★
従来の日本海軍の戦略は、フィリピンは占領するが、それ以上は拡大しない。
アメリカ海軍が主敵なので、フィリピンまで遠征してくるのを待ち、決戦。
しかし、真珠湾攻撃は新しい戦法。自分から攻勢をかける。山本五十六の考え。
★
日露戦争後、
陸軍はvsソ連
海軍はvsアメリカ。日本は海洋国家になるべきという思想。
従って、海軍はソ連と協調して背後を安定させておきたい。
日露協会という半官半民の組織のトップは海軍の斉藤実、次席は加藤寛治だった。
★
海軍は日独伊三国同盟に反対したとされるが、本当か?
注意すべきは、三国同盟が締結される前の構想と実際の同盟が対象とする仮想的が異なったという点。
1936年、日独防共協定、37年、日独伊防共協定が結ばれたが、これらは反ソ連の性質を持つ。
ソ連と協調していたかった日本海軍はこの協定を強化することに反対。
ただし、日伊防共協定には賛成。ヨーロッパにおいてイギリスをけん制したかったから。
※日本海軍は容共だったわけではない。
1938~39年頃、同盟化の議論があり、山本五十六、米内、井上ら海軍重鎮はこれに反対した。
通説としては、日米開戦必至という観点から海軍は同盟に反対と言われる。
しかし、そのような話は当時なされていなかった。
ここで、1939年に独ソ不可侵条約が成立してしまい、反ソの性質が失われる。
かわりに仮想的が英米に変化した。
結果として1940年に成立した日独伊三国同盟の仮想的が英米になったことで、日本海軍も了承。
※日独伊ソ連合構想もあった。
★日本海軍はドイツ海軍と良好な関係を気づいていた。
第一次世界大戦では敵同士であったが、終戦後から両国で技術交流があった。
ドイツは軍技術を他国で保存したかった。
日本は戦利品のUboatを研究したが、ドイツの技術者を呼び寄せさらに技術獲得。
また、日本はまだ航空技術が発達していなかった。
日本は空母の技術があったので、ドイツに「赤城」を公開(最高機密)。
その代わりにドイツは航空技術(艦上爆撃機や分厚い装甲など)を日本に提供した。
※日本はゼロ戦のような機体が軽い航空機は作れたが、強度ある重厚な機体は作れなかった。
※陸軍同士はあまり良好な関係ではなかった。ドイツは中国の軍事顧問をしていた。
ナチスが台頭してから陸軍の交流あり。
従来の日本海軍の戦略は、フィリピンは占領するが、それ以上は拡大しない。
アメリカ海軍が主敵なので、フィリピンまで遠征してくるのを待ち、決戦。
しかし、真珠湾攻撃は新しい戦法。自分から攻勢をかける。山本五十六の考え。
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日露戦争後、
陸軍はvsソ連
海軍はvsアメリカ。日本は海洋国家になるべきという思想。
従って、海軍はソ連と協調して背後を安定させておきたい。
日露協会という半官半民の組織のトップは海軍の斉藤実、次席は加藤寛治だった。
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海軍は日独伊三国同盟に反対したとされるが、本当か?
注意すべきは、三国同盟が締結される前の構想と実際の同盟が対象とする仮想的が異なったという点。
1936年、日独防共協定、37年、日独伊防共協定が結ばれたが、これらは反ソ連の性質を持つ。
ソ連と協調していたかった日本海軍はこの協定を強化することに反対。
ただし、日伊防共協定には賛成。ヨーロッパにおいてイギリスをけん制したかったから。
※日本海軍は容共だったわけではない。
1938~39年頃、同盟化の議論があり、山本五十六、米内、井上ら海軍重鎮はこれに反対した。
通説としては、日米開戦必至という観点から海軍は同盟に反対と言われる。
しかし、そのような話は当時なされていなかった。
ここで、1939年に独ソ不可侵条約が成立してしまい、反ソの性質が失われる。
かわりに仮想的が英米に変化した。
結果として1940年に成立した日独伊三国同盟の仮想的が英米になったことで、日本海軍も了承。
※日独伊ソ連合構想もあった。
★日本海軍はドイツ海軍と良好な関係を気づいていた。
第一次世界大戦では敵同士であったが、終戦後から両国で技術交流があった。
ドイツは軍技術を他国で保存したかった。
日本は戦利品のUboatを研究したが、ドイツの技術者を呼び寄せさらに技術獲得。
また、日本はまだ航空技術が発達していなかった。
日本は空母の技術があったので、ドイツに「赤城」を公開(最高機密)。
その代わりにドイツは航空技術(艦上爆撃機や分厚い装甲など)を日本に提供した。
※日本はゼロ戦のような機体が軽い航空機は作れたが、強度ある重厚な機体は作れなかった。
※陸軍同士はあまり良好な関係ではなかった。ドイツは中国の軍事顧問をしていた。
ナチスが台頭してから陸軍の交流あり。