を進めている。地球からは貧困や戦争などが根絶されており、見た目や無知から来る偏見、差別も存在しない、ある意味で理想的な世界と化している。貨幣経済はなくなり、人間は富や欲望ではなく人間性の向上を目指して働いている。

地球は150個ほどの星系とともに惑星連邦という組織を形成しており、宇宙艦隊を編成して銀河系の探査や学術調査、外交、治安維持等の任務にあてている。他にも様々な星間国家が存在して、武力行使を含めた外交の駆け引きを繰り広げている。惑星連邦の本部はパリにあり、宇宙艦隊の本部はサンフランシスコにある。惑星連邦内では軍事力を伴った紛争がほぼ根絶されたが、他の星間国家との間ではそうはなっていない。クリンゴン帝国やロミュラン帝国、カーデシア連合などの侵略的な国家との関係が必ずしも良好ではないためである。

『スタートレック:エンタープライズ』では惑星連邦設立以前の時代を描いているが、他の作品に出てくる星間帝国や異星人が登場しており、シリーズとしての一貫性が保たれている。また、銀河系の一部しか知られていないという設定のため、後の作品では既成の事実や知識となっている未知の異星人や、天文現象と初めて遭遇するパターンも多く使われている。

このシリーズの主要な構成は、宇宙艦隊に所属する宇宙船もしくは宇宙ステーションで活動する主要な登場人物(地球人とは限らない)が、艦長や司令官の指揮のもとに様々な困難を乗り越えて活躍し、他種族や未知の生命体や文明と交流していく様を描いている。これらの登場人物と、習慣や価値観の異なる異星人や、様々な宇宙の現象との遭遇等が絡みあい、ドラマが繰り広げられる。

なお、ヒューマノイド型の異星人が多いのは、元々の遺伝子が同じものであったから、という話が『新スタートレック』で語られている。クリンゴン人を始めいくつかの種族には独自の言語が設定されているが、高性能な宇宙翻訳機があるため、基本的にどの星の人とも英語で会話が出来る(フェレンギ人が過去の地球に囚われてしまった話には、翻訳機が頭に埋め込まれていることを示唆する描写がある)。未知の言語であっても普通はコンピューターが短時間で解析し翻訳出来るようになるが、一部の特殊な言語を持つ種族に対しては翻訳が不能であるなど例外もある。22世紀ではまだ翻訳機の性能が低く、意思疎通に苦労することも多かった。

作品の一覧[編集]長く作品が制作され続けるシリーズでは、これまでの作品を「なかったこと」にして、複雑化した設定を一新することがよくあるが、このシリーズではほとんどすべての作品が同じ世界を共有している。そのため、『新スタートレック』『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』『スタートレック:ヴォイジャー』はすべて『宇宙大作戦』から見て未来の出来事であり、『スタートレック:エンタープライズ』は『宇宙大作戦』から見て過去の出来事である。劇場版第11作では初めて『宇宙大作戦』とは別の世界が舞台となったが、タイムトラベルとそれにともなう歴史改変を題材にすることにより、旧来の作品との連続性が保たれている。

作品の根幹としてオムニバースの概念が取り入れられており、物語の主軸として描かれている世界とは異なるパラレルワールドが登場する話もある。たとえば、『宇宙大作戦』第39話「イオン嵐の恐怖(英語版)」が初出となる「鏡像宇宙[1]」は、地球が惑星連邦ではなく侵略的な地球帝国を形成した世界である。また、『新スタートレック』第63話「亡霊戦艦エンタープライズ'C'(英語版)」などで描かれているように、タイムトラベルによって生じた異なる歴史の世界が登場することもある。『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』第37話「宇宙の原型(英語版)」では宇宙に内包されるかたちで別の宇宙が発見されるなど、この作品の世界は多元多層の非常に複雑な構成になっている。

なお、アニメ版や小説・コミックなども同じ世界を共有しているが、これらの作品で語られた内容は正式な設定(正史)とは認められていない。

ドラマ版[編集]略称 邦題
原題 放送期間(本国) シーズン数 話数 劇中の時代[2]
TOS 宇宙大作戦
Star Trek 1966年9月8日 - 1969年6月3日 3 79 2264年 - 2269年
TNG 新スタートレック
Star Trek: The Next Generation 1987年9月28日 - 1994年5月23日 7 176[3] 2363年 - 2370年
DS9 スタートレック:ディープ・スペース・ナイン
Star Trek: Deep Space Nine 1993年1月2日 - 1999年5月29日 7 176 2369年 - 2375年
VOY スタートレック:ヴォイジャー
Star Trek: Voyager 1995年1月16日 - 2001年5月23日 7 172 2371年 - 2378年
ENT スタートレック:エンタープライズ
Star Trek: Enterprise[4] 2001年9月26日 - 2005年5月13日 4 98 2151年 - 2161年

劇場版[編集]『宇宙大作戦』の終了後、アニメ版の制作・放映を経て、劇場版への動きが始まった。

1974年にロッデンベリーは、劇場版として『スタートレックII』を1975年に公開しようと企画した。しかし、草稿台本にパラマウントの了承が出ず、公開延期、テレビ映画への変更を経て企画は消滅した。1976年には再び『スタートレックII』の企画が立ち上がったが、この企画もまた草稿台本に了承が出ずに消滅した。

1977年にはドラマ版として『スタートレック:フェイズII』の企画が立ち上がり、キャストを呼んだ撮影まで行われた。だが、『スター・ウォーズ』のヒットをはじめとするSF映画ブームがおこったため、企画はドラマ版から劇場版へと変更され、劇場版第1作として公開されるに至った。

詳細は「スタートレックの映画作品」を参照

略称 邦題
原題 公開年 劇中の
時代 備考
TMP スタートレック
Star Trek: The Motion Picture 1979年 2271年 当作から『宇宙大作戦』のメンバーが中心となった作品。
TWOK スタートレックII カーンの逆襲
Star Trek II:The Wrath of Khan 1982年 2285年
TSFS スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!
Star Trek III:The Search for Spock 1984年 2285年
TVH スタートレックIV 故郷への長い道
Star Trek IV:The Voyage Home 1986年 2286年
TFF スタートレックV 新たなる未知へ
Star Trek V:The Final Frontier 1989年 2287年
TUC スタートレックVI 未知の世界
Star Trek VI:The Undiscovered Country 1991年 2293年
GEN ジェネレーションズ
Star Trek: Generations 1994年 2371年 当作から『新スタートレック』のメンバーが中心となった作品。
FC ファーストコンタクト
Star Trek: First Contact 1996年 2373年
INS スタートレック 叛乱
Star Trek: Insurrection 1998年 2375年
NEM ネメシス/S.T.X
Star Trek: Nemesis 2002年 2379年
STXI スター・トレック
Star Trek 2009年 2258年 当作から新キャストによる『宇宙大作戦』のメンバーが中心となった作品。
STID スター・トレック イントゥ・ダークネス
Star Trek Into Darkness 2013年 2259年

正史に含まれない作品[編集]アニメ版[編集]『宇宙大作戦』をアニメ化した作品であり、設定や登場人物は『宇宙大作戦』と同じ。従来までは『まんが宇宙大作戦』は正史に含まれないとされてきたが、本国アメリカでのDVD発売に関連して、製作側ではこの作品も正史に含めるという動きがある[5]。

略称 邦題
原題 放送期間(本国) シーズン数 話数 劇中の時代
TAS まんが宇宙大作戦
Star Trek: The Animated Series 1973年9月8日 - 1974年10月12日 2 22 2269年 - 2270年

小説・コミック[編集]アメリカでは『スタートレック』の世界を舞台とする小説・コミック(英語版)等が数多く出版されており、現在もポケット・ブックス(英語版)社(パラマウント映画の関連会社)から新作の刊行が続いているが、これらも原則的に正史には含まれない[6]。

小説の日本語訳は、『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』と『スタートレック:ヴォイジャー』が角川文庫から、他がハヤカワ文庫から出版されたが、多くが絶版状態となっている。また、ドラマや劇場版のノベライズとは別に、オリジナル小説もいくつか出版された。

「スタートレックに関する日本語資料一覧#出版物」を参照

コンピュータゲーム[編集]アメリカでは『スタートレック』の世界を舞台とするゲームも数多く販売されている。なかでも、1971年に登場したマイコンゲームはアマチェアの手による非公式なものだったが、当時としては手軽に遊べる数少ないシミュレーションゲームとあって人気を博し、日本でも1980年代初期まで人気のゲームの一つだった。

日本では北海道地方や関西地方では何度も再放送されていたが、関東地方では『宇宙大作戦』の放送回数が少なかった[7]ため、関東地方では「『スタートレック』は海外ドラマでなくマイコンゲームだ」と勘違いしていた者も多かった。

詳細は「スタートレック (マイコンゲーム)」を参照

作品のキャスト[編集]出演が多くてもゲスト契約で出演している登場人物は除く。

宇宙大作戦[編集]ジェームズ・T・カーク - ウィリアム・シャトナー / クリス・パイン
スポック - レナード・ニモイ / ザカリー・クイント
レナード・マッコイ - デフォレスト・ケリー / カール・アーバン
モンゴメリー・スコット - ジェームズ・ドゥーハン / サイモン・ペグ
ヒカル・スールー - ジョージ・タケイ / ジョン・チョー
パヴェル・チェコフ - ウォルター・ケーニッグ / アントン・イェルチン
ウフーラ - ニッシェル・ニコルス / ゾーイ・サルダナ
新スタートレック[編集]ジャン=リュック・ピカード - パトリック・スチュワート
ウィリアム・T・ライカー - ジョナサン・フレイクス
データ - ブレント・スパイナー
ディアナ・トロイ - マリーナ・サーティス
ナターシャ・ヤー - デニーズ・クロスビー
ウォーフ - マイケル・ドーン
ジョーディ・ラ=フォージ - レヴァー・バートン
ビバリー・クラッシャー - ゲイツ・マクファーデン
ウェスリー・クラッシャー - ウィル・ウィートン
スタートレック:ディープ・スペース・ナイン[編集]ベンジャミン・シスコ - エイヴリー・ブルックス
キラ・ネリス - ナナ・ヴィジター
ジャッジア・ダックス - テリー・ファレル
ジュリアン・ベシア - アレクサンダー・シディグ
マイルズ・オブライエン - コルム・ミーニイ
オドー - ルネ・オーベルジョノワ
クワーク - アーミン・シマーマン
ジェイク・シスコ - シロック・ロフトン
ウォーフ - マイケル・ドーン
エズリ・ダックス - ニコール・デボア
スタートレック:ヴォイジャー[編集]キャスリン・ジェインウェイ - ケイト・マルグルー
チャコティ - ロバート・ベルトラン
トゥヴォック - ティム・ラス
トム・パリス - ロバート・ダンカン・マクニール
ハリー・キム - ギャレット・ウォン
ベラナ・トレス - ロクサン・ビッグズ・ドーソン
セブン・オブ・ナイン - ジェリー・リン・ライアン
ニーリックス - イーサン・フィリップス
ドクター - ロバート・ピカード
ケス - ジェニファー・リーン
スタートレック:エンタープライズ[編集]ジョナサン・アーチャー - スコット・バクラ
トゥポル - ジョリーン・ブレイロック
チャールズ・タッカー三世 - コナー・トリナー
マルコム・リード - ドミニク・キーティング
トラヴィス・メイウェザー - アンソニー・モンゴメリー
ホシ・サトウ - リンダ・パーク
フロックス - ジョン・ビリングズリー
日本語版の吹き替え[編集]人気作品が何度も映像化される際、同じ声優が確保できなかったり、当初日本語版でカットされていたシーンに後から吹き替えを追加した事で、声優がこまめに変更されてしまうケースが存在する。当シリーズでも『宇宙大作戦』のキャストが複雑化しているため、ここにまとめて記す。なお劇場版は便宜上「劇場版第○作」で表記した。

作品名 カーク スポック マッコイ スコット スールー チェコフ ウフーラ
宇宙大作戦
第1シーズン 矢島正明 久松保夫 吉沢久嘉 小林修 富山敬
納谷六朗 (出演なし) 松島みのり
宇宙大作戦
第2〜3シーズン 矢島正明 久松保夫 吉沢久嘉 内海賢二 田中亮一
納谷六朗 井上弦太郎 松島みのり
まんが宇宙大作戦 佐々木功 阪脩 村越伊知郎 石丸博也 村山明 (出演なし) 高島雅羅
新スタートレック (出演なし) 矢田耕司 (不明) 寺島幹夫 (出演なし) (出演なし) (出演なし)
ディープ・スペース・ナイン
宇宙大作戦の補足分 矢島正明 菅生隆之 小島敏彦 小林修 坂東尚樹 遊佐浩二 松島みのり
劇場版第1作初回 矢島正明 瑳川哲朗 山内雅人 小林修 富山敬 古川登志夫 川島千代子
劇場版第2作初回 矢島正明 瑳川哲朗 山内雅人 小林修 富山敬 曽我部和恭 川島千代子
劇場版第3作初回 矢島正明 瑳川哲朗 山内雅人 小林修 富山敬 曽我部和恭 横尾まり
劇場版第4作初回 大塚明夫 大木民夫 江角英明 神山卓三 宮本充 金尾哲夫 さとうあい
劇場版第5作初回 筈見純 仁内建之 嶋俊介 島香裕 牛山茂 西村知道 竹口安芸子
劇場版第6作初回 大塚明夫 吉水慶 仁内建之 藤本譲 田原アルノ 辻親八 小宮和枝
劇場版第1作二回目 矢島正明 菅生隆之 小島敏彦 小林修 坂東尚樹 佐久田修 松島みのり
劇場版第2作二回目 矢島正明 菅生隆之 小島敏彦 小林修 坂東尚樹 坂東尚樹 朴璐美
劇場版第3〜6作二回目 矢島正明 菅生隆之 小島敏彦 小林修 坂東尚樹 樫井笙人 朴璐美
劇場版第7作 矢島正明 (出演なし) (出演なし) 藤本譲 (出演なし) 辻親八 (出演なし)
劇場版第11作 阪口周平 喜山茂雄
菅生隆之 宮内敦士 根本泰彦 浪川大輔 粟野志門 東條加那子
劇場版第12作 阪口周平 喜山茂雄
菅生隆之 宮内敦士 根本泰彦 浪川大輔 粟野志門 栗山千明

作品の年表[編集]主要宇宙[編集]ドラマ版とその劇場版が舞台とする宇宙。

20世紀[編集]1957年 - 人類初の人工衛星が打ち上げられ、調査に訪れたバルカン人が地球に不時着する。
1986年 - カーク達がザトウクジラを求めタイムトラベルしてくる。
1992年 - カーン率いる優生人類が人類支配を企て、優生戦争が勃発する。(~1996年)
21世紀[編集]2026年 - アメリカと東洋連合(ECON)の間で、第三次世界大戦が勃発する。(~2053年)
2063年 - コクレーンがフェニックス号で人類初のワープ航法に成功し、調査に訪れたバルカン人と初接触する。ボーグとピカード達がタイムトラベルしてくる。
22世紀[編集]2150年 - 地球のすべての国家が統合され、地球連合が発足する。
2151年 - 地球連合がクリンゴン人およびスリバン人と初接触する。
2151年 - エンタープライズ号(NX-01)がアーチャー船長の指揮下で進宙し、宇宙探査を行う。(~2161年)
2152年 - 地球連合がロミュラン人と初接触する。
2153年 - ズィンディが地球を攻撃する。
2156年 - 地球連合とロミュラン帝国の間で、ロミュラン戦争が勃発する。(~2160年)
2161年 - 地球連合やバルカン政府などが統合され、惑星連邦が発足する。
23世紀[編集]2245年 - エンタープライズ号(NCC-1701)がエイプリル船長の指揮下で進宙する。
2251年 - エンタープライズ号(NCC-1701)がパイク船長の指揮下で2回にわたる5年間の深宇宙調査を行う。(~2264年)
2264年 - エンタープライズ号(NCC-1701)がカーク船長の指揮下で5年間の深宇宙調査を行う。(~2269年)
2267年 - 冷凍冬眠から目覚めたカーン達が、セティ・アルファ第5惑星に追放される。
2268年 - ロミュラン帝国とクリンゴン帝国が同盟を結び、隠蔽装置や宇宙船などの技術交換が行われる。
2269年 - カークが提督に昇進する。エンタープライズ号(NCC-1701)がデッカー艦長の指揮下で改装を開始する。(~2271年)
2271年 - ヴィジャーが地球に接近する。エンタープライズ号(NCC-1701)がカーク艦長の指揮下で5年間の深宇宙調査を行う。(~2276年)
2285年 - カーン達がカークに復讐を企て、スポックが殉職する。
2285年 - ジェネシス計画が失敗する。エンタープライズ号(NCC-1701)がクリンゴン帝国との戦闘中に自爆する。スポックが復活する。
2286年 - カーク達がザトウクジラを求め、1986年にタイムトラベルする。エンタープライズ号(NCC-1701-A)がカーク艦長の指揮下で進宙する。
2293年 - クロノスの衛星プラクシスが爆発し、惑星連邦とクリンゴン帝国がキトマー協定により和平を結ぶ。
2294年 - エンタープライズ号(NCC-1701-B)がハリマン艦長の指揮下で進宙する。処女航海中、輸送船ラクール号を救出中にカークが行方不明となる。
24世紀[編集]2328年 - カーデシア連合が惑星ベイジョーを併合する。
2332年 - エンタープライズ号(NCC-1701-C)がギャレット艦長の指揮下で進宙する。
2344年 - エンタープライズ号(NCC-1701-C)がロミュラン帝国との戦闘で撃沈される。
2347年 - 惑星連邦とカーデシア連合の間で、カーデシア戦争が勃発する。(~2367年)
2363年 - エンタープライズ号(NCC-1701-D)がピカード艦長の指揮下で進宙し、7年間の深宇宙探査を行う。(~2371年)
2364年 - 惑星連邦がQ連続体と初接触する。
2365年 - 惑星連邦がボーグと初接触する。
2366年 - ボーグが地球侵攻を行い、ウルフ359の戦いで39隻の宇宙艦隊船を撃墜する。
2369年 - カーデシア連合が惑星ベイジョーから撤退し、発掘用宇宙基地テロック・ノールは「ディープ・スペース・ナイン」として、惑星連邦の管理下に置かれる。
2369年 - シスコがディープ・スペース・ナインの司令官として指揮を執る。ガンマ宇宙域へ繋がるベイジョー・ワームホールが発見される。
2371年 - ヴォイジャー号がジェインウェイ艦長の指揮下で進宙するも、7万光年先のデルタ宇宙域に飛ばされてしまう。
2371年 - ピカード達がソランの企てを阻止する。エンタープライズ号(NCC-1701-D)が大破する。カークが発見されるも殉職する。
2371年 - 惑星連邦がドミニオンと初接触する。
2372年 - クリンゴン帝国がキトマー協定を破り、カーデシア連合を攻撃する。
2372年 - エンタープライズ号(NCC-1701-E)がピカード艦長の指揮下で進宙する。
2373年 - 惑星連邦・クリンゴン帝国とドミニオンの間で、ドミニオン戦争が勃発する。(~2375年)
2373年 - カーデシア連合がドミニオンの一員となる。
2373年 - ボーグが2度目の地球侵攻を行い、ピカード達がボーグによる歴史改変を防ぐため、2063年にタイムトラベルする。
2373年 - ヴォイジャー号が生命体8472と初接触する。生命体8472に対抗するため、ボーグと一時的に同盟を結ぶ。
2375年 - カーデシア連合がドミニオンに叛乱を起こし、独立を取り戻す。
2375年 - シスコが行方不明となる。
2378年 - ヴォイジャー号が地球に帰還する。
2379年 - ロミュラン帝国でクーデターが発生し、ピカード達がシンゾンの地球侵攻を阻止する。データが殉職する。
2387年 - 超新星爆発でロミュラン星が消滅する。スポックとネロ達が並行宇宙にタイムスリップし、行方不明となる。
並行宇宙[編集]劇場版第11作と劇場版第12作が舞台とする宇宙。ネロたちがブラックホールの通過によって次元を超えたタイムスリップを起こしたために生じた並行宇宙で、2233年以前の出来事は主要宇宙と同一である。

23世紀[編集]2233年 - 主要宇宙からネロ達が次元を超えてタイムスリップしてくる。ネロ達によってケルヴィン号は破壊され、カークの父が殉職する。
2258年 - 主要宇宙からスポックが次元を超えてタイムスリップしてくる。
2258年 - エンタープライズ号(NCC-1701)がパイク船長の指揮下で進宙する。ネロ達が惑星連邦の崩壊を企てるも、カーク達によって阻止される。
2259年 - 冷凍冬眠から目覚めたカーンが、惑星連邦に対してテロ攻撃を行う。
2260年 - エンタープライズ号(NCC-1701)がカーク船長の指揮下で5年間の深宇宙調査を行う。
作品を超えた歴史改変[編集]作品終了後に、他の作品でその歴史改変の影響が出ることがある。これは、世界設定を継続させるシリーズならではとも言える。

2063年 - 正史では、バルカン人との初接触を取った歴史上重要な日とされている。劇場版第8作において、ボーグは歴史改変により初接触を妨害しようとするが、ピカード達によって阻止された。コクレーンが未来を知った以外は歴史が元に戻ったかに見えたが、『エンタープライズ』第49話「覚醒する恐怖(英語版)」において、撃墜された一部のボーグは北極に墜落し、そこで活動を停止していたことが明らかとなる。蘇生したボーグには地球の座標をデルタ宇宙域に送信し、2365年に惑星連邦がボーグと初接触する原因となる。
作品のテーマ曲[編集]アレクサンダー・カレッジ(英語版)作曲による『宇宙大作戦』のテーマ曲は、劇場版の際に他の作曲家が音楽を担当しても、必ずモチーフとして用いられている。最初、製作者はジェリー・ゴールドスミスに依頼するつもりであったが、ゴールドスミスは他の仕事が入っていて受けられなかったという。この曲にはロッデンベリーによって歌詞がつけられたが、歌声がついた版は実現しなかった。楽器演奏のみの曲としては多くの音楽家に演奏され、日本ではメイナード・ファーガソンによる演奏版が『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)の主題曲としても使われた。そのため、パロディ番組やクイズ番組などでもよく使われている。

劇場版の際にはゴールドスミスが音楽を担当することになったが、『宇宙大作戦』のファンファーレやメインモチーフが所々で引用された。カレッジはゴールドスミスと親しく、晩年よくゴールドスミスの映画音楽のオーケストレイターを務めた。企画書を読んだカレッジは、音楽をゴールドスミスに依頼する予定と記述してあったので、このことをゴールドスミスに伝えると、そう言われてみればロッテンベリーから電話で依頼があったと、思い出したそうである。その後も、他の作曲家が音楽を担当しても同様にカレッジの音楽を一部引用しながら新しい曲を作るようになった。劇場版第11作ではマイケル・ジアッキーノが音楽を担当しているが、やはり『宇宙大作戦』のテーマ曲を引用している。

なお、テレビの『新スタートレック』のテーマ曲は、ゴールドスミスによる劇場版第1作のテーマ曲をアレンジしたものである。また、ゴールドスミスは『スタートレック:ヴォイジャー』のテーマ曲も作曲した。

脚注
1.^ 英: Mirror Universe
2.^ 劇中で使用される暦は、グレゴリオ暦ではなく「宇宙暦」である。
3.^ 日本では初回と最終回が2話分とされ、178話である。
4.^ 当初の原題は『Enterprise』だったが、第3シーズンから『Star Trek』を冠するよう変更された。
5.^ 本国スタートレック公式サイトSTARTREK.COMより [1] [2] [3]
6.^ 『ヴォイジャー』を企画・プロデュースし、キャスリン・ジェインウェイ艦長の生みの親とされるジェリー・テイラー(英語版)著の『Mosaic』(1996年刊)と『Pathways』(1998年刊)で描かれたバックストーリーが後に本編に取り入れられたという例もあるが、それでも建前上は正史とは見みなされない。
7.^ 本放送、劇場版第1作の日本公開時、1980年代後半と3回放映しただけで、地上波での放映権が切れてしまったため。
関連項目[編集]D・C・フォンタナ
マイケル・オクダ
Mary Sue - 本作の二次創作に由来する同人用語
ギャラクシー・クエスト - 本作を模倣したパロディ映画
外部リンク公式
公式ウェブサイト (英語)
日本公式ウェブサイト
パラマウントによるソフト情報
非公式
Memory Alpha - WIKIを使ったスタートレック百科辞典 (英語)
Memory Alpha 日本語版 - 上記の日本語版

スターマン/愛・宇宙はるかに - W

虎馬元:スターマン/愛・宇宙はるかに - W 

『スターマン/愛・宇宙はるかに』(Starman)は、1984年製作のアメリカ合衆国のSF映画。115分、カラー。
主演のジェフ・ブリッジスは、この作品で1985年度サターン賞主演男優賞を受賞し、同年の第57回アカデミー賞主演男優賞およびゴールデングローブ賞映画部門主演男優賞にノミネートされた。
あらすじ
若くして最愛の夫スコットと死別したジェニーは心寂しい毎日を送っていた。ある日遥かな宇宙でボイジャーのゴールデンレコードに収録された「地球に歓迎する」という言葉を受け取り来訪した異星人の宇宙船が米軍の攻撃により地球に落下。異星人は追手から免れながらジェニーの家を発見すると、アルバムにあったスコットの遺品から遺伝子情報を持っていた不思議な球体を使い解析し、スコットそっくりの姿となる。ジェニーはスコットに生き写しの男の来訪を受け、言葉も地球のことを何も知らない彼・スターマンから恐れ逃げようとするが、彼の超能力により逃げることができない。「誘拐された」というメッセージを残しながら、彼の目的地であるアリゾナ州へ行動を共にすることとなる。
道中、英語を学びながら地球人のことを知っていくスターマン。次第にジェニーは彼の心の暖かさを知り、心惹かれていく。彼から三日後に目的地で宇宙船が迎えに来ること、またそれを逃すと死んでしまうことを聞き、これが決定打となり彼女は彼を目的地へ連れて行く決心をする。米軍のシャーマンに「誘拐は誤解」と釈明の電話を入れる。
だが、スターマンの地球来訪を知った軍は彼を捕獲するべく行動を開始していた。地球の環境に身体を蝕まれながらも、宇宙船との会合地点に急ごうとするスターマンと行動を共にするジェニーは、彼女の愛したスコットそのもののように地球人らしくなっていくスターマンとの別れをいつしか恐れるようになった。優しい人々にも助けられながら追手を振り切りながら目的地へと急ぐ。雨に振られびしょ濡れになった二人は成り行きから体を交える。ジェニーは病気で子どもができない体質であったが、スターマンの粋な計らいにより、スコットとの子どもを宿す。
目的地近くのバーに付き、チェリーパイを食べ、そこへ追手が到着。若い科学者のシャーマンは彼らが愛し合っていることを知り、また非人道的な米軍の宇宙人への接し方に愛想がつき、彼らを逃がす。そして、旅の果てでついに母船との邂逅を果たしたスターマンに別れと共に、彼の贈り物である彼女の体内で育つ命のことを告白される。彼は最後に残った不思議な球体を一つジェニーに手渡し、「これが何かは生まれてくる子どもが知っている」といって去っていった。
スタッフ
監督:ジョン・カーペンター
製作:ラリー・J・フランコ
製作総指揮:マイケル・ダグラス
脚本:ブルース・A・エヴァンス、レイノルド・ギデオン
撮影:ドナルド・M・モーガン
SFX:ブルース・ニコルソン、リック・ベイカー
音楽:ジャック・ニッチェ

キャスト[編集]
スターマン/スコット・ヘイドン:ジェフ・ブリッジス
ジェニー・ヘイドン:カレン・アレン
マーク・シャーマン:チャールズ・マーティン・スミス
ジョージ・フォックス:リチャード・ジャッケル
ベル陸軍少佐:ロバート・ファレン
レモン軍曹:トニー・エドワーズ
ブラッド・ハインミューラー:ジョン・ウォルター・デイビス
ゴールドマン:テッド・ホワイト

視覚効果

モデル造形とフィジカル・エフェクトを含んだ特殊メイクで制作されたスターマンの変身シーンはリック・ベイカー、スタン・ウィンストンとディック・スミスという巨匠たちの合作となった。
視覚効果はインダストリアル・ライト&マジックが担当し、後に視覚効果監督になるスコット・ファラー(『バックドラフト』)やマイケル・J・マカリスター(『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』)がキャメラマンとして参加している。終盤バリンジャー・クレーター上空に現れるスターマンの宇宙船は表面が周囲の風景を反射する鏡面になっており、撮影にブルーバック合成が使えず、半球形に加工した発泡スチロールにプロジェクターで風景を投射し、反射した風景を表現している。
1982年にILMが担当した『E.T.』でも鏡面状の宇宙船が登場しているが、この手法は環境マッピングなど3DCG技法のアナログ版と考える事が出来る。実際本作より数ヶ月先に公開された『スター・ファイター』でCGIを用いて鏡面状の宇宙船が制作され、ILMも『ターミネーター2』で鏡面状のキャラクターが様々な形状に変化する様子をCGIで描写している。
日本語吹替え
DVD未収録。
スターマン:津嘉山正種
ジェニー:小山茉美
シャーマン:富山敬
フォックス:小林清志
ベル少佐:仲木隆司
レモン軍曹:田中亮一
ゴールドマン:筈見純
その他出演:千田光男、飯塚昭三、村松康雄、藤城裕士、小島敏彦、嶋俊介、秋元羊介、斎藤昌、さとうあい、堀越真己、冬馬由美、荒川太郎
演出:福永莞爾
翻訳:宇津木道子
調整:遠西勝三 
音楽・効果:猪飼和彦
製作:千代田プロダクション
2011年10月26日『ミッドナイトアートシアター』での放送では翻訳を戸田奈津子が担当。
参考文献
1.^ “Starman (1984)”. Box Office Mojo. Amazon.com. 2009年11月6日閲覧。
外部リンク
スターマン/愛・宇宙はるかに - allcinema
スターマン/愛・宇宙はるかに - KINENOTE
Starman - AllMovie(英語)
Starman - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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クリスティーン (1983年) |
スターマン/愛・宇宙はるかに (1984年) |
ゴーストハンターズ (1986年) |
パラダイム (1987年) |
ゼイリブ (1988年)
1990年代
透明人間 (1992年) |
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