2011年07月24日

僕ら自身の体に対しての、まっとうなイメージを持とう 後編

今日を生きてる


前編はこちら
長く引用した福岡伸一先生の文章は、何も僕らを安心させようとして書いている「おとぎ話」でもなんでもありません。
科学的な事実です。

すべてのものが絶えず新陳代謝して入れ替わっているというのは、僕らが当たり前に何となく知っている事実ですね。
その内実はというと、身体のありとあらゆる部位、臓器や組織だけでなく、固定的な構造に見える骨や歯ですらも、その内部では絶え間のない分解と合成が繰り返されている。
貯蔵物と考えられていた体脂肪でさえも、常に在庫が持ち出され 新しく補充され、驚くべき速さで棚卸しを繰り返し、貯蔵されつつも入れ変わり続けている。

そうして1年ほど経てば、分子レベルでは僕らはすっかり入れ替わってしまうわけです。
そういうことは、何となくは知っていることでしょう。
けれど、具体的な体の実感があるものだから、僕らの体が「そういう流れの中の一時的なよどみでしかない」とは思っていない。
何かしっかりとしたものがあって、そこに入ってきたり出ていったりしているイメージしか持っていないんじゃないでしょうか。

そうじゃない、僕らはこの「流れそのもの」でしかないんです。
言ってみれば、変わらないように見えているだけ、しっかりとしたものがあるように見えているだけ。
それが事実です。

ですから、大事なことは、この「流れ」があくまでもスムーズに流れ続けることにあるんじゃないでしょうか。
僕はそう想うんです。
この「流れ」を滞りなく流れ続けさせること、それ以外にやるべきことがあるでしょうか?
結局のところ、この「流れ」が滞ってしまうこと以外に、心配するべきことがあるでしょうか?

だからこそ、入ってくるものに気を配ることは大事なことだと思います。
そうして、この「流れ」が流れ続けるために体がなしていること、それはまず壊し、排泄する、ということです。
壊され、排泄される前提があるからこそ、再び築かれる。
だったら、そこの働きがちゃんとしているかどうかこそを、気にするべきなんじゃないでしょうか。

壊すことができない、排泄することがうまくできない状態に陥れば、この「流れ」は当然濁ってきます。
それが高じていけば、その濁りはどんどん濃くなってくるでしょう。
出したいものだって、出せなくなっていってしまう。
濁りの濃さ、スタックが高じていけば「死」に近づく。

そのことこそが、問題なのではないでしょうか。
必ず入ってきて、必ず出ていくわけです。
いかに壊し、いかに出ていくか、そこがスムーズに行われているかどうか、結局そこが「生きている」状態のキモでしょう。

体が、いのちが、黙々と行い続けている事実への、まっとうなイメージを持ってもらいたいなと想います。
それなくして、「排毒されるのか?」的な内部被曝の心配ばかりをしているのは、僕にとってはいのちに対する侮蔑のように感じられます。
あなたのいのちは、そして子どもたちのいのちは、そんなちんけなものじゃない、そんなヤワなものじゃない。

そこをイメージできなければ、認識できなければ、それこそ慌てふためきながら手をこまねいているだけで、濁りの色が濃くなっていくのをただ待つだけになってしまうんじゃないでしょうか。
「流れ」が滞りなく流れ続けている状態、それが「生きている」ということです。
そこに信頼をおけなければ、それはすでに「生きている」を放棄していると言わざるを得ないでしょう。

ところが、僕らのアタマがそういうことで(穏やかにでも)パニくって、不信感バリバリでいても、それでも体は、いのちの働きは、黙々とやるべきことをやり続けている。
僕は、そこにスゴさと畏怖と敬意を感じるんです。
だから、賭けるならそこに賭ける。
それが「光るナス」の立ち位置です。



野口整体に関する記事は「光るナス@らくらく塾」に、だんだんとりまとめ中。

*前後のエントリーは左上の「過去の記事とシリーズ」からとべます♪

明日も生きる

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ルドルフ・シェーンハイマー 機械でない生命 【逝きし世の面影】at 2011年07月25日 10:02
この記事へのコメント
>あなたのいのちは、そして子どもたちのいのちは、そんなちんけなものじゃない、そんなヤワなものじゃない。

うん、いいですね。そう思います。

身体は、取り入れ排出し、流れることで「生きている」ですね。「心」もそうかもしれません。記憶など蓄えるものはありそうですが、停止してしまっては「生きる」ことはできなさそうです。
Posted by 毒多 at 2011年07月24日 17:14
・毒多さん

ですよね。
ありがとうございます。 (^o^)

僕がこの手の話を聞いていて、だんだん腹立たしくなってしまうのは、体のことを何か自分のアタマで何とか出来そうに思ってるフシがあるように、聞こえてしまうからなんですよね。

ふざけんな、と思うわけです。
あんたが今している その一呼吸一呼吸、アタマで意識してやってんのか?
あんたが今している心臓の一鼓動一鼓動、アタマで意識してやってんのか?
今やっている栄養の選択・吸収、アタマで意識してやってんのか?
今やっている内分泌の調節、アタマで意識してやってんのか?
エトセトラ、エトセトラ・・・・

「今 生きている」を支えている働きを、あんた そのアタマでどんだけやってんねん?、エラそうに・・って。 (^_^;)
Posted by アキラ@毒多さん at 2011年07月24日 18:35
福岡伸一の動的平衡とは、生命とは代謝の持続的変化であり、その変化こそが生命の真の姿であるとするルドルフ・シェーンハイマーの、『生命とは絶え間ない変化のバランス』(動的平衡)ですね。
生命に対しては、半世紀ほど前には実はDDTやPCBやアスベストなど変化しない安定している構造のものが自動的に安全であると考えられていたのです。
ところが今では『変化しない安定構造』が実は危ない原因であると180度考え方が変る。
私の母方の曾爺さんは老母の話では『偉い医者だった』と言っていたのすが漫才のネタのような実は石工で『たいへん仕事がエライいしやだった。』、筋肉隆々の偉丈夫だったらしいが長生きしていない。
当時のことで死因は不明なのですが症状から推測すると塵肺ですね。
昔は何の害もなく変化もしない石の粉などが人の命を奪うなど誰も知らなかったのです。
義兄は船乗りだったのですが、昔の船は船上火災を防ぐ目的でアスベストを大量に使用していたんで80歳少し前に中皮腫を発症して死亡しています。
変化する生命に対して変化しないモノが実は恐ろしかったのですね。
放射能の恐怖ですがDNAを傷つけて、生命の変化する過程を阻害するからではないでしょうか。
Posted by 宗純 at 2011年07月25日 11:43
・宗純さん

こんにちは。
僕も何年間も家屋解体の仕事をバイトでやっていたので、古いビルなどのアスベストをバリバリ吸い込んでおり、けっこうあとあとヤバい気がしてます。 (^_^;)
アスベスト、船上火災に使うんですね。
初めて知りました。

>放射能の恐怖ですがDNAを傷つけて、生命の変化する過程を阻害するからではないでしょうか。
<
はい、だからこそ修復・再構築の機能が真っ当に活力を持って働き続けられるようにしておくのが、大事だろうと思っています。
Posted by アキラ@宗純さん at 2011年07月25日 19:52
こんばんは。

申し訳ありませんが、アキラさんと違う意見の学者さんの答弁?です↓。

http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo

本当に悪意はごさいません。

放射性物質は種類により、集まる場所が違うようです。

発症が20年以上後である理由が、
放射性物質の体内の残存ではなく、
傷付いた遺伝子が連鎖する時間である、
という意味でしょうか?。
Posted by AKIRA at 2011年07月28日 23:10
・AKIRAさん

こんばんは。
動画のご紹介、ありがとうございました。

>放射性物質は種類により、集まる場所が違うようです。
<
仰るとおりです。
児玉先生の仰ってることと、僕が言っていることが違うとのことですが、別にどこもバッティングしていないと思いますよ。 (^_^;)
「前編」のコメント欄も参照してくださいね。

傷ついた遺伝子は、通常は処分されたり修復されたりします。
その働きがあるからこそ、何年間・何十年間 大丈夫なんだろうと思います。
一時的な損傷であれば大きな問題にならない、ということでもあるでしょう。
そのような遺伝子の損傷は、内部被曝以外でも日常的にたくさん起こっています。

ところがそれが、一時的ではなく、連続的・恒常的に行われてしまうと、処分・修復機能がおっつかなくなってしまって、あるいは疲弊し切ってしまって、異常な細胞が増えていってしまうのではないでしょうか。
だからこそ、放射性物質の体内の残存が問題になってくるわけです。

児玉先生が仰っているように、α線やβ線の威力というのは脅威的なものがあります。
それでも、それが大問題になってしまうまでに、何年間・何十年間の時間がかかる・・というところが、僕が不思議だなぁ・・と思っていることなのです。

さらに、児玉先生が仰っている、遺伝子の損傷自体がガンを招くわけではない・・ということが事実なのであれば、なおさら体のそもそもの働きが真っ当に十全に働き続けていられることが、重要なことになってくるのではないでしょうか。
Posted by アキラ@AKIRAさん at 2011年07月28日 23:45
早速にお返事ありがとうございますm(_ _)m。


遺伝子の損傷やミスは日常的ですよね。

ただ放射能のダメージが、通常の損傷などとどこまで同じように考えて良いのか?がまだ未知で不安です。
Posted by AKIRA at 2011年07月29日 00:29
・AKIRAさん

それについては、専門家すらまだ分からない状況です。
僕らが考えてもしょうがないようにも感じます。
不安を消し去ることはできませんし、不安を消してしまうことは健全でないとも思います。
けれど、ただただ不安がっていてもしょうがない。
ですから、できることをやっていく、それが大事なことなんじゃないでしょうか。
Posted by アキラ@AKIRAさん at 2011年07月29日 01:02