2017年03月28日

体癖を「吐き出すか・とり込むか」で考えてみる

ブーケ


最近、整体の体癖の説明を初めての人にしているときに よく感じていたことなのですが。

同じ左右型とか前後型とか言っても、奇数種・偶数種の違いで「ホントに同じ左右型なのか?」というくらいに違う感じに見えてしまうので、
何となく「あ、左右の動きが得意だと左右型ね」という雰囲気を分かってもらうのが難しいなぁ・・と思っていたのでした。

椎骨の観察などを繰り返したりしながら、体癖的な観方に馴染む時間が長くなってくると、パッと見の見え方がずいぶん違っても「あ なるほど、前後っぽいね」という感触が出てくるものですが、
そんな観方は初めてだという人たちにとっては、どうしてそれを同じ前後型として括れるのかな? と、「ちょっと何言ってるか よく分からない」状態になっちゃうと思うわけです。 (^_^;)

奇数種・偶数種の違いというのは、生きているエネルギーの平衡要求の違いで、まぁ 分かりやすく言うと「エネルギーのバランスのとり方」のタイプの差、と言えるでしょうか。

奇数種というのは、ほっとくとエネルギーがあり余ってきて、それをうっ散してバランスをとる・・・というようなタイプの人たちです。
一方、偶数種というのは、ほっとくとエネルギーが足りなくなってきて、それをほかから引っ張り込むことによってバランスをとる・・・というようなタイプの人たち。

ですから、同じ前後型でも、
あり余ってきたエネルギーをうっ散してバランスをとる動きをするのが五種、
足りなくなってきたエネルギーをよそから引っ張り込む動きをするのが六種、
ということですね。

・・・なんてことを説明したりしていたら、あ そうか、なるほど♪ と思ったことがありました。
その動きが感受しやすい、惹かれやすい「何ごとか」を「吐き出す」か「とり込むか」という差だと考えてもいいのだな、と。

上下型は 言ってみれば「情報」、左右型は「感情」、
前後型は「行動(情熱)」、捻れ型は「勝負」、
開閉型は「情愛」。
これを それぞれ「吐き出す」か「とり込むか」かだと考えてみる。

上下型「情報」
一種は「情報」を「吐き出して」バランスするタイプ、
二種は「情報」を「とり込んで」バランスするタイプ、

左右型「感情」
三種は「感情」を「吐き出して」バランスする、
四種は「感情」を「とり込んで」バランスする、

前後型「行動(情熱)」
五種は「行動(情熱)」を「吐き出して(遠心的に)」バランスする、
六種は「行動(情熱)」を「とり込んで(求心的に)」バランスする、

捻れ型「勝負」
七種は「勝負」を「吐き出して(勝とうとして)」バランスする、
八種は「勝負」を「とり込んで(負けまいとして)」バランスする、

開閉型「情愛」
九種は「情愛」を「吐き出して(集中して)」バランスする、
十種は「情愛」を「とり込んで(囲い込んで)」バランスする。

なんか そういうふうに仕分けてみると、同じ動きでも奇数種と偶数種で ずいぶんパッと見が違って見えるとしても、同じキーワードの「出すか・とり込むか」の差なのだ・・と理解しやすくなるかなぁ・・と。 (^o^;)

まぁ とはいえ、いつも言うことですが、現実に「左右型」の人がいるわけではないですし、「三種」の人がいるわけではありません。
体癖は色のようなものですから、必ず混ざり合った状態で「その人」がいます。
「三種的な傾向が強い人」はいるでしょうけれど、「三種の人」はどこを探してもいません。

僕らが感じなければいけないのは いつでも目の前の「その人」であって、「体癖」では決してない。
最近『Dr.コトー診療所』に遅まきながらハマっているのですが (^o^)、コトー先生も仰ってます。
僕らは、病気を診るんじゃない。 人を診るんです
って。 (^o^)

「体癖」は単なる理解に便利なツールの一つです。
そのことは、絶対に忘れないようにしなければなりません。
そうでなければ、本末転倒な 具体的にはあり得ない虚構の中だけの話になってしまいますから。

体癖を学んでいく人は、その点をくれぐれもご注意ください。 (^^)



野口整体に関する記事は「光るナス@らくらく塾」に、だんだんとりまとめ中。

*前後のエントリーは左上の「過去の記事とシリーズ」からとべます♪

花いっぱい

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この記事へのコメント
そうか、体癖も「動的平衡」なんですね
Posted by 愚慫 at 2017年03月28日 16:23
・愚慫さん

そりゃ そうですよ。
人間の話なんですもの。 (^o^)

Posted by アキラ@愚慫さん at 2017年03月28日 20:10
そりゃそうっちゃ、そうですが ^_^

そういうことに改めて気がつく、気づきを与えてもらえるというのは、価値があると思います。
Posted by 愚慫 at 2017年03月28日 20:57
・愚慫さん

整体の個人指導って 面白いと思います。
調えてるかというと そういうわけでもなくて、バランスの偏りを ある意味崩すことによって(アンバランスにする)、新たな動きを誘導していく。

それによって自ら動的に平衡していく それを促すわけですが、そこを無条件に任せちゃえてるところが、僕が野口イズムに惚れているひとつですかね。 (^^)
Posted by アキラ@愚慫さん at 2017年03月28日 23:04
・アキラさん

>そこを無条件に任せちゃえてる

ここ、とてもいいですよね。
いのちに全幅の信頼を寄せている感じ。


ぼくは〔世界〕にも信頼を寄せる人間(であるつもり)ですが、それは、いのちへの信頼の延長線上だと思っているんです。
Posted by 愚慫@アキラさん at 2017年03月29日 08:59
・愚慫さん

愚慫さんの言う〔世界〕が どのようなことを指しているか判然としませんが、となると「個への固執」がなくなる必要がありますね。
「世界」はあっという間に奪い去るもの、でもありますから。

Posted by アキラ@愚慫さん at 2017年03月29日 09:52
・アキラさん

〔世界〕とは、「ありとあらゆるもの全体」。

で、「個への固執」の「個」もまた微妙なところですね。アキラさんのいう「自ぃ識」は、「個」になるのかどうか。

ぼくは「個」ではない、と思っていますが。
Posted by 愚慫@アキラさん at 2017年03月29日 11:19
・愚慫さん

「自ぃ識」が意識の上にあがってきている時点で「個」でしょうね。

「個への執着」という表現がマズかったですね。
僕が考えていた「個」のニュアンスは「個人」でした。
「個人への執着」でした。 (^^;)

『「自ぃ識」は、「個」になるのかどうか』というのは、そのまま僕の中では「三位一体」問題ですね。 (^o^)
「海と 波と しぶき」問題♪

Posted by アキラ@愚慫さん at 2017年03月29日 11:33
・アキラさん

アキラさんのおっしゃる三位一体は、ぼくの言い方というか、量子力学的な言い方だと、「真空とエネルギーと破れ」になるのかもしれません。

「個」でなく「個人」というのは、言わんとすることがより的確になったと思います。

生命あっての「個」
社会あっての「個人」

ではないでしょうか。

ぼくは今の社会には「絶望」しています。この「絶望」は、いつぞやアキラさんがおっしゃった「不可逆な分離」の意味です。

でも、生命には絶望をしていません。

絶望している社会にアイデンティティなど置きようはありませんから、「個」へと行くしかありません。、
Posted by 愚慫@アキラさん at 2017年03月30日 05:52
・愚慫さん

僕が「個人」と言ったのは、これが人間の話だからです。
『生命あっての「個」』はその通りですが、僕がここで書いたニュアンスからすると「ヒト以外」の生命です。

人間の「個」は =「個人」。
「社会なくしての個」は、人間ではあり得ないでしょうね、おそらく。
その意味で(僕の言っているニュアンスの中では)人間が「個に向かう」ということは成り立たない。

僕も、生命には絶望をしていません。
まぁ 希望も持ってませんけど。
ただ、人間には絶望しているだけです。

そういうことでは愚慫さんとほぼ同じなわけですが、僕は「社会」と『「個」としてのヒト』を分離できると思ってないので、そこが違うのでしょうね。
狼にでも育てられれば、それが可能なのかもしれませんが。

そうだ、狼少女は人間社会を離れた『「個」としてのヒト』かもですね。
狼の社会性を身につけてしまっているかもしれませんが、少なくともそれは「人間社会」ではないのですから。
Posted by アキラ@愚慫さん at 2017年03月30日 08:22
>アキラさん

左右型/前後型、奇数種/偶数種といった捉えは野口整体の概念なんですよね。
面白いなと思うのは、私は《万事に対して》こういう二元論的な捉えの感受性をもともと持っていないので、人体(生体)のコンディションを二元論的に把握するマナーがどういう機序で発生したのかなあと思います。

私の感覚では、生物って浸透圧や神経細胞の電位差のような、エネルギーの差異とその流れで構成される場と捉えています。
その中で弛む⇔締まる、出す⇔取り込むみたいな二元的機能はどちらの極が優勢といったものでなく、その一組・ワンセットではじめて成り立つという感覚。ワンセットの中で差異の大きい者や小さい者、圧の強いものや弱い者が存在するというイメージ。
あくまでそういうイメージです。出す力の弱い者=取り込む力も弱い、的な捉え。

例えば私の場合、血圧は上も下も低くて60−90台、脈拍も遅い時は46〜7bpmまで落ちます(スポーツ心臓ではないです)。子供の頃は体温も平熱が35度台でした。
別にそれで体調が悪いわけでもなく今日まで殆ど病気らしい病気にかかったことがありません。頭痛や腰痛も持っていません。
かなり健康体な方だと思うと同時に、恒温動物としては不活性な部類だと自分では感じます。
出すにせよ取り込むにせよ、その絶対値が小さい。
全体に疎らに連結した遊びの多い組織が、疎らに稼働している感覚です。
Posted by 拝み釦 at 2017年04月03日 19:07
承前。

その疎らな有機的組織の連結・連動に比べて、稠密に連結した有機的組織の働きを持つ人はいると思いますが、そういった働きの差異に対する二元的な捉えが可能なのかなあと考えると、なんか違う気がします。
まあ絶対値の大小だって二元的と言われればそれまでなんですけどね。大小ってのは「相同」の捉えですよね。対極ではない。

追記。
そんなこんなで私は性善説/性悪説という二元的な見立ても感覚的によく判りません。他者からは性悪説の人に見えることがあるようですが、自分では単純に判らないんですよ。
Posted by 拝み釦 at 2017年04月03日 19:08
たとえば、自閉症スペクトラムの人と、そうでない人。というような大雑把な理解で物を語るのは、二元論か、というとそうでもないと僕は思ってて。
みんな違ってみんないい。みたいな大らかな多元論だよね、と。無責任な。

グラデーションだと僕は言ったのだけど、たとえば、虹の色について、僕には七色には見えない。でも、一色でもない。こういうのは僕にとっては大前提なんだけど。若い頃はみんなもそうだとおもってた。大らかな多元論者はそのことがわからなくなってるんじゃないかな?

Posted by ごん at 2017年04月03日 20:23
ぼくはずっと境界をつくるのに躊躇のない人ってのがよくわからなくて、そんな僕には、グラデーションの双方の極を設定した上で実践を詳らかにしていくというものの語り方は実に理にかなってるな、と思います。

(しばらくパソコン使えないので、慣れないスマホからの投稿になるのでこれまでよりさらに忍耐を要する文になるかと思います。ご了承ください。)
Posted by ごん at 2017年04月03日 20:32
・拝み釦さん

すみません、拝み釦さんの仰ってることが、かなりよく分かりません。 (^_^;)
そもそも僕が記事で書いてることって、二元論なんでしょうかね?
(素朴な疑問です)

>弛む⇔締まる、出す⇔取り込むみたいな二元的機能はどちらの極が優勢といったものでなく、その一組・ワンセットではじめて成り立つという感覚。ワンセットの中で差異の大きい者や小さい者、圧の強いものや弱い者が存在するというイメージ。

これは仰っていることは理解できます。
で、この場合、例えば「弛む⇔締まる」はワンセットではありますが「弛む/締まる」でもありますよね?
これは拝み釦さんの仰ってることからすると、二元論になるんじゃないですか?

「弛む⇔締まる」みたいな二元的機能が「どちらの極が優勢といったものでなく」ということだとすると、常にその「弛む⇔締まる」がほどよくバランスしているということでしょうか?
「偏り」という発想がない、ということでしょうかね?

よく分かってないので、ピントがすごく外れてる気もするのですが。

例えば、「弛む⇔締まる」はワンセットです。
その上で、いろんな部分で、「弛む」が優勢のところと「締まる」が優勢のところと、その優勢の度合いの様々な強弱と、ちょうどバランスがとれているところと・・というのが同時に成り立っているのが人間の生きている姿ですよね。
・・・と、僕には見えるわけです。
で、それらの全体的なところでのどちらかの極の優勢な状態ということも、また当然ですけどあるわけです。
単なるロジカルな論としての話でなく、具体的にそういうことがあるわけです。
少なくとも、僕らの観察の中では。
それって二元論というものなんでしょうか?

また、これが全体として常にちょうどよく ほどよくバランスするのであれば、「アンバランス」ということはあり得ないと思うのですが、いかがなんでしょう?
Posted by アキラ@拝み釦さん at 2017年04月03日 23:41
(つづき)

それから、ちなみにですけど、例えば 呼気と吸気はワンセットで初めて成り立つ機能ではないんです。
別々の機能なんです。
吐きは吐きだけ、吸いは吸いだけ。
それが相補的に行なわれることによって「呼吸」ということが成り立っている。
これは言ってみれば「ツーセット」なんです。 (^^)
こういう場合は二元論的な気はします。
まぁ、論じゃなくて事実なんですけどね。 (^_^;)

また、体癖的なことで言えば、(整体が観るところの)人間のやっている5つの動きは、すべての人が全部持っていてやっているわけです。
それの各割合を推し量ってるようなイメージです。
大体は、よく使われている動き・上位3つくらいを把握するようには言われます。

それで、結果として 例えば「あなたは五種がメイン、次が二種で、あと十種がそれに続く感じかな」みたいな把握をする。
ここにはもちろん、奇数種と偶数種が入り交じっている「その人」があるわけです。
この場合って、二元論になるんでしょうか?
どうも、指摘されてることが何なのか、よく分からないのです。 (^_^;)
理解が悪くてごめんなさい。

拝み釦さんの仰りたいことは、どのへんなんでしょう?
Posted by アキラ@拝み釦さん2 at 2017年04月03日 23:43
・ごんさん

>グラデーションの双方の極を設定した上で実践を詳らかにしていくというものの語り方は実に理にかなってるな、と思います。

これはよく分かります。 (^^;)

その意味では、双方の極というのはあると思います。
「虚・冲・実」の「虚」と「実」もそういう極ですし。

そして現実は、いろんなことが限りなく複合した「グラデーション」。
そこであれやこれや言う必要がなければ、「みんな違ってみんないい」ですよね。 (^^)

でも、言う必要が出てくれば、そこに「物差し」が入ってきます。
で、その「物差し」の基準によって判別が出てくる。
整体では、「弾力がある・ない」とか、状態の「ノーマル・アブノーマル」が、僕らなりの「物差し」によって出てきますね。
Posted by アキラ@ごんさん at 2017年04月04日 00:04
>アキラさん

言葉からそのまま感受するイメージの問題なので、うまく伝わらないのかも知れません。

グラデーションであれば、カラーチャートのように(Y20 M40 C60 BK10)と度数で表わせますよね。明度のみの場合は(BK100)でスミベタ、みたいに。
色の成分・度数で明度・彩度がアナログに変化します。

他方、偶数/奇数、左右、前後には「遇数30 奇数70」とか「左10 右90」「前50 後50」という記述が存在しないでしょう? 現実にそういう記述が無い。

左はどこまで行っても左、右はどこまで行っても右。
だから二元です。言葉の表れが「対極」でアナログに漸変する性質のもので無いので。グラデーションは存在しません。

それと呼吸については、ファンクションは各々別の機序であっても、通信機の「送信機能」「受信機能」やカセットレコーダーの「FWD」「RWD」のように機能的に分割出来ないでしょう。
原動機の吸排気量って、総排気量の大小は50佞箸750佞箸規格により異なりますが、吸気が優勢で排気は劣勢とか無いです。吸気と排気は別々の仕組で成立していますが分割できない。
受信機能だけの通信機はありえますし、送信機能だけが壊れても受信できる通信機も当然ありますが、吸気のファンクションだけが機能する原動機はありません。排気が×になれば吸気もオシャカですよね。ですから私の感覚では「呼吸」はツーセットにはなりえないです。

そういう言語感覚の問題です。
Posted by 拝み釦 at 2017年04月04日 03:06
補足。

そもそも「前後」「左右」等は単に型の名称で「前/後」「左/右」ではないので、二元やグラデーション云々とは全く関係なかったですね。単に私が言葉に引っ張られただけです。

偶数/奇数も便宜的に充てているだけの言葉で、言葉自体に意味があるわけでは無いのかも知れないので、これも大分的外れだったかな。

呼吸については、機械の吸排になぞらえた通りで特に付け加えることはありません。生体も機械だとは思いますが、機械の機能と生体の機能を一緒にするなと言われればそれまでですし。

はしなくも、私が左右型、上下型、前後型、奇/偶数種といった記述を感覚的にどれほど理解できないかが伝わる好例になったと言えるかもしれません。
ですからアキラさんが不審に思うのは当たり前で、私の感覚がおかしいだけなのでしょう。ですから返信も不要です。
Posted by 拝み釦 at 2017年04月04日 04:08
・拝み釦さん

何となく分かりました。 (^^)
ありがとうございます。

上記のコメントに記した体癖的なこと、よく使われている動き・上位3つくらいを把握して、結果として 例えば「あなたは五種がメイン、次が二種で、あと十種がそれに続く感じかな」みたいな感じになった場合、奇数種と偶数種が入り交じっている「その人」があるわけですが、こういう場合には総じて「奇種的傾向40 偶数種的傾向60だね」というようなことは言えるかもしれません。
実際には僕らはそうは言いませんが、そういう感じの把握のしかたはします。

「吸気が優勢で排気は劣勢」ということも、あるスパンでの「状況」ということではあります。
過呼吸などはその類いですよね。
これがこのバランスのまま動けなければ、そのまま死に至りもするでしょう。
そうしてそれはあり得るので、僕はこれは「ツーセット」なんじゃないかと思えます。

拝み釦さんの「出す力の弱い=取り込む力も弱い」といった「一元」バランスのイメージでいくと、生まれる → 発達する → 病む → 恢復する → 死ぬ・・・といった動的な動きというか流れというのは 成り立たないのではないかという気がするのですが、どうなんでしょうね。
Posted by アキラ@拝み釦さん at 2017年04月04日 15:10
(つづき)

そんなこんなを考えると、野口整体的な人間の観え方というのは、その意味での二元論的なものをしっかり含んでいるように感じます。
つまり対の極がある、という観え方。

ごんさんへのコメントに書いた「虚・冲・実」の「虚」と「実」などは、まさにそういうものです。
例えば、体のある部分ついての「虚」や「実」ということが、僕らの観え方の中にはあります。
そうして、その「虚」はどこまでいっても「虚」であって、それ自体が「実」に転換することはありません。
「実」はどこまでいっても「実」であって、それ自体が「虚」に転換することはない。

そういう対の極があって、それが複合?しながら多くは「冲」の状態を保っている。
「処(体のある部分)」としては虚実は転換していきます。
いきますが、それは例えば「虚 → 実」へのグラデーションとしては変化していかない。
おそらく「虚」と「実」が並行しながら、弱まり強まりしていって、あるところからパカッと「実」になる(バカッと「虚」がなくなる)。

似たようなニュアンスで、緊まりの度合いは強いけれど、弛みの度合いは弱い・・という人もいます。
この場合、放っておくと過緊張でスタックします。
もちろん逆の、弛みの度合いは強いけれど、緊まりの度合いは弱い・・という人もいる。
この場合は、放っておくとたるんでしまって、適切な緊まりをなかなか確保できなくなったりする。

前にそんな記事を書きましたが、そこに出した「太極」的なニュアンスはあるんだろうと思います。
http://blog.livedoor.jp/appie_happie/archives/52413317.html
Posted by アキラ@拝み釦さん2 at 2017年04月04日 15:10
>アキラさん

要領を得ないであろう私の問いに丁寧に答えてもらって、ありがとうございます。
「虚」「実」というのは、「動いている矢は止まっている」的なモーメントに対する観測者側の捉えの形なんですかね。観測される側の人体に顕れる状態そのものなんでしょうか。
いずれにせよ、そこには双極と呼べるものを観ることができるわけですね。でもって相転移のように状態がカチッと入れ替わる境のようなものがあると。

“緊まりの度合いは強いけれど、弛みの度合いは弱い/弛みの度合いは強いけれど、緊まりの度合いは弱い”については、例えば神経伝達物質の興奮系が過剰であるとか抑制系が過剰であるという状態になぞらえることが出来るのでしょうか。
弛むには弛ませるためのエネルギーが流れているのであり、緊まる働きが弱ければ弛むというわけではないのはわかります。
Posted by 拝み釦 at 2017年04月04日 21:33
承前。

呼吸については私の知見が足りないので、良くやる手で他の脊椎動物を参照してみました。

以下、wwダブル.geocities.jp/ogata_tokusan/zatugaku/index007.htmlから引用します。

“硬骨魚類の場合、呼吸室の内部は鰓という抵抗体で二分され、口側が口腔、鰓蓋側が鰓蓋腔である。まず、A図のように口腔の吸い上げポンプが働いて口から水が入り、ついで、これが押し上げポンプとなって水を鰓内に押し入れると、鰓蓋腔の吸い上げポンプが水を鰓を通して吸い出し、ついで、これが押し上げポンプとして働き、水は外鰓孔から外に呼出されるのである。
(中略)
軟骨魚類では、多少、異なり、また、押し上げポンプ依存型のサバ、サメなど遊泳魚は遊泳中は能動的な呼吸運動を行わないで、口をあけたまま前進し”

引用終わり。
硬骨魚類の場合は4ストローク、サバ/サメなどは車やバイクのエアインテークのように吸水を流れ込みに任せています。2ストロークですかね。
A図の髻瑤鮓ると押し上げポンプと吸い上げポンプが同時に逆の動きをしていますね。一方が加圧している時は他方が減圧しています。
硬骨魚類の4ストロークを何セットとして捉えるか。
同じ脊椎動物でも、魚と人間では1呼吸のセット数が異なると捉えるべきなのか。

それと「出す力も弱い=取り込む力も弱い」というのは、それこそ総排気量のスペックのようなもので、人間の脳は体重の2%でありながら、全エネルギーの25%を消費していることや「人間では休息時の酸素摂取量の1〜2%しか呼吸運動に使っていない」(前述サイトより)などを考え合わせると、人体におけるエネルギーの割り当てって結構偏っている上に、身体が成長するためのエネルギーってそれほどシビアに要求されないのかも知れません。
Posted by 拝み釦 at 2017年04月04日 22:08
すごく興味深いです。お二人のお話し。


Posted by ごん at 2017年04月04日 23:45
・拝み釦さん

ダメだ、、、あまりに僕が触れていることとの質感が違いすぎて。
どういうふうに翻訳したものか分からないので、基本的にパスします。 (^_^;)
拝み釦さんの方も同じ感触かもしれませんね。

容易に分かることだけ お答えしますね。

「虚」「実」については、「観測される側の人体に顕れる状態そのもの」です。

“緊まりの度合いは強いけれど、弛みの度合いは弱い・・・” については、仰るような状態になぞらえることは出来るような気がします。

呼吸について、A図の髻瑤里茲Δ福崙瓜に逆の動き」を人間の場合もしているんだと思います。
吸ってきて吸い切りの終わりのところで、吐き始めが始まっている。
気の動き・・みたいな次元で。
で、それはまだ具体的な肉体レベルでの動きにはなっていないのですが、でも始まっている。

そういう並行しながら交替しようとしているけれど、まだ具体的な肉体レベルでの動きにはなっていない時間帯が「呼吸の間隙」というやつなんだろうと思っています。
Posted by アキラ@拝み釦さん at 2017年04月04日 23:49
・ごんさん

置き換えがうまく出来なくて、頭がバーストしそうなので あきらめました。 (^_^;)

Posted by アキラ@ごんさん at 2017年04月04日 23:52
>ごんさん&アキラさん

ポンコツな問いが重なって、恐縮です。

何故これを訊いてみたいと思ったかというと、以前書きました通り、私は掌をかざすと鉱物や植物の「気」と呼べるようなものを感じるんです。
前コメントした時には記述しなかったんですけど、この感覚は呼吸と関係があって、例えば
・息を吐く:対象に掌が吸い寄せられる感覚
・息を吸う:対象から掌が空気の壁のようなもので押し返される感覚
といった顕れを伴います。ただしこの吸い寄せられる/押し返される感覚は呼気・吸気と組みになっているわけではなく、‘息を吐く:押し返される感覚’というように入れ替わることもあれば、吸っても吐いても吸い寄せられる感覚を得ることもあります。

でもって、吸気と呼気で感覚の強さが変化することはないんです。息を吐く時は感覚が優勢になり吸う時は劣勢になるということはない。
感覚が弱い時は吸っても吐いても弱いんです。

ワンセットという感覚はそういうところから来ている面もあります。

あとはもう一つ、同じ鉱物に掌をかざしても温感を覚えることもあれば冷気を感じる時もあります。これは鉱物自体の状態が変化しているとは思えないので、私の方のセンサーが変化しているということだと考えられます。
「観測者側の捉えの形」というのはそこから来ています。

「気の動き・・みたいな次元」という下りについては、何となくわかる気がしますが、アキラさんと私では質感が全く違うというのも確かでしょう。
野口整体に己の身体を介して取り組んでいる方たちは、指導者でなくてもアキラさんと同種の質感で「ツーセット」とか「双極性」を捉えているのかなあ?という単純な疑問もありますが、たぶんその辺を伺っても私にはやはり解らないのかもしれませんね。
Posted by 拝み釦 at 2017年04月05日 22:16
・拝み釦さん

なるほど♪
そちらの方を最初に聞けていたら、あんまり頭がバーストせずに済んだかもしれません。 (^o^)

「気」と言いたくなるような 何らかのエネルギーを感じるにあたっては、それはこちらの呼吸とは関係のないところで行なわれます。
ですので、こちらが吸おうが吐こうが 同じように感じられるはずです。
それが変化して感じられるということは、それは感じている側の変化だと考えられます(想像します)。

ですから、
「感覚が弱い時は吸っても吐いても弱い」
というのは、こちら側の状態と関係ない対象の発しているものだと想像します。
同様に、呼吸と関係している「感覚」については、拝み釦さんの側の何らかの状態の反映が多く含まれているように(僕なら)想像します。
Posted by アキラ@拝み釦さん at 2017年04月06日 08:04