レントシーキング

他夢奴/下夢奴 眠りながら成功する赤毛のアポロン 一文字風呂具 十四最善事態想定マニア 最悪事態想定マニア 住民組合準備会

確認

地球自然環境国害罰金税超∞$$DMPB回収同盟~国際税理府準備連携委員会~皇我内座~知救自善復興公害税同盟~世解平案トービン税連盟~国際PPP連合問題解決案~太平洋TPP連邦【思考】~極北開拓合衆国~極東防災防衛府体政~人間生活府【基本原案】~道州修心省陸海空護民保安官庁~自救自足互助組織~健幸予防府平等年金機能~住宅学園学級会~住民組合準備会~流浪難民人権会~特許友政府準備投票所~

徐才厚- 维基百科,自由的百科全书 - W【再確認】中半

徐才厚- 维基百科,自由的百科全书 - W【再確認】前半 

家庭

妻子赵某,大连人,已被逮捕。

女儿 徐思宁,曾在吉林省实验高中读书,高二辍学参军。亦被抓。

相关人物

参考文献

  1. ^ 香港电台: 徐才厚简历
  2. ^ 徐才厚走过军队光辉10年. 信报. 2014年7月2日 (中文(简体)‎). 
  3. ^ 江泽民周永康心腹,军头徐才厚开除党籍. 《光华日报》. 2014年7月1日 (中文(简体)‎). 
  4. ^ 前中央軍委副主席徐才厚被開除黨籍. 香港新浪. 2014年6月30日 (中文(简体)‎). 
  5. ^ 5.0 5.1 海彦. 外媒:前中共军委副主席徐才厚及家人被抓. 美國之音 VOA. 2014-03-20. 
  6. ^ 零容忍!徐才厚被证实遭彻查,军内反腐“绝不放过”. 成报. 2014-04-24. 
  7. ^ Ex-PLA top general Xu Caihou held in cash for rank probe. 南华早报. (英文)
  8. ^ 8.0 8.1 港媒:军中大佬徐才厚全家被控. 德國之聲DW.DE. [2014-03-20]. 
  9. ^ 报导传徐才厚涉“受贿”中共准备立案处理. BBC中文网. 2014年6月13日. 
  10. ^ 前军委副主席徐才厚 遭开除党籍,中央社,2014年6月30日
  11. ^ 中共中央决定给予徐才厚开除党籍处分. 新华网. 2014-06-30 [2014-06-30]. 
  12. ^ 12.0 12.1 新闻联播. 视频:徐才厚涉嫌受贿犯罪案移送审查起诉. CNTV. 2014-10-28 [2014-10-28]. 
  13. ^ 中国军网. 军方评徐才厚:注定会被钉在历史的耻辱柱上. 搜狐. [2014-12-10]. 
  14. ^ 傳前中共軍委副主席徐才厚被雙規. 法廣. 2013年12月17日. 
  15. ^ 海外傳媒指徐才厚涉周永康案被雙規. 自由亞洲電台. 2013-12-16. 
  16. ^ 解放军报. 军事检察机关就查办徐才厚案答记者问. 新浪. 2014-10-28 [2014-10-29]. 
  17. ^ Ex-PLA top general Xu Caihou held in cash for rank probe
  18. ^ 在港洗百億黑錢女 傳徐才厚女掩護偷渡返內地. 香港蘋果日報. 2014年3月20日. 
  19. ^ 徐才厚案,10个过目不忘的细节. 北青网. [2014-11-21]. 
  20. ^ 抄家內幕/徐才厚斂財 家藏1噸重現金. 联合新闻网. [2014-11-21]. 
  21. ^ 整肅徐才厚 習近平圖鞏固權力. 台湾新浪. 2014-07-05 (中文(简体)‎). 
  22. ^ 22.0 22.1 葉兵. 徐才厚上将落马(2) 习总向干政老人叫板?. 美國之音VOA. 2014-07-03. 
  23. ^ 23.0 23.1 葉兵. 徐才厚上将落马(1) 疑涉权斗及薄周密谋(訪問前中國國防大學大校軍官辛子陵、記者姜维平). 美國之音VOA. 2014-07-01. 
  24. ^ 習近平肅貪打虎 徐才厚落馬驚四座. 台灣民視. 2014-07-01. 
  25. ^ “江泽民在军中最爱”或送军事法庭受审. 中国观察. 2014-06-30. 
  26. ^ 26.0 26.1 徐才厚垮台 外媒:指习近平剑指周永康. 法广. 2014年7月1日. 
  27. ^ 徐才厚軍中大貪 傳曾策劃政變. 香港經濟日報. 2014-06-30. 
  28. ^ 徐才厚從軍多年在軍中樹大根深. Now新聞台. 2014年6月30日 (中文(简体)‎). 
  29. ^ 與權貴決裂 習近平贏民心. 世界日報. July 02, 2014 (中文(简体)‎). 
  30. ^ 江澤民 用 徐才厚 控軍權架空胡錦濤. 世界日報. July 01, 2014 (中文(简体)‎). 
  31. ^ 解放军报评论员. 做老实人不做“两面人”. 中国军网. [2014-12-10]. 

外部链接


ジーコスモス=ジー・オーグループ - W(犯罪確認)

虎馬:ジー・オーグループ - W 

ジー・オーグループは、大神源太(おおがみ げんた、1963年 - )が実質的に経営していた企業グループ。ジャパンジー・オーグループインターナショナル株式会社を持株会社としてその下にグループ企業を置いた。「ジー・オー」は大神のイニシャルの“Genta Ogami”に由来し、登記上を含めた公式な表記は「ジー.オー」である。本社は東京都港区三田にあった。1996年頃より、グループ企業のジー・コスモス・ジャパン株式会社が、独特な手法で個人から多額の資金を集めたが、出資法違反や詐欺の疑いで大神が逮捕され、後に破産した。



グループ企業

  • ジャパンジー・オーグループインターナショナル(持株会社)
  • ジー・コスモス・ジャパン
  • ジー・ユニバーサル
  • 神埼共栄開発
  • みなもと債権回収
  • ジー・オー・フィルムインターナショナル
  • 大義新聞社

これらのグループ企業のうちのほとんどが、事業実態の無い所謂ペーパーカンパニーであった。因みに現在は、全企業が清算されているため現存しない。

事件経過

事業実態

ジー・システムによる通信販売詐欺

「ジー・システム」とは、消費者商品ガイドから商品を選択し、その商品の広告費を出し(これを「エントリー」と言い、1回のエントリーに2000円の手数料が必要)、通信販売でエントリーした商品が売れると、グループ会社から売り上げに応じた配当金(報償金)が消費者に支払われる仕組みである。

広告代理会社ジー・コスモス・ジャパンが、求人情報誌や新聞折り込み広告に在宅ワークの求人広告を出し、資料請求者に「ジー・システムの手引き」という冊子を送付する。在宅ワークを装って消費者(求職者)を勧誘しているが、実際は広告費名目の出資金集めだった。また電話で、「ジーシステムに登録して広告費を出すと高額な配当が確実に得られる」などと勧誘した。また、ジー・システムの利用には、会員登録して月会費3000円を1年分一括で支払う必要があり、消費者が請求すれば出資した広告費は返金される契約であった。

実際には、ジー・システムだけでは思うように出資金が集まらず、その後「確約エントリー」「広告活動代金」「買収設立活動代金」などの名目で元本保証で高配当を謳った資金集めを行ったが、通信販売事業が行われることは無かった。2002年3月に警視庁がグループ各社を出資法違反容疑で家宅捜索した際、通信販売用の商品が全く発見されなかったことから、ジー・システム自体が架空の事業だったことが明らかになった。

ユニバG販売事業

ジー・ユニバーサルが手がけていた事業で、フィリピンを原産とするバナバの葉を原料とする茶「ユニバG」を、「生活習慣病予防に役立つ」「薬餌飲料」とPRして販売した。テレビCMや販促資料にはハリウッド俳優のジャン=クロード・ヴァン・ダムを起用した。

さらには、『ユニバG物語〝私がアジアを救う〟』という販促ビデオを製作。内容は大神本人がフィリピンの密林でバナバ葉を探し求める、というもので、途中には大神が密林をダッシュしたり、懸垂をするシーンが盛り込まれた。また、オープニング曲が『ロッキー』の模倣であることが容易にわかることから、一部マニアの話題となった。疑惑が持ち上がってから、日本のニュース番組でこの映像が流された。

その他

  • 大神が企画・製作・監督・主演しジェフ・スピークマンと共演したアクション映画『ブレイド・オブ・ザ・サン(太陽の刀)』が製作されたが、代表の逮捕とグループ会社の破綻で一般公開されなかった。製作費は5億円で、全世界で180億円の興行収入を見込んでいたという[2]
  • 2001年9月、グループ企業が、フィリピンマニラ首都圏を中心として営業していたユニトラスト・ディベロップメント・バンクに13億円を投資買収した。同行はバンク・オブ・オーガミ(大神銀行)と改称し、シティバンクのパンフレットを丸写しして、会員に高金利を謳って預金の勧誘をした。マニラ中に大神の顔写真を掲載した巨大な看板広告を乱立させた。しかしフィリピン中央銀行は、この買収を認可せず、2002年1月に銀行は経営破綻した。大神銀行の日本からの預金は、ジー・オーグループの運転資金になったと見られる。
  • 逮捕間際、ベルサーチのシースルーメッシュのシャツを着た大神が、出資者を勧誘する姿を映した映像がニュース番組で頻繁に流された。
  • 逮捕の直前、大神はフィリピン人の妻に国際電話をして「ラブ・ユー」と言った後、目を赤くした。記者が「大丈夫ですか」と聞くと、大神は自分のを叩き「俺だから、大丈夫だ」と最後まで芝居がかった態度だった。また警察車両に乗せられる直前には最後の言葉として「会員は家族です」と言い残した。

関連項目

出典

  1. ^ 元名誉会長の懲役18年確定へ=ジー・オーグループ巨額詐欺-最高裁 - 時事ドットコム、2010年9月28日
  2. ^ 決定版!!放送禁止秘蔵集プレミアム』 渡邉正明、ミリオン出版株式会社、東京都千代田区西神田、2010年4月5日(原著2010年4月5日)、初版第1刷、105頁。ISBN 978-4-8130-6337-72010年5月4日閲覧。

外部リンク

311東日本大震災 - W(重要再確認)【序】

311東日本大震災 - W(重要再確認)【目次】  死者の内訳と死因

警察庁は2012年3月11日までに、岩手県・宮城県・福島県で検視された15,786人の詳細を発表した。

年齢
  • 0‐ 9歳:2.95%(466体)
  • 10‐19歳:2.65%(419体)
  • 20‐29歳:3.26%(515体)
  • 30‐39歳:5.37%(847体)
  • 40‐49歳:7.07%(1,116体)
  • 50‐59歳:11.93%(1,883体)
  • 60‐69歳:18.66%(2,945体)
  • 70‐79歳:23.81%(3,759体)
  • 80歳以上:21.42%(3,381体)
  • 年齢不詳:2.48%(392体)

男【7,360体 (46.62%)】女【8,363体 (52.98%)】性別不詳【63体 (0.40%)】

死因
  • 水死:90.64%(14,308体)
  • 圧死・損傷死・その他:4.23%(667体)
  • 焼死:0.92%(145体)
  • 不詳:4.22%(666体)

この震災での犠牲者の死因の殆どが、津波に巻き込まれたことによる水死であった。津波の中には、大量の砂や海底のヘドロ、港湾施設の重油などの有害物質などが含まれていた。砂が肺に入れば気管を詰まらせ、有害物質が肺に入れば身体を侵す。水死に至る経緯は、これらで呼吸困難になったり、瓦礫が当たり意識を失ったり、3月の雪の舞う中で低体温を伴ってなど、さまざまな経緯もあったと考えられる。

圧死・損傷死・焼死も、ほとんどが津波による瓦礫が要因となっている。

建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人・茨城県18人・宮城県13人・東京都7人など、分かっているだけで90人に上る[48]

また、高齢者を中心に避難所での死者も相次いでいる[49]。避難所の不衛生や寒さによる死者は、2011年3月末までに280人を超え[50]毎日新聞は2013年12月17日、福島県内の震災関連死による死者数が地震や津波による直接死者数を上回った、と報じた[51]復興庁の2014年9月末時点での集計で震災関連死と認定されたのは3,194人(福島県1,793人、宮城県900人、岩手県446人など)に上った[52]

人口変化

避難者

震災2年後の福島県の避難者は15.4万人(うち原発1次避難地域からは8.5万人)[53]

  • 福島県の県外避難(2013年3月7日)(合計約5万人、県内避難は約10万人)

(1)山形県(9,513人)(2)東京都(7,449人)(3)新潟県(5,724人)(4)茨城県(3,943人)(5)埼玉県(3,820人)(6)千葉県(3,313人)(7)栃木県(2,948人)(8)神奈川県(2,449人)(9)宮城県(2,328人)(10)北海道(1,802人)(11)群馬県(1,688人)(12)長野県(1,003人)(13)静岡県(823人)(14)北海道(802人)(15)愛知県(795人)(16)沖縄県(738人)(17)大阪府(734人)(18)山梨県(710人)(19)京都府(702人)(20)兵庫県(604人)

推計人口

被災地のうち、太平洋沿岸の青森県八戸市から福島県いわき市までの推計人口(2010年(平成22年)国勢調査基準)を、震災前(2011年3月1日)と最新とを比較して以下に記載する。

最新の推計人口は、青森県が2015年2月1日現在、岩手県が2015年2月1日現在、宮城県が2015年2月1日現在、福島県が2015年2月1日現在。

震災前(2011年3月1日[54][55][56][57]と直近の推計人口の比較
市町村位置震災前
推計人口
(人)
最新
推計人口
(人)
増減率
(%)
青森県

1,369,7471,318,059-3.77
青森県八戸市地図237,205232,506-1.98
三戸郡階上町地図14,65514,089-3.86
岩手県

1,326,6431,281,370-3.41
岩手県九戸郡洋野町地図17,77516,539-6.95
久慈市地図36,78935,420-3.72
九戸郡野田村地図4,6064,230-8.16
下閉伊郡普代村地図3,0652,901-5.35
下閉伊郡田野畑村地図3,8383,509-8.57
下閉伊郡岩泉町地図10,7089,739-9.05
宮古市地図59,22955,593-6.14
下閉伊郡山田町地図18,50615,800-14.62
上閉伊郡大槌町地図15,22211,637-23.55
釜石市地図39,39935,640-9.54
大船渡市地図40,57938,366-5.45
陸前高田市地図23,22119,267-17.03
宮城県

2,346,8532,326,948-0.85
宮城県気仙沼市地図73,15466,045-9.72
本吉郡南三陸町地図17,37813,704-21.14
牡鹿郡女川町地図9,9326,805-31.48
石巻市地図160,394146,479-8.68
東松島市地図42,84039,782-7.14
宮城郡松島町地図15,01414,525-3.26
宮城郡利府町地図34,27935,677+4.08
塩竈市地図56,22154,467-3.12
宮城郡七ヶ浜町地図20,35318,860-7.34
多賀城市地図62,99062,315-1.07
仙台市地図1,046,7371,073,942+2.60
仙台市宮城野区地図190,806193,347+1.33
仙台市若林区地図132,159133,907+1.32
名取市地図73,60376,238+3.58
岩沼市地図44,16044,057-0.23
亘理郡亘理町地図34,79533,253-4.43
亘理郡山元町地図16,60812,648-23.84
福島県

2,024,4011,933,753-4.48
福島県相馬郡新地町地図8,1787,722-5.58
相馬市地図37,72135,462-5.99
南相馬市地図70,75263,444-10.33
双葉郡浪江町地図20,85418,358-11.97
双葉郡双葉町地図6,8916,095-11.55
双葉郡大熊町地図11,57010,841-6.30
双葉郡富岡町地図15,95914,125-11.49
双葉郡楢葉町地図7,6767,066-7.95
双葉郡広野町地図5,3864,990-7.35
いわき市地図341,463325,914-4.55

地域別の被害状況

2011年7月14日15時 (JST) 現在、死者・行方不明者数の合計が100人以上の自治体は、岩手県、宮城県、福島県の22市町村に上っている[58]

岩手県

岩手県の被害は津波によるものが中心であった。

岩手県沿岸は、海岸線近くまで山地が迫り、平地が狭いという地形のため、浸水面積は58km²と3県では最も小さかった。しかし、その狭い平地に漁港と市街地が広がっていたため、浸水域の人口は約11万人であり、浸水域の人口密度は1,900人/km2と3県で最も大きかった。

県中南部は津波高が増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤防潮堤)の規模は日本随一であった。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。

陸前高田市では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ天井まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で4階まで浸水し27人が亡くなるなど、1,800人弱の犠牲者を出した。市職員も1/3弱に当たる113人が犠牲になり、浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、大槌町と同率の11.72%であった。

大槌町では、役場で災害対策本部の準備をしていた職員60人中、当時の町長である加藤宏暉[59]を含め30人以上が亡くなるなど、1,300人弱が犠牲になった。また、火災も発生した。浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、陸前高田市と同率の11.72%であった。

釜石市では、本来は災害後の避難生活を主とした施設であった鵜住居地区防災センターで津波避難の訓練も行われていたため(最大の可能性として)244人が避難して210人の死者が発生するなど、約1,050人が犠牲となった。元新日鉄釜石ラグビー部の選手で、釜石ラグビー協会会長だった佐野正文[60]や、マスターズ陸上で世界記録を持っていた104歳の下川原孝[61]も犠牲となった。また、ギネス世界記録にも認定されていた世界最深の釜石港湾口防波堤が破壊された[62]。鵜住居地区は、市内の犠牲者の半分以上を占める悲劇の一方で、釜石の奇跡と呼ばれる津波教育の成功例もあった。釜石東中では、地震発生直後に生徒達が自己判断で避難先に各自走り出し、それを見た隣接の鵜住居小の児童も続いた。第一避難先の介護施設に到着して整列点呼で全員の無事を確認したが、想定にとらわれないとの教育の下、中学生が小学生の手を引いてさらに高台へ走り出し、それを見た地域住民も後に続いた。学校は10mを超える高さの津波に襲われ、第一避難先の介護施設も1階が水没したが、当日登校した生徒児童約600人全員が無事であった。また、生徒達がさらに上へと避難していく姿を見た介護施設側は、1階の入所者を3階へ移動させていたため、犠牲者が出なかった。

山田町では、介護老人保健施設「シーサイドかろ」で入所者74人と職員14人が亡くなるなど、750人以上が犠牲となった。また、津波に加えて大火も発生した。

宮古市の田老地区は、総延長2433mのX字型、海抜10mの巨大な防潮堤が城壁のように地区を取り囲んでおり、住民は万里の長城と呼び、「津波防災の町」を宣言するほどであったが、それを破壊、越流した津波により地区全体で185人が亡くなるなど、500人以上が犠牲となった。

大船渡市では、特別養護老人ホーム「さんりくの園」で62人が亡くなるなどし、述べ400人以上が犠牲となった。

この他に、野田村田野畑村でも甚大な被害を受けた。

宮城県

宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km2と浸水域の人口約33万人はともに3県最大だったため、宮城県のみで阪神・淡路大震災を上回る犠牲者を出した。

県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)が成されていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。

県中南部は単調な海岸線であったが、水深の浅い仙台湾で津波の速度が落ち、後の津波が追い付いて津波高が増した。速度が落ちたため、襲来まで1時間あったが、北部に比べて中南部は過去の津波が数百年前であり、住民の意識が低い中で想像だにしない津波に襲われた。平野が広がっていたため数キロ内陸まで浸水し、甚大な被害を受けた。

気仙沼市では、介護老人保健施設「リバーサイド春圃」で59人が、杉の下地区の住民が避難した海抜12mの高台で93人が亡くなるなど、犠牲者は1,350人以上に及んだ。また、津波により漁船用燃料タンクが倒壊して広範囲に重油が流出して出火、大火災が発生し夜通し燃え続けた。火が付いた大量の瓦礫が気仙沼湾内を漂い、東北最大の有人島である大島にも燃え移り、島民達が総出で延焼を食い止めた。

南三陸町では、3階建ての防災対策庁舎の屋上まで水没するなど町職員42人が、5階建ての公立志津川病院も4階天井付近まで水没し、入院患者107人中72人と職員3人が死亡。また、海抜15mの高台にあった特別養護老人ホーム「慈恵園」も1階が水没して49人が亡くなるなど、850人以上が犠牲となった。

女川町は震源に最も近いリアス式海岸の町の一つであり、猛烈な津波が町を襲い、中心部は海抜20mの高さまでほぼ水没し、強い引き波により鉄筋の建物の倒壊も目立った。指定避難所であった町立女川病院(女川町地域医療センター)は、海抜16mの高台にあったにもかかわらず、1階が完全に水没した。七十七銀行女川支店では屋上に避難していた行員13人が流され12人が亡くなるなど、犠牲者は約900人であり、浸水域人口に対する犠牲者率は当震災において最大の11.97%であった。一方で5階建ての生涯学習センターでは、屋根付近まで水没したにもかかわらず、鉄扉で密閉され窓もなかったボイラー室に避難した30人弱が無事であった。

石巻市は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。

市内北東部、リアス式海岸に当たる旧雄勝町、旧北上町、旧河北町の沿岸はほぼ完全に壊滅した。3階建ての雄勝病院は完全に水没し、入院患者と職員の65人が流されて生存者は3人、北上川の河口北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけだった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5km上流に位置する石巻市立大川小学校(旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった[63][64]

市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きの取れない渋滞が発生し、そのまま津波に飲まれる者も多かった。前市長であった土井喜美夫[65]も犠牲となった。

東松島市では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込み、指定避難場所が津波に飲まれた。その一方で、個人が作った避難所によって約70人が津波の被害を免れた[66]。このほか、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅し、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。

多賀城市は、仙台市のベッドタウンであり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川河口のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。

仙台市は104.7万人(2011年3月1日推計人口[67]を擁する政令指定都市であったが、沿岸部の仙台平野の大部分が開発が制限される市街化調整区域であり、田園地帯が広がっていた[68]ため、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である若林区荒浜地区や宮城野区中野蒲生地区が壊滅し、また仙台港一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3-4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある仙台市消防ヘリポートも被害を受け、津波到達前に離陸した2機のヘリ以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。

名取市では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上(ゆりあげ)地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋が死亡事故により通行止めとなり、地区内で渋滞が発生し、犠牲者を増やす要因ともなった。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。

岩沼市は市域の48%が浸水し200人弱が、亘理町でも町域の48%が浸水し300人弱が犠牲となった。仙台市や名取市同様に中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部の集落が壊滅した。亘理町では元女子サッカー選手の佐藤恵利子[69]も犠牲となった。

山元町では町域の38%が浸水した。養護老人ホーム「梅香園」と併設するケアハウスで82人が犠牲に、常磐山元自動車学校の送迎バス5台が津波に飲まれ、教習生と教官の39人が犠牲になる[70]など700人弱が犠牲となった。

この他に、七ヶ浜町でも甚大な被害を受けた。

一方、松島町塩竈市は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは浦戸諸島とその奥にある松島湾内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される[71]。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微だったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生したことに変わりはない。

福島県

福島県は、沖合の全域が震源域となり、宮城県や茨城県と共に激震であった。

津波の被害としては、浸水面積は112km2と岩手県を上回っている。しかし、福島県の沿岸部は漁港が少なく、港を中心とした市街地形成が成り立ちにくい県であった(日本の漁港一覧によると、岩手県111箇所と宮城県114箇所に対して、福島県10箇所)。沿岸市町村の中心市街地は、海岸線より数km内陸にあったため、浸水域人口は7万人弱、浸水域の人口密度は600人/km2と、ともに3県で最も少なく、犠牲者数も比例して少なく済んだといえる(ただし、浸水域の人口が宮城県の1/5で、犠牲者が1/6であるため、犠牲率で見るとほぼ同じである)。

福島県沿岸は、仙台市以南から千葉県まで続く単調な海岸線で、過去に津波の伝承すら皆無だったために、住民の意識の低い中で津波に襲われた。広大な震源域の中に存在した3箇所の大きな断層破壊の1つが茨城県北部近海であり、県南部のいわき市に最も早く津波が到達して北上し、宮城県沖で発生して南下してきた津波の動きと複雑に交わったとみられる。福島第一原子力発電所付近(大熊町)で15m、隣接する富岡町付近で20mと、周囲に比べても地形に特段の違いがないにも関わらず極端に高い津波高を観測していることから、この付近では南北方向からの津波が増幅し合ったと推測される。

漁港のある自治体で100人以上の犠牲者があり、相馬市で約450人、南相馬市で650人以上、いわき市で約350人以上、浪江町で200人弱、新地町で100人以上が犠牲になるなど、甚大な被害を受けた。

この他に、双葉郡の双葉町大熊町富岡町楢葉町広野町の沿岸も大きな被害が出たが、沿岸集落がごく小規模かほとんどなかったため、それぞれ数十人の犠牲者であった。

双葉郡は漁港が未発達で産業に乏しかった過去から、積極的に東京電力の電力供給地となり、福島第一原子力発電所福島第二原子力発電所広野火力発電所と日本有数の電力供給源になっていた。そこを津波が襲来し、日本がかつて経験したことのない全電源喪失による福島第一原子力発電所事故の発生へと繋がっていく。

大熊町では、双葉病院に入院中の認知症患者と、隣接する老人介護施設の高齢者のうち227人が一時取り残された。原子炉が水素爆発して20 - 30km圏内の住民10万人以上が周囲に避難する混乱の中、132人は医師・看護師を同乗させないまま観光用バスに乗せられ、13時間かけて200km移動した。残りの95人は5日後に自衛隊によって救助されたが、最終的に50人が衰弱死した。

このように、福島県では強制的な避難によって避難所を転々とする中で高齢者の犠牲になる事例が多く、震災関連死の認定者数も最も多い。

また、放射性物質の拡散は双葉郡に留まらず福島県の広範囲に広がった。12日20時には25キロ北の南相馬市で20μSV/h、15日4時には40キロ南のいわき市で24μSV/hの最大値を計測した。晴れていたため風と共に通り過ぎる一時的な上昇であり、時間と共に低減していった。最も深刻な被害を及ぼしたのは、3月15日6時頃に発生した2号機の圧力抑制室の損傷である。9時には正門付近で11,930μSv/hを計測し、最大量の放射性物質が放出されたとみられるこの日は、午後には南東からの風に乗り、北西方面へと流れた。40km離れた飯舘村では16時に23μSV/hと急上昇し18時半には45μSV/h、伊達市を経由し、60km離れた福島市でも17時に22μSV/hと急上昇し19時半には24μSV/hを計測した。南東の風が長時間続き、高濃度の放射性物質が流れ込んでいる所に、不運な事に17時頃から県内各地で雨(雪)が降り始めたため、放射性物質は地面に落ちて土壌に沈着した。このため、北西方面に伸びるように深刻な土壌汚染を引き起こし、そこから発する放射性物質は長期に渡ってさまざまな被害を及ぼした。

飯舘村や伊達郡川俣町の一部は1ヶ月後、伊達市の一部は3ヶ月後に避難指定を受けたが、福島市などの中通り北部を中心に母子避難や妊婦避難など数万人単位の自主避難者が発生した。

地震の揺れ自体でも、福島県は被害は大きく、犠牲者数も最も多かった。内陸の中通り地方でも被害が目立ち、白河市では六反山が大規模に崩落し13人死亡、須賀川市では藤沼ダムが決壊し土石流となって下流の集落を押し流し8人が犠牲[72]郡山市では市役所の一部が倒壊し1人犠牲になるなどした。

この白河市から郡山市にかけての中通り中南部は他県の内陸市町村に比べて家屋損壊も際立っており、矢吹町では総戸数の30%の家屋が全半壊、鏡石町では総戸数の23%の家屋が全半壊、郡山市では2万戸が全半壊、これらは共に津波被害のない内陸市町村としては最大級であった。

また1ヶ月後の4月11日には、いわき市南部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震(福島県浜通り地震)が発生(震度6弱)した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十kmに渡ってそれぞれずれ動き、市内至る所で断層の出現や土砂崩れ、地割れが相次ぎ4人が犠牲となった。

茨城県

茨城県は、沖合が震源域となり、そのうえ関東平野の弱い地盤も重なって、宮城県や福島県と共に広範囲で激震を観測した。

地震の揺れ自体による被害としては、震度6以上の揺れを観測した市町村は29市町村であり、これは宮城県26市町村、福島県33市町村と並んで多かった。NEXCO東日本の各ICに設置された震度計で震度6強相当以上を観測したのも、宮城県6地点と福島県6地点に次いで茨城県3地点であり、その中でも最大震度を観測したのは水戸南ICであった。

そのため、揺れによる家屋損壊も福島県と宮城県に次いで大きく、犠牲者数も福島県に次ぐ多さであった。

東海村常陸那珂火力発電所の煙突200m付近で作業員9人が作業中だったが、鋼鉄製の床板とともに転落した4人が犠牲に、行方市では鹿行大橋が崩落し1人が犠牲になるなどした。

津波の被害としては、浸水面積は23㎢であり、福島県と接する北茨城市で犠牲者が出た。また、高萩市日立市ひたちなか市大洗町神栖市などで市街地が浸水した。

液状化現象の被害も広範囲であり、特に霞ヶ浦・北浦南岸から利根川下流一帯の潮来市、神栖市、鹿嶋市稲敷市などで被害が大きく、1万戸弱が被害を受けた。

千葉県

津波の被害としては、浸水面積は17㎢であり、旭市で犠牲者が出た。また、銚子市山武市など北東の沿岸部が浸水した。

液状化現象による被害としては、東京湾岸の埋め立て地で液状化現象が相次ぎ、特に市域の大部分が埋め立て地であった浦安市では深刻な被害が発生した。

我孫子市布佐(ふさ)東部地区[注 1]液状化では119棟の家屋が全壊扱いとなった。我孫子市は2012年1月時点での倒壊恐れのある約50棟に解体を要請したが、修理して住み続ける人もいた[注 2][73]

香取市佐原にある伊能忠敬旧宅でも震度6の地震動により被害が生じ[74]、歴史的建造物が並ぶ小野川の護岸が一部崩れ、「正文堂書店」のほとんどの屋根瓦が落ちるなど、利根川河川敷など香取市内で大きく液状化被害があった[75]。 「大原幽学遺跡旧宅」(旭市、国史跡)ので敷地の地割れや地盤沈下、「旧堀田家住宅」(佐倉市)では漆喰に亀裂が入り、「法華経寺法華堂」(市川市)で、天蓋の飾りの一部が落ちた[76]


また、市原市にあるコスモ石油千葉製油所では大規模なコンビナート火災が発生した。


虎馬:東日本大震災 - W   

関連:
311東北地方太平洋沖地震 - W【序】(再確認) 
311東北地方太平洋沖地震 - W【前】(再確認)   
311東北地方太平洋沖地震 - W【中】(再確認) 
311東北地方太平洋沖地震 - W【後】(再確認) 
311東北地方太平洋沖地震 - W【終】(再確認) 
カテゴリ別アーカイブ
プロフィール

GRAMZAN

QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ