April 23, 2006

四月黄昏。

 復活した「ドラえもん」を見て。「これって何のための復活なのだろう?」……と少し考えてしまった。


 確か、大山のぶ代女史を始めとした旧声優陣が番組を降りたのはキャストの高年齢化と、スタッフの一新を図るためだったと聞く。それは同様の長期アニメ作品である「サザエさん」のように徐々に声優を切り替えるよりも、一気に作品のイメージを変えてしまうことで再び長期シリーズとして、安定した作品を供給するための方策だと思っていた。ぶっちゃけ、ドラえもんが本質的に視聴対象とする児童たちにとっては、声優の良し悪し、声優の変更なんぞ、大きな意味を持っていない。彼らにとっては、大山のぶ代女史の声=ドラえもんの声ではなく、ドラえもん“が”テレビの前で喋っているに過ぎない。つまり、仮面ライダーになりたいと目を輝かせる少年がいるように、彼らにとっては“ドラえもんは生きている”し、現実に存在する。だから、彼らにとって必要なのはドラえもんの存在であり、別に声ではないはず。つまり、ドラえもんの声に違和感を感じると言い続けるのは、それを見分けられる大人や、ドラえもんで育ってきた青少年たち。27年という歳月が生み出した、言わば「ドラチルドレン」とも言うべき、私たちでしかない。ならば、この復活は誰のためのものか……それは言うまでも無いだろう。


 この27年の歳月で生まれた私たちの中で、ドラえもんを知らないという人は、まずもっていまい。最初にこれを知った世代はもはや30〜40代、現在の社会の中核を為し、子供が存在する人もいる。20代の私たちですら、そのドラえもんの声に拘ってしまうのに、彼らのためのドラえもん―――それを楽しむ彼らに、懐古的な気風を感じてしまうのは当然だろうと思う。そして、それはこのドラえもんの復活を“好ましい”と思った人、老若男女を問わずあるのではないだろうか。ドラえもんは“こうでなければならない”……それには現実に疲れた苦味がある。


 「皆さんの四十歳はどうですか? あなたたちはいま、幸せですか?」
―――トワイライト,P80


 重松清は「トワイライト(2002,2005,文春文庫)」で、その現実を生きる登場人物たちにこう問う。「トワイライト」のモチーフは、そのドラえもんである。小学生時代、ドラえもんのキャラクターたちと同じあだ名で呼ばれていた同級生たちが、40歳を間近に再び集まり、かつて自分たちが埋めたタイムカプセルを掘り起こし思い出を語る。上記の言葉は、その時“四十歳”だった先生の手紙の終わりで投げかけられた言葉。書いた先生は、不倫の果てに殺され既にこの世の人ではなく、その手紙には女性としての我侭さと苦しみが綴られていた。

 正直言っておくと「トワイライト」という作品自体はそこまで面白い作品ではない。もちろん、まだ若造に過ぎない私では、登場人物たちの年齢に追いついていない、ということもあるだろう。だが、良い年した大人たちが今に至っても「のび太」「ジャイアン」「スネ夫」……ドラえもんのあだ名で呼び合い、そのキャラクターのイメージとかけ離れた彼らの“その後”を見ると、切ないほどの喪失感が漂ってくる。かつて、夢の街とも言われ、若き家族たちが集う場でもあった日本各地のニュータウンは、その殆どが20年を経て老朽化、団塊の世代とも言われる彼らは多くは老年の道を進み始めている。そこからの逃避……では無いだろう。むしろ、ここにあるのはそんな思い出にすら浸れない“大人”という世代の現実であり、自己と他者を相対化するということ、それが行き着いた果てにある“夢を失った大人”の群像劇となっている感がある。


 ドラえもんは永遠に歳を取らず、のび太は小学生のまま。それは否応無く、視聴者と劇中のキャラクターを乖離していく。その後に残るのは思い出の残滓であり、夢と現実が合わない故の苦しみから、懐古的な気風が生まれていく。ドラえもんは夢なんだろうと思う。“すべての人に共通した”。「のび太のようなメガネ少年」「ジャイアンのようなイジメっ子」……それは皆の中に刷り込まれ、そのヒーローとしてドラえもんがいる。

 
 「ドラえもんってさ、未来のいろんな道具をのび太に貸してやるだろ。でも、その中に勇気の出てくる道具は無いんだよ。」
―――トワイライト,P415

 

 現実を生きるというのは夢を捨てることなのかも知れない。無論、夢を現実に変えることはできる。しかし、その夢は大きくなれば大きくなるほど茨の道となり、その夢に辿り着けずに路頭に迷う。また、その夢が故に孤独になることも。

 

「その昔、売れない詩人がこう言っていたらしい。自由とは孤独と添い遂げる事だと。嫌いではなかったよ。わたしにはもうひとつの自由などなかったから、ひとり気ままに生き続けてきた。しかしお前と出会ってからだな。自分でも解る。わたしは間違いなく心変わりをしている。」
―――あえかなる世界の終わりに,2005 Caramelbox/Hobibox


 「トワイライト」で結婚生活がしがらみとして描かれているように、この台詞の裏側には、恋とか愛というものは、基本的に“自由を束縛する”とされていることが分かる。好意は、萌えであれ、燃えであれ、小数点以下でも値が存在すれば、それは現実として存在できる。だが、その現実は、常に相対的であり、対象が変化すれば、それを想う人も変わらざるを得ない。そこには完全な自由は存在しないのである。逆に対象がドラえもんのように“不変的なキャラクター”であれば、それは自由を束縛しない。変わる自由、飽きる自由、選ぶ自由があるから、人は娯楽にのめり込めるし、彼らは“変化する現実”に疲れたとき、“変わらぬ空想”に戻ってくることで自分を慰め、もう一度現実に立ち向かっていく。


 でも、そこには自身が“本当に欲しかった夢”はあるのかどうか。

 

「人は悩みがある時、こだわりを脱ぎ捨てたい時、大きな存在の中に自分を置きたくなる。自分を無意味にしたくなる。不思議なものだ。果たして、今の恵もそうなのか。絹糸のように細い恵の髪が風に舞い散る。かき上げる手つき。胸の鼓動が一拍リズムを外す。『楽しかった』恵は眩しがるような微笑みで、遙かな過去を思い返すようについ先ほどのことを口にする。」
―――鎖−クサリ−,2005 Leaf/AQUAPLUS

 

 誰しもが、たった今の現実を“遙かな過去を思い返すように”語りたくはないだろう。しかし、精神の安定のためにはそうせざるを得ない、一種の疎外感、厭世観、懐古に苛まれるのもまた………不変的な“キャラクターを語る”私たちに巣食う病理。……ドラえもんという“キャラクター”に対する異様なこだわりは、それが私たちの世代だけではなく、その“上”の世代にも、少なからず存在することを教えてくれているのである。



■ 関連:「『鎖』評。」「『あえかなる世界の終わりに』評。」「ドラえもんの声。



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この記事へのコメント
 はじめまして。「ドラえもん」の復活についての雑記を見させていただきました。
 私の場合は、ドラえもんの声だけでなく、のび太の部屋のレイアウトといった細部な所にもリニューアル前の物に拘ってしまっている感があります。その為に、一気に代わってしまった現在の”ドラえもん”は、自分の中ではパラレルワールドのドラえもん、もしくはドラえもん(外伝)としか考えられなくなってしまっている…。そんな感じがします。もちろん、今の”ドラえもん”を否定するわけではないのですが、どうしても違和感を拭い切れないようです。
 結局、それは常に物事が変化していく現実の中で、何か不変なものを望んでいる思い…エゴが自分の中を支配してしまっているからなのだなとふと考えてしまいました。最も、20年程掛けてドラえもんのイメージが構築されてしまった以上、違和感と言うのはなくならないのでしょうが。
 
 
Posted by Runner at April 23, 2006 12:41
 ちなみに、私は、18禁ゲーム(表現方法の一としてエロ描写が含まれているゲーム)は、せいぜいAlicesoftの「鬼畜王ランス」位しかやったことがなく、余り多く本も読まない方なので、ゲーム論評や、本や、ゲーム何かの台詞を引用した時は共通認識不足というか、接点の小ささの為にコメントすることは余りないかと思いますが、今後も楽しく見させていただこうと思っています。
Posted by Runner at April 23, 2006 12:42
「ドラえもんの復活」ですか…
まあ「洒落とオーダー」から来るシュールな現実かと(笑)

後、私の世代にはその前の「白黒ドラえもん」が正統と思う人もいる訳で
人はそれぞれですね。マイノリティにも光を!

私が受けた「大山のぶ代のドラえもん」声の印象は
「わざとらしいなあ」です。なのであまり見てないです。

相対的ってのは便利な言葉ですが、個人の周りで起こってしまう
毎日のイベントは事実だったりして、これが厄介なんですよね。
「こだわる想い」も「刷新したい心」も根は一緒かもしれません。

「どのように悪い結果になろうとも、そもそもの動機は善意であったのだ」

ユリウスカエサル

40歳手前世代なんで、コメントしてみました。
Posted by 夕日の度に、何故か郷愁は訪れる。 at April 24, 2006 02:05
毎日流れ行く日常も、今の自分がいる場所も、
何だかんだ言っても、自分が起こした行動の結果ですからねぇ……。
生まれや環境で“そうならざるを得ない”とは言いつつも、
どこかに別な道があったのやもしれん……という思いが抜けきれない。
それが不変を望まれるキャラから感じる苦味とでも言いましょうか。

後悔しても遅い。

いや、後悔できないのが、我々のエゴであり、
それを貫いてしまうから人は争うんでしょうな、何にしても。

Posted by 9791 at April 24, 2006 02:37
はじめまして、いつも楽しく読ませてもらっています。
ひとつ聞きたいのですが9791さんはエロ助から引退されたわけですが今でもしっかり覗いてたりするんでしょうか?それともたまに見るだけ?
また9791さんが亡き今のエロ助で、9791さんが特に参考にしてたり贔屓にしているユーザーさんっているんでしょうか?ふと疑問に思ったので書かせてもらいました。お答えしてもらえるとうれしいです。
Posted by エロ助の人 at April 24, 2006 16:47
http://blog.livedoor.jp/bakeratta0623/?blog_id=1878585

はじめまして。
とってもいいブログですね!!

私も最近ブログをはじめました。
よかったら、覗いてみてください。
Posted by みすず at August 14, 2006 18:58
自然に広いの組み合わせに沿って淑女帽とか、下半身が添えて簡潔な服装は良くて
Posted by スタジャン at January 16, 2013 11:11