October 19, 2004

「腐り姫」評。

 

 
―――エロゲーで吐き気がした台詞がある。


 「あたしも、樹里とおんなじだ・・・。」
(---潤,“参照”した時は七週目・・・だったと思う)


 ―――正直、吐き気がした。萎えるとかいうレベルではなく、この場面で快楽を覚えることを、倫理的に拒否しようとした自分がいることに気付く。本気で気持ち悪い。しかも、その「気持ち悪さ」は、結ばれた潤に対してではない。主人公・五樹の実妹、この台詞が指している樹里でもない。この瞬間、この物語「腐り姫」が描こうとした主題・・・なんで、この物語が「近親愛」をテーマに、執拗に義理家族の近親相姦を描いたのか?・・・その意味が、「潤が自分を樹里と同じと見做す」ことによって、きりこ・夏生・芳野・蔵女・潤・樹里の線―――その交わる意味がハッキリと分かったからだ。


 ―――例えば、「妹萌え」なんて言っている我々は、本当に「家族」に欲情するのだろうか?


 私には、姉も妹もいないから、女性の「家族」は、母親だけだが、欲情を感じたことは一度も無い。だとしても、この世に、父娘相姦も、母息子相姦も、兄妹相姦も、姉弟相姦も・・・いくらでもネタがあって、性犯罪として挙がっている、この世界では、よく“在りうる”ことなのかもしれない。だが、大多数の人間は、ごく真っ当に社会的倫理を守り、血縁関係のある家族間で交配していこうなどとは考えないだろう。近親相姦の性的魅力・・・現在は、「義妹」に代表されるその魅力は、あくまで“社会的倫理の遵守”が前提であり、だからこその義理関係間のセックスの魅力になる。


 ―――例えば、どうしても這い上がれない穴に落ちて、そこにいるのが、幼い妹がただ一人。食料も水も永久にあるが、二人しかいない世界に自分がいるとする。最初は共に暮らして成長する少女を、貴方は抱けるだろうか?―――もう一つ仮定しよう。それでも抱いた妹との間に、幾人かの娘を得た。それでも「息子」が生まれず、「穴」の世界における種の保存のため、貴方は「娘」を抱けるだろうか?・・・そして、やっと、孫である「息子」が生まれたとして、自分の姉であり叔母である「娘」に娶わせられるか?

 ―――「腐り姫」が奇妙なのは、単純に主人公が近親姦に堕ちる様を描いたのではなく、ヒロインの方が近親姦で自分の想いを満たしていく様を平行して描き、その背景にはある・・・近親姦を“強制する”愛の凄まじさを描いたことにある。・・・あえて、問おう―――実妹に“愛されること”は、幸せだろうか?

 
 「愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ。」
 (---Hermann Hesse)

 ―――“愛せないから不幸”・・・ならば、家族より「女」であることを望む。

 ―――“直に身体を与えられない愛”など・・・認めない。


 潤の樹里の想いへの肯定は、この物語では、大きな意味がある。つまり、“女としての共感”であり、この台詞が「義妹」としての血縁関係ではないことへの嫉妬から、女として愛することができることに対しての悦びへ、シフトしている間に語られたことが重要なのだ。


 ―――“愛すること”は、まず初めに、“身体を許すこと”。


 ―――当たり前だ。当たり前のことだ。だが、夏生・芳野・潤・きりこ・樹里、この物語で描かれたヒロイン達はそれが可能だったか?・・・夏生は従姉。芳野は義母で盲目。潤は義妹。きりこは身体障害者。樹里は実妹。・・・まともに“愛すること”が可能なのは、きりこだけ。それでも、その“与えるべき身体”が、彼女の枷になる。前三名は、法律上可能でも、社会的には忌避される。樹里に至っては、世界的に考えても、宗教的にも法律的にも、不可能である。勿論、抜け穴はある。現在の民法第772条〜第791条を見る限り、“認知”しない限り、実子ではない。認知しない子供同士が、実子であることを知ってて愛し合っても、法律上、何のも拘束もできない。結婚もできる。法律は、必ずしも、社会的倫理と同一ではない部分だ。つまり、我々の“世界”というのは―――


 ―――(世界は)・・・認めなければ“無かったこと”にできる。

 ―――(世界は)・・・無かったことにすれば“愛すること”ができる。


 ―――そんな世界なのだ。だから「腐り姫」の世界はループする。だから、五樹は記憶が無い。青磁は、愛を何と評した?・・・「愛が傷つけるなら、愛が殺すなら、俺に何ができる」・・・と言わなかったか?・・・「男性」の絶対的無力と、倫理に抵抗する「女性」・・・そして、世界を狂わせていく「妹」。樹里が五樹と肉体的に繋がる事は容易だったろう。だが、彼女が望んだのは、公に“愛すること”だった。心も身体も・・・「世界」も手に入れることだった。・・・ならば、世界は彼女の敵になる。彼女を否定する世界は、彼女は望まない。

 人が人を愛することは当たり前だ。それはある意味では「美しい」モノでなければならないと思う。なのに、私は、自分自身が、そんな「愛欲」上から生まれた存在であることに吐き気がした。多分、それは突き詰めていくと、「人間には、男と女しかない」という原理を、凄まじい程、愛欲的に、この物語が描いたからだと思う。そうでなければ、あのエンドレスの樹里の喘ぎ声が、物語に必要である筈が無い。―――「あたしも、樹里とおんなじだ・・・。」―――このコトバは、ヒロインが自分自身を「女」であることを自覚した、エロゲーでは稀有なコトバであり、そこには、恋愛の延長線上には、必ず、セックスがあること―――妹ですらその可能性があること―――を、自覚し、「萌え」や「愛らしさ」で逃げなかった、製作陣の一貫した姿勢が窺える。そして、「腐り姫」の物語の主題は、ここで描かれる潤のコトバで締められ、後はその結末でしかない。

 きりこ・夏生・芳野・蔵女・潤・樹里のヒロイン達を描く理由がわかった以上、この後の物語が、伝奇モノというよりは、SFになっても問題は無いと思う。後は、樹里と蔵女の想いをどのように五樹が裁くのか―――徹底して無力に描かれた五樹が、どのように物語へ介入していくのか―――を楽しむ物語であり、物語は、樹里が主導し、蔵女が演出したシナリオから、五樹が描くシナリオへとシフトする。以後、強者として描かれた女性が、初めて、逆に徹底的に弱く描かれていくのだ。


 “強制する”愛よりも、“相互に愛し合う”愛の方が素晴らしい。


 樹里は「婚礼」(心中とは書かない)。蔵女は「性交」。・・・最も端的なことを、樹里と蔵女・・・それぞれの結末を通して描くのも、気持ちが良い。愛の負の面を見てきた後に、最後に、「普通にHなこと」がしたい・・・って言ってくれた五樹。受け入れた蔵女。「腐り姫」最後のHシーンは、その今まで描かれた「枷のある」Hシーンと綺麗に対比された、多分、最も「幸せな」Hシーンとして描かれていく。あのHシーンは、物語に合わないのではない・・・あえて、合わせていない。物語が、“相互に愛し合う”愛のカタチを描くのに、女性から“愛される”愛と同じように描かれる訳が無いのだ。


 この物語が描くのは、「蔵女」と呼ばれた(自己投影の鏡としての)一人の狂言回しを使って、世界を望むままに作り変えていく少女と、それに巻き込まれつつも、自らの愛を満たしていくヒロイン達の物語。物語は、果てなく、哀しく、愛欲に塗れ、女としての悦びを執拗に描く。それでも、皆、最期は幸せだった。赤き雪へ散り去っても、ヒロイン達は想いを遂げて去る。


 描きたかったのは、“相互に愛し合う”男女の「本質」・・・吐き気がするほど愛欲的で、怖気たつほど恐ろしく、純粋過ぎる心を描いた物語である。
 

 
 以下、追記。シナリオの主題と構成について書く。上記のレビューを書いた主観を、補完するモノでしかないことに注意。

 主題について書く。


 今回の「腐り姫」はプレイしたLiar作品としては、7番目になるが、これは意外と良かったな・・・と思う。少なくとも、これをリアルタイムでやっていた場合、「鬼哭街(2002,Nitro+)」と「沙耶の唄(2003,Nitro+)」「Fate/stay night(2004,Type-Moon)」への見方は変わったかもしれない。共通点は「世界を否定する」ヒロインの存在。名を挙げれば、端麗・沙耶・桜(Fateの場合、セイバー&アーチャーも世界を否定する要素があるが、彼女が最も端的)の三人。ただし、「世界を否定する」キャラクターというのは、別に珍しくもない。より具体的かつ現実的に“世界を否定”していった「STAR WARS(1977-1978,Lucasfilm)」のダースベイダーや「EVANGELION(1995-1996,GAINAX)」の碇ゲンドウ・・・等・・・結構いるし、純粋な悪役キャラクターを含めるとさらに多くいるだろう。ただ、エロゲーで・・・と言った場合、この三人が頭に浮かぶ。ただし、ネタの焼き直しという点では、「腐り姫」とて同じことだ。

 「腐り姫」を含め、四作品を比較すると、「Fate」が最も甘いと言うより、主題を逸らしている。これは、桜がアンリ・マユを使ってまで「否定」し、二人だけの世界を望んだのに、凛という因子が混じっているためだ。終盤、凛が姉妹愛を振りかざしてしまったため、物語としての爽快感はあるが、桜の問題への解決策は結局曖昧になっている。むしろ、物語が主要にえぐったのは、それ以後の言峰と士郎の戦いで描かれた「善悪論の帰結」の方である。桜が自らその「愛し方」の問題を解決するのは、桜ルート・ノーマルエンドだけなのは、そのためだろう。私が、この作品を「少年の物語」と総括したのは、ヒロインへの問題をあからさまに逸らしてるためでもあるし、多分、Fateは「愛し方」の意味など描こうとはしていないと思うからだ。

 Nitro作品の場合、端麗の精神的同一化、沙耶の現実世界の崩壊・・・を通して、世界を「否定」したことへの帰結をキッチリ描いた。「鬼哭街」では、濤羅と豪軍、二人の男の愛し方の違いを描いて「愛し方」の相違を対比しているし、「沙耶の唄」では沙耶と瑶を同じように対比している。惜しむべくは、物語の構成上、他への関わりが双方とも希薄であることだ。つまり、当初から主人公とヒロインの「愛し合っている」世界は閉じており、外との関わりがまったく無かったことが問題なのだ。「鬼哭街」の場合、それをひっくり返すこと、「沙耶の唄」は関わりが無いこと、それ自体が一つの物語のテクニックなのだが、外世界への投影をしていないという点では同じである。

 以上の点から考えると「腐り姫」は、“きりこ”という血縁外のキャラクターから、夏生・芳野・潤の義理関係・・・血縁関係へと入っていって、最後に実妹・樹里へと、その関係をセックスまで内包して描いた。樹里以外のキャラクターの意味は、外世界への投影であり、そのために立場上の「家族」間における近親姦を描いている。実兄妹間における“相互に愛し合う”男女の「本質」をそれに近い近親姦で比較して描いているので、樹里の「純粋過ぎる心」・・・世界を「否定」するヒロインの心情を理解できるよう仕上げている。

 ・・・“製作陣の一貫した姿勢”とは、このこと。

 よって、Type-Moon作品・Nitro+作品は、物語上の主題への取り組みとして考えれば、「腐り姫」に及んでいない。ただし、物語として優れているものが、必ずしも面白いものと言えないように、ここまで人間心理を抉った作品は、ある意味の気持ち悪さをもってしまったのは仕方が無い。実際、高評価の「Fate」ですら、その主題が露出した桜ルートは評判悪いのだ。しかし、純粋にセックスへ至ることへの是非を問うたこの作品の価値は、エロゲーとして発売されただけ、恐るべきものであると言ってよいと思う。


 構成について書く。


 「雫(1996,Leaf)」から始まったビジュアルノベル(以下、VN)の系譜は、「痕(1996,Leaf)」ですでに分岐点に入った。ノベルと呼ばれるものは、一方通行なモノであって、それは「鬼哭街」で表現されたように、プレーヤーが介入できないのが、本来のカタチだ。VNの元になったサウンドノベル(以下、SN)とてそれは同じ。ノベルタイプのゲームシステムは、いわゆる“地”の文を多用できることで、これによって、製作者は臨場的な恐怖を直接プレーヤーに叩き込もうとした。「弟切草(1992,チュンソフト)」は、それに見事に対応した作品である。そのため、サウンドノベルのゲーム性のキモとなったのは、実は、ノベルそのものではなく、臨場感を与えるザッピングシステムの方だった。次の作品「かまいたちの夜(1994,チュンソフト)」で、やっと、ノベルの方に力点を置いたが、この作品では心情描写より、むしろ、物語としての面白さ、推理小説としての趣を強くしており、この結果、SNは、ザッピングシステムを基礎にした分野と、推理モノとして特化した分野に分裂し、キャラクター描写に比重が置かれるSNは、結局、「サクラ大戦(1996,SEGA)」のAVG部における成功まで待たねばならない羽目になる。

 VNはどうだろうか?・・・VNは、“地”の文をキャラクター描写の方に向けることで成功した。「雫」において、一つの事件に過ぎなかった書き込み方を、「痕」で一つの事件をヒロイン別・物語として、基準となるシナリオを多面的に見せるという手法によって、VNの価値が確立された。この「痕」のシナリオ構成方法の秀逸さは、Type-Moon作品はすべてこれと同じ手法であり、Nitro+、minori等・・・一々作品名を挙げるまでもなく、ほぼ同じ手法であることが、その証明になるだろう。

 当然ながら、いつかは誰かがやっただろう方式なのだが、それでも最初にやった価値は高い。しかし、その構成を考えた最初のメーカーであるLeafは、三作目「ToHeart(1997,Leaf)」で、複数のシナリオによる多層的構成へシフトした。これは物語へ書き込み方としては、前作「痕」より劣る。一つの物語を複数視点で見ていないため、それは当たり前なのだが、その原因はやはり、このシナリオ構成だと、複数テーマを描くのが難しい点にあるだろう。SNが「かまいたちの夜」で乗り越えた“一方通行なノベルで複数テーマを描く”方法は、物語の端緒をすべて切り替えることができないと難しい。導入部を複数無理なく作るためには、同じ事象に捕われると同じ展開になる恐れがある。「ToHeart」は、それを回避するため、ヒロイン選択にプレーヤーが介入する余地を与え、ヒロイン別・物語として複数のシナリオを一面的に見せる手法に切り替えた。

 結果としては、シナリオ重視の潮流を生み出し、それはコンシューマーまで及ぶのだから、非常に重要な決断だったが、その反面、駄作を量産する結果になった原因・・・との見方もある。功罪はともかく、VNは「ToHeart」の成功によって、「痕」系の“基準となるシナリオを多面的に見せる手法”(一層多面構成)と「ToHeart」系の“複数のシナリオを一面的に見せる手法”(多層構成)に分離した。SNとの違いは、キャラクター描写に比重をおくための“テキスト処理”として分離した点であり、あくまでシナリオに含まれるキャラクターの描写が、シナリオの主題と等価値に置かれた点が、SNとは違う。

 「腐り姫」は、一応、AVGのシステムに入ると思う。公式発表では「インモラル・ホラーADV」。つまり、AVGの範疇になる。ただし、これをVNと考える人も多いので、検索してみると、「アドベンチャーゲームの中でも、視聴覚面と物語性の高い文章によって表現した物語を読ませること、また時には物語の分岐をプレイヤーに認識・選択させてそれによる展開の変化を楽しませること、などに主眼を置いたもの」(---Wikipedia)をVNと言うそうな。ねこねこソフトは殆どAVGのシステムと変わらないシステムで、一貫してVNを名乗っているし、minoriに至ってはシステム的に別モノの三作品を共通して「インタラクティブ・ノベル」と呼んでいる。要は“視聴覚面と物語性の高い”点で差別化をしているのだろうか。確かに物語性の高さで言えば、「腐り姫」はVNと呼んで良い出来である。

 VNのシナリオ構成で「腐り姫」を考えたとき、この作品は「痕」系構成方法の一つの到達点に位置する。この物語の構成の巧みさは、ヒロイン別各シナリオが連鎖しており、途絶するシナリオが一つもないという点にある。普通、ループ物は、物語として継続していても、シナリオ的には途絶するものが多い。最近では「3days(2004,Lass)」や「河原崎家の一族2(2003,ELF)」あたりがそうだ。この点、「腐り姫」は厳密にはBADENDは存在せず、物語の方向性としては、“同じ経過は二度と描かない”。ループ物は同じ展開をすることに意味があるのだが、この場合は、正確に言えばループ状に物語を“見せかけている”だけで、実は、シナリオとしてはループしていない。(何で、んな面倒なことをしたのかは、クリアした方は分かるだろう。)だから、ループした(と思われている)世界は、微妙に違う世界として、別々のヒロインたちとの物語が紡がれる。

 つまり、“基準となるシナリオを多面的に見せる”と見せかけて、実は一つの視点・一つのシナリオから物語を構成する・・・という・・・「痕」系構成を逆手にとったシナリオ構成をしている。この方法の利点は、ヒロインたちの物語を全く無駄にしない・・・という点だ。今回は、上記のレビューで散々書いたが、家族だとか障害だとか、そんなモノを越えた場所にある“相互に愛し合う”男女の「本質」を描くことが、そのテーマだが、「腐り姫」は各シナリオ・・・「赤い雪」として散り去っていくまでで、そのシナリオでのヒロインたちの物語は、一応完結してしまう。「痕」のようにテーマが同じでも四姉妹各々のEDが違うのではなく、この物語はテーマが同じで、各々のED(と、言うかその結末)が、一つのフィナーレへ向かうように構成してある。だから、ヒロイン達の各EDは、物語の途絶ではなく、通過点として扱われる。

 全体的な構成としても、このゲーム、(私の場合は)最低三回「記憶を失う」ことをしなければ、フルコンプできない。「記憶を失う」と、物語は、最初からやり直しで、また、全く同じ物語をやることになるのだが、微妙にクリアまでの周回が違っていたり、クリアして初めて、劇中のヒロインたちの台詞の意味が分かったりする。私が最初にあげた、潤のコトバがその典型だろう。


 “同じ経過は二度と描かない”ことに意味があり、“同じ経過を二度参照すること”にも意味がある。


 シナリオが描く「世界」を再確認することが、一種のループと錯覚させる手段になっており、しかも、プレーヤー自身に物語「全体」を再確認させる手段ともなっている。「痕」系構成方法の一つの到達点としたのは、この点である。・・・同じ物語を二度読ませる手腕。この作品の構成力は、ここにその真価がある。

 ただし、弱点もある。この手法は発展性が全く無い。もっと端的に言えば、続きが全く描けない。プレーヤーに続きを創造させることを拒否し、あくまで物語として閉じることにしたこの手法は、物語の一編からの派生すら拒否している。物語構成として完成度が高すぎるため、(オリジナルに則した)二次的な派生が困難というのは、それは結果として、ユーザーの物語への介入を完全に拒否したとも言える。実際、作者ですら、この物語から派生した物語を紡ぐことができず、パラレルワールド的おまけ作品や、物語の時空としては過去の物語しか作成できていない。この点は、多くの派生作品を生み出し、その結果、巨大なコミュニティを生み出している、Type-MoonやLeafが引き起こした“ムーヴメント”を、この作品が作れなかった理由の一つと捉えて良いだろう。完成度のあまりの高さが枷になるという、皮肉な結果になったのだ。

 このため、後に描かれた「Fate」を筆頭に「痕」系構成に則した、多くのゲームは、この「腐り姫」の構成から退化し、「痕」とほぼ同一の構成に落ち着いた。製作者であるLiar・・・星空めておを中心とするチームも同様で、次の作品「CANNONBALL」では、退化した構成として、“一つのシナリオを多岐的に見せる”構成へシフトし、結果、「CANNONBALL」は、結末後でも途中でも、いくらでも物語が派生できる(やろうと思えば、無限に可能)物語となった。さらに、この次の作品「Forest」は、結末後は無理だが途中では派生可能・・・て、言うか、自分で勝手に構成してくれ・・・みたいな構成になり、現在に至る。・・・この物語が描いた手法の問題点を、一番分かっていたのも、やっぱり、製作者だったのだ。完成度が高いことが、必ずしも、「売れる」物語であるとは言えず、「気持ちが良い」とも、思われない・・・その一つの証左。「腐り姫」の哀しさは、物語だけではなく、こんな部分にもある。

 このように、シナリオ構成については、いまだ、Liarは固定したパターンを持っておらず・・・その試行錯誤の跡が「腐り姫」以降の作品を見直してみれば、かなり伝わってくる。しかし、私がやった“星空めてお”名義の作品群、「ぶるま」「舷窓」「腐り」「ねこ」「森」・・・まったくもって、物語の一貫性が無いことは、果たして褒めるべきか、危ぶむべきか・・・判断に困るところではある。(一貫性が無いと言えば、Liarというメーカーが出す作品も一貫性が無いのだが。)

 ・・・共通点は、主人公の造形がハッキリしていること。・・・愛♀、杏里♀、五樹♂、フィリオ♂、灰流♂・・・メインヒロインも「腐り」以降、固定しようと考えているようで・・・樹里♀、フォクシィ♀、アマモリ♀・・・(よく考えると女性陣の方が遥かに濃いな。)・・・どちらかと言うと、主人公に個性を与えて、かつ、単一メインヒロインで描こうとしている方向性がここからは窺える。

 個人的に、「星空めてお」というクリエイターは、“ベタな大恋愛をどう面白く描いてやろうか?”・・・を、常々考えているような気がしてならない。「腐り」は蔵女&樹里の盲愛が主軸だが、最後は、完全に甘い世界になるし、「ねこ」は、フィリオ&フォクシィの新婚生活を延々と見ているような気分になったし、「森」に至っては、よく考えれば、アマモリと伽子による灰流の奪い合いだ。・・・ラブ臭が、仄かに、または明らかに匂うような作品ばかりな気がする。

 今のところ、マルチルートシングルエンドでのシナリオ構成の見せ方・・・を模索しているようであり、彼らが描きたいのは、あくまで、多くのエロゲーで描かれる“一対多数”の恋愛ではなく、“一対一”の一つの純愛の帰結であるらしい。それは、現在主流になっているVNの構成である「痕」系構成が、彼らにとって、通過点に過ぎないことを示す。マルチエンドを容易にしている現在のVNの構成ではなく、“一対一”の物語の帰結に重きを置くのであれば、恐らく、それは、“臨場感を与える”ことに力点を置いていたSNへの回帰になっていくのかもしれない。つまり、彼らが目指すのは・・・、


 お気に入りのヒロインをプレーヤーに見つけさせるのではなく、お気に入りに“なれる”ヒロインをプレーヤーに“与える”こと。


 ・・・と考えられるのではないだろうか。
 

 
 現時点、最大最長のレビュー。多分、ESでも一番じゃないかな?・・・でも、上には上がいるので、ちょっと安心しています。それはともかく、近親姦ってのはエロゲーならではのネタだと思うんですけど、近親相姦をここまで幻想的にかつ、狂おしく描いた作品ってのは、未だにこの作品しかしりません。そーゆーエロゲー離れした作品ですね。「愛することが罪か」・・・「それを罪とするならば、そんな世界はいらない」ですか。・・・・・・このような問題を正面から描くことができるということの・・・このメーカーの凄さを感じざる得ません。


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この記事へのコメント
物語構成として完成度が高すぎるため、(オリジナルに則した)二次的な派生が困難>
今日初プレイだったのですが、まさにその通りですね。9791さんが構成についてここまで詳細に書かなくてはならなかった理由がわかった気がします。

私は途中で全く気付かなかったので岸でのアレには鳥肌が立ちました。
できればいつかこれと同じくらい完璧な約束された幸福を見てみたいものです。
Posted by kosonetu at January 24, 2006 05:12
download したかどうか悩んでいるけど、あなたのblogによると参考になった
Posted by 健君 at April 24, 2008 01:12