2008年07月19日

    

十種という人たち その5 〜 いつまでも頼っていてほしい 〜

ウコンの花

十種の人たちには、ぜ〜んぶ許して抱え込んでしまう傾向がありますから、女の人なら自分の亭主まで、まるで息子のように抱え込みます。
「ウチの亭主はダダっ子でしてねぇ」なんて言っている人がいますでしょ?
あれです。

僕の知り合いの男性が どうやらそういうのに憧れてて、「オレはほら、一番大きい息子だから」と十種的な包容を奥さんに期待するんです。
その人の奥さんも「ねぇ♪」なんて調子を合わせて言うのですが、奥さんはどう見ても上下型なので、その知り合いはおそらく一生「一番大きな息子」にはなれない。 (^_^;)

そういう抱え込みができるのは、十種の奥さんだけなんです。

自分の亭主にまでそういう感じになっちゃうんですから、ホントの子どもとなったらなおさらで、どんなに大きくなってもいつまでも子どもにしておきたい。
そういうお母さん、いますでしょ?

ずーっと抱え込んじゃって、子どもが自立しようとすると、その前にポッとお金を出してあげたり、全部いろんなことを準備してあげたりしちゃう。
そうすると、子どもの方はもう自立する気がなくなりますから、そのお母さんのかいがいしさは、結局 子どもの自立する意欲をドンドン奪っていってしまうわけです。

けれども十種のお母さんからしたら、そうやっていつまでも甘えられてる状態でいてくれることに快感を感じるんですね。
だから、無意識のうちにそういう方向に引っ張ってしまう。
こういう十種の人が看病人になったら大変ですよ。
病人が本当に治るということがなくなっちゃいますから。

開型の看病人にとっては、いつまでも病人でいて、いつまでも自分を頼ってくれることに快感を感じるわけですから、もうそれはそれは面倒見のいい看病をしてくれるのですが、その病人が元気になっていくことに耐えられない。 (^_^;)

元気になってくると、淋しくなってきちゃうんです。
だから、いつまでも病人にしておきたいという無意識の気持ちが起こっちゃうんですね。
何のための看病なんだか、ワケ分かんなくなりますけど。(^o^)

それから、手助けが必要でかわいそうな人がいれば、あの人もこの人も、どんどん抱え込んでいきます。
人間ばかりではありません。

片目のないネコだとか、足が一本ない犬だとか、飛べなくなって弱っている小鳥だとか、枯れてしまいそうな草花だとか、もう何に対してでも公平に愛情を注ぎます。
ネコも犬も亨主も子どもも、まったくおんなじように愛することが出来る。
お婿さんでもお嫁さんでも、みんな自分の息子や娘のようにしてしまいます。

まさに博愛主義者。
みんな一まとめにして、フワーッと愛情で包んでしまいます。
そういう包容力がとても強い。
九種だと、自分がイヤなものはスパッと捨てて顧みませんが、十種の人たちは決して捨てません。
いつまでも大切に自分の懐に入れて、豊かに見守っている。

というか、ああでもない こうでもないと、ダダをこねてくれた方がいいんですね。
それを面倒見ていくことに快感がある。
そうして、その方が自分自身の力を素直に発揮できるし、いくらやってもくたびれない。

逆に、十種の人たちは自分の体調が思わしくなくなってくると、やたらと人に親切になります。
そうして ほかの人をかばうだけかばって、そのことでもって自分の体調を整えていくんです。

ですから、自分の体調がちょっと乱れてくると、子どものことやら亭主のことやらまわりにいる人やらへの心配が、フッと頭の中に思い浮かんでくる。
自分のことが心配になるんじゃなくて、まわりにいる人のことがフッと心配になってくるわけです。

特に 自分より弱かったり小さかったりするもの、自分がそう思っている相手、息子が、娘が、孫が・・・と、そういう人たちのことが突然、気になってき出します。

相手を見てて、その相手の裡の何ごとかに感応して、それで心配になるわけではなくて、自分の体調がおかしくなったことで、人のことが心配になり不安になって、しょっちゅう気にかけては余計なちょっかいを出してかき回すんですね。
そうして、自分ではそのことに気がつかないわけです。

気がつかないんですけど、それでもって自分の体調は調ってくる。
まわりは ありがたいんだか、迷惑なんだか・・・ (^_^;)


*前後のエントリーは左上の「過去の記事とシリーズ」からとべます♪

どこだって♪

Posted by appie_happie at 08:38│Comments(10)
この記事へのコメント
はじめまして。
以前から楽しく拝読させていただいていましたが、コメントするのは初めてです。
どうしても気になることがあったので書き込ませていただきました(^o^)
今回の開閉型なのですが、例えば9種が10種に惚れてしまった場合はうまくいかないのでしょうか。かたや一心同体とかたや博愛主義・・・。以前読んだ体癖関連の本に、同じ型でも偶数体癖と奇数体癖は途中まで気があってもそれ以上はうまくいかなくなると書いてあったものですからなんとなく気になってしまいました。
ご意見いただければ嬉しいですが面倒でしたら無理にとは申しませんので(^^;)
それではこれからも応援しています。拙文にて失礼しました。
Posted by のくもん at 2008年07月19日 12:19
非常に興味深いです。
体癖が、脳の働き方を規定するということですよね。
なるほど。
ここまで詳しく判るものなんだ…。

もう少し全体像が頭に入ってからじゃないと、まともなコメントはしにくいですが、ひとつだけお聞きしたい。
同調・憑依体質は十種に多いのでしょうか?
Posted by naoko at 2008年07月19日 12:41
・のくもんさん
ようこそ、はじめまして。
いつもありがとうございます。
よろしくお願いします♪

確かに仰るとおり、同型や同種はあるところから先になると、反発し合ってしまう傾向が強いと言われています。

ところが、九種と十種はその中でも例外で、かなりウマが合う体癖同士だと言われてるんですよ。(^o^)
ただ難点は、いいときは両方よくて、悪いときは両方でダメになるという、よくも悪くも一心同体なところが 九種・十種の組み合わせにはあるようです♪
Posted by アキラ@のくもんさん at 2008年07月19日 22:39
・naokoさん
野口整体では、人間を動きとして捉えます。
その意味では、脳の働きも規定してると言えるのかなぁ・・・。(^o^)

同調や憑依をしやすい体癖・・・。
難しいっちゃあ難しい質問ですが、まぁ元々の野性的な直勘の働きが強い 九種や十種はしやすいかも、です。
あと、三種や六種なんかも、条件や場合によっては しやすいかも、かな? (^^)
Posted by アキラ@naokoさん at 2008年07月19日 22:41
すみません。
前のエントリーでのコメントへの、アキラさんの回答から触発されて、『日本教』のエントリーを読ませていただきました。その流れで、ふと聞いてみたくなったのです。

でも、まず、野口整体自体を学ばないことには、話にならないみたいです。
最近、自分の脳と身体に自信がなくて…。
とても興味がわきました。
入門書とかで手ごろなものを紹介して頂けますか?
Posted by naoko at 2008年07月20日 01:03
・naokoさん
それがですねぇ、入門書にいいよって本がなかなかないんですよねぇ。 (^_^;)
野口晴哉先生のもので言うと、ちくま文庫から『回想の野口晴哉』『風邪の効用』『整体入門』の3冊が出ています。
けど、入り口として分かりやすいかどうかは???です。
以前に書いたエントリーがありますので、参考までに。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/50605039.html

あと、僕の師匠の岡島瑞徳をAmazonなどで検索すると、かなりのものが引っかかってきますから、その中から面白そうなものをピックアップするのも手です。
うちの師匠の本であれば、「整体のこういう面を知りたいんだけど・・」というものがあれば、もっと具体的にお勧めできるかもしれません。
Posted by アキラ@naokoさん at 2008年07月20日 09:10
アキラさん、こんにちは。

>九種だと、自分がイヤなものはスパッと捨てて顧みませんが、十種の人たちは決して捨てません。

やっぱり九種と十種なら私は九種のようですね。冷たいといえば冷たいかもしれないですが、それより自立のためになるほうを選びます。

互いに協力し合って成り立つ社会ではあるけれど、個々人はそれぞれ一人でも生きていける強さを持ちたいものです。
徒党を組まなければ自分を主張できない人間にはなりたくないものだと思っています。

Posted by ニケ at 2008年07月20日 13:06
つづき

社会のほとんどが組織化されて如何にも一人の力が小さく評価されるようになりました。でも、私は若い頃、生きるための最低限必要な心構えとして、出来るなら仕事は一人でも出来る仕事を選べと教えられました。
その心構えがあれば多人数での仕事にも対応できるし人数が少なくなってもやり遂げることが出来る。

個人個人は本来対立するものではありません。それが人に頼るようになるとある組織と別の組織と対立したりします。個人が集団に飲み込まれ組織のために動き出すと個人のよさはなくなってしまいます。
常に足元を見直して進んで生きたいと思っています。

Posted by ニケ at 2008年07月20日 13:14
・ニケさん
僕は「これが野口整体の目指すところなのだろう」と思ってることがあるんですけど、それは「決断するわたし」である といったようなことです。

一人一人の人生の中で、ケース・バイ・ケースでいろんな問題が出てきますよね。
ときには、誰にも適切な判断が下せないような自分自身の問題に直面することも、一度や二度は出てくることでしょう。
そのときに、誰に判断を頼ることなく決断する。
それが何よりも大事なことだと思うんです。

決断するということは、それに付随して起こってくるすべてのことを、責任を持って我が身に引き受けるということです。
自ら決断した以上、誰のせいにもしない。
Posted by アキラ@ニケさん at 2008年07月21日 00:16
だからこれは、「選択する」ということとはまったく違うことです。
「選択する」場合は、依然 選択しなかったいくつかの選択肢も残されていますから、あとでうまくいかないと「やっぱりあっちの方がよかった」と後悔したりもします。
しかし「決断する」場合には、ほかの選択肢は決断を下した瞬間に消えてなくなるということです。
ですからそこには後悔する余地もないですし、だからこそ、そこから先に起こることすべてを我が身に引き受ける覚悟が必要になります。

それを引き受けられるような「決断するわたし」になれなければ、本当に自立しているとは言い難いと僕は思っています。
そうして、全力を発揮して生きる生き方は、おそらくそのようなところにしかないとも思うわけです。

僕は、そのようなことを目指して生きていきたいと思っています。('-^*)
Posted by アキラ@ニケさん2 at 2008年07月21日 00:17