April 18, 2006

乖離するキャラ萌えとゲーム性、やるドラの恋愛観を例にして。

 久しぶりにやるドラの話が出ていて、妙に懐かしくなったのでちょっと思ったことを書いてみようと思います。(■ 関連:止まり木に羽根を休めて)ちなみにこれから書くのは、「ダブルキャスト」「季節を抱きしめて」「サンパギータ」「雪割りの花」(1998,SCE)の初期四部作のこと。この四部作、シチュエーションが全て、主人公=大学生/ヒロイン=記憶喪失と同一。その状況が四季に対応しており、本来、一本の作品(『フォーシーズンメモリー』だったかな? 購入時特典の台本にそうあったような気がする。) を四分割したことはよく知られていますね。

 やるドラってのは(インタラクティブアニメと呼ばれた「DANCING BLADEかってに桃天使!(1998,KONAMI)」も同様に)、インタラクティブアニメーションの応用であることは言うまでもなく。90年代後半、恋愛系SLGの失速と、コンシューマー系ADVが追い詰められていく過程で、ある意味、大容量を生かした最後の切り札ぽかったところはあると思う。結論として言えば、やるドラは確かに当時のプレイヤー層の掘り起こしには役立ったかもしれない。でも、ADVの代替、ゲームエンターテインメントのメインストリームとはなれませんでした。


 なぜか?


 まずはユーザビリティの問題。やるドラはアニメーションの合間に選択肢を配置して、次の展開に進める。このため、構造的にはアニメーションが連続するのではなく、細切れのシーンが多角的に積み重なっているような仕組みになります。だから、選択肢は物語を進めるために必要であり、その数が増える分だけ、物語は分岐するしていくことになる。物語の分岐をどう表現するかはいろいろありますが、例えば、サウンドノベルにしろ、ToHeart(1997,Leaf)から始まるビジュアルノベルにしろ、選択肢によって分岐した先には、物語を複数用意しているのに対して、やるドラの場合は容量的な問題のためか、物語を別枠に展開するのではなく、シーンの差分にこだわってしまった様なところがありますね。

 「ダブルキャスト」「季節を抱きしめて」「サンパギータ」「雪割りの花」四作には、一応ストーリー的に大きく分かれることもありますが、基本的に似たような場面の使いまわしになり、ストーリーとしては、ヒロインの記憶喪失に中核を置かざるを得ないため、大量のバットエンドが生まれることになっています。要するに“物語は作者の意図どおりに進まなければ断絶してしまう”。挙句、これらの作品はその差分を埋めていくことで、達成率100%を目指すことにゲーム性を見出しているため、プレイヤーに過度の作業感を与えてしまっている。


 つまり、やるドラはゲーム性がユーザビリティを圧迫する。


 反面、同じインタラクティブアニメの系列でも、京都アニメーションが共同制作として関わった「DANCING BLADE かってに桃天使!(1998,KONAMI)」「DANCING BLADE かってに桃天使II〜Tears of Eden〜(1999,KONAMI)」は、ゲーム性と言うのは、さすがにアニメ屋だけに全くもって考えていない。(ちなみに、キャラクターデザイン:武本康弘、監督:石原立也。今は神格化されている部分があるけど、意外と乳描写が得意なんだよね、この人たち。)先に言っておくと、桃天使二作はストーリー的な“重み”は、やるドラに比べて格段に落ちる。この作品は『萌え』が一般的ではなかった時期に、むしろ、時代を先取りし過ぎた感があって、選択肢がなければ、単なる30分-1時間のベタな萌えアニメと言って良い出来になってしまっている。(でも、設定自体は意外と深いらしく、桃姫含めた仲間たちの素性、Tears of EdenのOPに登場する美少女軍団、謎の爺さんなど、いまだ未消化の伏線があって、八年経った現在でも実は未完。)またこの作品は、バッドエンドが意識されていない。基本的に選択肢は好感度判定。物語はどの選択肢を選ぼうが結末に集約されていき、途絶することは無い。よって、ストーリーも第一作・第二作とも二本分あって、やるドラのような達成率の概念、シーンの差分という考え自体が存在しません。

 ここで見えてくるのは、98年当時、やるドラを企画したProduction I.Gと、アニメ屋に徹した京都アニメーションの、いわゆるゲームに対するスタンスの差異。(もちろん、どこまで企画から携わったかでかなり結果が違ってくるため、この場合は販売した側であるSCEとKONAMIの差異と言った方が良いのかも知れないが……)それからすれば、購買層が共通するエンターテインメントでも、プレイヤーが能動的であるゲームと、読者&視聴者が受動的なコミック&アニメは、基本的に楽しみ方が異なる……ということをキチンと理解していた作品が、桃天使であり、それを打破しようとしたのが、やるドラだったとは言えると思います。

 先に述べたように、結論からすれば両者ともゲームエンターテイメントの主流になりませんでした。DVDメディアが一般的になるにつれて、2Dアニメーションはゲーム的表現の主流から外れていき、以後の3D表現の隆盛、またその3Dアニメーションですら、それ自体を“商品”とするのではなく、ACTやRPGのシネマ的表現の一つとして使われることが多くなる。それはテイルズシリーズ(ナムコ)等で継続された2Dアニメーションも同じこと。あえて言うのであれば、これら2D・3Dインタラクティブアニメーション技術が、単独のゲーム派生“商品”としてプレイヤーの“共通認識”になるのは、「FINAL FANTASY ADVENT CHILDREN(2005,SQUARE WNIX)」の成功まで待たねばならなかった訳です。


 それは、ゲーム性排除の結末。


 基本的にゲームにおいて、2D・3Dインタラクティブアニメーションは、ゲーム中のキャラクター描写として取り入れられ、それはゲームプレイヤーのキャラクターイメージの(脳内)補完を助けるためのものとして使われました。やるドラはそれをキャラクター描写の補助ではなく、むしろゲーム性をアニメに取り込むことで、新たな購買層を作り出そうとした。それはゲームプレイヤーの能動性をアニメ視聴者に取り込むことと同義。……ですが、ADVENT CHILDRENの大好評がハッキリと見せたのは、ゲームの“キャラクターを好きになる”ことと、ゲームを“楽しむ”は別観点であるという事実なんです。


 即ち、“キャラ萌え”と“ゲームエンターテインメント”は乖離している。


 その点で、やるドラはキャラゲーにも萌えゲーにもなり得ず、ゲームとしてのユーザビリティすら、既存のADVに劣る。評価すべき点は、アニメーション表現以上にそのシナリオであり、それを活用した演出になっていきます。

 アニメーションと選択肢による物語分岐、シーンの差分、これを最も活用したのは第一作「ダブルキャスト」。ヒロインの二面性、ジェノサイドシナリオの殺害描写や、推理の思考過程など、ゲーム特有の“何度もやり直せる”ことを上手く使っている。また、以後の「季節を抱きしめて」「サンパギータ」「雪割りの花」三作にも言えることだが、やるドラは初期四部作において、主人公視点・主人公語りを崩さなかったため、逆に言えば、ヒロインの描写は写実に徹している。これが「ダブルキャスト」では推理の基礎となり、「季節を抱きしめて」では麻由の正体を隠す一つのテクニックになる。「サンパギータ」ではマリアと主人公を言語的な差で隔離し、「雪割りの花」では、花織を救うために周囲が虚構と真実を織り交ぜる。しかし、だからこそ、これらに共通するのは―――


 “主人公はヒロインの気持ちが解らない”。


 やるドラは、全四作の男女関係において、これを貫き通している。四作を通してプレイした人は分かるように、この四作の記憶喪失のヒロイン、本質的な意味におけるヒロイン“本来の人格”は、物語中における“主人格”より、はるかに出番が少ない。これは徹底していて、「ダブルキャスト」においては全ての真実を明らかにしない限り、ヒロインの本人格に主人公は出会えない。「季節を抱きしめて」では、麻由が記憶を取り戻すことは同時に、麻由の存在消失を意味する。唯一明確な人格として出てくる「サンパギータ」のマリアでさえ日本を去ってしまい、「雪割りの花」の花織はその記憶に生死が左右される。


 記憶喪失“後”の虚。

 記憶喪失“前”の実。
 

 やるドラ四部作はそれを嫌になるぐらい真っ当に描く。ヒロインの可愛らしさってのは、この作品群においては、一種のフェイク(特に「ダブルキャスト」)。「雪割りの花」の場合は、考えてすらいない。もっともキャラクター的な萌えがあるだろう「季節を抱きしめて」は、ヒロインの喪失がクリアの前提とされている物語。……あくまで物語を主人公視点として、描写が第三者視点に逃げなかったこと。それはやるドラのシナリオを考える上で重要です。この物語では常にヒロインの感情を考えていかねばならない。そして、最後に彼女たちがもっとも納得する選択を主人公はしていかねばならない…………たとえ、それが主人公にとって別離であろうとも。


 ………それはキャラ萌えとは遠い考えであり、恋愛観ですよね。


 こうして、インタラクティブアニメーションとキャラクタービジネスは、ゲーム性以外のアプローチへ移り、インタラクティブアニメーションはゲーム表現として残すが、キャラクタービジネスは他媒体での展開に主軸を置くことになる。このシリーズの最新作「BLOOD THE LAST VAMPIRE,BLOOD+(2000-2005,SCE)が、やるドラ四部作とは違い、メディアミックス路線に奔ったのは、このため。しかし、結局キャラクタービジネスの規模として考えれば、恋愛AVG+SLGの源流、“合間にアニメを挿入する”という原則を守り通し、ADVとSLGを完全に分けた「サクラ大戦(1996-2005,SEGA)」ほどにならなかったのは、物語性に重きを置き、アクが強いキャラクターを配置したことによる弊害と言うならば、フルアニメーションによるゲーム性を目指した、やるドラにとって、これほど皮肉なことは無いと言えるでしょう。そして、当時、やるドラではなく、桃天使のような“キャラクターだけ”の作品の方が注目されれば、コンシューマー系ADVもインタラクティブアニメで息を吹き返していたかもしれません。


 ならば、コンシューマー系ADVを追い込んだのは、キャラクタービジネスがこれほど盛り上がるとは思わなかった、当時のゲーム性重視の制作姿勢ということになります。物語性はゲームそのものの娯楽性を奪うのかもしれません。物語が優れていること=キャラクターへの好感とならないのであれば、キャラ萌えにはゲーム自体は何の関係も無いのでは?……という答えが導き出されてくる。

 やるドラの悲劇は、そんなキャラクター消費が始まる前夜に生まれてしまったことであり、同時にそれに耐えらないほど、真面目に、現実的な物語を、四作にも渡って作ってしまったことにあるのでしょう。個人的には、この中でも「ダブルキャスト」「雪割りの花」は、好きな作品なんですけどね。


■ 追記:
 ただし、インタラクティブアニメーションによるゲーム性の追求は、韓国にまで広がり、こんな作品も出ています。(■ 参照:
무타쥬스(2006,씨네픽스/스튜디오 나인) Movie見れますが、かなり突っ込みどころがある作品みたいです。 



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この記事へのコメント
コンシューマーのADVが衰退したのは、
媒体のCD化に伴う動作速度の体感的低下だと思っていたので
この話は新鮮でした。

なるほど、ゲーム性か。
18禁PCゲーム市場にも、いずれは適用される話なんでしょうかね?
Posted by ともしび at April 19, 2006 19:23
>媒体のCD化に伴う動作速度の体感的低下だと思っていた

そうかぁ……そんな見方もありますね。

現在のNDS大盛況は、あくまでカードリッジにこだわった任天堂側の姿勢があったからでしょうし、今、SCEを苦しめるのは逆に新ハード性能ですからね。PSから言われていましたが、光メディアにより生まれたその“誤差”って、ゲームの体感にはマイナスでしかない。対して、NDSは操作感を指先・振動だけではなく、“触る”“書く”など能動的な動作まで含めてしまった。それはハード性能ももちろんですが、その一体化を可能にする処理速度も評価せざるを得ないのでしょう。
Posted by 9791 at April 20, 2006 01:10
>なるほど、ゲーム性か。
>18禁PCゲーム市場にも、いずれは適用される話なんでしょうかね?
インタラクティブアニメ系のエロゲーは、プレゼントプレイ(1999,digiANIME)が、菅野作品・大ボリュームでも芽が出なかったために、Keyのようなテキスト重視、ageのようなシステム演出重視に傾いちゃったような。

また、ゲーム性を求めるエロゲーとしても考えても、ALICEやLeaf以外あんまり安定して供給できていませんし、所詮、マイナーにしかならない気もします。

でも、その分、ゲーム性の高い作品は長く遊べるし、過去作品でも楽しめる。だから、ゲーム性特化のエロゲーってのは長く売れなければ作成するメリットが無い……とも言えます。ならば、18禁PCゲーム市場でそれを可能にするのは、結局、メーカーとしての基礎体力が非常に強いところだけ。実際、何かというと花札とか麻雀でお茶を濁す世界なのは、こんな問題があるからでしょうね。
Posted by 9791 at April 20, 2006 01:11
はじめまして。やるドラの話、興味深く読ませていただきました。
しかし、やるドラ、桃天使とくると、やはり同時期のサターンのエヴァンゲリオン2作品にも触れて欲しいかもです。特に一作目のシナリオメイキングアドベンチャー、「今度の監督は君だ」というコンセプトとか。

>ゲーム性特化のエロゲー
最近だとバルドフォースとそれを取り巻く事象が面白いですね。ひたすらサバイバルモードでゲームのプレイを続けているユーザー。ゲーム本体以外の方向で商品展開を続ける移植メーカーのアルケミスト。
Posted by setta at April 22, 2006 02:39
>やはり同時期のサターンのエヴァンゲリオン2作品

あれは原理主義者の方がいらっしゃるので、納得してもらうのが面倒くさそう……シナリオメイキングアドベンチャーという視点は面白かったのかもしれないけど、ゲーム的には面白くなかった作品でしたからねぇ……個人的に。

>ひたすらサバイバルモードでゲームのプレイを続けているユーザー

バルドもそうだし、ToHeartのミニゲームやSTGだとか、智代アフターのRPGだけに嵌っちゃう人だとか。とびでばいんも意外とコアな人いたし。私の場合、ALICESOFTをやりこんでいる場合は、Hシーンが「邪魔だ」と思うときが度々あります。特に大番長(汗。
Posted by 9791 at April 22, 2006 12:09