2008年07月25日

コミュニケあれやこれや その2 〜 言葉を“贈る” 〜

夏

最近、いろんなことが響き合って、「コミュニケーション」ということについて、あれこれと考えさせられている・・・
なんて書きましたが。。。

そんな中の重要な支柱の役割を果たしてくれているのが、ここ2ヶ月くらいハマって読んでいる内田樹(たつる)氏の著作たち。
『現代思想のパフォーマンス』『女は何を欲望するか?』『他者と死者』とズンズンときて、今『レヴィナスと愛の現象学』に突入しています。 (^o^)

内田氏の著作は、なぜか食わず嫌いで敬遠していたのですが、「bookmarks=本の栞」という友人のブログで、内田氏の本が紹介されていたので、へぇ〜♪(いつもの自主性のないパターン (^_^;) )と思って 手にとってみたのでした。
どうでもいい話ですけど (^o^)、「なんか面白い本はないかな〜?」とか思ってるとき、このブログ いいですよ♪

なんで今まで 彼の本を手にとらなかったんだろう???
それが正直な感想でした。
というか、やっぱり今というこのタイミングだったからこそ、グッと僕自身に響いたのかもしれません。
とにかく大ヒット!
ほんのしおりさん、ありがとう♪

この一連の著作から非常に面白い示唆を受けたので、いつもの通り それをノートしていくような格好で、考えたことをまとめていってみようと思います。
まずは『現代思想のパフォーマンス』を読んで、なるほど♪と思ったことを。

「コミュニケーション=やりとり」というと、何となく「何を意味しているか」の交換というか、意味のある情報の交換といった感じに、僕などはすぐ捉えてしまいます。
けれども、それはちょっと考えるとおかしなことですよね。
小さな子どもとのやりとりを思い返してみれば、子どもとコミュニケーションはとりますけど、別に「意味のある情報の交換」なんてしてないわけです。

この本の中で、内田樹氏はこんなことを言っています。
あ、これから内田氏の引用に近いこともしますけど、まんまは引用していません。
かなり要約したような形にしてしまってますけれど、とにかく彼の書いてあることを紹介しているようなところは「紫文字」で表示しますので、そこのところはよろしくお願いいたします。

〜(例えば)「おはよう」も『Good morning」も意味するところは同じで、別に「あなたは早く目覚めた」とか「今日はよい日だ」とかいう事実の確かめをしているわけではない。
 それは人から人への直接的な語りかけであり、祝福を贈る行為である。
 「おはよう」と語りかけた人は「今日一日があなたにとってよき日でありますように」という祈りを贈っているのである。

おぉ、なるほど!という感じです。

意味のある情報を交換することではなくて、言葉の贈りものに対して言葉を贈り返す、それがコミュニケーションの本質なのだ。
 受けとったものを贈り返す、あるいは次の人に手わたす、そうやって「贈る気持ち」が流れ続けることが本質的なことであるし、「パスし続ける」ことが私たち人間の宿命なのだ。

 どうしてそういうことになったのか、私たちはその起源を知らない。
 人間はそういうふうにできているのだ。
 あるいはそういうふうにできているものを「人間」と呼ぶということしか私たちは知らない。
〜 

そうして彼は、小津安二郎監督の映画『お早よう』(松竹 1959年)を題材に話を進めます。

「テレビが欲しい!」と騒ぐ林家の子ども・実(みのる)が、お父さんから叱られて「こどものくせによけいなことを言い過ぎる。少し黙ってみろ」と言われる。

 実は負けじと「大人だってよけいなことを言ってるじゃないか。『こんにちは』・・『いい天気ですね』『ああそうですね』『あら どちらへ』『ちょっと そこまで』『ああ そうですか』。
 そんなことで、どこへゆくかわかるかい!
 『ああ なるほど なるほど』。なーにが『なるほど』だい!」
 と言い返す。


「テレビが欲しい」というメッセージこそが伝える価値のある情報で、それ以外の挨拶のようなものは コミュニケーションにとってみんな「よけいなこと」だ、という実(みのる)の気持ちは分からないではありません。
けれども内田氏は、「同じような言葉を繰り返す終わりそうもない挨拶」の類は、実はコミュニケーションの本質を正しく直感している、と言うのです。

というのも、
コミュニケーションの本質は、意味のある情報を交換することにあるのではなくて、メッセージの交換を成り立たせることによって「ここにはコミュニケーションをなしうる二人の人間が向き合って共存している」という事実をお互い確認し合うことにあるから
だからだそうです。
なるほど♪

そうして、
わたしの前にいる人に対して「わたしはあなたの言葉を聞きとった」と知らせるもっとも確実な方法は、相手の言葉をもう一度繰り返してみせることだ
と、続けます。
確かにそうですよね、
小さな子どもと話すときは、必ずといっていいほどそうするように思います。

 〜 つづく



野口整体に関する記事は「光るナス@らくらく塾」に、だんだんとりまとめ中。

*前後のエントリーは左上の「過去の記事とシリーズ」からとべます♪

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この記事へのコメント
うんうん、わかります。私の本業関連でも同じようなことをしています。

コミュニケーションはコネクションとデータ転送(情報伝達)の2つに分けて考えます。
コネクションで双方の状態を確認し準備を行い、データ転送した後再びコネクションで双方の終了を確認する。転送するデータが意味のないものであったとしてもコネクションは必要になります。

こう考えるとネットワークといえどやはり人間が考えたというより人間社会を模倣したものなんだなぁと納得してしまいます。
Posted by 銕三郎 at 2008年07月25日 17:31
なかなか面白いです。

>「コミュニケーション=やりとり」というと・・・・・意味のある情報の交換といった感じに、僕などはすぐ捉えてしまいます。

私もアキラさんに似てます(笑)。
男のコミュニケーションと女のそれとは違うような気もしますし。

ブログのコメ・レスに「意味のない」やりとりと思えるものが多いと感じることがありますが、内田氏のように考えると、リアルな関係ではなくても、2人の間の共存確認としての、立派なコミュニケーションなわけですね。(ただ、コメ・レスの即応性は麻薬的でもありますが)

続き楽しみにしています。
Posted by ピアノマン at 2008年07月25日 21:28
・銕三郎さん
う、着地地点を先取りされてしまってる感がありますが・・・。 (^_^;)

面白いなと思ったんですけど、
>私の本業関連でも・・・
コミュニケーションはコネクションとデータ転送(情報伝達)の2つに分けて考えます。
<
これって、業務上の指導要領として、というか、マニュアルとしてというか、そんな感じでなされてるんですか?
それとも、銕三郎さんの個人的な流儀?
Posted by アキラ@銕三郎さん at 2008年07月25日 22:18
・ピアノマンさん
ありがとうございます♪

>男のコミュニケーションと女のそれとは違うような気もしますし。
<
あ、そうですね。それも言えますねぇ。
電話なんか、その端的かもしれません。 (^o^)

>ブログのコメ・レスに「意味のない」やりとりと思えるものが多いと感じることがありますが、
<
そうそう、共存確認的意味なしコメント!
ありますね。(σ'з')σ
僕は人のとこにコメントするときに、何とかボケたおそうとがんばることがあります。
単に「読んでるよ〜♪」ってことを伝えたいがために。
まさに、共存確認的意味なしコメントですね。(´▽`◎)
Posted by アキラ@ピアノマンさん at 2008年07月25日 22:22
アキラさん
ご紹介ありがとうございます。
実はちょうど昨日内田樹の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)を読んでいたのでシンクロニシティを感じてしまいます。

あいさつ、というコトに関しては、実は私も「お、最近調子どう?」と聞かれると、最近ってどれくらいの期間だろうかと思ったり、調子って体調のことだろうか、仕事のことだろうか、プライベートのことだろうかと悩み始めてしまったりして怪訝な顔をされるタイプです(でした)。

メッセージの内容ではなくメッセージの交換にこそ意味がある、というのは頭でっかちな人間にとってはとても新鮮で実用的で啓発的でした。
Posted by ほんのしおり at 2008年07月25日 22:55
P.S.
私はおそらく銕三郎さんと同じ業界で働いていますが、コネクションの時手続きはhand shake(握手)と言います。
これも「人間社会の模倣」でしょうかね。
Posted by ほんのしおり at 2008年07月25日 22:58
・ほんのしおりさん
あ、こんにちは。こちらでもお久しぶりです。 (^o^)

>コネクションの時手続きはhand shake(握手)と言います。
<
なんと! そういうネーミングまでされてるんですか。
なるほど〜。
パソコンやインターネットの世界は、人間のことを想っていくときの参照線になるような感じで面白いですね。

それはそうと、このことをまとめながら逆にだんだん不安になってきたんですが、実はわたし、某所での4年間は、この共存確認的意味なし発言だけで生活してた気がしてきました。。。 (^_^;)
Posted by アキラ@ほんのしおりさん at 2008年07月26日 09:42
おっとしまった。また主体を説明しないままでコメントしてしまったため、アキラさんに誤解をさせてしまいました。済みません。
>コミュニケーション
はネットワーク上のPC間の通信のことです。
実際には言語・手順・通信速度などなどをコネクションの間にお互いで了解するのです。
ほんのしおりさんが追記で補足していただいているように、握手していい相手かを確認しているんです。

でも、私の業務上では対人間(お客様)とはこんな手間のかかる手順は踏んでいられません。いつも緊急事態ですから。

Posted by 銕三郎 at 2008年07月26日 22:59
・銕三郎さん
うわははははー!!!
この記事にすんごいふさわしいコメント欄になっていると思います。
情報が全然伝達されてませんね。 (^_^;)

「コミュニケーション」「コネクション」
そういう意味だったんですね♪
ぜ〜んぜん違うことを考えてました。
そうとなれば「人間社会の模倣でしょうか」もごもっともです。 (^o^)
(ほんのしおりさんも。分かってなくて すんません)

しかし、ちょっと面白すぎました。
「言語」の共有がないと、こうもスムーズかつチグハグなやりとりになるんですねぇ。
Posted by アキラ@銕三郎さん at 2008年07月26日 23:51
 アキラさん、お久し振りです(^^)。

 私は、贈るのは「言葉」であるよりも「気持ち」のような気がしています。例えば、話の内容自体はあまり通じなくても「よしわかった」「なんだかわからんが、気に入った」なんていうことで前に進む場合があったりします。一生懸命なその態度を見て「こいつは信用できそうだ」とか「応援したい」とか感じるからなんでしょうね。
 善意や好感を媒介する言葉は、多少ズレていたり、あるいはトンチンカンだったりしても、あまり大きな問題にはなりにくい。ところが、疑問や反感、不信があるときは、言葉が正確でないと、それらが増幅されるのかな、と。
Posted by MEDAMA at 2008年07月27日 00:45
(つづき) 
 誰でも「言葉」の選び方を間違えることはある。でも、その言葉の元になっている「思い」がきちんと伝われば、互いに理解できる場合が少なくない。だから、相手が旧知の友人などでない場合は、出来る限り言葉の背景となっている「思い」を汲み取る努力をする。悪意を前提とせず、“脊髄反射”しない。自分の思いはできるだけ正確にわかりやすく表現する。
 そんなことだと思うのです。
Posted by MEDAMA at 2008年07月27日 00:56
・MEDAMAさん
お久しぶりです♪

> 私は、贈るのは「言葉」であるよりも「気持ち」のような気がしています。
<
言葉なしで? 気持ちだけ贈る? 流し目? (^o^)

> 善意や好感を媒介する言葉は、多少ズレていたり、あるいはトンチンカンだったりしても、あまり大きな問題にはなりにくい。
<
えぇ、そういうことです。
しかしそれも、やりとりの回路が成り立った「のち」の話でしょう?
こちらが善意を持って接しさえすれば、必ず相手は好意的に受けとってくれるわけでもないでしょうし。
こちらは「善意」のつもりでも、相手にとってはそれが「悪意」になることだってあるわけですし。

ですから、まず「言葉を贈る」ことによって、そういうやりとりが成り立っていけるような「前提」がつくられるのだろう、ということです。
それがコミュニケーションの本質だろう、と。
銕三郎さんが仰るところの「コネクション」がまず成り立たないと、お互いに受けとる前提が成り立ってないと、「気持ち」だっても「情報」だっても通じないのではないでしょうかね。

まぁ、けど、MEDAMAさんの仰ってることは、この記事の続きの部分に「当たらずとも遠からず」ですよ♪
Posted by アキラ@MEDAMAさん at 2008年07月27日 10:59
 アキラさん。

 》こちらが善意を持って接しさえすれば、必ず相手は好意的に受けとってくれるわけでも
  ないでしょうし。
  こちらは「善意」のつもりでも、相手にとってはそれが「悪意」になることだって
  あるわけですし。

 なるほど! 確かに! だから、そういう回路のない人同士が接触し合う場合は、リアルでは紹介状だの名刺だのを使うわけですね。
 ネットで言えば、難しい状況のなかでの初コメントは、相当気を付けないと、回路を作ることができないってわけですね。

 続き、楽しみにしてます♪
Posted by MEDAMA at 2008年07月27日 11:57
・MEDAMAさん

>だから、そういう回路のない人同士が接触し合う場合は、リアルでは紹介状だの名刺だのを使うわけですね。
<
そうそう、そういうツールをまずは媒介にしてくわけですね。 (^o^)
その方が、より無難に事が運びやすい。

やりとりの回路を成り立たせるために、さてどうしたらよかんべ?ってところが、やっぱり一番難しいところでしょうね。
「その相手」によって当然変わってくるでしょうし。
その意味でパターン化されたものは、ありそうでないんじゃないかと思います。
「その相手」との回路を成り立たせるには、どういう「贈り物」をしたらいいのか。
コミュニケーションの醍醐味は、ある意味 好きな人への誕生日のプレゼントを考えるような、そういうところにある気もします♪
Posted by アキラ@MEDAMAさん at 2008年07月27日 16:02