2011年09月30日

「今西家書院の二十四節季」秋の巻

今西家・小


去る9月23日に、能管奏者の野中久美子さんとのコラボ・「今西家書院の二十四節気」秋の巻が開かれました。
室町時代から伝わる今西家書院で、書院特製の御膳とお酒(春鹿!)をいただいて、僕が体と季節のつながりの話をし、彼女の能管の音(ね)を聴く、という趣向。

今回は、陽射しは強くあたたかいけれど、空気は澄んで乾いてきて、ジッとしていると少し肌寒いくらいの1日でした。
写真で見るとこんな感じ

3回目なので、僕の話のことを書いておきましょう。
全体としては、秋の体についての話してきました。
それに関しては、あとでまた記事にしていこうと思いますが、とりあえずは春鹿さん・今西家書院のサイトを参照していただければと思います。
http://www.harushika.com/topics/index.php
(ページの下の方の『【09/25】 今西家書院の二十四節気 第3回<秋の部>』をクリックしてください♪)

それはそれなのですけれど、僕としては、一年を通じて皆さんに何よりも知ってほしいと思って話している基本線があるわけです。
それは、僕らの心身というのは常に自らの働きよって環境に適応して、そしてアンバランスがあれば、常に自らそれを回復していこうとしているんだ、ということ。

以前から『光るナス』に遊びにきてくださっている皆さんには、当たり前のことかもしれません。
けれど、世の多くの人たちがこの事実を忘れてしまっているか、あるいは気がついていないか、ともかくこのような実感がほとんどない、というのが現状だと思うのです。

僕らは、自分たちを取り巻く環境との関わりの中で生きていますから、環境の変化に細かく対応できなければ生きていけませんし、
また崩れた体調を回復することができなければ、やはり生きていけません。
ですから、その環境との関わりの中で一番いいバランスをとろうと、常に心身は自律的に対応をしているわけで、当然 季節の移り変わりにも、本当に細やかに変化しながら適応しています。

僕らの一人一人が、一匹の動物として実は自然の一部なわけですから、環境や季節の移ろいと一緒に変化していくのは、まぁ当たり前といえば当たり前のことですね。

今年は本当に大きな自然災害が何度も起こっています。
僕らは、ここでちょっといったん立ち止まって、もう一度よく考える必要があるのでないかと、最近よく想うんです。
「自然の猛威」とか「自然の脅威」などと言いますが、僕らは実はその自然の一部なんだ、自然の一部でしかないんだということを、どこか忘れてしまっているのではないでしょうか。

それがために、そこから起こっているいろいろな無理が、大きな災害としてあらわれているのではないかな、と感じるんです。
自然のもの凄さに対抗しよう、克服しようと努力してきた側面との軋轢が、「大きな災害」の「大きな」の部分を造り出しているように思われるんですね。

例えにはならないかもしれませんが、このあいだの台風で、うちの畑もわりとあちゃこちゃヤラれました。
一番被害に遭ってしまったのは、一番頑丈なはずの鉄パイプで組んだドーム型の支柱だったんです。
普段は、ほかの簡単なものがヤラレてしまっても、この鉄製の頑丈なやつは被害をこうむりません。

ところが今回のものすごい風には、おそらくみっしりと一面に茂っていたナーベラーの葉っぱが、風をモロにくらったのでしょう、
地中からパイプが引っこ抜かれてネジ曲がり、半崩壊していました。
ナーベラーやミニトマトなどは、その支柱のネットに誘引された状態のままで崩壊していますから、これを動かして復旧することは不可能です。
このまま生き残るを生かすしかない。

簡単な素材で簡単に組んである支柱は、壊れやすい。
でも、簡単に組んであるだけですから、壊れてもすぐ復旧できます。
頑丈なやつは、被害を受けにくいことは確かです。
けれど、それがいったん壊れてしまうと、その復旧は手に負えなくなったりします。
だからこそ、どんな猛威がやってきても、それに耐えられるように、より頑丈に、よりしっかりとしたものを目指すことにはなります。

でも・・・・
敢えて簡単に壊れるようにしておいて、壊れたら速やかに復旧するという方向性もあるんだよな、と想うわけです。
「柔よく剛を制す」というか 何というか、建物の免震構造なんかもそんな発想ですよね。
昔の智恵の中には、そういう方向性の智恵もたくさんあったはずです。
それを、どこかに置き忘れてきてしまってはいないだろうか。

そういうことを、もう一度落ち着いてよく考え直すスタートとなる一年なのかな、
そんな気がしている今日この頃です。



野口整体に関する記事は「光るナス@らくらく塾」に、だんだんとりまとめ中。

*前後のエントリーは左上の「過去の記事とシリーズ」からとべます♪

次は玄武

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この記事へのコメント
アキラさん、こんにちは。
今日の記事を読んで、「三匹の子豚」を思い出しました。
わらの家よりも、木の家よりも、レンガの家のほうがずっと優れていると、幼いころから思い込まされてきましたが、これって地震のない西欧のお話ですよね。
地震があったらレンガの家は簡単に崩壊するけど、わらの家は大丈夫なはず。
今日の話、とても興味深く読ませていただきました。
Posted by ピアノマン at 2011年10月02日 00:22
・ピアノマンさん

こんにちは。
お返事が遅くなってしまいました。すみません。

本意を汲みとっていただいていて嬉しいです。
そうそうそういう感じのことを言いたかったんです。
地震があったら、レンガの家は壊れ、わらの(簡単な)家は大丈夫かもしれない。
津波がくれば、レンガの家もわらの(簡単な)家もダメかもしれない。

でも、わらの(簡単な)家はまたすぐ作ればいい。
(中のものは別ですが (^_^;) )
元のとおりに復旧しやすい。
自然もまた元に戻ってくる。

すぐにはなかなか復旧できないもの、そして自然が(人間の時間のスパンで)元に戻れなくなること、そういうことが「大きな」を限りなく「大きな」ものにしていくような気がしています。
Posted by アキラ@ピアノマンさん at 2011年10月04日 08:40