文楽武三巴日乗

古武術、和洋音楽、文学、旅の事を綴ります。
草鞋の効用
足裏の垂直離陸
浪のした
抜刀術
捻らない
ためない
踏ん張らない
なんば歩き、走り
和太鼓操としての打ち放し、打ち下し
日常のすり足
本来日本人が身につけていた体幹、古武術からも応用
された体幹操法は介護や護身術など幅広く応用出来る。


The J.B.'f ライブ


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アメリカ留学から帰国した片岡亮太
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私のBeauty 弟子、的場凛とEva Kestner
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私の作曲作品日韓打楽器共演のための「海わたる風」私も参加して
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りんご追分も最高!はいパチリ
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葵Anne 帰国お別れコンサート


パリ時代からの生徒で弟子のAnne葵さんの帰国コンサートをLA・けやきで行いました
千駄ヶ谷駅から10分、欅の木のある邸宅です。



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まずは和室にて能の「次第」「中ノ舞」
Anneは大鼓


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タヒチアンダンサーのチミリさんの日舞に葵ちゃんの締太鼓
素敵です。

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巴里に帰り日本文化の普及に務めるそうです、いいですねー!



孝藤右近二代目襲名披露


小鼓の弟子でもある孝藤右近の襲名披露で鼓を打ちました。


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能登の天下一旅館加賀屋さんの能舞台です、おごそかに行われました、加賀友禅の美しさは格別ですね。


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高山右近をデザインされています。


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東京の刀エクササイズ女子軍団の剣劇はさすがでした!
真ん中SAYURIさん素敵です!


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恩師が逝かれました。

享年八十八歳でした。

小林美隆先生、元NHK交響楽団ティンパニスト、19歳で旧新響に入団され、数々の初演をされました、故ローデンストック氏の指揮指導は大変厳しかったと聞いています。

桐朋学園大学と武蔵野音楽大学で教授として多くの弟子をお育てになりました、叩き上げの演奏家が教授職に就くのは特別のことらしいです、いかに素晴らしい音楽性を持たれてたが解りますね。


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又ストラビンスキー作曲「春の祭典」では本人の指揮により絶賛されたそうです。
又カラヤンから是非ヴェルリンフィルにとスカウトされたそうです「ドイツには納豆も味噌汁ないから断ったよ」とおっしゃってました。

荻窪のご自宅ではよく汽車の模型勿論手作り!戦艦大和、そしてティンパニーマレット!ヒッコリーをゲイジで図りながらガラスで削るという細かい作業をされていました。
 それは元ボストン交響楽団のティンパニストビックファース氏にも影響を与えたそうです。


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著書に"私は基本を徹底して教えたにしか過ぎない、弟子たちが音楽的に迷ったら立ち戻れる原点を指し示したとも言えるかも知れない"

その基礎奏法とは普遍的であったと海外をあまた歩いて実感しました!

世界の安倍先生との2ショット、私は本当に凄い方に教わったのですね!

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それと小林先生はどこか歌舞伎役者というか日本の伝統芸をされているような容貌をされていました、N響の方々は「後ろに小林先生が座っているだけで安心した」ともおっしゃってます。


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チャイコの「悲愴」最後に一発のドラ・・・の音を聞いた太宰治はその感動の手紙を送ってきたと聞いています、今日は「悲愴」を聞いて寝ます、先生あの世のオーケストラで打楽器を響かせて下さい。

ご家族 お孫さんたち、弟子たちがお見送りします。

師の存在は大きい、改めて心から感謝します、先生ありがとうございました。


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秋の月夜は渡れども



去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離る






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見えずとも誰れ恋ひざらめ山の端にいさよふ月を外に見てしか








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目には見て手には取らえぬ月の内の楓のごとき妹をいかにせむ




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コクリコ坂見てきました。


東京オリンピックが開催されようとしている頃、僕は小学生だった。

たしか友達の家でカラーで開会式を見た記憶がある、ジブリの設定は横浜だったけれども神戸もよく似ていた。



手嶌葵-コクリコ坂から歌集


あの頃の高校生って随分大人びてたんだね、学生運動が起こる手前かな?カルチェラタン・・・実際に巴里にあるけれども僕の記憶ではソルヴォンヌの学生たちがよく難しい話をしていた界隈だね、近くにイスラムセンターがあった、よくチャイを飲んだ。

年代は違うけれどどこか懐かしい感じがした。
映画が始まるまで手嶌葵の歌う「さよならの夏」が続けて流されていた、宮崎吾郎監督のお気に入りみたいだね。
いいメロディーだ!

ブラshinchan 崇徳院

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子供の頃過ごした場所です、成徳小学校の一年までいました、当時は木造校舎でした。



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このようなアパートや木造平屋が並んでました。
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昔はよく反乱していた蓬川
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この小さなお墓で遊んでいました、その先に公園があったのでおそらくこの辺りに住んでました。
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今から約五十年前のことです。
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Gracias a la vida



人生よありがとう
こんなにたくさん 私にくれて
私にくれた ふたつの明星
それを開くと
はっきり見分けられる
黒いものと 白いものを
高い空から 星々の底を
人混みの中から 愛する人を

人生よありがとう
こんなにたくさん 私にくれて
笑いをくれた 涙をくれた
そして私は見分ける 幸せと苦しみ
私の歌をつくる ふたつのものを
あなたたちの歌 それこそがこの歌
すべての人の歌 それが私自身の歌
人生よありがとう
こんなにたくさん 私にくれて


Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me dio dos luceros, que cuando los abro.
Perfecto distingo lo negro del blanco
Y en el alto cielo su fondo estrellado,
Y en las multitudes
El hombre que yo amo.

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me ha dado el oido que en todo su ancho
Graba noche y dia grillos y canarios
Martillos, turbinas, ladrillos, chubascos
Y la voz tan tierna de mi bien amado.

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me ha dado el sonido y el abecedario.
Con el las palabras que pienso y declaro,
“Madre,” “amigo,” “hermano,” y luz alumbrando
La ruta del alma del que estoy amando.

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me ha dado la marcha de mis pies cansados.
Con ellos anduve ciudades y charcos,
Valles y desiertos, montanas y llanos,
Y la casa tuya, tu calle y tu patio.

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me dio el corazon que agita su marco.
Cuando miro el fruto del cerebro humano,
Cuando miro al bueno tan lejos del malo.
Cuando miro el fondo de tus ojos claros.

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me ha dado la risa, me ha dado el llanto.
Asi yo distingo dicha de quebranto,
Los dos materiales que forman mi canto,
Y el canto de ustedes que es el mismo canto
Y el canto de todos que es mi propio canto.




チリで今でも根強く愛されてるフォルクローレ歌手といえばビオレッタ・パラでしょう。
 失恋を苦にして48歳の命を閉じるまで、ギター片手にチリの農村地帯や鉱山の村々を歩き回り、各地の失いかけていたフォルクローレを一つひとつ拾い集め、歌にしていったビオレッタ。
 そんなビオレッタが作詞した「Gracias A La Vida(人生よありがとう)」は、世界中の歌手に歌われています。
 73年のアメリカによるアジェンデ政権転覆工作により行われたピノチェトクーデター(市民約2000名が処刑される)で「アジェンデ政権を彷彿とさせる曲」だという理由で放送禁止となった曲でもあります。
 先住民たちの安心して暮らしたいというささやかな願いは、スペインをはじめとする欧州列強によって常に略奪されてきたのがチリの歴史です。
 その先住民たちや貧しく暮らしている人たちのもとへ、ビオレッタは歌を通じて舞い降りてきたのです。その歌がチリの人々に愛されない訳はないでしょう。だって、自分が日々口ずさむ歌の先にはビオレッタがいたのですから。 
 
 美しいがゆえに、アメリカとチリの軍事政権によって、悲しい運命の曲となってしまったのです。


盲学校でガムランを


盲学校でガムランを・・・
ペニーレーンでバーボンを???

今、ジャワガムランの練習をしてます。









コバケンオーケストラに参加しました。


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弟子の友野龍士にくっついて行きました、小林研一郎さんとはフランス革命200年祭で南仏のオランジュと巴里でご一緒させていただきました、先生も憶えていたようです。
 そまご縁で友野龍士の和太鼓よりもオーケストラの打楽器セクションのメンバーにアドヴァイスさせていただきました。
 本番、音が変わったので嬉しかったですねー。

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アイーダの演奏は圧巻でした。
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そしてチャイコの1812年


筑波大学付属視覚特別支援学校で一緒に教えている全盲の綱川さんが素晴らしいフルート演奏とスピーチをしました。
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打ち上げでコバケン先生と
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お疲れ様でした。




出雲阿国
出雲阿国
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京都で念仏踊りを上演して
人気を博し
、後の歌舞伎踊り(芝居)
を創始したのが出雲阿国です。
出雲大社の鍛冶職中村三右衛
門の子で出雲大社の巫女でし
たが、晩年は大社
に帰り尼となり、87歳で没し
たと伝えられています。
稲佐の浜に行く途中、左手
の方にお墓、右手前方の奉納
山中腹には
現代歌舞伎俳優たちが寄進した
「阿国の塔」
があります。

墓






文楽武三巴日乗
能、歌舞伎囃子奏者、そして古武術を応用した日々のありかた。