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南関東直下地震 - W【保存】【前編】

虎馬:南関東直下地震 - W 
南関東直下地震
曖昧さ回避 この項目では、南関東の直下型地震について説明しています。相模トラフ沿いの海溝型地震については「関東地震」をご覧ください。

江戸(現在の東京)直下で発生したと推定される1855年(安政2年)安政江戸地震を伝える絵図。発生様式は断層型・プレート境界型・海洋プレート内など諸説あり確定していない。
南関東直下地震(みなみかんとうちょっかじしん)は、関東地方の南部(神奈川県・東京都・千葉県・埼玉県・茨城県南部)で歴史的に繰り返し発生するマグニチュード7級の大地震を指す総称。首都圏の中心地域であることから首都直下地震、東京に焦点を絞った場合東京直下地震、東京大震災などともいう。日本で想定される都市直下型地震の一つ。

東海地震や立川断層帯地震のように特定の固有地震を指すものではなく、南関東の直下を震源とする被害地震クラスの数種類の大地震をまとめて指す呼び方である。このように総称を用いている理由として、南関東の地下構造が複雑なため過去の被害地震の発生様式が特定されていない点、また防災の観点から複数の直下地震をまとめて呼んだ方が分かりやすい点などが挙げられる。厳密には、より規模・被害が大きい相模トラフで起こる海溝型地震(1703年や1923年の関東地震)を含まない。

後述の通り発生した場合の被害や影響が多大であることから、日本政府や関係自治体が調査報告を行っており、中央防災会議は2003年に「我が国の存亡に関わる喫緊の根幹的課題」[1]としているほか、間接的被害は全世界に長期間及ぶと考えられている。2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の地殻変動が関東地方にも及んだことで発生確率が高まったとする研究者が複数おり、2012年には新たに最大震度7を含む想定震度分布が発表され、報道などの社会的関心も高まっている[2]。

目次
1 概要
2 南関東の特殊性と高いリスク 2.1 防災への取り組み

3 南関東直下地震のこれまでとこれから 3.1 過去の南関東の地震
3.2 メカニズムと特徴
3.3 活断層
3.4 他の地震との関連 3.4.1 別の巨大地震の前後に発生した例
3.4.2 東北地方太平洋沖地震以降の首都圏の地震活動


4 被害 4.1 中央防災会議
4.2 首都直下地震防災・減災特別プロジェクト
4.3 予測されている主な事象
4.4 被害想定に関する動き

5 脚注 5.1 注釈
5.2 出典

6 関連作品 6.1 小説
6.2 漫画
6.3 アニメ
6.4 テレビドラマ
6.5 映画

7 関連項目
8 外部リンク


概要[編集]





日本列島周辺のプレートの分布




南関東の衛星画像
相模湾においては、フィリピン海プレートが陸のプレート(北アメリカプレート)の下に沈み込んでいて、相模湾西部から房総半島南方30kmを通り三宅島東方200km付近までは海底の谷状地形が続くプレート境界「相模トラフ」を形成している。この相模トラフの北側の幅80km - 150kmの領域を震源域として、1703年12月31日(元禄16年11月23日)の元禄地震(M8.1)、1923年(大正12年)9月1日の関東地震(関東大震災)(M7.9)などのマグニチュード8級の巨大地震が推定200 - 400年間隔[注 1]で発生していて、これらを総称して関東地震と呼ぶ[注 2]。

これに対して、相模トラフから前述よりさらに北側をも含めた関東地方南部のいずれかの地域を震源域として、ひとまわり規模が小さいマグニチュード7級の地震が数十年間隔で何度も発生している。1855年11月11日(安政2年10月2日)の安政江戸地震(M6.9)、1894年(明治27年)6月20日の明治東京地震(M7.0)などが発生していて、これらを総称して南関東直下地震と呼ぶ。地震のタイプとしては内陸地殻内地震(直下型地震)に限らず、プレート間地震(海溝型地震)、スラブ内地震も想定される(詳細は後述)。なお、明治東京地震の震源は相模トラフより北側の東京湾北部となっており、安政江戸地震の震源も断定はされていないが同様の地域と考えられている。また、震源が海底ではないため、緊急地震速報がS波の到達まで間に合わない可能性があると予想されている。

南関東の特殊性と高いリスク[編集]

山手線内側の鉄道主要駅の地震増幅率[3]


増幅率の低い(地盤の強い)駅

増幅率の高い(地盤の弱い)駅


順位

駅名

増幅率

順位

駅名

増幅率

1位 東新宿駅 1.31 1位 秋葉原駅 1.85
1位 代々木駅 1.31 1位 水道橋駅 1.85
3位 池袋駅 1.32 3位 浜松町駅 1.74
4位 新宿駅 1.33 4位 東京駅 1.74
5位 四ッ谷駅 1.34 5位 神田駅 1.69

マグニチュード7級の地震が時折発生するという点では、南関東も日本の他の地域も同様である。しかし、南関東では以下のような理由により地震の頻度が高く、また被害の程度が顕著になると想定されることから、地震学・地質学の研究においても防災の観点においても注目され、重要視されている。

まず、関東地方には日本の他の地域と同様に地表近くに活断層が存在すると同時に、地下では相模トラフ付近だけではなく、群馬県南部・栃木県南部までプレートの境界が存在し、そこでも地震が発生する。北関東では震源が深いため揺れが減衰されるが、南関東では震源が浅いため強い揺れが起こる。しかも、南関東では地表を覆う大陸プレート(北アメリカプレート, NA)の下に南から海洋プレート(フィリピン海プレート, PH)が沈み込み、さらにその下に東から海洋プレート(太平洋プレート, PA)が沈み込んでいる複雑な構造であり、プレート間の相対運動速度はNA-PH間4 - 5cm/年・NA-PA間8 - 10cm/年と世界的にも比較的速いため、必然的に地震の確率は高くなる。

また、関東平野は埼玉北部・東部、東京東部、神奈川東部、千葉北部・中部、茨城南部まで広がっており、第四紀以降の堆積物に厚く覆われていて(最も深い東京湾付近で3,000m程度)揺れが反射・増幅されやすく、政府発表の「表層地盤のゆれやすさ全国マップ」(2005年)においても南関東の大部分が揺れやすい地域とされている。特に、東京湾岸や荒川・利根川流域などは揺れの増幅率(表層地盤増幅率)が高い地域に分類されており、都心部でも東側は地盤が弱い(表参照)。

南関東直下地震は、M8クラスの関東地震や東海地震に比べれば想定される震災被害の範囲は小さいが、プレート間地震が内陸で起こる「直下型」であるため震源付近では甚大な被害が発生すると考えられる。

世界最大の再保険会社であるミュンヘン再保険(英語版)が2002年に発表した、大規模地震が起きた場合の経済的影響度を含めた世界主要都市の自然災害の危険度ランキングでは、東京・横浜が710ポイントと1位で、167ポイントで2位のサンフランシスコと大差がつき、首都圏での震災を含めた災害リスクの高さが表れている。

また東京は江戸時代より日本の中心として都市機能を集約しており、戦後の高度経済成長によって日本が国際的な位置を確立し始めた時には、東京は日本だけでなく世界経済の中枢としても重要な位置を確立した。現在でも国内主要企業の本社のほとんどが集中する経済の中心地、また国会や中央省庁が集まる政治の中心地ゆえ、直下型地震によって経済活動や国家の安全保障に甚大な被害を及ぼす事態も予想されている。また、周辺を含めた首都圏にも横浜市・川崎市・相模原市・千葉市・さいたま市などの大都市があり全体的に人口密度が高く、京浜工業地帯・京葉工業地域・鹿島臨海工業地帯などの工業地域、横浜港・川崎港・千葉港などの重要港湾機能がある。このように人口や機能の集中する首都圏において大地震が発生し、その機能が麻痺状態に陥った場合のリスクは極めて高いものと想定されており、これが他地方への首都機能移転を主張する意見の一根拠にも用いられている。

首都近郊での大地震は近代より注目されている。地震学者今村明恒は、1891年濃尾地震を受けて設置された震災予防調査会がまとめた地震記録から関東地方の地震の周期性を見出し、「50年以内に東京で大地震が発生する」という趣旨の雑誌寄稿を1905年に行った。これは社会問題化したがやがて批判へと変わり、地震への警鐘は一時的なものとなってしまった。その後1921年、1922年とM7級の地震が発生するなど南関東で中規模地震が多発する中、1923年にM7.9の関東地震が発生し甚大な被害をもたらした。戦後、河角廣が発表した「南関東大地震69年周説」[4]は1978年 - 2004年の間に南関東で再び大地震が発生するというもので再び大きく取り上げられたが、これは鎌倉における古地震の記録をもとにしたもので地震の震源域や規模が明確ではなく、関東地震の周期性も解明されたことから後に否定された。その後1980年代より南関東地震活動期説が唱えられているが、支持・反対の意見に分かれている。

防災への取り組み[編集]

学会や民間において多くの議論が行われる一方で、政府は、1992年(平成4年)に「南関東地域直下の地震対策に関する大綱」を制定し、さらに2003年(平成15年)に中央防災会議において「首都直下地震対策専門調査会」を設置し、首都特有の問題を含む対策を検討している。企業においては、震災発生時に本社機能が麻痺しないよう、関東地方以外に本社機能を代替するよう体制改革を行ったり、震災を想定した事業継続計画(BCP)を推進したりしているところがある。自治体では、防災拠点の整備や災害時体制の整備、南関東以外の自治体との広域連携を進めている。また学校、医療機関、福祉施設、商業施設や、水道、都市ガス、電気、空港、鉄道、バス、道路などの公共性が求められるものにおいては、耐震性を高めダメージを最小限に抑えるとともに早期に復旧を行い、震災時・震災以降中長期的にサービスを提供できる体制の構築が求められ、推進されている。 特に、道路については、震災時に帰宅困難者による渋滞を防止することで緊急車両や自衛隊の行動を円滑にするため、警察では、すでに首都圏を担任する警視庁・神奈川県警察・千葉県警察・埼玉県警察の管内において強力な交通規制を行う用意がある。警視庁では、都内で震度6弱以上の震災が発生した場合は、直ちに交通規制を実施し、緊急車両のみを走行させることが都条例で定められている。実際に、警視庁では都内の主要交差点500箇所以上に警察官を急行させて交通規制をする訓練を繰り返しており、南関東直下地震に対する多くの資を得ているという。防衛省では、陸上自衛隊から自衛官約11万人、海上自衛隊から艦艇50隻、航空自衛隊から救難部隊を首都圏に投入する方針である。

南関東直下地震のこれまでとこれから[編集]

過去の南関東の地震[編集]

日本政府の地震調査研究推進本部は、「南関東におけるM7程度の地震」として2000年代初頭から評価を行い、その後数回改定している。過去の発生記録や現在解明されている範囲での南関東地域の地殻構造から、2007年(平成19年) - 2036年(平成48年)の間にM6.7〜7.2の(海溝型・プレート内)地震が70%の確率で発生するとの想定が行われている。なお前記の評価想定では、観測精度が信頼できる1885年以降評価時点であった2004年まで119年間の地震のうち、震源の深さが30 - 80kmで、かつ一定規模以上の被害がみられるものを対象としている。1894年(明治東京地震)、1895年、1921年、1922年、1987年(千葉県東方沖地震)の5つが該当し、これらの単純平均から、発生間隔を23.8年と見積もっている。

以下に南関東におけるM6.5以上の地震を列記する。地震調査委員会の「南関東直下地震」発生確率評価に採用されている地震は太字・赤背景で示した。「種類」における番号は次節と対応している。


地震名 年 月日 時刻 震央 深さ 規模 種類 被害
寛永小田原地震 1633年 3月1日 - 相模湾西部(小田原市沖) 不明 7.0 死者150名、負傷者多数
元禄関東地震 1703年 12月31日 2時頃 野島崎沖 23km[注 3] 8.1-8.4 海溝型 死者1万余名、負傷者多数
天明小田原地震 1782年 8月23日 - 神奈川県西部 不明 7.0 死者、負傷者あり
嘉永小田原地震 1853年 3月11日 - 神奈川県西部 不明 6.7 死者100名、負傷者多数
安政江戸地震 1855年 11月11日 22時頃 東京湾周辺 不明、諸説有 6.9-7.4 死者7444名-1万名、負傷者多数
(新島・神津島近海の地震) 1890年 4月16日 - 新島・神津島近海 30km以浅 6.8 - 負傷者1名
(山梨県東部の地震) 1891年 12月24日 - 山梨県東部 30km以浅 6.5 - 負傷者1名
明治東京地震 1894年 6月20日 - 東京湾付近(荒川河口付近) 80km程度[5] 7.0 3.か4.[5] 死者31名、負傷者197名
(東京湾付近の地震) 1894年 10月7日 - 東京湾付近(中央防波堤付近) 80km以深[6] 6.7 - -
(茨城県南部の地震) 1895年 1月18日 - 茨城県南部(霞ヶ浦付近[7]) 約40 - 60kmまたは
約60 - 80km[8] 7.2[7] 1.か3.[8] 死者9名、負傷者68名
(三宅島近海の地震) 1900年 11月5日 - 三宅島近海 30km以浅 6.6 - 負傷者1名
(茨城県南部の地震) 1921年 12月8日 - 茨城県南部(竜ヶ崎付近[7]) 約40 - 60kmまたは
約60 - 80km[8] 7.0[7] 1.か3.[8] -
(浦賀水道付近の地震) 1922年 4月26日 - 浦賀水道付近 71±21km[9] 6.8 2.か3.[9] 死者2名、負傷者23名
大正関東地震 1923年 9月1日 11時58分 神奈川県西部 23km 7.9-8.2 海溝型 死者11万人、負傷者11万人
(上記余震) 1923年 9月1日 - 伊豆大島近海 0km 6.5 -(上記余震) -
(上記余震) 1923年 9月1日 - 相模湾 0km 7.3 -(上記余震) -
(上記余震) 1923年 9月1日 - 相模湾 42km 6.5 -(上記余震) -
(上記余震) 1923年 9月1日 - 相模湾 39km 6.5 -(上記余震) -
(上記余震) 1923年 9月1日 - 山梨県中・西部 0km 6.8 -(上記余震) -
(上記余震) 1923年 9月2日 - 千葉県南東沖 14km 7.3 -(上記余震) -
(上記余震) 1923年 9月26日 - 伊豆大島近海 0km 6.8 -(上記余震) -
丹沢地震 1924年 1月15日 - 神奈川県西部(南足柄市付近) 0 - 10km 7.3 -(上記余震) 死者19名、負傷者638名
北伊豆地震 1930年 11月26日 - 静岡県伊豆地方(函南町付近) 1km 7.3 5. 死者272名、負傷者572名
西埼玉地震 1931年 9月21日 - 埼玉県北部(寄居町付近) 3km 6.9 5.? 死者16名、負傷者146名
伊豆半島沖地震 1974年 5月9日 - 駿河湾(石廊崎沖) 9km 6.8 5.? 死者38名、負傷者102名
伊豆大島近海の地震 1978年 1月24日 - 伊豆大島近海 15km 7.0 5.? 死者25名、負傷者211名
伊豆半島東方沖地震 1980年 6月29日 - 伊豆半島東方沖 10km 6.7 5.? 負傷者8名
千葉県東方沖地震 1987年 12月27日 - 千葉県東方沖(九十九里浜沖付近)[10] 約50km[10] 6.7 2.[10] 死者2名、負傷者161名
(伊豆大島近海の地震) 1990年 2月20日 - 伊豆大島近海 6km 6.5 5.? 負傷者1名

上記のうち、特に出典記載のないものは地震調査委員会、2004年[11]による。なおこの出典のマグニチュードおよび1884年以前の震源は宇津(1999)による。
直下地震ではない八丈島東方沖、房総半島南東沖の地震は除いた。震源分布は[1], [2]参照。

メカニズムと特徴[編集]

南関東では大陸プレートの下に海洋プレート2枚が別々に沈み込んでいる複雑なテクトニクス構造から、発生様式は以下の5種類が想定されている。3つのプレートが重なっているのは日本ではこの地域だけである。
1.陸のプレート(北アメリカプレート)とフィリピン海プレートとの境界で起こる「プレート間地震」、深さ30 - 60km付近。
2.フィリピン海プレート内部で起こる「沈み込んだ海洋プレート内地震」、深さ30 - 60km付近。
3.フィリピン海プレートと太平洋プレートとの境界で起こる「プレート間地震」、深さ60 - 80km付近。
4.太平洋プレート内部で起こる「沈み込んだ海洋プレート内地震」、深さ60 - 80km付近。
5.陸のプレート(北アメリカプレート)内部で起こる「内陸地殻内地震」(「直下型地震」、「陸域の浅い地震」とも呼ぶ)、地表付近 - 深さ50km程度。大きなものは主に活断層で発生する。

南関東の地下におけるプレートの様子は、詳細には解明されてはいない。地震波速度や重力異常、1990年代以降の高感度地震計による微小震源分布などから推定は行われているものの、プレートの深さひとつをとっても複数の説が主張されている状況であり、近年でも関東フラグメントなどの新説が主張される動きもある。近年の解明の動きとして、2005年7月23日の千葉県北西部地震(震源の深さ73km、M6.0、最大震度5強)は1894年の明治東京地震と同じ領域(太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界域)で発生した可能性が指摘されている。東京大学地震研究所が行った古い地震計記録からの復元データおよびスーパーコンピューター「地球シミュレータ」の再現データによると、明治東京地震は深さ40 - 50km地点の両プレート境界域(千葉県北西部地震より浅く、西寄り)で発生した可能性が推定されるという[12]。

なお上記の地震調査研究推進本部の評価においては、陸のプレート内部で起こる「内陸地殻内地震」は各断層での評価に含めているため除外されていて、30年間で70%という確率には含まれないので注意を要する。ただし、この想定は過去100年程度においては地震計のデータがあるものの全体として例が少なく、過去の地震被害や地質調査を根拠にする部分も大きいため、マグニチュード7級という想定も含めて不確実性を指摘する専門家もいる[13]。

(南関東直下地震が含まれる可能性がある)相模湾の歴史地震および17世紀以降の南関東の中規模以上の地震の震源や規模、被害、発生様式については、宇津徳治の文献などをもとに地震調査委員会がまとめた表があるので参照のこと[注 4]。

活断層[編集]

直下型のうち、震源が非常に浅い「内陸地殻内地震」をもたらす、活動度が高いとされる活断層を以下に列挙する。河床、湖底、海底の断層は調査が難しく、また南関東は関東造盆地運動のため厚い堆積層が覆っていて深いところまで掘削しなければ基盤岩に達せず、明瞭な断層面は大深度にあってほとんど調査されていない。発見されていない断層が地震をもたらす例もあるため、注意が必要である。

2011年の東北地方太平洋沖地震による広域的な地殻変動のため、下記の立川断層帯や三浦半島断層帯などいくつかの断層は地震発生リスク(確率)が高まったと発表されている。なお、活断層による地震は、地震調査委員会による「30年間で70%」という確率には含まれていない。
関東平野北西縁断層帯 - 群馬県中南部〜埼玉県北中部における内陸地殻内地震。
立川断層帯(立川断層など) - 埼玉県南部〜東京都中央部における内陸地殻内地震。
伊勢原断層 - 神奈川県中央部における内陸地殻内地震。
神縄・国府津-松田断層帯 - 静岡県東縁部〜神奈川県西部における内陸地殻内地震。
三浦半島断層群 - 三浦半島における内陸地殻内地震。
鴨川低地断層帯 - 房総半島南部における内陸地殻内地震。

他の地震との関連[編集]

別の巨大地震の前後に発生した例[編集]

「関東地震#他の地震・自然災害との関連」も参照

1855年の安政江戸地震では、その1年前に南海トラフの巨大地震である安政東海地震及び安政南海地震が発生しており、これらの地震により誘発された可能性が指摘されている[14]。また、それ以前にも日本海溝付近における連動型地震とみられる869年の貞観地震の後に、発生から9年後と間隔が開いているが878年相模・武蔵地震(伊勢原断層、或いは相模トラフの地震とみられる)が発生、さらにその9年後の887年には南海トラフにおける連動型巨大地震とみられる仁和地震も発生している。

東北地方太平洋沖地震以降の首都圏の地震活動[編集]

2011年3月の東北地方太平洋沖地震以降、首都圏では誘発地震活動のため地震の発生数が増加した。なお、同地震(本震)は前述の貞観地震と同様に日本海溝付近における連動型地震である。

酒井慎一・観測開発基盤センター准教授を中心とする平田直[注 5]教授らの研究グループは、地震の頻度の経験則である『グーテンベルク・リヒター則』と、余震の数の減少についての公式である『改良大森公式』の2つを組み合わせた『余震の確率評価手法』を用いて、M6.7-M7.2の地震が首都圏で起こる確率を「今後30年で98%、4年以内で70%」と2011年9月に試算し[注 6][15]、同月16日の東京大学地震研究所談話会で発表した。同研究所広報アウトリーチ室が上記の内容が報道された後に開設したページでは、非常に大きな誤差を含んでおり数字そのものにはあまり意味がないと考えて欲しいということ[16]、東北地方太平洋沖地震の誘発地震活動と首都直下地震を含む定常的な地震活動との関連性はよくわかっていないので両者を単純に比較することは適切ではないと考えられる、としている[17]。2012年2月上旬の報道によれば、再計算の結果、4年以内50%以下、30年以内83%と算出された。

遠田晋次・京都大学防災研究所准教授[18]らが行った2012年1月21日までの計算結果では、首都圏でM7以上の地震が発生する確率は5年以内に28%、30年以内に64%となった[19]。

東海地震 - W【保存】【前編】

虎馬:東海地震 - W 
東海地震
東海・東南海・南海地震震源域
東海地震(とうかいじしん)は厳密には2通りの用法があり、
1.浜名湖南方沖の遠州灘中部から静岡県沼津市沖の駿河湾に至る駿河トラフ(後述の南海トラフの東端を占める)下のプレート境界(沈み込み帯)で、
2.の用法での「東海地震」震源域の東側が、単独で破壊して発生すると想定されている海溝型地震。想定東海地震、駿河湾地震。
この用法では、潮岬南方沖から浜名湖南方沖までのを震源とする同様の地震を「東南海地震」として区別する。
2.潮岬南方沖の熊野灘から沼津市沖の駿河湾に至る南海トラフ下のプレート境界で周期的に発生しており
、将来も発生が予想されている海溝型地震。最新の地震は1854年(嘉永7年)の安政東海地震である。
のどちらかを指す。東海大地震(とうかいだいじしん)とも呼称される。両者ともマグニチュード8級と想定されている。
東海地震は本来、熊野灘から駿河湾にかけて(右図C, D, E領域)を震源域とする巨大地震(本項2.の用法)を指していた。しかし、1944年にその西側(C, D領域)だけを震源域とする巨大地震が発生(後に東南海地震と呼称される)、それにより空白域として残った遠州灘中部から駿河湾にかけて(E領域)を震源域とする単独での巨大地震(本項1.の用法)の発生が警戒されるようになった経緯から、現在は遠州灘中部から駿河湾にかけて(E領域)のみを震源域とする「想定東海地震」、または「駿河湾地震」を指す場合が多くなっている[1]。
本項1.の用法におけるいわゆる「想定東海地震」は、後述の通り1970年代以降注目されるようになり、プレスリップの検知による直前予知に基づいた予知体制が構築されるとともに防災運動が展開されてきた。前回発生から約150年となる1990年代から2000年代にかけて、複数の研究者が別の見方から発生時期が近いと予想した上、特異な地震活動、低周波地震、スロースリップなどが相次いで観測・報告されたものの発生しなかった[2]。後述のように東海地震単独発生の例がないことからも、近年では再び「東南海地震や南海地震と連動してのみ発生する」との説が見直されている。
文献や地質調査により推定される歴史地震において安政東海地震など東海道での被害が著しい『東海地震』と称する地震は全て、本項1.の用法における「想定東海地震」と「東南海地震」の震源域が同時に巨大地震を発生させたもの(すなわち本項2.の用法)と考えられていて、「(想定)東海地震」と「東南海地震」を分ける区分方法については根拠が明確ではないとの批判がある。一方、「東南海地震」の震源域のみが巨大地震を発生させて「(想定)東海地震」の震源域で長らく巨大地震が発生しなかったと考えられている時期も過去存在していることから、この区分方法を支持する見方もある。
なお、(想定)東海地震と東南海地震(東海道 - 紀伊半島)に加えて、南海地震(紀伊半島 - 四国)もしばしば連動して発生し、更に規模の大きな巨大地震となった例(南海トラフ巨大地震)があり、今後もそのような様式で発生する場合があると考えられている。
目次
1 概説
2 東海地震説の変遷 2.1 1970年代
2.2 2000年代以降
3 主な地震の一覧
4 東海地震の直前予知体制と措置 4.1 予知の可能性
4.2 地震防災対策強化地域
4.3 原子力発電所
5 想定される東海地震とその防災体制 5.1 想定震源域
5.2 想定
5.3 緊急消防援助隊・広域緊急援助隊
5.4 超東海地震
6 想定震源域内における主な地震活動
7 東北地方太平洋沖地震に誘発される可能性
8 観測体勢
9 脚注 9.1 注釈
9.2 出典
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
概説
南海トラフ(赤線)のうち、駿河トラフは黄線の部分
東海地震の震源域となる駿河トラフは、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界域である南海トラフの一部(北東端)にあたる。太平洋ベルト地帯の一角、殊に東海道ベルト地帯の中央で起こる大地震ということで、その被害は甚大な規模になると予想されるため、政府は様々な対策をとっている。
1978年に「大規模地震対策特別措置法」を制定し、その中で静岡県下を中心とした「地震防災対策強化地域」を設定し、体積歪計やGPSなどの観測機器を集中して設置することで、世界でも例を見ない警戒宣言を軸とした「短期直前予知を前提とした地震対策」をとることになる。
その後20年を経過して、観測データの蓄積や技術の向上によって想定を見直すこととなり、2002年には愛知県や長野県下まで「地震防災対策強化地域」が拡大された。
将来的には必ず発生する地震であるため、被害を最小限にするために、行政機関は官民挙げた防災対策を実施している。しばしば「○月○日に東海地震が発生する」という風聞やデマも流れる。
日本付近では、東海地震のほかにも東南海、南海地震の原因となる南海トラフ、北海道太平洋側の千島海溝、東北太平洋側の日本海溝など、各所で海溝型の地震が発生するが、東海地震のみに上記のような特別な監視体制と地震対策が設定されている。これは、1854年に発生した安政東海地震の震源域のうち、東南海(紀伊半島沖〜遠州灘)のプレート境界では90年後の1944年に東南海地震が発生し、プレートの歪みが解消されたが、東海地震の震源域(遠州灘〜駿河湾のプレート境界)では地震が発生しておらず、歪みの蓄積したプレートが割れ残ったままになっているという学説が提唱されたことによる。実際、駿河湾をまたぐ測量結果から、同地域周辺に地殻歪みのエネルギーが蓄積され続けていることが確認されている。
1969年に茂木清夫(当時:東京大学教授)が、遠州灘で大地震が発生する可能性を指摘したのが最初だが、安政東海地震の古文書では駿河湾の奥でも震度7の揺れがあったと推定されたことから、遠州灘だけが震源域だとすると矛盾があった。1976年には、羽島徳太郎(当時:東大地震研究所)が安政東海地震の津波の波源域が駿河湾内に及んでいたことを推定した。次いで石橋克彦(当時:東大地震研究所)は、東海地震説の決定打とでも言うべき「駿河湾地震説」を提唱した。安政東海地震では駿河湾西岸で地盤の隆起があったことを突き止め、これまでの震度や津波のデータを総合すると、駿河湾の奥まで震源域が達していて、1707年の宝永地震でも同様に駿河湾奥までが震源域だったとし[3]、断層モデルも提唱した[4][5]。再び東海地震が発生すれば、静岡県を中心とする地域が壊滅的な被害を受け、日本の大動脈である東海道新幹線や東名高速道路が寸断されるなど多大な影響が出るとして、即急な防災対策や地震予知体制の確立を訴えた[6]。
前述のように観測網の整備が進んでいる為、「事前の予知が可能なほぼ唯一の地震」とされていたが、ほかの地域でも観測網の整備が進んだことで、プレスリップをはじめさまざまな地震前駆現象を捉えることが可能となり、研究者の間では「東海地震だけが事前予知可能」という見方はほとんどされなくなった。
他方、「事前の予知が可能」と言っても必ずしも事前に予知できるとは限らない。地震の基本的メカニズムが十分に解明されていない現状では、予知が可能なのはプレスリップが生じた場合に限られるというのが大多数の研究者の認める所である。プレスリップが生じない場合、またはそれが微弱で、検出できずに予知に失敗する可能性、現象の進展が余りに急激で警戒宣言が間に合わない可能性もある。
2011年3月に発生した、想定東海地震を上回る規模の東北地方太平洋沖地震(Mw9.0)でプレスリップが検出できなかったことについて、地震予知連絡会の島崎邦彦会長は「プレートの状況が異なり、今回の結果で東海地震の予知ができないということにはならない」としている[7]。
予知できることを前提にするのではなく、予知無しで地震が発生する事も想定して、対策を練るべきであるといった意見は、近年強まりつつある。特に政府や行政に対して、「地震予知に莫大な予算を使うよりも、耐震化などの防災分野に予算を使うべき」といった厳しい意見もある[8]。また、東海地震にばかり世間の関心が集まったため、他地域で起こりうる大地震への関心が相対的に低くなり、防災予算が静岡県に集中的に配分されてきたことに対する批判もある。
前述の東北地方太平洋沖地震を受けて、南海トラフで想定される巨大地震の規模や被害想定の見直しが進められている。2011年12月に発表された中央防災会議の「南海トラフの巨大地震モデル検討会」の中間とりまとめでは、南海トラフで起きると想定される3連動型巨大地震の最大規模として、海溝浅部の大きな滑りと海溝深部に達する滑りが加味されて震源域が従来のほぼ2倍に拡大され、暫定値としてMw9.0が示された[9]。これにより東海地震の想定も引き上げられる見込みである。
東海地震説の変遷
1970年代
駿河湾だけ単独で東海地震が発生した過去の記録は無いため、21世紀半ば〜後半ごろに発生すると予測されている次の東南海・南海地震と連動して起きるのではないかとの説は1970年代からあった。1976年8月23日の第34回地震予知連絡会会合で浅田敏(当時:東大教授)は、「部会各委員によると、駿河湾は独立で地震はおこさないという意見もあり、そうだとするとつぎの地震は100年後かもしれない。10年以内に地震がおこるか、100年後かをいまのところ地球物理学的には決定できない」と報告していた[10]。
石橋が一般向けの説明に使っていたのは、「五十三枚のカードを三年に一枚の割合で四十一枚までめくったが、まだジョーカー(大地震)が出ていない。残りは十二枚しかないから次に出ても少しも驚くにはあたらないが、最後まで出ないこともありうる」というトランプのたとえだった[11]。また、1994年に著書の中で「東海地震が、来世紀半ばごろの次の南海地震まで持ち越される可能性を完全に否定することはできない。それを見極める正攻法は、震源断層面上で破壊強度と応力レベルの分布を正確に知ることだが、それは不可能である」と記した[12]。
このように、南海トラフ沿いの巨大地震の中で東海地震だけが明日にも単独で発生する可能性は否定できないということで対策が進められてきた。
2000年代以降
その後、東海地震説が発表され「明日起きても不思議ではない」という言葉がマスコミで強調されてから30年以上が経過しても、次の東海地震は発生しなかった。「東海地震は幻の地震。明日起きたら不思議だ」と学者によって皮肉られることもあった[13]。
『静岡新聞』2006年3月27日付掲載のインタビュー「東海地震説に『間違い』」の中で石橋は、1976年時点における東海地震の切迫性が過大評価だったことを認めた。ただし、これは東海地震の発生の細かいメカニズムと発生時期の予測、特に“1940年代に東海地震だけ発生しなかったので、東海地震はいつ発生してもおかしくないはず”という理論についての見直しである。この静岡新聞の記事は、東海地震説そのものが間違いだったと誤解されかねないような見出しだったため、直後に石橋は、自身のホームページ[1]を通じて、「この記事は私の見解を正しく伝えるものではありません。不正確な内容、センセーショナルな見出し、大きなスペース、掲載位置によって、私の本意と懸け離れた記事になっています。それは、東海地震は当分(または永久に)起こらないのかとか、これまでの対策は無駄だったのかというような誤解を引き起こし、東海地震に備える行政、民間、個人、研究者・専門家の努力に水を差しかねないものです。東海地震の切迫性は依然として否定できず、これまでの取り組みは今後も一貫して続けていくべきものですから、この記事は『誤報』とさえ言えます」とコメントした。その上で、「1976年時点での解釈が、結果的に間違っていたことは明白です。この点を私は認めますが、むしろ、認めるまでもないことです。」「30年前に、発生時期の予測が困難なのに東海地震の切迫性を強調したのは不適切ではないかという批判があるかもしれません。しかし、阪神・淡路大震災を思えばわかるように、大自然の理解がまだ極めて不十分な私たちにとっては、限られた知識で危険性が考えられれば、それを共有して備えるべきだ(観測・調査・研究の強化も含む)というのが私の持論です。30年間地震が起こらなかったというのは結果論であり、幸運だったというべきでしょう」と書いている。
最近では、21世紀半ば〜後半に発生するといわれている次の東南海・南海地震とほぼ同時に発生するのではないかとの見方が強まっているが、一方で、東海地震だけが単独で明日にも発生しないとは、現在の研究水準では断言できない。文部科学省の地震調査研究推進本部は、2011年の時点では、今後30年以内の地震発生確率を87%としていたが、この数字の前提として以下のような注釈を付けていた。
想定東海地震の震源域が単独で破壊した事例は知られていないため、過去の事例に基づいて発生間隔を推定するこれまでの長期評価の手法では発生確率を求めることはできない。しかし、地震調査研究推進本部では、確率論的地震動予測地図を作成するにあたり東海地震の発生確率が必要であるため、以下の方法で求めた。
平均活動間隔は「南海トラフの地震の長期評価」に想定東海地震の震源域の全域または一部地域が活動したと記載のある、明応東海地震(1498年)、慶長地震(1605年)、宝永地震(1707年)、安政東海地震(1854年)の4つの地震の発生間隔の平均値118.8年とした。
最新活動時期は1854年の安政東海地震とした。
平均活動間隔のばらつきを表すパラメータは、長期評価が行われている東南海地震と同じ0.20を用いた。
隣接する地域と連動する場合と単独で発生する場合が同一の発生間隔であると仮定した。
東海地震は隣接する地域との連動性のメカニズムが未解明であるため、発生確率を求めるためには、上記のようないくつかの仮定を行う必要があった。したがって、長期評価結果として公表している他の海溝型地震の発生確率と同程度の信頼度はないことに留意する必要がある
— 地震調査研究推進本部、長期評価結果一覧(2011年1月1日現在)
地震調査研究推進本部はその後、東日本大震災の経験や、過去の南海トラフ地震についての研究結果などを踏まえ、2013年5月に新たな長期評価を発表した。
南海トラフで発生する大地震は、それ以前の長期評価で仮定されたような、「地震はほぼ同じ領域で、周期的に発生する」という固有地震モデルでは理解できず、多種多様なパターンの地震が起きていることが分かってきた。(中略)そのため、次に発生する地震の震源域の広がりを正確に予測することは、現時点の科学的知見では困難である。 南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)について(平成25年5月24日)
その上で、南海トラフ全域をまとめて評価し、今後30年以内にマグニチュード8〜9クラスの地震が発生する確率は60〜70%としている[14]。
主な地震の一覧
歴史上の「東海地震」の名称には現在の東南海地震の震源域が含まれる事に注意する必要がある。
現在では、法律上もマスコミ報道上も、「東海」地震が独立した地震で、「東南海・南海」地震がセットの地震のように扱われている。しかし地震学的には、駿河湾で発生する「東海」、愛知県沖から三重県沖で発生する「東南海」、潮岬沖から四国沖で発生する「南海」という3区分[注 1]を行ったうえで、後者2つの地震は単独で起こる場合もあるが、東海・東南海が同時に起こったり、3つが同時に起こったりすることもあるとしている。また、これとはまったく異なるパターンで地震が発生する可能性も、少なからずあるとされる。
慶長地震以降はグレゴリオ暦、明応地震以前はユリウス暦(カッコ内はグレゴリオ暦)。マグニチュードは宇佐美(2003)による推定値[15]、昭和地震は気象庁による値である。ただ、古い時代のものは断片的な記録しか存在せず精度も低く、また何れもモーメントマグニチュードではない。
684年11月26日(11月29日)(天武13年) 白鳳地震(天武地震)(東海 東南海 南海連動?) M81/4 山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数[16]。
『日本書紀』の土佐における地盤沈下や津波などの記録は南海地震を示唆するが、諸国で郡官舍及百姓倉屋、寺塔、神社が多数倒壊したとも記録され、地質調査によると、東海・東南海地震も同時期に発生したと考えられる[17]。静岡市川合遺跡の7世紀後半の砂脈痕が東海地震震源域に相当する[18]。
887年8月22日(8月26日)(仁和3年) 仁和地震(東海 東南海 南海連動?) M8.0-8.5 京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった。
『日本三代実録』にある畿内の甚大な被害記録は南海地震を示唆するが、五畿七道諸国大震とも記録され、地質調査によると、東海・東南海地震も同時期に発生したと考えられる。静岡県富士市浮島ヶ原低地における断層活動による水位上昇痕が相当する[19]。
八ヶ岳の山麓が崩壊し大月川に堰止め湖(河道閉塞)が形成された。堰止め湖は翌年6月に決壊し土石流を発生させ信濃の国千曲川流域に洪水を生じた痕跡が残っている[20][21][22]。
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年) 永長地震(東海 東南海連動?) M8.0-8.5 皇居の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失。畿内、琵琶湖、および揖斐川付近の強震動および津や駿河の甚大な津波被害から東海・東南海連動地震と推定[4][23]。
この地震の2年2ヶ月後に南海地震(康和地震)が発生した。
1360年11月13日(11月21日)(正平15年、延文6年)〜1361年7月26日(8月3日)(正平16年、康安元年) 正平地震(康安地震)(東南海 南海連動?) M81/4-8.5 『太平記』などの記録から1361年に南海地震が発生したと考えられる。また、これに前後して東南海地震が発生した可能性もある[24]。東海地震に関しては不明。伊勢神宮の『神宮文書』の記録から、東南海・南海地震とも考えられる[25]。
1360年の地震は存在が疑問視されている[15][26]。
1498年9月11日(9月20日)(明応7年) 明応地震(東海 東南海連動?) M8.2-8.4 紀伊から房総にかけてと甲斐に大きな揺れがあり、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流され、浜名湖が海と繋がった。震害よりむしろ津波の被害が大きく、伊勢大湊で家屋1,000戸、溺死者5,000人。伊勢志摩で溺死者10,000人、『林叟院記録』・『志太郡誌』(静岡県)によれば溺死者26,000人などの被害。
地質調査によれば、ほぼ同時期に南海地震も発生したと考えられている。1498年の日向灘地震がこれにあたるとの説もある。
1707年10月28日(宝永4年) 宝永地震(東海 東南海 南海連動?) M8.6 東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したM8.4 - 8.6の地震とされてきた。この地震の49日後に富士山が噴火し、宝永山(火口)が造られた(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った。
安政東海地震と同様の駿河湾へ震源域が入り込む地震ではないとする見解もある[27][28][29]。
1854年12月23日(嘉永7年) 安政東海地震(東海 東南海連動) M8.4 震源域は駿河湾奥から陸域に達したと推定され、著しい激震域と富士川河口付近に地震山と称する断層が出現した[30]。死者2,000 - 3,000人余、倒壊及び焼失家屋3万戸余、津波多数発生。掛川城が倒壊。
駿河湾周辺の地殻変動や、駿河湾内で海面が盛上がる津波の発生が目撃されていることから、駿河湾にも断層モデルが仮定されている[4][5][6]。
この地震の32時間後に安政南海地震が発生した。
下記の地震は、「東南海」の震源域で発生した地震であり、東海地震の周期に数えられていない。
1944年(昭和19年)12月7日 昭和東南海地震 M7.9 震源地は志摩半島南南東約 20 km 沖の海底。愛知県を中心として、駿河湾から紀伊半島に渡る地方に甚大な被害をもたらした大震災であったが、戦時中の報道統制のため、詳細な報道がなされなかった。なおこの地震では駿河湾付近の断層は破壊されていない。静岡、愛知、三重で甚大被害、死者行方不明1,223人、倒壊家屋17,559戸、流失家屋3,129戸、津波発生、地盤沈下。
この地震の2年後の1946年(昭和21年)12月21日に、昭和南海地震 (M8.0) が発生した。
下記の地震は、東海地震の震源域を含む南海トラフ巨大地震と推定されるも異論が出されている。
1200年前後の数十年間 南海地震が発生した可能性がある(1185年または1233年)。東南海地震の発生は不明[24]だが、静岡市上土遺跡の鎌倉時代の地割れや正断層痕が東海地震域に相当する[18]。ただし、1185年文治地震は、南海トラフではなく琵琶湖西岸断層帯南部の活動とも推定され[31][32][33]、1233年天福地震は存在が疑問視されている[34]。
1331年8月11日(8月19日)(元弘元年)、駿河における地震が東海地震に関連が深いとする説もある[35]。 石橋克彦(1999)は、この地震の記事は疑わしい部分があるとしている[36]。

1605年2月3日(慶長9年) 慶長地震(東海 東南海 南海連動?) M7.9 犬吠崎から九州までの太平洋沿岸に津波が来襲し、八丈島で死者57人、紀伊西岸広村で700戸流失、阿波宍喰で死者1,500人、土佐甲ノ浦で死者350人、室戸岬付近で400人以上が死亡した。
地震調査研究推進本部による2001年時点の長期評価では、南海トラフの地震の系列に属すものと評価されてきたが[37]、遠地津波も否定できないとする見解や[38]、南海トラフの地震ではないとする見解も出されている[39][40]。
東海地方における強震の確かな記録が古文書から見出されないため、少なくとも慶長東海地震は存在しなかったとする見解もある[41]。
東海地震の直前予知体制と措置[編集]
予知の可能性[編集]
東海地震の予知の可能性の根拠は、1944年東南海地震直前において、今村明恒の要請に基づいて行われた測量中に通常では考えられない誤差が発生し、誤差は本震前からわずかな断層のすべりが生じたとするプレスリップによるものとの推定である[42]。
水準点の測量により、地震の起きていない間、普段から掛川市を基準に御前崎は4-5mm/年ずつ沈降を続けていることが示されているが、本震の直前に沈降速度が減少し逆に隆起に転ずる可能性があり、予知につながる可能性があるとするものである[43]。気象庁により掛川から御前崎付近を中心に東海地域各所に体積歪計が設置され、24時間体制の監視が行われている[44]。しかしながら前兆現象とされるプレスリップが必ずしも事前に捕らえることが可能とは限らず、また東海地震の発生の日が近づいたかを判断する材料も依然不明な点が多く、必ずしも予知が可能とはいいがたいとされる[43][45]。
地震防災対策強化地域[編集]
地震防災対策強化地域とは大規模地震対策特別措置法による警戒が必要な地域で、次の条件のどちらかを満たしている市町村を指す。
地震の揺れによる被害については震度6弱以上の地域。
津波による被害については20分以内に高い津波(沿岸で 3 m 以上、地上で 2 m 以上)が来襲する地域。
強化地域の市町村は警戒宣言が公布されると原則として次のような処置を行う。
電気・ガス・水道引き続き供給するが、なるべく使用しないよう呼びかける。その他のライフライン引き続き供給する。NTTなどの電話公衆電話と災害時優先回線以外の電話は場合によっては通話規制を行う可能性がある。鉄道強化地域内では最寄の安全な駅に停車。運行を停止し(津波や土砂崩れにより危険な駅は通過する)、強化地域外からの進入は禁止する。最寄り駅までは新幹線は 170 km/h 、在来線は 30 - 60 km/h 程度での速度で運行する。主な鉄道事業者の強化区域に関わる区間(列車の運行が停止される区間)は次のとおり。
鉄道会社
対象路線
対象区間
JR東日本[46] 東海道本線 藤沢 - 熱海
相模線 全線
伊東線 全線
JR東海[47] 東海道新幹線 東京 - 名古屋
東海道本線 熱海 - 尾張一宮
中央本線 南木曽 - 瑞浪
春日井 - 金山( - 名古屋)
御殿場線 全線
身延線 全線
飯田線 全線
武豊線 全線
関西本線 名古屋 - 四日市
紀勢本線 三瀬谷 - 新宮
参宮線 全線
小田急電鉄[46] 小田原線 相武台前 - 小田原
江ノ島線 藤沢 - 片瀬江ノ島
相模鉄道[46] 相鉄本線 大和 - 海老名
箱根登山鉄道[46] 全線
伊豆箱根鉄道[46] 大雄山線 全線
名古屋鉄道[48] 名古屋本線 豊橋 - 名鉄名古屋 - 須ヶ口
豊川線 全線
西尾線 全線
蒲郡線 全線
三河線 全線
豊田線 全線
常滑線 全線
空港線 全線
築港線 全線
河和線 全線
知多新線 全線
犬山線 (名鉄名古屋 - )栄生 - 岩倉
小牧線 上飯田 - 小牧
津島線 全線
尾西線 森上 - 弥富
瀬戸線 栄町 - 尾張旭
近畿日本鉄道[49] 名古屋線 近鉄名古屋 - 川越富洲原
山田線 明星 - 宇治山田
鳥羽線 全線
志摩線 全線
遠州鉄道[50] 全線

香港 - W【保存】【前編】

虎馬:香港 - W 
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曖昧さ回避 「香港」のその他の用法については「ホンコン」をご覧ください。
世界 > アジア > 東アジア > 中華人民共和国 > 特別行政区 > 香港
中華人民共和国香港特別行政区中華人民共和國香港特別行政區
Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China
香港の旗
香港の紋章
(地域の旗) (地域の紋章)
地域の標語:なし地域の歌:なし香港の地図香港の位置
公用語
兩文三語(中文,英文)
(本文参照)
主都
中西区
最大の都市
沙田区
政府
行政長官
梁振英
政務司司長
林鄭月娥
面積

総計
1,104km2(183位)

水面積率
4.6
人口

総計(2009年)
7,026,400人(98位)

人口密度
6,460人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年)
16,785億[1]香港ドル
GDP(MER)

合計(2008年)
2,155億[1]ドル(40位)
GDP(PPP)

合計(2008年)
3,070億[1]ドル(38位)

1人あたり
43,810[1]ドル
香港返還

中英共同声明署名
(中英聯合聲明/Sino-British Joint Declaration)
1984年12月19日

香港特別行政区成立
1997年7月1日


通貨
香港ドル(HKD)

時間帯
UTC +8(DST:なし)

ISO 3166-1
HK / HKG

ccTLD
.hk

国際電話番号
852


香港


中国語
香港


[表示]発音記号






























中華人民共和国香港特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくホンコンとくべつぎょうせいく、英語: Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China)、通称香港(ホンコン、英語: Hong Kong)は、華南の珠江デルタに位置する中華人民共和国の特別行政区の一つであり、香港島と九龍半島、新界、周辺に浮かぶ島々を含む。1842年から1997年まで、一世紀半を経っていたイギリスの植民地として世界に知られる。

香港の面積は1104平方キロメートルであり、札幌市とほぼ同じである。人口は700万人を超えており、アジアを代表する世界都市の一つとなっている。香港の原住民と呼ばれる人々は、早くに香港一帯に移り住んだ漢民族のほか、客家、蛋家(蛋民)、福佬と呼ばれる人々がいる。

1842年の南京条約などにより清朝からイギリスに割譲された土地と租借地で、以降はイギリスの植民地となったが、1997年7月1日にイギリスから中華人民共和国に返還、移譲され、特別行政区に改編された。

古くからアジアにおける交通の要所であり、自由港であることから、植民地時代から金融や流通の要所でもある。今日ではロンドン・ニューヨークと並ぶ世界三大金融センターの一つと評価されており[2]、ゴールドマン・サックスなど多くの多国籍企業がアジア太平洋の地域統括拠点として進出している。

中華圏のみならず世界でも有数の文化発信地となっており、ショッピングや食通の街として栄えていることから、世界中の観光客が訪れる。超高層ビルが立ち並ぶ近代的な街並みだけでなく、離島や郊外の丘陵地帯などの自然に触れられる場所などのさまざまな見どころが、狭い地域に近接しているのが特徴である。マカオや深圳市などの近隣地域と組み合わせて観光するケースも多く見られる。



目次 [非表示]
1 名称
2 歴史
3 地理 3.1 気候
3.2 人口

4 行政区分 4.1 香港のニュータウン

5 政治
6 司法
7 対外関係
8 軍事
9 経済 9.1 企業
9.2 金融 9.2.1 貨幣・金利
9.2.2 証券
9.2.3 運輸


10 建築 10.1 超高層建築
10.2 再開発
10.3 住居

11 観光 11.1 観光スポット
11.2 ホテル

12 交通
13 通信 13.1 郵便
13.2 電話 13.2.1 固定電話
13.2.2 携帯電話

13.3 インターネット

14 報道・メディア 14.1 新聞
14.2 テレビ
14.3 ラジオ

15 言語 15.1 公用語
15.2 他の言語

16 香港における人名
17 教育 17.1 幼稚園
17.2 初中等教育
17.3 高等教育
17.4 3+3+4学制

18 文化 18.1 映画
18.2 音楽
18.3 ファッション
18.4 美術
18.5 サブカルチャー
18.6 スポーツ

19 宗教
20 食文化 20.1 香港料理
20.2 軽食・ファストフード
20.3 その他の料理
20.4 菓子

21 映画の中の香港
22 脚注
23 参考文献
24 関連項目
25 外部リンク


名称[編集]





ヴィクトリア・ハーバーの風景
香港(ホンコン)という名称は珠江デルタの東莞周辺から集められた香木の集積地となっていた湾と沿岸の村の名前に由来する。現在の香港島南部の深湾と黄竹坑にあたる。英語や日本語でのホンコンという呼び方は広東語(厳密には疍民の言葉・疍家話)によるとされる。 中国の標準語である普通話では、香港を「Xiānggǎng」(シャンガン)と発音する。

中国語での別名に香江があり、略称は港。英文での略称はHK。
行政上の正式名称1997年6月30日までは 「香港」 繁体字:香港
英語:Hong Kong
1997年7月1日からは 「中華人民共和国香港特別行政区」 繁体字:中華人民共和國香港特別行政區(HKSAR.ogg 広東語発音[ヘルプ/ファイル])
英語:Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China

歴史[編集]

詳細は「香港の歴史」を参照





香港旗。(1842年–1870年)




香港旗。(1870年–1876年)




香港旗。(1876年–1910年)




香港旗。(1910年–1941年)




香港旗。(1941年–1945年)香港日本統治時期




香港旗。(1945年–1959年)イギリスの植民地に復帰




香港旗。(1959年-1997年)香港返還まで公式に掲揚された。返還後は抗議デモなどで掲げられることがある




1959年制定の紋章331年:中原王朝の支配下に入り、宝安県の管轄とされる(〜756年)。
757年:東莞県の管轄とされる(〜1572年)。
1573年:新安県の管轄とされる。
1839年:清朝とイギリスの間で阿片戦争が勃発。
1842年:南京条約で香港島を清朝からイギリスに永久割譲。
1843年:サー・ヘンリー・ポッティンジャーが初代香港総督に就任。
1849年 : 中国の人々の移住香港へ。
1856年:アロー戦争(第二次阿片戦争)が勃発。
1858年:原住民差別禁止政策施行。
1860年:北京条約で九龍半島南部の市街地を割譲に追加。
1865年:香港上海銀行設立。
1872年:香港上海銀行が初めて通貨発行。
1898年:展拓香港界址専条で深圳河以南、界限街以北の九龍半島、235の島(新界)を99年間の期限で租借。
1935年:銀本位制廃止、幣制改革[3][4]
1941年:太平洋戦争(大東亜戦争)勃発。日本軍がイギリス軍を放逐し占領した。酒井隆陸軍中将が香港軍政庁長官に就任。
1942年:磯谷廉介陸軍中将が香港総督に就任。
1945年:日本の連合国軍に対する敗戦によりイギリスの植民地に復帰。
1950年:イギリスが中華人民共和国を承認。
1967年:文化大革命の影響を受けた中国共産党系住民による暴動が発生。
1983年:アメリカドルとのペッグ制(US$1≒HK$7.8)を開始。
1984年:イギリスのマーガレット・サッチャー首相と、中華人民共和国の趙紫陽首相が香港返還を定めた「中英共同声明」に署名。
1990年:香港特別行政区基本法制定。
1992年:最後の香港総督であるクリストファー・パッテンが就任。
1995年:イギリス統治下で最後の立法局選挙。初めて全議員を選挙で選出。
1997年:7月1日イギリスから中華人民共和国への返還(主権移譲)。香港特別行政区政府が発足。初代香港特別行政区行政長官に董建華が就任、2002年再選。従来の立法局議員の資格が停止され、臨時立法会が取って代わる。
1998年:立法会選挙(第1期は任期2年、以降4年)。
1998年:香港国際空港が開港。啓徳空港が閉鎖。
2005年:香港ドルに目標相場圏制度を導入。
2005年:曽蔭権が行政長官に就任。董建華の残した任期が満了する2007年に再選。
2007年:人民元の対米ドルレートが香港ドルのものを上回り、両通貨の価値が逆転。
2012年:梁振英が行政長官に就任。
2014年:2014年香港反中デモが起きた。

地理[編集]

詳細は「香港の地理」を参照

香港は、香港島、九龍半島、新界および周囲に浮かぶ235余の島を含む。面積は東京23区の約2倍程度に当たる。

ランタオ島(大嶼山)は香港島の2倍の面積を有する香港最大の島であり香港国際空港の空港島が隣接している。2005年9月には島内にディズニーランドが開園した。

香港の地形は山地が全体に広がり、香港全土の約60%、約650平方キロメートルを占める[5]。最高標高は958メートルの大帽山である。中国本土との境界地域に広がる元朗平原を除き平地は少ない。元朗平原付近の海岸部には湿原が広がる。

気候[編集]

温帯夏雨気候(サバナ気候 - 温暖湿潤気候移行部型)に属し、秋・冬は温暖で乾燥しており、春・夏は海からの季節風と熱帯低気圧の影響で高温湿潤という気候である。

秋はしばしば台風に襲われ、スターフェリーやマカオへ向かう水中翼船などの船舶や航空便、トラム路線が運行停止になることもある。台風の警報が発令されると各種イベントが中止となるだけでなく、学校や企業、官公庁も休業となる。

冬は北風により中国本土の粉塵、工場や自動車の排ガスが流入することが多く、近年はそれによる霧や靄がしばしば発生している。新界地区では、最低気温が10度を下回ることもあり、凍死者も出るため気温低下が予測される日には暖房設備を準備した公共施設を開放することがある。

香港の地図


[隠す]香港の気候




1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月




平均最高気温 °C (°F)
18.6
(65.5) 18.6
(65.5) 21.5
(70.7) 25.1
(77.2) 28.4
(83.1) 30.4
(86.7) 31.3
(88.3) 31.1
(88) 30.2
(86.4) 27.7
(81.9) 24.0
(75.2) 20.3
(68.5) 25
(77)

平均最低気温 °C (°F)
14.1
(57.4) 14.4
(57.9) 16.9
(62.4) 20.6
(69.1) 23.9
(75) 26.1
(79) 26.7
(80.1) 26.4
(79.5) 25.6
(78.1) 23.4
(74.1) 19.4
(66.9) 15.7
(60.3) 21
(70)

降水量 mm (inch)
24
(0.94) 52
(2.05) 71
(2.8) 188
(7.4) 329
(12.95) 388
(15.28) 374
(14.72) 444
(17.48) 287
(11.3) 151
(5.94) 35
(1.38) 34
(1.34) 2,382
(93.78)
出典: 香港天文台[6] 2008年

人口[編集]





香港島ヴィクトリアピークの山頂からヴィクトリア・ハーバーを眺める。香港は平地は少ないが人口は多い。そのため市街区の人口密度は極めて高く、数十階という高層ビルが多数ある
2011年の人口調査の結果によると、香港の人口は707万1576人で、前回2006年の調査に比べて0.6%の増加であった[7]。香港は世界で最も人口密度が高い地域の一つであり、1平方キロメートル当たりの人口密度は6540人(2010年)である[8]。18の区のうち最も人口密度が高い観塘区では5万4530人に上る[8]。香港の出生率は1000人あたり12.5人(2010年)で[8]、世界でも低水準にある。

香港島北部の住宅地と九龍半島に人口が集中している。両者を合わせて127.75平方キロメートルと香港全体の面積の12%弱の地域に、香港総人口の約48%に当たる約338万人が居住している。九龍地区の1平方キロメートル当たりの人口密度は4万4917人、同じく香港島北部は1万5726人である(いずれも2010年)。

香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、全体の93%を占める。華人以外で多いのはメイドなどの出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人やインドネシア人で、かつての宗主国のイギリス人が次ぐ。日本人は約1万4000人居住している。

香港返還以降の人口増加の大半は本土からの移民による。香港大学アジア太平洋研究センターの鄭宏泰助理教授は「中国本土からの移民人口を総合すると、2001年時点の香港総人口の約1割に当たる」と指摘する[9]。

行政区分[編集]

詳細は「香港の行政区画」を参照

香港には、18の行政上の下部地域がある。1982年に区議会が設置されたことに由来する。その後、九龍地区から新界への人口移動に伴い、区の再編が行われている。1985年に、荃湾区から葵青区が分離した。1994年には、油尖区と旺角区が合併し、現在の油尖旺区となった。
香港島 中西区(中西區:Central & Western District)
湾仔区(灣仔區:Wanchai District)
東区(東區:Eastern District)
南区(南區:Southern District)

九龍 九龍城区(九龍城區:Kowloon City District)
油尖旺区(油尖旺區:Yau Tsim Mong District/油麻地・尖沙咀・旺角から成る区)
深水埗区(深水埗區:Sham Shui Po District)
観塘区(觀塘區:Kwun Tong District)
黄大仙区(黃大仙區:Wong Tai Sin District)

新界 北区(北區:North District)
西貢区(西貢區:Sai Kung District)
沙田区(沙田區:Sha Tin District)
大埔区(大埔區:Tai Po District)
元朗区(元朗區:Yuen Long District)
屯門区(屯門區:Tuen Mun District)
荃湾区(荃灣區:Tsuen Wan District)
葵青区(葵青區:Kwai Tsing District)
離島区(離島區:Islands District)


香港のニュータウン[編集]

詳細は「香港のニュータウン」を参照

政治[編集]

詳細は「香港の政治」を参照

香港の政治の特徴は香港返還(主権移譲)後に施行された一国二制度にある。イギリス時代の行政・官僚主導の政治から、一定の制限の下での民主化および政党政治への移行期に当たり、社会主義国である中華人民共和国の中で2047年まで資本主義システムが継続して採用されることになっている。

1997年に香港は香港特別行政区として改編され特別行政区政府が即日成立した。香港特別行政区は中華人民共和国において省や直轄市と同等(省級)の地方行政区とされる。しかし中華人民共和国憲法第31条および香港特別行政区基本法に依拠し、返還後50年間は一定の自治権の付与と本土(中国大陸)と異なる行政・法律・経済制度の維持が認められている。そのため、香港は「中国香港」(英:Hong Kong, China)の名称を用い、中華人民共和国とは別枠で経済社会分野における国際組織や会議に参加することができる。(詳細は香港の対外関係を参照のこと。)

しかし、香港は「港人治港」として「高度な自治権」を享受しているが、「完全な自治権」が認められているわけではない。

首長である行政長官は職域組織や業界団体の代表による間接・制限選挙で選出されることになっており、その任命は中華人民共和国国務院が行う。また、香港の立法機関である立法会の議員(定員70人)は、半数(35人)が直接・普通選挙によって選出されるが、残り半数(35人)は各種職能団体を通じた間接・制限選挙によって選出される。

行政長官と立法会議員全員の直接普通選挙化をどの時期から開始するか、香港返還直後から議論になっている。2007年12月29日に全国人民代表大会の常務委員会が、行政長官の普通選挙の2017年実施を容認する方針を明らかにしたものの、立法会議員全員の直接選挙については今なお時期について言及していない。

司長や局長(英語ではいずれもSecretary、閣僚に相当する)は行政長官の指名により中華人民共和国政府が任命する。行政長官と司長局長クラスに限っては中国籍の人物でなければ就任できないが、それ以外の高級官僚(部長クラスなど)にはイギリス人やイギリス連邦諸国出身者も少なくなく、新規採用も可能である。

香港基本法の改正には全国人民代表大会の批准が必要であり、香港特区内では手続きを完了できない。同法の解釈権も全国人民代表大会常務委員会が有している。香港の司法府である終審法院の裁判権は香港特区内の事案に限定され、香港が独立という選択肢がない従属領域であり、中国当局がそれを防ぐため香港に完全な自治権を与えないとの方針に由来する[10]。

詳細は「香港の政党」を参照

現在、基本法によって香港では集会の自由や結社の自由が認められているため、中国本土とは異なり自由な政党結成が可能であり、一定程度の政党政治が実現している。香港の政党は民主派(泛民主派・英語版)と親中派(親建制派 ・英語版)に大別され、立法会議員全員の普通選挙化について、民主派は2016年からの実施を、親中派は2024年からの実施をそれぞれ主張している。

司法[編集]

詳細は「香港司法機構」を参照

中華人民共和国本土とは異なり、「香港特別行政区基本法」に基づき、英米法(コモン・ロー)体系が施行されている。基本法の規定により、中華人民共和国本土の法律は「別段の定め」がない限り香港では施行されない。基本法の解釈問題以外の法体系はイギリス領時代と全く同一である。従って死刑制度も存在しない。

返還によりイギリス領ではなくなったためにロンドンに枢密院を求めることはできなくなった。そのために1997年7月の返還と同時に裁判も原則として、香港特区内で完結する必要性が生じた。そのため、返還後、最高裁判所に相当する終審法院が設置された。この時点で新たに設置の終審法院の判事のために5人以上のベテラン裁判官がイギリスから招聘された。返還後の司法体制のために旧宗主国から高官に当たるイギリス人の人材を新たに招くという「珍事」は中華人民共和国が英米法を厳格に適用するための人材について不足していることを率直に認めたことを表しており、意外な「柔軟性」あるいは「現実適応性」を確認する事象であったといえる。

終審法院の下には高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などがある。裁判は三審制である。ただし、基本法の「中央に関する規定」および「中央と香港の関係にかかわる規定」につき、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全国人民代表大会常務委員会に該当条文の解釈を求めることとされる。

対外関係[編集]

詳細は「香港の対外関係」を参照

香港の外交権は中華人民共和国中央政府に帰属するが、基本法の規定により香港特別行政区は経済社会分野の条約の締結、国際会議や国際機構への参加が認められている。外交実務に関しては外交部駐香港特派員公署が管轄している。

経済分野では香港政府による独自の在外駐在機関を設けている。国外の香港経済貿易弁事処は商務及経済発展局が管轄し、中華人民共和国本土にある駐北京弁事処と駐粤経済貿易弁事処は政制及内地事務局が管轄している。

香港域内でも香港政府に外交権限がないことの不利益が次第に認識されている。駐北京弁事処も以前は政務司長(政務長官)の管轄であったが、2005年の行政長官施政方針において対中央(中華人民共和国本土)政策を政制事務局(後の政制及内地事務局)に集中させる方針が出され現在の形態となった。

中華人民共和国と対立している中華民国の航空機や船舶の香港乗り入れや、同国民の香港への渡航条件は返還前と変わらないが、航空機や船舶に同国の国旗である「青天白日満地紅旗」を塗装・掲揚することは事実上禁止されている。香港返還を控えた1995年に、チャイナエアラインの保有する航空機が塗り替えられ、青天白日満地紅旗に代わり新しいコーポレートシンボルの梅の花が垂直尾翼に描かれるようになった。

香港人が中国本土へ入境する際には、パスポートや香港身分証の代わりに「港澳居民来往内地通行証(回郷証)」が必要とされる。民主化運動の関係者はその取得が制限されている。

返還以来、中国本土の大幅な経済成長により民間交流は活発化している。例えば中国から香港大学へ入学した中国人が香港の大学に入学しその4割が香港で就職、香港から中国本土の大学に入学し就職する香港人が6割という現象が起きている[11][12][13]。広東省の曁南大学で学ぶ香港人学生はこれまで80%の卒業生が香港での就職を希望したが、2009年になると50%が本土での就職を希望している。香港男性と大陸女性の婚姻件数は1996年の2215件から2006年の1万8000件となり、香港女性と大陸男性の婚姻件数も1996年の269件から2006年の3400件と大幅に増加している。2006年には香港の婚姻件数5万件のうち4割が香港人と大陸人の婚姻となっている。男女の人口比率は2007年には912:1000であったが、30年後には大陸女性が香港男性と婚姻し定住する案件が増加するため709:1000となる推測も出されている[14]。

購買力が高い香港ではメイドを雇用する家庭が多く、その働き手として15万人のフィリピン人が香港に在住している。しかし1990年代にも香港のコンドミニアムで“フィリピン人メイドと犬の使用禁止”の貼り紙が出され、2009年に香港の著名コラムニストが南シナ海南沙諸島領有権問題に絡んでフィリピンを「召使いの国」と揶揄するなど、香港人の差別意識が問題となっている。

一方大陸から香港への観光客は飛躍的に増加し最大の観光客となっている。特に香港との経済格差が小さい深圳では非戸籍者へのビザ取得規制が大幅に緩和され、リピーターが増加している。

出入国管理は大陸とは別個に実施されており、査証も異なる。ただし、先述の通り経済分野以外の在外駐在機関がないため、申請は各地にある中国大使館が窓口となっている。

軍事[編集]

返還前はイギリス軍が昂船洲(ストーンカッタース)や赤柱(スタンレー)などの基地に正規兵のほかにグルカ兵などの傭兵を含む海軍、陸軍部隊(駐香港イギリス軍)を駐留させていた。同司令官は香港総督の下に位置した。

返還後にはイギリス軍に代わり人民解放軍駐香港部隊が駐留している。人民解放軍駐香港部隊の司令部は、返還まではイギリス軍の司令部が置かれていたセントラルのプリンス・オブ・ウェールズ・ビル(現在は「中国人民解放軍駐香港部隊大廈」)にある。人民解放軍駐香港部隊司令官は、中央軍事委員会および中華人民共和国国防部の下にあり、香港行政長官には部隊への指揮権がない。

基本法の規定により、イギリスやイギリスの同盟国であるオーストラリアやアメリカを含む外国艦艇の休暇上陸(レスト&レクリエーション)を含む寄港は返還後も中央政府の同意を経て可能とされている。ただし、中央政府の意向により寄港が許可されないケースもある。

南海トラフ巨大地震 - W【保存】【前編】

南海トラフ巨大地震 - W【保存】【中編】 
南海トラフ巨大地震
曖昧さ回避 この項目では、南海トラフで発生が予測される地震の内、南海トラフの巨大地震モデル検討会による検討部分について説明しています。
東南海、南海地震等に関する専門調査会による部分については「東海・東南海・南海地震」をご覧ください。
主要カテゴリ > 地震 > 連動型地震 > 南海トラフ巨大地震
南海トラフ巨大地震(なんかいトラフきょだいじしん)は、フィリピン海プレートとアムールプレート[注 1]
とのプレート境界の沈み込み帯である南海トラフ沿いで発生する巨大地震のことである[1][2]。
また、2011年8月に内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が検討した、南海トラフ沿いで発生すると想定される最大クラスの地震も「南海トラフ巨大地震」と称する。
目次
1 南海トラフの地震の特徴と「地震像」
2 地震の発生確率
3 歴史 3.1 年表
4 予想と研究
5 想定 5.1 中央防災会議 5.1.1 東南海、南海地震等に関する専門調査会
5.1.2 南海トラフの巨大地震モデル検討会
5.2 その他
6 地震と地形
7 日本近海における類似の連動型地震
8 脚注 8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
南海トラフの地震の特徴と「地震像」
M9.1の最大規模の南海トラフ巨大地震の想定震源域(2013年、地震調査研究推進本部 地震調査委員会)
この南海トラフ巨大地震による被害については、超広域に
わたる巨大な津波、強い揺れに伴い、西日本を中心に、
東日本大震災を超える甚大な人的・物的被害が発生し、
我が国全体の国民生活・経済活動に極めて深刻な影響が生じる、
まさに国難とも言える巨大災害になるものと想定される。

—中央防災会議、2012年[3]

南海トラフの地震は、約90 - 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生し、東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が毎回数時間から数年の期間をおいてあるいは時間を置かずに同時に3つの地震が連動していることが定説とされてきた。しかし、慶長地震は南海トラフを震源とすることに異論が出されており、南海トラフの地震は200年程度の間隔で発生すると考えるのが自然な姿であるという見解もある[4]。

最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録、それより古い地震は地質調査や文献資料からそれぞれ判明していて、今後も同じような間隔で発生すると推測されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波により大きな被害を出してきた。

なお、その後の研究により、地震が起こるたびに震源域は少しづつ異なることが分かった。例えば、同じ南海地震でも安政の南海地震は南海道沖全域が震源域となったのに対して、昭和の南海地震は西側4分の1は震源域ではなかったと推定されている[5]。また一方で東京大学地震研究所の瀬野徹三は、東海・東南海・南海といった3地震の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部及び東海)と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む「安政型」、その震源域と連動せず静岡までは断層の破壊が起きない「宝永型」の二種類に分類することができるという説を唱えている[2]。

1498年の明応地震以降は文献資料が豊富で発生間隔も100年前後で一定しているとされてきた。一方、それ以前は東海地震の発生記録が無いほか、1361年正平地震以前の間隔は記録に欠損があり、例えば13世紀前半と見られる津波や液状化の痕跡は複数の箇所から発見されており、記録を補なうものと考えられている一方で、1096年永長地震以前は確かな証拠は無く津波堆積物の研究から100年と200年の周期が交互に繰り返されているとする説もある[6]。他方、地震連動の発生の様子をプレートの相対運動やプレート境界の摩擦特性からシミュレーションする試みもあり、連動性は再現されたが地震発生間隔などが歴史記録と一致しない点もある[7][8]。

南海トラフ全域をほぼ同時に断層破壊した地震は規模が大きく、宝永地震は他の地震よりもひとまわり大きいM8.6とされてきた。21世紀に入ってからの研究により、この宝永地震と同じ規模の津波堆積物は300 - 600年間隔で見出される事が分かった。さらに、宝永地震よりも巨大な津波をもたらす地震が約2,000年前に起きた可能性がある事も分かった[9][10]。

また、昭和南海地震でも確認されたように、単純なプレート間地震ではなく、スプレー断層(主な断層から分かれて存在する細かな分岐断層)からの滑りをも伴う可能性も指摘され、南海トラフ沿いには過去に生じたと考えられるスプレー断層が数多く確認される[11]。一方、震源域が広いと顕著になる長周期地震動の発生も予想され、震源域に近い平野部の大都市大阪や名古屋などをはじめとして高層ビルやオイルタンクなどに被害が及ぶ危険性が指摘されている[12][注 2]。これらに関連して、古文書にはしばしば半時(はんとき、約1時間)に亘る長時間強い振動が継続したと解釈できるような地震の記録がみられるが、これは大地震に対する恐怖感が誇張的な表現を生んだとする見方もある一方、連動型地震のように震源域が長大になれば破壊が伝わる時間も長くなり、そこからまた別の断層が生ずるなど長い破壊時間をもつ多重地震となって、本震後の活発な余震なども相まって実際の揺れを表現したものとする見方もある[13][14]。

以上のように南海トラフにおける海溝型地震は、一定の間隔で起こる「周期性」と同時に起こる「連動性」が大きな特徴となっている。さらに、南海トラフは約2000万年前の比較的若いプレートが沈み込んでおり、薄くかつ温度も高いため低角で沈み込みプレート境界の固着も起こりやすく、震源域が陸地に近いので被害も大きくなりやすい[15]。南海トラフにおける、フィリピン海プレートとユーラシアプレート(アムールプレート)とのプレート間カップリングは100%に近くほぼ完全に固着し、1年に6.5cmずつ日本列島を押すプレートの運動エネルギーはほとんどが地震のエネルギーとなっていると考えられている。しかし紀伊半島先端部の潮岬沖付近に固着が弱く滑りやすい領域があり、1944年昭和東南海地震、1946年昭和南海地震はいずれもこの付近を震源として断層の破壊がそれぞれ東西方向へ進行したことと関連が深いと見られている[16]。

この地震により発生するとされる災害を「東日本大震災」に倣い「西日本大震災」と呼称する場合がある[17]。2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後南海トラフ巨大地震への懸念が浮上したことを受けて、日本政府は中央防災会議に「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」を設けて対策検討を進めた。同ワーキンググループは2012年7月にまとめた中間報告において、南海トラフで想定される最大クラスの巨大地震を「東日本大震災を超え、国難ともいえる巨大災害」と位置づけている[18][19][3]。

地震の発生確率[編集]

発生確率等の評価(地震調査委員会)

領域 様式 2013年1月1日時点
規模 (M) 30年以内の発生確率

南海トラフ

プレート間地震

M8〜9クラス

60〜70%[20]

次に発生する可能性のある地震として、従来よりも幅広くM8〜9クラスの地震を対象としている。高知県室津港の歴代南海地震(宝永・安政・昭和)における隆起量と、発生間隔との関係に基づく時間予測モデル[21][22]をもとにすると、次回のM8クラスの地震は昭和南海地震から88.2年後と推定され、これをもとに上記の確率が計算された。次に最大クラス(M9超)の地震が発生する可能性もあるが、その発生頻度は(古いものも含めて)100〜200年間隔で発生している地震に比べて「1桁以上低い」とされた[23]。
歴史
「地震の年表 (日本)」も参照
歴史記録からは、南海トラフ沿いの東半分および西半分の震源域が、時間差、又はほぼ同時に連動して発生したと推定されるが、南海トラフの地震の内、機器観測の記録が存在するのは昭和地震のみであり、詳しい歴史史料が残り、ある程度震源域を特定できるのは江戸時代以降の安政地震および宝永地震までである。これより前に発生した地震については、史料も乏しく断片的なものに限られ、その震源域については諸説ある。また、慶長地震のように南海トラフの地震としては疑わしいとされるものもある。

従来は震源域が、東海地震・東南海地震・南海地震、或はA(土佐海盆)・B(室戸海盆)・C(熊野海盆)・D(遠州海盆)・E(駿河湾)のセグメントに区分されてきた。しかし、宝永地震は日向灘地震も連動した可能性が指摘され[24]、また単なる3連動地震ではない別物の巨大地震との説も浮上している[25]。1498年の明応地震は南海地震と日向灘地震が連動した可能性も指摘されている。

南海トラフの地震の発生領域[26]

地震調査委員会(2013)の区分 Z
日向海盆 A
土佐海盆 B
室戸海盆 C
熊野海盆 D
遠州海盆 E
駿河湾 連動時の間隔
石橋(2002)による
発生領域
■:確実
■:確実視
■:可能性がある
■:説がある
■:津波地震 684年白鳳地震 同時期[27]
887年仁和地震 同時期[27]
1096/1099年永長・康和地震 2年2カ月間隔[27]
1361年正平(康安)地震 同時期[27][28]あるいは2日間隔[29]など
1498年明応地震 同時あるいは近い間隔[30]
1605年慶長地震 不明[27][31]
1707年宝永地震 同時[32]
1854年安政地震 32時間間隔[33]
1944/1946年昭和地震 2年間隔[34]

虎馬:南海トラフ巨大地震 - W 

地震 - W(保存)【前編】

虎馬:地震 - W 
地震(じしん、英: Earthquake)という語句は、以下の2つの意味で用いられる[1]。

1.地震学における定義: 地球表面を構成している岩盤(地殻)の内部で、固く密着している岩石同士が、断層と呼ばれる破壊面を境目にして、急激にずれ動くこと。これによって大きな地面の振動が生じこれを地震動(じしんどう)という。
2.地表面のゆれ: 地震動のことで一般的にはこちらも「地震」と呼ばれる。「地震」(なゐふる)という語句は『日本書紀』にも見え、その他古文書の記録にも登場するが、これらは今日の地震学における地震動のことであり、また「大地震」、「小地震」などと共に震度の程度を表すものでもあった[2]。
地震を対象とした学問を地震学という。地震学は地球物理学の一分野であり、構造地質学と密接に関わっている。


目次 [非表示]
1 概要
1.1 地震の大きさ
1.2 地震活動
1.3 地震による災害
2 メカニズム
3 地震の規模と揺れの指標
3.1 マグニチュード
3.2 震度
4 地震の原因と種類
4.1 プレート間地震
4.2 内陸地殻内地震
4.3 海洋プレート内地震
4.4 火山性地震
4.5 その他
4.5.1 人為的・外部的要因による誘発地震
4.5.2 地震以外の発震現象
5 地震発生のきっかけ
6 地震の原因論とメカニズム論の展開
6.1 神話など
6.2 科学的探究
7 地震動・地震波と揺れ
8 主な地震帯と地震の頻度
8.1 主な活断層・海溝
8.2 地震の周期性
9 地震による被害と対策
9.1 震災
9.2 地震による主な被害
9.3 救助と救援・復興
9.4 地震発生後の対策
9.5 地震発生前の対策
10 過去に発生した地震
11 地震予知
12 地球以外での「地震」
13 その他
14 脚注
14.1 注釈
14.2 出典
15 関連項目
16 参考文献
17 外部リンク

概要[編集]
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)によって発生した野島断層。地震の震源となった断層のずれが波及して「地表地震断層」として現れたものである。激しい揺れを起こした断層本体(震源断層、起震断層)とは別のものであり、また地下に存在する断層のほとんどは地表から観察できないので、防災上注意しなければならない。
地震計で観測された地震動のグラフ。地下の岩盤には様々な要因により力(ひずみ)がかかっており、急激な変形によってこれを解消する現象が地震である。地球の内部で起こる地質現象(地質活動)の一種。地震に対して、地殻が非常にゆっくりとずれ動く現象を地殻変動と呼ぶ。

地震によって変形した岩石の断面を断層といい、地下数kmから数十kmの深さにあって地表までは達しないことが多いが、大きな地震の時にはその末端が地表にも現れて地表地震断層となる場合がある。一度断層となった面は強度が低下するため繰り返し地震を引き起こすと考えられている。特にカリフォルニアにあるサンアンドレアス断層は1,000km以上に及ぶ長大なもので繰り返し地震を起こしており、日本の地震学者に地震と断層の結びつきを知らせたことで有名である。日本では兵庫県南部地震の野島断層、濃尾地震の根尾谷断層、北伊豆地震の丹那断層などが有名。

地震によって生じる振動は高速の地震波となって地中を伝わり、人間が生活している地表でも地震動として感じられる。

地震波は波の一種であり、地中を伝わる波(実体波)と地表を伝わる波(表面波)に大別される。実体波はさらに、速度が速いP波(たて波、疎密波)と、速度が遅いS波(横波、ねじれ波)に分けられる[注 1]。

地震のはじめに感じられることが多い細かい震動(初期微動)はP波、地震の激しい震動(主要動)は主にS波による。P波とS波は伝わる速度が違うので、P波とS波の到達時間の差である初期微動の時間[注 2]が震央と観測地点との間の距離に比例する。初期微動が長いほど震源は遠い。初期微動が長くかつ主要動が大きい場合は、震源が遠いにも関わらず振幅が大きいので、大地震の可能性が考えられる。また、P波はS波よりも速いので、P波を検知したときに警報を出せば被害が軽減できることから、緊急地震速報や緊急停止システム[注 3]で応用されている。

地下で断層が動いた時、最初に動いた地点を震源と呼び、地上における震源の真上の地点を震央と呼ぶ。テレビや新聞などで一般的に使用される震源は震央の位置を示している。震源が動いた後もまわりに面状にずれが生じ、震源域と呼ばれるずれた部分全体が地震波を発する。

地震波の速度はほぼ一定であり上記のように異種の波がある性質を利用して[注 4]、地震計で地震波を観測することにより、1地点以上の観測で観測地点から震央までの距離[注 5]、2地点以上の観測で震央の位置、3地点以上の観測で震源の深さを求めることができる。この算出式は大森房吉が1899年に発表したので、「(震源の)大森公式」と呼ばれている。このほかに地震を含めた地下の諸現象の解明や、核実験の監視などに有用であることから世界的に地震観測網が整備されている。日本は地震災害が多いことから地震計や震度計が数千か所の規模で高密度に設置され、気象庁による迅速な地震情報発表や緊急地震速報などに活用されている。

なお、一つの地震の地震波にはいろいろな周期(周波数)の成分が含まれており、その違いによって被害が異なるほか、近隣の地域でも表層地盤の構造や建物の大きさ・形状によって揺れ方が大きく異なることが知られている(詳細は後述参照)。

また地震は、震源の深さによって、浅発地震、稍(やや)深発地震、深発地震の3つに分類される。前者の境界は60kmまたは70kmとされる場合が多く、後者の境界は200kmまたは300kmとされる場合が多いが、統一した定義はない。震源が深い地震は同じ規模の浅い地震に比べて地表での揺れは小さい。ただし、地下構造の影響により震央から離れた地点で大きく揺れる異常震域が現れることがある。

このほかに地震を特徴付けるものとして、発震機構とよばれる断層の動き方(後述)や地震の大きさなどがある。

地震の大きさ[編集]地震の大きさを表現する指標は主に2系統あり、それぞれいくつかの種類がある。Mは指数関数、震度は非線形関数であり、数字の大きさと実際の物理量は比例関係ではない[注 6](詳細は後述参照)。

マグニチュード (M) [注 7]は地震の規模すなわち断層の大きさ、あるいは地震の際に放出されるエネルギーの量を表す指標である。
震度階級(震度)は地表の各地点での揺れの大きさを表す指標である。単に「ある地震の震度」という場合には、その地震における全観測地点の最大震度をいう。
地震活動[編集]比較的大きな地震は、地震活動に時間的・空間的なまとまりがあり、その中で最も規模が大きな地震を本震と呼ぶ。ただし、本震の区別が容易でない地震もあり、断層のずれの程度や前後に起こる地震の経過、断層の過去の活動などを考慮して判断される。本震に対して、その前に起こるものを前震、その後に起こるものを余震という。

被害をもたらすような大地震ではほぼ例外なく余震が発生し、余震により被害が拡大する例も多い。大きな地震であるほど、本震の後に起こる余震の回数・規模が大きくなるが、「(余震の)改良大森公式」に従って次第に減少する。この公式から余震の発生確率を予測したり、活動度の低下から大きな余震の発生を予測する研究も行われている。余震の発生する範囲は震源域とほぼ重なる。なお、大地震の地殻変動の影響で震源域の外で地震活動が活発になる場合があり、これを誘発地震という。

本震と呼べるようなひとまわり規模の大きな地震がなく、同規模の地震が多発するものを群発地震という。また1990年代以降普及した呼称だが、同じ断層で数十年から数万年以上の間隔で繰り返し発生するものを固有地震(相似地震)といい、大地震と呼ばれるような複数の固有地震が同時または短い間隔で発生するものを連動型地震という。

また、地震のメカニズム解明の過程でプレートのテクトニクス(動き)との対応関係から地震は4種類に大別されており、それぞれ発生地域、揺れの大きさや被害の傾向が異なる(詳細は後述参照)。

地震による災害[編集]大きな地震はしばしば建造物を破壊して家財を散乱させ、火災、土砂災害などを引き起こし、人的被害をもたらす、典型的な自然災害の1つである。地震予知の研究も行われているが、天気予報のような科学的な予報・予知が確立されておらず、前触れもなく突然やってくる。そのため、建造物や地盤の強度を調べて補強する、震災時の生活物資を備蓄する、避難計画を立てるなど、災害に備える「防災」や災害を軽減する「減災」の考え方から対策をとり、「いつ来てもいいように」備えるのが一般的である。

また、海域で発生する大規模な地震は津波を発生させ、震源から遠く揺れを感じなかったところにも災害をもたらすことがある。そのため、学術的な研究などの目的に加えて、津波の発生を速報する目的で、各国の行政機関や大学等によって地震の発生状況が日々監視されている。1960年チリ地震以降、初めて太平洋全域の津波警報システムが整備され、2004年のスマトラ島沖地震以降はその態勢も大きく強化され、インド洋でも整備されている。

メカニズム[編集]
地震の発生途中における断層面と地震のメカニズムの模式図。
2: 震央
3: 断層面の走向
4: 断層面の傾斜
5: 震源
6: 断層面のある平面
7: 破壊されている断層面
10: すでに破壊された断層面
8 + 11: 断層面 または 震源域(断層の最大破壊域)
3種類の断層。上:逆断層、中:正断層、下:横ずれ断層。
地震のメカニズム解(発震機構解)の図。地震計の観測結果を基に図に表し、断層の位置や動いた方向を解析する。地球の内部構造については「地球#構造」を、プレートの移動に関する説明については「プレートテクトニクス」を、地震の発生、断層破壊の詳細については「地震発生物理学」を参照

地球の表層はプレートと呼ばれる硬い板のような岩盤でできており、そのプレートは移動し、プレート同士で押し合いを続けている。そのため、プレート内部やプレート間の境界部には、力が加わり歪みが蓄積している。これら岩盤内では、岩盤の密度が低くもろい、温度(粘性)が高い、大きな摩擦力が掛かっているなどの理由で歪みが溜まりやすい部分がある。ここで応力(ストレス)が局所的に高まり、岩体(岩盤)の剪断破壊強度を超えて、断層が生じあるいは既存の断層が動くことが地震であると考えられている。

断層はいわば過去の地震で生じた古傷であり、地殻に対する応力が集中しやすいことから、断層では繰り返し同じような周期(再来間隔)で地震が発生する。断層の大きさは数百mから数千kmまであり、またその断層の再来間隔も数年から数十万年とさまざまである。断層の中でも、数億年から数百万年前まで動いていて現在は動いていないような断層があり、そのようなものは古断層といって地震を起こさない。一方、現在も動いている断層を活断層という[注 8]。日本だけでも約2,000の活断層がある[3]。ただし、活動の有無を判別するのが難しい断層や大規模探査を行わなければ発見できない断層もあって、古断層といわれていた断層や知られていなかった断層が動いて地震を起こした例もあるため、防災上注意しなければならない[注 9]。

岩盤内で蓄積される応力は、押し合う力だけではなく、引っ張り合う力や、すれ違う力など様々な向きのものが存在し、それによって断層のずれる方向が変わる。押し合う応力は断層面の上側が盛り上がる逆断層、引っ張り合う応力は断層面の下側が盛り上がる正断層、すれ違う応力はほぼ垂直な断層面の両側が互い違いに動く横ずれ断層を形成する。

地震の始まりは、岩盤内部の一点から破壊が始まり、急激に岩盤がずれて歪みを解放し始めることである。破壊が始まった一点が震源であり、破壊されてずれた部分が断層となる。このずれた部分は、地震波を解析する段階では便宜的に平面(断層面または破壊面と呼ぶ)と仮定し、断層面の向き(走向)や断層面の鉛直方向に対する角度(傾斜)、震源の位置、地震の規模などを推定する。震源断層が曲がったり複数あったりする場合は、後の解析や余震の解析により推定される。

震源で始まった岩盤の破壊範囲は、多くの場合秒速2 - 3kmで拡大し、破壊された岩盤は、速いときで秒速数mでずれを拡大させていく。

以下は実際の例である。

1923年の関東地震では、神奈川県小田原直下付近から破壊が始まり、破壊は放射状に伝播して40 - 50秒で房総半島の端にまで至り、長さ130km、幅70kmの断層面を形成し、小田原市 - 秦野市の地下と三浦半島の地下で特に大きなずれを生じ、約8秒で7 - 8mずれた[4]。
1995年の兵庫県南部地震では、明石海峡の地下17kmで始まった破壊は、北東の神戸市の地下から、南西の淡路島中部にまで拡大し、約13秒で長さ40km幅10kmの断層面を形成した。
このようにして破壊が終結すると、一つの地震が終わることになる。この断層面の広さとずれの大きさは、地震の規模と関連している。多くの場合、断層面が広く、ずれが大きくなれば大地震となり、逆に小さな地震では破壊は小規模である。こうして一つの地震が終結しても、大地震の場合は断層面にはまだ破壊されずに残っていて、歪みをため込んでいる部分がある。それらの岩盤も、余震によって次第に破壊が進む。本震の前に発生することがある前震は、本震を誘発するものだという説、本震に先駆けて起こる小規模な破壊だという説などがあるが、はっきりと解明されていない。

本震の後に余震が多数発生する「本震 - 余震型」や、それに加えて前震も発生する「前震 - 本震 - 余震型」の場合は、応力が一気に増加することで発生すると考えられている。一方で群発地震の場合は、応力が比較的緩やかなスピードで増加することで地震が多数発生すると考えられている[5]。

地震の規模と揺れの指標[編集]マグニチュード[編集]詳細は「マグニチュード」を参照

ふつう、地震の規模を表す指標としては、エネルギー量を示すマグニチュードを用い、「M」と表記する。マグニチュードには算定方法によっていくつかの種類があり、地震学では各種のマグニチュードを区別するために「M」に続けて区別の記号を付ける。地震学ではモーメントマグニチュード (Mw) が広く使われる。日本では気象庁マグニチュード (Mj) が広く使われる。

他にもそれぞれの観測機関によって使用されるマグニチュードのタイプが異なる場合もあるが、その値は差異ができるだけ小さくなるように定められている。これらは最初にマグニチュードを定義したチャールズ・リヒターのものの改良版であり、基本的に地震動の最大振幅の常用対数を基礎とする。モーメントマグニチュードを除き、いずれのタイプも8.5程度以上の巨大地震や超巨大地震ではその値が頭打ちになる傾向を持つ。

この弱点を改善するために、地震学では地震モーメントから算出されるモーメントマグニチュード (Mw) が地震の規模を表す指標として用いられることが多く、これを単に「M」と表記することも多い(アメリカ地質調査所 (USGS) など)。

日本では、気象庁が独自の定義による気象庁マグニチュード (Mj) を発表しており、日本ではこれを単に「M」と表記することも多い。これに対し、多くの国では表面波マグニチュード (Ms) や実体波マグニチュード (Mb) のことを、単にマグニチュードと呼ぶことが多い。Mが1大きくなるとエネルギーは約31.6倍、2大きくなるとちょうど1000倍となる。

人類の観測史上最も大きな地震、つまりマグニチュード (Mw) が最も大きかったのは、1960年のチリ地震(Mw9.5、Ms8.5)である。

ある地震のマグニチュードであっても、機関によって異なったり、複数の値を発表する場合がある。例えば東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは9.0とされているが、これはモーメント・マグニチュードであり、従来の気象庁マグニチュードでは8.4である。なお発生直後から数度訂正されていて、気象庁マグニチュードで7.9と速報したが、後に8.4と修正し、さらにモーメントマグニチュードで8.8と発表し、最終的に9.0とした。アメリカ地質調査所 (USGS) は独自にモーメントマグニチュード9.0と発表している[6]。

震度[編集]詳細は「震度」を参照

地震動の大きさを表す数値として、速度や加速度、変位などがある。建築物や土木構造物の耐震設計の分野では応答スペクトルやSI値という指標も、地震動の大きさを表す方法として広く用いられている。一般的には、被害の大きさなどを考慮して、地震動の大きさを客観的に段階付けた震度という指標が用いられる。

震度については、日本では気象庁震度階級(通称「震度」)、アメリカ合衆国では改正メルカリ震度階級、ヨーロッパではヨーロッパ震度階級 (EMS)、CIS諸国やイスラエル、インドなどではMSK震度階級が現在使用されているほか、ほかにもいくつかの指標がある。

地震の規模が大きいほど震度は大きくなる傾向にあるが、震源域からの距離や断層のずれの方向、断層の破壊伝播速度、地盤の構造や性質、地震波の特性などによって地上の揺れは大きく異なる。水や空気が多く含まれ土壌粒子の固結が弱い柔らかい地層ほど、また新しい地層であるほど揺れが増幅され、一般的には軟弱地盤と呼ばれるような平野部や河川沿いや埋め立て地が揺れやすい傾向にあるが、地盤改良や基礎方式によって揺れを低減することが可能である。

例えば東北地方太平洋沖地震は震度7とされているが、震度7は最大震度であって、公式に観測されたのは宮城県栗原市だけであり、例えば島嶼部を除く東京都では震度5強(千代田区大手町など18地点) - 震度3(奥多摩町など3地点)であった。「各市町村の震度」「各地域の震度」はその市町村・地域内に設置されている複数の観測点のうち最も揺れが大きかった値である。また、震度はその地域を代表する地点に設置された震度計が示す目安値であり、実際の土地に当てはめれば地盤の状態によって近傍の観測点に比べ最大1程度の差が生じるので、必ずしも被害状況と地点震度が一致しない場合がある。

地震の原因と種類[編集]
4種類の地震の発生場所。茶色系統が大陸系、紫色系統が海洋系で、いずれも薄い色の方がプレート、濃い色の方が地殻。「プレートテクトニクス」も参照

構造地質学および地下構造の成り立ちを説くプレートテクトニクスの観点から地震を分類することができ、大きく分けて2通りの分け方がある。1つは断層で起こるもの(構造地震)とそうでないものに分けるやり方で、もう1つは複数のプレートの間で起こるもの(プレート間地震あるいはプレート境界地震, Interplate earthquake)とプレート内部で起こるもの(プレート内地震, Intraplate earthquake)に分けるやり方である。後者はよく使われており、さらに細かい分類もされている[7][8]。

以下に分類と主な日本語呼称を挙げる。

複数のプレートの間で起こるもの(プレート間地震、プレート境界地震)[7]
収束型境界で起こるもの
海溝などの沈み込み帯で起こるもの(海溝型地震、海溝沿いのプレート間地震)[注 10][7]
衝突型境界で起こるもの
発散型境界で起こるもの
海嶺で起こるもの(海嶺型地震)[7]
トランスフォーム断層で起こるもの(トランスフォーム型地震)[7]
プレート内部で起こるもの(プレート内地震)
大陸プレート内部で起こるもの(大陸プレート内地震、内陸地殻内地震、陸域の浅い地震[9]、内陸型地震[7][10]、断層型地震)
海洋プレート内部で起こるもの(海洋プレート内地震)
プレートの下に沈み込む手前の海洋プレートで起こるもの(沈み込む海洋プレート内地震[9]、アウターライズ地震)
プレートの下に沈み込んだ後の海洋プレートで起こるもの(沈み込んだ海洋プレート内地震[9]、スラブ内地震[11])
上の分類とは別に、火山体周辺で起こるもの(火山性地震)を特別に分ける場合がある。マグマや火山ガスの移動が地震を起こすほか、周囲よりも地殻が破砕されて弱いために応力が集中して地震が起こるなど、いくつかのメカニズムが知られている[7]。

また、人工的な発破の振動などにより発生する人工地震も存在する。これに対して、自然に発生する地震を自然地震と呼ぶことがある。なお、ダムなど人工的な要因により引き起こされる自然地震もあり、誘発地震と呼ぶ場合がある(#その他参照)。

防災上の観点では、これらとは別に直下型地震(内陸地震)という分類を用いることがある。居住地域の直下で起こる浅発地震を指し、地域によってはプレート内地震だけではなくプレート間地震も起こる。南関東直下地震などの、都市で発生する直下型地震はリスクが大きいことから重要視されている[7][11]。

また、地震動が小さい割に大きな津波が起こる地震を津波地震といい、顕著な例として1896年の明治三陸地震がある[注 11][12]。

地震に関連するものとして、振動を起こさないスリップあるいは滑りと呼ばれる現象がある。全く振動を伴わないものもあれば、付随して弱い低周波の振動を伴う低周波地震や低周波微動などがあることが知られている。

プレート間地震[編集]2つのプレートが接する場所では、異なる運動をしているプレート同士の境界にひずみが蓄積し、地震が起こる。このようなタイプの地震をプレート間地震、プレート境界地震あるいはプレート境界型地震と呼ぶ[7]。

プレート同士の境界は、収束型(海溝と衝突型境界に細分される)、発散型、すれ違い型(トランスフォーム断層)の3種類に分けられる。発散型やすれ違い型は、地震が起こる範囲がプレート境界の周辺だけに限られ、震源の深さもあまり深くない。一方、収束型のうち海溝はしばしば規模の大きな地震を発生させ、衝突型は地震が起こる範囲が広く震源が深いことも多い。

海溝型地震
海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込んでいる海溝やトラフなどの沈み込み帯では、両者の境界が歪みを受けて地震が起こる[7]。これを海溝型地震と呼ぶが、「海溝型地震」は海溝付近のプレート内部の地震を含める場合があるため、狭義に「海溝沿いのプレート間地震」と呼ぶ場合もある。ばねのように弾性力を蓄えた大陸プレートが跳ね返るというように解説されることがあるが、プレートが引き剥がされるわけではなく、他の地震と同様に2つの地殻面がずれる形で跳ね返る。1923年の関東地震や想定される南関東直下地震のように、海溝から離れた深いところにまで震源域は広がっている。
陸側のプレートが海側のプレートに衝上する低角逆断層型となるのが典型的[7]。上から見ると、海溝の最深部をつないだ線である海溝軸よりも大陸プレート寄りの部分が震源域となる。1つの細長い海溝の中では、いくつかの領域に分かれて別々に大地震が発生する。地震の規模はM7 - 8と大きくなることがままあり、稀に複数の領域が同時に動いて後述のようにM9を超える超巨大地震となるケースもある。1つの領域では、およそ数十から数百年ほどの周期で大地震が繰り返し発生する。規模が大きい海溝型地震が海洋の下で発生した場合、津波が発生することがある。震源域が広く規模が大きいため、被害が広範囲にわたることがある。
発生しやすい場所は、チリ、ペルー、メキシコ、アメリカのアラスカ、アリューシャン列島や千島列島、日本、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニア、ソロモン諸島、フィジー、トンガ、ニュージーランドなどの沖合いや海岸付近である。いずれも沿岸に海溝があり、大きな海溝型地震が発生する。
2004年のジャワ海溝におけるスマトラ島沖地震など。日本付近では2003年9月に発生した千島海溝における十勝沖地震(Mw8.3、最大震度6弱)や2011年3月に発生した三陸沖の日本海溝における東北地方太平洋沖地震(Mw9.0、最大震度7)、また近い将来の発生が指摘されている駿河トラフにおける東海地震が例として挙げられ、東南海・南海沖の南海トラフ、根室沖の千島海溝などでも発生する。関東大震災の原因となった関東地震 (M7.9) も相模トラフがずれ動いた地震であり、海溝型地震に含まれる。
前述のスマトラ島沖地震や東北地方太平洋沖地震、過去に幾度も発生した南海トラフの巨大地震では、複数震源領域で短時間のうちに断層(プレート境界面)の破壊が起きる連動型地震となったため、広範囲における大規模な地震に発展している。また、大きな海溝型地震の後にはその震源域から離れた場所で内陸地殻内地震や海洋プレート内地震、または他の海溝型地震を誘発することがある(誘発地震)。
さらに、プレート境界のうち海溝寄りの浅い領域ではしばしば津波地震が発生する。東北地方太平洋沖地震では深い領域と浅い領域が連動して破壊されたため、強い揺れと大きな津波が同時発生したとされている[13]。
海溝型地震に伴うプレート境界面のずれが表面にまで達した海底断層が生じ、主断層の他に平行して複数の分岐断層がみられることがある。東北地方太平洋沖地震では海底活断層やプレート境界面に沈み込んでいる海山が地震の発生に関係した可能性が指摘されているが[14][15][16]、研究途上である。
衝突型境界で起こる地震
衝突型境界では、プレート同士が激しく衝突し合い、境界部分では強い圧縮の力が働いて地震が発生する。強い力によってプレートが砕け、その破片同士がずれたり、付加体がずれたりして地震が起こる。
大陸プレート同士が押し合い衝突しているヒマラヤ山脈・パミール高原・チベット高原や日本海東縁部などが主な発生地である。
1999年9月の台湾集集地震 (Mw7.6) などがある。日本付近での例は、日本海東縁変動帯域を震源とする地震で、1983年5月の日本海中部地震(M7.7、最大震度5)、1993年7月の北海道南西沖地震(M7.8、最大震度6)など。
発散型境界で起こる地震
発散型境界でも地震が起こる。大洋を縦断する中央海嶺の中軸谷の下で発生するものは海嶺型地震と呼ばれる。震源の深さは概ね12kmより浅く、地震の規模はM6を超える事がほとんどない。発震機構を見ると張力軸が水平かつ海溝に直角で、正断層型のものが典型的[7]。
東太平洋海嶺、オーストラリア南極海嶺、中央インド洋海嶺、南西インド洋海嶺、大西洋中央海嶺など各地の海嶺で地震が発生する。アイスランドやアフリカの大地溝帯では、陸上にある海嶺(地溝)の影響で正断層型の地震が発生する。
すれ違い型境界(トランスフォーム断層)で起こる地震
トランスフォーム断層では、プレートのすれ違いによって地震が起こる。多くは海嶺周辺の海底で起こるが、陸地で起こるものもある[7]。
主な発生地には、アメリカ西海岸のサンアンドレアス断層、ニュージーランドのアルパイン断層[7]、トルコの北アナトリア断層などがある。
発生例としては、1906年4月のサンフランシスコ地震 (M7.8) などが挙げられる。

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第6次世界大戦 2019?逆算
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第4次世界大戦 2001〜2008米国小敗
第3次世界大戦 〜1991ソ連・中国・日本大高中敗北
第2次世界大戦 1941〜1945(大東亜太平洋戦争) 
第1次世界大戦 1914年7/28〜1918年11/11
第0次 
第3次日中戦争【現在戒厳令非常事態避難命令勧告警戒注意報発令中】  
第2次日中戦争 1937(昭和12)7/7盧溝橋事件〜1945(昭和20)8/15終戦 
【日露戦争】、1904(明治37)2/8〜1905(明治38)9/5
第1次日中戦争【日清戦争】1894年(明治27)7月〜1895年(明治28)3月 
第0次日中戦争=元寇 文永の役(1274年)+弘安の役(こうあんのえき・1281年)
第7次中東戦争  
第6次中東戦争=第2次イラク戦争 2003年3/20〜2011年12/15
第5次中東戦争=第1次湾岸戦争 1990年8/2〜1991年117〜1991年228国連軍VSイラク
第4次中東戦争 1973(10/6)〜10/26(ヨム・キプル戦争、十月戦争)アラブ連合VSイスラエル
第3次中東戦争 1967(6/5)〜6日間戦争(6月戦争)イスラエルVSエジプト・シリア・ヨルダン・イラク
第2次中東戦争 1956(1029)〜1957(5月)イスラエルVSエジプト 
第1次中東戦争 - W 1948(515)〜1949(7ヶ月)アラブ連合VSイスラエル  
第0次 
英仏百年戦争 1337年11/1(1339)〜1453年10/19(116年間)
三十年戦争 1618 〜1648 
南北戦争(内戦) 1861年4月1/〜1865年4/9 
独立戦争  1775年4/19〜1783年9/3
薔薇戦争(内戦) 1455〜1485 
十字軍 
関ヶ原 慶長5年9/15(西暦1600年10/21) 
西南戦争 1877年(明治10年) 
赤壁 208年冬 
五丈原 234年 
【中篇】 【後編】予定

人間生活党逆転百手【前編】

人間生活党逆転百手 序章 
人間生活党逆転百【中編】  
人間生活党逆転百手【中核編】  
 
井熊均 エネルギー節約資源活用庁長官 (中曽根局長遺言推薦)
北条一鴻 風魔 
慶応塾長
(以下微妙罠?熟慮注) 
津田大介(土田星サターン)  吉田豪 
高橋洋一(竹中)  岸博幸(竹中) 
(敵方?寝返り)
五ヶ年基本政策国内外 

世界平和連合第一次政策
 
 

速読軍編成表試考【前編】修正

次回】【速学軍編成表試考前編】【別記
【零枚】 
【一枚】 
【二枚】 
【三枚】 
【四枚】 
【五枚】 
【六枚】現国世界史 
【七枚】哲学中国史 
【八枚】【元帥】数学日本史 
【九枚】【提督】語学現社 
【十枚】【上将】工学近社 
【土枚】【大将】医学情報  

【零番】【高将】科学政経 
【一番】【戦短生徒会長】【中将】古典地理 
【二番】【少将】倫理地学
【三番】【准将】論理生物 
【四番】【特佐】算盤化学 
【五番】【上級】家庭物理
【六番】【大佐】言語 
【七番】【高佐】工作 
【八番】【中佐】衛生
【九番】【少佐】理科 
【十番】【准佐】軍事 
【土番】【特尉】建設

【零席】【上級】経済 
【一席】【高校委員長】【大尉】IT
【二席】【高尉】政治 
【三席】【中尉】出版
【四席】【少尉総長】教育 
【五席】【准尉学長】TV
【六席】【特曹理事】宗教 
【七席】【上級部長】修行
【八席】【短一受賞特別】【軍曹】俳優 
【九席】【専零】【曹長特招議長】歌手
【十席】【高四特認重役】【一曹】画家 
【土席】【高三特待取締】【二曹】作家

【零段】【高二客員】二百万冊【三曹】 
【一段】【中学係長】【高一名誉】百五十万冊【四曹】
【二段】【高零終身】百万冊【准曹】 
【三段】【中四上級】七十万冊【特士】
【四段】【中三博院】五十万冊【上級】防衛省 
【五段】【中二修院】三十万冊【伍長】自衛隊
【六段】【中一教授】二十万冊【士長】保安庁 
【七段】【中零助手】十五万冊【一士】警察省
【八段】【小八講師教諭】十万冊【二士】PLGM 
【九段】【小七教師】七万冊【三士】消防庁
【十段】【小六教員】五万冊【四士】防災士 
【土段】【小五研究員】三万冊【准士】

【零級】辞書事典2万〜3.3万【小四博士】 
【一級】【小学級長】写真集1.5万〜2.2万【小三修士】
【二級】トレカ1万〜1.5万【小二グラディエーター】  
【三級】GAME本 7000〜1万【小一学士】
【四級】映画パンフ 5000〜6666【小零大学】 
【五級】音楽詩集 3000〜4444【幼児助士】
【六級】同人誌 2000〜3000【幼稚専短】 
【七級】一般小説 1500〜2000【保育高校】
【八級】雑誌 1000〜1350【託児中学】
【九級】コミック 700〜900【養育小学】
【十級】漫画 500〜600【乳児学童】
【土級】絵本 300〜400【胎教幼児】
 『分速文字数=読書冊数』

機動戦士ガンダム-Wik『前編』

ブログネタ
機動戦士 ガンダム に参加中!
この項目では、ガンダムシリーズの第1作について説明しています。
その他の用法については「ガンダム」をご覧ください。


機動戦士ガンダム
ジャンル ロボットアニメ
アニメ
監督 富野喜幸
アニメーション制作 日本サンライズ
製作 名古屋テレビ
創通エージェンシー
日本サンライズ
放送局 名古屋テレビ
放送期間 1979年4月7日 - 1980年1月26日
話数 全43話
コピーライト表記 ©1979 創通・サンライズ
映画:機動戦士ガンダム
監督 富野喜幸
制作 日本サンライズ
封切日 1981年3月14日
上映時間 137分
コピーライト表記 ©創通・サンライズ
映画:機動戦士ガンダムII 哀・戦士編
監督 富野喜幸
制作 日本サンライズ
封切日 1981年7月11日
上映時間 134分
コピーライト表記 ©創通・サンライズ
映画:機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編
監督 富野喜幸
制作 日本サンライズ
封切日 1982年3月13日
上映時間 141分
コピーライト表記 ©創通・サンライズ
シリーズ作品
ガンダムシリーズ一覧

■テンプレート使用方法 ■ノート
ウィキプロジェクト アニメ
ポータル アニメ
『機動戦士ガンダム』(きどうせんしガンダム、MOBILE SUIT GUNDAM)は、日本サンライズ(現・サンライズ)制作の日本のロボットアニメ。テレビシリーズアニメとして1979年から名古屋テレビ(現・メ〜テレ)ほかで放映された。

「ガンダムシリーズ」の第1作である。


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注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


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目次 [非表示]
1 あらすじ
2 作品解説
2.1 作品の特徴
2.2 企画の経緯
2.3 初回放映時の評価と後の社会現象
2.4 劇場版三部作と「アニメ新世紀宣言」
2.5 アニメ史上の評価と後続作品への影響
2.6 商業的事情
3 主要登場人物
4 スタッフ
5 主題歌
5.1 挿入歌
6 放送リスト
7 放送局
8 前後番組の変遷
9 関連作品
9.1 音楽
9.1.1 ファーストガンダム主題歌・復刻プロジェクト
9.1.2 ファーストガンダム主題歌・復刻プロジェクト第2弾
9.1.3 TVシリーズ、劇場版全アルバム完全複刻
9.2 小説
9.3 漫画
9.4 フィルムコミック
9.5 パチスロ
9.6 映像媒体
9.6.1 LD及びビデオ
9.6.2 DVD
10 注釈
11 出典
12 関連項目
13 外部リンク


あらすじ
舞台は、スペースコロニーへの宇宙移民が始まって半世紀あまりが過ぎた未来世界、宇宙世紀0079年。

人類は増え過ぎた人口を、月軌道周辺にあるラグランジュ点に浮かぶスペースコロニー群(サイドと呼ばれる)に居住させていた。その中で地球から最も遠いコロニー群サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦からの独立を求め、人型機動兵器「モビルスーツ(MS)」を駆使して独立戦争を挑んできた。圧倒的な連邦軍の戦力数に対して、ジオン軍は優秀な士官たちと兵器開発力を武器にし、さらには地球への「コロニー落とし」を決行。開戦から僅か1か月あまりで、双方の陣営は総人口の半分を死に至らしめた。

そんな中、サイド7に住む少年アムロ・レイは、地球連邦軍が進めていた「V作戦」に対する調査のためコロニーに侵入したジオン軍MS ザクの攻撃に巻き込まれ、偶然が重なって連邦軍の新型MS ガンダムのパイロットになってしまう。ガンダムの性能もあり敵MSを撃退することはできたものの、ガンダムの母艦であるホワイトベースは正規乗組員のほとんどを失い、アムロをはじめこれに避難した少年少女たちは、生き残った乗組員達と協力しながらサイド7を脱出する。しかし宇宙には、赤く塗装した専用のザクを駆り数々の戦果を挙げたことから「赤い彗星」と呼ばれるジオン軍のエースパイロット、シャア・アズナブルが待ち構えていた。

本作は、宇宙や地球の激戦地帯を転戦しながら、宿敵シャアをはじめ様々な人々との出会いや戦い、そして別れを経て数々の困難を乗り越え、閉鎖的な極限状態に悩み傷つき、ときには逃避しながらも一歩ずつ成長していく、アムロたち少年少女の姿を描いた壮大な物語である。

作品解説
『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』に続く日本サンライズのオリジナル作品第3作として、富野喜幸(現・富野由悠季)を監督に据え、玩具メーカーのクローバーをメインスポンサーとして企画・制作された。対象年齢を従来より引き上げた、ロボットものとしては最初のジュブナイルアニメである。

ロボットアクション以上に、主人公の社会的成長が物語の主軸に据えられている。また、戦争を舞台としたリアリティに富んだ人間ドラマと、ロボットを「モビルスーツ」と呼ばれる兵器の一種として扱う設定を導入したことで、1980年代初頭から半ばにかけての、後に“リアルロボットもの”と称されることになる一連のロボットアニメ変革の先駆けとなった。

それらの要素が放映当時の10代半ば以上の視聴者を中心に人気を博し、本放送終了後の1981年から1982年にかけて劇場版3部作の制作に結びついた。1980年代を代表する作品であり、1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』 、1990年代の『新世紀エヴァンゲリオン』と並び、後々のアニメへ影響を与えた作品である。

なお、本作は後に続々と制作されていく「ガンダムシリーズ」と呼ばれる一連の作品群の第1作であることから、ファンからはファーストガンダムの異名で呼ばれることも多い。

作品の特徴
本作以前の1970年代当時は『宇宙戦艦ヤマト』や『ルパン三世』といったティーンエイジャー層をターゲットにしたアニメ作品の盛り上がりによりアニメ視聴者層の対象年齢が広がりつつある時期ではあったが、ロボットアニメというジャンルだけはスポンサーである玩具メーカーが販売する関連商品の購買層が小学生以下に限られていたため、いわゆる「お子様向け」の内容を脱することができずにいた。ところが本作では『ザンボット3』と『ダイターン3』の好調な販売成績を受け、スポンサーからの干渉が少なかったため[1]、敵も味方も同じ人間どうしの「戦争」という、より現実感のある状況を描き出すことが可能となった。

また、前述のとおり登場するロボットをモビルスーツと呼んで現実の兵器に近い描写を行ったのも本作の重要な試みの一つである。従来、主役ロボットには変形や合体など玩具として魅力的なガジェットを備えることがスポンサーである玩具メーカーから求められており、本作の主役MS ガンダムも試作品という設定を付して同様のガジェットを組み込まれた[註 1]。ところが本作ではさらに、敵であるジオン軍MSに設定上「量産機」という概念を与え、ロボット描写のミリタリズムを高めた[註 2]。ミノフスキー粒子という架空の粒子も設定され、レーダーや電波誘導兵器を攪乱・無効化することでMS同士の白兵戦に説得力を持たせた。

主人公アムロはもちろん、彼をサポートする人々や敵対する兵士についても個性的な人物像がセリフや行動で描かれた。また必ずしも主人公サイドの連邦軍が一枚岩でない様子や、シャア・アズナブルの復讐劇の要素も交えて奥行きのあるドラマを展開。全体のプロットには直接触れない登場人物までそれぞれが信念を持ってこの戦争を生き抜いている様子が描かれ、従来作品に比して作品世界が豊かになっている。

本作の重要なキーワードの一つが「人類の革新『ニュータイプ』」である。超能力にも似た特別な感覚を得た人々として設定されたニュータイプは、当初は主人公アムロに超人的活躍をさせるためのアイデアだったが、やがて宿敵シャアもまたニュータイプであることが明かされ、そして同じくニュータイプである少女 ララァ・スンとの出会いと3人の間で起こる悲劇を通じて、「人類の革新」とは何なのかという抽象的なテーマへと昇華された[註 3]。

結果、本作はロボットアニメという枠組を破綻させることなく、現実味を持たせた物語や設定によって高年齢層の視聴に堪えうる作品作りが可能であることを示すこととなった。

企画の経緯
本作の企画の根底には『宇宙戦艦ヤマト』のヒットがあった。サンライズの山浦栄二は当時、『ヤマト』の制作会社からデータを入手[2]、『ヤマト』の関連事業は一部の熱狂的なファンを相手にした商売であることがわかり、「ハイターゲットに絞って、30万から40万の熱狂的なファンをつかめば、それで十分に商売になる」という結論を得た[3]。そこで本作は『ヤマト』と同じく中学生以上を取り込むことになった[4]。

作品構成も『ヤマト』が意識されたが、そのままでは活劇的な展開になりにくい事とキャラクターの年齢が高いことが問題になり、『十五少年漂流記』から着想を得て、宇宙船に乗り込んだ少年少女が宇宙戦争の中で協力しながら生き延び成長するというストーリーが構想された。この時点では主人公たちは宇宙船ペガサスに乗り宇宙戦闘機で異星人と戦うという設定だった[4][註 4]。

このように当初の企画『フリーダムファイター』ではロボットを登場させる予定がなかったが、クローバーの小松志千郎社長からロボットを出すよう要求があった。困ったスタッフに、SF作家でスタジオぬえの一員でもある高千穂遥がロバート・A・ハインラインのSF小説『宇宙の戦士』を紹介した。これに掲載されている、宮武一貴による装甲強化服『パワードスーツ』の挿画を元に大河原邦男が「突撃攻撃型機動歩兵」をデザインした。これは『宇宙の戦士』と同じく全高2.5m程度のものだったが子供に受けないとされ、当時主流だった50mから100mの巨大ロボットとパワードスーツのぎりぎりの妥協点としてマジンガーZと同じ18mに設定された。実際の戦争にならい、長距離戦、中距離戦、白兵戦と距離別にタイプが違う三つのロボットが構想された(それぞれ後のガンタンク、ガンキャノン、ガンダムである)[註 5][4]。ロボットの名称について、パワードスーツのままでは訴えられる懸念があったので「モビルスーツ」にした。当初は宇宙ステーションをロボットの活躍の舞台とする予定だったが、18mでは宇宙ステーションに入らない。スタッフは神田の三省堂で買った宇宙関係の本の中でジェラルド・オニールのスペースコロニーを見つけた。直径数kmのコロニーなら18mのロボットが入るため、本作に取り入れることにした[3]。

この時点での仮題は『ガンボーイ』だった。これが当時人気を博したアメリカ映画「コンボイ」から『ガンボイ』に、さらにチャールズ・ブロンソンがTV-CMで流行語にした「う〜ん、マンダム」から「フリーダム」のダムとかけて『ガンダム』という名前が生み出された[4]。

初回放映時の評価と後の社会現象
初回放送時の視聴率は名古屋地区で平均9.1%、関東地区で5.3%[5]と振るわなかった。

視聴率低迷のため、スポンサーの要望により量産型の他に、いわゆる「やられメカ」を毎回出すことになった。試作機が投入されたという設定で グフやドムなどの新MSやモビルアーマーが登場したが視聴率は好転しなかった[4][註 6]。

視聴率低迷は関連商品の不振につながった[6]。スポンサーから「シャアという陰気なキャラクターがいけない」と指摘され作中でシャアを左遷したが、「何でシャアが出ないのだ」という抗議の手紙が殺到した[7]。こうした手紙は中高生のファンからであり、サンライズ側の当初の狙い通り、本作には中学生以上のファンがついていた[6](ちなみに名古屋テレビの関岡渉によると左遷どころか殺す予定だったそうである。関岡がスタッフを説得して取りやめになったとのこと[8])。

その後もテコ入れが試みられたが(後述)、視聴率も売り上げも挽回できず全52話の予定が全43話に短縮される形の打ち切りとなった[註 7]。

ところが打ち切りが決まった直後から人気が上昇。最終回でアムロは死ぬ予定だったが関岡が人気の盛り上がりから再放送や続編制作が期待できるため反対して取りやめになった[8]。また、放送当時からアニメ雑誌がたびたび熱意ある特集記事を組むなど、中高生、特に女子を中心に口コミで徐々に評判が高まった[註 8]。本放送終了後もアニメファンによる再放送要請嘆願署名が行われるなど熱意は衰えず、これらを受けてクローバーは再放送を決定した[9]。こうして再放送、再々放送が重ねられ、世間一般へ本作が浸透していった。再放送では平均視聴率も10%を超え、1982年における再放送では名古屋地区で25.7%(最高視聴率29.1%)を記録した。

放映終了半年後にバンダイから発売されたMSのプラモデルが爆発的な売れ行きを見せ、『ガンプラ』と呼ばれた(後述)。後の劇場版公開もあわせ、社会現象ともいえるブームを巻き起こした。その後も本作と世界観や設定、歴史などを踏襲、あるいは共有する小説や漫画が数多く制作された、メディアミックスの先駆けともいえる作品である。

一方で、作中におけるMSの描写やニュータイプの存在に対して高千穂遙がSF考証の観点から批判する意見を述べ「ガンダムSF論争」を巻き起こした。

劇場版三部作と「アニメ新世紀宣言」
1980年10月、TVシリーズの再編集に新作カットを加えストーリー、設定を一部変更した劇場版の制作が発表された。第1話から第13話までを再編集した第一作の題名は『機動戦士ガンダム』とされ1981年3月14日全国松竹系にて公開された[註 9]。題名に数詞が付かなかったのは、第一作の興行成績次第では第二作が製作されない可能性もあったからである[10]。松竹初のアニメ映画である。

これに先立つ1981年2月22日、新宿にて「アニメ新世紀宣言」と呼ばれるイベントが開催され、1万5千人ともいわれる数多くの若者が詰めかけた。中にはシャアとララァなど登場人物の(今で言う)コスプレをして現れた者達もいた[註 10]。彼らを前に富野は、これだけの若者がアニメ映画のイベントのために集まったことを通じて、アニメを低俗、俗悪と決めつける社会の認識を問う発言をしている。

第一作の成功を受けて、『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』(第16 - 31話前半を再編集、1981年7月11日公開)が公開された。第二作では、TV版と第一作の録音監督である松浦典良が降板した。「松浦さんが降りるなら、僕たちも降りる」と古谷徹、鈴置洋孝、井上瑤、鵜飼るみ子と主だった声優陣が反対したが、サンライズは拒否。声優陣が松浦の自宅をたずねた時に、松浦が説得して騒動は収束した。この騒動の余波でガンダムの声優陣の待遇が改善されたという[11]。

続けて『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編』(第31話後半 - 第43話を再編集、1982年3月13日公開)が公開された。またこれらの映画の主題歌がオリコンチャートの上位にランキングされるなど、大きな社会現象にまで発展した。

アニメ史上の評価と後続作品への影響
本作のヒットは新たなアニメブームをもたらし、これに影響されたアニメも玉石混淆で無数に製作されることになる。特にロボットアニメは本作同様に、登場人物や世界観の描写に力を注ぐことで高年齢層も意識した作品作りがなされるようになり、数多くの作品を生み出した[註 11]。

「アニメ新世紀宣言」に集まるなどしてガンダムブームを支えた視聴者達の中からは、数多くのクリエイターが生まれている。シャアとララァのコスプレをした二人も、後にメカニックデザイナー 永野護と声優川村万梨阿として続編『機動戦士Ζガンダム』の制作に参加している。

また等身大のロボットを描いた最初のTVアニメ『鉄腕アトム』がロボット研究者の大きな目標になったように、MSもロボット研究者にとって大きな目標の1つとなっている。

2010年に第4回声優アワードシナジー賞を受賞した。

商業的事情
サンライズは前述のように本作を中学生以上向けに作っていたが、スポンサーが集まらない懸念があったため創通エージェンシーはスポンサーには低年齢向けと説明していた[8]。こうして各社とも前作『無敵鋼人ダイターン3』と同じく小学生以下向けの商品を展開したためミスマッチが起き[9]、せっかくの中高生ファンを取り込むことができず関連商品は不振に陥った。そこでクローバーの要請により1979年9月に Gアーマーが登場し、同月にはGアーマーとガンダムをセットにした「ガンダムDX合体セット」が発売されたが、売上増には結び付かなかった[9]。

関岡の証言では、局の立場としては打ち切り対象にする程ではなかったが、玩具業界のサイクルでは年末年始の次は3月の春休みに需要が見込めるため、2月に新番組を投入すれば丁度その時期に玩具が売れて経営危機を乗り切れるのではないかと判断され、乗り換え需要を喚起するために1月一杯で打ち切りとなったようである[12]。サンライズの飯塚正夫は「オモチャが売れるクリスマスとお正月のお年玉のある1月まではなんとか放送してもらえることになった」と述べている[3]。ところが年末商戦で「DX合体セット」が好調な売行きを示した。クローバーは慌てて延長をサンライズに打診したものの実現しなかった[13]。

前述のように本放映時に関連商品を展開した会社は軒並み失敗したが、アニメ雑誌『アニメック』を発行し、アニメショップ『アニメック』を経営していたラポートだけはアニメファンの盛り上がりをいち早くつかんでいた。同社はアニメファン向けの商品を本放映時既に展開し、ファンを盛り上げていった。

一方玩具の不振を補うべく、サンライズはクローバーにプラモデルの商品化を打診していたが、「売れないキャラクターの商品を増やしてもしょうがない」とクローバーに拒否された。そこでサンライズはクローバーの了解を得て他社にプラモの商品化を呼びかけた[4]。ところが本作のもう一つの版権元であり版権窓口でもある創通エージェンシーはクローバーの玩具販売に悪影響が出ることを懸念し、プラモの商品化を望んだバンダイ模型の要請を拒んだ。長い交渉の末、1979年の暮れに創通が折れて、バンダイ模型は商品化権を取得した[14]。こうして放映終了半年後に発売されたMSのプラモデルが爆発的な売れ行きを見せ、ガンダム人気を広げる一助となった。ガンプラは大変な人気を得たことで「モビルスーツバリエーション」と呼ばれる派生シリーズを産み、それらにおける種々の設定はアニメ雑誌において生み出された設定と合わせてガンダムの世界観をより深く掘り下げるものとなった。1982年にはプラモデル市場は過去最高の市場規模になった[15]。

こうした経緯のため「ガンダムブームはラポートが火をつけ、バンダイが築いた」と評されている[16]。劇場版公開の頃になると各社とも本作のファン層に合わせた商品展開をしていたが、ファンの低年齢化によってアニメファン向け以外の商品も売れるようになっていった[9]。

前述した後続作品群は、商業上はどれも本作を越えられなかった。このためガンダムシリーズは多少のブランクを挟みながら今日まで続くことになった。本作以来のファンを維持しつつ、新しい設定のガンダムが若いファンを獲得して親子二世代にわたって人気があるシリーズとなっている。またガンプラや各種トイも今なお初代ガンダムやザクの新型アイテムが発売されるなど根強い人気を保っている。現在では日本のキャラクターモデルは9割がガンプラだとされている[17]。

主要登場人物
アムロ・レイ
当初は一介の民間人、それも機械いじりの好きな内気な少年として登場する。彼は急遽リーダーとなった士官候補生 ブライト・ノアとの衝突や、サイド7脱出以来の宿敵 シャア・アズナブルやMSパイロットとしても人間としても経験豊富な強敵であるベテラン軍人 ランバ・ラルとの戦い、初恋の女性 マチルダ・アジャンや兄貴分 リュウ・ホセイの戦死といった現実を経て人間的に成長してゆく。さらに、人類の革新「ニュータイプ」として覚醒し、英雄的活躍を遂げるようになる。
シャア・アズナブル
従来からのいわゆる「美形悪役」の流れにあるキャラクターではあるが、ジオンの独裁者 ザビ家に対する復讐のためにこの戦争を巧妙に利用する人物として設定されている。ホワイトベースに乗る妹 セイラ・マスの存在に悩む一方で、ニュータイプの少女 ララァ・スンと出会い、さらに彼もまたニュータイプとして覚醒することによって、人類の進化のために戦争を利用するという高い理念を抱くようになってゆく。
その他の人物
カイ・シデン、ハヤト・コバヤシ、フラウ・ボゥ、ミライ・ヤシマといったホワイトベースの仲間達もそれぞれに成長を遂げてゆく姿が描かれる。また、戦争を嫌悪する元軍人、戦争に加担する民間人、スパイ、武器開発者、主人公に殺される学徒動員パイロットなどそれまでのアニメーションでは無視されていたキャラクターの描写も多い。この方向性は『ザンボット3』でも試みられたが、後の作品にまで影響を及ぼすほど徹底したのは、本作の非常に大きな特徴である。
詳細については、下記のページを参照。

機動戦士ガンダムの登場人物 地球連邦軍
機動戦士ガンダムの登場人物 ジオン公国軍 (あ行-さ行)
機動戦士ガンダムの登場人物 ジオン公国軍 (た行-わ行)
機動戦士ガンダムの登場人物 民間人
スタッフ
企画:日本サンライズ
原作:矢立肇、富野喜幸(現・富野由悠季)
音楽:渡辺岳夫、松山祐士
キャラクターデザイン:安彦良和
メカニカルデザイン:大河原邦男
美術設定:中村光毅
アニメーションディレクター:安彦良和
総監督:富野喜幸(現・富野由悠季)
プロデューサー:関岡渉(名古屋テレビ)、大熊信行(創通エージェンシー)、渋江靖夫(日本サンライズ)
脚本:星山博之、松崎健一、荒木芳久、山本優、富野喜幸
絵コンテ:斧谷稔(富野喜幸)、山崎和男、貞光紳也、久野弘
演出:貞光紳也、藤原良二、小鹿英吉、横山裕一郎、斧谷稔(富野喜幸)、行田進、関田修、久野弘
作画監督:安彦良和、山崎和男、青鉢芳信、富沢和雄、大泉学、中村一夫、鈴村一行
音響監督:松浦典良
設定制作:円井正
アシスタントプロデューサー:神田豊
制作:名古屋テレビ、創通エージェンシー、日本サンライズ
主題歌
オープニングテーマ『翔べ! ガンダム』
作詞:井荻麟 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士 唄:池田鴻、フィーリング・フリー、ミュージック・クリエイション(キングレコード)
エンディングテーマ『永遠にアムロ』
作詞:井荻麟 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士 唄:池田鴻、フィーリング・フリー (キングレコード)
劇場版I 主題歌『砂の十字架』
作詞・作曲:谷村新司 編曲:青木望 唄:やしきたかじん
劇場版II 主題歌『哀戦士』 『風にひとりで』
作詞:井荻麟 作曲・編曲・唄:井上大輔
劇場版III 主題歌『めぐりあい』 『ビギニング』
作詞:井荻麟、売野雅勇 編曲:鷺巣詩郎 作曲・唄:井上大輔
挿入歌
『シャアが来る』
作詞:井荻麟 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士 唄:堀光一路
『きらめきのララァ』
作詞:井荻麟 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士 唄:戸田恵子
『いまはおやすみ』
作詞:井荻麟 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士 唄:戸田恵子
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【身分】聖仙士ダンバイン(逆水帰鰓霊陰謀萬夢理Po)ジェネティックコーディ
【病状】ピータパン(寝場亜卵努)舎人芝環森鳥青夢見厨房中2C病?原野西都好造思増井戸大神狼忍26時間昼夜逆転百次官睡眠時無呼吸症候群etc
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