作品調査
August 29, 2013
7月28日実習報告
みなさまこんにちわ。修士一年の武です。
1ヶ月以上も更新が遅れてしまって申し訳ありません。
今回の実習では、5月にアクアメンバーが調査をした後小路先生コレクションの森錦泉作の調査報告をまとめたものを発表させて頂きました。森錦泉についての参考文献はかなり少ないもので、作品の制作年を推測し、描かれているモチーフを確認することが主な報告内容となりました。
調査日:2013年5月30日
作者:モリ・キンセン(森 錦泉/吉五郎)
森錦泉は1888年に神奈川県横浜市で生まれました。1913年に、フランスへ留学するためにと横浜から出航しましたが、第一次世界大戦の勃発により断念し、4年後ジャワに渡りました。20年代には、妻トキと結婚し、ジャワのウォノソボで写真館を営みつつ、作画活動を始めました。この頃に、後に初代大統領となる学生時代のスカルノにも絵を教えたと言い伝えられています。1940年代にインドネシア国内でナショナリズム運動が高まるにつれ、インドネシア軍とオランダ軍との戦いが激化し、森錦泉も41年には家族と共に、オランダ軍の捕虜となりました。インドネシアへ進軍してきた日本軍に無事に救出された後は、通訳として日本軍軍政監本部に参加することになります。そして日本敗戦後には、日本軍に協力したことに対する責任を問われアンバラワの収容所に捕まることになり、1949年には、子供を残し森錦泉ひとり日本に強制送還されます。日本滞在中もインドネシアに残した子供たちへの思いはつのる一方で、大統領に手紙で懇願したりとインドネシアに戻るために尽力しました。やがて1956年に無事にインドネシア再入国を果たすことになり、マゲランにいる子供たちのもとで晩年の1959年まで一緒に過ごしました。
作品名:(風景)
制作年:不明(福岡アジア美術館所蔵である森の作品二点と比較しながら、彼の署名の変遷から晩年の1950年代後半に制作したのではないかと推測しました。)
技法材質:油彩・画布
寸法:49.2×70.0 cm
署名:画面左下「K.Mori」
来歴:2002年東京ベイスギャラリーにて入手。
作品状態:ところどころ汚れやひび割れがあり、画面上部に著しい絵具の剥落が見られました。
デイスクリプション:画面前景には、稲を収穫する村人の様子が描かれており、彼らの服装や被り物からインドネシア人であることが分かります。後景には、ヤシの木など熱帯特有の豊かな植物が描かれ、右端の青白い山の雲にもとどくようなスケール感に目を見張ります。村人の足下には田んぼの水が広がり、生命の源である水が、稲、緑色の大地、神聖な山を伝って空に吸収されていくという自然の恵みの循環性を感じさせる作品だと思います。
1ヶ月以上も更新が遅れてしまって申し訳ありません。
今回の実習では、5月にアクアメンバーが調査をした後小路先生コレクションの森錦泉作
調査日:2013年5月30日
作者:モリ・キンセン(森 錦泉/吉五郎)
森錦泉は1888年に神奈川県横浜市で生まれました。1913年に、フランスへ留学するためにと横浜から出航しましたが、第一次世界大戦の勃発により断念し、4年後ジャワに渡りました。20年代には、妻トキと結婚し、ジャワのウォノソボで写真館を営みつつ、作画活動を始めました。この頃に、後に初代大統領となる学生時代のスカルノにも絵を教えたと言い伝えられています。1940年代にインドネシア国内でナショナリズム運動が高まるにつれ、インドネシア軍とオランダ軍との戦いが激化し、森錦泉も41年には家族と共に、オランダ軍の捕虜となりました。インドネシアへ進軍してきた日本軍に無事に救出された後は、通訳として日本軍軍政監本部に参加することになります。そして日本敗戦後には、日本軍に協力したことに対する責任を問われアンバラワの収容所に捕まることになり、1949年には、子供を残し森錦泉ひとり日本に強制送還されます。日本滞在中もインドネシアに残した子供たちへの思いはつのる一方で、大統領に手紙で懇願したりとインドネシアに戻るために尽力しました。やがて1956年に無事にインドネシア再入国を果たすことになり、マゲランにいる子供たちのもとで晩年の1959年まで一緒に過ごしました。
作品名:
制作年:不明(福岡アジア美術館所蔵である森の作品二点と比較しながら、彼の署名の変遷から晩年の1950年代後半に制作したのではないかと推測しました。)
技法材質:油彩・画布
寸法:49.2×70.0 cm
署名:画面左下「K.Mori」
来歴:2002年東京ベイスギャラリーにて入手。
作品状態:ところどころ汚れやひび割れがあり、画面上部に著しい絵具の剥落が見られました。
デイスクリプション:画面前景には、稲を収穫する村人の様子が描かれており、彼らの服装や被り物からインドネシア人であることが分かります。後景には、ヤシの木など熱帯特有の豊かな植物が描かれ、右端の青白い山の雲にもとどくようなスケール感に目を見張ります。村人の足下には田んぼの水が広がり、生命の源である水が、稲、緑色の大地、神聖な山を伝って空に吸収されていくという自然の恵みの循環性を感じさせる作品だと思います。