December 06, 2005
同性市民パートナー法。
「英国で5日、事実上の同性婚を認める「同性市民パートナー法」が施行された。パートナーとしての登録が始まるのは今月後半からで、人気歌手のエルトン・ジョンさん(58)やジョージ・マイケルさん(42)らが“結婚式”を挙げる計画を立てている。「市民パートナー」として登録した同性カップルには、パートナーの遺産相続での優遇税制など、異性の夫婦とほぼ同等の権利が認められる。
政府は、2010年までに最多で2万2000人が市民パートナーに登録するとみている。市民パートナーは、親子など一定の関係以外の16歳以上の同性であれば、友人同士などでの登録も可能。英政府は、異性同士の結婚とは異なる法的関係としている。」
(---Dec.5,2005 共同通信)
ミソになるのは「結婚」とは異なる法的関係としていること。権利は同等だが、男女間の結婚とは差違を付けたという格好になっている。実質的には同じだから、どうでも良いことなんだろうけど、友人同士などでも登録可能だから、必ずしも「パートナー」とした人が同性愛とは限らないとしている。この名称や社会的認知はさておき、実質的な法制と権利を優先するという考え方は、如何にも欧州らしいところだろう。
同性婚にしても結婚にしても、結局は本人達の心次第というのは変わりがない。人のコミュニティにおいてどんな価値観を抱くかは勝手なことだけど、拒否するより認知する方が上手くいきそうな気がする。日本では夫婦別姓ですら拒否する風がいまだ残っているけど、それだってかつての“家”を引きずっているだけに過ぎない。同性婚がおそらく絶対否定される理由だって、究極的には、血統という意味での“家”を構成できないということに尽きるだろう。結婚式に行っても葬式に行っても、「〜〜家」「〜〜家」とやっている現状を見ると、日本は今でも“家”同士で冠婚葬祭やっているんだな……と再認識してしまう。そうすると、アレか……? この前、ハワイで新郎新婦二人だけの結婚式やって、披露宴も何もせずにその費用を全部新婚旅行に回して、周りにはハガキ一枚の紹介で済ませた知人は、自分で「随分とジミ婚だ」と自嘲していたけど、結構、凄いことやっていたかもしれない。
………“家”を全く無視したって言うんだから。
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家族を大事にする、というのとはまた違い、
家という共同体の体裁にこだわるというか。
家=戸籍という感覚もまた夫婦別姓を拒絶する理由にありそうです。
しかしもともと家単位で生計を立てていたころならともかく、
今は個人単位で就労や活動の場があるのだから「同氏でなければ夫婦や家族ではない」という感覚も緩和してほしいと切に願っています。
パートナー登録後でも異性同士の結婚の余地はあるのだろうか?
あるとしたら男一人をめぐって男と女の三角関係なんて状況が起こり得る―――シュールだ…
日本は西洋諸国と比較すると殊更「家」に重きを置く社会であると思いますので、日本でパートナー法が施行されるのはまだまだ先でしょうね。
そしてこれは、わかりやすい発達した近代的思考の産物でしょう。
>それだってかつての“家”を引きずっているだけに過ぎない。
先述しましたが、合理化・個人主義の風潮は一向に衰えを見せない。
むしろ、益々激しさを増すかも知れません。
勿論地球規模で考えると、極論ではない程度の近代思考が望ましい。
ですが、やはり家を重要視し、和を尊ぶ風習というものをある程度残しておくのも肝要でしょう。
義理と人情の世界も、きっと捨てたものではない。
ですが、時代は移り変わって個人単位で労働するのが一般的になれば、それは崩れるのは仕方がない。生産単位としての「家」の意味を失い、単なる血統上の意味しか無いのであれば、生産単位は個人に移っていくのも時代の流れだと思いますね。
(---Dec.6,2005 毎日新聞)
でも、自殺や孤独死といった世情を見ていると、たぶんそれだけじゃ、人間幸せになれない。その一つの答えとして、同性婚などが挙げられるのではないか?……それは、異性の代換と言うよりは、家族の代換、「家」の代換に近いと思います。つまり……義理と人情の世界が捨てられないから、人はその捌け口を求める。単純にBLの世界を想像するのではなく、むしろ乾いた「友情の発展形」として捉えていくのが正しい姿なのでしょう。
よって、スーパーでカードを売れるような認知。これがまず先にやるべき事なのは言うまでもありませんね。
