レントシーキング

他夢奴/下夢奴 眠りながら成功する赤毛のアポロン 一文字風呂具 十四最善事態想定マニア 最悪事態想定マニア 住民組合準備会

2014年09月

地球自然環境国害罰金税超∞$$DMPB回収同盟~国際税理府準備連携委員会~皇我内座~知救自善復興公害税同盟~世解平案トービン税連盟~国際PPP連合問題解決案~太平洋TPP連邦【思考】~極北開拓合衆国~極東防災防衛府体政~人間生活府【基本原案】~道州修心省陸海空護民保安官庁~自救自足互助組織~健幸予防府平等年金機能~住宅学園学級会~住民組合準備会~流浪難民人権会~特許友政府準備投票所~

空海 - W【後半】(保存用)


弟子

十大弟子

元慶2年(878年)11月11日に空海の弟子真雅が朝廷に言上した「本朝真言宗伝法阿闍梨師資付法次第の事」[10]によれば、空海の付法弟子は、真済真雅実恵道雄円明真如杲隣泰範智泉忠延の10人とされる。後に、この10人を釈迦の十大弟子になぞらえ、弘法大師(空海)十大弟子と称するようになった。十大弟子の語の初出は慶長年間の成立とみられる頼慶『弘法大師十大弟子伝』。

その他の弟子

付法弟子とされる10人以外にも、多くの弟子の名が知られている。貞享元年(1684年)成立の智灯『弘法大師弟子伝』は計20人、弟子すべてを網羅することをめざした天保13年刊の道猷『弘法大師弟子譜』は計70人を載せている。

年譜

和暦西暦日付年齢事柄
延暦11年792年18歳長岡京大学寮に入り、明経道を専攻する。
延暦17年798年24歳聾瞽指帰を著した。
延暦23年804年31歳東大寺戒壇院で得度受戒した。
延暦23年804年12月23日31歳第16次遣唐使留学僧として長安に入った。
延暦24年805年5月32歳密教の第七祖・青龍寺恵果和尚に師事。
延暦24年805年8月10日32歳伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられた。
大同元年806年10月33歳20年間の予定を2年間で帰国したため、帰京の許可を得るまで大宰府観世音寺に滞在することになった。
弘仁7年816年7月8日43歳朝廷より高野山を賜る。
弘仁12年821年48歳満濃池の改修を指揮した。
弘仁13年822年49歳太政官符により東大寺に灌頂道場真言院を建立した。平城上皇に潅頂を授けた。
弘仁14年823年正月50歳太政官符により東寺を賜り、真言密教の道場にした。
天長5年828年12月15日55歳に私立の教育施設「綜芸種智院」を開設した。
天長9年832年8月22日59歳高野山において最初の万燈万華会が修された。
承和2年835年3月21日61歳入定した。
延喜21年921年10月27日東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られた。

評価

真言宗の開祖として

空海は、江戸時代を通して、お大師さんとして人々に親しまれていた。しかし、純正の日本に仏教という外来の不純な思想を持ち込んだとして、本居宣長などによって批判された。明治時代に入ると廃仏毀釈運動によって一時的にその評価が落ちることになった。

空海は、今もなお高野山に隠れているということから、空海が高野山に隠れてから50年ごとに「御遠忌」法要が営まれるが、明治17年(1884年)のそれは明治時代初頭であったため、上の理由から低調だったという。そのためか、昭和9年(1934年)の1100年御遠忌は単なる宗教行事にとどまらず、大阪朝日新聞東京日日新聞などの新聞社を巻き込んだ一大キャンペーンとなった。

このキャンペーンのなかで、かつて不純な思想を持ち込んだと批判された空海は、外来の思想を日本流に換骨奪胎して紹介し、日本文化の形成に一役買った人物として評価されるようになった。昭和9年には、日本と中国の戦争すなわち日華事変がすでに開始しており、戦争に臨むにあたり、「英雄」という存在のもとで国民を団結させる必要があったことから、空海が再評価されたのである[11]日本統治時代の影響を受けてか、台湾には空海を祀る廟が存在する。

その後、昭和59年(1984年)の御遠忌までには高野山道路(当時は有料道路として開通・平成5年に国道370号国道480号に指定される)が整備され、1150年御遠忌は参詣客が大幅に増え過去最高だった。当時の高野山の宿坊の参籠者はどこも定員をはるかに超し、客室以外の場所でも宿泊するほどの人出であったと、高野山内寺院の関係者はいう。これに合わせて映画「空海」(空海役:北大路欣也)が制作され、全国的な盛り上がりとなる[12]

書家として

この節には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(崔子玉座右銘の「崔瑗」の2文字目は王偏に爰)が含まれています(詳細)。

は在唐中、韓方明に学んだが、唐の地ですでに能書家として知られ、殊に王羲之顔真卿の書風の影響を受け、また篆書隷書楷書行書草書飛白のすべての体をよくした。中国では五筆和尚といわれ、日本では入木道の祖と仰がれ、書流大師流と称された不世出の能書家である。真跡としては次のものがある。

聾瞽指帰(ろうこしいき)
三教指帰』の初稿本に当るもので、2巻存し、入唐前、延暦16年(797年)24歳頃の書といわれる。書はやや硬いが筆力があり、後の『風信帖』に見られる書風とは異なる。金剛峯寺蔵。国宝
灌頂歴名(かんじょうれきめい、『灌頂記』とも)
弘仁3年(812年)から弘仁4年(813年)にかけて、空海が高雄山寺で金剛・胎蔵両界の灌頂を授けた時の人名を記録した手記である。処々書き直しているが、筆力、結構ともに流露している。神護寺蔵。国宝。
風信帖(ふうしんじょう)
風信帖』(第1通目)空海筆
『崔子玉座右銘』(部分)空海筆
【釈文】短無説己之長
国宝指定名称は『弘法大師筆尺牘(せきとく)』。空海が最澄に送った書状3通を1巻にまとめたもので、1通目の書き出しの句に因んで『風信帖』と呼ばれる。もとは5通あったが、1通は盗まれ、1通は豊臣秀次の所望により、天正20年(1592年)献上したことが巻末の奥書きに記されている。現存の3通は、いずれも行草体の率意の書で、空海の書として『灌頂歴名』とともに絶品とされる。年号は不詳であるが、弘仁3年(812年)頃とされている。第1通目は、9月11日付で「風信雲書」の書き出し。書風は謹厳である。第2通目は、9月13日付で「忽披枉書」の書き出し。書風は精気があり、また情緒もある。第3通目は、9月5日付で「忽恵書礼」の書き出し。流麗な草書体である。全体は王羲之の体である。東寺[13]
崔子玉座右銘(さいしぎょく ざゆうのめい)
後漢崔瑗の『座右銘』100字(五言二十句)を草書で2、3字ずつ、数十行に書かれたものである。もとは白麻紙の横巻で高野山宝亀院の蔵であったが、今は同院に冒頭10字が残るだけで、ほかは諸家に分蔵され、100字中42字が現存する。字径が12cm - 16cmもあるので古筆家は『大字切』(だいじぎれ)と称している[14][13]

空海を含む讃岐の佐伯氏は、書と深く関わりを持っていた一族であったと考えられている。空海の門人で同じ佐伯氏の出身である実慧は若い頃に同じ一族と思われる讃岐国多度郡出身の佐伯酒麻呂らに儒学を学んだとされている(『弘法大師弟子伝』)が、酒麻呂とその一族が平安時代前期において、長期に渡って書博士の地位を占めていた事が『日本三代実録』に記されている。

文人として[編集]

空海は当代一流の文人としても知られる。勅撰三集の一つ『経国集』に8首の詩が入集しているが、これは入集した詩人全体の中で4番目に多い[15]。空海の著作の一つ『文鏡秘府論』は詩作法・作文法の解説書で、その序文によれば、当時、多くの若者が詩作・作文の教授を乞うため空海のもとを訪れていたらしい。 また、空海の詩文を弟子の真済が集成した『性霊集』の序文によれば、空海は詩、上表文、碑銘文、願文などあらゆる種類の文を、草稿なしですぐに書き上げるのが常であったという。実際、『日本後紀』天長2年(825年)閏7月19日条(『類聚国史』巻177より)は、仁王会の東宮講師に配された空海が、通例では当代の著名な文人にあらかじめ作らせておく呪願文を、講説の直前に即座に書き上げたと伝えている。

弘法大師の伝説[編集]

弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に5,000以上あるといわれ、歴史上の空海の足跡をはるかに越えている。柳田國男は大子(オオゴ、神の長男を意味)伝説が大師伝説に転化したという説を提出している。また中世、日本全国を勧進して廻った遊行僧である高野聖が弘法大師と解釈されたことも有力な根拠である。ただ、闇雲に多くの事象と弘法大師が結び付けられたわけではなく、その伝説形成の底辺には、やはり空海の幅広い分野での活躍、そして空海への尊崇があると考えられる。

弘法大師にまつわる伝説は寺院の建立や仏像などの彫刻、あるいは聖水、岩石、動植物など多岐にわたるが、特に弘法水に関する伝説は日本各地に残っている。弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった、といった弘法水の伝承をもつ場所は日本全国で千数百件にのぼるといわれている[16]。弘法水は、場所やそのいわれによって、「独鈷水」「御加持水」などと呼ばれている。

鎌倉 - 江戸時代の学者などにより、空海は本朝における男色の開祖とされることもある[17]。徳川時代の川柳や笑話などにも、しばしば衆道を唐土から導入した人物として登場する。

発見したとされる温泉[編集]

弘法大師が発見したとされる温泉は、日本各地に存在する。以下にそれを記す。

ただし上記には、後年、開湯伝説を作った際に名前が使われただけの温泉もある。高野聖のうちには、その離農的な性格から、いわゆる山師的なものもおり、それらが温泉を探り当てた際に宗祖たる空海の名を借用したともいわれる。

伝説・伝承[編集]

弘法大師が由来とされる伝説や伝承があるもの。以下にそれを記す。

ことわざ・慣用句[編集]

弘法も筆の誤り
空海は嵯峨天皇からの勅命を得、大内裏應天門を書くことになった[18]が、「應」の一番上の点を書き忘れ、まだれがんだれにしてしまった。空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き直したといわれている。このことわざには、現在、「たとえ大人物であっても、誰にでも間違いはあるもの」という意味だけが残っているが、本来は「さすが大師、書き直し方さえも常人とは違う」というほめ言葉の意味も含まれている。
弘法筆を選ばず
文字を書くのが上手な人間は、の良し悪しを問わないということ。ただし、性霊集には、よい筆を使うことができなかったので、うまく書けなかった、という、全く逆の意味の言及がある。「弘法筆を選ぶ」として、逆の意味のことわざとして用いられることもある。
護摩の灰
弘法大師が焚いた護摩の灰と称する灰を、ご利益があるといって売りつける、旅の詐欺師をいう。後に転じて旅人の懐を狙う盗人全般を指すようになった。
生麦大豆二升五合(なまむぎだいずにしょうごんごう)
民間[どこ?]に伝わる呪文で、これを唱えれば難事を避けることができるという。本来の字義からは離れてしまっているが、空海の御宝号「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」が転訛したもの。

著作文献[編集]

  • 『定本弘法大師全集』〈全11巻〉高野山密教文化研究所、1997年完結
  • 『弘法大師空海全集』〈全8巻〉筑摩書房、1983-1986年、復刊2001年
  • 『弘法大師著作全集』〈全4巻〉勝又俊教編、山喜房仏書林、復刊1994年
※主な著作では、三教指帰風信帖文鏡秘府論十住心論の項目も参照。

著作(文庫・新書判)[編集]

  • 『三教指帰 文鏡秘府論・序』福永光司訳注、中公クラシックス、2003年
  • 『空海「三教指帰」』加藤純隆/加藤精一訳注、角川ソフィア文庫、2007年
  • 『空海「秘蔵宝鑰」』加藤純隆/加藤精一訳注、角川ソフィア文庫、2010年
  • 『空海「般若心経秘鍵」』加藤精一訳注、角川ソフィア文庫、2011年5月
  • 『空海「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」』加藤精一訳注、角川ソフィア文庫、2013年7月
  • 『空海コレクション1 秘蔵宝鑰、弁顕密二教論』宮坂宥勝監修、頼富本宏訳注、ちくま学芸文庫、2004年
  • 『空海コレクション2 即身成仏義、声字実相義ほか』宮坂宥勝監修、頼富本宏ほか訳注、ちくま学芸文庫、2004年
  • 『空海コレクション3・4 秘密曼荼羅十住心論 上・下』 福田亮成校訂・訳注、ちくま学芸文庫、2013年10・11月

関連作品[編集]

伝記[編集]

小説[編集]

映画[編集]

ドキュメンタリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 金剛峯寺公式サイト
  2. ^ 『続日本後紀』承和3年(836年)2月紀による。
  3. ^ 母の名は「玉依御前」「阿古屋御前」などと称されるが、正確なところは不明である。
  4. ^ 空海の誕生日を「6月15日」とするのは、頼瑜1304年没)の『真俗雑記』が初見である。
  5. ^ 007平城京の寄宿先「佐伯院」 エンサイクロメディア空海
  6. ^ 『聾瞽指帰』は、序文と巻末の十韻詩が『三教指帰』とは異なるが、本文は同一である。なお、『聾瞽指帰』については、近年空海筆に対する賛否があり確定していない。米田弘仁「三教指帰」(『日本仏教の文献ガイド』所収)などに詳しい。
  7. ^ 平山徳一『五島史と民俗』(私家版 1989年
  8. ^ 真済に仮託して10世紀ごろ書かれたとするのが通説。
  9. ^ 『真言礦石集』第三
  10. ^ 「本朝伝法灌頂師資相承血脈」(『大日本古文書』家わけ19、醍醐寺文書之一、279号)所載。
  11. ^ 森正人、『四国遍路の近現代-「モダン遍路」から「癒しの旅」まで』(創元社、2005年)を参照
  12. ^ 映画の制作に当たり、十八派に分断されていた真言宗が、祖師のもと一致団結すべしという機運が盛り上がり、宗派を縦断した映画制作委員会が結成される。
  13. ^ a b 木村卜堂日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)P.18 - 21
  14. ^ 鈴木翠軒・伊東参州 『新説和漢書道史』(日本習字普及協会、1996年11月、ISBN 978-4-8195-0145-3)P.212
  15. ^ 『経国集』の全20巻中、伝存するのは梵門(仏教詩部門)を収めた巻十を含む6巻しかなく、全容が不明であることを考慮しても、空海の詩は仏教詩だけでなく、雑詠の巻十一、巻十三にもある。
  16. ^ 日本文理大学・河野研究室 名水の部屋弘法水の水文科学的研究
  17. ^
    • 『いぬつれづれ』 1653年(承応二年)
    • 『よだれかけ 巻五 男色二倫書』1665年(寛文五年)楳条軒
    • 『好色訓蒙図彙』1686年(貞享三年)
    ほか多数
  18. ^ 史実としては、南側の複数の門を担当している。東側の諸門は嵯峨帝自身が、北側を橘逸勢が、西側を(三筆に数えられていない)小野美材が担当。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

虎馬:空海 - W

防災士 - W【前半】

防災士 - W【後半】

防災士(ぼうさいし)とは、特定非営利活動法人日本防災士機構による民間資格

機構が定めたカリキュラムを防災士教本による自宅学習(履修確認レポート)と会場研修講座の受講で履修し、履修証明を得て資格取得試験に合格し、消防本部または日本赤十字社等の公的機関が主催する「救急法等講習」、「普通救命講習」、「上級救命講習」等受け、その修了証または認定証を取得した者に認定される。防災士証の有効期限や写真の書換え更新はなく終身の民間資格(資格称号)である。

2014年4月現在、資格者には国からの特別な権限は一切付与されていない。
目次 1 概要 1.1 日本経団連の政策提言1.2 日本防災士会会員の活動内容
2 制度発足の背景 2.1 制度確立までの沿革2.2 防災士の国家資格化
3 防災士の位置づけ 3.1 地域防災活動のリーダー4 展開
4.1 再教育と上級資格4.2 資格取得後の講座5 防災士登録までの手順
5.1 資格取得試験5.2 試験の難易度5.3 試験の合格率5.4 試験の合否通知
5.5 資格取得試験の再受験5.6 認証登録申請 5.6.1 申請に必要なもの
5.6.2 登録から交付まで6 研修実施機関 6.1 防災士研修民間機関
6.1.1 過去の実施民間機関6.2 防災士研修教育機関
6.3 防災士資格取得の特例 6.3.1 消防吏員に関する認証規定
6.3.2 赤十字救急法救急員の特例6.3.3 警察職員に関わる特例
6.4 履修による取得7 防災士育成事業 7.1 受験資格が付与される無料講座
7.2 受験資格に官民格差の問題8 認証登録状況 8.1 防災士認証者数の推移
8.2 認証登録者の内訳8.3 自治体職員の資格取得9 防災士の組織化
9.1 法人化9.2 支部の独立9.3 支部結成の実情9.4 任意団体の設立10 課題
11 脚注12 関連項目13 参考文献14 外部リンク
概要

防災士とは「“自助” “共助” “協働”を原則として、かつ、“公助”との連携充実につとめて、社会の様々な場で減災と社会の防災力向上のための活動が期待され、さらに、そのために十分な意識・知識・技能を有する者として認められた人」のことである(日本防災士機構の定義による。2014年平成26年)5月末現在で78,718人がその資格を取得している)。

防災士の活動は、主として地震水害火山噴火土砂災害などの災害において、公的機関や民間組織、個人と力を合わせて、以下の活動を行うとしている。

平常時においては防災意識・知識・技能を活かして、その啓発に当るほか、大災害に備えた自助・共助活動等の訓練や、防災と救助等の技術の練磨などに取り組む。また、時には防災・救助計画の立案等にも参画。

災害時にはそれぞれの所属する団体・企業や地域などの要請により避難や救助・救命、避難所の運営などにあたり、地域自治体など公的な組織やボランティアの人達と協働して活動。
日本経団連の政策提言

日本経済団体連合会2003年平成15年)7月22日(当時は奥田碩が会長)、行政への要望として「地域防災の担い手を育成するために、防災に関する専門知識や技術、経験を有し、実践的な訓練を受けた者に防災士の称号を授与し、地域の防災リーダーあるいは調整員(コーディネーター)として活躍してもらおうというNPOの試みがある。こうした新たな取組みへの支援や、行政による教育訓練プログラムなどを充実することによって、防災対策を担う人材の質的・量的充実を図ることが必要である。」と、地域の防災力の強化を提言している。2009年平成21年)6月12日現在、トヨタ自動車は日本防災士機構賛助会員。2010年平成22年)1月1日現在、日本経済団体連合会の御手洗冨士夫会長は日本防災士機構評議員。
日本防災士会会員の活動内容

  1. 平時の活動
    会員及び各支部の平常時の防災活動は、原則として次に掲げる事項に基づいて行動するものとする。
    1. スキルアップ
    2. 会員相互の連携等
    3. 地域との連携(市区町村等)
    4. 自主防災の取り組み
    5. 災害活動訓練(災害想定等)
  2. 災害発生時の活動
    災害の程度や状況に応じて必要な項目から随時実施する。なお、職域での業務(復旧、復興、地域貢献など)に従事する場合は、職場の指示に従い、本指針には含まない。
    1. 被災した地域の会員の活動
      1. 公的支援が来るまで被災地の被害拡大を軽減するために、初期消火、救出救護、避難誘導等の互助活動を効果的に行う。
      2. 地域防災会、自治体など公的組織や災害ボランティアと協働して避難所運営をはじめとする被災者支援のために活動する。その際、要援護者等の支援活動には特に留意する。
      3. 被災地内の防災士と直接連絡を取り合い、できるだけ情報の共有化に務める。
      4. 市区町村との災害時相互応援計画が策定されている場合は、それに従う。
    2. 被災地支部の活動
      支部単位で災害時相互応援計画、県や市区町村との応援計画及び避難所の運営等の計画が策定されている場合は、これを尊重する。策定されていない場合は、災害対策基本法に基づく地域防災計画との整合性を考慮して活動する。
    3. 被災地外会員の活動
      1. 日本防災士会および被災地支部等からの協力要請があれば、可能な範囲で協力する。
      2. 被災者支援ボランティアについては、日本防災士会から要請のない限り個人資格で参加する。

制度発足の背景

平成7年に発生した阪神・淡路大震災は、高度に集積した近代都市を直撃した初めての地震であり、犠牲者が6,400人を超える大災害となった。阪神・淡路大震災の最大の教訓の一つは「災害の規模が大きい場合には行政機関も被災するために、初動の救助救出、消火活動等が制限され、限界がある」ということであった。阪神・淡路大震災当時、国の対応の実務責任者は石原信雄(内閣官房副長官)であり、兵庫県の責任者は貝原俊民(知事)であった。

防災士制度は、阪神・淡路大震災を教訓として、民間の防災リーダーを可及的速やかに養成する目的で、石原信雄、貝原俊民をリーダーとする民間組織「防災士制度推進委員会」によって創設され、制度設計は、国の専門調査会や各種検討会で座長経験豊富な廣井脩(元東京大学大学院情報学環教授)らの学識経験者が行った。そして、防災士制度の推進母体としてNPO法人日本防災士機構(東京都千代田区、前会長 貝原俊民(前兵庫県知事))が平成14年7月に内閣府によってNPO法人として認証され設立された。

制度確立までの沿革

防災士の国家資格化

2009年(平成21年)6月7日に開催された第5回日本防災士会定期総会の質疑応答東京都の防災士から「防災士の資格を取得した時、今は民間資格であるが将来は国家資格を目指すと聞いたが、今どのようになっているか」と質問があった。小宮多喜次代表幹事は「今すぐに国家資格化されるかというと、現在は諸般の情勢からすぐに実現しないが、いずれは防災士の重要性や必要性、地域住民に及ぼす安心安全等これらを考えてみると公的資格になる日も来ると考えている」と答えている。防災士制度の発足を決めた防災士制度推進委員会は、第一段階として自治体や企業、学校、自主的な防災組織などで約40万人を育成。将来は国家資格をめざす、としていた(朝日新聞2002年6月1日)。 また、玉田三郎専務理事は「(新聞記事について)理想としてはめざすと言った役員はいたかもしれないが、私達は今まで一度も国家資格になると謳ったことも、そう言って勧誘したこともない。」としている[1]

なお、2012年(平成24年)4月現在、国家資格ではない。

防災士の位置づけ

災害が発生した際の活動は、「自助:自らを守る行動」「共助:地域市民とともに助け合う行動」「公助:国や自治体による行動」の3種類がある。

このうち公助活動の実際は、自治体職員によって行われる他、高度の専門的活動については専門の資格保有者[2]や、それらを擁する学協会・業界団体・専門会社が、国や自治体からの要請を受けて、活動が行われる。

一方、災害の発生直後から初期段階における活動(公助の動き出す前の活動)については、自らの力と、近隣住民同士の協働で切り開いていかねばならない。この自助・共助の活動を災害発生時に実践する人材として日本防災士機構は「防災士」の資格を位置づけしている。また平常時についても、これら自助・共助による防災活動について、その重要性等を啓蒙する活動の担い手としても期待したいとしている。

このような自助・共助の防災活動に対する考え方は、もともと江戸時代に上杉鷹山が提唱したとされているが、阪神・淡路大震災以降、急速に発達した。この考え方を実践的に整理してきたのは災害ボランティア達である。この震災以降、災害ボランティアの組織化、大規模災害時の減災知識の集約化が進んできた。しかしそれでもなお、発生がある程度切迫している宮城県沖地震[3]首都圏直下地震[4](東京湾北部地震)が実際におきた際には、これらの災害ボランティアらの活動だけでは、対応しきれないと予想されている。このため市民・国民の一人一人に、防災知識を持つよう育成が急がれているが、その反面、いわゆる資格商法ではないかと考える防災関係者も少なくないのも事実である。

しかし、平成25年迄に大分県では1年間で2,500名の防災士の養成を、また松山市でも2,000名の防災士の養成を実現するなど、24の府県と43の自治体ならびに6校の国立大学を含む16校の大学、高専が日本防災士機構の認証を受けて防災士養成に参加したことにより、防災士資格取得希望者にとって無償若しくは、安価な費用で防災士資格を取得出来る道が年々拡大され、平成26年6月には8万人に近い防災士資格取得者のうちの40%程度はこれ等の機関によって養成され、しかも拡大の一途をたどっていることから、前記防災士機構に向けての批判等は歳月を追う毎に漸減し、専務理事は「我々の努力が報いられ、ようやく正当な評価を得られるようになった」としている。

地域防災活動のリーダー

防災士として最低限修得すべき防災知識・技能(日本防災士会幹事会)

  • 事前対策に必要な知識・技能
    • 地域における災害リスクの把握
    • 家具転倒防止策の理解と指導要領
    • 備蓄品、防災器具等の理解と指導要領
    • 簡易耐震診断の説明と実施要領
    • 耐震補強法の理解と実施要領
    • 各種防災訓練の企画・立案・指導要領
    • DIG(災害図上演習)の理解と指導要領
    • 自主防災組織の結成、活動計画の策定の手順
    • BCP策定の手順
  • 応急対策に必要な知識・技能

展開

近年、企業による地域社会への貢献が、企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)として期待されている。この社会的背景を受け、災害時の初期段階における共助の活動を指向する企業が増えてきている。この受け皿として、防災士制度を活用して欲しいとしている(例えば郵便局やコンビニエンスストアなど)。 特に、郵政民営化議論がなされていた時に、特定郵便局長が、郵便局の公益性を見出すために積極的に防災士を取得したとも言われている。 また企業における災害時の事業継続計画(または緊急時企業存続計画、BCP:Business Continuity Plan)においても、企業内での防災知識を保有する人材の育成として、防災士制度に期待が寄せられている。ただ、防災士の研修プログラムは、事業継続計画の策定ができるほどの内容からはほど遠く、NPO法人事業継続推進機構が主として企業担当者向けに行っている「事業継続初級管理者」「事業継続主任管理者」などにより期待が寄せられており、防災士は「きっかけ作り」であると考える方が適当である。

地域における防災リーダーの育成が急務であるとの観点から、防災士養成事業を実施したり、市民の受講に対して補助制度を設ける自治体も増えつつある。 これらの自治体では、硬直化しがちな自主防災組織を防災士によって活性化し、実効ある地域防災力の構築を図っているとしている。

そもそも防災士制度が生まれた背景の一つとして、各地の自治体や「災害救援ボランティア推進委員会」など各種団体が、個別の基準で「防災リーダー」「防災コーディネーター」「セーフティーリーダー」等の称号を与えている状況の中で、「全国標準の一定レベルを有する防災リーダーが必要」という声が上がったとしているが、しかしながら、地域防災は、「自助」「共助」「公助」のルーツが江戸時代の「三助」に表されるように、地域が本来持っていたものであり、地域ごとに異なる文化風土があるわけで、そもそも地域防災に必要なのは、普段からお祭りや町内清掃等の自治会活動の参加による地域コミュニケーションであり、「地域防災に『全国標準』の『一定レベル』が必要なのか」「地域防災に『称号』や『肩書き』は必要なのか」と言う防災関係者からの根強い批判があり、「標準化」や「資格」 と言う枠組みで括ることについては、実は賛否両論である。

また「防災士」についても「資格」と称してはいるが、結局のところご当地検定取得やセーフティリーダーなど、民間称号の枠を超えるものではない。防災士教本の学習と3日間の座学、7割から8割の合格率程度の知識、普通救命講習で十分なのかという指摘も一部にはある。これに対して関係者は、「まず裾野を広げることが重要で、将来さらにスキルアップした中級、上級、防災士を育てたい」としている。

再教育と上級資格

2009年平成21年)5月20日に開催された日本防災士機構総会において、平成21年度事業計画が決定した。事業計画には、平成23年度期までに防災士5万名を養成すること。日本防災士会を通じて最新の防災情報を提供すること。防災士資格取得者の再訓練や指導者としての役割を担える人材の育成をすることなどが盛り込まれた。古川貞二郎会長は「再教育や上級資格も検討し進めていきたい。国民運動の王道を歩んでいきたい。」と言及している。

防災士資格の認定申請時には、救急救命実技講習の修了証または認定証の取得を必要とし、有効期限を超過している場合は再受講が必要となるが、認証登録後に救命技能認定証の有効期限切れがあっても防災士資格は無効とならない。救急救命実技講習実施機関は、救命技能を維持向上するため2年から3年の間隔で定期的に再受講することを努めるように促していて、修了証の裏面に再講習の受講記録を記載するようになっている。救急救命実技講習で使用される教本は、日本版救急蘇生ガイドラインとして国際ガイドラインの内容を踏まえて編集されて発行している。この国際ガイドラインは、2000年自動体外式除細動器(AED)の操作方法が追加され、2005年には心肺蘇生法胸骨圧迫人工呼吸の比率が変更されており、国際ガイドラインの更新に合わせて教本も改訂されている。応急手当普及員や赤十字救急法救急員は有効期限までに再講習を受講して資格を維持していることや、2003年平成15年)10月の防災士第1号認証から相当な年数が経過していることなどから、防災士資格取得者の救命技能の維持に再教育の必要性があると判断されるものである。

資格取得後の講座

福岡県と福岡県災害ボランティア連絡会では、県とNPO法人男女・子育て環境改善研究所の協働により、防災士が子どもや親子向け防災教室を開催するノウハウを身につけるためのスキルアップ講座を開催している。

  • 子ども向けわが家の避難ルートワークショッププログラム模擬体験
  • 子ども向け防災講座開催のための企画を考える(講師による講話)
  • 子ども向け防災講座の企画書を作り上げる(小グループ単位でプレゼンテーション

防災士登録までの手順

防災士研修講座受講、防災士資格取得試験合格、救急法基礎講習修了者認定証または救命講習修了証等の取得の総てを充たして認証登録となる。

  1. 日本防災士機構が認定した研修機関、または自治体が実施する防災士養成事業による研修を受けて「履修証明」を得ること。
  2. 日本防災士機構の「防災士資格取得試験」を受験し、合格すること。
  3. 各自治体、消防本部日本赤十字社等公的機関又はそれに準ずる団体の主催した「普通救命講習等」、「救急法基礎講習等」を受け、その修了証または認定証を取得すること。防災士資格の認定申請時に救命技能認定証や救命講習修了証等の有効期限等を超過している場合は再受講が必要となる。
  • 防災士研修講座申込後、研修講座が実施される約1ヶ月前に教本が届く。自宅学習を行い履修検定レポートを研修講座の受講第1日目の受付時に提出する。(31項目で約300問)
  • 防災士資格取得試験は研修講座日程の最終日に研修講座と同じ会場で行われる。特例規定の受験申請者は希望する地域の試験会場で資格取得試験のみ受験する。
  • 救急救命実技講習の修了は研修講座の受講前でも受講後でも構わない。研修講座の会場で行われる場合もある。
防災士養成カリキュラム構成と内容
科目内容事例目安時間・講座数
  • 序論
  • 防災士の役割
11時間
(7講座)
  • 1. いのちを自分で守る
    (自助)
    ・個人
    ・企業
  • 個人の平常時対策(家族防災対策会議、備蓄品、避難計画、安否確認計画)
  • すまいの耐震化(耐震診断、家具固定、建物耐震化、耐震規定)
  • 個人の災害発生時対応(身体防護、火気管理 、脱出、救援、避難、安否確認連絡、外出時対応などの要領)
  • 2. 地域で活動する
    (共助・協働)
    ・自主防災組織
    ・自治体
  • 地域の防災活動(自主防災組織、学校での防災活動、防災教育・訓練、普及活動、各地の活動例)
11時間
(7講座)
  • 行政の平常時対策(関連法令、防災計画、被害想定、避難計画、防災拠点、生活弱者対策、行政支援制度、相互応援協定)
  • 行政の災害発生時対応(情報の収集・伝達、要援護者避難、消防活動、救助活動などの要領)
  • 避難所(標示、開設・運営要領、物資調達・分配)
  • ボランティア(活動の流れ、活動要領、具体的活動例)、緊急救助技術を身につける(災害現場における救出・防火技術、要援護者の救助・誘導技術)
  • 災害復旧・支援制度(人・企業・産業)
  • 3. 災害発生のしくみを学ぶ
    (科学)
9時間
(6講座)
  • 4. 災害に関わる情報を知る
    (情報)
9時間
(6講座)
  • 安否情報、被害情報の発信・伝達・収集
  • 最新の地震活動、地震危険情報
  • 災害観測・防災システム(防災GIS、リアルタイム地震学など)
  • 5. 新たな減災や危機管理の手法を身につける
    (予防・復興)
8時間
(5講座)
  • 都市災害の特徴、都市防災計画・技術
  • 企業の防災活動・BCP・危機管理、地域協力
  • 災害復興(住宅再建・復興まちづくり)
  • 6. いのちを守る
    (救急)
    ・応急手当
    ・救命手当
3時間
(2講座)
  • 心肺蘇生法AEDの操作方法、大出血時の止血法、傷病者管理法、けが・骨折の応急手当、運搬法等
救急法・救命講習認定基準
実施機関、対象者等講習・資格名の例示認定基準
  • 1. 地域消防署等の主催講習
認定対象とする
  • 2. 日本赤十字社(支部)の主催講習
認定対象とする
  • 3. 地方自治体が防災教育の中で実施する講習
  • 救命講習
認定対象とする
  • 4. 消防吏員
認定対象とする
履修済みの場合は、自己申告を認定対象とする
  • 6. またはその指定機関、または、これに準ずる機関が実施する講習
  • 救急救命士厚生労働省
  • BLSコース(日本ACLS協会
  • ACLSコース(日本ACLS協会)
  • CPR(心肺蘇生法)ベーシックセミナー(国際救急救命協会)
  • JPTECプロバイダーコース(日本救急医学会)
  • JPTECインストラクター養成コース(日本救急医学会)
個別審査対象とし、「普通救急救命講習」と同等以上に相当すると判断される講習は認定対象とする

資格取得試験

試験前に10分間の説明がある。試験問題、解答用紙、合否通知用封筒が配布される。合否通知用封筒に、郵便番号、住所、氏名を記入する。試験時間は50分。三者択一の筆記試験。解答用紙にはアラビア数字で答を書き込む。問題は30問で7割以上の正解率で合格となる。解答を終えれば試験会場を退室できる。試験問題は持ち帰れない。試験問題、解答用紙、合否通知用封筒の3点を試験官に手渡して退室する。

試験の難易度

防災士養成カリキュラムの構成と内容は広範囲であるが、試験問題は防災士教本の内容からのみ出題されている。実技を除いて31ある講座ごとに学習のポイントが総括されているので、出題率の高い要点を効率良くチェックできる。ひっかけ問題も無く三者択一の試験方式であることから、難易度は極めて易しいといえる。

試験の合格率

日本防災士機構では、防災士30万人の認証登録を目標にしており、認証登録の状況や認証者数累計の推移を公開しているが、防災士資格取得試験の応募者数、受験者数、合格率は公開していない。2009年平成21年)12月23日の毎日新聞(東京朝刊)で、防災士資格取得試験の合格率は約98%と報道された。

試験の合否通知

試験日から2週間以内に郵便で試験結果が届く。満点合格者の試験結果通知書には全問正解であったことが記される。合格の場合は防災士資格申請の手順書が同封されるので認証登録申請の手続きを進める。

資格取得試験の再受験

防災士資格取得試験で不合格となった場合は、研修講座の受講は免除され後日に実施される試験会場にて資格取得試験のみを再受験できる。 受験料3,000円は不要

認証登録申請

資格取得試験合格者は、試験結果通知書と一緒に送られる日本防災士機構宛の封筒に、申請に必要なものを封入し郵送する。研修機関における会場研修3日目(2日間コースの場合は2日目)の資格取得試験合格者は、研修機関に申請書類を預けて手続きを代行してもらう。

申請に必要なもの

  1. 防災士認証登録申請書
  2. 防災士資格取得試験合格通知(写)防災士研修センター研修講座では不要
  3. 申請に要する費用を支払った「振替払込請求書兼受領証の写し」防災士研修センター研修講座では受講料に含まれている。
  4. 防災士証印刷用カラー写真2枚(縦30mm 横25mm)裏にボールペンで氏名を記入

登録から交付まで

申請書類の受付は、前月16日から当月15日までの期間となっている。申請書類に不備がなければ、当月の末日までに認証委員会によって防災士認証が行われ、防災士登録台帳への氏名登載と防災士認証状および防災士証が発行される。防災士認証状および防災士証は、月末日付の郵便で申請者に送付される。

虎馬:防災士 - W 

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