September 24, 2017

グアムのダイビングショップ物語2161―今日のグアムと、東海丸ガイド

guam924tokai2今日は東海丸の写真解説をしようと思う。
東海丸を潜る日本のダイバーもちょっとずつ増えて来てるし、以前みたいに外洋が荒れてるときに嫌々潜るのと違ってきているように思うので、そんなダイバーたちにさらに興味を持ってもらえることを願って。

ただ船内はけっこう入り組んでいて、デッキを上に下に移動してる
guam924tokai1と位置関係がわからなくなりやすいので自分で行くのではなく、ガイドをしてもらうようにお願いします。
最初は船首の下部分。
1930年にそれまで日本の船が50日間、欧米の船で35日間かかって渡っていた横浜ーニューヨークを25日間で走り切るというスピード記録を打ち立てたとき、欧米は「日本は鉛筆のようにとんがった船を造って来た!」と言って驚嘆した。
その鉛筆のようなとんがり方をした船首の下側は、鉄板と鉄板を合わせてはいるが、その隙間はほぼないだろうという薄さをしている。
ちょっと深度は深くなるが、驚いて欲しい。

guam924tokai3お風呂場。
アッパーデッキ(艦橋の1階)の右舷側にあるところなので、乗船客ではなく乗組員用の風呂と思っている。
こんな湯船が2つあって、その間には下水管の太いの一本曲がって通っている。
その下水管の上には穴が3つ開いていて、それぞれの上には洋式トイレが載っていた。同じ下水管の位置に2つ、曲がった位置に1つ穴があるのはトイレの扉を開けるためのスペースを確保するためで、2つの穴は女性トイレ用で1つの方が男性用として使われてたはず。
その位置関係がわかれば湯船も男性用と女性用ということになる。

これは文字通りの湯船であり浴槽ではない。
船上で水は大変貴重なものとなり当然この湯船も海水を暖めたものであり、上がり湯として真水のお湯を一杯浴びられたのではないかと想像するが、それ用の器は見つかっていない。
当時のアメリカでもシャワーはまだ一般的ではないという話もあり、この湯船からお湯をすくってかぶったはずで、そこに人が浸かってしまうことは考えづらい。
浸かるには微妙に深過ぎるのと縦横にサイズが狭くて、これでは一人しか浸かることができないことからも浴槽ではないのではないかと思う。

guam924tokai4ブリッジデッキ(艦橋の2階)にある配膳室。
床から15センチほど基礎が出っ張っていて内部は小さいタイル張りになっている部分だ。
本来は壁で囲まれていて、隣のダイニングルームに料理を出す為に皿に料理を盛りつけたりした部屋。
この流し台は使った皿などを洗うためのもので、この流し台の隣には下のデッキから料理を上げてくるエレベーターも備えられていた。
現在はただの四角い穴が開いてるだけだが、現代でも2階建てのラーメン屋さんなどにある料理を上げ卸しする小さいエレベーターがあったところだ。

guam924tokai5guam924tokai6第三船艙。
東海丸の前から数えて3つ目の倉庫は艦橋のすぐ前だ。
元々東海丸はグアムに辿り着いてから7ヶ月間、ほぼ動いてはいないので積み荷らしきものはない。
横須賀から運んで来たものがあったとしたらそれはとっくに卸されているはずだ。
艦橋側に寄せて置かれているパイプ状のものはただそこに置いただけのものと思われる。
そしてもう1デッキ分下がってみると船艙の穴には蓋がしてある。
もしかすると、この蓋のしたに何かがあるかもしれないがこの蓋を取ることはできそうもない。
これより前方の船艙に行くとドラム缶や鉄鋼材などが積まれていて、東海丸の事故報告書によれば沈没時の積み荷は鉄くず450トンという記載があり、それらはどこから来てどこに運ぼうとしたのか悩んだ時期もあるが、自分の結論は船のバランスを保つためのバラストであろうと思っている。

guam924tokai7第四船倉の魚雷痕。
東海丸が沈没した原因になった1943年8月27日に撃たれた魚雷の1発がここに当たった。
水深が30mほどで深いは深いが、それよりも水底の砂地に近いので、ここの透明度が良いということはあまりないので注意が必要だ。

guam924tokai8その少し上、サードデッキ。
艦橋が3階建てのビルとしてその地下2階に当たる。
そこには東海丸が当時にはあまりなかった設備、冷凍貨物室がある。
これを装備することによって貨物の注文を多数受けることに成功しているのだ。
ちなみにこの中は入らない。
魚雷痕を見に行ったときのついてに見て来るだけだ。

guam924tokai9その一つ上のデッキには食料庫がある。
倉庫なんだから光などは逆に食料を悪くしてしまうのではないかと思っていたが、ここには丸窓が3つもある。
貨客船から徴用された後も食料庫として使ったようで、汚れ物を積み込んだ形跡がないようだ。
グアムに入港して7ヶ月もいれば、きっとこの倉庫は空っぽで食料は小舟でグアムから調達してきたのだろうと推測する。

guam924tokai10食料庫は一つではない。
これは右舷側だが左舷にもあるし、上のデッキにもある。
これは上のデッキに上がって行く階段だ。
他の階段と同じくステップは無くなってしまっているが、ここのは細い手摺が両側に残っている。
上のデッキの床から上に手摺が伸びているようには思えないので、体力がなかったり、持って来る食料が重かったりするとこの階段の上り下がりは辛そうだ。

guam924tokai11さっきの配膳室の一つ下のデッキにある厨房。
床は小さいタイルで覆われている。
左側には調理する鍋を5つ載せることができるかまどで、右には食材を洗うための流し台。
そして部屋の中央には調理するためのテーブルが置いてあった。
しかしメインの調理器具は、写真に入っていないが手前の入口脇に2つある蒸気で調理する大きな給食用のような鍋だと思われる。
大海原の真ん中では火災が心配で基本はエンジンの熱からいくらでもできる蒸気を使う方が安全だし、食材も美味しく調理することができる。

guam924tokai13東海丸の消火設備には二酸化炭素のボンベが沢山積み込まれている。
火災発生時にはその部分を隔離して二酸化炭素を流すことで消火することになっているのだが、そのスペースに人が残っていれば呼吸できなくなる。
隔離するための壁や扉もはっきりとは残っていない。
おそらくメインの二酸化炭素消火設備は、東海丸の前後に作ってあるシルクルーム用であるのではないか。
そこには人がいることはないだろうし、しっかりとシルクルームには扉が付いている。
最も貴重な積み荷を守りたいし、またシルクは燃え易かったろうし、一番心配な部屋であったのだろう。

guam924tokai12そして厨房の隣にも二酸化炭素のボンベが6本積んである。
おそらくは厨房用のものだと思うのだが、その部屋にはこんなものが壁に設置されている。
今も解明できていない代物だが、両側にはモーターがあるように見える。二つのモーターの内側にある丸い円盤のようなものはモーターで回転するのではないだろうか。
その上には穴があいているパイプ状のものがあるが、ここにホースをつなげて火災の局所的に二酸化炭素を送って消火するというのは可能だろうか。

一緒に潜っているダイバーがビルの消火設備の工事に関わったことがあるという方だったので興味深そうにタンクなどを眺めていた。

guam924tokai14これがシルクルームの扉だ。
第二船艙と第五船艙のセカンドデッキ(地下1階)の両サイドにはシルクルームが設置されていて、これが日本の貿易黒字を作っていた商品・シルクを濡らさず、汚さずに質の良いまま運ぶための専用倉庫で、空調も整えられていた。
扉の付いた部屋ということは、シルクはクレーンなどを使った機械積みはできずに全て最後は人力で運び入れたし、港に着いて鉄道に載せ替えるにしても手積みだった。
米の40キロ入りほどの大きさの俵状にまとめられていたのだ。

Posted by aquaacademy at 19:18│Comments(0)