2005年01月10日

教育に関する、素朴な疑問

f955c25b.dat「教育」のことで、ちょっと。
いつも大変に不思議に感じていることがあるのだが、学校教育という集団教育形態で、「個性を伸ばす教育」とか言って頑張ってるけど、そんなこと、そもそも出来るわけがないと思うのだが・・。

その子の個性を充分に伸ばすような教育は、家庭教師的な1対1での教育でしか出来ないでしょう? どう考えたって。
20人も30人も集めてる中で、どうやってその子の個性とかいうやつを把握し切れるのか。一人二人の我が子だって、出来かねるというのに。
それを学校教育の現場の先生に求めるのは、そもそも無理があるというものだろう。学校の先生もいい迷惑だ、と思う。思わない先生は、逆に不遜だとも思う。

「どう与えるか」ばかりが議論されて、「受けとる側を、どうやったら的確に把握できるか」は、いつもどこかにいったままのような気がするのは、僕だけなのだろうか。

gegengaさんのブログ・かめ?のエントリー「宿題について考えた」にもコメントしたのだが、僕にはこれが「サプリメント的感性」のように思われてしょうがないのだ。
与えれば受け取ると思ってる。何ともバカバカしい話で、少し考えればすぐ分かりそうなものだと思うのだが、それを受け取れる体勢がなければ、どんなに豊富な栄養をブチ込んだって、排泄されてそれで終わりだ。
それに気づかずに踊っていれば、「ヤクザな商人」たちの思うツボ。「ヤクザな商人」たちの方は、ちゃんと分かってたりするんですよね。真剣な人もたまにいるけど (^o^)。

うまく与えさえすれば、受けとると思ってる。もちろん「その子が受けとれるように」与えられるのなら、その子はちゃんと受けとれるだろう。
だとすれば、集団教育の中では当然無理、でしょう。個人個人に合うように「加工」しなければならないのだから。
レディメイドではなくて、オーダーメイドの世界の話でしかないのだから。

この、双方的な問題の「片側」しか考慮できない感性の典型を、僕は「花粉症」の時期にいつも感じる。
花粉症を語るにあたって、花粉の飛散ばかりが取り上げられて、花粉が目の敵のようにされているが、バカ言っちゃいけない。万人が万人とも花粉症になるならば、確かに間違いなく花粉が犯人だ。だけども、なる人とならない人とがいる。
だから当然、「受けとる側」の問題がそこにはある。花粉という人間には無害なものに、むやみやたらと反応してしまう「へんてこな体の状態」がなければ、花粉症になんてなれないのだ。

それを花粉のせいにばかりする。
違うだろって。どっちかと言えば、あなたの「体のせい」でしょう。そっちがなければ、いくら花粉が飛んでたってグジュグジュなんかしやしない。花粉に罪があるとすれば、その時期に無邪気に飛んでますという、あるかないかのわずかなもののはず、だ。
それなのに、花粉のせいにされてしまう。「棚上げ攻撃」はこの「片側だけしか見てない」の典型だが、まったく花粉もいい迷惑である。

そんなこんなに加えて、子どもは「成長」という激しい変化の真っ只中にいる。「受けとる側」を把握するにあたっても、恒常的・恒久的な方法があるとする硬直した考え方しか出来ないならば、自滅していくしかないだろう。
あるとすれば、「そのとき、そのように」をどうしたら把握できるだろうかという原則くらいで、マニュアルになんかできっこないと思うのだ。

今の学校教育の形態は崩壊してしまった方がいい、と僕が思ったりしているのは、こういう素朴な疑問があるからだ。
可能性があるとすれば、学校教育という集団教育には、一般的な系統学習という没個性的な教育や、集団の中で培われるようなことだけに集中することで一貫していただいて、それをキチンと明確にして、個性を伸ばす教育はそれ以外の場で実現していくような、パラレルな、或いは質の異なる複数の教育の形態の複合を、当たり前のこととして考えていくべきなんじゃなかろうか、と想ったりもしている。

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この記事へのコメント
大変遅ればせながら、トラックバック貼らせていただきました。
うまく考えが整理できずに遅くなってしまったのですが、結局、整理できないままで書いてしまった(汗)
この迷いこそが、自分の正直な想いであり、ずっと考えて続けていることなのかな、などとも思っております。

さて、花粉症。
私も花粉症もどきに苦しめられているものです。
なぜ“もどき”かというと、普通の花粉症の人のように杉に近づくと悪化するというようなことがなく、逆に杉のあるような“自然”なところに行くと症状が緩和し、人混みなど“都市的”なところに行くと悪化するんですよ。
汚い空気の中で普段はギリギリ踏みとどまっている私の体に対する最後の一突きが花粉なのかな、といった感じです。

今年もそろそろ始まりそうな予感・・・。ウウウ、イヤだよ〜。
Posted by gegenga at 2005年01月13日 13:48
 花粉症の原因は、大気汚染で体が過敏になってるからだとか。だから空気のきれいなところに住んでる人はあまり花粉症にならないんだそうです。
 アキラさんのおっしゃる「へんてこな体の状態」になる原因、てものを見抜かないといけませんよね。
Posted by KEN-NYE at 2005年01月15日 04:21
gegengaさん、
(^o^)、そうなると、もう花粉とはいえないですね。でも、春を過ぎると収まるんですか? 「都会症」かな (^o^)? 排気ガスとかかな。窒素化合物に反応してるとか・・。

KEN-NYEさん、
こちらでも、これからもよろしくお願いします!

整体的観察では、花粉症的状態を起こす「へんてこな体の状態」というのは、いろいろあるんですけどね。
冬の乾きの調整として起こる鼻炎(頸椎三番・四番の曲がり、胸椎五番、腰椎一番の突出とか、)、
整体で「中毒」と呼ばれている肝臓ー心臓(胸椎四番や九番)を中心とした排泄異常、あるいはその変形のアレルギー、
花粉が飛ぶCMとかをみて暗示でなっちゃう心理的要因が強いもの(これはアタマの問題)、
もともと呼吸器が弱い、或いは発達が充分でないことからくる鼻炎、
生殖器異常のための鼻の異常・・・などなど・・・。

でも、人によって違うので、「これが原因だ!!」とは言えないんですよね〜。
Posted by アキラ at 2005年01月15日 10:14
多分ワタクシの場合は「ヒトアレルギー」です(爆)
Posted by gegenga at 2005年01月15日 14:03
\(^o^)/
Posted by アキラ at 2005年01月17日 13:19