April 08, 2006

男性主導/女性主導、中。

■ 前記事:「男性主導/女性主導、上。」



 では、男性主導の作品は無いのか?……と言えばそうでもないのが、エロゲーがエロゲーたる所以。このジャンルの面白いところでしょうか。


 最もわかりやすいのは、ALICESOFTとLeaf。

 ランスシリーズなんて、ごく当たり前のごとく、主人公・ランスが切り回す作品群ですし、「大悪司(1999)」「大番長(2003)」にしろ、強力な男性主導の世界観が形作られている。ALICEの場合、正確に言えば男性主導ではなく、主人公主導と言うべき作品傾向を持っていて、女性主人公である「アトラク=ナクア(1997)」はともかく、女性が主導的展開を握る「GALZOOアイランド(2005)」や「超昂天使エスカレイヤー(2002)」では、ヒロイン側が主人公に依存する状況を構築して、弱者的スタンスにいる主人公が強者的スタンスにいるヒロインを"支配する"という図式を組んでいる。また、ALICEは主人公をプレイヤーを無個性化しないメーカーでもあると同時に、男性キャラに異様に濃いキャラを出してくるため、非常に男性キャラが印象に残りやすい。

 (ビジュアルノベル形式を除く、ALICEのゲームテキストが特徴的なのは短節な文体。物語上でそう冗長に説明せず、長台詞もしないスタイル。おそらく、一旦作成した文章を、メッセージウィンドウに収まる文字数で区切って、ゲーム上で表示しているために、ああなるんでしょうけど、反面、この読み易さは、漫画的な動的描写に向いても、小説的な心理描写や解説的な文章には向いていません。一時期、ALICEは一枚絵Hシーンなどと揶揄されましたが、元々、密な描写ができないんですよね。こんなALICEの方針だと。これを補うためにキャラクターイメージ特化に絞っているが故の、副産物的な主人公主導ではあると思うんですが。)

 LeafはSLG系作品で、男性主導が強く出ます。「うたわれるもの(2002)」「Tears to Tiara(2005)」では、物語の主導権は男性主人公にあり、共に主人公の素性が展開の主軸を占めます。要所要所を締めていくのは男性キャラですし、ここではむしろヒロインの方が添えのような立場に立たされる。

 萌えゲーの元祖的スタンスにあるLeafですが、前に言及しているように、LeafVN初期三作は元より、「WHITE ALBUM(1998)」「こみっくパーティー(1999)」にしても、何だかんだ言って人間関係引っ掻き回しているのは、ヒロインではなくて主人公だったりします。(その証拠に、こみパなんて、別称「瑞希調教ゲー」とか呼ばれていますし。)以後、「Routes(2003)」「天使のいない12月(2003)」「鎖 -クサリ-(2005)」と良くも悪くも主人公色が強い作品ばかり。その意味では「ToHeart2 XRATED(2005)」は「まじかる☆アンティーク(2000)」以来の久々の女性主導型の作品と言えますね。

 男性主導の作品を作り続けている意外なところでは、Caramel-Boxですか。

 「シャマナシャマナ 〜月とこころと太陽の魔法〜(2004)」以降、「処女はお姉さまに恋してる(2005)」「あえかなる世界の終わりに(2005)」と、なぜか物語の中核には主人公を据えた作品になっています。主人公中心の展開から決して逃げない物語の作りをし、ヒロインに主人公が迎合するのではなく、主人公の存在によってヒロイン側が変わっていく姿を物語の展開に含めている。これは、ほしまる氏のミルディン・グリフィス、木ノ崎なつめ、嵩夜あや氏の宮小路瑞穂、どれも同じです。理由としては、両氏の物語描写が基本的に主人公一人称であること、特に主人公に確固たる信念を与え、その信念を“ヒロインに覆させない”ためと思われますが、こう見てみると、男性主導/女性主導の区切りは、萌えゲー・燃えゲーの範疇外にあり、絵柄で区別できないことがわかります。(この点で、逆位置にあるのは、ageですね。)


 まぁ、だからと言って、プレイヤーにとっては、どうでも良い話ではあるのですけど。


 ………いや、今まで書いたことを全否定するつもりは無いんですが、最初に「物語を男性主導/女性主導で区分けして、そこからプレイヤーが好感を抱く物語とは何か?……を説明できると思った“わけ”です。」って書いているのは、このため。

 現在のプレイヤーのゲーム評を読んでいく限り、その評価は(絵柄・描写・設定含めた)キャラクターイメージと、(物語自体の)シナリオ、ゲームシステム、以上三つの柱で成り立っています。これは俗に言う考察系にしても叫び系にしても同じこと。多くのプレイヤーから見れば、ゲームテキストは、キャラクターイメージとシナリオのためにあるのであって、物語を主導するのが誰であろうが“面白ければいい”。よって、プレイヤーにとって見れば、物語の男性主導/女性主導は、展開上の差異に過ぎません。これは、好感を抱く過程においては性差による好みがあるとしても、その描写が男性的であるか女性的であるかは関係無いと言い直してもいい。なぜなら、私たちは、キャラクターに萌えたり、シーンに燃えたりしますが、それはシナリオ全般の良し悪しとは何の関係も無いからです。別に日常を描いただけの作品でも評価される作品は評価されます。元々、キャラクターの比重が強いギャルゲー・エロゲーの場合、要はキャラクターさえ好感を持たれれば、シナリオ自体はどうでもいい面があり、それは例えば萌えゲー主流の現状にも跳ね返る現実(■ 参照:REVの日記「"八月が売れる理由がわからない"反応あれこれ」)であり、この業界がキャラクタービジネスである所以でもあります。したがって、“好感を持つ”作品において、男性主導/女性主導の差異は意味を持ちません。ただし―――

 ……この逆の場合、つまり、嫌悪感の場合は大きく影響してきます。それはエロゲーがキャラクターイメージだけの存在でないから。言うまでも無く性的描写が存在するためです。「下級生2」や「Piaキャロットへようこそ!!G.O.」「マブラヴ オルタネイティヴ」といった作品は、なぜ非難が始まったのか。“人間、褒める言葉より貶す言葉の方を、確実に多く知っている”……それはいいとして。


 私はそこに、エロゲーが本質的に男性主導の性的文化であるにも関わらず、その作品の多くが女性主導の展開になっている、現状の歪みが垣間見えると思うのです。



■ 次記事:「沙耶の唄が診せる写実と心意、男性主導/女性主導、下。」


■ 参考:
はじめてのC お試し版「エロに非エロを足すのではなく」

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この記事へのコメント
はじめまして。みしゅらと申します。
このブログはいつも作品選びの参考にさせてもらってます。
いつもは見てるだけなのですが、作品論的な話題なので書き込みしてみました。

個人的には、男/女主導型という区分で、受け手(読者)側の作品に対する好感・嫌悪を結びつけるというのはちと無理があるのでは、と思っています。
メーカー(作り手)側の立場を考えますと、購買者の嗜好・時代性・メーカー自身の特性を総合した結果としての男/女主導じゃないかな、と。
つまり、もしそこに歪みがあるとすれば、どちらかと言えば供給側でなく需要側、つまり購買者層の嗜好に問題があるんじゃないかな、と思います。
メーカーはただその要求に応えている、というのが私の意見です。
Posted by みしゅら at April 08, 2006 14:59
>個人的には、男/女主導型という区分で、受け手(読者)側の作品に対する好感・嫌悪を結びつけるというのはちと無理があるのでは、と思っています。

そう、それも問題の一つ。

あと、とある方からメールを頂きまして、購入者が女性の場合で、
エロゲー買う場合は「男/女主導が逆になるんじゃないか?」
……という質問を貰っています。

>もしそこに歪みがあるとすれば、どちらかと言えば供給側でなく需要側、つまり購買者層の嗜好に問題があるんじゃないかな、と思います。

はい、私もそう思いますね。
だから、嫌悪感を抱く場合に問題を絞って、
嗜好の類型を浮き彫りにしてみようと思っています。
ただ、あくまで私の嗜好での分類なんで普遍性に乏しいかな?……と。
Posted by 9791 at April 08, 2006 21:54
>ただ、あくまで私の嗜好での分類なんで普遍性に乏しいかな?……と。

そうですか…、ちと残念。意外と面白い考え方だと思います。
私は女性主導のエロゲーなんていわれたら「サフィズムの船窓」しか思いつきませんし。
Posted by みしゅら at April 09, 2006 14:48
>意外と面白い考え方だと思います。

……と言う訳で開きなおりました(汗。
いや、開き直るから私なのかもしれませんが、結論は男性主導/女性主導の話から少しずれてしまった気がします。端的に言うと、男に女の気持ちはわからん……ってことなのですけど(苦笑。
Posted by 9791 at April 10, 2006 06:29