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キングダム (漫画)

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キングダム
ジャンル伝奇武侠
戦国時代 (中国)中国史
青年漫画
漫画
作者原泰久
出版社集英社
掲載誌週刊ヤングジャンプ
レーベルヤングジャンプ・コミックス
発表期間2006年9号 - 連載中
巻数既刊35巻(2014年7月現在)
ゲーム:キングダム 一騎闘千の剣
ゲームジャンル3Dバトルアクションゲーム
対応機種PlayStation Portable
開発元コナミデジタルエンタテインメント
メディアUMD
プレイ人数1 - 3人
発売日2010年11月25日
レイティングCEROB(12才以上対象)
アニメ:キングダム
原作原泰久
監督神谷純(第1期)
岩永彰(第2期)
シリーズ構成荒川稔久
脚本荒川稔久、白石雅彦、村山桂
玉井豪、和智正喜
キャラクターデザイン戸部敦夫、大竹紀子、波間田正俊(第1期)
竹田逸子、徳永久美子、下島誠(第2期)
音楽関美奈子
アニメーション制作ぴえろ
製作NHK総合ビジョン、ぴえろ
放送局NHK BSプレミアム
放送期間第1期:2012年6月4日 - 2013年2月25日
第2期:2013年6月8日 - 2014年3月1日
話数第1期:全38話 / 第2期:全39話
テンプレート - ノート
ウィキプロジェクト漫画ゲームアニメ
ポータル漫画ゲームアニメ

キングダム』は、原泰久による日本漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて、2006年9号より連載中。第17回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作。



概要[編集]

中国春秋戦国時代を舞台に、大将軍を目指す少年・と後の始皇帝となる王・政の活躍を中心に、戦乱の世を描く。

単行本の累計発行部数は1100万部以上。

2008年に集英社が運営するインターネットラジオサイト『VOMIC』にて、全8回のラジオドラマが放送された。また、2010年11月にコナミデジタルエンタテインメントからPSP用ゲームが発売された。

2010年7月、8月に総集編1、2が発売された。詳細は後述

『週刊ヤングジャンプ』2011年51号にてテレビアニメ化が発表され、2012年6月から2013年2月にかけて第1シリーズが、2013年6月から2014年3月にかけて第2シリーズがNHK BSプレミアムにて放送された。それぞれ、BSプレミアムでの放送後にNHK総合で地上波放送されている。

あらすじ[編集]

嬴政との邂逅 - 王弟反乱(1巻 - 4巻)
時代は、紀元前。500年の争乱が続く春秋戦国時代、中国西方の国・秦の片田舎に「(しん)」と「(ひょう)」と言う名の2人の戦災孤児がいた。2人は、下僕の身分ながら、「武功により天下の大将軍になる」という夢を抱き、日々、剣の修行に明け暮れていた。
やがて、大臣である昌文君に見出されて1人仕官した漂だったが、ある夜、残された信の元へ深手を負って戻って来る。息絶えた漂から託された信が辿り着いた目的地には、漂と瓜二つの少年がいた。その少年こそ秦国・第31代目の王である(せい)であった。漂が命を落とす原因となった政に怒りをぶつける信だったが、自らに託された漂の思いと自らの夢のために、「王弟の反乱」そして乱世の天下に身を投じるのだった。
初陣(5巻 - 7巻)
反乱鎮圧の功績により平民の身分を得た信は三ヶ月後、兵卒として対魏攻防戦で初陣を迎える。劣勢の秦軍の中で信らのは奮闘し、千人将・縛虎申と共に魏軍副将・宮元を斃して戦場の要地を奪る。
そこに突如現れた秦の怪鳥・王騎。信は図らずも天下の大将軍と会話する機会を得る。
戦は秦・魏両軍の総大将同士の一騎打ちで決着し、勝利した秦軍は帰国の途についた。
暗殺者襲来(8巻 - 10巻)
秦王・政を弑すべく、王宮に暗殺者の集団が放たれた。百将に昇進した信はこれを迎え撃つが、暗殺団の中に戦場を共にした羌瘣の姿を見つける。彼、否彼女こそは伝説の刺客「蚩尤」に名を連ねる者だった。舞を思わせる剣技に圧倒されるが、他の暗殺団の到着に図らずも共闘することになる。
辛くも暗殺団を撃退、生き残りの口から出た首謀者の名は現丞相・呂不韋であった。今は手を出せぬ巨大な敵に、政・信らは忍耐を余儀なくされる。
秦趙攻防戦 - 王騎の死(11巻 - 16巻)
韓を攻める秦国の隙をつき、積年の恨みを抱く趙軍が侵攻してきた。急報に防衛軍を編成する秦、率いるは最後の六将王騎。
信の率いる百人隊は緒戦で王騎の特命を受け、趙将馮忌を討つ。飛信隊の名をもらった信は、将軍への道を垣間見た。
蒙武軍の覚醒もあって敵軍師・趙荘の采配を悉く上回る王騎であったが、総大将の三大天・龐煖との決着をつけるべく、罠を承知で本陣を進める。龐煖とは、妻になるはずだった六将・摎を討たれていた王騎にとって因縁深き間柄だった。
本軍同士が激突し、総大将同士が一騎打ちを戦う最高潮の中、突如秦軍の背後に未知の新手が姿を見せる。率いるのはもう一人の三大天・李牧であった。一転して死地に追い込まれた秦軍、一瞬の隙を突かれて王騎も致命傷を負う。
信に背負われ激戦の末脱出に成功した王騎は、信に自らの鉾を託し、蒙武他将兵に多くのものを残して逝った。
秦趙同盟 - 山陽攻略戦(17巻 - 23巻)
王騎亡き後、諸国に国境を侵され始める中、三百人隊に増強された飛信隊は各地を転戦していた。そんな中、丞相・呂不韋の画策により趙国宰相が秦を訪れることが伝わる。その宰相こそ誰あろう李牧その人であり、秦趙同盟というとてつもない土産を携えていた。同盟成立後の宴席で李牧と直接話す機会を得た信は、李牧を戦場で斃すことを宣言した。
秦趙同盟の効果は早くも現れ、要衝の地・山陽の奪取を目的とした、対魏侵攻戦が開始される。総指揮官は白老・蒙驁。遠征軍に加わった飛信隊は同じく三百人隊の玉鳳隊(隊長・王賁)、楽華隊(隊長・蒙恬)と競い合いながら功を挙げていく。
進撃する秦軍の前に立ちはだかった魏軍は、想像だにしなかった大物・元趙軍三大天の廉頗に率いられていた。廉頗の登場で全中華が注目する中、秦・魏両軍は決戦の火ぶたを切る。かつての六将に伍すると評される王翦・桓騎の両名を副将に擁する秦軍と、廉頗四天王が率いる魏軍の間で交わされる激戦の中、信は四天王の輪虎を死闘の末討ち取り、戦功第三位の大手柄を挙げる。
ついに相対した総大将同士の一騎打ちの中、蒙驁は六将と三大天の時代の終わりを廉頗に告げる。自らの存命を理由にそれを否定する廉頗であったが輪虎を討ち取った信から王騎の最期を聴き時代の流れを悟る。敗北を認めた廉頗は信に六将と三大天の伝説を塗り替える唯一の方法を教え、堂々と去って行った。
幕間(23巻 - 24巻)
先の戦功により正式に千人隊に昇格した飛信隊であったが戦術の要であった羌瘣が去り、連戦連敗を重ねていた。隊解散の危機に陥るが、立派な軍師に成長した河了貂の加入により救われる。
他方、秦の山陽奪取により生まれた新たな情勢に対し、李牧はある決意を固め動き出す。
合従軍侵攻 - 函谷関攻防戦(25巻 - 30巻)
南の大国・楚に侵攻されただけでなく、同時に北や東からも攻め寄せて来た敵の大軍勢によって、大小様々な城塞を易々と失陥するという凶報が秦の国都・咸陽へ続々ともたらされた。秦の本営に立て直す間も与えぬ破壊力を示し、かつ進撃を止めぬ侵攻軍。これこそ、李牧が画策し、発動させた多国籍連合『合従軍』であった。
たった一国で他国全部を迎え撃つために、秦国の本営はそれまでの防衛線を一切放棄し、国門・函谷関での集中防衛に国運を賭けた。
合従軍侵攻 - 蕞防衛戦(31巻 - 33巻)
北門の函谷関では秦軍諸将の奮戦もあって最大の窮地を凌ぎきったものの、南門の武関から咸陽に至る道沿いの城が次々と陥落するという不測の事態が発生する。李牧が自ら別働軍を率い、国都咸陽を陥落させるべく電撃戦を開始したのであった。この動きを察知した麃公や飛信隊の猛追が間に合うものの、龐煖との一騎打ちの末に麃公を討たれてしまい、飛信隊も敗走を余儀なくされる。
この頃、呂不韋が不穏な画策をするなど内外から危機の迫る咸陽を、国を守る最後の拠点・蕞を防衛すべく、政は自ら出陣する。
幕間(34巻)
合従軍を辛くも撃退し、亡国の危機を脱した秦国では戦災復興と国境防備の再編に追われていた。一方、列国でも李牧や春申君ら合従軍を主導した要人らが遠征に失敗した責により左遷され、国体の変化を遂げつつあった。
その頃、飛信隊を離脱して久しい羌瘣は、同族の羌明からの情報によって仇敵・幽連の居所を突き止め、決戦の地へ乗り込んだ。しかしその情報も策謀に富む幽連の仕組んだ罠で、待ち伏せていた幽族の手練れ30人余に襲われる羌瘣。それでも絶え間なく迫る白刃を掻い潜り、手練れを幾人も斬り伏せ、幽連に一太刀浴びせんとしたところ、簡単に跳ね返される。巫舞すら要らぬ幽連は、羌瘣の想像を遥かに超える怪物と成っていた。
王弟謀反(35巻)
合従軍以来、久しく無かった趙軍の襲来を退けた屯留から、突如『王弟謀反』の一報が咸陽にもたらされた。2度目の造反とはいうものの、屯留の危機に自ら立ち上がった成蟜の人間的成長を認める政としては、にわかに信じがたい。そこで新将軍の壁に討伐軍を託すとともに、密命を課した。

登場人物[編集]

の項はテレビアニメ版 / VOMIC版 / ゲーム版の順。1人しか記載されていない場合はアニメ版のキャストとし、それ以外のものは別途記載する。

主要人物[編集]

(しん)
声 - 森田成一(幼少期:福井美樹) / 鈴木千尋 / 阿部敦 / 吉村和紘(VOMIC++)
戦争孤児の少年。低い身分から自らの腕で「天下の大将軍」となることを目指す。1話冒頭で「李信」と呼ばれている。豪気且つ直情径行で、自分の意志を貫く頑強な心を持つ。ただ礼儀作法は知らず、秦王である嬴政も堂々と呼び捨てている。
相手が格上であってもそれに比例して自分の実力を底上げする武の天稟の持ち主。漂によると「自分が勝てない相手に信は勝つことができる」と言う。当初は自分の武力で全てを片付けようとする猪突猛進型であったが、王騎からの修行や助言、幾多の経験を経て「将軍」としての実力を身につけていく。
王都奪還編後、昌文君から恩賞として土地と家(小屋)を与えられ下僕から平民となる。更に対魏国戦争における武勲により、まだ少年ながら百人将へ取り立てられる。軍侵攻編では王騎に「飛信隊」の名を貰い、趙将の馮忌を討ち取ると言う大功を上げる。その後、煖の夜襲によって大半の隊員を失うものの、生き残った仲間たちと王騎の最期に立ち会い、王騎から矛を譲り受けた[注 1]
趙との戦争の後は三百人将へ格上げされ、廉頗率いる魏軍との決戦直前に蒙恬や王賁とともに臨時千人将となった。その戦いの終盤、廉頗四天王の一人である輪虎を激戦の末に討ち果たし、正式に千人将へと昇進する。昇進直後は羌瘣が離脱したことと千人隊の規模の大きさが災いして連戦連敗を喫したが、貂が軍師として参入したことで持ち直した。
対合従軍戦では公軍へと組み込まれ、趙将の万極を討ち取った。この際、公に本能型の才気があると評され、公の軍から隊員を補充され実質的に三千人将となる。その後、麃公の最期にも立ち合い、麃公から盾を託された。そして、叢の戦いの終盤では龐煖と一騎打ちを行い、龐煖を撃退する。
対合従軍戦終結後、論功行賞で三つの特別準功の一つとして正式に三千人将に昇進し、飛信隊を率いて国境の防衛と復興に向かった。屯留の反乱が起こった頃には四千人将に昇進しており、王騎の矛を使う準備の為に矛を使用している。謀略に嵌められた成蟜を救出する為に飛信隊を率いて屯留へ向かうが、成矯の救出には間に合わなかった。
著雍争奪戦では、魏軍本陣を陥落させる為の三つの主攻の一つを任される。
漂(ひょう)
声 - 福山潤(幼少期:金田アキ) / 斎賀みつき / なし
信の幼馴染の親友。信と共に大将軍になることを夢見て武芸の稽古に明け暮れた。対戦成績は1253戦334勝332敗587引き分け+2戦分(勝敗不明)。
政と瓜二つの容姿により、昌文君に身請けされ王宮に仕官する(その役割は政の影武者であり、宮殿に着くまで召し抱えられた理由を聞かされなかったが、最終的に納得した)。王弟反乱の際、刺客の徐完に深手を負わされながら村へと戻り、信に全てを託して力尽き死亡した。恐らく初陣ながらも政の影武者としての役割を全うし、窮地に陥りながらも兵を鼓舞し、戦う姿は既に将であったと壁が語っている。
葬儀の際には、隣村から弔問する者が居るほど様々な人に慕われていた。
嬴政(えい せい)
声 - 福山潤 (幼少期:金田アキ) / 朴璐美 / 同左
秦国の若き王。後の始皇帝。漂と瓜二つの容姿をしている。
出生の関係から幼少時代を趙国で育ち、その際、趙の人々に憎しみの対象として虐げられていたため、味覚・痛覚・嗅覚が全く無く、他人を一切信じようとしない荒んだ性格であった。昭王の崩御後、秦国への帰路で紫夏との出会いを通じて失っていた五感や人を信じる気持ちを取り戻した。
現在の性格は冷静でポーカーフェイスを崩さないが、昌文君や信たちのことを信頼している。武芸にも長けており、信の胸倉を掴んで片手で持ち上げるなど腕力も高い。
王都奪還の際、中華を統一する最初の王になると公言し、成人して正式に王となるために呂不韋陣営と政争を繰り広げる。
対合従軍戦終盤、南道から進軍してきた趙軍に対抗するため、自ら最後の戦場となる蕞へ向けて出陣する。蕞の戦いの中盤で士気を極限まで高める為に自ら前線に出て戦うが、その際に重傷を負った。しかし、翌日には重傷を隠して兵たちを鼓舞し続け、7日目に勝利を得た。
河了貂(かりょう てん)
声 - 釘宮理恵 / 小林由美子 / 同左
黒卑村に住んでいた、梟鳴(きゅうめい)という山民族の末裔。鳥の頭を模した蓑を被っており、初めて見る者は謎の生き物と思う事が多い模様。
当初は金のために政と信に協力していたが、共に行動するうちに懐いていき、やがて仲間となる。やや幼い容姿と着ている蓑のために、登場時はどちらの性別か不明であった。王都奪還編のときに女性と明らかになるが、貂がそのことを明かさなかったために、信は長い間気づいていなかった。
得物の吹き矢は、王都奪還編でムタから貰ったものである。非力な彼女はこれを気に入っている。
幼くして天涯孤独になって以降、一人で生き抜いていくために様々な知識や技能を身につけており、字を読むこともでき、史についても学んでいる。特に料理の腕前は、冷徹な羌が我を忘れるほど一級品。
王都奪還後は信と共に暮らしていたが、段を飛ばして力をつけていく信や同じ女性でありながら凄まじい強さを持つ羌の姿を見て自分も同じ場所に立ちたいと思うようになり、軍師になることを決める。羌瘣の紹介により昌平君の下で蒙毅と共に兵法を学び、千人隊の長となった信のもとへ軍師として戻る。また、この際に自分が女性であることを信に明かした。当初はその容姿や性別から飛信隊の面々に侮られ、信用されなかったが、的確に状況を判断して策を指示し、隊の窮地を救ったことで受け入れられた。
その後も軍師として活躍し、対合従軍戦の終盤の蕞の戦いでは軍師の一人として参戦するが、蕞の城壁から落下しそうになったカイネを思わず助けたりするなど、非情に徹しきれない一面を見せた。
(きょう かい)
声 - 日笠陽子 / なし / 沢城みゆき
伝説の刺客一族「蚩尤」の後継候補として育てられた羌族の少女。年齢は信の一つ下。緑穂(りょくすい)という剣を武器に戦う。
蚩尤を決める“祭”で姉のように慕っていた羌象を謀殺された事から、復讐のためだけに生きる道を選び、里を出奔。しかし一族からは、“祭”で勝ち残ってもいないのに外界へ出ているため、裏切り者と呼ばれている。
対魏国戦争編で澤圭の伍の一人として登場し、初陣の信と出会う。その後の刺客襲来編を経て、趙軍襲来編で百人隊として結成された飛信隊の副長となる。山陽攻略編で飛信隊が三百人に増強されてからは、その剣技に加え、戦術立案でも隊を支えていく。登場時は他人との慣れ合いを嫌っていたが、徐々に周囲に心を開くようになり、飛信隊を自分の居場所だと思うようになる。しかし自分の道はあくまで仇討ちの先にあり、このままでは先に進めないという思いから、山陽戦決着の後、再び戻ってくることを約束し、飛信隊と別れて仇討ちの旅へと出発した。
合従軍と戦い終えた飛信隊が秦国国境の戦災村落で防衛と復興に務めている頃に、同族の羌明からの情報で趙国の老山山中で遂に仇の幽連と遭遇する。だが策を巡らす幽連によって幽族の巫舞使いたちに包囲され、斬り掛かられる。幽族の巫舞使いたちは自身の巫舞で撃退したが、“祭”をくぐった幽連に苦戦する。しかし、重傷を負って意識が混濁したことで飛信隊との絆を思い出し、禁忌である“魄領の禁”に入り込んでも飛信隊との絆が一条の光となって戻ることが可能となり、遂に幽連を討ち果たした。そして、羌象を思いながらも外の世界で精いっぱい生きる事を誓って、飛信隊を離れて362日目に帰途に付いた。そして飛信隊に帰還し、帰還前に立てた二つの目標の一つ目である、戦いの道に身を置く者たちの頂点である大将軍になるという願いを叶える為に、戦功を重ねる。屯留の反乱が起こった頃には、千人将に昇進していた。
作中、徐々に信に対して信頼を寄せてきたり(現在はほぼ信頼している)、気遣ったりしている場面がよく見られるようになる。特に、秦趙同盟の席にて舞妓に鼻の下をのばす信を蹴ったり、河了貂と二人きり(実際には政もいたが)になろうとする信に疎外感を覚えたりと、恋愛感情のようなものを持っているようにも見える。後に飛信隊への帰還前に立てた二つの目標の二つ目である、信の子を産むという願いにその想いが反映していたが、河了貂から子作りについての詳細を聞かされたことで、しばらく信を避けていた。

秦国[編集]

王族[編集]

(せいきょう)
声 - 宮田幸季 / 阿部敦 / なし
政の異母弟で王弟。公主(王族の娘)の子であり、王族は崇高な存在であると言う考えから、自らの血筋に誇りを持っていた。
しかし、それまで存在すら知らされていなかった異母兄・政へ王位継承権が移ったことを知り、また平民の血を引くと言う理由から政を憎み、王位を奪うため竭氏と組んでクーデターを起こすも失敗。反乱を鎮圧された後は永らく軟禁されていたが、呂不韋との権力争いで劣勢だった政によって解放され、見返りに協力を行う。その過程で兄の存在を認め、人間的にも成長する。
始皇8年に有力支持基盤である屯留を侵攻されるも、自ら出征して趙軍を一時的に撃退する。ところが屯留の城主代行・蒲鶮によって拘束された上に、反乱軍の首謀者に仕立て上げられてしまう。中央からの鎮圧軍との戦闘の最中に、見張り兵たちを買収して幽閉先から脱出。妻・瑠衣の救出に向かうも、遭遇した蒲鶮兵との交戦で重傷を負う。何とか瑠衣を救出するが、途中で追っ手の気配に気づいて瑠衣に救援を呼びに行かせる。そして追ってきた蒲鶮たちを斬り殺すが、信たちが駆け付けた時には手の施しようのない状態になっていた。瑠衣には自身の亡き後の一派の取りまとめと政一派への一本化を頼んだ。また信のことは詳細に調べ上げて現状を把握しており、信に政の剣であり盾として中華統一の為に、長平の戦い以上の怨念を背負う覚悟を問いて信の覚悟を聞いた。そして、瑠衣の腕の中で息を引き取った。
瑠衣(るい)
の妻(第一夫人)で、秦国の公女。趙国系住民の多い街・屯留の出身で、幼い頃から「王の后」となる名目で成に近侍する。深い愛情を寄せる成が王位簒奪に失敗して失墜した後も、その元を離れることはなかった。嬴政との関係は疎遠ではないものの、当初はよく思っていなかった模様。
屯留へ里帰りしていた始皇8年、趙軍を撃退した成蟜軍が反乱軍に仕立て上げられる頃には首謀者の蒲鶮に拘束され、屯留の一番奥の牢に幽閉されていた。同様に別の牢に幽閉されていた成蟜に助け出されると、重傷の成蟜の指示で先に救援を呼びに向かった。そして信たちを連れて戻るも、成蟜は既に手の施しようのない状態だった。末期の夫から、亡き後の成蟜一派の取りまとめを託されると、夫の最期を見届けて号泣した。咸陽への生還後には政を兄王様と呼んで、成蟜の予想に反して一割程度しか去らなかった成蟜一派を率いて呂不韋の打倒を誓った。
麗(れい)
始皇7年に、嬴政と向の間に生まれた娘。
昭王(しょうおう)
声 - 金尾哲夫
政の曽祖父の秦王。故人。
在位55年のほとんどを戦に明け暮れ、戦神と呼ばれた。王騎を始めとして秦国中の武人に慕われた王であり、王騎曰く中華統一に夢憧れる少年のような瞳を持った奇特な王。晩年には、目元を隠す仮面の様なものを付けていた。
荘襄王(そうじょうおう)
前秦王で、政と成の父。
元は王位継承者としての順位も低く、趙国の人質となっていたが呂不韋の力で秦王となった。既に亡くなっており、回想シーンでのみ登場する。
王となったものの、実際には呂不韋の操り人形同然であった。
穆公(ぼくこう)
秦の第九代君主。政の先祖。
回想シーンと作者の読み切り作品『馬酒兵三百』に登場。

重臣・高官[編集]

昌文君(しょうぶんくん)
声 - 仲野裕 / 秋元羊介 / 玄田哲章
政に忠誠を誓う秦国の文官で、後に左丞相へ昇進。
かつては昭王の時代から最前線で戦って来た生粋の武人であり、自国で知られていなかった摎の死因を秘匿していたなど、豊富な実戦の経験を持つ。
王都奪還後に文官として(王弟反乱の前に武官から文官に転向していた)、自らの派閥を秦王派として立ち上げる。このとき王都奪還の際に無力であった自分を恥じ、文官の極みである丞相を目指すことを誓っていた。
末席文官の頃、発言力はさほど無くとも、前線での経験の多い軍事に関しては、国軍司令官の昌平君に助言を求められる程である。かつては王騎からも武骨な賢人として高く評価され、摎の素性に関する重大な秘密を打ち明けられている。
呂不韋の相国昇格に伴い、その昇格を逆手に取った政陣営によって左丞相となった。
対合従軍戦の終盤の蕞の戦いでは、政に同行して参戦した。
竭(けつ)氏
声 - 辻親八 / 遠藤大輔 / なし
秦国の元左丞相。
呂氏を蹴落とし大臣の頂点を狙う野心家であり、王位を奪った後の国政委任を約束してくれた成と共にクーデターを起こした。
その後、山の民の協力を得て王都を奪還に来た政一派との戦闘により、命を落とした。
肆(し)氏
声 - 高瀬右光
元竭氏の参謀。
王弟派の反乱鎮圧後、反乱は不問とされ竭氏勢力の残党を任される。後に政の陣営に加わり、側近の一人として信任を得ている。
呂不韋(りょ ふい)
声 - 玄田哲章
元商人の立場から前秦王「荘襄王」を秦王にした功績で秦の右丞相となった男。秦の王宮内を竭氏と二分し、権力争いを繰り広げる。
王弟反乱鎮圧後は秦国における最大の勢力となり、政に代わって政治を執り行っている。その裏では政の暗殺を企む(蔡沢曰く遊び心によるもの)など、様々な思惑がある模様。
太后と密通してまで後宮勢力を味方に付けたために、政権争いが大きく動くこととなる。現在は丞相の上の相国という地位に就いている。
昌平君(しょうへいくん)
声 - 諏訪部順一
の公子で、呂不韋四柱の一人。呂不韋の相国昇格に伴い、秦国の右丞相と成った。蒙武とは幼馴染であり、親友。国軍の司令官であり、軍師育成機関を運営する等、事実上秦国の軍事の責任者。
知略を重んじる軍略家だが、李牧の纏う武の空気を感じ取るなど、武人としての一面も持つ。実戦の指揮をとる場面はないが、同じく四柱の一人である蔡沢から「蒙武より強い男」と評されている。
優秀な若者を調査し、食客として招くなど人材収集には余念がない。特に現在は王弟反乱や魏国との戦争、さらには刺客襲来の際に政を守った信を最も手に入れたい若者と発言した。
李斯(り し)
声 - 青木強
呂不韋四柱の一人。法の番人の異名を持つ。呂不韋の相国昇格に伴って、左丞相への抜擢を有力視されていたが、成蟜を加えて勢力を増した政陣営の昌文君に左丞相の座を奪われた。
確実さを重視する生真面目な性格の為、商人の視点から物事を見る呂不韋の考えを理解できず振り回される事が多い。
蔡沢(さい たく)
声 - 千田光男
呂不韋四柱の一人。昭王時代の丞相であり、現在は外交を司る最高官として、出身国の国との交渉を担当している。王を軽んずるような人物ではないが、「強き者にのみ仕える」という考え方を持っている。
合従軍の襲来時には、ちょうど他国に居たことが幸いし、斉国王に謁見。斉国の合従軍離脱を説得し、成功させた。

その他の廷臣[編集]

道剣(どう けん)
声 - 星野充昭
昭王の時代の家臣。政がまだ趙国の首都・邯鄲にいた際、その脱出の手引きをするため、商人・紫夏に協力を要請した。脱出戦の際に全身に矢を受けて死亡した。
単元(たん げん) / 田慈(でん じ)
声 - 林和良(単元) / 森田成一(田慈)
昭王の時代の家臣。道剣に従って政の脱出を手引きする。脱出戦の際に、いずれも戦死した。
寿白(じゅ はく)
の元教育係を務めた老臣で、瑠衣とともに失脚後の成を見捨てなかった数少ない忠臣。嬴政によって復権された後の成の成長を頼もしく思っている。始皇8年に成蟜に同行して従軍するが、屯留城内で蒲鶮によって成蟜と共に拘束され、成蟜と同じ牢に幽閉される。その後、成蟜と共に脱獄するが、瑠衣を救出に向かう途中で蒲鶮兵に発見されて、成蟜をかばって死亡した。
蒲鶮(ほ かく)
趙国に近い屯留で城主代行を務める男。一年前に屯留に現れた新参者のようで成はおろか瑠衣ですらその存在を知らなかったが、治政能力はあったようで城主である瑠衣の曾祖母からは信任を得ていた。しかし裏で呂不韋と通じており、始皇8年に成蟜軍が趙軍を撃退した前後に瑠衣を拘束した上に、屯留城内で成蟜たちを拘束した。そして成蟜を反乱の首謀者に仕立て上げて、屯留の反乱を引き起こした。本来の計画では、鎮圧軍が屯留城内に侵入した時点で成蟜の首を刎ねて差し出すことで反乱の真の首謀者である事実を隠蔽して、褒美として瑠衣と屯留を手中に収める予定だったが、成蟜が脱獄した事で計画が狂い、兵を率いて成蟜を追うが、待ち構えていた成蟜に斬り殺された。

将軍たち[編集]

王騎(おう き)
声 - 小山力也 / なし / 中田譲治
秦国六大将軍の一人。そしてかつて昌文君と共に昭王に仕え、中華全土に名を馳せた武人。
かつてありとあらゆる戦場にどこからともなく参戦し、その武で猛威を振るったことからついたあだ名が「秦の怪鳥」。個人的武勇と戦場全体を見渡せる知略の双方を兼ね備える、最強の六大将軍。その首を取れば50の城をとるよりも価値がある、生きる伝説等敵味方問わずその評価は高い。また六将・の出生の秘密を知る一人であり、同時に、摎の想われ人でもあった。
昭王に心酔し、その亡き後は仕えるべき主あらずと一線を退いていたが、趙軍侵攻編にて突如として復帰し蒙武を退けて秦軍総大将となる。復帰する前にも政の動きに介入、手助けするなど、昭王の後継者として政を推し量っていた場面が見られる。また、直属軍の調練や後進の育成として信の成長を促すなど、軍事力維持に余念がなかった。
趙軍との戦における序盤は趙軍を圧倒するが、深追いし過ぎた秦軍先鋒・蒙武の救援に向かったところを趙本軍とその伏兵との挟み撃ちに遭い乱戦の最中煖に討たれる。煖との一騎打ちではほぼ互角ながらも止めの一撃を加えようとしたまさにその時、趙の魏加の狙撃によって不意をつかれ逆に煖の矛に打ち抜かれた。その後、重傷を負いながらも戦場を離脱し、騰や蒙武や信に言葉を残し、最後に信に矛を託して力尽き死亡した。出陣直前に政を仕えるべき主と認め、昭王に託されていた遺言を伝えていた。
なお時折、男色を好むような発言をするため、信との初対面時には「オカマ」呼ばわりされた。
(とう)
声 - 加藤亮夫
王騎軍の副官。将軍に進む。常に王騎の傍に控えており、普段は飄々としてポーカーフェイスを崩さない。また王騎へ答える時は「ハ。○○です」と答えることが多い。
趙軍との戦では、終盤で趙荘軍本陣に突撃して大将代理・趙荘を討ち取り、その後に王騎が致命傷を負うと、戦場から離脱させるために撹乱目的で敵本陣に突撃をかける等、その実力は(王騎本人から)王騎に見劣りしないと評される程である。王騎が離脱すると部下の進言で自分も離脱し、王騎から王騎軍の全てを託された。対合従軍戦で蒙武軍との連合軍となって楚軍と当たり、第一陣将軍の臨武君を一騎打ちの末に討ち取った。著雍争奪戦では、大将として著雍に侵攻する。
戦闘時は片手に持った剣を芝刈り機のように高速回転させ、敵兵をこともなげに撫で斬りにしていく。その際、「ファルファルファル」という独特の擬音が出る。
7巻巻末データによると特技は受け流し。飄々とした表情や、王騎亡き後にその笑い方を真似して蒙武を呆れさせたり、臨武君を破った際に、死んでいない録嗚未の名をわざわざ挙げたりと、お茶目な所も見せる。
蒙武(もう ぶ)
声 - 楠大典
呂不韋四柱の一人で蒙恬、蒙毅の父。絶対の自信を持つ自身の武力を、中華最強と証明するため政に六大将軍制度の復活を上奏する。
戦闘スタイルは、己の武力を筆頭に士気を高めた兵たちで一気に押し潰す力押し。その戦い方は昌平君や王騎から見ても、「策も何もあったものでは無い」と言わしめるほどである。
趙軍襲来編では、秦軍の副将となる。列国からは猪突猛進という評価を受けているが、兵の士気を上げるために戦を使って練兵をする等、軍への理解は深い。序盤こそ武力で勢いに乗るが、終盤では趙荘の策によって壊滅寸前の窮地に陥る。その後、王騎を戦場から離脱させる為に突破口を開き、王騎から秦国軍の顔になるべき一人とこれからのことを託される。
対合従軍戦では、騰軍との連合軍となり楚軍に当たる。昌平君の助言による「斜陣がけ」という戦術を使って汗明軍本隊への道を作り出し、汗明との一騎打ちの末に討ち取って汗明軍に再起不能の打撃を与えた。
(ひょうこう)
声 - 斎藤志郎
鋸の歯の様なギザギザの歯が特徴的な大将軍。得物は長刀のような武器。敵軍に突撃する際は棘をあしらった仮面と盾を装備する。
個人的武力は(王騎と)互角、軍を率いた際の武力は王騎軍よりも上と王騎に言わせる程であり、昭王による咸陽への召還を何度も無視していたために、六大将軍と並ぶ実力を持ちながら数えられておらず、また長年前線を拠点としていたことから、中央での知名度は低かった。
戦を「燃え盛る大炎」という独特の感性で表し、勝利のためならば歩兵の犠牲を省みず敵軍の急所を突き戦果を挙げるという冷酷な一面も持つ。戦の局面が動く時と判断した際の決断は非常に速く、戦が大いに盛り上がったとき(本人は「燃え盛る炎が最大となった時」と表現する)は、自ら戦場に出陣して敵総大将の首を狙うといった独特な戦い方をする。言わば知略・軍略よりも本能で戦う武将。そのため、戦の動きを見せない相手には、その強さを十分に発揮することができなかった。
対合従軍戦の序盤では趙軍に当たり、三倍もの兵力差を物ともせず互角に渡り合う。終盤には趙の別働軍を察知して猛追、李牧の策略をかいくぐって本陣まで辿り着く。自軍の本能型の将である慶舎でさえ破れなかった策略を破られたため、李牧は麃公のことを「本能型の極致」と称した。そこへ現れた龐煖との一騎打ちでは、片腕を折るも敗北して戦死した。死の間際、加勢に来ようとする信へ盾を投げ渡して(自分に構わず)咸陽へ行くよう命じ、「火を絶やすでない」と言い残した。
(もう ごう)
声 - 伊藤和晃
蒙武の父にして蒙恬・蒙毅の祖父。元々は斉国の人。伍長から昇進を重ねてきた歴戦の将であったが、斉において廉頗によって幾度も敗北させられたことから故郷での出世の道を諦め、息子の蒙武と共に秦へとやってきた。「白老」の名で列国に知れ渡る秦国筆頭の大将軍。
自ら前線で武勇を示すのではなく本陣で全体の指揮を執り、不利な戦況でも柔和な笑みを崩さずどっしりと構えている。攻城戦を得意とし、戦闘で負傷した部隊を見舞うよう指示したり、兵卒たちに対しても親愛のこもった檄を飛ばすなど、末端への配慮も欠かさない。常に定石を外さない戦い方から、昌文君には「極めて凡庸な将軍で、強き敵に勝つことは難しいが、弱き相手には絶対に失敗がない」と評された。
一方で人材を見極める眼力は確かで、危険視される副将二人さえ使いこなし、また身分に拘らず人材を抜擢するなど、人を用いるという点においては優れた器量を持つ。それゆえ蒙驁本人が凡庸と評されながらも、その軍は結果を残している。考えに行き詰まると一兵卒に身をやつし自軍の陣営内を徘徊する癖を持ち、その際に夜食のための狩りをしていた信と知り合った。
魏攻略戦において、因縁の相手である廉頗と40年ぶりに対決。廉頗のためだけに40年間練り上げた策で迎え撃ち、廉頗本人からも「よくできている」と評されるが突破され本陣に迫られる。そこで廉頗と一騎打ちを繰り広げ、廉頗とその乗馬をも吹き飛ばす怪力で善戦、左腕を失うものの桓騎が魏軍本陣を落としたことで、当初の目的であった山陽を得ることに成功する。戦争終結後、この時の負傷から事実上は引退状態にあるとされたが、対合従軍戦において国門函谷関を守護する将軍として抜擢され、張唐と共に歴史に名を残すことを誓った。
始皇7年に危篤状態となり、信と蒙恬が駆け付けた際に意識が戻り、王賁を含む三人で一緒に高みへ登れと信と蒙恬に言い残して息を引き取った。
蒙毅が予定していた韓侵攻への従軍を却下したり、蒙恬が千人将に昇格しそうになった際に時期尚早として三百人将に据え置くなど、身内にはかなり厳しかった。
桓騎(かん き)
声 - 伊藤健太郎
軍の副将。元は秦南方の野盗団の首領。生まれが一世代早ければ六大将軍に名を連ねたとされる軍才は、かつて秦の討伐軍を相手に無敗を誇ったほどで、王騎や蒙恬などからも化物と評される。
野盗時代に城邑を攻め落とした際、住人全員の首を自ら刎ねたことから「首斬り桓騎」の異名を持ち、将軍となっても投降兵諸々を殺してしまう残忍な性格。傲岸でもある一方、蒙に対しては目の届かない場所に居ても敬語を使うなど、敬服しているような面も見られる。野盗であった彼が蒙驁の副将となった経緯は不明。
自身で編み出した独自の兵法を駆使し、自ら変装して敵本陣に潜入するなど元盗賊らしい奇策を用いた戦法を得意とする。
対合従軍戦で函谷関を守護する役割を与えられ、魏軍の巨大井闌車を焼き払った。その後、二台目の巨大井闌車を逆に利用して地上へ降り、張唐と共に韓軍へ奇襲をかけて成恢を討ち取ることに成功する。
王翦(おう せん)
声 - 堀内賢雄
軍の副将。王賁の父親で王一族の現頭首。桓騎と同じく化物と評される。
恐ろしい形相を模した鎧に身を包み、目元を隠す仮面を付け、部下すらも味方に向けるものではない目で見る。秦国一の危険人物とされ、昭王の時代からずっと日陰に送られている。その理由として自らが王になりたいという野望を抱えているという噂があり、実際自分の領地を国と表現し、敵将である姜燕を執拗に勧誘した。
対魏攻略戦において、第二軍を動かすこともなく、第一軍の攻めだけで最も多くの城を陥落させるなど、その軍は味方から見ても異常と言えるほどの強さ。六将筆頭・白起に匹敵するやもしれぬと、廉頗からその軍才を認められつつも、軍全体の戦略やその中における自らの役割を弁えず、副将でありながら総大将・蒙の戦略に反した行動の面で「(人から信用されないために)英雄とは認められない男」として、見切られた。
対合従軍戦では燕軍に当たり、山岳族から見ても感心する程の山砦で渡り合う。燕軍に山砦の心臓部を突かれるも、撤退をしたように見せかけ燕軍の主力八千を誘い出して全滅させ、そのまま山中に姿を晦ました。その後、函谷関の裏手に現れた楚軍を一掃して陥落の危機を救った。
張唐(ちょう とう)
楚との国境守護に当たっていた秦軍の大将軍。15歳の時に初陣し、以後50年間秦の軍人として戦歴を重ねた古参将軍。
性格は頑固そのもので、秦国の軍人であることを誇りに思っている。その性格のため、最初は桓騎とは折り合いが悪かったものの、才能を認めてからは激励の言葉を送っている。
合従軍迎撃戦を前に咸陽に招集された7人の将軍の一人で、昌平君には大将軍級と評された。しかし昭王時代には六大将軍の影に隠れており、それ故に彼らを大嫌いと語っていた。
函谷関の守護に当たっていたが、韓軍の毒兵器によって自らの命が長くないことを悟り、戦場へと降り立った。その後、桓騎軍と共に韓軍を襲撃して成恢を討ち取り、桓騎に「秦国一の武将となれ」と言い残して力尽き死亡した。
羅元(ら げん)
声 - 竹内栄治
蒙驁軍の副官を務める将軍。顔に一閃の傷跡がある。山陽前哨戦にて暗躍する輪虎に翻弄され、数多くの千人将を失い自らも討たれて死亡した。
栄備(えい び)
声 - 竹内栄治
蒙驁軍に属する将軍。山陽戦では本隊の正面軍を率いる。最終局面では輪虎の巧みな戦術を目の当たりにして敗北を悟り、果敢に突撃をするも輪虎に斬られ死亡した。
土門(ど もん)
声 - 玉木雅士
蒙驁軍に属する将軍。栄備と比肩し、山陽戦では本隊の正面軍を率いる。
袁夏(えん か)
知己の将軍。屯留救援戦において成軍の副将として参陣する。しかし蒲鶮の裏切りに対処しきれず、龍羽によって半ば騙し討ちにされる形で死亡した。
龍羽(りゅう う)
屯留救援戦において成軍の副将として参陣した将軍。しかし裏で蒲鶮と通じており、屯留城内で袁夏を斬り殺して成蟜たちを拘束する。そして屯留の反乱では、反乱軍の指揮官として討伐軍と交戦する。本来の計画では、裏で内通していた趙軍と共に討伐軍を殲滅して、総大将である大王派の武将である壁の首を手土産に趙へ亡命する予定だったが、飛信隊の参戦によって戦況が不利となり屯留城へ撤退する。反乱の終盤で、なおも壁の首を狙って奇襲をかけるが、それを察知していた壁が伏せていた弓隊によって射殺された。
(きょう)
声 - 高梁碧
六将の中で最も謎に包まれている人物。六将の中では最も若かったが、その戦いの苛烈さは六将一と言われた。
昭王の実の娘で、母親の身分が低く、このままでは母子ともに暗殺されると悟った母親によって王騎の屋敷に引き取られた。政と成蟜にとっては大叔母にあたる。
母親はその後、かけがえのない命であり、不変の愛を注ぐべき娘であると十二分に理解しているがゆえに、是が非でも娘の将来を繋ぐため、周囲に「当然生存者はいないであろう」と思わせるがため(死者の詳細も分からぬ惨状になるように仕組み)、自身の部屋に火を放ち、あたかも娘と共に心中あるいは権力争いによって殺害されたかのように見せかけ、自らが完全に犠牲となり焼死しつつも、娘の将来を固く保護した[注 2]
本人はその事実を一切知らされず、召使いとして育てられ、同時に王騎を間近で見てきたことにより武芸の達人へと成長する。戦場へ出るより前の幼い頃に王騎と「将軍になって城を百個とったら妻にしてください」という約束をしており、そのために召使いという身分であったが、王騎の側近として幾度も戦場へ出て戦果を挙げていた。
その後、昭王との対面でお互いに親子であることを感じ取るが、公式に認める事ができなかったため、暗黙の了解となる。この頃より、素性を探られることを防ぐため仮面(コリュス式兜と目元を隠す仮面が一体化したもの)を付けるようになった。
それから戦果を上げ続け、将軍となり更に戦の才能を開花させ、数年後には6人目の大将軍に任命された。
その後、馬陽を攻略中、突如現れた煖との戦闘で命を落とした。皮肉にも馬陽が、王騎との約束である100個目の城であった。この事実が戦時に与える影響が大きいと判断した王騎と昌文君によって、病により没した事になっている。
回想シーンのみの登場。
白起(はく き)
六大将軍筆頭。せり出した両目が常に血走っている特異な容貌で描かれる。
危険を冒さず、相手がムキになるほど力を抜いて勢いをかわす戦い方をし、廉頗たちから「六大将軍の中でも最もやりづらい」「正真正銘の怪物」と評される。
長平の戦いにおいて秦軍の総大将を務め、投降した趙兵40万人を、兵糧の問題と反乱の危険を理由に全員生き埋めにするという決断を下した[注 3]
すでに自害して亡くなっており、回想シーンのみの登場。
(おう こつ)
長く伸ばした鬚髯と顔を斜めに走る傷が特徴の六将の一人。六将一の怪力豪将と呼ばれ、武器は大斧を使う。
かつて楚へ侵攻した際、汗明との一騎打ちに敗れて撤退していると汗明は語ったが、真相は定かではない。
すでに亡くなっており、回想シーンのみの登場。