2010年05月02日

5月の青と旅

 久し振りの「五月晴れ」。竜馬も5連休の2日目、朝から野良仕事。今年も野菜造りに精を出している。本日のテーマは自然と共生の人間・・・。 

明窓「5月の青と旅」(山陰中央新報'10/05/02)から。
 新緑が目に染み入る季節になった。今日は八十八夜。春とはいっても暦の上では、もうすぐ夏。この時季、必ず引き合いに出されるのが山口素堂の<目には青葉山ほととぎす初鰹(はつがつお)>の句。目と耳と舌を通して伝わってくる季節感は柔らかくて明るい。
▼月日に色があるなら5月は青かもしれない。杜甫の詩にある。<山は青くして花燃えなんと欲す>。ここで言う青は、むろん緑。「花燃えなんと」というからには季節は、ちょうど今ごろ。これが後でも先でも違和感がある。
▼もともと青という漢字でカバーされる色の範囲は非常に広い。けがをしたときに出る鮮血のことを「青血」と言ったりするが、血の色は赤に決まっている。わざわざ青血と言うのは「あざやか」さを強調するためだろう。
▼その青が天を覆い始めるのは5月ごろ。好ましく思ったのは現代人だけではないらしく、枕草子には<五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし>とある。旧暦のことだからもう少し後のことだろうが、あちこちを歩き回るのは今をおいてほかにない▼春は冬の重圧から解放され、一気に輝きを増す。「フランス歳時記」の鹿島茂さんによればフランスに行くなら5月が一番だそうだ。穏やかな気候、咲き乱れる花。美しいの一語に尽きるという。
▼5月はバカンスの季節。フランスでは月、金曜を勝手に休みにし、4連休で旅行に出かける人も多い。勝手にというところは、さすがフランス。日本ではそうはいかないが、公認の大型連休中。心置きなく、よい旅を。

 竜馬が過ごした三十数年前のヨーロッパ、丁度この頃西ドイツ・ライン河沿いにレンタカーでドライブ旅行をしたネ。緩やかな丘陵地に七色の絨毯(じゅうたん)を敷き詰めた景色が目に鮮やかであった。ドイツ・ベルギー・フランスの各地では観光農園と言って「景観重視」の農業政策が既に実施されていた。赤・ピンク・黄色・白・緑・紫・青と正に「虹色」。特に蓮華(れんげ)や菜の花類が色鮮やかであった。
 フランスはサンゼリエ通り・凱旋門・セーヌ河・エッフェル塔・モンマルトル等都会・下町が余りに有名。しかし、三十数年前モスクワ経由でパリ郊外のオルリー空港に降り立つ時、フランスの広大な田園風景を空からユックリと旋回しながら眺めた。 その時は12月24日のイブ、厳冬に差し掛かる頃であったが、やはりその雄大さ・美しさはヨーロッパでも唯一であったネ。 

産経抄(2010.5.2 02:36)「仲介役のハナミズキ」から。
 桜前線はようやく本州最北端にまで達したらしい。後を追うように関東地方ではハナミズキが白やピンクの花をいっぱいにつけている。いや、もう散り始めた木もあるようだ。桜とハナミズキ、花期をやや違えるこの2つの花の「因縁」は有名である。
▼明治の末、米・ワシントンのポトマック河畔に植えるため、東京市長だった尾崎行雄らが中心となり桜の苗木を贈った。そのお返しに大正4(1915)年、東京市に贈呈されて広まったのがハナミズキである。米国では州花や市花にもなっている人気の花だ。
▼考えてみると、日米にとって微妙な時期だった。日露戦争に勝った日本に対し米国が警戒し始めていた。嫌日感も強く、大正2年にはカリフォルニア州で排日土地法案が、13年にはやはり排日を目指した新移民法ができる。当然日本にも反米意識が強まりつつあった。
▼桜とハナミズキの交換は、そんな時代に行われた。最初にポトマック河畔への桜の植樹を提案し、きっかけをつくった作家、シッドモア女史は6回も来日した親日家だった。2つの花には、これ以上日米関係を悪化させたくないという思いがこめられていたのだった。
▼そんな願いもむなしく、やがて両国は戦い、勝った米国が日本を占領したが、ここにもハナミズキが登場する。連合国軍のマッカーサー総司令官が特にこの花を好み、あちこちに植えさせたという。大正期同様に日本人の対米感情を多少は和らげたかもしれない。
▼その日米関係がまた、おかしくなってきた。沖縄の米軍飛行場移設をめぐる日本政府の対応に、米政府やマスコミは急激に嫌悪感をつのらせてきているようだ。両国の「仲介役」をつとめてきたハナミズキが、どこか心配げに見えてくる。

 ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争そして現在行われているアフガニスタンン戦争・・・、生態論?で言えば米国経済は戦争を継続して成り立つ国柄=「生き長らえる巨大帝国」である。
 軍需産業が栄える「世界の警察」=米国は爆弾を大量生産してそれを出荷して相手国に投下しなくても、太平洋の海中に全部「投下」しても、米国・軍需産業は成り立つのである・・・。
  
三山春秋(上毛新聞2010年5月2日AM07:11)「ガラス張り」から。
▼「ガラス張り」とはよく聞く言葉。たいていの場合、行政や企業経営をオープンにしていることを指す。だが本当のガラス張りを目の当たりにして驚いた。藤岡市の鬼石多目的ホールだ。
▼当たり前のことだが、中から見渡す景色が見事。周囲の山や芽吹き始めた木々、降り注ぐ春の陽光、時折通り過ぎる自転車。のどかな山あいの風景が360度のスクリーンに映し出されているようだ。
▼2005年、旧鬼石中学校の跡地に建てられた。外観も不思議。広い部分もあれば、くびれているところもある。透明なので内部なのか外なのか判別できないことも。先端は近くの民家の間近に迫っている。
▼設計したのは妹島和世さん。1956年生まれ。茨城県出身の女性建築家だ。国内はもちろん、海外の設計も数多く手掛けており、このほど建築界のノーベル賞といわれる、米国のプリツカー賞に決まった。
▼同賞を一緒に受賞した西沢立衛さんと近年、ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート(米)や金沢市の21世紀美術館などを共作。現代的で透明感のある建築が高い評価を受けている。
▼鬼石多目的ホールには体育館もある。世界をリードする建築家の作品はいま、フットサルや社交ダンス、フラダンスの練習場。完成した時は無機質だったはずの建物が、息づいているように見える。

 建築界のノーベル賞といわれる、米国のプリツカー賞に決まった「藤岡市の鬼石多目的ホール」。正に人間と自然の共生モニュメントであろう。
apro1943 at 11:27│Comments(0)TrackBack(0)時事 

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