私は、音楽の人でも、サウンドの人でもないし、正直、何か音楽を聴くっていうことが趣味とか生活にほとんどない人間なんですが、「ジャニスの祈り」って曲は好きだし、ジャニス・ジョップリンの曲はちょいちょいCMやらなにやらで聞いたり、私にしては珍しくCD借りたりもした方です。
ということで彼女のドキュメンタリー映画がるというので見てまいりました。
映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』公式サイト
まあ映画が好きと公言してる割に、ほとんどがDVD、劇場で見る機会もなかなかないのですが、この映画は何とか高松市のソレイユで見ることができました(しかも後で知ったんですが、秀作の音楽ドキュメンタリー祭りの一作品だったみたいで他のも見たかった...)。
一言で申し上げると、「ヒドイ映画」でございました。「ヒドイ」というのは、文字通りの悪い意味ではなく、もう、語られてくるジャニスの生き様が、そしてそれがスター独特でしょうが、証拠物件の様な様々な映像になった過去の姿と相まってみごとに再構成されて、本当に「心を揺さぶろう」とされているのかもという、作り手に対する見る側の私の緊張感の防波堤が一挙に決壊するのではと、そう思わせる先品でした。そのくらい「ヤヴァい」し「ヒドイ」作品です。
そんなに音楽詳しくないとはいえ、彼女が「全米不細工チャンピョンシップ」的な大会に無理やり大学時代エントリーさせられた話だとか、生き急ぐ生き方をしたのは知っていましたが、改めて、そう、いま生きていれば74歳の彼女が歩んできた時代と合わせて彼女の足跡をたどりつつ、彼女が時代の中で独自の抱えていた「闇」のような部分も見すえて映画いて見せてくれて、みてよかったと主ながらも、帰りに、この「重い想い」を聞いてもらえなければ、、、、という意味で半空さんで少し気を楽にしなければ帰路につけなかったです。
彼女は南部生まれで、公民権活動への関心と、利発に振舞う性格から、とてつもないくらい高校生活を送ったようですが、20歳になったときに友人の誘いで音楽活動でサンフランシスコに拠点を移します。現在だと、IT的な意味でいわれる西海岸思想ですが、1960年代のサンフランシスコが、ビートニク、同性愛コミニティ、ヒッピー、COMMUNEなど、様々な点で自由を模索する実験的な場所であり、当時全米各所で盛り上がりつつあった公民権運動がさらに独自の触媒となった点も垣間見ることができました。ベビーブーマーにとっての60年代のサンフランシスコというのは、特別な意味があったんだろうなと。そういった意味では、いわゆるスティーブ・ジョブスなどもその「洗礼」を受けていたのではないかとかね(最近にわかファンも減りましたね)。
ジャニスのドキュメンタリーは過去にもあったようなんですが、私は今まで見ていないので、本作と既存の作品との比較の仕様もないのですけれど、今回の監督は、エイミー・バーグ。「フロム・イービル」という作品では、教会内部の児童虐待の真実に迫る、ひりひりするような秀作を手掛けていた人だっただけに、今回の作品でも、そういった場面がいくつもあります。
特にジャニスとかかわりのある音楽仲間や元交際相手などは、言い方は悪いですが、メディアの中で消費されていくジャニスのアクセルを踏んだ一人であることは間違いない人たちであり、そういった人たちが複数名出て生前の彼女を証言しています。それが肉薄すればするほど、彼女の生き方のリスクが大きく、感じるものは多いけれど、とても「ヒドイ」生き方をあえて選択している切なさというものがその分とても振り子のように寄せてきて、本当に決壊しそうでした。一番私にとって、「ヒドイ」と思わせられたのは、おそらく人気の絶頂にありながら、でも孤立感を感じていた傷心の彼女がテレビ番組でふと「高校の同窓会に招待されたので参加する」と宣言する、その後のシーンです。いじめられ、かつ友だちも誰もいないであろう同窓会に、彼女はメディアを引き連れて急きょパーティー会場で記者会見を開きます。それを遠巻きに見つめる同窓生がまた彼女の存在に向ける眼差しの冷たさは、何とも言えない過去の同級生と彼女の関係や黒歴史を瞬時に垣間見せました。まさに百聞は一見にしかず、という、映像ならではの見せ方でした。
さらに、ウッドストックでは、薬物のためにフラフラでステージに立つのもやっとなくせに、サポートされながら、観客に向かって歌う前のスピーチで「音楽は、楽しくなくちゃ。体調に気を付けながら楽しんでよ。」というようなことを発っします。もう、どう突っ込んでいいんだというようなことを言いながら呂律が回らない彼女の姿がこれまた鮮明に突き刺さります。
あー本当に、「ヒドイ」映画でした。内容ではなく、その内容に肉薄することで、メディアと、時代、そしてアイデンティティー・ポリティクスってことがもう60年から人を犠牲にしながら、そういったものと引き換えながら「自由」を手にしてきたことが、確認できました。
それにしても、私の好きなジョン・べルーシーも死因が薬物の過剰摂取だったと思うんですが、もう一日何とかならなかったのかと、もうそればっかり思ってる人にインタビューするのは本当に「ヒドイ」なあと。
それにしてもあのポスターはずるい。あの笑顔。。。。。見るチャンスあったら皆さんも見て下さい。そして私の感じた「ヒドさ」を悶々と共有しましょう。
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