December 01, 2004

悪いことを知ること。

 ▲ドラえも:281.教育方針

 善悪を定めるのは、「行為」ではなく、「意思」であるということ。・・・悪と分かって悪を行うことと、悪と知らずに悪を行うことは同列ではない。悪と理解しているならば、その「行為」の責任は自分がとる覚悟があるからであって、本当に我々が知るべきは、「悪いことをしないこと」ではなくて「悪いことを知ること」ではないだろうか?

 韓国の集団カンニング事件の顛末を見ていると、何となく「何でこんな簡単なことをやらなかったのか?」みたいな主犯格たちの蔑みが伝わってくるようだ。それが、これからエリートになっただろう学生たちが中心になってやっている感じだから救いようがない。昨今、日本の教育界でも水準低下が叫ばれているが、むしろ、倫理面ではまだマシなのだろう。・・・少なくとも、「悪い」ということを知っている分だけ・・・そして、悪を知っててもしない分だけ。知り合いの韓国の方が、「学問しか教えない教師など必要ない」と憤ったのも頷ける話だ。

 「教育は他人と共に生きて行く方法を教え、「社会的人間」を育てることだ。社会的人間に成長するため、最初に学ばなければならないのが規則であり法であり、倫理だ。」(---Nov.30,2004 朝鮮日報

 今回の話が醜悪なのは、自ら倫理を破った人間が、「大学試験」という社会的倫理を盾に生きようとしている人間であることだ。倫理を破るならば、自ら倫理を捨てる覚悟を持たなければならない。現実に対応するには、今の「現実」を捨てる必要がある。・・・「らくえん (TerraLunar)」とかで、本質的に言われていることは、そんなことなんだが・・・まさか、現実で分かっていないとはね。



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