どうやらこういうことらしい

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W

非常事態宣言 - W【重大保存】

虎馬:非常事態宣言 - W 

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非常事態宣言(ひじょうじたいせんげん)とは、国家等の運営の危機に対し緊急事態のための特別法を発動することである。
目次 1 概説 2 発動例 3 脚注 4 関連項目
概要
 対象には武力攻撃、内乱、暴動、テロ、大規模な災害などのほか、鳥インフルエンザやAIDSなど疫病もある。措置には警察・軍隊など公務員の動員、公共財の徴発、法律に優位する政令の発布、令状によらない逮捕・家宅捜索などを許す事の他、報道や集会の自由など自由権の制限である。
 日本では第二次世界大戦後の占領期の1948年4月に起こった阪神教育事件に際しGHQが発令した例がある。また戦前は、旧警察法に基づいて、国家非常事態宣言を出す権限が内閣総理大臣に与えられていた。しかし、2014年現在、根拠法令はない。また地方自治体が「交通死亡事故多発非常事態宣言」や「ごみ非常事態宣言」などを宣言することがあるが、これらは特別法を発動するものではない。2010年5月18日、口蹄疫の流行に対し、東国原英夫宮崎県知事が「非常事態宣言」をした。
 なお、現在の日本では、非常事態宣言に類似する制度として、災害対策基本法に基づく災害緊急事態の布告と、警察法に基づく緊急事態の布告とがあり、いずれも内閣総理大臣が発する。
 アメリカでは州知事・首長に災害にともなう地域内非常事態を宣言する職権がある。
 発動例
1992年のアメリカロス暴動
1996年のパラオでのKBブリッジの崩壊
2001年のアメリカ同時多発テロ事件
2001年のアルゼンチン暴動でデ・ラ・ルア大統領が発令
2001年から2002年のネパール王国の内乱
2005年パリ郊外暴動事件
2005年のスマトラ島沖地震 - スリランカ・モルディブが発令
2005年のロンドン同時爆破事件
2005年のハリケーン・カトリーナ - ニューオーリンズ市
2006年のフィリピンでの国軍によるクーデターの企て - アロヨ大統領が発令
2006年のタイ軍事クーデター - タクシン首相が発令するが、軍部は無効として戒厳令を発布
2007年のアメリカバージニア州バージニア工科大学銃乱射事件 - 訪日中のバージニア州知事が東京で発令
2007年ギリシャ山林火災
2007年のグルジアでの野党デモ
2009年のアメリカでの新型インフルエンザ感染拡大 - オバマ大統領が発令
2010年のスペインでの航空管制官ストライキ
2011年のニュージーランドでのカンタベリー地震の発生によりキー首相が宣言
2011年の福島第一原子力発電所事故 - 原子力災害対策特別措置法による原子力緊急事態宣言が発令された
2011年のグアテマラにおける隣国(メキシコ)からの麻薬カルテル組織の侵入
2013年のエジプト・サッカー暴動の裁判結果に対する暴動 - 大統領が発令
2013年のチェリャビンスク州の隕石落下
2014年の西アフリカエボラ出血熱の流行 - シエラレオネ、リベリア、ナイジェリア、ギニアが発令[1][2][3][4]

脚注

1.^ Rod Mac Johnson (2014年8月1日). “シエラレオネ、エボラ拡大で非常事態宣言”. AFP. AFPBB News. オリジナルの2014年8月10日時点によるアーカイブ。 2014年10月11日閲覧。
2.^ “エボラ出血熱、リベリアが非常事態宣言”. AFP. AFPBB News. (2014年8月7日). オリジナルの2014年8月7日時点によるアーカイブ。 2014年10月11日閲覧。
3.^ “ナイジェリアも非常事態宣言 エボラ出血熱流行で3カ国目”. 共同通信. 47NEWS. (2014年8月9日). オリジナルの2014年10月10日時点によるアーカイブ。 2014年10月11日閲覧。
4.^ “ギニア、エボラ熱拡大で非常事態宣言”. AFP. AFPBB News. (2014年8月14日). オリジナルの2014年8月14日時点によるアーカイブ。 2014年10月11日閲覧。

関連項目[編集]
国家緊急権
夜間外出禁止令
戒厳(令)
有事法制
激甚災害

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行政

311東北地方太平洋沖地震 - W【終】(再確認)

311東北地方太平洋沖地震 - W【序】(再確認) 
311東北地方太平洋沖地震 - W【前】(再確認)   
311東北地方太平洋沖地震 - W【中】(再確認) 
311東北地方太平洋沖地震 - W【後】(再確認) 

§緊急地震速報  気象庁:2011年3月11日14時46分に発生した地震の緊急地震速報
第報 発表時刻 経過時間(秒) 北緯 東経 深さ Mj 備考
1 14時46分 45.6秒  5.4 38.2  142.7  10km  4.3  最大震度 1程度以上と推定
2 14時46分 46.7秒  6.5 38.2  142.7  10km  5.9  最大震度 3程度以上と推定
3 14時46分 47.7秒  7.5 38.2  142.7  10km  6.8
4 14時46分 48.8秒  8.6 38.2  142.7  10km  7.2
5 14時46分 49.8秒  9.6 38.2  142.7  10km  6.3
6 14時46分 50.9秒 10.7 38.2  142.7  10km  6.6
7 14時46分 51.2秒 11.0 38.2  142.7  10km  6.6
8 14時46分 56.1秒 15.9 38.1 142.9 10km 7.2
9 14時47分 02.4秒 22.2 38.1 142.9 10km 7.6
10 14時47分10.2秒 30.0 38.1 142.9 10km 7.7
11 14時47分25.2秒 45.0 38.1 142.9 10km 7.7
12 14時47分45.3秒 65.1 38.1 142.9 10km 7.9
13 14時48分05.2秒 85.0 38.1 142.9 10km 8.0
14 14時48分25.2秒 105.0 38.1 142.9 10km 8.1
15 14時48分37.0秒 116.8 38.1 142.9 10km 8.1

本震に対し、気象庁は初期微動(P波)検知(14時46分40.2秒)の5.4秒後に予報第一報を発表し、8.6秒後に一般向け緊急地震速報(警報)を宮城、岩手、秋田、山形、福島の各県に発表した。震度7を観測した宮城県栗原市ではS波到達まで15秒の猶予があった[300]。しかし、この地震発生の際に発表された緊急地震速報では、予測震度と実測震度が大きく乖離している地点があり[301]、震度5弱以上の強い揺れを観測した青森・関東・甲信越地方には一般向け緊急地震速報は発表されず、青森・関東・甲信越を放送エリアとする民放のテレビ・ラジオ番組、該当地域にない携帯電話のエリアメール機能などで注意喚起がされなかった。また、地震検知5.4秒後に発表された予報第1報でのマグニチュードは4.3・最大震度1程度以上と過小評価され、一般向けの警報を発表したのはM7.2と推定した地震検知8.6秒後の第4報だった。

気象庁気象研究所は原因としてそれぞれ、最大振幅から推定するマグニチュードの上限に達してしまったこと・震源域の広がりを十分に考慮できなかったこと、地震の最初の振幅がきわめて小さかったこと[注 24]を挙げている[302]。なお速報の第14報において茨城県北部でも震度5弱以上が予想されたが警報の更新条件である60秒以内に満たなかったため発表されなかった。

また本震後に、緊急地震速報が過大に予測されたり、強い地震でも発表されないなど、適切に発表できなくなる問題が発生した。気象庁は原因として、異なる場所でほぼ同時に発生した複数の地震を1つの地震として処理してしまうため、また停電や通信回線の途絶によりデータ処理に使用できる地震計の数が減少したためとしている[303]。この問題に対し気象庁は、ほぼ同時に起きた地震のうち緊急地震速報(警報)の発表対象としていない小規模の地震を計算の対象から外すことにより、2つの地震を誤って結び付ける頻度を減らすシステム改修を行った[304]。

§被害・影響

詳細は「東日本大震災」および「福島第一原子力発電所事故」を参照

「東日本大震災」と命名された本地震による日本国内の被害は、地震そのものによる被害に加えて津波・火災・液状化現象・福島第一原子力発電所事故・大規模停電など多岐に渡り、1都9県が災害救助法の適用を受けた[305]。警察庁発表による死者および届出があった行方不明者の数は合わせて1万8,483人で、津波被害を受けた東北地方の太平洋沿岸を中心に関東地方や北海道でも死傷者が出る事態となっている[12]。この死者・行方不明者数は、明治以降の地震被害としては関東大震災の10万5,385人、明治三陸地震の2万1,959人に次ぐもので[306]、阪神・淡路大震災の6,437人を大きく上回る第二次世界大戦後最悪の巨大自然災害となった[307]。

津波と原発事故の影響を連続して受けた福島県浜通りなどを中心に複合災害の状況を呈し、避難区域においては救助・捜索活動が中止される事態も発生した。

§対応・支援と復興

震災に対する支援活動、菅内閣の対応、日本国外の対応、トモダチ作戦、パシフィック・アシスト作戦、くしの歯作戦も参照
東日本大震災被災地で活動する川口市消防局救助部隊
自衛隊によって設営された臨時浴場
津波警報の発表があった沿岸地域では、消防・消防団・警察・自主防災組織・自治体担当者などによる避難誘導が行われたが、中には津波により負傷・殉職した者もいた。発生当日より国内各地から消防の緊急消防援助隊・警察の広域緊急援助隊が派遣され、(原発避難地域も含めて)被災地の救助・捜索・警備などに当たった。最大約6,100人・総数約28,600人(のべ派遣人数は10万人)の消防隊員が派遣された[308]。また最大約4,900人・6月末時点で4,000人以上の警察官[309]が派遣されたほか、海上保安庁も救助・捜索・港湾復旧などを行った。また自衛隊も最大で10万7,000人、7月21日時点でも2万3,000人規模で救助・捜索・避難所支援や復興支援活動を行い[310]、7月下旬に岩手県・宮城県[311][312]、12月下旬に福島県(原発事故対応を含む)[313]での活動を終えた。

国内の多数の企業・団体も震災後に物資提供や金銭などの支援を表明している。また通信・報道企業が災害用伝言板・安否情報提供の運用や情報インフラ支援などを行ったのをはじめ、震災の影響に応じた様々な支援やサービスを提供しているところがある。(震災に対する支援活動参照)

地震直後より、国際連合を始めとした国際機関、アメリカ合衆国やロシア連邦を始めとした世界各国が日本に対して支援の用意があると表明、様々な対応や支援を行っている。特にアメリカは、洋上基地として原子力空母ロナルド・レーガンを派遣するなどの「トモダチ作戦」を展開した。

諸外国政府による公式な対応、支援以外にも、日本国内外を問わず様々な組織・団体または有志が、この地震に対しての支援を表明・実行している。

この地震に対する救援・支援の輪が広がったことから、日本漢字能力検定協会が公募選定する2011年の『今年の漢字』には『絆』が選ばれ、その理由の筆頭に東日本大震災が挙げられた。

復興方針の骨格を決める東日本大震災復興基本法(6月20日可決、6月24日施行)、国の復興業務を一本化した復興庁(2012年2月10日設置)を軸として政府の復興事業は進められている。しかし、当初より原発事故や計画停電に関する件を中心として政府や東京電力などに対して「対応が遅い」などの批判が相次いだ。津波被災地の多くで仮設住宅の建設や基幹産業である水産業の中枢である港湾の復旧が重点的に進められているほか、国の予算配分や有志による義援金の配分に基づいて復興計画が進められている。

§教訓

§長期評価の見直し

この地震では、政府が東北地方沖で従来想定していたものとはかけ離れた規模の地震が発生した。政府の地震調査委員会は、東海、東南海、南海地震などの海溝型地震の長期評価を見直すことを決めた[314]。2011年11月に、三陸沖から房総沖までの長期評価を見直したものを発表し、今回のような地震 (Mw8.4-9.0) が平均600年間隔で発生していると認定した。また、三陸沖から房総沖までの海溝寄りで、津波マグニチュード (Mt) 8.6-9.0(明治三陸地震並み[注 25])の津波地震が30年以内に発生する確率が約30%あるとした[315][316]。ただし、この発表は従来の予測手法によっており、今後さらに検討される[317]。

§津波想定の見直し

国の中央防災会議の専門調査会は、この地震を教訓とした津波対策について検討した。そのうえで、これまでは過去の文献などから確実に地震の全体像が分かった切迫性のある地震だけを考慮して想定を行ってきたが、これからは確度の低いものでも考えうる最大のものを想定することを求めた。また、この地震による津波が防潮堤を超えて甚大な被害をもたらしたことから、津波のレベルとして、住民の避難を柱にした総合的な対策を取るべき最大規模の津波と、防潮堤などで浸水を防げる比較的頻度の高い津波の、2つを想定する必要があるとした[318][319]。

§津波警報の見直し

この地震では最初に発表された津波警報の予想高さが過小評価となって避難の遅れに繋がった面があった。これは、地震発生直後に算出できる気象庁マグニチュードが、モーメントマグニチュード8を超える巨大地震では過小評価となってしまうからである。そのため気象庁は津波警報の改善を検討し、マグニチュード8を超える可能性がある場合には、その海域で想定される最大マグニチュードに基づいて津波警報の第一報を出す方針を決めた。津波警報の発表には、3分程度で算出できる気象庁マグニチュードを通常は基にする。しかし、強い揺れの範囲が明らかに広い場合や津波地震であると推定できる場合など、気象庁マグニチュードが過小評価である可能性がある場合には、事前に想定された最大のマグニチュードか、あるいは観測から得られる別の適正なマグニチュードを用いて第一報を発表する。このような場合には規模の推定が困難で、また最大限の危機感を伝えるため、第一報では予想高さを発表せず「巨大」などの表現とする。そして時間の経過とともに精度の高い津波警報に切り替えていく。また東北地方太平洋沖地震では第一波として「0.2m」のような低いものが発表されたため、第一波の発表の仕方も工夫するとした[320][321]。

§情報

§情報開示・広報

また、原発事故に関連する事故状況や拡散予測の開示、計画停電の発表などに関して、政府や東京電力などが公表が遅い、公表をすべきとの批判を浴びるような例が多数見られた。これに対してIncident Command Postと呼ばれる専門の情報官が指示や広報を担うアメリカのシステムを参考にし、クライシスコミュニケーション(英語)の観点から災害時の情報提供・広報活動を見直すべきとする識者もいる[322]。

§災害時のメディア

地震発生後の停電地域や津波の被災地を中心に、情報不足が発生した。従来の報道機関は特別の体制をとって震災に関する報道を行った。他方、従来見られなかったようなソーシャルメディアを介した簡易性・双方向を特徴とする情報発信・入手が広く用いられた。その一方でサイバー犯罪が行われたり、デマ情報・チェーンメールが誤った情報を流布させるといった問題も発生した。福島第一原子力発電所事故関係でも、風評被害、健康への影響や各種基準を巡る情報の錯綜、被曝に関する楽観論と危険論双方の主張の対立、日本の原子力政策を巡る議論など、様々な方面に波紋を呼んでいる。

§注釈

1.^ 観測範囲内での最大。相馬を含め計8地点で観測機器が破損した為、後続のより大きな津波が到達した可能性がある。
2.^ 震度1以上を観測し公表された余震は翌10日午前中にいったん収束(2011年3月9日の震央分布図 - 日本気象協会)、同日夕方から震度を弱めて再び引き続いたが(2011年3月10日の震央分布図 - 日本気象協会)、11日午前7時44分頃を最後に再度収束した(2011年3月11日の震央分布図 - 日本気象協会)
3.^ なお、震源域の深さは上端5km、下端40kmとされている。 (国土地理院 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 震源断層モデルの概念図)
4.^ この地震より前に震度7を観測した地震には兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と新潟県中越地震がある。兵庫県南部地震では発生直後は最大震度が6とされ、震度7が発表されたのは発生から21日後だった(当時は現在と異なり、震度6までは地震計で計測し、震度7は被害状況を見て判断することになっていた)。新潟県中越地震では発生直後は最大震度が6強とされ、震度7が発表されたのは発生から7日後だった(このときは機械と通信回線の故障から地震計の記録が直ちに送られず、震度7の記録は後から回収された地震計の記録から求められた)。
5.^ いわき市については、気象庁の震度推計分布図によると局地的に震度7相当の揺れがあったとみられている。
6.^ 芳賀町については、防災科学技術研究所の設ける観測点で震度7相当の揺れ(計測震度6.51)を観測している。
7.^ 仙台管区気象台(河岸段丘)の震度:6弱、最大加速度(ガル):南北成分410、東西成分312、上下成分144、ベクトル合成535。K-NET仙台(沖積層)の震度:6強、最大加速度(ガル):南北成分1517、東西成分982、上下成分290、ベクトル合成1830。
8.^ M9.0という規模は連続して発生した3つの断層破壊(地震)を総合評価して計算されたものであるが、気象庁は最初に三陸沖で発生した断層破壊を単体でみてもM8.8という巨大地震(2つ目の断層破壊が発生したのは最初の断層破壊の約2分30秒後であるため、最初のものについては単独評価が可能)であるとしている。
9.^ こうした速報値、暫定値で数値が変わることを報道などで「修正」や「訂正」という表現がなされるが、速報性を重視して多少精度を犠牲にしたもので暫定的な値であることは織り込み済みのものである。通常のルーチン作業を経て決定された値で、何らかのミスなどで値が変更になったわけではないので誤解を招く表現である。震源要素(速報値、暫定値、確定値)の違いについて - 平成15年7月 地震・火山月報(防災編)
10.^ 巨大地震ではマグニチュードの増加に比例して長周期の地震動は大きくなるが、短周期の地震動は増加率が小さいため、地震波の大きさを重視した一般的なマグニチュードでは「頭打ち」が起こる。この影響を取り除くため、断層の動いた範囲(断層面積)・量(変位量)・ずれやすさ(剛性率)の積で表される地震モーメントMOを重視したのがモーメントマグニチュードである。地震動による被害のみを見る場合はMjの方が実態に近い一方、モーメントマグニチュードは津波の高さとの相関性が高い。明治三陸地震のような短周期成分が少ない、いわゆる津波地震の場合、Mjでは地震の規模を過小評価してしまう。(『地震の大きさをはかる -さまざまなマグニチュード-』 (PDF) 『なゐふる』55号 p.4、日本地震学会、2006年5月 参照)
11.^ 海山と推定される地下の構造が宮城県沖の海底約150km下に存在することについては、本地震の6年前にすでに報告されている。また、1994年に発生したインドネシアの地震は海山が原因とされており、本地震とも地殻変動が類似している。
12.^ 「房総沖」については、 相模トラフ全体を震源域とする北米プレートとフィリピン海プレートの境界での地震は「元禄型関東地震」として別に評価。
南関東陸域を震源域とする北米プレートとフィリピン海プレート、あるいはフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界での地震は「南関東直下地震」として別に評価。
房総半島南東沖を震源域とするフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界での地震は、記録に乏しく推定不可能なため評価対象外。

13.^ 宮城県沖地震は1930年代のように数年かけて3つのアスペリティが順に破壊し数回に分けて地震を起こすタイプと、昭和53年(1978年)のように一気にすべて破壊し1回の地震を起こすタイプがあるとされる
14.^ 1420年の常陸国の津波記録(都司嘉宣 『千年震災』 ダイヤモンド社、2011年 参照)、あるいは1454年の享徳地震が15世紀の津波堆積物に符合する(保立道久の研究雑記参照)との見方がある。
15.^ Continental Electronicsによる運営[1]。
16.^ 2011年4月21日に気象庁は、同所の地震計は「震度が周辺に比べ過大に観測されている」として、地域代表性という観点から以後の観測情報の活用を停止しているが、設置状況に問題はなく観測は正常に行われていたとしている。(「震度観測点の地震情報への活用停止等について」 気象庁発表)
17.^ いわき市の一部で推定震度7。気象庁の震度推計分布図参照。
18.^ 2012年3月14日には三陸沖北部の地震 (M6.9) と千葉県東方沖の地震 (M6.1) が同じ日に続けて発生したが、前者の地震はアウターライズ地震(海洋プレート内地震)で本地震との関連性は不明、後者の地震は大陸プレート内地震で本地震の余震とされており、共にプレート境界における海溝型地震ではない。(参考:週間地震概況(平成24年3月9日-3月15日) (PDF) 気象庁)
19.^ 東北地方太平洋沖地震だけによる変動は約70cmと推定されている。
20.^ つくば市にあるVLBIによる観測と、GPSによる観測を照合して決定された。
21.^ 国土地理院によれば。また浸水地域に近い陸地では、潮汐(満潮)や波浪による浸水被害が発生していて、防潮堤が被害を受けて機能していない後背低地などで被害が長期化している。
22.^ なお、この地震で発表された「津波警報(大津波)」は津波警報の一区分として当時用いられていたもので一般には「大津波警報」と呼称されていたが、「大津波警報」が正式名称となるのは東北地方太平洋沖地震後の改善によって制度改正される2013年3月からである。(“「大津波警報」に名称統一 気象庁が改善案”. 日本経済新聞 (2012年1月31日). 2013年1月9日閲覧。)(平成25年3月から津波警報が変わります、気象庁)
23.^ 「以上」とは、観測機器の故障・破壊、計器の限界によりその数値以上は観測不能を意味する。
24.^ 発生後3秒間の破壊はゆっくり進み、3月9日のM 7.3の前震より震動が小さかった[72]。
25.^ 東北地方太平洋沖地震の津波マグニチュードは9.1-9.4とされている。

§出典

1.^ a b c d e 平成23年3月 地震・火山月報(防災編)気象庁 (PDF)
2.^ “地震情報(顕著な地震の震源要素更新のお知らせ)平成23年3月13日12時59分気象庁発表”. 気象庁 (2011年3月13日). 2011年3月17日閲覧。
3.^ “Magnitude 9.0 - NEAR THE EAST COAST OF HONSHU, JAPAN”. [[アメリカ地質調査所 |U.S. Geological Survey]] (2011年3月16日). 2011年3月17日閲覧。
4.^ a b “「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第14報)” (プレスリリース), 気象庁, (2011年3月13日) 2011年3月17日閲覧。
5.^ a b c d e f g h i j k l “「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第15報)” (プレスリリース), 気象庁, (2011年3月13日) 2011年3月17日閲覧。
6.^ a b 「相馬」の津波観測点の観測値について
7.^ a b c “現地調査結果”. 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ (2012年1月14日). 2012年2月9日閲覧。
8.^ 津波による浸水範囲の面積(概略値)について(第5報) 国土地理院、2011年4月18日。
9.^ a b 2011年3月 東北地方太平洋沖地震 東京大学地震研究所、2011年3月14日閲覧。
10.^ a b c “「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第63報)、PDFファイル含む” (プレスリリース), 気象庁, (2012年3月8日) 2012年3月8日閲覧。
11.^ a b “平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震、PDFファイル含む (随時更新)”. 気象庁. 2015年1月10日閲覧。
12.^ a b “東日本大震災について 被害状況と警察措置” (プレスリリース), 警察庁, (2015年1月9日) 2015年1月10日閲覧。
13.^ 【東日本大震災】被害総額16兆〜25兆円、政府試算 原発事故被害は含まず msn産経ニュース、2011年3月23日。
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§関連項目
東北地方太平洋沖地震に関する記事の一覧
東日本大震災
福島第一原子力発電所事故
日本海溝
巨大地震
連動型地震
群発地震
誘発地震
三陸沖地震
宮城県沖地震
福島県沖地震
茨城県沖地震
阪神・淡路大震災

311東北地方太平洋沖地震 - W【補足】(再確認)  

117阪神・淡路大震災 - W(重要保存)【前要点】

117阪神・淡路大震災 - W(重要保存)【序】   117阪神・淡路大震災 - W(重要保存)【中】   117阪神・淡路大震災 - W(重要保存)【後】
117阪神・淡路大震災 - W(重要保存)【補足】   117阪神・淡路大震災 - W(重要保存)【出典】
名称の問題点
Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年1月)
「阪神・淡路大震災」という名称については、「阪神」にも「淡路」にも該当しない明石市などの地域も同様に甚大な被害を受けているため、批判もある。
「大阪市と神戸市および中間地域」「両市を含まない中間地域」どちらの意味においても、「阪神」という言葉は被害の実態に即していないからである
(特に前者では、被害が軽微であった大阪を示す阪の字が名称の先頭に来ている)。
なお、明石市が広報資料などで当震災に言及するときは、「兵庫県南部地震」の名称を使用している。

現在でもマスメディアなどで単に「阪神大震災」と呼ばれることがある。これに対して疑問を持つ被災者もいる。
大都市・大工業地帯・観光都市の一つである神戸・阪神地区だけが壊滅的な被害を受けた様に表現され、
同様に甚大な被害を受けた淡路島北部のほか、阪神地区の周辺について考慮されていないからである。

被害死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名[5] 死者の内訳は、兵庫県内6,402名 (99.5%)・兵庫県外(大阪府、京都府など)32名 (0.5%)[5]
兵庫県内の死者のうち、災害関連死による死者は919名 (14.3%)[6]
2005年(平成17年)に死者数の計上ミスが発覚し、修正された[7]。
焼死者数 403人(兵庫県の集計)、558人(各市の合計。神戸市528人など)[8]

負傷者 重傷者 : 県内10,494名 (98.2%)、県外189名 (1.8%)[5]
軽傷者 : 県内29,598名 (89.4%)、県外3,511名 (10.6%)[5]

避難人数(ピーク時): 316,678人
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟[5]
火災被害 : 全焼7,036棟、焼損棟数7,574棟、罹災世帯8,969世帯[5]
その他被害 : 道路7,245箇所、橋梁330箇所、河川774箇所、崖崩れ347箇所[5]
被害総額 : 約10兆円規模

関東大震災では、木造住宅が密集する地域での火災が被害を大きくしたため、主に焼死により日本の災害で最悪となる約10万人の死者を出し、東日本大震災では津波による水死を主に1万5千人を超える戦後最悪の死者を出したが、当震災では断層沿いに被害が集中して被災地域が狭かったものの、冬季の早朝に発生したため自宅で就寝中の者が多かったため、圧死を主に6千人を超える死者を出した。甚大な被害を伴った震災であったが、その中でもいくつかの被害軽減の要因となった事項が挙げられる。
発生時刻 : 冬季の早朝であったため、公共交通機関・道路の利用率が少なく(山陽新幹線の下り列車は新大阪発6時始発)、外出者も少なかったことで、市街地・自宅外での被害を抑えた。また、気温が日中10°C前後の低温の季節だったことから、倒壊建屋に閉じ込められた生存者の熱中症、凍傷等の衰弱要因がなかったことも人的被害を抑えた。さらに多くの被災者が就寝時の被災であったことから、本震時は毛布で身体を覆うことで落下物から防護したり、救出まで包まって暖をとっていた救助者もいた。多くの市民が自宅での被災だったため帰宅困難者などが発生しづらく、安否確認が比較的容易な状況であった。火の使用も少なかった。
気象条件 : 風が穏やかで、延焼が最小限に抑えられた。降水が少なかった。

また、西宮市仁川では、住宅街に面した造成斜面において大規模な地すべりが起こり、34名が犠牲になった[9]。
虎馬:阪神・淡路大震災 - W 

孫文 - W(保存)ファシスト

虎馬:孫文 - W 
 
Sunyatsen1.jpg
中華民国の旗 中華民国  初代臨時大総統
任期 1912年1月1日 – 1912年4月1日
中華民国の旗 中華民国 中国国民党総理
任期 1919年10月10日 – 1925年3月12日
出生1866年11月12日(清同治5年10月初6日)
清の旗 清広東省広州府香山県翠亨村(現・中山市)
死去 1925年(民国十四年)3月12日
中華民国の旗 中華民国京都特別市東城鉄獅子胡同5号行轅(現・中華人民共和国の旗 中国北京市東城区張自忠路)
政党 中国同盟会、中国国民党
配偶者 盧慕貞(1885–1915) 大月薫(1903-1906) 宋慶齢(1915–1925)
署名Sun Yat Sen Signature.png 孫中山職業:革命家・政治家
各種表記繁体字:孫中山 簡体字:孙中山 拼音:Sūn Zhōngshān 和名表記:そん ちゅうざん
発音転記:スン・ヂョンシャン ラテン字:Sun Chung-shan 英語名:Sun Yat-sen (孫逸仙)
各種表記(本名)繁体字:孫文 簡体字:孙文 拼音:Sūn Wen 和名表記:そん ぶん 発音転記:スン・ウェン
孫 文(そん ぶん、1866年11月12日 - 1925年3月12日)は、中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として近年「国父」と呼ばれる。海峡両岸で尊敬される数少ない人物である。
中国では孫文よりも孫中山の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれている。1935年から1948年まで発行されていた法幣(不換紙幣)で肖像に採用されていた。現在は100新台湾ドル紙幣に描かれている。

目次
1 呼称・号 1.1 号の由来
2 生涯 2.1 生い立ち
2.2 革命家へ
2.3 中華民国建国
2.4 国民党と第二革命・第三革命
2.5 広東軍政府と護法運動
2.6 五・四運動の影響
2.7 佐々木到一軍事顧問就任
2.8 孫文・ヨッフェ共同宣言
2.9 国共合作
2.10 死後
3 思想 3.1 明治維新と孫文の革命観
3.2 革命三段階論
3.3 民族主義
4 遺言
5 日本との関係
6 評価
7 人物
8 親族
9 孫文が登場する作品
10 関連記念館・建築
11 脚注
12 著作
13 参考文献
14 関連項目
15 外部リンク

呼称・号

譜名は徳明 、字は載之、号は日新 、逸仙 (Yixiān) または中山 、幼名は帝象 。他に中山樵(なかやま きこり)、高野長雄(たかの ながお)がある。中国や台湾では孫中山として、欧米では孫逸仙の広東語ローマ字表記であるSun Yat-senとして知られる。

号の由来

孫文が日本亡命時代には東京の日比谷公園付近に住んでいた時期があった。公園の界隈に「中山」という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、自身を孫中山と号すようになった。日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていた。号の「中山」は貴族院議員の中山忠能の姓から来ている[1]。

中華民国の国立中山大学および中華人民共和国を代表する大学のひとつである中山大学、南極大陸の中山基地、そして現在台湾や中国にある「中山公園」、「中山路」など「中山」がつく路名や地名は孫文の号・孫中山からの命名である。

生涯

生い立ち

孫文(17歳)
清国広東省香山県翠亨村(現中山市)の農家に生まれる。当時のハワイ王国にいた兄の孫眉を頼り、1878年、オアフ島ホノルルに移住、後に同地のイオラニ・スクールを卒業。同市のプナホウ・スクールにも学び西洋思想に目覚めるが、兄や母が西洋思想(特にキリスト教)に傾倒する孫文を心配し、1883年中国に戻された。帰国後、香港西医書院(香港大学の前身)で医学を学びつつ革命思想を抱くようになり、ポルトガルの植民地のマカオで医師として開業した。

革命家へ

清仏戦争の頃から政治問題に関心を抱き、1894年1月、ハワイで興中会を組織した。翌年、日清戦争の終結後に広州での武装蜂起(広州蜂起)を企てたが、密告で頓挫し、日本に亡命した。1897年、宮崎滔天の紹介によって政治団体玄洋社の頭山満と出会い、頭山を通じて平岡浩太郎から東京での活動費と生活費の援助を受けた。また、住居である早稲田鶴巻町の2千平方メートルの屋敷は犬養毅が斡旋した。

1899年、義和団の乱が発生。翌年、孫文は恵州で再度挙兵するが失敗に終わった。1902年、中国に妻がいたにもかかわらず、日本人の大月薫と駆け落ちに近い形で結婚した。また、浅田春という女性を愛人にし、つねに同伴させていた。

のちアメリカを経てイギリスに渡り、一時清国公使館に拘留され、その体験を『倫敦被難記』として発表し、世界的に革命家として有名になる。この直後の1904年、清朝打倒活動の必要上「1870年11月、ハワイのマウイ島生まれ」扱いでアメリカ国籍を取得した[2]。 以後、革命資金を集める為、世界中を巡った。

1905年にヨーロッパから帰国をする際にスエズ運河を通った際に、現地の多くのエジプト人が喜びながら「お前は日本人か」と聞かれ、日露戦争での日本の勝利がアラブ人ら有色人種の意識向上になっていくのを目の当たりにしている。孫文の思想の根源に日露戦争における日本の勝利があるといわれる。長い間、満州民族の植民地にされていた漢民族の孫文は、「独立したい」「辮髪もやめたい」と言ってきた。同年、宮崎滔天らの援助で東京池袋にて興中会、光復会、華興会を糾合して中国同盟会を結成。ここで留学中の蒋介石と出会う。

中華民国建国

武昌蜂起の兵士たち
1911年10月10日、共進会と同学会の指導下、武昌蜂起が起き、各省がこれに呼応して独立を訴える辛亥革命に発展した。当時、孫文はアメリカにいた。独立した各省は武昌派と上海派に分かれ革命政府をどこに置くか、また革命政府のリーダーを誰にするかで争ったが、孫文が12月25日に上海に帰着すると、革命派はそろって彼の到着に熱狂し、翌1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に成立した。

国民党と第二革命・第三革命

1913年3月、国会議員選挙において中国同盟会を発展させ、孫文が理事長である「国民党」が870議席の内401議席を獲得[3]。 同党の実質的な指導者である宋教仁を総理とした[3]。宣統帝の退位と引き換えに清朝の実力者となった袁世凱はアメリカの政治学者グッドナウ(英語版)による強権政治(中央集権的な統治)の意見を取り入れ、自身の権力拡大を計り、宋教仁を暗殺し、国民党の弾圧をはじめた[3]。これに伴い、同年7月、袁世凱打倒の第二革命がはじまる[3]。1914年に孫文は中華革命党を組織するが、袁は議会解散を強行した[3]。

1915年に袁世凱は共和制を廃止、帝政を復活させ、自らが中華帝国大皇帝に即位する[3]。直ちに反袁・反帝政の第三革命が展開される。翌年、袁は病死するが、段祺瑞が後継者になる。

広東軍政府と護法運動

詳細は「護法運動」を参照

この頃、各地で地方軍人が独自政権を樹立し、「軍閥割拠」の状況であった[3]。孫文は、西南の軍閥の力を利用し、1917年、広州で広東軍政府を樹立する[3]。しかし、軍政府における権力掌握の為に、広西派の陸栄廷を攻撃したことが原因となり、第一次護法運動は失敗に終わり、また、第二次護法運動は陳炯明との路線対立により、広州を追われた。

孫文は一時、日本へ亡命した。日本亡命時には「明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である」との言葉を犬養毅へ送っている[4]。

この頃に同じ客家でもある宋嘉樹の次女の宋慶齢と結婚した。結婚年については諸説あるが、孫文が日本亡命中の1913年 - 1916年の間とされ、この結婚を整えたのは資金面で支援をしていた日本人の梅屋庄吉であった[5][6]。

五・四運動の影響

1915年、第一次世界大戦中の日本が対華21ヶ条要求を北京政府に要求。1917年にはロシア革命が起きる。第一次世界大戦後の1919年1月のパリ講和会議によってドイツから山東省権益が日本に譲渡されたのを受けて、中国全土で「反日愛国運動」が盛り上がった。五・四運動である。この運動以降、中国の青年達に共産主義思想への共感が拡大していく[7]。陳独秀や毛沢東もこのときにマルクス主義に急接近する。この反日愛国運動は、孫文にも影響を与え、「連ソ容共・労農扶助」と方針を転換した[8]。 旧来のエリートによる野合政党から近代的な革命政党へと脱皮することを決断し、ボリシェビキをモデルとした[8]。実際に、のちにロシアからコミンテルン代表のボロディンを国民党最高顧問に迎え、赤軍にあたる国民革命軍と軍官学校を設立した。それゆえ、中国共産党と中国国民党とを「異母兄弟」とする見方もある[8]。

佐々木到一軍事顧問就任

孫文(右)と蒋介石
1922年に広東駐在武官となった佐々木到一は、当時、中国国民党の本拠であった広東で国民党について研究し、その要人たちと交わり、深い関係を持った。佐々木は後年に国民党通と言われる。孫文が陳炯明を追い払うと要請を受け、孫文の軍事顧問となる。佐々木は孫文の軍用列車に便乗して国民党の戦いぶりを観察している。また列車の中で孫文から蒋介石を紹介された。なお人民服(中山服)のデザインも佐々木の考案に基づいたされる。佐々木は1924年に帰国するが、その後も孫文とは交遊を続けた。

孫文・ヨッフェ共同宣言

1922年のコミンテルン極東民族大会において「植民地・半植民地における反帝国主義統一戦線の形成」という方針採択を受けて、1923年1月26日には孫文とソビエト連邦代表アドリフ・ヨッフェの共同声明である「孫文・ヨッフェ共同宣言」が上海で発表され、中国統一運動に対するソビエト連邦の支援を誓約し、ソ連との連帯を鮮明にした[9]。 この宣言は、コミンテルン、中国国民党および中国共産党の連携の布告であった。ソビエト連邦の支援の元、2月21日、広東で孫文は大元帥に就任(第三次広東政府)した。

しかし、連ソ容共への方針転換に対して、反共的な蒋介石や財閥との結びつきの強い人物からの反発も強く、孫文の死後に大きな揺り戻しが起きることとなる。なお、孫文の妻でその遺志を継いだ宋慶齢は大陸に止まり、蒋介石を裏切り者と攻撃している。

国共合作

1923年6月の中国共産党第三回全国代表大会においてコミンテルン代表マーリン指導で、国共合作が方針となった[9]。

コミンテルンの工作員ミハイル・ボロディンは、ソ連共産党の路線に沿うように中国国民党の再編成と強化を援助するため1923年に中国に入り、孫文の軍事顧問・国民党最高顧問となった。ボロディンの進言により1924年1月20日、中国共産党との第一次国共合作が成立。軍閥に対抗するための素地が形成された。黄埔軍官学校も設立され、赤軍にあたる国民革命軍の組織を開始する。1925年にはソビエト連邦により中国人革命家を育成する機関を求める孫文のためにモスクワ中山大学が設立された。

1924年10月、孫文は北上宣言を行い、全国の統一を図る国民会議の招集を訴えた。同11月には日本の神戸で有名な「大アジア主義講演」を行う。日本に対して「西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問い、欧米の帝国主義にたいし東洋の王道・平和の思想を説き、日中の友好を訴えた。

死後

孫文の晩年の写真(1924年)
孫文はガンに侵されており、1925年、有名な「革命尚未成功、同志仍須努力 (革命なお未だ成功せず、同志よって須く努力すべし)」との一節を遺言に記して(実際には汪兆銘が起草した文案を孫文が了承したもの)療養先の北京に客死し、南京に葬られた。その巨大な墓は中山陵と呼ばれる。

霊枢を北京より南京城外の中山陵に移すにあたり、31日国民政府中央党部で告別式を行い、国賓の礼を以て渡支した犬養毅が祭文を朗読[10]。 霊柩は犬養毅、頭山満の両名が先発して迎え、イタリア主席公使・蒋介石と共に廟後の墓の柩側に立った。

孫文没後の国民党は混迷し、孫文の片腕だった廖仲は暗殺され[11]、蒋介石と汪兆銘とは対立、最高顧問ボロディンは解雇されるなどした。以降、蒋介石が権力基盤を拡大する。

孫文の死後に上海で発生した五・三〇事件を背景にして、汪兆銘は広東国民政府を樹立。1926年7月には、約10万の国民革命軍が組織される[11]。総司令官には蒋介石が就任し、孫文の遺言でもあった北伐を開始した。

1927年、蒋介石の上海クーデターにより国共合作は崩壊。国民党は北伐を継続し、1928年6月9日には北京に入城し、北京政府を倒すことに成功した。

国民党では現在も、孫文は「党総理」であると党則第15章で定めている。

「中国国民党」および「蒋介石」も参照

思想

明治維新と孫文の革命観

保坂正康によれば、宮崎滔天や山田良政・山田純三郎らが孫文の革命運動を援助した理由のひとつは、明治維新または自由民権運動の理想が日本で実現できなかったことの代償であったという[12]。 しかし孫文自身も1919年に次のように発言している

そもそも中国国民党は50年前の日本の志士なのである。日本は東方の一弱国であったが、幸いにして維新の志士が生まれたことにより、はじめて発奮して東方の雄となり、弱国から強国に変じることができた。わが党の志士も、また日本の志士の後塵を拝し中国を改造せんとした[13]。

また1923年には、次のように発言している。

日本の維新は中国革命の原因であり、中国革命は日本の維新の結果であり、両者はもともと一つのつながって東亜の復興を達成する[14]

このように明治維新への共感にもとづき日中の連携を模索した孫文にとって、日本による対華二十一ヶ条要求は「維新の志士の抱負を忘れ」、中国への侵略政策を進展させることであった[15]。

革命三段階論

孫文は決して民主制を絶対視していたわけではなく、中国民衆の民度は当時まだ低いと評価していたため民主制は時期尚早であるとし、軍政、訓政、憲政の三段階論を唱えていた。また、その革命方略は辺境を重視する根拠地革命であり、宋教仁らの唱える長江流域革命論と対立した。また孫文はアメリカ式大統領制による連邦制国家を目指していたが、宋教仁は議院内閣制による統一政府を目指した。 このように、孫文は終始革命運動全体のリーダーとなっていたのではなく、新国家の方針をめぐって宋教仁らと争っていた。

民族主義

三民主義の一つに民族主義を掲げ、秦以来万里の長城の内側を国土とした漢民族の国を再建すると訴えていたが、満州族の清朝が倒れると、清朝の版図である満州やウイグルまで領土にしたくなり、民族主義の民族とは、漢とその周辺の五族の共和をいうと言い出した[16]。

「五族共和」を参照

しかし、この五族共和論は、すべての民族を中華民族に同化させ、融合させるという思想に変貌する[17]。1921年の講演「三民主義の具体的実施方法」では「満、蒙、回、蔵を我が漢族に同化させて一大民族主義国家となさねばならぬ」と訴え、1928年には熱河、チャハルのモンゴル族居住地域、青海、西康のチベット族居住地域をすべて省制へと移行させ、内地化を行う[18]。

遺言
“ 余の力を中国革命に費やすこと40年余、その目的は大アジア主義に基づく中国の自由と平等と平和を求むるにあった。40年余の革命活動の経験から、余にわかったことは、この革命を成功させるには、何よりもまず民衆を喚起し、また、世界中でわが民族を平等に遇してくれる諸民族と協力し、力を合わせて奮闘せねばならないということである。 そこには単に支配者の交代や権益の確保といったかつてのような功利主義的国内革命ではなく、これまでの支那史観、西洋史観、東洋史観、文明比較論などをもう一度見つめ直し、民衆相互の信頼をもとに西洋の覇道に対するアジアの王道の優越性を強く唱え続けることが肝要である。
しかしながら、なお現在、革命は、未だ成功していない──。わが同志は、余の著した『建国方略』『建国大綱』『三民主義』および第一次全国代表大会宣言によって、引き続き努力し、その目的の貫徹に向け、誠心誠意努めていかねばならない。

日本との関係
孫文は生前、日本人とも幅広い交遊関係を持っていた。犬養毅の仲介を経て知り合った宮崎滔天[19] や頭山満・内田良平らとは思想上も交遊し、資金援助を受けてもいた[20]。また、実業家では、松方幸次郎、安川敬一郎や株式相場師の 鈴木久五郎、梅屋庄吉[5][6]からも資金援助を受けている。日本滞在中に日本人女性と結婚して孫文に非常に良く似た容姿の娘をもうけたが、帰国後に母子に対して経済的な援助を一切行っていない。
ほかにも日本陸軍の佐々木到一が軍事顧問にもなっている。ほか、南方熊楠とも友人で、ロンドン亡命中に知り合って以降親交を深めた[21]。
また孫の自伝『建国方略』の文書中では、犬養毅・平山周・大石正巳・尾崎行雄・副島種臣・頭山満・平岡浩太郎・秋山定輔・中野徳次郎・鈴木久三郎・安川敬一郎・大塚信太郎・久原房之助・山田良政・宮崎寅蔵(滔天)・菊池良一・萱野長知・副島義一・寺尾亨の名前を列挙し、深く感謝の意を表している[22]

評価
孫文の肖像画の旧台湾ドル紙幣
孫文の評価は一定していないのが実情である。1970年代以前は被抑圧民族の立場から帝国主義に抵抗した中国革命のシンボルとして高く評価された。特に1924年(大正13年)の「大アジア主義講演」が日本の対アジア政策に警鐘を鳴らすものとして絶賛的に扱われていた。しかし、革命への熱気が冷めた1980年代以降は、孫文の独裁主義的な志向性、人民の政治能力を劣等視するような愚民観、漢族中心的(孫文自身、漢民族の一つ・客家人である)な民族主義といった点が問題視されるようになり、現在の権威主義的・非民主的な体制の起源として批判的に言及されることも多くなった。

孫文の評価を難しくしているのは、民族主義者でありながらまだ所有すらしていない国家財産を抵当にして外国からの借款に頼ろうとしたり国籍を変えたり、革命家でありながらしばしば軍閥政治家と手を結んだり、最後にはソ連のコミンテルンの支援を得るなど、目先の目標のために短絡的で主義主張に反する手法にでることが多いためである。

彼の思想である「三民主義」も、マルクス・レーニン主義、リベラル・デモクラシー、儒教に由来する多様な理念が同時に動員されており、思想と言えるような体系性や一貫性をもつものとは見なしづらい。もっとも、こうした場当たり的とも言える一貫性のなさは、孫文が臨機応変な対応ができる政治活動家であったという理由によって肯定的に評価されてもきた。

2013年に刊行された『蒋介石の密使 辻政信』(渡辺望 祥伝社新書)では、保守主義的見地から、蒋介石と並んで孫文が厳しく非難されている。本著によれば孫文の「親日」は、彼の「外国への病的依存体質」の一つとして日本がたまたま一時期選択されただけのことであって、孫文からすれば革命を援助してくれる国であればどこでもよかったとされる。晩年の「大アジア主義演説」にしても、実証性を著しく欠き、自分を支援してくれたソ連への媚びと、自分を支援してくれなかった日本への嫌味を連ねたものだったと本書では指摘されている。

孫文には中国の革命運動における具体的な実績はそれほどなく、中国国内よりも外国での活動のほうが長い。彼の名声は何らかの具体的な成果によるものと言うより、中国革命のシンボルとしての要素によるものと言える。

孫文の活動した時代を扱った中国史研究書でも、ほとんど言及がないものも少なくないが、これは史料の中に孫文の名前が登場しないという単純な理由による。

人物
春秋時代の孫子および三国時代の呉の孫権の末裔と伝わる[23]。
生前は、その主張を単なる冗談・大言壮語ととらえ、孫大砲(大砲とはほら吹きに対する揶揄的な表現)と呼ぶ者もいた。
非常に短気で激昂しやすい性格であったと伝わる。林語堂はその態度を批判して、古来の諺を引用して「水に落ちた犬は打つな(不打落水狗)」と諫言したが、孫文は耳を貸さず「水に落ちた犬は打て(打落水狗)」と過激な発言を行った。現在の日本や韓国では、むしろその孫文の過激発言のほうが有名な諺になっている。

親族
孫科 - 字は哲生、孫文の先妻の息子
孫治平・孫治強 - 孫文の孫、孫科の長男と次男
孫国雄・孫偉仁 - 孫文の曾孫と玄孫
宮川富美子 - 孫文と大月薫との子
宮川東一 - 孫文の孫

孫文が登場する作品
小説三好徹『革命浪人 滔天と孫文』中央公論社, 1979.11. のち文庫
陳舜臣『江は流れず-小説日清戦争』中央公論社、1981年(文庫、1984年)
浅田次郎『蒼穹の昴』講談社、1996年(文庫、2004年)
伴野朗『砂の密約 孫文外伝-革命いまだ成らず』実業之日本社, 1997.9 のち集英社文庫.
陳舜臣『山河在り』講談社、1999年(文庫、2002年)
陳舜臣『青山一髪』(上下巻)中央公論新社、2003年(改題『孫文』文庫、2006年)
平路 池上貞子訳『天の涯までも 小説・孫文と宋慶齢』風濤社, 2003.6.
浅田次郎『中原の虹』講談社、2006-07年(文庫、2010年)
映画孫文が主人公の映画孫文(1986年、中国、監督:丁蔭楠、孫文役:劉文治)
孫文(1986年、台湾・香港、監督:丁善璽、孫文役:ラム・ワイサン)
孫文 -100年先を見た男-(2006年、中国、監督:デレク・チウ、孫文役:ウィンストン・チャオ)
孫文が登場する映画ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱(1993年、香港、監督:ツイ・ハーク、孫文役:ジャン・ティエリン)
宋家の三姉妹(1997年、香港、監督:メイベル・チャン、孫文役:ウィンストン・チャオ)
孫文の義士団(2009年、香港・中国、監督テディ・チャン、孫文役:チャン・ハンユー)
1911(2011年、中国・香港、総監督:ジャッキー・チェン、監督:チャン・リー、孫文役:ウィンストン・チャオ)
漫画一輝まんだら(手塚治虫)
同人誌鉄拳無敵孫中山

関連記念館・建築[編集]
移情閣 - 神戸市垂水区にある孫文ゆかりの建物
孫中山紀念館
国父記念館 - 中華民国台北市にある孫文の記念館

脚注
1.^ 拳骨拓史『「反日思想」歴史の真実』
2.^ “孫文:米国籍取得…米政府の資料で判明、安全のため”. 毎日新聞. (2011年6月7日) 2011年11月5日閲覧。
3.^ a b c d e f g h 天児 2004, p.58
4.^ 『孫文選集(第三巻)』社会思想社、1989、 ISBN 4390602802
5.^ a b 2007年2月25日NHK BS1 『世界から見たニッポン〜大正編』
6.^ a b 『梅屋庄吉と孫文 盟約ニテ成セル』 読売新聞西部本社編、海鳥社、2002年10月。ISBN 4-87415-405-0。
7.^ 天児 2004, p.61
8.^ a b c 天児 2004, p.63
9.^ a b 天児 2004, p.64
10.^ 辛亥革命百年(25)犬養木堂と孫文の友情
11.^ a b 天児 2004, p.65
12.^ 保坂正康 『孫文の辛亥革命を助けた日本人』 筑摩書房〈ちくま文庫〉、2009年8月。ISBN 978-4-480-42634-5。
13.^ 「中国の青島回収につき朝日新聞記者に回答せる書簡」1919年,『孫文選集』第三巻所収
14.^ 「犬養毅への書簡」1923年,『孫文選集』第三巻所収
15.^ 清水美和 『中国はなぜ「反日」になったか』 文藝春秋、2003年5月、pp. 62 f。ISBN 4-16-660319-1。
16.^ 高山正之 『サダム・フセインは偉かった 変見自在』 新潮社、2007年10月。ISBN 978-4-10-305871-7。
17.^ 加々美光行『中国の民族問題―危機の本質』岩波現代文庫、岩波書店、2008年。51頁
18.^ 加々美光行「中国の民族問題」51-52頁
19.^ 宮崎滔天 『三十三年の夢』 島田虔次・近藤秀樹校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1993年5月17日。ISBN 4-00-331221-X。
20.^ 頭山統一 『筑前玄洋社』 葦書房、1977年9月。ISBN 978-4-7512-0035-3。
21.^ 日本孫文研究会『孫文と南方熊楠』『孫文と華僑』『孫文とアジア―1990年8月国際学術討論会報告集』汲古書院
22.^ 孫文 「志あらばついに成る」『孫文全集 第2巻 建国方略』 外務省調査部訳編、第一公論社、1939年。
23.^ 清代の『四庫全書』および、浙江省杭州の富陽市南部に現在は観光地の龍門古鎮という村があり、9割の人の姓が孫武を祖とする富春孫氏の子孫と自称している。村の族譜によると、孫文もその系統に属するという。しかし孫文は客家出身のために、疑わしい部分も多く真偽の程は不明である。

著作[編集]
孫中山 『国父全集』 秦孝儀主編、台北近代中国出版社、1989年11月。
孫中山 『孫中山集外集』 陳旭麓・郝盛潮主編、上海人民出版社、1990年7月。
孫文 『孫文革命文集』 深町英夫編訳、岩波書店〈岩波文庫青230-3〉、2011年9月16日。ISBN 978-4-00-332303-8。
孫文全集 外務省調査部訳編. 第一公論社, 1939-40. のち原書房 
孫文選集 全3巻 社会思想社, 1985-89

参考文献[編集]
天児慧 『巨龍の胎動 毛沢東vs小平』 礪波護ほか編、講談社〈中国の歴史 = A history of China 11〉、2004年11月。ISBN 4-06-274061-3。
『辛亥革命の多元構造 辛亥革命90周年国際学術討論会(神戸)』 孫文研究会編、汲古書院、2003年12月。ISBN 4-7629-2690-6。
陳徳仁、安井三吉 『孫文と神戸』 神戸新聞出版センター〈シリーズ兵庫の歴史 3〉、1985年10月。ISBN 4-87521-052-3。
藤村久雄 『革命家 孫文 革命いまだ成らず』 中央公論社〈中公新書〉、1994年4月。ISBN 4-12-101184-8。
横山宏章 『孫文と袁世凱 中華統合の夢』 岩波書店〈現代アジアの肖像 1〉、1996年1月8日。ISBN 4-00-004396-X。
孫文主義の哲学的基礎 戴季陶 中山志郎 訳. 生活社, 1939.
孫文主義国家論 林桂圃 中山志郎訳 生活社, 1940.
孫文の生涯と国民革命 河野密 日本放送出版協会, 1940 ラジオ新書
孫文 高橋勇治 日本評論社, 1943. 東洋思想叢書
孫文の経済思想 出口勇蔵. 高桐書院, 1946.
孫文 小野則秋. 大雅堂, 1948.
孫文伝 鈴江言一. 岩波書店, 1950.
孫文 中国革新の父 小田岳夫 偕成社, 1953. 偉人物語文庫
革命前夜 孫文をめぐる人々 長崎武, 萱野長雄共著. 松沢書店, 1958.
孫文 革命いまだ成らず 野沢豊 誠文堂新光社, 1962. 歴史の人間像
孫文と中国革命 野沢豊 1966. 岩波新書
孫文の研究 とくに民族主義理論の発展を中心として 藤井昇三 勁草書房, 1966.
茫々の記 宮崎滔天と孫文 立野信之 東都書房, 1966.
現代中国と孫文思想 安藤彦太郎,岩村三千夫,野沢豊編. 講談社, 1967.
孫文と日本 貝塚茂樹 1967. 講談社現代新書
孫文 横山英,中山義弘 清水書院, 1968. センチュリーブックス. 人と思想
孫文 中国の国父 R.チフビンスキー 高山洋吉訳. 刀江書院, 1972.
孫文 救国の情熱と中国革命 堀川哲男 清水書院, 1973. センチュリーブックス. 人と歴史シリーズ 「孫文と中国の革命運動」清水新書
孫文思想 王昇 松田憲澄 編訳. 世界情勢研究会, 1978.11.
君ヨ革命ノ兵ヲ挙ゲヨ 日中友好秘録 革命の父・孫文に生涯した一日本人 車田譲治 六興出版, 1979.4.
革命いまだ成功せず 孫文伝 安藤彦太郎 国土社, 1981.9. 世界を動かした人びと
人類の知的遺産 63.孫文 堀川哲男 講談社, 1983.9.
孫文と中国革命 孫文とその革命運動の史的研究 池田誠 法律文化社, 1983.11.
孫文の革命運動と日本 兪辛焞 六興出版, 1989.4. 東アジアのなかの日本歴史
移情閣遺聞 孫文と呉錦堂 中村哲夫 阿吽社, 1990.3.
醇なる日本人 孫文革命と山田良政・純三郎 結束博治 プレジデント社, 1992.9.
仁あり義あり、心は天下にあり 孫文の辛亥革命を助けた日本人 保阪正康 朝日ソノラマ, 1992.2. のちちくま学芸文庫
孫文の経済学説試論 中村哲夫. 法律文化社, 1999.10.
孫文 百年先を見た男 田所竹彦 築地書館, 2000.3. のち新人物文庫 
孫文を守ったユダヤ人 モーリス・コーエンの生涯 ダニエル・S.レヴィ 吉村弘訳. 芙蓉書房出版, 2001.4.
孫文 その指導者の資質 舛添要一 2011.10. 角川oneテーマ21
蒋介石の密使 辻政信 渡辺望 祥伝社新書 2013.11

関連項目

中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
孫文

英語版ウィキソースに孫文著の原文があります。

ウィキメディア・コモンズには、孫文に関連するメディアがあります。
中国国民党
蒋介石
黄興
ジェームス・カントリー - 孫文の恩師の医学博士
辛亥革命
中国同盟会
宮崎滔天
北一輝
章炳麟
田尻市喜
中華民国憲法
中華民国の政治
中華民国の歴史
平岡浩太郎
北京飯店
山田純三郎
山田良政

外部リンク[編集]
孫文記念館(日本)
国立国父紀念館(台湾)
孫中山故居記念館(広東省)
横濱中華學院(孫文創設校)
福田惠子「孫文の人物像と日本人ネットワークの検討 : 康有為と比較して」、『国際開発学研究』第5巻第2号、勁草書房、2006年3月、 pp. 49-62、 NAID 110004812535。
竹之内安巳「孫文革命の展開と何香凝―1―〔何香凝「我的回憶」(人民日報掲載)の要訳・注解〕」、『鹿児島経大論集』第9巻3・4、鹿児島経済大学経済学部学会、1969年2月、 pp. 45-68、 ISSN 0288-0741、 NAID 110004671289。 - 孫文の盟友廖仲の妻であり革命運動を支えた何香凝による「我的回憶」の要約。
竹之内安巳「孫文革命の展開と何香凝―2―」、『鹿児島経大論集』第10巻第1号、鹿児島経済大学経済学部学会、1969年7月、 pp. 19-45、 ISSN 0288-0741、 NAID 110004671296。
竹之内安巳「孫文革命の展開と何香凝―3―」、『鹿児島経大論集』第10巻第2号、鹿児島経済大学経済学部学会、1969年10月、 pp. 149-176、 ISSN 0288-0741、 NAID 110004671305。
孫文の北京における死とその政治効果 - 家近亮子、敬愛大学国際研究第2号、1998年

 中華民国の旗 中華民国(南京臨時政府)
先代:(創設) 中華民国臨時大総統初代:1912年1月 - 4月 次代:袁世凱

 中華民国軍政府
先代:(創設) 大元帥1917年9月 - 1918年7月 次代:岑春煊(主席総裁)

先代:岑春煊(主席総裁) 非常大総統1921年5月 - 1922年6月 次代:(大元帥に改組)

 広東大元帥府
先代:(非常大総統から改組) 大元帥1923年1月 - 1925年3月 次代:胡漢民

 中国国民党
先代:(中華革命党から改組) 総理1919年10月 - 1925年3月 次代:張人傑

典拠管理

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カテゴリ: 孫文
中華民国の人物 そ
中華民国大総統
中国の医師
革命家
大元帥
中国国民党の政治家
中国同盟会の人物
中華革命党の人物
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中国系アメリカ人
中国の紙幣の人物
第一次世界大戦期の政治家
中山出身の人物
客家人
1866年生
1925年没
在日中国人

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日本の政党一覧(にほんのせいとういちらん)では、現在活動している日本の政党と現在活動していない日本の政党の一覧を示す。
目次
1 現在活動している政党 1.1 国会に議席を有する政党
1.2 地方議会に議席を有する政党
1.3 国会に議席を有したことのある政党
1.4 国政選挙に候補を擁立したことのある政党
2 現在活動していない政党 2.1 自由民主党に合流、あるいはそこから分裂
2.2 日本社会党に合流、あるいはそこから分裂
2.3 日本共産党に合流、あるいはそこから分裂
2.4 新進党に合流、あるいはそこから分裂
2.5 公明党に合流、あるいはそこから分裂
2.6 民主党(1998-)に合流、あるいはそこから分裂
2.7 日本維新の会に合流、あるいはそこから分裂
2.8 日本未来の党に合流、あるいはそこから分裂
2.9 その他、国会に議席を有したことのある政党
2.10 その他、国会に議席を有したことのない政党
3 第二次世界大戦前に創設された政党
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
現在活動している政党
国会に議席を有する政党政党名衆議院参議院計
自由民主党(1955-) 0(295) 115 115(410)
民主党(1998-) 0(58) 59 59(117)
公明党(1964-1994,1998-) 0(31) 20 20(51)
みんなの党(2009-) 0(6) 12 12(18)
維新の党(2014-) 0(42) 11 11(53)
日本共産党(1922-1924,1926-) 0(8) 11 11(19)
次世代の党(2014-) 0(19) 5 5(24)
社会民主党(1996-) 0(2) 3 3(5)
生活の党(2012-) 0(7) 2 2(9)
新党改革(2008-) 0(0) 1 1(1)
沖縄社会大衆党(1950-) ※ 0(0) 1 1(1)
新党ひとりひとり(2014-) ※ 0(0) 1 1(1)
太陽の党(2014-) 0(1) 0 0(1)
新党大地(2011-) ※ 0(1) 0 0(1)
(無所属) 0(10) 1 1(11)
(欠員) 480(0) 0 480(0)
2014年11月26日時点
院内会派の人数とは一致しない
衆議院解散中であるため、、衆議院議員はゼロ人である。カッコ内は、前職議員の所属政党別勢力。
※印は政党助成法上の政党要件を満たしていない政治団体
無所属議員は以下の通り 衆議院:阿部寿一、阿部知子、亀井静香、小泉龍司、
長崎幸太郎、中村喜四郎、西岡新、野間健、林原由佳、山口壮
参議院:平野達男

地方議会に議席を有する政党
国会に議席を有したことのある政党のみ。その他の地域政党については日本の地域政党を参照。
新社会党(1996-)
新党大地(2005-)
政党そうぞう(2005-)
幸福実現党(2009-)
減税日本(2010-)

国会に議席を有したことのある政党

以下の党派については総務省「その他の政治団体」名簿も参照[1]。
立憲養正會(1923-1942,1946-)
第二院クラブ(1983-)
新党日本(2005-)
日本未来の党(2012-)

国政選挙に候補を擁立したことのある政党[編集]
大日本愛国党(1951-)
革命的共産主義者同盟全国委員会(1959-[2])
日本労働党(1974-)
緑の党 (三橋派)(1981-)
「開星論」のUFO党(旧:UFO党、日本UFO党、1982-)
女性党(現:なかよしの党、旧:新しい時代をつくる党、1993-2011,2013-)
維新政党・新風(1995-)
世界経済共同体党(1997-)
新党・自由と希望(現:リベラル政治研究会、2001-)
財政再建党(旧:グリーン・共生党、2004-)
新党フリーウェイクラブ(2006-)
スマイル党(旧:日本スマイル党、2007-)
安楽死党(旧:新党本質、2009-)
あきつ新党(2010-)
二十一世紀日本維新会(2011-)
アイヌ民族党(2012-)
当たり前党(2012-)
緑の党グリーンズジャパン(2012-)
打出党(2013-)
埼玉の未来を創る会(2013-)
みたまやま政策研究会(2013-)

現在活動していない政党

自由民主党に合流、あるいはそこから分裂
日本自由党(1945-1948) → 民主自由党(1948-1950) → 自由党(1950-1955) → (自由民主党の結成に参加)
日本進歩党(1945-1947) → 民主党(1947-1950) → 国民民主党(1950-1952) → 改進党(1952-1954) → 日本民主党(1954-1955) → (自由民主党の結成に参加)
日本協同党(1945-1946) → 協同民主党(1946-1947) → 国民協同党(1947-1950) → (国民民主党(1950-1952)の結成に参加)
国民党(1946-1947) → (国民協同党(1947-1950)の結成に参加)
日本農民党(1947-1949) → (農民協同党(1949-1952)の結成に参加)
(日本農民党より分裂) → 農民新党(1948-1949)→ 農民協同党(1949-1952) → (改進党(1952-1954)の結成に参加)、(協同党(1952)の結成に参加)
(日本自由党より分裂) → 新自由党(1948-1949) → (民主自由党に合流)
新政クラブ(1951-1952) → (改進党(1952-1954)の結成に参加)
日本再建連盟(1952-1953) → (自由党(1950-1955)に合流)
(自由党(1950-1955)より分裂) → 分党派自由党(1953) → (自由党(1950-1955)に合流)、日本自由党(1953-1954) → (日本民主党(1954-1955)の結成に参加)
(自由民主党より分裂)→ 革新自由民主党(1958) → (自然消滅)
(自由民主党より分裂)→ 新自由クラブ(1976-1986) → (自由民主党に合流)、進歩党(1987-1993)
税金党(1983-1990)→ (自由民主党に合流)
(自由民主党より分裂) → 新党さきがけ(1993-1998) → さきがけ(1998-2002) →
(民主党(1996-1998)の結成に参加)、みどりの会議(2002-2004) → みどりのテーブル(2004-2008) → (みどりの未来の結成に参加)
(自由民主党より分裂) → 新生党(1993-1994) → (新進党の結成に参加)
(自由民主党より分裂) → 自由党(1994) → (新進党の結成に参加)
(自由民主党より分裂) → 新党みらい(1994) → (新進党の結成に参加)
(自由民主党より分裂) → 高志会(1994) → (新進党の結成に参加)
(自由党より分裂) →保守党(2000-2002) → 保守新党(2002-2003) → (自由民主党に合流)
(自由民主党より分裂) → たちあがれ日本 (2010-2012) → 太陽の党(2012) → (日本維新の会に合流)
(自由民主党より分裂) → 国民新党(2005-2013)

日本社会党に合流、あるいはそこから分裂
日本社会党(1945-1996)
(日本社会党より分裂) → 社会革新党(1948-1951) → 社会民主党(1951-1952) → 協同党(1952) → (右派・日本社会党に合流)
(日本社会党より分裂) → 労働者農民党(1948-1957) → (日本社会党に合流)
(日本社会党より分裂) → 民主社会党(1960-1969) → 民社党(1969-1994) → (新進党の結成に参加)
(日本社会党より分裂) → 社会市民連合(1977-1978) → 社会民主連合(1978-1994) → (日本新党に合流)
(日本社会党より分裂) → 社会クラブ(1977-1978) → (社会民主連合の結成に参加)
(日本社会党より分裂) → 板橋民主党(1993) →(新党さきがけに合流)
(日本社会党より分裂) → 新党護憲リベラル(1994-1995) → 平和・市民(1995)、憲法みどり農の連帯(1995)
(日本社会党より分裂) → 市民リーグ(1995-1996) → (民主党(1996-1998)の結成に参加)

日本共産党に合流、あるいはそこから分裂[編集]
(日本共産党より分裂) → 日本共産党(日本のこえ)(1964-?)
沖縄人民党(1947-1973) → (日本共産党に合流)

新進党に合流、あるいはそこから分裂[編集]
民社党(1960-1994) → (新進党の結成に参加)
日本新党(1992-1994) → (新進党の結成に参加、市民リーグの結成に参加)
新生党(1993-1994) → (新進党に合流)
自由党(1994) → (新進党に合流)
新党みらい(1994) → (新進党に合流)
高志会(1994) → (新進党に合流)
公明新党(1994) → (新進党に合流)
新進党(1994-1997)
(新進党より分裂) → 太陽党(1996-1998) → (民政党の結成に参加)
(新進党より分裂) → フロム・ファイブ(1997-1998) → (民政党の結成に参加)
(新進党より分党) → 国民の声(1998) → (民政党の結成に参加)
(新進党より分党) → 新党友愛(1998) → (民主党(1998-)の結成に参加)
(新進党より分党) → 自由党(1998-2003) → (民主党(1998-)に合流)、保守党(2000-2002)
(新進党より分党) → 改革クラブ(1998-2002)
(新進党より分党) → 新党平和(1998) → (公明党の再結成に参加)
(新進党より分党) → 黎明クラブ(1998) → (公明(1994-1998)に合流)

公明党に合流、あるいはそこから分裂[編集]
公明党(1964-1994) → (公明新党(1994)、公明(1994-1998)に分党)
(公明党(1964-1994)より分党)→ 公明新党(1994) → (新進党に合流)
(公明党(1964-1994)より分党)→ 公明(1994-1998) → (公明党結成)
(新進党より分党)→ 新党平和(1998) → (公明党結成)
(新進党より分党)→ 黎明クラブ(1998) → (公明(1994-1998)に合流)

民主党(1998-)に合流、あるいはそこから分裂
民主党(1996-1998) → (民主党の結成に参加)
連合の会(1989-1993) → 民主改革連合(1993-1998) → (民主党の結成に参加)
民政党(1998) → (民主党の結成に参加)
新党友愛(1998) → (民主党の結成に参加)
新党さきがけ(1993-1998) → さきがけ(1998-2002) → (民主党に合流)
(民主党より分裂)→ 尊命(2001-2003)
自由党(1998-2003) → (民主党に合流)
(民主党より分裂)→ 改革クラブ(2008-2010) → (新党改革に改名)
(民主党より分裂)→ 新党きづな(2011-2012) → (国民の生活が第一に合流)
(民主党より分裂)→ 国民の生活が第一(2012) → (日本未来の党に合流)
(民主党より分裂)→ みどりの風(2012-2013)

日本維新の会に合流、あるいはそこから分裂
日本創新党(2010-2012) → (日本維新の会に合流)
たちあがれ日本 (2010-2012) → 太陽の党(2012) → (日本維新の会に合流)
日本維新の会(2012-2014) → (次世代の党、日本維新の会(2014)に分党)
日本維新の会(2014) → (維新の党に改名)
(みんなの党より分裂)→ 結いの党(2013-2014) → (維新の党に合流)

日本未来の党に合流、あるいはそこから分裂[編集]
新党きづな(2011-2012) → (国民の生活が第一に合流)
国民の生活が第一(2012) → (日本未来の党に合流)
反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)
→ (減税日本・反TPP・脱原発を実現する党の結成に参加)
減税日本(2010-2012) → (減税日本・反TPP・脱原発を実現する党の結成に参加)
減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012) → (日本未来の党に合流)
日本未来の党(2012)→ (生活の党に改名)
(日本未来の党より分裂)→ 日本未来の党 (政治団体)(2012-2013)→ (みどりの風に合流)

その他、国会に議席を有したことのある政党
日本人民党(1946-1984)
緑風会(1947-1960) → 参議院同志会(1960-1962)
→ (第二院クラブに参加、1962-1964) → 緑風会(1964-1965)
新自由党(1948-1952)
革新自由連合(1977-1986)
サラリーマン新党(1983-2011?)
福祉党(1983-1989?)
税金党(1983-1990)
進歩党(1987-1993)
スポーツ平和党(1989-2007?)
自由連合(1990-2010)
無所属の会(1998-2004)

その他、国会に議席を有したことのない政党[編集]
日本国民政治連合(1945?-?)
日本女性党(1977)
社会主義労働者党(1984-2002)
雑民党(1983?-1995?)
教育党(1983-1998)
議員を半減させる会(旧:国会議員を半分に減らす会、1989-2007)
人間党(1989)
真理党(1989-1990)
日本愛酢党(1992)
進歩自由連合(1992-1993)
共生新党(2007)
9条ネット(2007)
日本森海党(旧:森海党、2009-2011?)
平和党核兵器廃絶平和運動(2009?-2011?)

第二次世界大戦前に創設された政党
自由党(1881-1884) → 大同倶楽部(1889-1890) / 自由党(1890) / 愛国公党(1890)
→ 立憲自由党(1890-1891) → 自由党(1891-1898) → 憲政党(1898-1900) → 立憲政友会(1900-1940)
立憲改進党(1882-1896) → 進歩党(1896-1898) → 憲政本党(1898-1910) → 立憲国民党(1910-1922) → 革新倶楽部(1922-1925)
立憲帝政党(1882-1883)
社会民主党(1901) → 社会平民党(1901)
立憲同志会(1913-1916) → 憲政会(1916-1927) → 立憲民政党(1927-1940)
政友本党(1924-1927)
農民労働党(1925) → 労働農民党(1926-1928) → 日本労農党(1926-1928) → 日本大衆党(1928-1930)
→ 全国大衆党(1930-1931) → 全国労農大衆党(1931-1932) → 社会大衆党(1932-1940)
社会民衆党(1926-1932)
日本農民党(1926-1928)→日本大衆党
労働者農民党(1928-1929) → 労農党(1929-1931)
国民同盟(1932-1940)
日本国家社会党(1932-1934)
東方会(1936-1940)
日本無産党(1937)
勤労国民党(1940)
大政翼賛会 (1940-1945)

脚注
1.^ 総務省 政治団体名簿「その他の政治団体 平成23年」(PDF)
2.^ 公認擁立は1962年の革マル派分裂以前。
政治団体としての届出を行っていないため、公的には任意団体扱い

関連項目
日本の政治団体一覧
ミニ政党一覧
日本の政治
執行部

外部リンク
戦後の政党・院内会派の推移

日本の旗 日本の政党

日本の旗 日本関連の主要項目

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戦前日本の政党

始皇帝 - W(保存)【中半】

始皇帝 - W(保存)【前半】  始皇帝 - W(保存)【後半補足】 
暗殺未遂
始皇帝は秦王政の時代に荊軻の暗殺計画から辛くも逃れたが、皇帝となった後にも少なくとも3度生命の危機にさらされた[102]。

高漸離の暗殺未遂
詳細は「高漸離」を参照

荊軻と非常に親しい間柄だった高漸離は筑の名手であった。燕の滅亡後に身を隠していたが筑の演奏が知られ、始皇帝にまで聞こえ召し出された。ところが荊軻との関係が露呈してしまった。この時は腕前が惜しまれ、眼をつぶされることで処刑を免れた。こうして始皇帝の前で演奏するようになったが、復讐を志していた[103]。高漸離は筑に鉛塊を仕込み、それを振りかざして始皇帝を撃ち殺そうとした。しかしそれは空振りに終わり、高漸離は処刑された[102][104]。この後、始皇帝は滅ぼした国に仕えた人間を近づけないようにした[102]。

張良の暗殺未遂
詳細は「張良」を参照

第2回巡遊で一行が陽武近郊の博浪沙という場所を通っていた時、突然120斤(約30kg[70])の鉄錐が飛来した。これは別の車を砕き、始皇帝は無傷だった[99]。この事件は、滅んだ韓の貴族だった張良が首謀し、怪力の勇士を雇い投げつけたものだった[99]。この事件の後、大規模な捜査が行われたが張良と勇士は逃げ延びた[33][102][105]。

咸陽での襲撃
始皇31年(前216年)、始皇帝が4人の武人だけを連れたお忍びの夜間外出を行った際、蘭池という場所で賊が一行を襲撃した。この時には取り押さえに成功し、事なきを得た。さらに20日間にわたり捜査が行われた[102][106]。

「真人」の希求

天下を統一し封禅の祭祀を行った始皇帝は、すでに自らを過去に存在しなかった人間だと考え始めていた。第1回巡遊の際に建立された琅邪台刻石には「古代の五帝三王の領地は千里四方の小地域に止まり、統治も未熟で鬼神の威を借りねば治まらなかった」と書かれている[107]。このように五帝や三王(夏の禹王、殷の湯王、周の文王または武王)を評し、遥かに広大な国土を法治主義で見事に治める始皇帝が彼らをはるかに凌駕すると述べている[88]。過去誰も達しなかった頂点を極めた始皇帝は、不可能なことなどないという考えに取り付かれ、ますます神仙への傾倒を深めた[92]。逐電した徐市[96]に代わって始皇帝に取り入ったのは燕出身の方士たちであり、特に廬生は様々な影響を与えた[108]。

『録図書』と胡の討伐

廬生は徐市と同様に不老不死を餌に始皇帝に近づき、秘薬を持つ仙人の探査を命じられた。仙人こそ連れて来なかったが、『録図書』という予言書を献上した。その中にある「秦を滅ぼす者は胡」[109]という文言を信じ、始皇帝は周辺民族の征伐に乗り出した[108]。

万里の長城を整備したことからも、秦王朝にとって外敵といえば、まず匈奴が挙げられた。始皇帝は北方に駐留する蒙恬に30万の兵を与えて討伐を命じた。軍がオルドス地方を占拠すると、犯罪者をそこに移し、44の県を新設した。さらに現在の包頭市にまで通じる軍事道路「直道」を整備した[108]。

一方で南には嶺南へ圧迫を加え、そこへ逃亡農民や債務奴隷・商人らを中心に編成された軍団を派遣し[108]、現在の広東省やベトナムの一部も領土に加えた[45]。ここにも新たに3つの郡が置かれ、犯罪者50万人を移住させた[108]。

焚書

胡の討伐が成功裏に終わり開かれた祝賀の席が、焚書の引き金になった。臣下や博士らが祝辞を述べる中、博士の一人であった淳于越が意見を述べた。その内容は、古代を手本に郡県制を改め封建制に戻すべしというものだった[110]。始皇帝はこれを李斯の諮問にかけたが、元よりも郡県制を推進した李斯が意見に利を認めるはずがなかった[111]。そして、始皇帝自身も旧習を否定する思想に染まっていた。信奉した『韓非子』「五蠹」には「優れた王は不変の手法ではなく時々に対応する。古代の例にただ倣うことは、切り株の番をするようなものだ」と論じられている[112]。こういった統治者が生きる時代背景に応じた政治を重視する考えを「後王思想」と言い、特に儒家の主張にある先王を模範とすべしという考えと対立するものだった[111]。始皇帝自身がこの思想に染まり、自らの治世を正しいものと考えていたことは、巡遊中の各刻石の文言からも読み取れる[113]。

すでに郡県制が施行されてから8年が経過した中、淳于越がこのような意見を述べ、さらに審議された背景には、体制の問題点が意識されていたか、または先王尊重の思想を持つ集団が依然として発言力を持っていた可能性が指摘される[113]。しかし始皇帝の決定はきわめて反動的なものであった。『韓非子』「姦劫弒臣」には「愚かな学者らは古い本を持ち出してはわめき合うだけで、目前の政治の邪魔をする」とある[114]。始皇34年(前213年)、李斯はこのような妄言の根拠となる「古い本」すなわち占星学・農学・医学・占術・秦の歴史を除く全ての書物を焼き捨てる建策を行い、認められた[115]。特に『詩経』と『書経』の所有は、始皇帝の蔵書を除き[注 3]厳しく罰せられた[111]。この焚書は、旧書体を廃止し篆書体へ統一する政策の促進にも役立った[57]。

坑儒

始皇帝は「後王思想」で言う批判を許さない君主の絶対的基準となった。ここにまたも方士らが取り入り、廬生は「真人」を説いた。真人とは『荘子』「内篇・大宗師」で言う水で濡れず火に焼かれない人物とも[116]、「内篇・斉物論」で神と言い切られた存在[117]を元にする超人を指した[100]。廬生は、身を隠していれば真人が訪れ、不老不死の薬を譲り受ければ真人になれると話した。始皇帝はこれを信じ、一人称を「朕」から「真人」に変え、宮殿では複道を通るなど身を隠すようになった。ある時には居場所を李斯に告げられたと疑い、周囲にいた宦者らすべてを処刑したこともあった[100]。

しかし「阿諛茍合」の類である真人の来訪など決してなく、やがて粛清を恐れた廬生は方士仲間の侯生とともに始皇帝の悪口を吐いて逃亡した。これを知り激怒した始皇帝は学者を疑い尋問にかけた。彼らは言い逃れに他者の誹謗を繰り返し、ついには約460人が拘束されるに至った。始皇35年(前212年)、始皇帝は彼らを生き埋めに処し[118]、これがいわゆる坑儒であり、前掲の焚書と合わせて焚書坑儒と呼ばれる[100]。『史記』には、学者らを「諸生」[110]と表記しており、さまざまな学派の人間が対象になったと考えられるが、この行為を唯一諌めた長子の扶蘇[119]の言「諸生皆誦法孔子」[110]から、儒家の比率が高かったものと考えられる[120]。

讒言を不快に思った始皇帝は扶蘇に、北方を守る蒙恬を監察する役を命じ、上郡に向かわせた[100]。『史記』は、始皇帝が怒った上の懲罰的処分と記しているが[110]、陳舜臣は別の考えを述べている。30万の兵を抱える蒙恬が匈奴と手を組み反乱を起こせば、統一後は軍事力を衰えさせていた秦王朝にとって大きな脅威となる。蒙恬を監視し抑える役目は非常に重要なもので、始皇帝は扶蘇を見込んでこの大役を任じたのではないかという。いずれにしろこの処置は秦にとって不幸なものとなった[70]。

坑儒について、別な角度から見た主張もある。これは、お抱えの学者たちに不老不死を目指した錬金術研究に集中させる目的があったという。処刑された学者の中には、これら超自然的な研究に携わった者も含まれる。坑儒は、もし学者が不死の解明に到達していれば処刑されても生き返ることができるという究極の試験であった可能性を示唆する[57]。

祖龍の死

不吉な暗示

『史記』によると、始皇36年(前211年)に東郡(河南・河北・山東の境界に当たる地域)に落下した隕石に、何者かが「始皇帝死而地分」(始皇帝が亡くなり天下が分断される)という文字を刻みつける事件が起きた[121]。周辺住民は厳しく取り調べられたが犯人は判らず、全員が殺された[122]上、隕石は焼き砕かれた[20]。空から降る隕石に文字を刻むことは、それが天の意志であると主張した行為であり、渦巻く民意を代弁していた[102]。鉄隕石にはニッケル・鉄比の異なるカマサイトとテーナイトの二相からなる視覚的に特徴ある組織が観察され、それが解釈の仕様によっては漢字のように見える場合がある。従って、当時落下した鉄隕石が後に伝説となった可能性がある。

また同年秋、ある使者が平舒道という所で出くわした人物から「今年祖龍死」という言葉を聞いた。その人物から滈池君へ返して欲しいと玉壁を受け取った使者は、不思議な出来事を報告した。次第を聞いた始皇帝は、祖龍とは人の先祖のこと、それに山鬼の類に長い先のことなど見通せまいとつぶやいた。しかし玉壁は、第1回巡遊の際に神に捧げるため長江に沈めたものだった。始皇帝は占いにかけ、「游徙吉」との告げを得た。そこで「徙」を果たすため3万戸の人員を北方に移住させ、「游」として始皇37年(前210年)に4度目の巡遊に出発した[102][122]。

最後の巡遊

末子の胡亥と左丞相の李斯を伴った第4回巡遊[123]は東南へ向かった。これは、方士が東南方向から天子の気が立ち込めているとの言を受け、これを封じるために選ばれた。500年後に金陵(南京)にて天子が現れると聞くと、始皇帝は山を削り丘を切って防ごうとした[124]。また、海神と闘う夢を見たため弩を携えて海に臨み、芝罘で大魚を仕留めた[124][125]。

ところが、平原津で始皇帝は病気となった。症状は段々と深刻になり、ついに蒙恬の監察役として北方にとどまっている正統な後継者である[126]長子の扶蘇に「咸陽に戻って葬儀を主催せよ」との遺詔を作成し、信頼を置く宦官の趙高[127]に託した。7月、始皇帝は沙丘の平台(現在の河北省平郷[128])で亡くなった[2][124]。伝説によると、彼は宮殿の学者や医師らが処方した不死の効果を期待する水銀入りの薬を服用していたという[76]。

その後

隠された死

始皇帝の死が天下騒乱の引き金になることを李斯は恐れ[47]、秘したまま一行は咸陽へ向かった[47][129][130]。崩御を知る者は胡亥、李斯、趙高ら数名だけだった[2][124]。死臭をごまかすため大量の魚を積んだ車が伴走し[2][47]、始皇帝がさも生きているような振る舞いを続けた[47]帰路において、趙高は胡亥や李斯に甘言を弄し、謀略に引き込んだ。扶蘇に宛てた遺詔は握りつぶされ、蒙恬ともども死を賜る詔が偽造され送られた[126][127][131]。この書を受けた扶蘇は自殺し、疑問を持った蒙恬は獄につながれた[131]。

二世皇帝

始皇帝の死から2か月後、咸陽に戻った20才の胡亥が即位し二世皇帝となり(紀元前210年)[47]、始皇帝の遺体は驪山の陵に葬られた。そして趙高が権勢をつかんだ[132]。蒙恬や蒙毅をはじめ、気骨ある人物はことごとく排除され、陳勝・呉広の乱を皮切りに各地で始まった反秦の反乱さえ趙高は自らへの権力集中に使った[132]。そして李斯さえ陥れて処刑させた[133]。

しかし反乱に何ら手を打てず、二世皇帝3年(前207年)には反秦の反乱の一つの勢力である劉邦率いる軍に武関を破られた。ここに至り、二世皇帝は言い逃ればかりの趙高を叱責したが、逆に兵を仕向けられ自殺に追い込まれた[134]。趙高は二世皇帝の兄とも兄の子とも伝わる子嬰を次代に擁立しようとしたが、彼によって刺し殺された。翌年、子嬰は皇帝ではなく秦王に即位したが、わずか46日後に劉邦に降伏し、項羽に殺害された[134]。予言書『録図書』にあった秦を滅ぼす者「胡」とは、辺境の異民族ではなく胡亥のことを指していた[134][135]。

人物
『史記』は、同じ時代を生きた人物による始皇帝を評した言葉を記している。尉繚は秦王時代に軍事顧問として重用された[40]が、一度暇乞いをしたことがあり、その理由を以下のように語った[28]。

秦王為人,蜂準,長目,摯鳥膺,豺聲,少恩而虎狼心,居約易出人下,得志亦輕食人。我布衣,然見我常身自下我。誠使秦王得志於天下,天下皆為虜矣。不可與久游。

— 史記「秦始皇本紀」4[136]

秦王政の風貌を、鼻は蜂準(高く尖っている)、眼は切れ長、胸は鳥膺(鷹のように突き出ている)、そして声は豺(やまいぬ)のようだと述べる。そして恩を感じることなどほとんどなく、虎狼のように残忍だと言う。目的のために下手に出るが、一度成果を得れば、また他人を軽んじ食いものにすると分析する。布衣(無冠)の自分にもへりくだるが、中国統一の目的を達したならば、天下はすべて秦王の奴隷になってしまうだろうと予想し、最後に付き合うべきでないと断ずる[28][40]。

将軍・王翦は強国・楚との戦いに決着をつけた人物である。他の者が指揮した戦いで敗れたのち、彼は秦王政の要請に応じて出陣した。このとき、王翦は財宝や美田など褒章を要求し、戦地からもしつこく念を押す書状を送った。その振る舞いをみっともないものと諌められると、彼は言った[53][48]。

夫秦王怚而不信人。

— 史記「白起王翦列伝」11[52]
怚は粗暴を意味し、秦王政が他人に信頼を置かず一度でも疑いが頭をもたげればどのような令が下るかわからないという。何度も褒章を求めるのも、反抗など思いもつかない浅ましい人物を演じることで、秦のほとんどと言える兵力を指揮下に持つ自分が疑われて死を賜る命令が下りないようにしているのだと述べた。彼の頭には、白起がたどった末路という教訓があった[48][53]。

方士の廬生と侯生が逃亡する前に始皇帝を誹謗した言が残っている。

始皇為人,天性剛戾自用,起諸侯,并天下,意得欲從,以為自古莫及己。專任獄吏,獄吏得親幸。博士雖七十人,特備員弗用。丞相諸大臣皆受成事,倚辨於上。上樂以刑殺為威,天下畏罪持祿,莫敢盡忠。(中略)。天下之事無小大皆決於上,上至以衡石量書,日夜有呈,不中呈不得休息。貪於權勢至如此,(後略)

— 史記「秦始皇本紀」41[137]
始皇帝は生まれながらの強情者で、成り上がって天下を取ったため、歴史や伝統でさえ何でも思い通りにできると考えている。獄吏ばかりが優遇され、70人もいる博士は用いられない。大臣らは命令を受けるだけ。始皇帝の楽しみは処刑ばかりで天下は怯えまくって、うわべの忠誠を示すのみと言う。決断はすべて始皇帝が下すため、昼と夜それぞれに重さで決めた量の書類を処理し、時には休息さえ取らず向かっている。まさに権勢の権化と断じた[100]。

評価
暴虐なる始皇帝
始皇帝が暴虐な君主だったという評価は、次の王朝である漢の時代に形成された[138]。『漢書』「五行志」(下之上54)では、始皇帝を「奢淫暴虐」と評する[139]。この時代には「無道秦」[140]や「暴秦」[141]等の言葉も使われたが、王朝の悪評は皇帝の評価に直結した[142]。漢は秦を倒した行為を正当化するためにも、その強調が必要だった[143]。特に前漢の武帝時代以降に儒教が正学となってから、始皇帝の焚書坑儒は学問を絶滅させようとした行為(滅学)と非難した[143]。詩人・政治家であった賈誼は『過秦論』を表し、これが後の儒家が考える秦崩壊の標準的な根拠となった。修辞学と推論の傑作と評価された賈誼の論は、前・後漢の歴史記述にも導入され、孔子の理論を表した古典的な実例として中国の政治思想に大きな影響を与えた[144]。彼の考えは、秦の崩壊とは人間性と正義の発現に欠けていたことにあり、そして攻撃する力と統合する力には違いがあるということを示すというものであった[145]。

唐代の詩人・李白は『国風』四十八[146]で、統一を称えながらも始皇帝の行いを批判している。
阿房宮や始皇帝陵に膨大な資金や人員を投じたことも非難の対象となった。北宋時代の『景徳傳燈録』など禅問答で「秦時の轆轢鑽(たくらくさん)」[注 4]という言葉が使われる。元々これは穴を開ける建築用具だったが、転じて無用の長物を意味するようになった[147]。

封建制か郡県制か
始皇帝の評価にかかわらず、漢王朝は秦の制度を引き継ぎ[113]、以後2000年にわたって継続された[138]。特に郡県制か封建制かの議論において、郡県制を主張する論者の中には始皇帝を評価する例もあった。唐代の柳宗元は「封建論」にて、始皇帝自身の政治は「私」だが、彼の封建制は「公」を天下に広める先駆けであったと評した[138]。明の末期から清の初期にかけて活躍した王船山は『読通鑑論』で始皇帝を評した中で、郡県制が2000年近く採用され続けている理由はこれに道理があるためだと封建制主張者を批判した[138]。

始皇帝と臣下らの現代彫刻。西安市
近代以降の評価

清末民初の章炳麟は『秦政記』にて、権力を一人に集中させた始皇帝の下では、すべての人間は平等であったと説いた。もし始皇帝が長命か、または扶蘇が跡を継いでいたならば、始皇帝は三皇または五帝に加えても足らない業績を果たしただろうと高く評価した[138]。

日本の桑原隲蔵は1907年の日記にて始皇帝を不世出の豪傑と評し、創設した郡県制による中央集権体制が永く保たれた点を認め、また焚書坑儒は当時必要な政策であり過去にも似た事件はあったこと、宮殿や墳墓そして不死の希求は当時の流行であったことを述べ、始皇帝を弁護した[138]。

馬非百は 歴史修正主義の視点から伝記『秦始皇帝傳』を1941年に執筆し、始皇帝を「中国史最高の英雄の一人」と論じた。馬は、蒋介石と始皇帝を比較し、経歴や政策に多くの共通点があると述べ、この2人を賞賛した。そして中国国民党による北伐と南京での新政府樹立を、始皇帝の中国統一に例えた。

文化大革命期には、始皇帝の再考察が行われた。当時は、儒家と法家の闘争という面から中国史を眺める風潮が強まった。中国共産党は儒教を反動的・反革命的なものと決めつけた立場から、孔子を奴隷主貴族階級のイデオロギー(批林批孔)とし、相対的に始皇帝を地主階級の代表として高い評価が与えられた[138]。

文字という側面から藤枝晃は、始皇帝は君主が祭祀や政治を行うためにある文字の権威を取り戻そうとしたと評価した。周王朝の衰退そして崩壊後、各諸侯や諸子百家も文字を使うようになっていた。焚書坑儒も、この状態を本来の姿に戻そうとする側面があったと述べた[65]。また、秦代の記録の多くが失われ、漢代の記録に頼らざるを得ない点も、始皇帝の評価が低くなる要因だと述べた[148]。
文化への影響
エッセー
アルゼンチンの作家であるホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899年 - 1986年)は、1952年に『続審問』(Otras Inquisiciones)の中で「La muralla y los libros」(「壁と書」の意味)を書いた。これは始皇帝についてのエッセーであり、万里の長城建設と焚書に対して否定的な見解を述べている[149]。
小説
1956年の『Lord of the East』は、始皇帝の娘を主人公とした歴史小説である。彼女は恋人と駆け落ちをするが、本作の中で始皇帝は若いカップルに立ちはだかる障害として描かれている[150]。日本未出版。
『流亡記』。開高健の小説[151]。始皇帝の支配体制を一民衆の視点から描いている。
『始皇帝復活』『始皇帝逆襲』。蕪木統文の小説[152]。
映画
『秦・始皇帝』(1962年)。中国統一後の始皇帝を描いた日本映画。勝新太郎が始皇帝を演じた[153][154]。
『テラコッタ・ウォリア 秦俑』(1989年)。輪廻転生とタイムスリップを題材とした香港・中国合作のSFアクション映画。陸樹銘(中国語版)が始皇帝を演じた[154]。
『異聞 始皇帝謀殺(英語版)』(1996年)。始皇帝と、彼の暗殺を試みた荊軻の友人に当たる高漸離との交流を描いた中国映画。姜文が始皇帝を演じた[155]。
『始皇帝暗殺』(1998年)。秦王政と、彼が愛した趙姫、そして暗殺者の荊軻の3者の愛憎を描いた中国映画。李雪健(中国語版)が秦王政を演じた[156][157][154]。
『HERO』(2002年)。秦王(後の始皇帝)の命を狙う架空の刺客たちを描いた中国の武侠映画。陳道明が秦王を演じた[154]。
TVドラマ
『尋秦記 タイムコップ B.C.250(中国語版)』(2001年)。タイムトラベルを題材とした黄易(中国語版)のSF小説を原作とする香港のTVドラマ。レイモンド・ラムが嬴政を演じた[158]。
『始皇帝烈伝 ファーストエンペラー(中国語版)』(2001年)。始皇帝の生涯をフィクションを交えて描いた中国のTVドラマ。張豊毅が始皇帝を演じた[159]。
『始皇帝暗殺 荊軻』(2004年、原題:荊軻傅奇)。秦王政を暗殺しようとした荊軻を主人公とする中国のTVドラマ。邵兵が秦王政を演じた[160]。
『THE MYTH/神話』(2009年)。2005年の同名の香港映画のリメイクした、タイムスリップと輪廻転生が題材の中国のTVドラマ。臧金生が始皇帝を演じた[161][162][163][164] 。
『始皇帝 -勇壮なる闘い-』(2009年、原題:大秦直道)。直道建設にまつわる陰謀譚を描いた中国のTVドラマ。全45話。冦世勲が始皇帝を演じた[165]。中国では途中で放映が打ち切られ、またDVDビデオ等も発売されなかったとのことであるが理由不明である。日本では手を入れられたものが放映ないしDVD販売されており、中国正規版と称する日本向けDVDが販売されているが、これが中国国内に流通しているのかは不明である。
漫画・テレビアニメ
『キングダム』(2006年 - 連載中)。原泰久による日本の漫画作品。中華一の大将軍を目指す少年信の活躍を軸に、中華統一を目指す嬴政と秦の攻防を描く[166]。2012年6月からNHKBSプレミアムで神谷純監督によりテレビアニメ化され放映されており、福山潤が嬴政を演じた。[167]
TV番組
『Secrets of China's First Emperor, Tyrant and Visionary』(2006年)。ナショナルジオグラフィック協会製作のドキュメンタリー[168]。日本未公開。
『China's First Emperor(英語版)』(2008年)。アメリカ合衆国のテレビチャンネル「ヒストリー」製作のドキュメンタリー[169]。日本未公開。
音楽
『The First Emperor(英語版)』。始皇帝を描いたオペラ[170]。日本未公開。
ゲーム
2005年発売のTVゲーム『Sid Meier's Civilization IV』では、中国の指導者として始皇帝が登場する[171]。
『真・三國無双 MULTI RAID 2』では始皇帝が三国時代に復活して登場する。

注釈
[ヘルプ]
^ 『史記索隠』が引く『竹書紀年』によると、前漢の武帝の治世以前の年始は冬10月と記述されている。
^ 参考文献「秦の始皇帝」p.166では、衡山の後は湘山祠、南郡、武關の順序となっているが、ここでは『史記』「始皇帝本紀」26にならう。
^ この蔵書は紀元前206年に項羽が咸陽宮に火をかけたことで消失した。Records of the Grand Historian, translated by Raymond Dawson in Sima Qian: The First Emperor. オックスフォード大学出版局, ed. 2007, pp. 74-75, 119, 148-9
^ 参考文献「秦の始皇帝」終章のタイトルやp.277表記では「轆」でなく「車へんに度」の文字が使われている。仮に「轆」を用いる根拠は雲門文偃 に基づく。

虎馬:始皇帝 - W 

プラスチック合成樹脂 - W(保存)

虎馬:合成樹脂 - W 
合成樹脂(ごうせいじゅし、英: synthetic resin)とは、人為的に製造された、高分子化合物からなる物質を指す。合成でない天然樹脂には植物から採ったロジンや天然ゴム等があり、鉱物質ではアスファルトが代表例である。合成樹脂の糸を紡糸して作った繊維は合成繊維と呼ばれ、合成樹脂は可塑性を持つものが多い。近年、地球温暖化による異常気象が出はじめ石油由来のカーボン材料とともに社会からの削減の声が多く聞かれるようになっている。
プラスチック (英: plastic) は元来「可塑性物質」 (英: plasticisers) という意味を持ち主に金属結晶において開花したものを基盤としており、合成樹脂同様日本語ではいささか曖昧であり、合成樹脂と同義である場合や、合成樹脂がプラスチックとエラストマーという2つに分類される場合、また、原料である合成樹脂が成形され硬化した完成品をプラスチックと呼ぶ場合など、多様な意味に用いられている[1][2]。つまり英語の学術文献を書く場合、全く通用しない用語であることの認識をしなければならず、「resin」などと表現するのが一般的である。
目次
1 概説
2 合成樹脂の化学 2.1 高分子
2.2 共重合とポリマーアロイ
3 歴史
4 合成樹脂の分類 4.1 熱硬化性樹脂
4.2 熱可塑性樹脂 4.2.1 汎用プラスチック
4.2.2 エンジニアリング・プラスチック
4.2.3 スーパーエンジニアリングプラスチック
5 複合材料
6 合成樹脂の性能
7 主要用途
8 環境への影響
9 関連団体
10 出典
11 関連項目
12 参考文献
13 外部リンク
概説
合成樹脂は、主に石油を原料として製造される。金型などによる成形が簡単なため、大量生産される各種日用品や工業分野、医療分野の製品などの原材料となる。製品の使用目的や用途に合わせた特性・性能を有する樹脂の合成が可能であり、現代社会で幅広く用いられている。
一般的な特徴としては
電気を通さない(絶縁体)
水や薬品などに強く腐食しにくい。これは廃棄後の処理が行いにくいということでもあり、環境問題を引き起こす原因の1つでもある
自己潤滑性がある。
燃えやすい
紫外線に弱く、太陽光に当たる場所では劣化が早い等が挙げられる。
しかし現在では、使用目的に応じてこれらの性質に当てはまらないプラスチックも開発されている。
電気を通す導電性プラスチック
微生物によって分解される、生分解性プラスチック
難燃性プラスチックなどが製品化されている。
また、以前は再利用が難しくよくゴミの最終処分場に混じっていたプラスチックだが
細かく分解して熱を加える事により元の原油として再利用が可能になった。そしてその事を油化と言う。

合成樹脂の化学

高分子

合成樹脂は高分子化合物の一種である。例えば、ポリエチレンは炭素2個のエチレンを多数繋いだ重合体であり、この場合のエチレンは「モノマー」と呼ばれ、ポリエチレンは「ポリマー」と呼ばれる。「モノ」は1つ、「ポリ」はたくさんを意味する接頭辞である。モノマーを繋げていく反応を重合反応と呼び、モノマーが繋がっている個数を重合度と呼ぶ。エチレン500個が繋がったポリエチレン(炭素数1000)の重合度は500である。重合度が大きくなるにつれ、より硬くより強い樹脂になる。ポリエチレンは熱をかけると融けて流動するので、その状態で成型する。流動し始める温度(融点)は分子量が大きくなるほど高くなる。分子量が一定以上に大きくなると、熱をかけても流動せず、さらに温度を上げると分解する。

共重合とポリマーアロイ

用途によって、2種類以上のモノマーを使用して合成樹脂を作ることがある。これを共重合と呼ぶ。例えば自動車の内装に多用されているABS樹脂は、アクリロニトリル-ブタジエン-スチレン樹脂の略称で高い強度と耐衝撃性を有する。硬いが衝撃に弱く割れやすいアクリロニトリル樹脂とスチレン樹脂の性能と、柔らかいが衝撃に強いブタジエン樹脂の性能を組み合わせ、強度と耐衝撃性を両立させている。アロイとは日本語で合金と呼ばれるもので、金属の華々しい開発に樹脂開発者が憧れて命名されたと言われている。

共重合はモノマーの配列の仕方によって、ランダム共重合、ブロック共重合、グラフト共重合に分類される。ランダム共重合はモノマーがランダムに結合した物。ブロック共重合は単一モノマーでできたある程度の長さのポリマー同士が縦に繋がっているもの。グラフト共重合は注連縄に似ている。単一モノマーで出来た長いポリマーの所々に違う種類のポリマーがぶら下がっている。

共重合は、2種類以上のモノマーが化学的に結合して出来ているが、ポリマーアロイは異種の単独ポリマー同士を混合して製造する(アロイは合金のこと)。ポリマーアロイの例として耐衝撃性ポリスチレンがある。ポリスチレンは上記のように硬くて割れやすいが、少量のゴムを混合することにより割れにくい性質を持たすことができた。

歴史

1835年に塩化ビニルとポリ塩化ビニル粉末を発見したのが最初といわれる。初めて商業ベースに乗ったのは、1869年にアメリカで開発されたセルロイドである。これはニトロセルロースと樟脳を混ぜて作る熱可塑性樹脂だが、植物のセルロースを原料としているので半合成プラスチックと呼ばれることがある。

本格的な合成樹脂第一号は、1909年にアメリカのレオ・ベークランドが工業化に成功したベークライト(商品名)といわれている。フェノールとホルムアルデヒドを原料とした熱硬化性樹脂で、一般にはフェノール樹脂と呼ばれている。その後、パルプ等のセルロースを原料としてレーヨンが、石炭と石灰石からできるカーバイドを原料にポリ塩化ビニルなどが工業化された。戦後、石油化学の発達により、主に石油を原料として多様な合成樹脂が作られるようになる。日本では、1960年代以降、日用品に多く採用されるようになる。

1970年代には工業用部品として使用可能なエンジニアリングプラスチックが開発され、1980年代には更に高度なスーパーエンジニアリングプラスチックが使用されるようになった。これらの合成樹脂は金属に代わる新たな素材として注目されている。

1970年頃までは「プラスチックス」という表記が見られた。これはアメリカでも同様で、"plastics" という「形容詞+s」で集合名詞としていたが、名詞であるという意識が高まり、"s" が抜け落ちた。その時期は日本より約10年早い。(なお、 形成外科を plastic surgery というように、形容詞 plastic の原義は「形をつくる」「成型による」「成型可能な」といった意味である)

合成樹脂の分類

熱硬化性樹脂
熱硬化性樹脂 (英: Thermosetting resin) は、加熱すると重合を起こして高分子の網目構造を形成し、硬化して元に戻らなくなる樹脂のこと。使用に際しては、流動性を有するレベルの比較的低分子の樹脂を所定の形状に整形し、その後加熱等により反応させて硬化させる。接着剤やパテでA液(基剤)とB液(硬化剤)を混ぜて使うタイプがあるが、これは熱硬化性樹脂のエポキシ樹脂で、混合により重合反応が起こっている。熱硬化性樹脂は硬くて熱や溶剤に強いので、電気部品やテーブルといった家具の表面処理、灰皿、焼き付け塗料などに使用される。
フェノール樹脂 (PF)
エポキシ樹脂(EP)
メラミン樹脂(MF)
尿素樹脂(ユリア樹脂、UF)
不飽和ポリエステル樹脂 (UP)
アルキド樹脂
ポリウレタン(PUR)
熱硬化性ポリイミド(PI)
など
熱可塑性樹脂
熱可塑性樹脂 (英: Thermoplastic resin) は、ガラス転移温度または融点まで加熱することによって軟らかくなり、目的の形に成形できる樹脂のこと。一般的に、熱可塑性樹脂は切削・研削等の機械加工がしにくい事が多く、加温し軟化したところで金型に押し込み、冷し固化させて最終製品とする射出成形加工等が広く用いられている。
熱可塑性樹脂を用途により分類すると、
汎用プラスチック
家庭用品や電気製品の外箱(ハウジング)、雨樋や窓のサッシなどの建築資材、フィルムやクッションなどの梱包資材等、比較的大量に使われる。
ポリエチレン (PE) 高密度ポリエチレン(HDPE)
中密度ポリエチレン(MDPE)
低密度ポリエチレン(LDPE)
ポリプロピレン (PP)
ポリ塩化ビニル (PVC) ポリ塩化ビニリデン
ポリスチレン (PS)
ポリ酢酸ビニル (PVAc)
ポリウレタン(PUR)
テフロンR — (ポリテトラフルオロエチレン、PTFE)
ABS樹脂(アクリロニトリルブタジエンスチレン樹脂)
AS樹脂
アクリル樹脂 (PMMA)など
エンジニアリング・プラスチック
詳細は「エンジニアリングプラスチック」を参照
家電製品に使われている歯車や軸受け、CDなどの記録媒体等、強度や壊れにくさを特に要求される部分に使用される。略してエンプラとも呼ばれる。
ポリアミド (PA) ナイロン

ポリアセタール (POM)
ポリカーボネート (PC)
変性ポリフェニレンエーテル(m-PPE、変性PPE、PPO)
ポリエステルの内、 ポリエチレンテレフタレート (PET)
グラスファイバー強化ポリエチレンテレフタレート (GF-PET)
ポリブチレンテレフタレート (PBT)
環状ポリオレフィン (COP)など

スーパーエンジニアリングプラスチック
詳細は「エンジニアリングプラスチック」を参照

特殊な目的に使用され、エンプラよりもさらに高い熱変形温度と長期使用出来る特性を持つ。略してスーパーエンプラとも呼ばれる。
ポリフェニレンスルファイド (PPS)
ポリテトラフロロエチレン(PTFE)一般的にテフロンと呼ばれる。
ポリサルフォン (PSF)
ポリエーテルサルフォン (PES)(Polyethersulfone)
非晶ポリアリレート (PAR)
液晶ポリマー (LCP)
ポリエーテルエーテルケトン (PEEK)
熱可塑性ポリイミド (PI)
ポリアミドイミド (PAI)(Polyamide-imide)など
複合材料
合成樹脂を用いた複合材料の一種として繊維強化プラスチックがある。繊維強化プラスチックの代表的なものにガラス繊維強化プラスチック (GFRP) と炭素繊維強化プラスチック (CFRP) がある。ガラス繊維は引っ張り強度がプラスチックよりはるかに強いので、成型部品の強度向上によく使用される。炭素繊維の強度はガラス繊維より更に強いが高価なので、CFRPは軽くて強い(高価な)素材として航空機等に使用されている。
合成樹脂の性能
耐熱性能 ガラス転移点
荷重たわみ温度
機械的性能 曲げ弾性係数
アイゾット衝撃試験値
電気的性能 体積固有抵抗
誘電率、誘電正接
化学的性能 耐薬品性
主要用途
各種日用品(家具、台所、食器、風呂、トイレ、洗濯、掃除、など)
繊維原料
包装材料 ペットボトル
ポリ袋
機械の筐体・機構部品 電子機器/小型機械
家電製品
小型船の船体
自動車などの内装
農業用フィルム
建築材料
など、日常生活のあらゆる場面で使われている。
環境への影響
太平洋ゴミベルト
このコアホウドリのひなは、親鳥によりプラスチックを与えられ、それを吐き出すことができなかった。そして飢えか窒息により死亡した。
太平洋ゴミベルト[3]は、北太平洋の中央(およそ西経135度から155度、北緯35度から42度の範囲[1])に漂う海洋ごみの海域である。浮遊したプラスチックなどの破片が北太平洋循環の海流に閉ざされ、異常に集中しているのが特徴の海域である。太平洋ゴミベルトの面積はテキサス州の2倍に相当する。[4] プラスチックは海洋生物にとって最大の脅威となっている。海洋生物がゴミを食べ物と間違えて食べることにより、大量のポリスチレンを摂取する結果を引き起こしている。たとえポリスチレンが海中で分解しなくても、魚や海洋ほ乳類の消化管で分解される可能性がある。[5]
関連団体
日本プラスチック工業連盟
米国プラスチック工業協会(Society of the Plastics Industry、略称SPI)
出典
1.^ 桑嶋幹・木原伸浩・工藤保広著、『プラスチックの仕組みとはたらき』、秀和システム、2005年7月11日第1版第1刷発行、ISBN 4798011088
2.^ 斉藤勝裕著、『へんなプラスチック、すごいプラスチック』、技術評論社、2011年5月25日第1版第1刷発行、ISBN 9784774146478
3.^ http://www.youtube.com/watch?v=jWMbKqMsjlQ
4.^ http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=68541809
5.^ “太平洋ゴミベルト:プラスチックの濃縮スープとなった海(動画)”. 2014年11月10日閲覧。

関連項目
リサイクル en:Plastic recycling
en:Recycling of PET Bottles
プラズマ(プラスチックと語源が同じ)

参考文献
井上俊英他著 『エンジニアリングプラスチック』 高分子学会編集、共立出版、2004年。 ISBN 4-320-04370-7
外部リンク
プラスチックとプラスチックリサイクル
日本プラスチック工業連盟
日本プラスチック加工研究会
プラスチックの基礎知識 (技術者Web学習システム)
合成樹脂

熱硬化性
フェノール樹脂 - エポキシ樹脂 - メラミン樹脂 - 尿素樹脂 - ポリウレタン - 熱硬化性ポリイミド
熱可塑性

汎用
ポリエチレン - ポリプロピレン - ポリ塩化ビニル - ポリスチレン - ABS樹脂 - アクリル樹脂
エンプラ
ポリアセタール - ポリアミド - ポリカーボネート - 変性ポリフェニレンエーテル - ポリブチレンテレフタレート
カテゴリ: 材料
合成樹脂

NISA少額投資非課税制度 - W(保存)

虎馬:少額投資非課税制度 - W 
少額投資非課税制度(しょうがくとうしひかぜいせいど、NISA = ニーサ)とは、日本において、株式や投資信託の投資に対して、税制上20%かかる売却益と配当への課税を、年間100万円を上限に非課税とする制度である。
金融機関において、この制度が適用される非課税口座を、通常の取り引き口座とは別に開設する必要がある。
目次
1 概要
2 内容
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
概要
日本における個人の株式や投資信託の売買から生じる所得への課税を、一定の条件の下で非課税にする制度。この少額投資非課税制度が適用される口座(以下、非課税口座)において投資を行った場合、譲渡所得と配当所得が制度にしたがって非課税になる。

2003年1月に5年間の時限措置で、上場株式などの配当や売却益にかかる税率は、本来の20%から10%に軽減される制度が導入され、延長が行われたが、2013年12月に打ち切ることになったことや[1]、個人の金融資産を他国と比べて突出している預金から株式投資へシフトさせ、さらなる経済成長を企図する意味合いもあり[2]、2014年1月から開始された。

英国において居住者に対する類似の少額投資を優遇する制度(非課税制度)として、個人貯蓄口座(英語版)(Individual Saving Account、略称ISA)が1999年6月にスタートした。日本の非課税口座は、この英国の口座と制度を参考につくられ、日本版ISA[3]と呼ばれることもある。

2013年4月、日本証券業協会や全国銀行協会などが組織する「日本版ISA推進連絡協議会」は、この新制度口座の愛称の募集を行い、7000件を超える応募の中から、50代男性[4]が応募したNISA(ニーサ)に決定した[5][6]。なお、NISAのNはNipponを意味している[7]。

内容[編集]

この非課税口座を金融機関において通常の取引口座とは別に開設し、該当口座で上場株式や投資信託を売買すると、この口座で得た所得に対して非課税税制が適用される。

ただし利用者1人につき1口座のみ開設可能。すなわち口座開設時に他の金融機関において同制度を対象とした口座(NISA口座)が開設されていないことが必要。

非課税に関する具体的な条件や内容は次のとおり。
資格者:非課税口座を開設する年の1月1日において20歳以上の日本国内居住者。
非課税対象:非課税口座で購入した上場株式や投資信託の、配当所得・譲渡所得。
非課税期間:最長5年間。途中売却自由。
非課税投資枠上限:毎年100万円、最大500万円。

NISA口座を開設し、取引する場合は以下の点に留意する必要がある。
銀行では株式が取り扱えないため、株式取引を行いたい場合は証券会社で口座を開設する必要があること。
年間の非課税投資額上限は100万円であるが、年度の途中で株式や投資信託を売却した場合、残りの非課税枠の再利用はできないこと。
一般の特定口座からNISAへの株式、投資信託の移動はできないこと。

なお、口座開設期間は2014年から2023年の10年間とされており、人生設計を考えた長期の積み立てにはやや短い。その為、一生使える制度にする為にも、証券業協会からは制度の恒久化を求める声が上がっている[8]。

その他、開始後から2014年6月までに報じられている事項については次のようなものがある。
非課税枠を200万円に拡大を検討(経済財政再生相・甘利明の表明)[9]
投資総額は、2014年3月末時点で1兆34億円。利用者の64.9%が60歳以上に偏り、20・30歳代の利用が少ない(2.0%・6.5%)[10]




脚注[編集]

1.^ 証券優遇税制廃止 来年から11年ぶりに2倍に 「貯蓄から投資へ」を加速かMSN産経ニュース、2013年12月7日
2.^ 新しい投資優遇制度「NISA(ニーサ)」がスタート!将来に向けた資産形成を考えるきっかけに政府広報オンライン
3.^ 長期のコツコツ投資優遇 日本版ISA、10月受け付け 繰り越し、最大10年非課税 日本経済新聞、2013年2月9日。
4.^ “NISA(少額投資非課税制度)愛称決定 | 日本証券業協会”. 日本証券業協会. 2014年8月22日閲覧。
5.^ 日本版ISA、愛称は「NISA」に決定 日本経済新聞、2013年4月30日。
6.^ 愛称が「NISA(ニーサ)」に決定 来年開始の日本版投資非課税制度 MSN産経ニュース、2013年4月30日。
7.^ 政府広報オンライン. “新しい投資優遇制度「NISA(ニーサ)」がスタート!将来に向けた資産形成を考えるきっかけに:政府広報オンライン”. 内閣府大臣官房政府広報室. 2014年8月22日閲覧。
8.^ 日本経済新聞 平成26年(2014年)5月6日(火)第15面「制度の恒久化求める声」より
9.^ NISA非課税枠「200万円に拡大も」 経財相が意欲日本経済新聞サイト、2014年6月28日
10.^ NISA投資、若者はそっぽ?…6割が60歳超読売新聞サイト、2014年6月24日
関連項目
株式
投資信託
投資家
確定申告
マル優
外部リンク
NISA(少額投資非課税制度)愛称決定(2013.4下旬頃、日本証券業協会)
新しい投資優遇制度「NISA(ニーサ)」がいよいよスタート!(2013.6 政府広報オンライン)
カテゴリ: 日本の税法
株式市場
投資信託

ポール・クルーグマン - W(保存)

虎馬:ポール・クルーグマン - W 
Krugman at a press conference at the Royal Swedish Academy of Sciences in Stockholm, 2008
生誕
1953年2月28日(61歳)
ニューヨーク州オールバニ
国籍
アメリカ合衆国
研究機関
イェール大学
MIT
LSE
スタンフォード大学
プリンストン大学
研究分野
国際経済学, マクロ経済学
母校
MIT (PhD)
イェール大学 (学士号)
影響を受けた人物
ジョン・メイナード・ケインズ[1]
ジョン・ヒックス[1][2][3]
ポール・サミュエルソン
論敵
塩水学派と淡水学派[4][5]
オーストリア学派

実績
国際貿易理論
新貿易理論
経済地理学

受賞
ジョン・ベーツ・クラーク賞 (1991)
アストゥリアス皇太子賞 (2004)
ノーベル経済学賞 (2008)
情報 - IDEAS/RePEc
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ノーベル賞受賞者
ノーベル賞
受賞年:2008年
受賞部門:ノーベル経済学賞
受賞理由:貿易パターンと経済活動の立地に関する分析

ポール・クルーグマン(Paul Robin Krugman, 1953年2月28日 - )は、アメリカの経済学者、コラムニスト。プリンストン大学教授、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を兼任。

1991年にジョン・ベーツ・クラーク賞、2004年にアストゥリアス皇太子賞社会科学部門、2008年にはノーベル経済学賞を受賞した[6][7]。



目次 [非表示]
1 略歴
2 業績
3 主張 3.1 アメリカ
3.2 欧州
3.3 日本
3.4 中国

4 人物
5 邦訳著作 5.1 単著
5.2 共著

6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク


略歴[編集]
##1974年 イェール大学卒業。
##1977年 マサチューセッツ工科大学でPh.D.を取得。
##1977 - 1980年 イェール大学(助教授)。
##1982 - 1983年 レーガン政権で大統領経済諮問委員会委員を務め、IMF、世銀、EC委員会のエコノミストを務める。
##1980 - 1994年 マサチューセッツ工科大学(准教授、1980 - 1984年。教授、1984 - 1994年)。
##1994 - 1996年 スタンフォード大学(教授)。
##1996 - 2000年 マサチューセッツ工科大学(教授)。
##2000年 - プリンストン大学(教授)。
##2005年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(教授)。
##2000年からニューヨーク・タイムズのコラムを担当している。

業績[編集]

国際貿易理論に規模による収穫逓増を持ち込み、産業発生の初期条件に差がない国同士で比較優位が生じて、貿易が起きることをモデル化。このモデルは、自動車産業など同種の製品を作る産業が、アメリカやヨーロッパ、日本にそれぞれ存在して、互いに輸出しあっている現実を反映する[8]。

続いて国際貿易理論を国内の産業の分布に当てはめ、地域間の貿易をモデル化。ハリウッドやデトロイトなど特定の産業が集約した都市が、初期の小さな揺らぎから、都市として成長して自己組織化する、都市成長のモデルも作り上げた[8]。

また、変動為替相場では、投機家の思惑が自己成就的な相場の変動を作り出し、変動為替相場が本質的に不安定であることを示した。

主張[編集]
##2012年現在続いているアメリカと欧州連合(EU)の金融危機の終わりは遠いとし、ドイツ主導の緊縮政策が1930年代のような経済恐慌をもたらす恐れがあるとの見方を示している[9]。クルーグマンは、2010年当時、緊縮策は「ひどい考えである」と述べていたが、2014年11月4日にIMFの内部監察を行う独立評価機関(IEO)報告書で、IMFが2008年の金融危機後に主要先進国に緊縮策・予算削減を求めたことは誤りだったとの判断を示したため、クルーグマンなどIMFに批判的だった識者の見解の信頼性を高めることにつながった[10]。

アメリカ[編集]
##グラム・リーチ・ブライリー法の発起人であるフィル・グラム上院議員を「金融危機の父」と呼んだ[11]。
##サブプライム住宅ローン危機が起きる前、クルーグマンはFRBが行っている継続的な利上げが、アメリカの住宅バブルを崩壊させる可能性があると指摘していた[12]。リーマンショック後、政府が適切な雇用創出政策が実現可能でなかったことについて「多くの経済学者は、雇用危機解決の道筋を示す代わりに、インフレと負債への恐怖を極端にあおり、自らが問題の一部となってしまった」と述べている[13]。
##著書『さっさと不況を終わらせろ』(2012年)では、アメリカでの失業率が高止まりした状況に、有効な手を打てずにいるアメリカ政府・FRBを批判している[14]。
##2013年の段階で、米国大統領バラック・オバマによる最低賃金を時給9ドルに引き上げる政策を歓迎している[15]。低所得者のインフレを加味した実質給与水準が上昇し、とりわけ勤労労働者の待遇が改善されるためであるとしている。また最低賃金の上昇で、勤労所得税額控除の使用者への利益が低所得者へより多く配分されるようになるとしている。

欧州[編集]
##2014年5月27日、ポール・クルーグマンはポルトガル・シントラで開催されたECBフォーラムで、ユーロ圏が日本型のデフレーションに陥る恐れがあると言明し「インフレ率が過度に低いとの理由で経済が持続的に低迷している状況を静観し、1933年のようなデフレスパイラルに陥りそうになった段階で対処しようとしても、阻止することはできない」と指摘している[16]。クルーグマンは、欧州中央銀行(ECB)と他の中央銀行は、1990年代以降据え置いているインフレ目標の水準を引き上げる必要があるとの考えを示した[17]。

日本[編集]
##1980年代のバブル不況後の日本の経済をニュー・ケインジアン的なモデルを使ってモデル化し、流動性の罠に落ちていることを指摘した[18]。流動性の罠は発生原理の説明がないことをリチャード・ヴェルナー(英語版)から批判されている[19]。2000年6月、日本銀行執行部はゼロ金利政策の解除へ傾いていたのに対し、クルーグマンなどの学界はゼロ金利政策を超えた金融緩和政策に踏み切るべしと主張し、両者は激しく対立していた[20]。日銀はクルーグマンの分析を熱心に取り入れていた(2003年時点)[21]。クルーグマンは、1990年代、2000年代の日本銀行の政策判断について「間違いだった」と指摘している[22]。 ##デフレ不況に対する日本政府や日本銀行の対応の遅さを繰り返し批判してきたが[23]、2007年以降の金融危機には、かつて自分の主張を受け入れなかった日本の政策当局と同じことしか出来ないアメリカ当局を目の当たりにして「同じような状況に直面し我々も同じことをしている、日本人に謝らなければならない」と自虐的に嘆いてみせた。クルーグマンは「アメリカも日本以上にひどい対応をしている。アメリカは財政を緊縮させ、不適切な金融政策をとってきた」「歴代の日銀総裁にもおわびしなければならない。しかし、決して彼らが正しかったからではない。間違いだった。『正しい政策判断をすることがいかに難しいか、今なら理解できる』という意味で、おわびしたい」と述べている[24]。
##2014年10月31日、クルーグマンはニューヨーク・タイムズに「日本への謝罪」と題するコラムを寄稿し、欧米の政策に関して「2008年以降は、日本がかすむほどの失敗だった。我々は、日本に謝らなければならない」と述べた[25]。クルーグマンは、日本の「失われた20年」は、「反面教師として、先進国経済が進むべきではない道を示してきた」と述べ、自身の批判そのものは間違ってはいなかったが、認識が甘かったとしている[26]。クルーグマンは、欧米が日本の教訓を生かせなかった理由について「我々の社会に巣食う根深い格差のためだ」と述べている[26]。

##日本銀行が多額の日本国債を引き受けることに関連するインフレーションについては「人々の消費がその経済の生産能力(供給力)を超える状態のときに限り、紙幣増刷由来のインフレが発生する」と述べる[27]。というのも流動性の罠に陥っている状況では、IS-LM分析でLM曲線がフラットになっているためにマネタリーベースの増加が金利上昇を喚起しないからである[28]。
##クルーグマンは日本が長期不況から抜け出すための解答自体は極めて簡単であり、お金を大量に刷ること(Print lots of money)で需要を喚起し[29]、インフレ期待を作成することが経済を拡大する唯一の方法であると述べている[30]。クルーグマンは、現時点で金融緩和の余地がなくても、将来の時点では金融緩和の余地があるためそれにコミットすることで、流動性の罠から脱出できるとしており、将来の金融緩和の具体案としてインフレ・ターゲットを提示した[31]。クルーグマンのインフレター・ゲット政策の核心は、市場参加者の期待形成に影響を与えることにある[31]。クルーグマンの提案は、実質金利の低下によって経済の不安定性を解消させるというものである[32]。クルーグマンは著書『危機突破の経済学』で「日本の場合、大型の財政政策は難しく、金融政策としてのインフレ・ターゲットを導入するべきである」と指摘していた[33]。 ##流動性の罠に陥った状況下で信頼できるインフレ期待をどのように作るのかと尋ねられた際、クルーグマンは「金融政策でできることは何もない」と譲歩していた。そして、「この場合、一時的な財政政策が効果的だ」と述べていた[34]。クルーグマンは「日本が高水準の財政支出を長期間続けることは可能ではない。GDP比で10%を超える財政赤字はしばらく続けられるが、いつまでもできるかというと別の問題である。政府債務の水準は非常に高く、急速に拡大していくので遅かれ早かれ問題のある状態に陥ってしまう。財政政策が答えでないのであれば何があるのか。そこに金融政策という答えがある」と指摘している[35]。

「流動性の罠#合理的期待形成学派の対策」も参照
##日本の低成長について「日本には大きな長期的問題があり、基本的には日本人の不足が問題だ」「日本の人口動態はひどい。労働年齢人口1人当たりの成長はさほど悪くない」と指摘している[36]。
##安倍晋三首相が取り組んでいる経済政策「アベノミクス」について「素晴らしい結果を伴っている」と評価しており[37]、「プリンストン大学の経済学者達が十数年前に書いていた論文に内容がそっくりだ」と述べている[38]。クルーグマンは「日銀が方針を転換し、2%の物価目標を掲げ、その効果を持続させるために政府が短期間、財政出動をし景気を刺激する。医師が処方したとおりのことを実行している」と述べている[39]。また「消費増税した日本がこれでうまくいけば、世界各国のロールモデルになることは間違いない。積極的な対策をとれば必ずデフレから脱却できるという強いメッセージになる。世界の多くの国が固唾を呑んでその行方を見守っている。今(2013年)、世界経済を救うために、日本が必要とされている」と指摘している[40]。 ##第2次安倍内閣での大胆な金融政策・量的緩和によってこの提言がマクロ経済政策に反映される形となった。しかしながら長期にわたるデフレのために依然として実質金利が高止まりしており、日本経済がデフレを脱し健全な経済成長をするまでは消費税の増税をするべきではないとの認識をクルーグマンは示している。もし脆弱な景気回復の中で消費増税を行えば、一時期の回復が自滅的な結果に終わってしまう可能性があることが懸念されるとしている[41]。財政規律の名のもとに、回復基調の経済を危険に晒すことは愚かなことだとクルーグマンは論じる。

中国
##人民元の為替レートが人為的に低水準に保持されていることに言及し「ドルが下落するにもかかわらず、一貫して人民元の対ドルレートを固定させる政策は、世界経済に大きな害を与えている」と述べている[42]。
##中国経済は、2014年現在の中国の経済は投資バブル状況にあり、金融危機が生じる可能性が高く、バブル崩壊がすれば中国経済は日本で起きたことよりもひどい惨状になるとしている[43]。

人物

時の権力者や経済学の先人たちそして通説をバッサリ切り捨てる容赦ない批判姿勢は、激しい反発や非難を受けることが常だった[44]。ニューヨーク・タイムズ紙のサイト上に持つブログ「The Conscience of a Liberal」では、リベラル派の立場から保守派に論争をしかけ、エコノミストのブログ空間上で常に議論を巻き起こし続けている[14]。ニューヨーク・タイムズに寄稿するコラムがマーケットを動かすと言われるほどの影響力を持つ[45]。
##専門の国際経済学の分野以外でも積極的に発言しており、反ジョージ・W・ブッシュの旗手としても知られる。経済学者の祝迫得夫は「2008年にノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンはある意味、政治的だった。当時はアメリカ大統領選直前で、欧州の知識人はブッシュ政権にうんざりしていたため、ブッシュを激しく批判していたクルーグマンを持ち上げるような意味合いがあったのではないか」と述べている[46]。また、2008年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙のキャンペーンでヒラリー・クリントン候補のメディケア政策を擁護した[47][48][49]。この結果、メディケアに対してバラク・オバマ陣営が当初表明していた共和党寄りの方針[要出典]を撤回させ、民主党の本流の政策[要出典]に転換させることに成功している。ただし、この論争がしこりとなりクルーグマンは民主党の要職から外れることになった[要出典]。
##自身について、貿易交渉については専門ではないとしており、特に政治的な側面は分かっているつもりはないと述べている[50]。
##SFファンとしても知られ、アイザック・アシモフの「銀河帝国の興亡」に登場する心理歴史学者ハリ・セルダンにあこがれたことが、経済学の道に進む動機になったと語っている。1978年(イェール大学時代)に「恒星系間貿易の理論」をパロディ論文として著したり[51][52][53]、イグノーベル賞の講演で、地球全体の輸出入総計の不均衡の原因を宇宙人に求めるおふざけ講演などを行っている。
##一回離婚しており、プリンストン大学の同僚ロビン・ウェルスと再婚している。

邦訳著作
2008年12月7日、スウェーデン王立科学アカデミーにて
単著[編集]
##Exchange-Rate instability ##『為替レートの謎を解く』 伊藤隆敏訳 (東洋経済新報社, 1990年)

##Geography and trade ##『脱「国境」の経済学 産業立地と貿易の新理論』 北村行伸訳 (東洋経済新報社, 1994年)

##Peddling Prosperity ##『経済政策を売り歩く人々』 伊藤隆敏 他訳 (日本経済新聞社, 1995年)

##Pop internationalism ##『クルーグマンの良い経済学悪い経済学』 山岡洋一訳 (日本経済新聞社, 1997年)

##The Self-Organizing Economy ##『自己組織化の経済学 経済秩序はいかに創発するか』 北村行伸訳 (東洋経済新報社, 1997年)

##Has the adjustment process worked? ##『通貨政策の経済学 マサチューセッツ・アベニュー・モデル』 林康史訳 (東洋経済新報社, 1998年)

##Collected Essays of Paul Krugman Appeared in Foreign Affairs ##『資本主義経済の幻想 コモンセンスとしての経済学』 北村行伸訳 (ダイヤモンド社, 1998年)

##The age of diminished expectations ##『クルーグマン教授の経済入門』 山形浩生訳 (メディアワークス, 1998年)

##The Accidental Theorist : And Other Dispatches from the Dismal Science ##『グローバル経済を動かす愚かな人々』 三上義一訳 (早川書房, 1999年)

##The return of depression economics ##『世界大不況への警告』 三上義一訳 (早川書房, 1999年)

##Development geography, and economic theory ##『経済発展と産業立地の理論 開発経済学と経済地理学の再評価』 高中公男訳 (文真堂, 1999年)

##Rethinking international trade ##『国際貿易の理論』 高中公男訳 (文真堂, 2001年)

##Japan's trap ##『恐慌の罠 なぜ政策を間違えつづけるのか』 中岡望訳 (中央公論新社, 2002年)

##The Great Unraveling ##『嘘つき大統領のデタラメ経済』 三上義一訳 (早川書房, 2004年)

##The Conscience of a Liberal ##『格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略』 三上義一訳 (早川書房, 2008年)

##The return of depression economics and the crisis of 2008 ##『世界大不況からの脱出 なぜ恐慌型経済は広がったのか』 三上義一訳 (早川書房, 2009年)

##『さっさと不況を終わらせろ』山形浩生訳 2012年 ISBN 978-4152093127

共著
##International economics : Theory and policy ##(モーリス・オブズフェルド)『国際経済 理論と政策』 竹中平蔵他訳 (サイエンス社, 1990年)

##Trade policy and market structure ##(エルヘイナン・ヘルプマン)『現代の貿易政策 国際不完全競争の理論』 大山道広訳 (東洋経済新報社, 1992年)

##The Spatial Economy : Cities, Regions, and International Trade ##(藤田昌久他)『空間経済学 都市・地域・国際貿易の新しい分析』 小出博之訳 (東洋経済新報社, 2000年)

##It's Baaack!Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap, Japan : Still Trapped, Further Notes on Japan's Liquidity Trap, Delusions of Respectability, Time on the Cross ##(ラルス・E・O・スヴェンソン)『クル−グマン教授の〈ニッポン〉経済入門』 山形浩生訳 (春秋社, 2003年)

##Macroeconomics ##(ロビン・ウェルズ)『クル−グマン マクロ経済学』 大山道広他訳、(東洋経済新報社 2009年3月20日)

##Microeconomics ##(ロビン・ウェルズ)『クル−グマン ミクロ経済学』 大山道広他訳、(東洋経済新報社2007年9月)

##(モーリス オブズフェルド) クルーグマンの国際経済学 上 貿易編 ISBN 978-4864010061
##(モーリス オブズフェルド) クルーグマンの国際経済学 下 金融編 ISBN 978-4864010078

脚注[編集]

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1.^ a b Paul Krugman (2011年8月10日). “Dismal Thoughts”. The Conscience of a Liberal 2011年8月10日閲覧。
2.^ Krugman, Paul (2011年8月30日). “Who You Gonna Bet On, Yet Again (Somewhat Wonkish)”. Conscience of a Liberal (blog) (New York Times) 2011年11月18日閲覧。
3.^ Krugman, Paul. “There's something about macro”. MIT. 2011年11月18日閲覧。
4.^ Krugman, Paul (2009年7月29日). “The lessons of 1979-82”. The New York Times
5.^ Krugman, Paul (2009年9月23日). “The freshwater backlash (boring)”. The New York Times
6.^ 経済学賞にクルーグマン氏 ノーベル賞、貿易理論刷新47NEWS(よんななニュース)2008年10月13日
7.^ ノーベル経済学賞、クルーグマン氏 国際貿易で新理論asahi.com(朝日新聞社) 2008年10月14日
8.^ a b Krugman, Paul 2009. "The Increasing Returns Revolution in Trade and Geography." American Economic Review, 99(3): 561–71.
9.^ 危機の終わり遠い、緊縮で30年代型恐慌も−クルーグマン教授Bloomberg 2012年10月4日
10.^ IMFの緊縮策要求は誤りだった-金融危機後の対応で報告書Bloomberg 2014年11月5日
11.^ The Gramm connection. Paul Krugman. The New York Times. Published March 29, 2008.
12.^ 田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、94-95頁。
13.^ The New York Times ポール・クルーグマン「リーマン・ブラザーズ崩壊後、ムダに費やされた悲劇の年月」現代ビジネス 2013年9月17日
14.^ a b さっさと不況を終わらせろ:End This Depression Now!日立総合計画研究所 2012年9月11日
15.^ Raise That Wage Paul Krugman, New York Times 2013年2月17日
16.^ ECB、日本型デフレに陥ること回避すべき=クルーグマン氏Reuters 2014年5月28日
17.^ クルーグマン氏、世界に警告-日本的な政策停滞は普遍的現象Bloomberg 2014年5月27日
18.^ 経済の死角 独占インタビューノーベル賞経済学者 P・クルーグマン 「間違いだらけの日本経済 考え方がダメ」現代ビジネス 2010年08月20日
19.^ 『虚構の終焉』= Towards a new macroeconomic paradigm. Tokyo: PHP. (2003) P 57,61
20.^ 現代の金融政策日立総合計画研究所
21.^ リチャード・ヴェルナー(英語版) 『虚構の終焉』 = Towards a new macroeconomic paradigm. Tokyo: PHP. (2003) p 56
22.^ 田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、88頁。
23.^ Japan's trap, It's Baaack!Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap, Japan : Still Trapped, Further Notes on Japan's Liquidity Trap, Delusions of Respectability, Time on the Cross他
24.^ 世界が注目する“日本の教訓” - これまでの放送NHK Bizプラス 2012年8月13日
25.^ 経済 ノーベル賞経済学者の「日本への謝罪」読売新聞(YOMIURI ONLINE) 2014年11月1日
26.^ a b クルーグマン教授“日本に謝りたい…” 教訓生かせぬEUのデフレ危機を嘆くニュースフィア 2014年10月31日
27.^ Paul Krugman"What's wrong with Japan?" The Official Paul Krugman Web Page
28.^ IS-LMentary The conscience of a liberal 2011年10月9日
29.^ Paul Krugman"What's wrong with Japan?" The Official Paul Krugman Web Page
30.^ Paul Krugman"JAPAN'S TRAP" The Official Paul Krugman Web Page
31.^ a b 田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、185頁。
32.^ 田中秀臣 『経済政策を歴史に学ぶ』 ソフトバンククリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、186頁。
33.^ 田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、103頁。
34.^ リチャード・ヴェルナー 『虚構の終焉』= Towards a new macroeconomic paradigm. Tokyo: PHP. (2003) P 60
35.^ 吉川洋・通商産業研究所編集委員会 『マクロ経済政策の課題と争点』 東洋経済新報社、2000年、9-10頁。
36.^ クルーグマン教授、日本の人口減少を問題視−低成長の要因Bloomberg 2013年2月6日
37.^ 政治・社会 ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマン教授、皮肉まじりにアベノミクス評価ZAKZAK 2013年1月15日
38.^ ポール・クルーグマン - アベノミクスが日本経済を復活させる!PHPビジネスオンライン 衆知 2013年10月22日
39.^ どう見る“アベノミクス”NHK Bizプラス 2013年2月12日
40.^ 経済の死角 【独占インタビュー】ノーベル経済学賞受賞ポール・クルーグマン 日本経済は、そのときどうなるのか現代ビジネス 2013年10月21日
41.^ Make Japan Chaste and Continent, But Not Yet The Conscience of a Liberal, Paul Krugman, September 9th, 2013
42.^ ノーベル経済学賞受賞者:中国の人民元政策、世界経済の脅威に大紀元 2009年10月31日
43.^ 経済の死角 本誌独占インタビュー ノーベル賞経済学者クルーグマン 「日本経済は消費税10%で完全に終わります」現代ビジネス 2014年9月16日
44.^ ポール・クルーグマン 競争力論争――私はなぜ自説を曲げたか 政治家に迎合したくなる強い誘惑~「グローバル・ビジネス」1995年1月1日号掲載ダイヤモンド・オンライン 2010年1月10日
45.^ 経済の死角 本誌独占インタビューノーベル経済学者は指摘するポール・クルーグマン「1ドル100円超え、アベよ、これでいいのだ」現代ビジネス 2013年2月14日
46.^ 混迷深める世界経済 今年のノーベル経済学賞は誰に日本経済新聞 2011年10月2日
47.^ The Conscience of a Liberal (October 2007) ISBN 0393060691
48.^ ニューヨークタイムズ連載コラム(2008/02/04)
49.^ ニューヨークタイムズ連載コラム(2008/02/11)
50.^ 国際シンポジウム「グローバル化と地域統合〜空間経済学の視点から」asahi.com 朝日新聞社シンポジウム 2004年12月2日
51.^ The Theory of Intersteller Trade (PDF) (英語) 「恒星系間貿易の理論」原文
52.^ クルーグマン: 恒星系間貿易の理論 (日本語) 翻訳文
53.^ Economics: the final frontier (英語) 「恒星系間貿易の理論」に言及したポール・クルーグマン自身のブログエントリ

関連項目
##ニューケインジアン
##マクロ経済学
##空間経済学
##複雑系経済学
##インフレターゲット
##エッジシティ

外部リンク[編集]
##公式ウェブサイト (英語)
##The Unofficial Paul Krugman Web Page (英語)
##Economics and Politics by Paul Krugman - The Conscience of a Liberal (英語) ポール・クルーグマンのブログ
##ポール・クルーグマン「さっさと不況を終わらせろ」 (1) いまは赤字削減より財政支出を 動画 日本語字幕付 (デモクラシーナウ!ジャパン 2012年5月17日)
##ポール・クルーグマン「さっさと不況を終わらせろ」 (2) ユーロ圏の危機ほか 動画 日本語字幕付 (デモクラシーナウ!ジャパン 2012年5月17日)
ノーベル賞 アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞
典拠管理
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クラウドファンディング - W(保存)

虎馬:クラウドファンディング - W 

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クラウドファンディング(英語:crowd funding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である[1][2]。ソーシャルファンディングとも呼ばれる[3]。
目次
1 概要
2 種類
3 歴史 3.1 日本
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク
概要
クラウドファンディングは防災や市民ジャーナリズム、ファンによるアーティストの支援、政治運動、ベンチャー企業への出資[4] 、映画[5] 、フリーソフトウェアの開発、発明品の開発、科学研究[6] 、個人・事業会社・プロジェクトへの貸付など、幅広い分野への出資に活用されている。
クラウドファンディングは多くの投資家から株式を募集することによる企業の資金調達の手法としても注目されている。この形のクラウドファンディングは、JOBS Act(英語版)(より少ない制限のもと小規模な投資家から広く出資を募ることを可能にする法案)に直接的な言及があるように、最近アメリカ合衆国の政策立案者から注目された[2]。JOBS Actは実施を待っているが、en:Mosaic Inc.などの混合モデルは、認可状態にある一般市民に群衆の一部としてクリーンエネルギーのプロジェクトに直接投資する資格を与える既存の証券法を利用している。

クラウドファンディングは、クラウドソーシングのコンセプト(個人が多くの人々からわずかな寄与を集め、利用することで目標に到達するという大雑把なコンセプト)にその原点がある。クラウドファンディングは、特定のプロジェクトまたはベンチャーの資金調達をするために、多くの人々から少額の寄付を通して出資を集めるというこのコンセプトの応用である[7]。

クラウドファンディングのモデルは必然的に多様な関係者を伴う[8]。その中には出資されるアイディアやプロジェクトを提案する人々や組織、その提案を支持する「群衆」も含まれる。なお、クラウドファンディングはプロジェクトの首唱者と「群衆」を引き合わせる組織(「プラットフォーム」)によって成り立っている。

一般に製品開発やイベントの開催には多額の資金が必要となるが、クラウドファンディングでは、インターネットを通じて不特定多数の人々に比較的少額の資金提供を呼びかけ、一定額が集まった時点でプロジェクトを実行することで、資金調達のリスクを低減することが可能になる。ソーシャルメディアの発展によって個人でのプロジェクトの立ち上げや告知が容易になり、それに呼応する形でクラウドファンディングによる資金調達が活発になりつつある。米国ではKickstarterが有名。アートなどの分野に特化したサービスも多く、国内でもサービスが増加している。

種類[編集]

クラウドファンディングは資金提供者に対するリターン(見返り)の形態によって大別される。金銭的リターンのない「寄付型」、金銭リターンが伴う「投資型」、プロジェクトが提供する何らかの権利や物品を購入することで支援を行う「購入型」がある[9]。日本においては資金決済に関する法律等によって個人間の送金や投資が制限されていることから、購入型のクラウドファンディングが普及している。また、ソーシャルレンディングと言われる個人から少額の資金を募り投資を行うモデルも、近年は投資型クラウドファンディングと位置づけられ、クラウドレンディングとも通称され、国内では既に60億円近い実績がある。

歴史[編集]

初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった。寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。

1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った[10]。

1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた[11]。このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い、大成功している。en:Anoraknophobia[12][13]やMarbles[14]、en:Happiness Is the Road[15]。

アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた[16][17]。

世界で活躍している日本のロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した[18]。二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった[19]。彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。

映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、彼に映画を完成させるための資金を提供した[20]。後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った[21]。2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた[22]。2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため大衆向けインターネット寄付キャンペーン[23]を開始した。三週間以内に彼らは5万ドルを集めることができ、結果映画をとることができた。

en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である[24]。

クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に、fundavlogでMichael Sullivanが著したものである[25]。

2012年に米TIME紙は全世界でも最高のクラウドファンディング・プラットフォームを説明し、評価する記事を掲載した[26]。

2012年現在、クラウドファンディングの市場規模は前年比2倍の28億ドル(日本円換算で約2291億円)と見積もられており、特にビデオゲーム関連での出資が著しい伸びを見せている。Kickstarterにおいてビデオゲーム分野の出資額は2011年比で10倍以上にまで達した。ゲームソフトではStar Citizenが約620万ドル、ゲーム機ではOUYAが約860万ドルを集め話題となった。

日本[編集]

日本では、法規制の問題から見返りを得ない寄付に近いものか、物品購入型に限られてきたが、2014年に金融商品取引法が改正され、1人当たり50万円を上限に、総額1億円未満の資本調達が可能になる[27]。

関連項目[編集]
##集合知
##Kickstarter
##日本クラウド証券 - 大前和社長

脚注[編集]

1.^ Ordanini, A.; Miceli, L.; Pizzetti, M.; Parasuraman, A. (2011). “クラウドファンディング―それは革新的なサービスプラットフォームを通し消費者を投資家に一変させる(Crowd-funding: Transforming customers into investors through innovative service platforms)”. Journal of Service Management 22 (4): 443. doi:10.1108/09564231111155079. (あるいはこちらでも Scribd document)
2.^ a b “What IS Crowdfunding And How Does IT Benefit The Economy” (2012年11月27日). 2012年12月6日閲覧。
3.^ “クラウドファンディングとは 「ソーシャルファンディング」 (crowd funding): - IT用語辞典バイナリ”. 2012年12月6日閲覧。
4.^ “Welcome to The Crowdfunding Wiki!”. Michael Sullivan and pbworks consensus group. 2012年8月12日閲覧。
5.^ “Crowd funding: An emerging trend in Bollywood”. 2012年8月12日閲覧。
6.^ “Crowdfunding as the future of science funding? | The Science Exchange Blog”. Blog.scienceexchange.com (2012年5月27日). 2012年8月19日閲覧。
7.^ “Crowfunding in a Canadian Context” (accessed February 7, 2013). 2013年5月28日閲覧。
8.^ “Crowdfunding: Transforming Customers Into Investors Through Innovative Service Platforms” (accessed February 7, 2013). 2013年5月28日閲覧。
9.^ “クラウドファンディング:ウェブ上の新しいコミュティの形”. 人工知能学会. May 2,2013閲覧。
10.^ “Joseph Pulitzer” (2013年2月7日). 2013年2月28日閲覧。
11.^ “The Marillion story and what we can all learn from it”. 2013年2月28日閲覧。
12.^ “guitartabsexplorer.com”. 2013年2月28日閲覧。
13.^ “BBC article, May 11, 2001” 2013年2月28日閲覧。
14.^ “OHM Review”. 2013年2月28日閲覧。
15.^ “Calling the faithful for Album 15”. 2013年2月28日閲覧。
16.^ “Wharton”. 2013年2月28日閲覧。
17.^ “Inc.com”. 2013年2月28日閲覧。
18.^ “Drownedinsound.com "Wanna Go VIP? Electric Eel Shock'll show you the way...", Dec 2nd, 2004”. 2013年2月28日閲覧。
19.^ “itsallhappening, June 24th, 2008”. 2013年2月28日閲覧。
20.^ Andrew Rodgers (1999年6月11日). “Filmmaker Uses Web To Help Finance, Cast Movie”. Chicago Tribune. 2013年1月7日閲覧。
21.^ Kate Bulkley (2012年11月24日). “funding models for film making | Sheffield Doc/Fest 2010 | guardian.co.uk”. Guardian. 2012年12月13日閲覧。
22.^ “Crowd-Funding FAQ”. Spanner Films (2009年7月13日). 2012年12月13日閲覧。
23.^ Christina Warren (2011年1月17日). “A Guide to Kickstarter & Crowd Funding [INFOGRAPHIC]”. Mashable.com. 2012年12月13日閲覧。
24.^ “blog entry by Morton Valence "Nothing Like Sellaband", May 22, 2008”. 2013年2月28日閲覧。
25.^ “Crowdfundings earliest citation”. 2013年2月28日閲覧。
26.^ “How to Pick the Right Crowdfunding Site”. 2012年10月22日閲覧。
27.^ 新興企業、ネット経由で資金集めやすく 改正金商法が成立日本経済新聞、2014年5月23日

外部リンク
##クラウドファンディングとは - はてなキーワード

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カテゴリ: 金融
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イエス・キリスト - W(保存)

虎馬:イエス・キリスト - W 
曖昧さ回避 この項目では、キリスト教の観点からみたイエス・キリストについて説明しています。 歴史的な人物としてのイエスの経歴については「ナザレのイエス」をご覧ください。
イスラームの預言者としてのイエスについては「イスラームにおけるイーサー」をご覧ください。
蝋画法によるイエス・キリストのイコン(6世紀頃、シナイ半島、聖カタリナ修道院所蔵)
イエス
関連項目
Jesus
イエス・キリスト /
キリスト
受胎告知
キリストの降誕
イエスの洗礼
荒野の誘惑
イエスの奇跡
最後の晩餐
キリストの磔刑
復活
キリストの昇天
イエス・キリスト(紀元前4年頃 - 紀元後28年頃、ギリシア語: Ίησοῦς Χριστός[1]、ヘブライ語ラテン文字転記:Yhoshuah ha-Mashiah)は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスをイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されている[2]。
本項では、ナザレのイエスについてのキリスト教における観点について述べる。
日本正教会では中世以降のギリシャ語と教会スラヴ語に由来する転写により「イイスス・ハリストス」と呼ばれる。かつてはカトリック教会ではイエスは「イエズス」と表記されていたが、現在ではあまり用いられない。戦国時代から江戸時代初期にかけてのキリシタンは、「ゼス(ゼスス)・キリシト」を用いていた。
「日本ハリストス正教会#「ハリストス」」も参照
目次
1 概要
2 語義と指示内容 2.1 イエス
2.2 キリスト
2.3 イエス・キリスト
3 イエス・キリストとは何者か=「神の子」「真の神・真の人」
4 イエス伝 4.1 旧約聖書
4.2 降誕と幼少時代
4.3 受洗、荒野の誘惑
4.4 宣教活動
4.5 受難、死、復活、昇天
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
概要
キリスト教の多くの教派(正教会、東方諸教会、カトリック教会、聖公会、プロテスタント)において、三位一体(至聖三者)の教義の元に、神の子が受肉(藉身)して人となった、真の神であり真の人である救い主として[2][3][4](一部の教派では、単性論と通称される、神としての属性を強調する立場で)信仰の対象となっている。
「イエス」は人名。ヘブライ語からギリシャ語に転写されたもの(ギリシア語: Ίησοῦς, Iēsūs…古典ギリシア語再建音ではイエースース、現代ギリシア語からの転写例はイイスス)。「ヤハウェ(神)は救い」「救う者」を意味する[4][5]。

「キリスト」は「膏をつけられた者」という意味の、救い主の称号。膏をつけられるのは旧約聖書において王・預言者・祭司であったが、新約の時代においてはこの三つの職務をイエス・キリストが旧約のそれら全ての前例を越える形で併せ持っていたことを示していると解される[5][6](但しこの三職論については、時代・論者・教派によって、キリスト教内から異論もある)。

詳細は「キリスト三職務」を参照

イエスの言行を記した福音書を含む『聖書』は世界で最も翻訳言語数が多い歴史的ベストセラーであり、音楽・絵画・思想・哲学・世界史などに測り知れない影響を与えた。
語義と指示内容
イエス
イエスは、「イエースース(Ίησοῦς, Iēsūs、古典ギリシア語再建音)」の慣用的日本語表記である。現代ギリシア語では「イイスス」となる。
元の語は、アラム語のイェーシューア(ישוע, Yeshua)=ヘブライ語のヨシュア(イェホーシューア、יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshua)で、「ヤハウェの救い」「ヤハウェは救い」「救う者」を意味する[4][5]。
これらのギリシア語表記の語尾は主格形であり、格変化すると異なる語尾に変化する。日本語の慣例表記「イエス」は、古典ギリシア語再建音から、日本語にない固有名詞の格変化語尾を省き、名詞幹のみとしたものである。
中世以降から現代までのギリシャ語からは「イイスス」と転写し得る。日本正教会がもちいる「イイスス(Iisus)」は、Ίησοῦς の中世ギリシア語・現代ギリシャ語に由来する転写(中世・現代のギリシャ語では"η"は"ι"と同じとなり「イ」と読む)である。正教古儀式派では、"Исус"(イスス)という、東スラヴ地域でかつて伝統的だった呼称を現在も用いている。
かつての日本のカトリック教会ではロマンス語の発音からイエズスという語を用いていたが、現在ではエキュメニズムの流れに沿ってイエスに統一されている[7]。戦国時代から江戸時代初期にかけてのキリシタンは、ポルトガル語の発音からゼススまたはゼスを使用していた。
アラビア語からは「イーサー」と転写し得る。
キリスト
詳細は「キリスト」を参照
キリストとは、古典ギリシア語「クリストス(Χριστός, Khristos)」の慣用的日本語表記である。「クリストス」は「膏(油)を注がれた者」を意味するヘブライ語「メシア(マーシアハ、מָׁשִיַח, Māšiaḥ)」の訳語であり、旧約聖書中の預言者たちが登場を予言した救世主を意味する。日本正教会では現代ギリシア語および教会スラヴ語から、「ハリストス」と転写する。
この意味で、「キリスト」は固有名詞ではなく称号である[8]。
イエス・キリスト
イエス・キリスト像(『全能者ハリストス』)。12世紀に制作された、アギア・ソフィア大聖堂のモザイクイコン(イスタンブール)。左手に聖書を持ち、右手は指の形がΙησούς Χριστός(イイスス・フリストス[9])の頭文字である「ΙΣΧΣ」を象るように整えられ(伸ばした人差し指:Ι、曲げた中指と小指が:Σ、親指と薬指の交差がΧ)、見る者を祝福する形に挙げられた姿で描かれている。
「イエス・キリスト」はギリシャ語で主格を並べた同格表現であって、「キリストであるイエス」「イエスはキリストである」の意味である。マタイ伝・マルコ伝はそれぞれの冒頭で「ダビデの子イエス・キリスト」「神の子イエス・キリスト」と呼び表しており、この結合表現は新約の他の文書でも用いられている。パウロ書簡には「イエス・キリスト」とならんで「キリスト・イエス」の表現も見られるが、紀元1〜2世紀の間に「イエス・キリスト」の方が定着していった。

「キリスト」は救い主への称号であったため、キリスト教の最初期においては、イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことは「イエスがキリストであることを信じる」という信仰告白と等価であったと考えられる。

しかしキリスト教の歴史の早い段階において、「キリスト」が称号としてではなくイエスを指す固有名詞であるかのように扱われはじめたことも確かであり[10]、パウロ書簡においてすでに「キリスト」が固有名詞として扱われているという説もある[11][12]。よって、今日において「イエス・キリスト」と述べることが常に自覚的な信仰告白である訳ではない。

いずれにせよ、イエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことはイエスを救い主として認めることを含意しており、イエスを単なる宗教運動家・預言者と見なす立場からイエスを「イエス・キリスト」と呼ぶことはない。非キリスト教徒が「イエス・キリスト」の呼称を用いるのは、「キリスト教において救い主として扱われるイエス」を指す場合にのみ適切であると考えられる。
イエス・キリストとは何者か=「神の子」「真の神・真の人」[編集]
以下、イエス・キリストとは何者かについて、正教会、カトリック教会、聖公会、プロテスタントに共通する見解を、主に教派ごとの出典に基づいてまとめる。
イエス・キリストはただ一人の神の子である[13][14][15][16][17][18][19]。
この神の子はロゴス(言葉)とも呼ばれる(ヨハネによる福音書冒頭の「言葉」(ロゴス)はこれを指すと解釈される)[13][14][15][16][18][19]
神の子は、三位一体(至聖三者)の子なる神(神子:かみこ)であり、他の位格(父なる神、聖霊)と本質を同じくする[13][14][15][16][17][18][19]。 ただし「第二の神」といった表現は不適切であり否定される[19])。
イエス・キリストは神の子が受肉(藉身)して人の性をとった、真の神であり真の人である。この人性は、罪の他は全く完全なものである(イエス・キリストには罪は無かった)[13][14][15][16][17][18][19]。 一つの位格(ギリシア語: ὑπόστασις, 英語: person)のうちに二つの本性(ギリシア語: Φύσεις, 英語: natures)があるとする[20]。
イエス伝
各エピソードの詳細は、それぞれの項目を参照。
旧約聖書
旧約聖書に預言されたキリスト
降誕と幼少時代
『イエスの神殿への奉献』(1886年 - 1894年頃の作品、ジェームズ・ティソ, en:James Tissot)
ヨセフの婚約者であったマリアは結婚前に聖霊により身ごもった。 天使の御告によりヨセフはマリアを妻に迎え男の子が生まれ、その子をイエスと名づけた。キリスト教ではこの日を記念しクリスマスとして祝う。
受胎告知(生神女福音)
処女懐胎
降誕(クリスマス)
三博士の礼拝
ヘロデ大王による幼児虐殺
エジプトへの逃避
イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカの福音書によれば、大変聡明な子であったという。
神殿奉献(イエスを捧げる)
イエスの幼少時代
受洗、荒野の誘惑
『曠野のイイスス・ハリストス』(1872年作、イワン・クラムスコイ)
その頃、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで「悔い改め」を説き、洗礼を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼を受ける。
イエスの洗礼
そののち、御霊によって荒れ野に送り出され、そこで四十日間断食し、悪魔の誘惑を受けた。
荒野の誘惑
宣教活動
荒野での試練の後イエスはガリラヤで宣教を開始する(公生涯)また弟子になった者の中から12人の弟子を選び、彼らに特権を与えた。十二使徒と呼ばれる。
山上の垂訓
イエスの奇跡
主イエスの変容
エルサレム入城
オリーブ山の説教
受難、死、復活、昇天
『ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)の夕べ』ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンによる(1869年)、
ハリストス(キリスト)の埋葬準備の光景
フレスコ画イコン『主の復活』(カーリエ博物館蔵)。キリスト(ハリストス)がアダムとイヴの手を取り、地獄から引き上げる情景。旧約の時代の人々にまで遡って復活の生命が主・神であるハリストスによって人類に与えられたという『ハリストスの地獄降り』と呼ばれる正教会の伝承による。最後の晩餐
ゲツセマネの祈り
キリストの捕縛
キリストの裁判
ヴィア・ドロローサ

自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪により、ユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され磔刑(はりつけ)に処せられた。
その後、十字架からおろされ墓に埋葬されたが、3日後に復活し、大勢の弟子たちの前に現れた。肉体をもった者として復活したと聖書の各所に記されている。
磔刑(十字架刑)
キリストの墓
復活
正教会、カトリック教会、プロテスタントなど多くの教派で、キリストの死者の中からの復活は、初期キリスト教時代からの教えの中心的内容とされており[21][22][23][24]、多くの教派で復活祭は、降誕祭(クリスマス)と同等か、もしくは降誕祭より大きな祭として祝われる。
昇天
脚注
1.^ 古典ギリシャ語再建例:イエースース・クリストース、現代ギリシャ語転写例:イイスス・フリストース
2.^ a b X. レオン・デュフール(編集委員長)Z. イェール(翻訳監修者)、(1987年10月20日)『聖書思想事典』47頁 - 56頁、三省堂 ISBN 4385153507
3.^ フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p73 - p75, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353
4.^ a b c Іисусъ, Іисусъ Христосъ - Полный церковнославянский словарь(『教会スラヴ語大辞典』)内のページ(画像ファイル)
5.^ a b c Origin of the Name of Jesus Christ - The Catholic Encyclopedia (『カトリック百科事典』)内のページ
6.^ Христосъ - Полный церковнославянский словарь(『教会スラヴ語大辞典』)内のページ(画像ファイル)
7.^ これは、プロテスタントを初めとする他教派と共同で翻訳した聖書「共同訳」にイエススを用いたところ内外からの批判により後続版である「新共同訳」がイエス(一部はメシア)に統一されたのに由来する。
8.^ Origin of the Name of Jesus Christ - The Catholic Encyclopedia (『カトリック百科事典』)内のページ
9.^ 現代ギリシャでも用いられる語であるため、現代ギリシャ語から転写した。古典再建音では「イエースース・クリストース」となる。また、「フリストス」は転写によっては「ハリストス」となり、これは教会用語としては日本正教会での標準的表記であるが、教派上の中立性を確保するために一般的な現代ギリシャ語転写に本項では則った。他の正教会関連記事では「ハリストス」との転写を用いている。
10.^ ブルトマンはギリシア語:Χριστόςが、翻訳されることなくChristusとしてラテン語に導入されたことを固有名詞化の一根拠としている。 R.Bultmann 1961 Theologie des neuen Testaments 
11.^ R.ブルトマン 同上
12.^ フィリピ3:20などに「主イエス・キリストが救い主として来られる」とある。ここでパウロが「キリスト」を称号として用いていたと想定すると、この句は単なる同語反復になる。
13.^ a b c d 正教会からの参照:Jesus Christ, Son of God, Incarnation(アメリカ正教会)
14.^ a b c d カトリック教会からの参照:Christology(カトリック百科事典)
15.^ a b c d 聖公会からの参照(但しこの「39箇条」は現代の聖公会では絶対視はされていない):英国聖公会の39箇条(聖公会大綱)一1563年制定一
16.^ a b c d ルーテル教会からの参照:Christ Jesus.(Edited by: Erwin L. Lueker, Luther Poellot, Paul Jackson)
17.^ a b c 改革派教会からの参照:ウェストミンスター信仰基準
18.^ a b c d バプテストからの参照:Of God and of the Holy Trinity., Of Christ the Mediator. (いずれもThe 1677/89 London Baptist Confession of Faith)
19.^ a b c d e メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p73 - p75, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353
20.^ Theological Outlines • by • Francis J. Hall
21.^ カトリック中央協議会(2002年)『カトリック教会のカテキズム』298頁 - 299頁、ISBN 4877501010
22.^ J. Radermakeres, P. Grelot(1987年10月20日)『聖書思想事典』730頁 - 735頁 三省堂
23.^ 日本ハリストス正教会教団(昭和55年)『正教要理』52頁 - 55頁
24.^ イエスが父と呼んだ神 第三回 ナザレのイエスへのアプローチ (岩島忠彦:上智大学神学部教授)

関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、イエス・キリストに関連するカテゴリがあります。
ウィキクォートにイエスに関する引用句集があります。
救世主 - メシア
新約聖書 - 福音書
イエスの兄弟、ヤコブ (イエスの兄弟)
INRI
西暦
イイススの祈り
自印聖像
全能者ハリストス
キリストを描いた映画
外部リンク
イエス・キリスト - Yahoo!百科事典
カテゴリ: イエス・キリスト
聖書の語句
ギリシア語の語句

ブラック企業 - W(保存)【前半】

虎馬:ブラック企業 - W 
ブラック企業(ブラックきぎょう)またはブラック会社(ブラックがいしゃ)とは、広義としては暴力団などの反社会的団体との繋がりを持つなど違法行為を常態化させた会社を指し、狭義には新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使いつぶし、次々と離職に追い込む成長大企業を指す[1]。英語圏でのスウェットショップ(英: Sweatshop)や中国語圏での血汗工場(中: 血汗工廠)の問題とはまた異なり、ブラック企業問題の被害の対象は主に正社員である[2]。将来設計が立たない賃金で私生活が崩壊するような長時間労働を強い、なおかつ若者を「使い捨て」るところに「ブラック」といわれるゆえんがある[3]。 また近年ではブラックな働かせ方をアルバイトにさせるというブラックバイトという派生語が登場してきている。

ブラック企業は突如として現れたのではなく、日本型雇用が変容する過程で台頭してきた[4]。従来の日本型雇用においては、単身赴任や長時間労働にみられる企業の強大な指揮命令が労働者に課される一方で、年功賃金や長期雇用、企業福祉が保障されてきた。しかし、ブラック企業では見かえりとしての長期雇用保障や手厚い企業福祉がないにもかかわらず指揮命令の強さが残っており[5]、それによって若者の使いつぶすような働かせ方が可能となっている。 つまり、「強大な鞭とそれに見合った大きな飴」だった日本の労働から「飴」だけがなくなってしまった状態がブラック企業ということである。 企業側が指揮命令をする際になんのルールも課されない状態、すなわち「労使関係の喪失状態」にある[6]ことが問題なのである。
目次 1 概要 2 特徴 2.1 経営者・上層部に起因する問題 2.2 組織の欠陥 2.3 給与・待遇の問題 2.4 退職
3 外部からの見分け方 3.1 求人広告/採用広告 3.2 面接 3.3 職場 3.4 採用 3.5 退職者 3.6 データ・その他
4 ブラックバイト 5 労働者側の対応 6 日本政府の対応 7 各党の対応 7.1 自民党 7.2 日本共産党
8 市民団体の対応 8.1 ブラック企業対策プロジェクト 9 関連書籍 10 脚注 11 関連項目 12 外部リンク
概要
元々は、暴力団などの反社会的団体との繋がりを持ち、違法行為を繰り返す会社を指していたが、
近年では労働法を無視、あるいは法の網や不備を悪用して従業員に長時間労働を強制する企業を主に指す[7]。
1991年のバブル景気崩壊・失われた20年の始まり以降、企業の経営体制は「なるべく無駄を省く」として「コスト削減」に比重を置いてきた。そうしたことからブルーカラー・ホワイトカラーや正規雇用・非正規雇用を問わず、末端の従業員に過重な心身の負担や極端な長時間の労働など劣悪な労働環境での勤務を強いて改善しない企業を指すようになっている。すなわち、入社を勧められない企業、早期の転職が推奨されるような体質の企業がブラック企業と総称される。
拡大解釈として(従業員に対する問題を別として)、事業所の周辺環境や地元への環境・経済面への配慮・貢献、消費者のニーズ・アフターケアに対する考慮が薄い企業などを指して使われることもある。消費者に対するサービスと質が劣悪である場合にも使われることがある。
また、この言葉の元々の意味もあり、経営者の怠慢や不適切ないわゆる“黒い交際”によって反社会的勢力やそれに関連する人物の会社組織への侵入や干渉を許し、組織下層部の従業員に大きな精神的負担を強いている企業をブラック企業の範疇に含めることもあるため、少なくとも以下の要件が当てはまればブラック企業と総称される(両方当てはまる企業も存在しうる)。
企業および経営者の負うべき責任を明確にしていない場合(組織的に責任を免れようとする企業)
従業員や公害病などの被害者(およびその親族)からの訴訟(損害賠償など)を免れようとする企業
末端の従業員(平社員、アルバイト、パート)および待遇を軽視している企業
消費者や地域への貢献度が低い企業(商品・サービスの質に劣る)

言葉の由来には求人広告業界の隠語や、パソコン通信時代のネットワークコミュニティからなど諸説ある。なお2008年には書籍『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』が出版され、翌2009年に映画化、2013年には「ブラック企業」が新語・流行語大賞を受賞し、NPO法人POSSE代表で一橋大学大学院生の今野晴貴が授賞式に出席した。

ブラック企業には、その業種に対する経験・知識が全くない者でも勤まるような労働集約的な体質の企業が多く、そういう意味ではとにかく多くの人手を必要としているため、正規・非正規雇用のいずれにしても一般的な企業に比べて入社は比較的容易であり内定・採用も早い。だが、裏を返せば労働集約的な体質の企業においてそれは「代わりはいくらでも入ってくる」ということであり、末端の従業員とは(短期間での離職を前提とした)使い捨ての消耗品も同然の存在でしかなく、常に新人を募集し続けている。入社後には厳しいノルマや長時間労働、サービス残業などの一方的な企業利益を求められ、人のやりたがらない仕事・割に合わない仕事や理不尽な仕打ち、不可解な人事考課、手柄の横取り、低賃金などに苦しめられ、やがて肉体・精神ともに疲弊し破綻をきたし、最後には企業にとっては用済みの人材として自己都合退職に追い込まれる。平均勤続年数が短い上に短期間での離職率も高く、ハローワークや求人誌・求人サイト・新聞の求人広告/採用広告の“常連”と化し多額の広告費を人材募集に費やすなど、人員計画や従業員マネジメントがなおざりにされたいわゆる「人の出入りが激しい」企業体質であることを自ら露呈していることも多い。

従業員は非熟練者でもそれなりに務まる労働に従事させられるため、従業員教育のシステムは乏しく、社外でも通用する実用性の高い専門技能や資格を身に付けるシステムもほとんどなく、技術系であっても熟練労働者や専門家と呼ばれるには不相応な低水準のスキルしか身に付かない。その様な状況下で従業員は組織の下層でキャリアアップの機会も得られないまま長時間の激務や過大なノルマを強いられるだけになる。そのため、国家資格などの客観的な能力の証明よりも、転職回数の少なさと業務や熟練労働にまつわる職務履歴とその期間の長さが絶対視される日本社会・日本企業においては、ブラック企業とは就職・転職活動において大きな禁忌とされる「経歴を荒ませる」「履歴書を汚す」だけの存在であり、特に内情に通じる同一業界での転職活動ではブラック企業に勤務したという事実自体が採用選考で大きなマイナス要素として作用するなど、労働者にとってはその後の再就職活動においても総じて不利な状況に追い込まれる要因でしかない。また、激務や過重なストレスが主因となり健康や精神を害し後遺症が残るなど、労働者にとっては退職したとしてもその後の生涯にわたって影を落とすような問題も発生してくる。

このようにブラック企業はそれと知らず入ってきた人材の能力・技術・時間・心身を薄給で浪費させて次々と食い潰し、経歴を汚すことによってのみ成り立っている。バブル景気の頃に言われ流行語となった「3K」の概念は主に技能系やブルーカラーの肉体・環境的に厳しい労働を指したものであったが、末端の従業員全般を消耗品同然に扱い心身を毀損するブラック企業は現代の超3K職場とでもいうべきものである。

このようなブラック企業の体質や内情は社会問題・民事訴訟・労災申請・労働基準法違反・事件(侮辱罪・暴行罪・傷害罪・背任罪)などの形で表面化することもあるが、悪質な法令違反が露呈し経営者の逮捕などが起きない限り、社名やその実態が公に報道されることはほぼない。例えば、合理的理由のないリストラ、不当懲戒処分や名ばかり管理職、サービス残業強要、パワーハラスメント、偽装請負、過労死[8]、社会保険の保険料逃れ、派遣切り、不当労働行為、遺族による労災認定訴訟およびそれらの責任から逃れる行為などがある。

労働問題以外に企業統治や法令遵守、 企業の社会的責任にまつわる諸問題が取り沙汰される場合もあり、一般的な企業と比べればコンプライアンス全般について著しく軽視する傾向がある。また、現在ではコンプライアンス違反の発覚が発端となり最終的に企業が経営危機や破綻にまで追い込まれるケースが増えており[9]、ブラック企業においては、マスコミ媒体への広告や製品サンプルの提供などの手段で企業が露呈を食い止めていた企業体質や労働環境の問題が、コンプライアンス違反の発覚をきっかけに一気に世間へと噴出し、経営そのものが不安定になり、最終的に倒産までには至らなくても売上減による人員整理など従業員の雇用に悪影響を与えるケースも少なくない。

とはいえ、ブラック企業であることが原因で企業が現実に経営危機や破綻に追い込まれるケースは決して多いものではない。特に大企業の場合は、違法な形で人件費を節約する代わりに低価格で消費者にサービスを提供し、そのニーズに応えることができている企業であるケースが多い。他面、ブラック企業であるとする風評が人員の確保に悪影響を及ぼすことはあるが、熟練者を確保する必要性がない業界の場合、生活保護者等ブラック企業であろうと就職することがやむを得ない状態になっている者を確保すればよいため、悪影響も軽微である。従って、ブラック企業を市場によって淘汰することは困難であるし、またブラック企業がブラック状態を止めることも、(同業他社のブラック企業が淘汰されず上記のような「消費者にとっては」良い企業であった場合)消費者離れを招くためできない、と言う現象が起こってくる。

悪影響は家庭にまで及ぶ。過重なストレスは夫婦間の不仲や家庭内暴力、離婚の一因となり、そのような環境は子供の人格に悪影響を及ぼし、子供の非行や無気力化(不登校や学力低下など)、最悪の場合犯罪の要因となり得る。これらは世代を経ても同じことが繰り返される可能性が高く、そしてそれは同時にブラック企業が淘汰されず存続し続けることも意味する。

ブラック企業は基本的に日本の企業・経営者が慢性的に抱える体質・慣習に根ざした問題であるが、風説・通説に基づいたレッテル貼りという一面も全否定はできず、「会社を解雇になった人間や就職活動で採用されず会社で働いたことすらない人間が腹いせに流布しているだけに過ぎない」という批判も存在する。しかし、従業員や就職希望者にとってのブラック企業の存在とは単に自身の経歴や履歴書の評価を貶める脅威のみならず、健康や人生設計、そして最悪生命までをも破壊されかねない大きなリスク要因であり、例え不景気のような悪環境下であってもそのような企業への就職を避けようとインターネットなどでは活発な議論・情報交換は広範に行われており、その中で情報は分析され、「腹いせ」や「出まかせ」で書き込まれた情報は偽物とみなされる傾向にある[8]。したがって、「会社を解雇になった人間や就職活動で採用されず会社で働いたことすらない人間が腹いせに流布しているだけに過ぎない」という批判がそのまま対抗言論として成り立っているとは言いがたい。 人数が少ない中小企業は情報自体が出てこない、労働基準監督署が指導を行ったや裁判で労災認定判決が出たといった、客観的な法令違反など問題行為が外部に漏れることはほとんどないため、対策を取れないのが現状である。

特徴[編集]



お願い:例ですので、大量に挙げずにわかりやすく説明してください。

「ブラック企業」体質の具体例としては、以下のような点が挙げられる。これらの実態が分かると誰も入社しないので、後述するように求人誌などで虚偽あるいは意図的に誤解を招くよう、曖昧な情報を掲載してでも入社させようとする。

経営者・上層部に起因する問題[編集]
責任感の欠如経営者・上層部に「社内で強大な権限を持つ代わりに重い責任も負っている」という根本的な責任の自覚がない。(実際は権限だけ大きく責任は末端に押し付けている)
経営者・上層部の負うべき責任を(広告、公式ウェブサイトなどで)明示していない。
独裁的経営、恐怖政治的経営、ワンマン経営、同族(親族)経営、社会的成功による増長などが要因となり、成り行き任せの経営、法制度に対する軽視が蔓延している。
部下に対する暴力制裁の横行。確信犯的にパワーハラスメントを繰り返し、それを指摘されると言いがかりであると主張する。実際に暴力を自覚していないことも多い。
暴言や暴力などのパワーハラスメント、職場いじめが起こっても「言われたことができないから」とか「これぐらい耐えて当然」などと黙認、正当化する。または上司や幹部が職場いじめに加担している。問題化した際には激励・叱責・教育などと主張したり、「そんなことしたつもりはない」「指導の一環である」と管理責任の全否定に走る。
公害病や労働災害(過労など)の被害者および遺族から損害賠償の支払いを求める訴訟が発生しても、その責任を認めようとしない。 仮に損害賠償の支払いを命ぜられたとても、その責任を免れようと控訴する姿勢を見せる。

末端従業員の犠牲と大量消費を前提とした経営一時的に大量採用したり、社員を全員名ばかり管理職にするなど、従業員の過剰な負担や、短期の雇用による使い捨てを前提としたビジネスモデルが構築されている。
雇われ店長、名ばかり管理職などの一部の現場の責任者がまともな権限や待遇を与えられず責任だけを負わされる。不祥事や事故が起きても末端社員に刑事責任・社会的責任や国家資格の剥奪などのペナルティを全て負わせ、経営陣には一切の責任が及ばないシステムが巧妙に構築されている。
上層部と一般従業員や中間管理職の間には血縁といった、決して越えられない壁がある。
周辺人物や交友関係が原因の労働環境の悪化経営者・上層部に暴力団などの反社会的勢力やフロント企業との関係がある。あるいは、それらの構成員や関連の深い人物が内密ないし公然と経営に関与・干渉している。
経営者・上層部にカルト、宗教団体、新興宗教との繋がりがあり、会社組織やその上下関係が教勢拡大に利用されている。
会社経営の知識が一切なく、経営的責任を負う立場でもない社外の人物(元官僚や県市町村職員の天下り、経営者の親族や時には愛人など)や、経営者や会社と特定の利害関係を持つ人物が会社組織に入り込んで我が物顔で跋扈したり、会社や資産を私物化している。現場の実情や現実性を無視した素人経営や、反社会的勢力による組織や経営への介入・干渉が引き起こされるなど、労働環境悪化の原因となる。
会社の宗教化経営者を神格化し、個人崇拝を強制する。職場に経営者の写真が飾られており朝礼や出社時に礼をする、経営者の偉業を湛えることを趣旨とした社内行事があるなど、
経営者の個人歴や言語録の暗記、経営者の著書の購入、感想文の執筆などが通常の業務の一環として義務付けられおり、経営者への信仰心が仕事の評価に繋がる仕組みになっている。
サービス残業など劣悪な労働環境が美徳とされており、それらを自主的に行わざるを得ない雰囲気が作られている。外部で問題化した際は「従業員が自主的にやっている」と主張したり、信仰心の強い社員の言動を盾に「これを問題化することは従業員に対する侮辱だ」と主張する。

組織の欠陥[編集]
組織の硬直化職務分掌がまともに機能していない。合理的かつ合法的に仕事を行う組織やルールを作らない、作ることができない。存在していても、むしろ守らないことがルールになっている。
「はい」以外の返答の禁止、「サービス残業は誇りである」「パワハラではない、愛の鞭」といった異常なポジティブ思考の強制など、上意下達と絶対服従のみが徹底化された組織。下層の従業員は会議にも参加できず、業務上の問題点の指摘もできない。
問題行為の横行、上層部の自己保身が容易自分の成績や自己保身のために部下や周囲を次々と食い潰すクラッシャー上司[10]や、同様の行為を部下や同僚に行う正社員・従業員を放置し、また職場の問題として認識・対処するシステムがない。
従業員の人格や人権を軽視した洗脳的な教育や研修。具体的には、「能力開発」「社員研修」「自己啓発」と称して人里離れた交通アクセスの不便な場所への泊り込みのセミナー参加を強制し、会社や経営者に対する絶対服従など従業員への洗脳を施し、会社のために命を投げ打つことも厭わなくさせる。
自分たちが責任を負うべき指示は口頭で済ませる。レコーダーなどで録音[11]しない限り証拠が残らないので、指示者がミスをしても証拠がない。一方「従業員が責任を負う」とする念書や誓約書を強要し、従業員にコピーの控えを持たせない。
恣意的かつ報復的な業務命令や人事(パワーハラスメント)の横行。客観的・合理的で正当な業績評価や職務評価が行われない結果、適材適所の人材配置ができない。
前述のパワーハラスメント、職場いじめにより従業員を屈服させ、経営者や幹部に逆らえないようにさせる。軽微なミスでも多数の面前で声高に罵倒し始末書を書かせたり、監禁や自主退職強要(俗に言う追い出し部屋、退職勧奨など)を強い、解雇に近い自主退職に追い込む(労働基準法では、単に「仕事が遅い」「営業成績が悪い」などという主観的な理由では容易に解雇できないため。ハローワークに採用したにも関わらず解雇したら補助金が打ち切られるためでもある)。
監査役が形だけで機能せず、経営陣と共に企業犯罪に加担しているケースもある。名義だけ監査役の人間がいる場合もある。会社の不正や法律違反・問題が起きた場合に取締役会議や経営者側に問題提起をしたり警察、法律機関に通告をしない。もしくは上層部の指示または不祥事が上層部に明るみになると制裁が待っているので社員ぐるみで隠蔽する。
不明瞭な指示で部下や顧客を混乱させる。相手が知るはずもないことも知っている前提で、主語や要点を省略した指示をする、本人にしか理解できない独自の表現を用いるなど。改善を求めても「ピンと来ない方が悪い」と譲らない。
社内カースト、正社員と非正規雇用者を意図的に階層化することを目的とした労働規約。上司より先に退社してはいけない、派遣社員はエレベーターを使用してはいけない、など。
従業員への過重な負担強烈なプレッシャーとストレスが掛かり続ける結果、会社組織末端の従業員や下級管理職が鬱病やPTSDなどを発症して次々と倒れてゆく。最悪の場合、自殺者が発生する。
肉体労働に於いて作業環境、必要人数や従業員個人の力量を無視した過重労働。従事する従業員に極度の疲弊や過労を誘発。やはり心身への悪影響、ひいては重大な災害や上記のようなケースに至る。
仕事とプライベートの区別がない。業務に私情を持ち込み、私情に業務を紐付ける。親睦を深めることを口実にしたプライバシーへの干渉、業務の効率化を目的とした生活指導など。
会社の行事(飲み会、懇親会、運動会、ボランティアなど)や政治活動にも参加を強制(建前上は自由参加の場合も多い)。欠席者を無断欠勤扱い、職場で告げるべき重要な連絡を酒の席に持ち込むなどして、参加せざるを得ない状況を作り上げる者も。
従業員の家族までも対象にした社外活動や、それを契機にした「家族会」の活動、社内結婚・見合いの半強制的な“推奨”、冠婚葬祭への介入などで家族ごと会社に縛り付ける。
SNSを通じた24時間体制での干渉。特にFacebookやLINEでの実名アカウントの作成を強制、もしくはプライベートアカウントの情報提示と仕事関係者のフォローを強制し、24時間365日体制の公私混同ネットワークを形成する。
従業員の対抗への封じ込め労働組合は存在しない、若しくは労働組合があっても形骸化している、御用組合に強制的に加入させる(黄犬契約で違法)。御用組合が「第二人事部」のような存在となり、加入している組合員を監視させている場合もある。労働争議が起こった際も御用組合が会社の主張を労働者側に無理やり認めさせて「和解」させるケースも。
経営陣が従業員の言動を徹底的に監視する。社内の盗撮や電話の盗聴、監視カメラ、密告の奨励、交友関係の監視やサーバー上に保存されているメール・インターネットのアクセス履歴の盗み見[12]、SNSでの発言の監視やプライベート活動の監視など。目的は従業員同士の団結をさせないこと。およびプライベート(勤務時間外)での活動や人間関係を盾にした制裁や脅迫。このような会社は労働組合、御用組合すらない会社もあるという。
行政機関(労働基準監督署・社会保険事務所など)に呼び出され、または職員が訪問してきた際、経営者に不都合な話を聞かせないよう、社員を隔離する。

給与・待遇の問題[編集]
激務で長時間労働・過重な責任常に収益の向上を名目とし、人件費削減を過剰に追求しているため、仕事量と内容に対して人数が絶対的に不足しており、作業量が過重な上に増員や分業もできない。例えば技術的な知識の浅い素人が「セールスエンジニア」「技術営業部」などの肩書きで、「外回り営業」をしながら同時に「自社製品のメンテナンス」を兼任させ、本来は專門技術が必要な「修理作業」も行わせる。
残業が当たり前で、定時に終わらせることなど到底無理な仕事量を押し付ける。定時に社員全員のタイムカードを押させるなど工作し勤怠記録の偽造や捏造、あるいは悪質なケースでは勤怠記録の改竄する場合もある。または「定時までに仕事をこなせなかったお前が悪い」などと叱責し、サービス残業を強制することも。
勤務時間外や休日の「接待」(特に「接待ゴルフ」)の頻度が異常に高い。
部下や社員を付き人や家政婦のような扱いをする。休日に私的に呼び出し、雑用係として連れまわしたり、社長宅の掃除や家事をさせたりする。自分からの呼出しに最優先で応じられるように休日の過ごし方も指導する。
過労や心身の不調、労働災害に対し自己責任論を持ち出す。従業員に非現実的な身体能力(絶対に疲れない、眠くならない、人体に有害な環境でも平気、泥酔しても安全運転etc)を求め、全ては従業員の能力不足に起因するというスタンスを貫く。
人事考課制度や給与システムの恣意的な運用「成績や頑張りに見合う」「努力が報われる」など、客観性のない給与制度として成果主義や年俸制を導入するが、真の目的は人件費削減。営業部門・技術部門だけでなく定量的な判断が難しい人事・総務部門にすら導入。上層部は難癖をつけて社員の俸給を上げないように意図的に悪い評価を付ける。
裁量労働制やフレックスタイム制やみなし労働時間制を悪用して、社員の拘束時間を無制限に延ばし、残業代を出させないために導入しようとする。
トライアル雇用や若者チャレンジ訓練といった、国(厚生労働省)の就業支援のための雇用制度の悪用。補助金などを搾取し、用済みとなったところで解雇する。
当直の労働基準監督署への届出をしていないのに、当直と言い張り、時間外の勤務に対して労働対価を支払わない[13]。
交代勤務(2交代)の場合、拘束時間が12時間であることを直接記載せず、実働時間が8時間であるように誤認させる。 例:「昼勤 9:00 - 18:00 / 夜勤 21:00 - 6:00」(昼勤の18時 - 21時、夜勤の6時 - 9時も残業として拘束時間に含まれる)。交代勤務の中で休憩が与えられていないにもかかわらず休憩を取得したように申告させる。
週休一日のみで週40時間の労働を順守できないにもかかわらず、届出に「週40時間」などの虚偽を記載させる(残業時間を除く)。
有給休暇を認めない、あるいは可能であっても取得理由の提示、日時の変更、私事では利用できないなどの条件、制限などがある。もしくはセミナーや焼肉大会など強制参加の行事を有給扱いとし消化させる。
薄給の上に経費が自腹。転勤(引越し)や備品の購入に要する諸経費の全額(または一部)を自己負担させる(会社側で全額を負担しない)。出張に必要な交通費や宿泊費でさえ、自己負担もしくは給与から天引きされる。
勤務に必要な制服や道具などを会社が負担・支給せず、逆に従業員に購入させる。購入が入社の条件というケースも見られる。
勤務に必要な設備や備品を「稟議が通らない」「なくても仕事はできる」などの理由を付けて購入せず、「どうしても欲しかったら自分で買え」と事実上の自己負担を強制する。さらに、自腹で購入させた後に社用物扱いにさせ、会社のものにしてしまうケースも。
ノルマ未達成の苛烈なペナルティノルマが達成できない場合、所得税や保険料などを控除した手取り額を時給に換算した場合の額が最低賃金以下になる。「罰金」などの名目で控除したり、給与を自主返納させたり、「自爆」行為[14]を強制させて手取りがマイナスになる場合もある。
仮にノルマを達成しても「できて当たり前」という認識しかないため、売上や利益が賃金に還元されない(ノルマの達成に対する手当や報酬がない)[15]。
あらゆる不可抗力に対しても罰金を取る。 例:設備の自然故障や、悪天候・自然災害などによる電車の遅延や運休、事件・事故の被害者になった場合でも例外なく罰金を取る(従業員が死亡した場合でさえ遺族へ請求する)。
また、こうして徴収した罰金や半ば強制的に「自主返納」させた給与を上司や経営者側が記録に残さず詐取して私的に使用したり、膨大な内部留保、不正蓄財の根幹を成しているケースも多い。
心身の健康を害するほどの身体的・精神的ストレス2交代制や3交代制の交代勤務や、交代制勤務でなくても終電過ぎまでの勤務や何日も会社に泊り込んでの仕事など、体調を崩したり、鬱病(うつ)などの精神疾患を発症する。さらに過剰なストレスによるPTSDの発症、発作的な自殺や過労死など生命を失う事態も。
上述の「クラッシャー上司」にまつわる諸問題。「クラッシャー上司」の部下にされた者は過剰なプレッシャーとストレスを掛け続けられ鬱病を発症し、次々と倒れてゆく。
スキルアップとキャリアアップは皆無ブラック企業では従業員は数ヶ月から数年で退職に追い込まれる羽目になる。だが、仮に何年も勤続したところで業務スキルや専門的なノウハウがほとんど身に付かないなど、キャリアアップのシステムや支援は実質的にない。
対外的に通用しスキルアップに繋がる国家資格など公的資格の取得に対しては、消極的な姿勢を取る。資格取得は使役する側にとっては資格手当など人件費増加の要因でもあり、特にブラック企業では企業が必要とする従業員である場合にも対外的に通用する資格の取得完了が退職の契機になるため。さらには受験資格の証明などの必要書類を発行しない、社内行事の日程を資格試験の当日にぶつける、実技試験がある場合でも社内の機械・工具での練習を許可しないなど、受験自体を妨害する。
同業他社などにもその様な実情が知られており、退職後の転職活動では職歴がマイナスにのみ働く。
資格取得のノルマ化
「ベンダー資格#ベンダー資格の注意点・問題点」も参照
「社内全体のスキルアップ」などを名目に、社外では通用しない内容の社内資格制度が乱発され、その取得数を部署や営業拠点の単位で競わされ、従業員単位で見れば事実上ノルマ化している(「接客マイスター」「お客様対応エキスパート」など)。
社外でも通用する資格の取得を会社が命令することもあるが、この場合、会社と取引関係がある企業の運営する民間資格・ベンダー資格であったり、国家資格・公的資格の場合は合格率の低い難関資格など、会社の都合による資格の取得で、これが絶対ノルマとして課される。
忌引制度の有名無実化肉親や配偶者、実子が死亡しても職場の都合を優先させて忌引を認めない。あるいは、有給休暇を消化させる=有給休暇が無い場合は事実上忌引を認めない。あるいは忌引制度を行使できる対象が制限される。
契約社員や派遣社員、パートになれば、忌引そのものが一切認められない。

退職[編集]
常識的な円満退職は期待できない従業員側からは短期間かつ単純には辞められない。「どこに行っても通用しない」などと脅迫したり、退職日を勝手に先延ばしする。一方で会社側からは自由に退職(実質的には解雇)させられる。
退職届を受理せず、全て懲戒解雇にしたり、さらには退職後に会社から損害賠償を請求してくる。 退職金の支払いを回避するために懲戒解雇にでっち上げたり、法的根拠の有無は関係なく感情と腹いせで請求する。

強制的な借金や強制貯金。退職する際に借金返済を迫るなど、会社に縛り付けるために行われる。風俗業や日雇業に見られる。
退職の理由欄に「自己都合」などと記入させたり退職届と称して辞表を提出するよう強制する。労働基準監督署へ提出する書類にはセクハラなどで退職する場合でも、理由に関わらず一切「会社都合」として処理しない。再就職に影響が出ると脅す場合もある。
退職者が離職票を請求しても「法律で義務付けられていない」などの口実をつけて渡さない。同様に会社に預ける必要があり、退職時に本人に返却しなければならない国家資格などの資格証明書を自主的に返却しない。

外部からの見分け方[編集]

ブラック企業の見分け方はいくつかの方法がある。[16] 一般的な労務体質の企業であるか、あるいは異常なブラック企業であるかを見極める、その最も簡単な方法は離職率・平均勤続年数・および社員の待遇である。離職の理由は様々であり全ての離職がブラック企業であることに起因するわけでは当然ないものの、離職率の高い企業や平均勤続年数の短い企業はどのような大手・有名企業・上場企業や外資系・老舗、逆に新興企業・零細企業であれどもブラック企業として評価される一因となり得る。しかし、離職率や退職者数は外部にほとんど公開されず、たとえ公開されていたとしてもその数字の信憑性もまた別であり、企業が急拡大している最中であったり、株式上場やM&Aなどの影響で短期的にデータと現況が激変することもあるので、企業ごとに実状を見抜く、あるいは推し量ることは難しい。経済誌や趣味誌などの専門雑誌やニュースサイトによる報道・記事という形で企業・事業所の内部が紹介されることも少なくないが、ブラック企業でも継続的な広告出稿やサンプル提供により報道サイドと密接な関係を築いて労働問題が露呈することを防いだり、記事があっても企業のイメージアップを目的に書かせた提灯記事ということも多く、参考にならない。

なお、2012年11月7日の日本経済新聞に、厚生労働省がまとめたとされる大卒3年目(平成21年度卒)の離職率が掲載された[17]。それによると、全産業の平均は28.8%であり、産業別では以下の通りである。
教育、学習支援業 48.8%
宿泊業、飲食サービス業 48.5%
生活関連サービス業、娯楽業 45.0% ※理容、クリーニング業、冠婚葬祭業、パチンコ、カラオケなど
医療、福祉 38.6%
不動産業、物品賃貸業 38.5%
小売業 35.8%
サービス業(他に分類されないもの) 33.9% ※廃棄物処理、自動車整備、業務請負、労働者派遣、ビルメン、警備、ディスプレイ業など
学術研究、専門・技術サービス業 31.7% ※士業、デザイン事務所、広告、撮影、獣医(動物医院)業など
建設業 27.6%
卸売業 26.8%
情報通信業 25.1%
運輸業、郵便業 20.8%
金融・保険業 18.9%
複合サービス業 16.4% ※協同組合など
製造業 15.6%
電気・ガス・熱供給・水道業 7.4%
鉱業、採石業、砂利採取業 6.1%

これによると、教育や宿泊、飲食、生活関連サービスといった労働集約型の業種での離職率が高い(45%以上)ことが伺える。ただしこのデータは離職の理由を問うていないため、ここでの「離職者」には転職や結婚・出産などによる、「自発的な離職」も含まれている。

2011年にはあるNPOの主催で、就職活動中の学生を対象とした“ブラックとそうでない企業を見分ける法”のセミナーが開催された[18]が、若者が「入社して内実をその身で痛感して初めて実態を思い知った」ということになったり、さらには生涯一度の新卒就職の機会をブラック企業への就職で棒に振ってしまうなどということが度々発生していることも現実である。

しかし、社内の内実は、就職後だけではなく、就職を目指して求人票や求人広告をチェックしていく段階、そして面接で企業・事業所を訪ねた際などにも、注意深く観察していれば気づけるものがある。

上述の通り、ブラック企業は労働集約的な企業体質で人材を次々と使い潰してゆく。そのため、求人広告の出稿は恒常的とも言える高頻度であり、その文面には特徴的な要素が存在する。また、平均勤続期間が短い上に離職率も高い、すなわち従業員の入れ替わりが激しいことから、概して同一業界内の末端各所や企業所在地の周辺地域には数多くの若年層・中年層の元従業員がおり、口コミやインターネットの業界関係や地元関係のコミュニティなどを通じて企業にまつわる多くはネガティブな噂も立つ。結局、地元地域で出稿しても人材を集められなくなり、地元企業としての地縁や知名度が無い、数十kmも離れた遠隔地や隣県で求人広告やハローワークの求人を繰り返し出稿したり、人材派遣会社を介する形で人材を集める様な企業もある。

また、ブラック企業は他者や周囲の犠牲や過重な負担、自業界の発展への阻害などを省みずに自己と経営陣の経済的利益のみを追求する利己主義的体質もその特徴であり、地元貢献・社会奉仕・地域共生・業界成長などという理念も有名無実のものであるため、元従業員との関係のみならず、事業所所在地の行政との関係も微妙なものであったり、あるいは同業者や地域の商工関係者との関係・交流が希薄・皆無であることは珍しいものではなく、さらには設立や進出から何年も経ち、幾ら規模が拡大しても地元企業や事業所としての地域社会からの実質的認知や、優良企業としての業界からの認知も得られぬまま、「内実の怪しい会社」と陰口を叩かれていたり、ヨソ者扱いをされ続けているということも多い。

この様な形で、同一業界や退職者、地元地域などの各所から得られる情報や企業に対する彼らの肯定・否定は、その企業の内情を外部から知るための貴重な情報源である。

以下に挙げるのは、一般的にブラック企業の可能性があるといわれている例である。



お願いです。:例ですので、あまり大量に挙げないようお願いします。

求人広告/採用広告[編集]
求人広告/採用広告企業独自の採用サイト、入社案内などのほか、就職情報会社が運営する就職サイトなどを採用広告と呼び、フリーペーパーなどの求人情報を求人広告と呼ぶことが多い。
求人広告/採用広告は、求人している会社が自社制作することは皆無で、就職情報会社など外部の会社が請け負って制作するケースがほとんどである。 制作を依頼する際、数万円〜数十万円の広告料を支払っているため、否定的な内容が描かれることはない。

学校のキャリアセンターに掲載される求人票とハローワークの求人票は上述とは異なり、学校やハローワークの書式に企業の担当者が情報を書くケースが多い。
近年は、FacebookなどのSNSを利用して、ダイレクトに求職者に情報を開示するケースが、新卒採用においては増えつつある。
募集人数企業の現在の従業員数に対して、大量(高い割合)の募集人数(一例:現在の従業員1,000人に対して300人の募集[19])である場合→社員の退職が多く、社員の入れ替わりが激しい可能性がある。
離職率「従業員の平均年齢が○歳前後」と、記載が曖昧→大半が平均年齢前後で退職しており、ベテランがあまりいない。
「若い仲間が多く…」→ベテランはいるが、若手社員の退職が多く、社員の入れ替わりが激しい。期間を明示しない短期の雇用または使い捨て・使い潰しを前提とした大量雇用を行っている疑いあり(あらかじめ雇用の期間を明示している場合を除く)。
ノルマ「若い社員にも重要な仕事を任せる」→ 未経験者同然なのに仕事の指導やアドバイスがほとんどなく、入社と同時にベテランと同等の仕事をこなすことを要求し、その責任が若手社員に転嫁される。若手社員に重量物の運搬や、危険を伴う作業を押し付けたり、名ばかり管理職に就ける場合もある。
「ノルマなし」「頑張った分だけ報われる」→実際は「従業員が定めた自主目標」として会社側が設定するよう強要する。年度の変わり目などに「自主目標」を少しずつ高く設定するよう強要する。達成できなければ懲戒解雇などの制裁が待っている(達成しても手当がない)。
長時間労働「アットホームな雰囲気」[19]→実際は、上司らが休日やプライバシーへ過剰に干渉してくる。サービス残業・付き合い残業が恒常化。休日も会社の行事に強制参加。
「残業なし」→「残業代なし」という意味。タイムカードで残業の記録を途中まで付けてそれ以降も残業を継続させたり、本人の「意思」で残業すると帳簿に書かせたりする。自己責任の名目の下「無給」で残業させることであり、管理部門に多く見られる状況。
「少数精鋭」→仕事量に対する人員配置がきわめて過少な状況で、まともに分業できていない場合が多い。残業や休日出勤も恒常化し、社員のプライバシーが干渉されやすくなる。大規模人員削減を終えた企業の採用などでしばしば聞かれる文言。
給与「月30万円以上可能!」のように、高給を強調する→基本給に残業・休日出勤・夜勤などの手当を(労働基準法で認められる上限まで)加算し、少しでも高く見せようとする[19]。欄外にその旨が目立たないよう小さく併記することがある(例:月30万円以上可能!(残業・休日出勤手当含む))。歩合給の比率が大きいにもかかわらず、従業員の平均年齢・勤続年数の割にモデル年収が不自然に高いこともあり、これらの情報が目立たないよう記載されている(基本給と手当ての内訳について説明されていない)。
「あなたの努力(がんばり)を正当に評価」→経営者の主観的・恣意的な基準でしか評価せず、難癖付けて給料を上げようとしない。またはノルマ達成が当たり前で給与はノルマを大幅に上回ったときでしか増額されない。
イメージの偽装「明るい雰囲気」→「明るいという感想を強制される雰囲気」。体育会系的な体質の企業(根性論中心の営業職、精神論中心の社風、経営者や上司、先輩社員による理不尽な暴力や暴言が日常茶飯事)
求人誌での好々爺風の初老の男性や綺麗目な女性の写真や、社長と社員が笑顔で語らう写真など無害そうなイメージを前面に出す企業→印象操作によりブラック会社であることを逆に隠そうとしていることを疑わせる。
求人広告や会社の求人用パンフレットでの「働きやすい」「実力を発揮できる」「私(僕)の人生を変えた」などの体験談→上層部や求人誌の制作会社による「やらせ」。
求人サイトにおける「学生に人気のある企業ランキング」の投票でアルバイトを雇ったり社員を動員させたりして「組織票」を入れさせ、あたかも大学生に人気があるかのように擬装する。
「明るい明日」、「明るい未来」、など曖昧かつポジティブな将来像を強調する。→現状はその正反対であるということ。
業種・職種の偽装不人気な業種・職種で募集する際、カタカナ語や専門用語、あるいは独自の造語などを用い、誤認を導く曖昧な表現が多用されている[19]。 例えば、不人気な職種である飛び込みの訪問販売や営業を「販売」(小売業のような店舗内での販売と誤認されやすい)または「○○アドバイザー」「○○エージェント」「○○プランナー」と言い替えたり、「お客様サポート」が修理とクレーム対応の電話係を兼任させるなど。
パチンコ・パチスロ店の場合、業種を単に「遊技場」[20]「パーラー」としか記載せず、店員を「アミューズメントスタッフ」「ホールスタッフ」のように表現する。ゲームセンターのスタッフも「アミューズメントスタッフ」と呼ばれることがあるため、混同しやすい。

高給の職種を強調する求人誌の中には、職種が単に「営業」「販売」(悪徳商法・詐欺的な訪問販売や勧誘の可能性あり)「接客」(違法風俗の業種・職種の可能性あり)「データ入力」(迷惑メール業者や出会い系サイトのサクラ役などパソコンやインターネットを使った犯罪を生業とする会社の可能性)などとしか書かれていない企業もあり、業種や職種を明確に記していないのもある。
「講師募集」→悪徳教材会社の訪問販売。また、実際の「教室」である場合でも、異業種の会社が手掛けるサイドビジネスであることも珍しいものではなく、全く門外漢の上司に振り回されたり、講師業とはかけ離れた会社の本業を手伝わされることも多い。
内勤事務の求人にもかかわらず「要普免」→物品の調達や別の事務所での打ち合わせ、顧客の送迎などで社用車を運転する必要性もあるが、入社後に「人手不足」「適性が欠如している」などの口実をつけ、営業職へ強制的に職種転換させるケースもある。
業務請負会社・人材派遣会社の「営業」や「コーディネーター」→請負社員・派遣社員の募集。「現場研修」の名目で、取引先(請負先・派遣先)企業に単なる請負労働者・派遣労働者として請負・派遣する。
募集職種が「幹部候補生」→小売業や飲食業など、接客業に多い。実際はただの店長募集。正社員募集とセットになっていることが多く、店長が「名ばかり管理職」扱いをされる可能性も。
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