September 09, 2017

グアムのダイビングショップ物語2153―今日のグアムと、博物館と対決か

guam909zero2零戦52型に装備されていた20ミリ機銃2挺(主翼の左右)と7.7ミリ機銃2挺(機首)の武装を強化した52型丙には20ミリ機銃は変らないが、7.7ミリ機銃を13.2ミリ機銃に変更。機首に1挺、左右の主翼に2挺装備された。
その後、零戦史上最悪と言われた52型のパワー不足を補うために、水メタノール噴射装置と呼ばれるターボエンジンに付けられるインタークーラーのような装置を付けた栄31型エンジンを採用した零戦53型が開発されるが量産されることはなかった。
そして零戦の量産された最終型と呼ばれる62型が戦争末期に開発される。
52型の胴体下に爆弾懸吊架を取り付けたもので最早零戦とは呼べるものではなくなっている。
零戦本来の戦闘機であることを捨て爆撃機に仕立て上げられたもので、特攻用と言っても過言ではない。
53型同様に63型も水メタノール噴射装置付きの栄31型エンジンの開発が遅れたことにより、水メタノール噴射装置なしの栄31型エンジンを使用したもののほとんど生産されてはいないが、62型は三菱で158機、中島で数百機生産されたようで、これが62型が最終型と呼ばれる所以となる。

guam909zero1このことからサンディエゴの航空宇宙博物館に展示されている零戦63型であるが、62型である可能性が高いのではないかと推測する。
展示されてる機体をよく見てみると62型であるという特徴はあると思う。
胴体下には爆弾懸吊架が確認できるので52型までの機体ではない。
機銃も20ミリと13.2ミリが並んで主翼内に収められている。
しかし水メタノール噴射装置付きの栄31型エンジンを積んでいるにしてはカウリングの外観が52型と変らないように見えてるのではないか。
63型とすれば、エアインテークを大きくしたためカウリングがもう少し大きく見えているはずではないか。

guam909zero3博物館のガイドが「これは零戦63型で・・・」と説明したときに「え!?」って言って反論しようとしたのではあるが、その根拠を正確に言える記憶が足りなかったので納得しないながらもそのまま帰って来てしまった。
もう一回行くことがあれば是非ともこの辺を突っ込んでみたいと思う。

guam909sbc1guam909sbc2太平洋戦争中の日本の天敵とも言える米軍機。
その一つがSBDドーントレス。
二人乗りの偵察爆撃機という位置づけになるが、日本の九九式艦上爆撃機と同じ時期の急降下爆撃機だ。
九九式艦上爆撃機のダイブブレーキもいいアイデアであるが、ドーントレスの穴あきフラップは賢い設計であると思う。
この爆撃機に日本はやられた。
映画「永遠の0」で主人公演じる岡田君が「そんなことしてたら間に合わない!」って言った空母・赤城はこのSBDドーントレスの爆撃で沈没してしまう。

guam909f4u1もう一機。
戦闘機のF4Uコルセア。
この特徴ある主翼の形は遠くからでも確認できたと思われる。
ハワイの水中で見ることができる航空機でもある。
この特徴あるガルウイングは飛行性能のためと言うものではなさそうであり、プロペラを大きくすればスピードが出そうだという考えであっても、滑走路の高さで地面にぶつかっては困るので車輪を長く作らなければならない。
しかしそうなると日本の紫電も同じように車輪を長くした結果のマイナス要因が大きく、あっという間に紫電改が現れるのである。
そこでコルセアは車輪が取り付けられる主翼部分を折り曲げて地面に近づけた。
その結果前方下方のに視界の改善も併せて可能にしたのだ。

guam909f4u2武装は12.7ミリ機銃を6挺。
零戦の20ミリ機銃には破壊力が劣るが、零戦乗りの間でも弾数が多くない20ミリよりも13.2ミリを好むパイロットが多く、各基地での整備・改造で20ミリに代えて全ての機銃を13.2ミリに代えていた部隊も存在するくらいで、このコルセアによって大空の宮本武蔵・武藤金義が乗る紫電改は撃墜されたとなっている。
真っすぐは速いけど技術がないんだよなあっていうピッチャーみたいな航空機であるというのが自分の印象だ。

さすがにアメリカで、日本なら零戦かそれ以降の戦闘機しか見ることができない現代、そんな日本人自慢の零戦と戦った航空機の実物を見ることができるのは素晴らしいことだ。
  

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September 08, 2017

グアムのダイビングショップ物語2152―今日のグアムと、空母「ミッドウェイ」

guam908mw1ミッドウェイ級の1番艦。
空母ミッドウェイ(CV-41)は1945年の太平洋戦争が終了直後に就航。
ベトナム戦争や湾岸戦争に参加。
1972年には日本の横須賀に配備され1991年まで母港を横須賀としていたが、インデペンデンスと交代。
1992年に退役。
ミッドウェイ級の姉妹艦ルーズベルト、コーラルシーがスクラップ処分される中、2004年からサンディエゴで博物館として今も海軍埠頭に係留されている。
1945年9月10日就役から数えれば72歳になったばかりだ。

サンディエゴ。
メキシコとの国境にあるこの街は基地の街であり、ミッドウェイが係留されているサンディエゴ海軍基地や、トップガンの舞台となったミラマー海兵隊航空基地などがある。
日帰りで来ているのでトム・クルーズたちが飲んでいたバーなどもあるのだが行くことはできない。
このミッドウェイだけで一日あっても時間が足りないかもしれないのに午前中はカタリナも見に行っちゃってるので、こりゃあ今回はちょっとさらーっと見るようかな。(ってまた来る気か?)

guam908mw4guam908mw5空母と言えばフライトデッキ。
20年前に横須賀からグアムに来て一般公開をしてくれたキティホークでもフライトデッキには入れてくれなかった。
あの巨大な海の上に現れたス
guam908mw6ペースに立ってみたいものだった。
だからほとんどの人がフライとデッキに立ったことなどないだろうが、太平洋戦争時代では真っすぐな滑走路が一本あるだけの直線式フライトデッキだ。
日本の空母・赤城や加賀などには3段のフライトデッキを持つものもあったが、現在全て一つのフライトデッキになっていることからあまりメリットがなかったということだろう。
これが現在はアングルドデッキと呼ばれる着艦と発艦用の2本の滑走路を分けられる形になっている。
このアングルドデッキのもう一つのメリットが滑走路を長くできる点だ。
guam908mw3
ただし発艦と着艦を同時に行うというものではない。
Vの字型に枝分かれしているだけであるが、着艦して来る航空機が失敗し、タッチアンドゴーをするときも前方に発艦する航空機がいないので安全に行えるためだ。
何せミッドウェイには100機以上の艦載機が積み込まれているのであってフライトデッキに何もないところに着艦して来るわけではな
guam908mw7いのだ。
そしてミッドウェイは1952年イギリス海軍の空母・トライアンフのアングルドデッキへの着艦成功を受けて、同様のテストを行ったアメリカ最初の空母だ。

このときのアングルドデッキの角度は進行方向から10°の角度が付けられていたが現在は9°となっている。
guam908mw11guam908mw9おそらくは取り外されているのだろうがカタパルトがこのフライとデッキに見当たらなかったのは残念だったが、航空機が多数展示されていた。
さらに艦橋にも行くことができるようになっている。
guam908mw10中のスペースが狭く一方通行で案内してもらわないと収拾付かなくなるので、ここへ上って行くにはツアーに参加することになる。
人の後についてゾロゾロ移動していくので、前の人のケツはよく見えたけどどこをどうやって移動しているのかが把握できない。
説明では艦橋の中は大きく分けて3つ。
操縦するために指示するための艦橋。
離発着する航空機の管制塔の役割をする艦橋。
そして海図を見たりしながらの作戦を立てるための艦橋。

guam908mw2全長300m弱もあるミッドウェイはとにかくでかい。
順路に従わないと迷子になるのは間違いないが、日本の例えば氷川丸のように順路に沿って行けば最後まで一通り回れるというのと違って、エンジンを見に下のデッキへ降りる階段への順路はそのまま入口のデッキに戻って来る。
フライトデッキへの順路はまた入口のデッキに戻って来ると言うようにミッドウェイの全ての見学が出来たかどうかさえわからない。
たぶん見ていないスペースはかなりあるように思う。
エンジンを見に下のデッキには降りて行ったがエンジンまでは行かないうちに上に戻るコースになっている。
guam908mw12通路の端から下を覗いてみたがまだ3つ分ほどのデッキが下にあった。
その許された範囲の一番下がここだ。
ここでエンジン出力の調整や舵を操作していたようなのではあるが、ミッドウェイは4軸。
この3つの舵輪は何を操作するのか。
ここに70歳を軽く越えてる退役軍人と思われるおじいさんがいて、なんでも質問に答えるぞって言ってくれてはいるんだけど人が大勢いて時間が足りない。
サンディエゴを午後3時には出発しないと途中の渋滞が大変そうだ。  
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September 07, 2017

グアムのダイビングショップ物語2151―今日のグアムと、ガンビーチのフロートはカタリナだ

guam907pby3PBY Catalina
1936年から1945年まで生産された数は3305機。
パラソル式の主翼に2基のエンジンが装備され最大速度は280/hと決して速くないが、航続距離は4800勸幣紂O続飛行時間は15時間にもなった。
その使い勝手のよさから戦後も旅客機や消防機として活躍。1956年日本の海上自衛隊にも2機が供与されたが1960年には除籍されてい
guam907pby1る。

1944年6月のマリアナ沖海戦のおよそ10日前、サイパンに続いてグアムへの上陸作戦を企てていたアメリカは、それに先立ってグアムの海岸線を上陸に備えて守りを固めている日本軍の守備隊を空爆していた。
guam907pby4攻撃に使われた航空機はB24爆撃機とPBYカタリナ哨戒機。
上陸予定地点はグアムの地形から言ってタモン、アサン、アガットの3地点。
断崖絶壁ではなくビーチ。サンゴ礁のリーフからビーチまでの距離が短いという上陸に適しているところはこれらの3地点しかない。

日本軍もそこの守備隊に力を入れて準備していてアメリカの記録に
guam907pbt6よれば、上陸作戦直前の攻撃中に5機の航空機が日本軍により撃墜されているという。
機種は限定されていないが攻撃に使われた航空機は上記の通りだ。
少し前にグアムの新聞でイーストハガニアの水深90僂粒つ譴帽匐機の一部であると思われるパーツが発見され写真が載った。
どの部分かは不明だが戦闘機など小型航空機のパーツでない。
タモンビーチから攻撃を受けてイーストハガニア辺りで墜落してい
guam907pby5たとしてもおかしくない。
そしてそのパーツはその周辺に何かの航空機が沈んでいるという証明であるだろう。

ガンビーチの水深27mの海底にフロートと思われるものが沈んでいる。
何十年も前からダイバーたちはその存在を知っているが、誰もその正体を言える者がいない。もし知っている者がいれば今頃は◯◯のフロートと言われているに違いない。
自分にしても全く手がかりがなく調べようもなかったため、それ以上の興味を惹くことはなかった。

しかしフロートの形状には実は特徴があったのだ。
最近見ることができるようになった零式水上偵察機のフロート。
3人乗りの水上飛行機であるが飛行艇の大きさにはとても及ばない。それでもフロートはガンビーチに沈むフロートの長さの2倍以上はありそうだ。
そんなフロートが左右2本セットになって水面を滑走できる浮力を確保しているわけで、ガンビーチのフロートではたとえ2本セットになっても人が乗る航空機の浮力は確保できない。残る可能性は飛行艇の補助フロートだ。
そしてその特徴とは、フロート上面に曲線が使われていないことだ。
水中に入る底部分が船のような形になっていることは誰もが理解できるが、上面にしても平な形をしているフロートはない。
ところがガンビーチのフロートは底部分は埋もれているので確認できないが上面はかなり平らな形をしている。

B24は飛行艇ではなくエンジンを4基備えた大型爆撃機なのでフロートはない。
カタリナも飛行艇であることは胴体を見ればわかるのだが補助フロートが装備されていない・・・ように見えていた。
80年以上も前の航空機に主翼の先端が主翼から外れて垂れ下がると補助フロートになるという、飛行中の空気抵抗を減らせるという構造をしていてどれも飛行中の写真だったりするので補助フロートの存在に気が付かなかったのだ。

guam907pby2このフロートが主翼と一体化するというアイデア。それを可能にするには主翼収納時のためにフロートの上面を平にして主翼との接続面になるべく隙間を作らない形状が求められたのだ。
そんなカタリナがサンディエゴの航空宇宙博物館に展示されていることがわかった。サンディエゴはロスアンゼルスから200劼曚匹竜離だ。
これは行くしかない。

一般客と違う迫力が身体から出ていたのか博物館の係員がずうっとガイドしてくれたのは有り難かったけど、自分の興味はただ一つカタリナだけなので、カタリナから離れないで主翼の先端パーツの写真だけを熱心に撮影してるのを不思議そうに見ていたが、思った通り先端のフロートは主翼に格納されていた。
でも想像よりもフロートと主翼の隙間は大きく、かなりフロートの形状は見ることができた。
肝心のガンビーチのフロートは今までサイズを測ったことがなかったので不明だが、見た限りは同じサイズであるように見える。
正確なフロートの全長がわかった。
3m10僂澄

guam907pby8guam907pby9もう一つガンビーチのフロート上部には金属性の何かワイヤーよりも太い棒状の物を接続し、フロートが動いてもその接続された棒状のものと分離しないように可動式にするためのパーツが残っている。
guam907pby7guam907pby9その棒状の物とはおそらくX型に出ているフロートの支柱だろう。
金具の位置も合っていそうだ。
さらにガンビーチのホロートの先端が欠けているが、それはちょうどこのイラストの先端の尖った部分と合っていると思う。

きっとこの周辺にはカタリナの本体があるぞ。  
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September 02, 2017

グアムのダイビングショップ物語2146―今日のグアムと、上陸用舟艇LCVPではないのか

guam902lcv4もうちょっと手前に置いてくれたら良かったのになあ。
この写真と比較してみると、ほんの2〜3mだけ岩の積み上げを避けてくれていたら上陸用舟艇・LCVPの全景が見えていたんだと思う。
40人ほどの隊員を乗せて上陸地点に向かう。
エンジンは2基のディーゼルエンジンと思われる。(エンジンが1基という資料もあるが)
LCVPの幅も全長もグアムで使われてる大型のダイビングボートよりも一回り小さいと思うが、鉄でできてる重たそうな船体を動かすためエンジンの大きさはダイビングボートよりもいくらか大型エンジンであるように見えている。
操縦士一名に機銃射手2名が上陸隊員の後に乗り込んでいる。

guam902lcv1上陸時に開けられる前方のゲートは岩の下に埋もれているので見ることができないが、後方部分は割としっかり見ることが出来る。
一番後方部分の下側にはプロペラとラダーが見える。
右舷側のプロペラは無くなってるし、左舷側のも羽の全ては残ってはいない。
おそらくは4枚羽ではないかと思う。
そしてプロペラの上部にはトンネルが設けられている。

guam902lcv3エンジンは6気筒か?
ピストンが直列に並べられていて、同型のエンジンが左右に確認できる。
キャップが無くなっているが冷却水タンクも確認できる。
LCVPの資料を見ればエンジンは250馬力ほどのディーゼルかガソリンエンジンが1基となっているので、別の型の上陸用舟艇である可能性も残るが、全体の形にLCVPではないという部分は今のところあまり見られない。

guam902lcv2バッテリーのスイッチか。
左右のエンジンの前に取り付けられている。
このスイッチの向こう側は隊員を乗せるスペースになっているので、ここがLCVPとは違うのかもしれない。
LCVPは1基のエンジンの左側にステアリングと操縦士が乗り込むスペースが付けられているが、この上陸用舟艇の場合は乗り込む隊員たちと同じスペースに設けられたステアリングを操作することになるのだと思う。
2名の機銃射手のスペースも同じ場所にはない・・・。  
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September 01, 2017

グアムのダイビングショップ物語2145―今日のグアムと、救命ボートの滑車

昨日と明日はボートをチャーターしているのでレックでも何でも行けるんだけど、ダイバー全員がレック好きというわけではなくブルーホールをリクエストしている。
しかし・・・、台風の余波で外洋には明日も出られそうになく必然的にレックになりそう。
今日は他にもう一組アメリカ人カップルダイバーがいるんだけど東海丸をリクエスト。
やはり今日もレックだな。

ブルーホールをリクエストしていたダイバーはライトを持っていない。
だからコモランの船内にも入ろうとは思ったけど、東海丸とコモランのギリギリ今はぶつかってないうけど超接近している辺り。
そこには先に沈んでいたコモランの大きなラダーがあったんだけど、東海丸がのしかかってきて大きく折れ曲がっている。
今でこそギリチョンぶつかってなく見えてるが、東海丸が沈んで来たときにかなりぶつかっている。
コモランのプロペラシャフトで東海丸の船底には穴があいてる。
ところが垂直に近い形で沈んだ東海丸も時間の経過とともに船内の空気が抜けたりして約3時間後には左に傾いて横倒しになった。
この傾きでぶつかっていた2隻の船体は微妙に離れて、ギリチョンでぶつかってないという今の形になったのだ。

guam901tokai4昨日木津川丸を発見できなくてやむを得ず東海丸に来たとき、深いところには行けなかったのでボートデッキに残っている救命ボートの支柱の先端に滑車が付いていることを聞いた!
一緒に潜ったダイバーが「残っているんですねえ!」って。
長年潜っていて全く気にも留めなかった滑車。
慣れのせいで目が節穴になっちゃってるんだよね。
今日再び東海丸を訪れることができたので忘れないうちに見てみた。
確かに滑車だな、これは。
しかも二重になっているよ。
救命ボートの支柱については造られたときと違うところに付いていたりして謎が残っているが、とりあえず次回氷川丸に行って確認したいことができた。
滑車の形状だな。

レックと言うよりも魚などの生物を狙う。
そうは言っても魚はどうしようもないので、こういうときはウミウシだ。
特にここではチータウミウシという誰の目にもしっかり見えるし色合いも撮影意欲をかきたてる被写体だ。
一応目はチータウミウシを探すが、できたら東海丸ウミウシもいい加減に見つけておきたいという目にもしておかないとだ。

guam901tokai1一匹見つけた!
ほぼ1年ぶりじゃないかなあ。
多分最後は昨年の今頃だったか春だったか、マリンダイビングの撮影で来たときにカメラマンに撮ってもらおうとライトで示して素早く場所を離れたら、カメラの調整をしてさあウミウシってなったとき見失っちゃった。
キョロキョロした後「どこか行っちゃったぁ〜」ってはっきり声が聞こえたんで引き返してもう一度ライトを当てたんだったよな。
よくあんだけ明瞭に言葉を出せるもんだと感心したんだよね。
それ以来だ。

guam901tokai2guam901tokai3そしてお目当てのチータウミウシ発見。
この写真は趣が違って見えることだと思うけど、同じ時の同じ被写体。
ただこれを撮影したダイバーがフィンで思いっきりこいつらを蹴散らしたのでヒラヒラ舞ってバラバラになっちゃったんだ。
だからせめて二人を一緒にしてあげようと思ってくっつけたらあっという間に繋がって仲良く歩き始めたんだ。
また元のところまで帰るんだろうか。  
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August 31, 2017

グアムのダイビングショップ物語2144―今日のグアムと、見つからない木津川丸

guam831jake2木津川丸ヤバいです・・・。
山立てのためにボートを出してみたりまでしたし、かなり自信はあるんだけど、何せ最も浅く出っ張ってるメインマストでさえ水深20m。
マストのてっぺんは直径70−80センチの円形が2本あるだけでよほど透明度がよくなければ見えていない。
ここのところの荒れ荒れ模様でアプラハーバー内の透明度もがた落ちで、水底近くの透明度は3m。真ん中辺りでだって5mも見えてない。
全く何もない青い世界に目を凝らしていると、色々と何かあるように影が見えて来るんだよね。
思わずそっちに泳いだりしている内に方向感覚もわかんなくなって来る。

一回目は水深20m。
マストが見えない。
二回目は水深25m。
木津川丸の上であればそろそろこの透明度でもアッパーデッキが見えるはずだ。
TG-3のスイッチを入れてモニターに出て来る小さなコンパスを頼りに北に移動してみると、ロープが見えて来たのでもう少し深度を下げたが何も見えない。
そのロープを伝って浮上していくと水深4mにブイが付けられていて垂直に水底まで降りているようだ。
何かレックがあるのか?!
もう自分も潜降も限界が近い。
レックスペシャルのダイバーと降りてみることにする。
今日のタンクはエンリッチの29%だ。
さっきの水深25mでは何もないのでさらに降りて行く。水深30m。そして水深40m近くなってようやく水底が見えた。
エレファントイアも生えてる。
しかし限界を超えてるためダイブコンピューターがアラームで知らせるし、自分もこのままこんなところでダイビングするつもりはないので、再び浮上だ。
今度は安全停止も行う。
見つからない木津川丸。

guam831jake3今回は申し訳ないが木津川丸を諦め東海丸に移動する。
タンクのエアも窒素ももうファーストダイブとは言えないので、東海丸の船首の砲台周辺が狙いだ。
明日はレックスペシャルではない。
外洋が荒れているのでレックと言うチャンスはあるが今日のうちにマニアックなポイントは行っておきたい。
セカンドダイブは零式水上偵察機だ。

guam831jake1予想はしているがここも透明度はない・・・。
水深15mの潜降地点では10m以上ある透明度だが、零式水偵は砂地の水底にあるため、ここの透明度は夏の伊豆の透明度もビックリの1mもないのかもしれない。
ライトがこちら方向を向いていないと見失うほどだ。
逆に一点をよく見ることになるので電探と呼ばれるアンテナの付根に残る部分を見ることができた。
単に円柱形のパイプ状のアンテナだけではない形のものが付けられていたのだろう。

guam831pier減圧をかねて浮上前に燃料補給用の桟橋跡を見ることにする。
ここに大型船を付けて燃料を補給していたのだろう。
岸から近いところでも水深はある程度深く大型船も横付け可能である。  
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August 23, 2017

グアムのダイビングショップ物語2136―今日のグアムと、レックスペシャルを商品化するにあたり

レックスペシャル。
ちょっと反応が出て来つつあるツアー。
誰も行ってくれないのでボートをチャーターして好きなレックにダイビングに行くツアーだけど、ポイントは自由ってことだね。
まあせっかくだからレックに行くべきなんだけど、レックに行きたいのはやまやまだけどダイビングが久しぶりなので今日はコモランとバルボンバーとセメントバージへ。

guam823ws1コモランのセカンドデッキは絵になる。
壁の仕切りが少なくて突き抜けてるスペースには3等船室がいくつも並んでいて、途中にアッパデッキから下のデッキまで抜けてる荷物揚げ卸し用の穴が作られているので外の青い光が入って来ていて真っ暗になっていないし、自分たちダイバーの照らし出すオレンジ色系の灯の色との組み合わせで水中映像がきれいになる。
90名ほどしか乗船客が乗らない前提の東海丸に対してトイレが多いことがわかって来たけど、今日はそのトイレの壁と言うか柱と言うかのギザギザのところに左側頭部が激突。
絶対血が出てる痛さに絶叫がコモランの船内に木霊してた。
その部分がどうなっているのか即自撮りしてみたけど、あまりよく見えない。
てっきり緑色の血が写ってるかと思ったけど、痛かった割に傷は浅かったみたい。

guam823ws2レックスペシャルツアーと商品化したので、しっかりと案内しないと。
以前のようにときどきしかダイビングに行くことができないけど、行く場合はみな気合いの入ったダイバーでそれぞれが興味のあるところを調べるというスタイルと違って、色んなダイバーが興味を示しそうな部分を見せる必要があるので、自分のカメラは持って来ている場合じゃないかもしれない。
例えばバルボンバーは引っ繰り返ってるので、パッと一目で航空機だとわからない人もいるだろうし、おまけに機体後部が失われているのでどの部分なのかもわからない人もきっといる。
そこで操縦士の足元にあるラダーペダルなどは興味を惹くものになると思う。
残念ながら自分のマスク越しの目では全体を見ることはできない。こうして写真を撮ってそれを再生してモニターで見せることになる。

guam823ws3ちゃんと飛行できる状態であれば見ることができないエンジン部分。
バルボンバーのエンジンとプロペラは機体から外れて前のめりで水底にある。
3枚プロペラの一枚は誰かに切断されて持ち帰られているが、ちゃんとプロペラやエンジンの大きさは見ることが出来る。
三菱製の金星エンジンはこの九九式艦上爆撃機の他にも零式水上偵察機など多くの航空機に使われた名エンジンであり、零戦に搭載されていた中島製の栄エンジンと共に日本が誇る素晴らしいものだ。

他のいくつかある特徴から間違いなく、この航空機が九九式艦上爆撃機であり零戦ではないことがわかってはいるが、このエンジンが栄ではなく金星あることがこのエンジンを見れば証明することができる特徴があることも興味深いものになるだろうと思う。
ちょっとマニアックだけど。

guam823ws4完全な部屋ではなくなっているこのスペース。
東から見て2番目に並べられてるセメンドバージの大きなスペースは晴れているとかなり絵になるところ。
特にワイド好きなカメラ派には興味がそそられるものだと思う。
しかしここがいったいどの部分なのかが謎であったが、今日ちょっとあそこかもしれないと思った手がかりがあった。
元々ここまでずどーんと抜けてる空間はセメンドバージには多くはなく、ここまで大きいことがここがどこであるかを選定する一つの要素にはなっている。

この陸上に出てしまっている四角い穴。
上に上陸しないとはっきりと見ることはできないが、ここはセメントバージ中央部の防水されたシーリングライトがあるところではないだろうか。
ちょうどこの四角い穴の下には壊れた階段も落ちている。
ただここがアメリカンタンカーと比べてあの部屋ではないのかという想像をすることは自分にはとても楽しい。
しかし初めてここに来たダイバーで、アメリカンタンカーに潜ったことがないダイバーの興味は惹かないだろうなあ。(笑)
  
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August 03, 2017

グアムのダイビングショップ物語2122―今日のグアムと、特別なビールではないのか

トラックでレックダイビングを楽しませてくれている日本人ダイブショップ・トレジャーズのインストラクターから興味深い情報をいただいた。
「ビール瓶が木箱に入っていて紙のラベルがまだそのまま瓶に付いている・・・。」
https://blogs.yahoo.co.jp/chuuk_dive/64210894.html


開戦当初こそ勢いの良かった日本ではあるが、徐々に攻め込まれて行く。
南太平洋まで広げていた陣地も徐々に攻め落とされ、守備ラインを北に押し上げられ1944年に入った2月17ー18日には日本海軍の最大の基地であり前線基地であったトラックが。
3月30ー31日にはトラックからパラオに移した前線基地も叩き潰されてしまった。
日本は大多数の艦船や航空機を失い。この後サイパン・グアムの絶対国防ラインも突破され、全く歯止めが効かなくなり、本土への大空襲。沖縄での最後の激戦、そして終戦を迎えて行くことになる。

世界的に有名なレックダイビングスポットであるトラックには世界から大勢のダイバーが訪れているが、その魅力の一つが50隻近い艦船の他に航空機も多数見に行くことができることだ。
特に艦船については、それぞれの名前やどのようにして今トラックに沈んでいるのかがかなり詳しくわかっているところも魅力だろう。
ほぼ全ての艦船が1944年2月17ー18日に沈んでしまったのだから。

空から何百もの航空機が爆弾や魚雷で攻撃を仕掛けて来る。
必死に回避行動を取る日本艦船たちだが、トラック環礁には美しい小さな無人島が無数にあって、逃げ惑う内に座礁してしまうものもいてその回避行動は困難を極め、2日間の攻撃の後にはほぼ壊滅状態となった。

日本にとって太平洋の島々は、米軍艦隊への攻撃上絶対に必要な前線基地。
一方、東南アジアの国々は燃料など資源確保に絶対必要であった。
つまりこの2つを奪われれば丸腰になってしまう日本であったわけで、自ずと敵の攻撃目標は定まっていく。
その攻撃目標がどんどん北に上がって来ているのだから、トラックやパラオの攻撃は読めていたはずである。具体的にいつとは言えないまでもおおよその推測は可能だったと思われる。

1944年2月4日。
アメリカの偵察機がトラックに飛来した。
このことからトラックへの攻撃が近いと判断した日本海軍は、連合艦隊の主力艦船を日本本土へ。空母などの機動部隊をパラオへ退避させることになり、連合艦隊旗艦である戦艦武蔵もパラオに移動した。
しかし多くの徴用船はトラックに残したままだ。
トラックの陸上に備蓄してあった大量の燃料など貴重な物資もそのままトラックに残した。

敵の攻撃近し。
とわかってとった行動であるにも関わらず、これだけトラックに残したままにしておいたことも驚くが、もっと驚くことがある。
トラックに今も沈む艦船・軍艦の内、少なくとも15隻以上は2月に入ってからのトラック入港である。
敵攻撃が近いならトラックに来させないようにするべきだったろう。
多くが元商船を徴用した艦船であり、燃料や物資そして人員をトラックに運んで来たものである。

ガタルカナルや硫黄島のように激戦に次ぐ激戦となり、孤立してしまい後方より物資や人員が補充されなかった戦地では食料はおろか武器弾薬さえも底をつき、人々は飢え、万歳突撃か自決しか残された道がなかった状況もある。
日本国内でも様々なものが配給制になっていたはずである。
しかし前線基地、特に司令本部がある戦地では食料や酒までかなり豊富に備えられていた。

連合艦隊主力や空母機動部隊が退避していったトラック。
2月17ー18日の大空襲はもう目前である2月16日夜。
南方視察を行って来た陸軍参謀本部と海軍軍令部の一行がその帰路トラックに立ち寄った。
お疲れさん会であろう。幹部たちは接待のため夏島(デュブロン島)の料亭で宴会を催し、中にはそのまま料亭で宿泊していく者も現れた。
連合艦隊司令官がトラックを離れた後を統率するのは残ったトラック現地の最高指揮官。
2月17日の攻撃はないとし警戒体勢を緩め、本人は早朝から釣りに出掛けて行った。
下の者たちも幹部たちは料亭で宴会してるし、指揮官は釣りに出掛けちゃうしで、警戒態勢を続けるのも変であろうという空気が漂っていたらしい。

そして2月17日早朝。
多くの幹部が基地に不在という中、トラック大空襲が始まるのである。

木箱に入ったビールがあると言う、りおで志ゃねろ丸は特設潜水艦母艦であったが特設運送船に変更されている。
2月3日に横須賀を出港したりおで志ゃねろ丸はおそらく様々な高級品を積み込んだと思われる。
向かう先のトラックはまだ日本海軍一番の基地であり、連合艦隊司令長官・古賀大将も就任しているトラックである。

自分がトラックで潜った経験では富士川丸にも大量の大日本ビール瓶が散乱していた。
もちろん木箱入りではないし紙のラベルも全てなくなっているのでビール瓶に刻印された会社名から大日本ビールと言っているだけだ。
ビールはすでに1940年に配給制が始まっている。
途中配給の方法は色々と変っているが1943年5月からはラベルからビール名はなくなっている。
書かれているのは麦酒であることと会社名だけで、それは1949年まで続き、その間には◯◯ビールを飲みたいだのなんだのの選択はできなかった。

りおで志ゃねろ丸の木箱入りビールのラベルにはASAHIの文字の一部が見えてる。
つまり1943年5月よりも前に製造されたビールなのかとなるが、そんなに古いビールが美味いのか?
そうでないとすれば、軍のお偉方向けのスペシャルビールなのか。だからこその木箱入りなのかもしれない。
しかし大空襲が迫っているという緊迫した時期に、お偉いさんのために特別なビールを運ばせる。
接待のために宴会を設けなければならない。
戦国の殿様の時代から代々続くご機嫌取りか。
それが重大な結果を招いている例はいくらでも挙げることができ、何回痛い目に合っても懲りない日本人なのかもしれないが、今現在もそういう警戒態勢をとることもなくミサイルは日本近海に落とされている・・・。

これから挙げる艦船たち。
山鬼山丸を除いて一度も潜ったことがないが、おそらくビール瓶をたくさん見ることができるのではないだろうかと思っている。
なぜなら緊迫した状況のトラックにわざわざ2月に入って送り込まれている。
2月に入港している艦船はまだあるが、燃料などを運んでトラックに来ていると思われるため除外してある。
そして出港地が横須賀で確実に物資を積み込める港からであることだ。

guam803sanサンフランシスコ丸
1月10日横須賀出港。東京港に立ち寄るが再び横須賀に戻り、トラックに出港。
2月4日トラック着。



guam803hanakawaHanakawa丸
1月25日横須賀出港。
2月4日トラック着。




guam803reiyoReiyo丸
Hanakawa丸とともに船団を組んで1月25日横須賀出港。
2月4日トラック着。




guam803taihoTaiho丸
1月31日横須賀出港。
2月13日トラック着。




guam803sankisan山鬼山丸
もしかするとTaiho丸と船団を組んでの出発だったかもしれないが、1月31日横須賀出港。
Taiho丸より1日早い2月12日トラック着。



guam803rioりおで志ゃねろ丸
2月3日、駆逐艦「夕月」に護衛されながら横須賀を出港。
2月11日トラック着。
何だかりおで志ゃねろ丸特別扱いにも見えるが、夕月が守ったのはまさか木箱入りのビールか?!

これらの艦船にビールなどの積み荷が実際にあったかどうかはわからない。
潜ったことがあるのは山鬼山丸だけで、記憶にあるのは大量の弾と薬瓶でビール瓶があったかどうか記憶にないんだから。
それらの詳しい情報は是非トラックにダイビング行って見て来て教えて欲しい。
頼もしい日本人ダイブショップ「トレジャーズ」にお願いするといいと思う。
また元ネタの記事は上記のブログから拝借したものである。


  
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July 28, 2017

グアムのダイビングショップ物語2117―今日のグアムと、グラスブレークウォーターの2つの出っ張り

guam728umiushi昨日まで全く影響がなかった台風5号。
迷走した挙げ句に西寄りにそして南寄りに戻って来るというへそ曲がり台風がグアムに影響ある海域に来たということか。
まだまだホテルのビーチやアクアアカデミーがダイビングしているボムホールなどへの影響は皆無だが、アルパット島辺りに打ち寄せるうねりが波しぶきを上げ始めたので、海面上が煙ってみえるようになって来た。
しかし今日のボートダイビングはアンフィシアター。
グアムの北側にあるポイントでボートが出港してから45分くらいかかるんだけど、位置的には桟橋から発電所の向こう側に突き抜けて行けたなら5分で到着する距離なんだけどね。
カブラスアイランドと言うくらいで昔は外洋に通じているチャネルがあったんだろうけど、今はグラスブレイクウォーターを端から端までグル〜ッと回り込んで来ることになるので遠い感じ。
おまけにうねりが南西から来ているので行きはよいよい帰りは怖いってやつだ。
透明度も予想通りだったので、ここの内容は省略する。(笑)

セカンドダイブはフィンガーのドリフトって言うんだけど、一人がアメリカンタンカーに行ったことがないっていう話でそこに行きたいと。
よくぞ言ってくれたよね。
今日のキャプテンは珍しいところに行くのが好き。
だから当たればOKなんだけど、そういうキャプテンも行き慣れていないところだし我々ダイバーも行き慣れてないわけなんだよね。
おまけにすぐドリフトっていう話になるので、それってはっきり言うと知らないところをただ流して泳いで行くってことになっちゃう。
アンフィシアターは昔々は結構ダイビングしたので、ブイから出発して戻って来るダイビングは組み立てられるけどそのまま行っちゃって〜は当てなんかなくて、何か出てくれ〜だよ。

guam728ameriacntankaerタンカーからドリフトしていいよって言われたらいつもなかなか行けないセメンドバージNo.4とかにも足を伸ばせていいんだけど、なぜかタンカーのドリフトは誰もやらないんだよ。
でもタンカーならダイビングを組み立てられるし、水中ライトのいいやつを全員持ってるし、そして何よりもアンフィシアターより透明度が良いっていうのが最高だったね。
記念撮影用にアメリカ国旗も格好良く付け替えられたみたい。

そしてふと思ったことがある。
前から気にはなっていたんだけど偶然にそうなっただけと思っていたのが、グラスブレークウォーターにある二つ出っ張ったところ。
出っ張らせた分だけ積み上げた岩も多く必要だったろうけど、なぜ真っすぐ平にしなかったんだろう。
見た目も真っすぐな方が絶対いいと思う。
それが何だか今日はピンと来た!

BlogPaint1944年から作り始めた防波堤。
グラスブレークウォーター。
浅瀬のサンゴ礁に岩を積み上げて作られた防波堤なので外側を見てみるとサンゴ礁の向こうには真っ白い砂地も広がっている。
その防波堤の基礎にハワイから燃料を運んで来てお役御免になったセメンドバージを利用する計画。
ここのサンゴ礁は東へ行くほど幅広くなるし、サンゴ礁の内側の砂地も浅く広がって行っているので岩を積み上げるのも比較的簡単だったはず。

guam728tanker1そろそろサンゴ礁の幅も狭くなっていくし、その両サイドの水深も深くなっていく。
そこで投入するのがセメンドバージNo.1。
当初考えた計画はサンゴ礁の浅瀬にセメンドバージNo.1を載せて、さらにその上や隙間に岩を積んで防波堤を作ろうとしたはずであり、その通りの工事を行った結果。
「これは大変だ!手間と時間が掛かりすぎる!」って思ったのでNo.2からは積み上げる岩のすぐ脇に沈めて岩が崩れていかないようにストッパーにしようと作戦変更。
後はどの部分に置くか?であったろう。

guam728tanker2そこでまずは基準となる地点に岩を積み上げて行き、その岩の塊どうしを繋いで行くように岩を積み上げて行けば真っすぐな防波堤ができあがるはず。
第一の目印ポイントは西南西に伸びていた浅瀬のサンゴ礁が南西方向に曲がる地点。
つまり右側の出っ張り部分だ。
この岩山を最初に設置した後は、残るセメントバージ4隻をなるべく均等に並べて行くように距離を測って行って、その終わりの部分にもう一つの岩山を築いた。
後は真っすぐ二つの岩山が繋がるように岩を積み上げて行くだけだし、その内側には均等の距離でセメントバージを置いて行けばいい。

guam728lightbeam水中で見えていない部分を白い線で書き加えてあるけど、No.2〜4はほぼ均等に並べられたし、グラスブレークウォーターの上を走る道路がやけに一直線の真っすぐさであることがこの推測を裏付けていると思う。
推測できないのが何故セメンドバージNo.5。つまり現在のアメリカンタンカーはグラスブレークウォーターから距離をおいて水深30mの海底に置いたのかだが、工事を進めて行くうちに、これはどこまで補強の役に立っているのか?とか、こういうのって将来ダイバーたちが潜って楽しめるんじゃないの?という意見も出て来たことが想像できる。
そこで最後は将来のダイビングスポットという目的で敢えて沈めたように思うのだがどうだろう。

ちなみにアメリカ国旗を付けたりしてアメリカンタンカーと呼ぶようになったのは近年と思われる。
1979年発行のダイビング雑誌にはオイルタンカー呼ばれていたことが確認されている。  
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July 21, 2017

グアムのダイビングショップ物語2113―今日のグアムと、解放記念日に紫電改を思う

guam721liberation音もなく滑空して来たと思ったら右に旋回し、水面着水寸前に機首を持ち上げて見事な姿勢で不時着水した機体は100mほど滑走した。
急いでボートで救出に向かうとパイロットが見えたが脱出する様子もなく、機首から逆さまに沈んで行ってしまった。

愛媛県南宇和郡城辺町(現愛南町)久良湾の沖合40mで1978年11月発見。
翌年7月14日に愛媛県が引き揚げ、現在は南レク馬瀬山頂公園・紫電改展示館に展示されている。
1944年7月24日、広島の呉を攻撃するため四国南の米機動艦隊から発進したおよそ500機に立ち向かった343航空隊・剣部隊21機の紫電改が豊後水道で迎え撃った空戦の結果、F6Fヘルキャット・F4Uコルセア・SB2Cヘルダイバー偵察爆撃機合わせて16機の成果が確認されるが343航空隊の6機が未帰還。
この6機の内の1機が不時着する様子に目撃者がいたのだ。

その一年前。
1977年9月25日。
豊後水道の愛媛県と反対側である宮崎県東臼杵郡門川町で発見され後に引き揚げられた誉エンジンがある。
エンジンには「いかり」のマークが入っており、海軍機に搭載されていた誉エンジンであることがわかる。
誉を積んでる海軍機は、銀河・流星・彩雲・烈風・天雷・連山・紫電・紫電改となるが、烈風・天雷・連山は実戦に配備されていない。銀河・流星はこの周辺で落ちた記録がない。
残る彩雲・紫電・紫電改は343航空隊で使用されていて四国・九州方面で作戦していたので可能性がある。
そして343航空隊の記録を調べると門川町の辺りに落ちた可能性のある航空機は7月24日の豊後水道上空での空戦しかない。その日に未帰還となった紫電改6機の内の一機である可能性が高い・・・。
しかし門川町では空戦や航空機の墜落を目撃した人がいなかったのだ。
ところが10年程前に漁師の芝エビの底引き網に重いものがかかり、漁船2隻で引っ張って来たが底がかりしてそれ以上動けなくなって網を切断したことがあることがわかった。
その後ダイバーたちがエンジンを見つけて引き揚げられたわけだが、機体そのものもその沖合5キロ程のところにまだ残っているということになる。

これで6機の内の2機が確認されたことがわかったので、もう一度1944年7月24日の豊後水道上で行われた激戦の様子を振り返りたい。

7月24日、剣部隊が飛ばせる紫電改は戦闘301、407、701から8機ずつの24機だけだった。
しかしエンジン不調で引き返した機が3機あったため21機の出撃だった。
対する敵は500機という情報から源田司令はできるだけ後方の編隊にぶつける作戦を考えた。
基地を発進して40分、10時を少し回ったところで四国最西端の佐田岬の会敵地点に高度6000mで到着したとき、高度1500〜2000mで豊後水道を南下中の敵戦闘機と爆撃機約200機を発見。
総指揮官・鴛淵大尉の701飛行隊8機を先頭に、右翼が松村大尉率いる301飛行隊。左翼は光本大尉率いる407飛行隊の隊形で佐田岬から南下すると20〜30機の編隊に分かれて後から後から続く敵機群の後方部隊に向けてまず松村大尉の301飛行隊が攻撃開始する。
鴛淵大尉は先行している編隊と差が開いてる一編隊に向かって一気に機首を下げたと同時に701飛行隊と407飛行隊も突撃開始した。

7月24日の午前8時、空母・ヨークタウンから8機のF6Fヘルキャットと4機のF4Uコルセアが250キロ爆弾を抱えて呉を目指して発進。
その他8隻の空母から飛び立った数百機の攻撃隊は四国南岸から4000mの高度で進入し、呉に近づく前に高度を4500mに上げて旋回。
標的は戦艦・長門、軽巡・大淀と利根、その他多数の小型艦艇。

空母・ヨークタウンから発進し攻撃を終えた米88戦闘中隊が豊後水道を南下する帰路。
10時5分、最初の343航空隊との接触は戦闘301の武藤少尉と僚機が水の子島灯台付近で、TBFアベンジャー雷撃隊から遅れていた2機のF4Uコルセアだった。
それを見た松村大尉は僚機とアベンジャーに向かう。
最初の武藤の攻撃でスペックマン大尉のコルセアが撃墜。残されたアプルゲート中尉の救援に向かったのはF6Fヘルキャットに乗るケーグル大尉とネイヤー中尉。
そこに襲いかかる紫電改はネイヤー中尉をあっという間に撃墜。
アプルゲート中尉は180°の急旋回で敵編隊の2番機を攻撃。命中された紫電改は垂直に降下。しかしアプルゲート中尉の後ろには別の紫電改が。さらに背後には紫電改を撃墜したばかりのケーグル大尉が張り付いて機銃を発射すると機体尾部全体がなくなっていた。
おそらく撃墜した1機目は米田機、もう一機が今井機である可能性が高いと米側は言う。

アプルゲート中尉とケーグル大尉が合流し離脱しようとすると1機残っていた紫電改がアプルゲートに上方攻撃を行い、そのまま2機の前方を横切って切り返すと射撃しながら突っ込んで来る。
アプルゲートは150mまで接近し弾を撃ち尽くした。
お互いに命中弾があったはずでアプルゲートは衝突を避けるために急降下するが、2機は3mの至近距離まで接近。その紫電改は風防を吹き飛ばし横転して見えなくなった。
この紫電改が武藤機ではないかと米側は言うが、米田機が不時着した後「敵の顔が見えるところまで接近した」と話している。
アプルゲートはパラシュートで脱出。

米49戦闘中隊の報告書によるとウイリアムズ大尉と列機ギブソン大尉が遭遇した紫電改2機を追撃したが、ウイリアムズ大尉が撃墜した紫電改がギブソン大尉が落とした紫電改よりも白煙を多く吐いていたとある。
日本の戦闘概要によると、鴛淵大尉はエンジンを撃たれたと記録があり、ウイリアムズが鴛淵機を、ギブソンが初島機を撃墜したと思われる。

もう1機ある。
第2中隊第1小隊第2区隊3番機の溝口機は豊後水道付近で増槽を落下できないまま交戦と戦闘概要に残されている。
米49戦闘中隊のヤンシー中尉は増層タンクについて触れていないが、単独で飛行する紫電改を豊後水道の九州側で撃墜したと言う。
これで6機を撃墜したパイロットとその様子が判明したことになる。
米側の意見のため、紫電改6機の搭乗員たちの活躍の様子は少ないが、一様に優秀で勇敢なパイロットが戦争末期のこの時期にまだいたなんて信じられないとコメントしている。

燃料がなくなり戦闘空域から離れ大村基地に帰ってくる紫電改はほとんどが単機、または2〜3機の小グループで激戦の様子がうかがえるが、上々の成果を上げた343航空隊。
しかし隊長はじめベテラン搭乗員たち6名が帰らなかった。
301飛行隊の鴛淵孝大尉、鴛淵大尉の3番機として護衛を務めた初島二郎上飛曹、武藤金義大尉と同じ区隊の米田伸也上飛曹、今井進一飛曹。407飛行隊の溝口憲心一飛曹である。

まだ門川町の海底で、もし増層タンクが残っている紫電改が眠っていれば、それはかなりの確率で溝口機であると思われるが、久良湾で見つかった紫電改については決定的なものが何も見つかってはいない。
しかし機体尾部が吹っ飛んで落ちて行ったと言われる今井機、風防が飛んだとされる武藤機。
米側の証言が正しいとしてこの二人の紫電改ではない。
搭乗員が調整した座席の位置が沈んでも変っていなければ、長身であった初島上飛曹の一番下げていた位置とは異なるため初島機も除外されるかもしれない。
また米田上飛曹は不時着の後に妹に敵パイロットと顔が見えるほど接近したと話しているが、久良湾の紫電改には搭乗員が乗ったまま沈んで行ったという目撃証言があるので米田機も除外すると・・・。
残るは総指揮官である隊長・鴛淵大尉が搭乗していた紫電改なのかもしれない。

今日はグアムに米軍が上陸を開始して日本からアメリカに解放した記念日であるが、それから3日後にあの紫電改6機が撃墜された7月24日でもあるのだ。
  
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July 15, 2017

グアムのダイビングショップ物語2111―今日のグアムと、ダイビング始めたばかりのレックスペシャルツアー

guam715ws2ダイビング始めてまだ1〜2ヶ月。
オープンからアドヴァンスを取って、器材を買い揃えた。
よっぽどダイビングにはまったみたいな二人はまだアドヴァンスを取らない段階でレックスペシャルツアーの申し込みをして来た。
東京・高田馬場でアクアアカデミーの電話受付をしてくれてるダイビングショップ・ブルーサブ。
まだレックスペシャルツアーのことはブルーサブにも知らせていないのに二人は知っていて、ブルーサブを通して予約するもんだからブルーサブもびっくり。
「アメリカンタンカーとか普通のとこでいいんじゃないの。」
まだまだ初心者だし、レックがどんだけ好きかわかってないしの話なのであまり気合い入ってない。

そしてグアムに到着した二人は、日本でドライスーツで潜っているのでウェットスーツと、レックダイビングだって言うのに肝心のライトを持っていなかった。
最近のライトはかなりの高性能なので値段も高額なものが多く、それをレンタルで揃えておくってわけにはいかない。
「どのライトにしようか迷っているうちにグアム旅行になっちゃったんですよ。」
まあ今回は東海丸の紹介編とバルボンバーに行こうと思っているのでライトがなくても何とか楽しめるコースを考えていた。
自分のライト一本で何とかなるでしょ。

guam715ws1まずは乗船口から艦橋内に入る。
すぐ上のデッキのブリッジデッキに上がって配膳室の流し台。
初体験の船内は東海丸が傾いていることもあって安定していない。でも慌てている様子もないので次は風呂とトイレを上から覗き込む。
流し台の方に戻ってエンジンオープニングに進入するが、今日はそのまま天井のスカイライトの窓ガラスの厚みを感じてもらって船外へ出ることにする。
初めての沈船内は10分ほどで、ボートデッキで1930年に日本のプロゴルファーが第二回海外遠征でニューヨークに行くときに記念撮影をした地点を確認。
そのまま船首へと向かう。

大砲の台座と弾丸のケース、船首と散乱した太いワイヤーの束。
これらはみんな当時のことを思い浮かべることができる貴重な材料なのでスレートに書いて紹介。
後で解説するときのために記憶にとどめてもらう。

guam715boat1ここで面白い写真を紹介する。
東海丸がたぶん東南アジアのどこかの島かと思われるところに入港しようとしているところだと思う。
白く塗られている艦橋部分の一階に見えているところがアッパーデッキ。
その上がブリッジデッキでここが客室用のスペース。
その上は救命ボートが2つ見えているが、その前方に船長たち船員用の船室があり、ここがボートデッキと呼ばれる。
そしてボートデッキに立っている子供のちょうど上にはもう一つのデッキと船室があるが、この部分がフライングブリッジデッキと呼ばれる操舵室である。
が、今は全く何も残っていないので、このデッキの存在は多くの人が気が付いていないかもしれない。

guam715boat3guam715boat2では現在の東海丸の水中写真と比べてみると・・・。
不思議なものがあることがわかる。
救命ボートを吊るしている棒だ。
現在の東海丸の右舷側には3本の棒が残っている。一番後と真ん中の棒は当時の位置であることがわかり、この二本の間に一隻の救命ボートがあったはずだ。
しかしもう一隻分の救命ボートを吊るす棒はなくなっていているのに、何故か一本だけ追加されている。
ちょうどボートデッキに子供がいた辺りから上に向かって救命ボート用の棒が一本だけ上に伸びている。

当時のフライングブリッジデッキがある状態ではここに救命ボートを吊り下げるスペースはないようだ。
それに一本だけでは救命ボートは吊り下げられないではないか・・・。
ではいつ何のためにこの棒は取り付けられたのか?!
こういうのがレックダイビングの楽しみなんだよね。

guam715ws3続いてバルボンバー。
九九式艦上爆撃機22型。
ここで初めてのフリー潜降プラス、初のウェットスーツダイビングでレンタルスーツだからウエイトは自分が設定している。
当然重すぎないウエイトを考えて、渡しているのは1キロ。
なかなか潜れないと思ったのかヘッドファーストで降りて来たところ耳抜きができないという初体験ずくし。
「耳が痛い」というサインをもの凄い勢いで送ってくるけど、こちらはわかったと言って待つしかない。
サインを繰り返すけど人の耳のことは助けることもできないわけで、上に上がって直せといって放置する。
もしかしたら日本では助けられていたのかもしれないけど、自分でフィンを使って上がれる力はあるし、ここはスパルタだね。
そんなときに絶好の位置にでっかいタイマイが泳いで来たから激写しちゃった。

guam715ws5guam715ws4無事耳抜きが完了して、偵察員席と無線機。
三菱製の金星エンジンと集合排気管。
操縦士席に残る操縦桿やラダーペダルを見てセメントバージへ。
バルボンバーが水深25mにあるのでここで一本分滞在するわけにはいかないけど、その分後半浅いところのセメント
guam715ws6guam715ws8バージへも行くことが出来るので2倍楽しめる。
今日はセメントバージNo.2の応急操舵室とセメントバージNo.3の船首。
特に船首は、もう安全停止も終了していたので乗ってみ
guam715ws9た。
立ち上がってボートを呼ぶこともできると思っていたのでシグナルフロートはボートに置いてきたし。(笑)  
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July 11, 2017

グアムのダイビングショップ物語2108―今日のグアムと、零式水偵で掛け算

guam711reisen9予想はしていたけれど・・・。
零式水上偵察機。
シープレイン・ジェイクのエントリーポイントにブイが付いていた!
しかも大型のダイビングボートでも何とか留められそうなアンカーとロープの太さのものが。
その辺りの水深15mほどの水深はそのまま沖に行ってもそこそこ見えるんだけど、水深20mを越えて行くとだんだん濁って来て、とうとう零式水偵の辺りは透明度3mといったところか。

guam711reisui1そこで部分部分のパーツにクローズアップ。
零式水偵は機体後部ほど深くなっているのだけど、ここが機体最後部。
この後側に水平尾翼の骨組みが残っているが残念ながら垂直尾翼は見当たらない。
上面の平らな部分は垂直尾翼のラダーに繋がる部分で、この形がラダーの曲線と一致しているはず。
その右に見える出っ張っているパーツは垂直尾翼の付根で、ラダーはそこまでの長さだったことがわかる。
そして透明度が悪いのにやりたくないけど、この下の砂をほじくれば零式水偵をクレーンで吊るして船に上げるときに引っ掛けるフックが出て来るはず。
もしかしたら砂で埋もれてるだけに表面に付着物のない当時のままの姿で出て来るかも!

guam711reisui3フロート後部のフロート用ラダー。
上の支えの先端の丸いネジ状に見えてるところを軸にして左右に回転する。
70年以上経ったいまでもすーっと動くことに驚くが、当時は2本のワイヤーを機体からフロートの後側の支柱の中を通してフロートの中を通ってラダーに繋がっていた。
操作は操縦士の足元のラダーペダルで行ったので、垂直尾翼のラダーと連動していたということだ。
水面に浮かんでいる状態ではこのフロートの大部分、特に後方部分はほとんど水中に沈んでいたということになる。

guam711reisui4コックピット後方部分の淵。
レール状に見えているところに沿って機銃を動かし後方の敵機を狙った旋回銃架。
中心よりも右にずれたところに銃架が残っているが、そこに機銃をセットしていた。
戦闘時以外は機銃を縦に回転させ機体後部に格納するので、格納時機銃は上下逆さまになり銃口は機首を向くことに成る。
guam711reisen8
改めて見てみて気が付いたことがある。
そもそも銃架がレールに残っていることに気が付かなかったぜ。(笑)
3つのボルトで固定されていたこともわかるじゃん。
そしてその位置だ。
この位置で機銃がセットされていたら電信員は座席に付けない。機銃が背中を邪魔している。
まあ、この機体は後で廃棄されたのではないかと思っているので、戦闘状態で撃墜されたのであれば機銃を操作している電信員は後を向いて交戦中だったことになるが、廃棄されたとすれば誰かが機銃を外し、銃架はそのまま適当な位置に放置しただけのことだろう。

guam711reisui7主翼結合部覆。
この前鹿児島の鹿屋で見て来た二式大艇が、時間の経過や屋外にあるため台風で被害を受けることにより主翼などあらゆる部分をこのバンド状のもので補強していた。
全身包帯だらけという姿だった。

この帯状の部分で主翼は折り畳んで船上に載せていた。
当然ながら、この部分よりも外側が補助翼となり内側がフラップとなる。

guam711reisui2さて問題はこの穴だ。
ここまで正確な四角形であるということは、元々ここに蓋があって何か点検なりのときにその蓋を開けて中を見るための穴で、今の穴の開いた状態は蓋がどこかに行ってしまったということのはずである。
翼の先端に見える棒状の突起はピトー管。
そしてこれは右主翼なので位置関係も間違ってはいない。ここまでは。

機体後部は今はないが垂直尾翼を上にして沈んでいるが、主翼部分はフロートが左右2本とも残っているため裏返しとなっている。
つまり上から見えている部分は主翼の下側(裏側)であり、そういう見方をしてピトー管は右主翼に付いていることがわかってる。
ならば、ピトー管よりも外側の補助翼側にある四角い穴と言うことになるわけだ。

もしこのピトー管との位置関係が左右逆ならば、この穴は補助翼を作動するための桿の点検孔だが、逆の位置に穴はない。
そんなに翼端に穴があれば強度にも影響しかねない位置となってしまう。
そこで改めてピトー管の位置を零式水偵の図面と比べてみると、あまりにも翌の中心に寄り過ぎている。
ピトー管の付根に開いてる穴はピトー管の点検孔が少し大きく壊れているだけでそれも図面通り。
しかし位置がおかしい・・・。
いったいどういうことだ・・・。

guam711reisui5guam711reisui6・・・と夢中になっている場合ではない。
ディープダイビングの講習中だったことを思い出す。
贅沢なことに零式水偵をバックに水中の課題。
何か作業をしてみて陸上のときよりも水中にいるというストレスのせいで時間を要することを体感してもらって、そういう判断や作業が難しいのが水中なので十分前もって計画を立てておかなくてはならないし、その計画を余裕を持って行うことを自覚してもらおうというものだ。
ちょっと手が止まることがあったが、それは後から聞けば計算そのものができないのではなく筆算ってどうやるんだっけ?という戸惑いであったらしい。
答えもご明算である・・・。
が・・・、改めて陸上で計算してもらったら間違えると言う前代未聞の大逆転ぶりを発揮。
これはもうずうっと水中に居た方がいい人なのかもしれない。
しかもずうっとレック。
この方グアムでダイビングするの3回目。
外洋はバラクーダロックしか行ったことがないと言うのに「私ずうっとレックでいいわ。」って言うので、ブルーホールにも行く気がないらしい。(笑)

  
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July 10, 2017

グアムのダイビングショップ物語2107―今日のグアムと、コモランのセカンドデッキの部屋の配置

guam710cormoran1船の客室って前方と後方とどっちに高級な部屋は作ってあるんだろう。
上に高く伸びていれば上層に行くほど高級だとは思うけども、コモランの場合は上に部屋がないのでね。
今回はエンリッチを使ってレックスペシャルツアーとして行くので、セカンドデッキを後から前まで通して見てみようというのが計画だ。
まずは一番後方から進入する。

guam710cormoran3バスタブなどは行き止まりにあって濁りやすいので自分は待機。
みなさんに写真を撮ってもらいます。
その後前方に向かって移動して行くわけだけど、最近この光景が気に入ってる。
残念ながら昨日と今日の透明度は良くないと言うよりは悪いと言った方がいい。でも船内は元々明るくないところに外から光が青く入って来ているのでブルーの世界だ。そこに水中ライトの光がオレンジ色っぽく照らし出して行く光景は何とも言えずに綺麗だと思う。

guam710cormoran2エンジンがある中央部分で一旦アッパーデッキに上がって、またその先でセカンドデッキに降り直さないと行けないが、後から来るダイバーたちはさすがにレック大好きダイバーだね。
明るいライトが何本も見えてる。
ダイビング器材の中でもダントツ進歩が目覚ましい水中ライトという器材。
それに伴って値段も上がってはいるけれど、昔と違って圧倒的に水没の危険性が減ってる。後はバッテリーの寿命だけが買い替える理由だとすれば、多少高くても手に入れる価値があると思う。
今回のダイバーの中にも水中ライトを新調した方がいるが、断然ダイビングの楽しさが違って来ていると言う。

guam710cormoran4船首に近付くにつれて、船の幅が狭まって来る。
中央部分はアッパーデッキにカーゴ用の大きな穴が開いていて、その両脇に船室がある配置となっているが船首近くにはカーゴスペースはなく、また船室もなくなっている代わりに小さい部屋が壁で仕切られているのが増えて来る。
壁の丈夫さや床のタイル張りであることを見れば、これらの小さい部屋はシャワールームかトイレかという推測ができるが、おそらくはトイレだろうと思う。
シャワーは順番待てるけどトイレの順番は待ち切れないことだってあるわけで、ある程度の数を用意しておかないとだ。

guam710cormoran5操舵室の下辺りの船室はゆったりしていると言うか区切りがない一つの大きな部屋であったと思われるので、そこが客室であったのかそれとも船長たちが使っていた部屋であるのかわからないが、少なくとも2等3等の客室ではない。
艦橋よりも前方はトイレなど細かく区切られた部屋が多い。
それに対して後方は大きなトイレ・シャワー室と思われるタイル張りの部屋があるが前方に比べれば快適そうな移住空間が広がっているように感じる。

guam710cormoran6船尾と船首にトイレ・シャワーなどの水場を配置。
エンジンの前方、艦橋の真下辺りに大きな仕切りのない部屋。
エンジン後方には快適な移住空間の大部屋。
艦橋と船首の間に小さめの部屋、つまり一等船室があったと思えるのだがどうだろう?
まさかサードデッキに高級な客室があったとは思えない。  
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July 09, 2017

グアムのダイビングショップ物語2106―今日のグアムと、バルボンバーからセメントバージで窒素抜き

guam708val前にも一眼に10ミリのワイドレンズ付けているダイバーが「ここだけでいい!」って言ってたけど、やっぱり自分以外にもここを気に入ってくれるダイバーがいてくれるってことはここが面白いってことだね。



guam708cb1ここのところバルボンバーに特定の謎がないのと、他のダイバーたちが綿密にサイズを測ったり撮影したりと忙しそうなので、自分は着陸装置のメインのショックのメッキ部分を磨きながら浮いていた。
ダイバーたちが一通り見て終わったようにこちらに集まり出したので、ここからセメントバージの2つ目に向かう。
船首から20mほどのセメントバージが倒れていない部分。
それがここだ。
上や壁に裂け目があって、太陽が輝いていれば「ここはロタホールか?!」と行ったこともないのにふざけんなよ!と言われそうな比較なんかしちゃってる。
guam708cb2でも今日のダイバーも魚眼レンズを付けて試しているということで見せてくれた写真はここのものであった。
太陽が出ていて欲しかったなあ。
誰がこんなところに置いて行ったのか魚取りの網が放置されていたので、自分はそのオレンジっぽい網と後のダイバーっていうのを狙ってみた。
やっぱり太陽が足りないんだよね。

次はセメントバージ2つ目の応急操舵室入口。
とにかくレックスペシャルチームはとことんなので普通のペースでは行かない。
guam708cb3もう潜水時間は30分以上が経過している。
このまま行けば浮上は3つ目のセメントバージの後までは行かないな。
それならそれでこの辺りの面白いところ、まだ見ていないところを写してみようか。

これは3つ目のセメンドバージの船首部分。
guam708cb4水面下すぐのところにちゃんと立った状態で沈んでいるので、綺麗だし絵にもなるように思う。
ここはスノーケリングでレックダイビングを楽しめるね。
背が立つところも多くあるし波も穏やかだし、実は隠れたスノーケリングスポットだ。
ボラードなどもしっかり残っている。
今日はタンクを背負っているのでデッキ部分に上がっていないが今度やってみようかな〜。
  
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July 08, 2017

グアムのダイビングショップ物語2105―今日のグアムと、木津川丸の山立て

guam707kidukawa1こないだ小さいボートの試運転を兼ねて木津川丸の山立てを確認しに行った。
ほぼ正しい山立てであることは確認できたし、もう一カ所の目印も確保してほぼ確実だろうと思って臨んだ今日のレックスペシャルツアー。

問題の一つは自分で操船していないことだ。
度付きのサングラスをかけていてようやく見える距離の目印。
それが自分がダイバーとしてタンクを背負ってマスクを付けているとなると、マスクには度を入れていないので肝心のエントリー直前、「はい今入って!」というタイミングは果たして正しい地点なのか?という不安な状態になる。
最初はみんなで飛び込んで水深10mまで降りて何も見えていなければ一度浮上しようと思ったけれど、昨日の東海丸の透明度と同じだとすれば木津川丸のマストもはっきり見えてはいないだろうと思い直して、まずは自分が飛び込むことにする。

ない。
タンクを背負って飛び込んでるので水深20mまで降りてみちゃったけど・・・ない。
一度浮上。
次も見えない。
これ以上上り下がりは自分が危ないので、ここでこの日のために用意しておいたシグナルフロートと24mのラインをボートから取ってもらう。
見つけたらそれをマストに結んで浮上させ自分はそこで待機だ。

ようやく見つけたときには15分も経過していた。
今日のレックスペシャルは人数が多いのでボートをチャーターしているが次回からはまずキャプテンのフレイビンを潜らせてフロートを上げさせる。
戻ってきてキャプテンを交代して自分がダイバーたちと潜る作戦にしよう。
そうすればフロートの位置から間違いのない山立てを作ることができるので、その後はフロートなどなくても大丈夫になるはずだ。

guam707kidukawa2guam707kidukawa3ボート上で待ち構えていたダイバーたちがワーッと降りて来るのが見える。
今日の木津川丸の目的は大砲。
でもその前にマスト下の船内をちょっと覗いてみよう。
特に今日の自分はナイトロックスを使っていてもすでに15分の潜水時間があるので、気持ち的にも余裕がない。
透明度はよくはない。
写真もかなり接近しないと鮮明にならないので、さすがに4月のマリンダイビングフェアで木津川丸を題材にして写真コンテストに入賞したご夫妻も苦戦していることと思う。

guam707kidukawa4guam707kidukawa5そんな中100円ショップで買った巻尺をシュルシュル伸ばすダイバーが。
大砲の口径や砲身の長さを測ることで大砲の機種を割り出そうというものだが、ちょっと写真的にはモデルとも見えないしという状態ではある。
そして反対側には、大砲をちょっと撃ってみようかな〜っていう気持ちがありありのダイバーが両手で構えている。
ありゃあ弾が出たら寸法計っているダイバーの頭はないな。(笑)  
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July 07, 2017

グアムのダイビングショップ物語2104―今日のグアムと、セカンドダイブで東海丸

guam706tokai1セカンドダイブで東海丸。
このボートではよくあることだけど、もう一つのボートでは決してないことであることが最近わかった。
一本目にブルーホールに行って、2本目に東海丸となると両方とも深いダイビングになって安全ではないのでという理由には納得する。
でもダイバーたちにしてもそんなことはわかっているわけで、本気で東海丸のエンジンオープニングに突っ込んで行こうなんていうダイバーがいるとは思えない。
あまりにも興奮してしまって自分の安全を犠牲にしてまで危険な深度に行くことは考えられない。

セカンドダイブでアメリカンタンカー。
これは日常茶飯事で行われる組み合わせで、すっかりアメリカンタンカーはセカンドダイブ用のポイントみないになってるけど、アメリカンタンカーも決して浅くはないんだよ。
例えばアメリカンタンカーの一番ポピュラーな部屋。
船尾の入口から入って行くと割と大きな部屋があって、両脇の丸窓から入って来る光と真上の大きな穴から入って来る光とで真っ暗にはなっていないので、ほぼ全てのダイバーが入って行く。
その部屋の中の左舷側だけしか通らなければ、深度は20〜21mで収まるが出口は半分塞がったような狭いところを通過しなくて行けないし、絶対に右舷側も見たくなってるはず。

それで右舷側を通って右舷側の出口から出ていけば深度は24〜25mほどになってしまうはず。
おそらくほぼ全てのダイバーの深度がこんなところだと思う。
ときどき見るけど右舷から出てそのまま右舷の淵を船首に向かって泳いで行くダイバーチームも見かける。
それに対して東海丸。
まず潜降ロープにつかまって降りて行くと水深16mほどで着地。
艦橋の上の方に位置する部屋などは水深20mほどで入ることができる。
ちょっと興味を惹いて配膳室の流し台を見に行って水深24mほどでアメリカンタンカーの部屋の右舷側と同じくらいの深度だ。

guam706tokai2艦橋部分から出て船首に向かって40mほど泳ぐと船首に行くことができ、その深度は16m。
そこでタイタニックをやるもよし、すぐ後側には砲台も見ることができる。
そろそろボートに戻ろうと、右舷の船縁に沿って泳いで行けばずうっと水深は16m。艦橋まで戻って来たら、少し離れて東海丸を右横から見た風景を写真に撮れば、そこは水深12〜13mだろう。
こうして行くところを制限してやればアメリカンタンカーと同じ深度で楽しむことができる。

強いて言えば、アメリカンタンカーの後半をグラスブレークウォーターに移動してダイビングすると、深度は10mよりも浅くすることができて窒素の排出には望ましい状態になるが、ずうっとアメリカンタンカーの上で過ごしているダイバーも多く見られ、そうなってくると東海丸とどこが違うんだっていう話に成る。

安全性を重視してやっていることなので文句は言わない。
そうなんだぁと思う。
そして東海丸に行くためには別のボートに乗らないとダメだぁとも思うので、別のボートに乗ることについて気にしないでいただきたいわけである。
どちらもいいボートなので、お客様ダイバーによってはこちらのボートと向こうのボートは使い分けて利用させてもらっている。
両方のボートとも自分にとっては大切なボートなのだ。

guam706tokai3そういうわけで今日の東海丸は深いところは攻めない。
最近ハタタテダイがかなり集まっていたりするので、レックと魚というところに注目してみた。

  
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July 01, 2017

グアムのダイビングショップ物語2101―今日のグアムと、ドーンとビヨーン効果だな

guam701chainese関東大震災で流れが変った。

日本の港と言えば、横浜・神戸。
現代人にとってみればこの二つの港しか頭に浮かばないかもしれないが、横浜の港が圧倒的に大きい。
それには理由があって、明治から昭和の始めにかけて日本に利益をもたらしたシルクの輸出。
当時シルクの輸出は横浜港からしかしていなかった。
一つの理由には、船に積み込む前のシルクの品質検査を義務づけていたが、その検査場が横浜にしかなかったというのもあるが、やはり何か見えないところで権益をめぐる力が動いたように思う。
実際に関東大震災で横浜港に被害が出てシルクの検査に支障を来したとき、やむを得ない理由と言うことで神戸でもシルクの輸出ができるようにシルクの検査場を作ってシルクの輸出を神戸でも開始することになった。
横浜港も驚くべきスピードで検査場を復旧させたが、ここでシルク輸出の独占が終わった。
このシルクの取り扱いの開始時期の差が、神戸港と横浜港の大きさの差になっているのだろう。
そしてそのまんま二つの港の発展の差が二つの中華街の規模の差になっているのかもしれない。

guam701mojiguam701yokohama以前、大阪商船の各地支店の建物を見比べてみたときには気が付かなかったが、実際に現地を歩いてみると横浜ももちろん同じであるように歴史を感じさせる建物が多く残っている。
そしてそれら建物が似ているのだ。
全ての建物ではないが、かなり多くの建物が角地に建って
guam701tokyoいてその角っこに玄関を持って来て、その角に丸みを持たせたデザインだ。
おそらくは当時のデザインの流行だとも思うが、土地がまだ空いていて角地を選んで建てることができたからに違いない。
角地以外でそんなデザインは使えないわけだから。


guam701ginzawako実際にその建物の角に立って見上げてみると、建物の大きさは小さくても大きくても同じ印象に見える。
まず上に向かってドーンと立ち上がっている。
左右対象にビヨーンと建物が伸びてどこまでも続いてるかのような印象を上が伸びているだけにより与えているように見える。
だから角の玄関の頂上部分は何かしらのデザインで高く上に伸ばしている。
東京・銀座の和光ビルはそこに時計台を置いているわけだ。

guam701osaka1guam701osaka2木製の建物だった江戸時代に、西洋文明が入って来てレンガ造の建物に変って行き、角張っていないデザインの建物を造ることができるようになったので、角を丸くするデザインが好んで使われたのだと思う
guam701okkが、こうして実際に見上げてみると、建物を大きく見せるような効果を狙ったのではないだろうか。

上に載せた大阪商船の門司支店、横浜支店、そして東京支店はこの条件に当てはまらないように見えるが、しかしこの写真を撮った角度から見てみると同じような効果を狙っているように思う。
そして大阪商船大阪本社(初代)、大阪本社(二代目)、大阪海上
guam701kobeharborguam701kobebuild火災保険本社、そして神戸支店についてはこの条件に当てはまっている。

大阪商船築港ビルはどうだったろう。
この辺一帯の水害対策の盛土などにより本来は2階であった部分に入口を作っているので、この下の部分に玄関があったのか、それとも写真で見て左側が海になるので、そちら側の正面に玄関を置いていたのかわからない。
guam701osakaしかしこの建物の今は2階に見えている部分の左右は後で付け足している。
色がそこだけ白くなっている部分で、その部分がなかったとすればこの角に玄関を作っても格好悪いとは思うので、やはり海に面した正面の真ん中が玄関であったのではないだろうか。
建物の目的が乗船客の待ち合い室であったと聞けば海に面した入口が普通だろう。

guam01temmayaguam701ikkai面白いのは隣の建物だろう。
天満屋ビル。
元々何のビルか不明だが、この角の丸い部分の一階に看板のタバコ屋があったらしいので、こちらはここが玄関であったと思う。
天満屋ビルの一階部分にある玄関は階段で降りて行けるように現在も残っているが、この重厚な建物の玄関とはとても思えない代物で裏口であったのだろうと思う。

guam701thecourt2guam701thecourtもう一軒見つけた。
大阪淀屋橋にある芝川ビル。
大きさは天満屋ビルと同じくらいか。
高さも同じ3階建てで、建物としても歴史があるが、ここは1934年7月2日に大日本果汁株式会社が設立総会を行った建物らしい。
現在のニッカウヰスキー株式会社のことで、ニッカウヰスキーの創業者・マッサンこと竹鶴政孝たちがここに集いニッカウヰスキーが作られ始めたわけだ。
全く関係はないと思うが、現在も一階には雰囲気満点のバーが入っている。  
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June 29, 2017

グアムのダイビングショップ物語2100―今日のグアムと、38年前の雑誌編集

昔々の38年も前のダイビング雑誌にグアムのアプラハーバーに沈むレックという頁があったということで、そのコピーを送ってもらって興味深く読んでみた。
自分がまだダイビングを始める4年前にグアムでレックを興味深く潜って、日本のダイビング雑誌に掲載したわけだからすごいね。
当時のレックを見てみたかったなあ。
まだ海に沈んで35年くらいのことだから状態だって今よりももっと形が残っていたんだろうし、絶対に色々なものが残されていたはずだ。

そんなものを見せられたので朝から気分はレックモードになっちゃった。
今日はダイビングの出番はないんだけどいいんだろうか・・・。(笑)

アメリカンタンカー、東海丸、コモラン、九九式艦上爆撃機、そしてショーセー丸?が絵と写真入りで紹介されてる。
アメリカンタンカーはオイルタンカーと呼ばれていてアメリカンタンカーの表示が一切ないところを見ると、当時はまだアメリカンタンカーとは呼ばれていなかったんだろうね。
九九艦爆は上を向いて描かれてるところを見ると、まだ引き揚げ作業はされていなくて今よりもずうっと見易かったんだろうと思う。
でもコモランから出ている矢印の絵も東海丸の絵もどちらも東海丸のものかな。
この辺は実際にグアムで潜って見て来た人と編集の人が別人であるし、写真はデジタルじゃないので枚数も足りないだろうし、それを確認する連絡先がグアムにはあまりなかったってことだと思う。

guam629val1そういう間違いが写真にはあるようで、九九式艦上爆撃機が上を向いてる写真なんて見たことないわけで大興奮となるわけだ。
ちゃんと上を向いてるけどエンジンは外れてるとも書いてある。
こういう文章に関しては間違いがあるとは思えないので実際にそうだったんだろうと思うわけだが、「九九式艦上爆撃機のエンジン部分」という写真を見てビックリした!
推力式短排気管が出てる!
今までグアムの機体は九九式艦上爆撃機の22型であることはわかっている。その後期型の一部に愛知航空ではなく昭和飛行機が造った機体が220機あることもわかっているが、その違いが単排気管を採用したかしてないかなのである。
グアムのは昭和飛行機製なのかよ!?って思ってはみたものの、冷静によく見てみると単排気管の形状が違うように思える。

guam629val2昭和飛行機製の九九式艦上爆撃機の単排気管は片側5本ずつ。
それが1本と1本と3本に直線的に見える並び方をしているのに対して、雑誌の方は放射状にニョキニョキと伸びていて、これはもしかすると零戦52型に採用されてた栄21型エンジンの単排気管なのではないか。
別の写真でコックピットが上からちゃんと見えている九九式艦上爆撃機もあるのだが、どう見ても2人が乗り込めるサイズのコックピットには見えない。

どういうことだと推測してみると、たぶんこうではないかと思えるのが、写真の入れ違い。
38年前であればウマタックにある零戦もずうっと形が残っていたはずで、そこで撮影した写真も含めて何本ものフィルムが編集部に渡され、ネガなのかポジなのかわからないが(雑誌の頁はモノクロ)、そのサイズで編集した結果写真を取り違えてしまったのかもしれない。
写真が間違いであることはもう揺るがないことだと思うが、一瞬「おお!」ってなったなあ。これ見たとき。

もう一つ気になったことがある。
5つのレックがあると言って紹介してるショーセー丸だ。
カタカナで書いてあることは漢字が不明だと説明しているが、アプラハーバーの地図に記入されたところは木津川丸の位置だと思う。
間違っているとは思うものの、もしかしてもう一隻沈んでる!?っていう期待感もあって調べたところ、東海丸についてわからなかったことが解明されたと言うか証明されたかもしれない。

おそらく編集部が辿り着いた船の名前は正確には勝泳丸(ショーエー丸)だと思う。
戦時中に沈んでしまった船に関して、基本的に全ての船に事故報告書が作成されている。
その資料野中でグアムで沈んだという記録があるものからショーセー丸に近いものを探してみると、出て来たのが勝泳丸だ。
ただしグアム沖ということで実際にはロタの西北西35夘婉瓩箸覆辰討い襦
この勝泳丸と木津川丸の動きと時期がグアム周辺で重なっていることと、木津川丸は魚雷攻撃で沈んではいなく、その2ヶ月後の空爆によるダメージで沈んでいるとなっている資料もあるし、空爆の16日後に砲撃処分という記録もある。
このことから木津川丸の沈没については詳細が見えづらくなっていて勝泳丸が出て来たのではないかと思う。

さて東海丸の解明されたことだが、1943年1月11日に横須賀をトラックに向けて船団で出港したとされているが、トラック目前に平洋丸が撃沈。
何故か東海丸だけがサイパンに入港しグアムに移動して来る。
そこで雷撃を受けて損傷し、それ以来直しては雷撃の連続でとうとう8月の沈没までグアムから離れることがなかった東海丸。

最初の雷撃を受けた後グアムに立ち往生していた東海丸に、サイパンに停泊中の勝泳丸がやって来る。
目的は東海丸に載せていたワイヤー(電續)を移してトラックに運ぶことでトラックには2月25日に到着している。
その後サイパンに戻って5月21日にグアムに戻るまでサイパンにいたということは勝泳丸はサイパンが任務地であり、わざわざ東海丸のワイヤーを運ぶためにトラックまで動いたのだと思う。
そこまでしてそのワイヤーはトラックに運びたかったのだろう。
では何に使ったのか・・・?
新たな謎である。  
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June 23, 2017

グアムのダイビングショップ物語2097―今日のグアムと、グアムの解放記念日は6月18日だったかもしれない

guam623guam今年もそんな季節になってきた。
7月4日のアメリカ建国記念日と21日のグアム解放記念日。
この二つのお祭りがあるため7月は丸々一ヶ月お祭り気分となり、早速7月1日には無料のBBQパーティーがプレジャーアイランドで開催される。
その中でも解放記念日は一番の盛り上がりでマリンコープスドライブを通行止めにしてパレードも行われる一見の価値ありのお祭りです。

ハワイの真珠湾攻撃の5時間後、日本はグアムに攻撃開始し一日で占領に成功する。
それから3年と8ヶ月の間、日本の領地となっていたグアムにアメリカが上陸した日が1944年7月21日。
日本の抵抗は凄まじくアメリカの予想を遥かに越えて8月11日、司令官小畑英良中将の総攻撃の命令そして自決でようやく終わりを迎えた。
こうしてグアムに平和が戻ったことを祝うお祭りである。

太平洋の赤道の南側まで勢力を広めていた日本だったが徐々にアメリカに奪還され続け、2月にはトラック、3月にはパラオが空襲を受け、とうとう絶対国防圏がマリアナ諸島にまで北上してしまう。

マリアナ諸島は当時は南洋と呼ばれる日本の委任統治領であり多くの日本人が暮らしていたが、ここに米軍が上陸することになれば、開発が進んでいた爆撃機B29の恰好の基地となり、日本各地の攻撃が可能となってしまうため、文字通りの日本の絶対国防圏であり絶対に守らなければならなかった。

1944年に入って日本もサイパン・グアムの戦力増強を図り、3月には高品中将が満州からグアムに着任。
アメリカ統治中にグアムにはなかった飛行場も2月には完成。4月には第2飛行場もオロテに完成した。
航空戦力の配備も進み、6月には263航空隊(零戦4機)、521航空隊(銀河40機)、202航空隊(零戦8機)、755航空隊(一式陸上攻撃機12機)がグアムに到着したが、6月15日のサイパン上陸作戦に先立つ米機動部隊の艦載機がマリアナ諸島の航空基地を爆撃。6月12日にはグアムの航空戦力は米軍の上陸を待たずに全滅した。

一方米側もマリアナ諸島付近に潜水艦を配備し、日本からこの地域に向かう船舶の警戒と攻撃を増やして行った。
高品中将が満州で率いていた部隊がグアムに向かっていたところ沖大東島南方200劼琶得水艦トラウトにより崎戸丸が撃沈。1657名が亡くなっている。
4月8日には米潜水艦シーホースが新玉丸を雷撃。
4月3日パラオから船団を組んで新玉丸は木津川丸、松江丸が出港。
護衛には駆逐艦・水無月と夕月が付いていた。
4月5日サイパン到着。
7日には兵隊を満載してサイパンを出港しメレヨン(ヤップの小島)を目指す途中のグアム南東沖で攻撃を受けた新玉丸はグアムのタロフォフォ湾まで逃げ込むが3日後に沈没。

シーホースの次の攻撃は木津川丸に向けられる。
航行不能となった木津川丸は駆逐艦・水無月に曳航され、松江丸と共にグアムのアプラハーバーに入港するが、停泊中の6月11日に空爆を受け、修復できないまま27日に沈没してしまう。

米軍は6月15日にサイパン上陸開始する。
ここで日本はマリアナ沖海戦の作戦発動を命令。
6月16日、日本艦隊がフィリピン方面からマリアナ諸島に向かって来ることを確認した米軍は、サイパンに続きグアムへの上陸作戦開始を6月18日に定めていたが、急遽延期してマリアナ沖海戦に備えることになる。
もしマリアナ沖海戦が始まっていなければ米軍のグアム上陸作戦は6月18日であったのである。
それが日米の勝敗を決定するマリアナ沖海戦の作戦開始で1ヶ月余りも遅れることとなった。

ところで面白い記録を見つけた。
米軍のサイパン・グアムへの爆撃は爆撃機・B24と哨戒爆撃機・PBYカタリナが運用され、5月に開始された。
そんな爆撃開始そうそうの5月6日、グアムに飛来した攻撃隊の内5機が日本軍により撃墜されたとある。

ガンビーチのフロートがPBYカタリナのものではないか!?と思われるのを裏付けているかもしれない。
あの辺りにはもしかするとPBYカタリナだけではなくB24もあるのかもしれない。  
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June 22, 2017

グアムのダイビングショップ物語2096―今日のグアムと、セメンドバージNo.2とNo.3

guam621liketanker2今回のダイバーは一度も外洋に出ないダイビングで、最後はセメントバージ。
逆に東海丸には何回も行っているのにセメントバージは初めてらしい・・・。(笑)

1944年から1946年にかけて造られたグラスブレイクウォーターのこと。
ハワイから燃料を満載した5隻のセメントバージがグアムのアプラハーバーに曳航されて来て、そのまま他の船が横付けして燃料を補給するドックのように使われて、最後はグラスブレイクウォーターの礎になった歴史。
ハワイからグアムへのたった一回の航海しかしなかったセメントバージは、最初からグラスブレイクウォーターのためでもあったのかもしれない。

guam621liketankar1一隻目のセメントバージはきちんとグラスブレイクウォーターの中に埋められて、現在も壁のように見えて格好いいし、これが当初の予定であったのだろうと思われる。
しかし2隻目、3隻目、4隻目はグラスブレイクウォーターのすぐ脇に岩や砂が滑って落ちて来ないようにするストッパーとして横倒しで沈められているところを見ると、真下に埋める作業は大変だったのだろう。
次からの3隻に関しては手を抜いたではないだろうか。
そして5隻目に至っては普通に水深30m辺りに沈めてあって、現在はアメリカンタンカーと呼ばれて沈船ダイビング入門コースになっている。

いちおう太いチェーンをかけてセメントバージたちが深い方に動かないように工夫はされてるが手抜き工事なんじゃないの?(笑)

guam621wrecksakanaバルボンバーからの流れで来ている今日は2隻目と3隻目のセメントバージを見に行ってみる。
以前セメンドバージの1隻目とバルボンバーの間辺りに群れていたカマスの群れが久しぶりに来てくれた。
セメンドバージ2隻目の船首辺りで今日は見ることが出来た。
レックはもちろんいいんだけど、そこにこういう魚の群れという絵もいいねえ。

初セメントバージなのでお馴染みのアメリカンタンカーの景色と同じところと、それぞれのセメントバージが他のと同じ形であることを比較できるところを案内する。

guam621cement3guam621cement2恐らく全長や幅などのサイズは同じだと思うが、微妙に各部が形は違うのだと思う。
例えば船尾。
5つのうち4つのセメンドバージの船尾は見ることができる。
1つ目が岩の下に入ってしまっているので5つ全ての比較はできないのだが、5つ分のラダーのシャフトは見つかっている。
今回は2つ目と3つ目の船尾の比較だ。

guam621cement3もう一つ。
4隻分の非常用操舵装置のレバー(と言っても巨大)も見ることができる。
写真は3隻目の非常用操舵装置のレバー。
操舵室の操作が遠隔操作で船尾の舵が働かなくなったときに手動で操舵しなくてはならないため、この装置は船尾の舵の真上にあり、油圧を使ってこのレバーを操り船の動きをコントロールするものなので、全ての船に備わっているべき装置である。

guam622gollilarockこの後もう1ダイブしにビーチに行こうと言うことでいったのがここ。
どこからどう見てもゴリラ岩。
岩の大きさが全くわからないと思うが、ちょっと受け口のゴリラの口の中は人が通ることができる大きさだ。
そしてここのダイビングで見に行ったのは・・・。
やっぱりそれかよ!
どこに行ってもレックダイビングが頭から離れないわけね。(笑)

guam622whatisitこれは長いことフロートと思って来ていた。
今もフロートであるとは思うが、小型の零式水上偵察機のフロートでさえ全長は7.857mもある。
ところがこのフロートはせいぜい3m弱。
これでは零戦でさえも海には浮かばない。
となると、より大型の飛行艇の主翼下のフロートか!?
ということは、この周辺に大型飛行艇が沈んでいるのかもしれない!
  
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June 21, 2017

グアムのダイビングショップ物語2095―今日のグアムと、九九式艦上爆撃機22型

guam621val九九式艦上爆撃機。
アメリカ側のコードネームがValのためグアムのダイビングポイント名はバルボンバーとなっている。
設計と主な生産は愛知航空機で同社を代表する傑作機であり、11型を476機、22型を816機生産。他に220機、後期型として昭和飛行機も生産している。

グアムに沈む機体は22型であり1944年6月19ー20日にかけてのマリアナ沖海戦において、19日の第二次攻撃隊として空母「隼鷹」と「飛鷹」から出撃した27機の内の1機だと思われる。
その内9機だけがグアムのオロテ岬の滑走路に何とか着陸したが残る18機はグアム島周辺に落ちてしまっている記録があるはずだが、オロテの滑走路脇に不時着した機体の写真がある。またタロフォフォのジャングルの中で発見されてる機体もあり、これが博物館に展示されている。
また米軍の写真にアガットのアナエ島が一緒に写るサンゴ礁の上に墜落した機体の写真も存在するので。18機中の4機の確認ができることになるが、まだ14機の機体がどこかにあるはずである。

数十年前にここを潜ったダイバーによると、ちゃんと上を向いた状態で着底していたらしく、当時のグラスブレイクウォーターと呼ばれるアプラハーバーの北にある防波堤がまだ築かれてない頃だが、上空からはグラスブレイクウォーターの基礎となっているサンゴ礁が浅く隆起していることがはっきり見えているはず。
水中から引き揚げようようとして現在のように機体が折れて裏返しになって壊れたところ以外にはほとんど損傷が無いように見えてることから、二人の乗員は機体をしっかりコントロールして浅く見えてるサンゴ礁の脇に着水したのではないか。
前後のキャノピーは完全に開かれ、機体から脱出してほんの15mも泳げばサンゴ礁の上に立ち上がることができ、そこからサンゴ礁に沿って歩けばグアムに上陸できたのだと思う。

guam621kinsei2そんなバルボンバーの今日の目的はエンジン。
九九式艦上爆撃機には三菱製の金星エンジンが付けられていた。
零式水上偵察機と同じエンジンであり、星型の14気筒エンジンは1000馬力ちょっとのパワーを誇った。
そのエンジンが間違いなく金星であるかの確認である。
正直言って金星エンジンの特徴は最近ようやくわかったので実はまだ未確認だった。

博物館に追加で九九式艦上爆撃機のものだと言うように、エンジンを展示してあった機体後部の前に置かれている。
そのエンジンと機体後部が同一の機体のものかは別として、そのエンジンがちゃんと金星であれば、水中にある機体とは別のものであることは証明されるわけだ。
近々にもエンジンの確認に行きたい。

guam621kinsei1そしてこれが金星エンジンの特徴だ。
棒状のものが放射状に中心から伸びているが、その付根部分をよく見ると同じところからVの字型で伸びているのわかる。
プッシュロッドと呼ばれるパーツで各ピストンに付けられているが、星型14気筒エンジンは星型7気筒のエンジンを二つ重ねられているものなので、例えば零戦のエンジン、中島製の栄ではプッシュロッドはエンジン前に7気筒分と後側にもう7気筒分が付けられているので、ここがVの字には見えていない。
このことからこのエンジンは金星エンジンで間違いないと思うのである。
  
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June 20, 2017

グアムのダイビングショップ物語2094―今日のグアムと、零式水上偵察機11型乙

guam620jake今日は思いがけず零式水上偵察機。
鹿児島の万世で実物を見て来ているのでかなり思い入れも大きいし、その展示されている零式水上偵察機に搭乗していた方が最近まで存命で、どのようにして水中に沈むことになったのかを教えてくれてるし、祈念館を訪れて乗り込んだという話を聞くとさらに興味深いものとなっている。

guam620float2零式水上偵察機には基本的には11型、11型甲、11型乙がある。
生産は開発した愛知が133機と全1423機の内の1割程度しか造っていない。
大部分は渡辺鉄工所で1200機。
広海軍工廠が90機を造っている。
ここからは想像だが、愛知が造った133機が11型ではないかと思っている。
guam620biyoku着水するたびにかなりの確率で切れたというフロートと機体を支えている張線。空気抵抗を考えて細くなっていた支柱を補うためのワイヤーだが、海軍の求めるスピードを考慮してギリギリの強度になってしまった支柱は完成されたものとは言えない。
九九式艦上爆撃機などの生産にも追われていた愛知は、おそらくその改良型の生産を渡辺鉄工所に託したのではないだろうか。
11型甲は張線を廃止して支柱を強いものし変更。プロペラのスピナ
guam620float1ーも追加している。
また11型甲とは限らないが、夜間偵察時の排気管からの火花を隠す目的の集合排気管も11型には付けられてはなかったのだと思う。

11型乙は胴体両側と主翼にアンテナを装備し、潜水艦探索などの偵察機能を高めている。
このグアムで見ることができる零式水上偵察機にはエンジンとプロ
guam620syuugouhaikikanペラが残っていない。
沈み方は多くのフロートが付いている航空機と同じく仰向けで着底してフロートは上を向いている。
しかし機体後部はコックピットを上にして裏返しになった主翼の上に乗っている。
これらが意味することは、誰かが引き揚げようとした。
仰向けになっている機体の尾翼辺りにワイヤーを掛けて引き揚げる。しかし機体の途中で折れてしまって主翼の上に乗っかってしまった。

guam620zasekiエンジンとプロペラがないことについては、機体を引き揚げることに失敗した者がエンジンとプロペラだけは引き揚げて持って帰ったのかもしれないが、エンジンとその付根のボルトがやけにきれいなところが引っ掛かる。
そこで自分の考えはこうだ。
元々水上または陸上にあった零式水上偵察機からエンジンとプロペラを外して海中に廃棄した。
しばらくしてそれを発見した者が引き揚げようとして失敗して機体を切断することになってしまった。
あまりにも機内にあったはずのものが残っていない。
水中から持ち去ったというよりも最初からなかったかのようだ。
やはりグアムで見ることができる九九式艦上爆撃機に比べて、機体の状態に時間の経過を感じさせないように思う。

guam620antena残っているパーツからこの機体を確定してみると、フロートや残ってる座席から零式水上偵察機。
取り外したくても2列目の座席は床と天井に支柱を固定していたので残されたのだろう。
そして支柱が強化され張線が廃止されてるフロートと機体の固定。
夜間偵察用の集合排気管。
機体の両サイドに残るアンテナの一部。
これらからグアムの海に沈むこの零式水上偵察機は11型乙であると思われる。  
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June 19, 2017

グアムのダイビングショップ物語2093―今日のグアムと、東海丸で初めて入った部屋

guam618tokaimaruしばらくコモランに夢中になっていてしばらく来ていなかった東海丸。
かなり色々な部屋に入ってみたし、もうだいたいは見て回ったかなって思っていたのに、今日その部屋に初めて辿り着いた。
狙って行ったのではなくて本当に辿り着いちゃったって言う感じ。
まだまだ東海丸にも発見があるねえ。


guam618fridge一緒に潜るのはたぶん東海丸に一緒に潜った回数が一番多いダイバーだと思う。
もう完全に放置なので久しぶりに工作室へ。
ここは狭い上に工作機械が残っているので2人で一杯一杯。
格子の隙間が空いていて向こうが見えそうな網状の壁で仕切られているが、たぶん隣の部屋に工作室は続いている。本来の入口からは入ることができないので空いた穴から侵入していて、この狭い部屋しか見ることができないのだが、ここは侵入経路的にも狭さという点でも入ることができるダイバーは限られる。

guam618ricestoreその工作室の真上に位置するのが食料庫。
食料庫は厨房のすぐ隣にもあるし、一段下の両サイドにもあり、左舷側の倉庫は冷蔵設備も備わっている。
今回入ることができたのが右舷側の食料庫。
侵入口の存在に今まで気が付いてなかった。真っ暗闇の先にまさか穴が空いているとは思ってもみてなかった。
食料庫に入ってみると、窓が付いているせいもあるが何だかやけに明るい感じの部屋。
床の写真を撮り忘れたが木製の床ではなかったようで今も凸凹はなく平な床であることも明るく見せているのかもしれない。

guam618toricestoreそして階段を上ってアッパーデッキへ。
細い棒状のものが斜めに2本あるが、これは階段の手摺だ。
ここを上って船の中央よりにはメインの食料庫があって、その後方の隣が厨房だ。
厨房内にふざけたいたずらをしたダイバーがいて、キャプテンに聞けば犯人もわかるようだが、いたずらをした箇所には沈む前からここに74年も残っている木炭があって、それが壊されそうになってることに
guam618galley腹が立つ。
別の場所に木炭を移すか・・・。

東海丸でもエンリッチの恩恵のお蔭だ。
まだまだ厨房にいることができている。そしてその左舷側の隣の消火用設備であるCO2のボンベの部屋からブリッジデッキに上がって、トイレを見て厨房から運ばれた料理を皿に盛りつける配膳室、そしてエンジンオープニングに入ってスカイライトから船外へ出る。
余裕のコースを楽しむことができる。

今回のセカンドデッキの食料庫の発見は本当に嬉しい。
写真を十分に撮っていないことが悔やまれるので、すぐにでも潜って戻りたいと思う。


  
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June 18, 2017

グアムのダイビングショップ物語2092―今日のグアムと、天窓付きの応接室?

guam523bath1せっかくテレビや雑誌などで紹介してもらったレックダイブ。
正直もうそれを広めようという気持ちはなくなった。
諦めたんじゃなくて、大人数でレックに入っても濁って面白くないんだもん。
こないだなんて入ろうと思ったら逃げて行きそうになるダイバーがいたもん。
一緒に潜るダイバーはレックがいいっていう方で、だからレックに行ったんだけど片っぽは逃げ出すんならそれは一緒にダイビングするの難しいよね。
きっとあのダイバーはもうグアムに来ないだろうなあ・・・。

だから普通のダイビングとレックダイビングを分けることにした。
行きたい方に申し込んでくれたらいいし、レック好きダイバーはそんなに多くはないから、普通に色々なところに行くダイビングツアーをやるんだけど、ときどきレックダイビングツアーを行うわけだ。
そして今日はそんなレックダイビング。
ボートはチャーターしたり色々方法はあるんだけど今日は大型の相乗り船。
30人乗りのボートに28人のダイバーが乗っている。
月に何回かこういうレックスペシャルツアーを行っているボートだけど、こんなに人気があるんだよなあ。
日本人は我々だけしかいないけど。(笑)

guam523toilet1EANの29%を持ち込んで準備万端。
まずはコモランだ。
今気になっている乗組員たちの生活。
特に風呂が絶対に足りないと思うし、トイレはどういう配置だったか、就寝するスペースは十分あるか。
戦時中であれば見張りなどの任務を交代でしているので一坪の広さに4人の計算ということもあったろうが、抑留されているだけで戦争をしているわけではない。

ある資料によればコモランに乗り組んでいた人数が353名とするものもある。
別の資料には総人数はないが人種別の数字があり、ドイツ人193人、中国人4人、パプアニューギニアが29人、サモア4人の合計230名のクルーとなっている。
そしてオフィサーたちの集合写真には6名が揃って写ってるものがある。
これで全員だとすれば236名となる。
いずれの資料を見ても200名以上がコモランの中で2年以上も生活していたことになる。

前回コモランの後部の様子を見て、東海汽船の2等船室のように雑魚寝をすればかなり収容できることはわかった。でも同じようにコモランの前方部分にも大部屋がなければやはり足りない。
そこで今日の目的はコモランの前方がをよく見たいというものにする。
エンリッチというのは本当に便利なものだ。
目的は前方にはしたけど、実は後方から行って、エンジンオープニングにも入って、そして前方だ。
左舷側の深度の浅い方だけど、コモランの船体は幅があまりないのでかなり右舷側も見えてはいる。

guam618toiletバスタブは一つしか確認できていないが、水回りの部屋に使われているタイル張りの床や部屋の区切りを頼りに見てみると、トイレまたはシャワーのための部屋は後方にも中央部分にも前方にも確認できた。
洋式の便器が何故かエンジンオープニングに一つあるが、タイル張りの部屋からはまだ見つかっていない。
それとシャワーというものが当時あったのかも未確認。
guam618enexシャワーを使うようになったのは比較的近代のことで、それまでは風呂のような四角い浴槽の中にお湯を入れて桶でかぶっていたはずだ。
特に前方部分にあるものは細かく仕切られているようなので、トイレがいくつも並んでいたのだと思う。

それらの共用スペースからアッパーデッキに上がって来る階段がこれだ。
船の前方から来る波や雨の水が船内に入りづらいようにカバーしているもので、コモランの後方にももちろんあるものだ。

guam618dkylightguam618skylight2今回見つけた部屋がある。
東海丸にもこんな部屋はない。
ロシアが貨客船として使っていた時代には上のクラスの乗客たちが集う部屋だったのだろうと思う。
座る椅子はそれほど多くは備えられてはいなかったはずだ。
天井に明かり取りの窓が付けられている。
そして部屋の位置は外の景色は見ることはできないが最も前方であり、この部屋の上には操舵室があったはずだ。  
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June 15, 2017

グアムのダイビングショップ物語2090―今日のグアムと、まだどこかの水中にある!

guam615zero3先日テックダイビングを得意としているインストラクターからもらった情報。
と言うか細かなことは教えてくれてはいないので自慢話かもしれない。
それによると航空機のエンジンを見つけた!と。
ダイビングの終盤で減圧に上がっていくときのことだったので詳しくは見ていないので、次回はそれを確認しに行くと言うのでもちろん誘ってねとは言っておいたけど・・・。
グアム周辺の海にはまだまだ航空機が沈んでいるはずだ。
マリアナ沖海戦で第二次攻撃隊として飛び立った航空機の内でも、27機の九九式艦上爆撃機の内19機は陸上か海中のどこかに。20機の零戦の内15機も確実にどこかにあるはずだ。

もうちょっとで対面できた零戦は見ていないのでどれだけ形が残っているのか、何型かの特定ができるパーツがあるのかはわからないが、この零戦15機の内の1機の可能性があり、そして小林隊長機の可能性だってあるかもしれない。
そう思って興奮していたわけだ。
九九式艦上爆撃機に関してはもし新たに見つかっても19機の内の1機だと思える。
タロフォフォのジャングルの中で見つけたと言われてる九九式艦上爆撃機の機体後部と最近追加されたエンジンが博物館に展示されているので、これで19機の2機は見つかったことになっているが、水中の機体前部と組み合わせて1機であった可能性も捨て切れてはいない。
最近追加展示されているエンジンも金星エンジンであるかどうか未確認である。

guam615zero1しかしそれ以外の航空機はこのマリアナ沖海戦時の第二次攻撃隊以外の機体である可能性が十分にある。
もう1機グアムで見つかっている零戦がある。
しかも日本の浜松の航空自衛隊広報館に復元展示されているのでいつでも見に行くことができるのだ。
1963年(と言われてる)にグアムで発見された零戦を日本に持ち帰って修復したもの。
343航空隊の初代である隼隊は鹿児島で結成された部隊で零戦を使用している。その188番機であるため垂直尾翼には「43−188」と書かれている。
この機体を最後に操縦していたのは海兵学校68期卒業の尾崎伸也大尉。

マリアナ沖海戦が1944年6月19ー20日と言われているが、作戦はそれよりも前から始まっているわけで、ほぼマリアナ沖海戦となる6月17日午前中、尾崎大尉が指揮。菅野大尉(343航空隊・剣隊でも大活躍、ブルドッグの愛称で親しまれた)が分隊長を務め12機でアイライ基地(パラオ)を飛び立つ。
ヤップを経由して、同日夕方テニアンから米艦隊攻撃のため出撃。
F6Fと空戦となり2機が未帰還となる。

6月18日、343航空隊は稼働機全てをグアムに終結させる。
トラックより零戦15機、月光2機、艦上攻撃機2機。
パラオからは陸上偵察機1機、銀河8機、彗星2機、爆装零戦20機、零戦28機の合計59機がテニアン沖作戦後にグアムに帰投。
この日の夜に残った兵力は零戦49機、月光1機、銀河1機、彗星2機。

6月19日早朝。
マリアナ沖海戦初日である。
零戦42機、銀河1機、彗星2機が米機動部隊に向けて発進。
第一小隊第一区隊1番機機上の尾崎大尉はF6Fを3機撃墜するが自らも被弾。
弾は胸部に当たっており、グアムに不時着後病院に運ばれる途中、出血多量のため戦死。
第二区隊1番機の菅野大尉もF6Fを3機撃墜し帰還したが作戦は失敗し大敗。
343航空隊は6月28日、グアムの生存者をアイライ基地に戻し、7月10日解隊。ダバオに移動し201航空隊に編入する。

343航空隊・剣隊は12月に横須賀で開隊。
1945年1月に源田実大佐が司令となり松山に着任。
使用戦闘機は零戦から紫電改に。  
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June 14, 2017

グアムのダイビングショップ物語2089―今日のグアムと、今日ほど流れが便利と思ったことはないね

カブラスから出港し、チャネルを抜けコマーシャルポートの前を通って行こうとするボート全てに無線を入れて来る女性の声。
「どっち方向に行くのかわからないけど、私たちは今東海丸の上でダイビング準備をしているので気をつけて欲しい。」
米海軍のボート。
いつもダイバーが乗って来るゴムボートみたいなサイズではなく60〜70フィートくらいあるボートで、両サイドからエントリーしようとしているダイバーの姿が大勢見える。
東海丸を過ぎる頃、同じボートがアメリカンタンカーにもいるのが見えて来た。

彼女が無線で我々のボートに話しているのを聞いていた後続のボート。
まだ直接は見えていないので誰のボートかわからないしキャプテンの声に聞き覚えがない。
彼は東海丸の上だけではなくアメリカンタンカーも同じ状況であることを聞くとひどくガッカリしてる。
恐らく彼らのダイブポイントはレックだったんだろうなあ。
東海丸とアメリカンタンカーで何のためにダイビングするのかわからない。
下手したらただのファンダイビングの可能性だってある。
よりによって我々ダイバーと同じ時間にわざわざ潜らなくてもって思うね。
その結果後続のボートのダイバーたちはレックダイビングを諦めることになった。

自分も今日のセカンドダイブはアメリカンタンカーがいいなあって思っていたので、彼らが1時間半後にもまだいたとすればポイントを変えなくちゃならない。
・・・と思ってファーストダイブはクレバスでカメたちと戯れて来たわけだけど、まだいた。
他に5日間も潜っているっていうダイバーもいるので色々制約があるが、アメリカンタンカーがダメならその周辺のとにかくアプラハーバーの北側。
シービージャンクヤード、セメントバージ、バルボンバー、ハーレーリーフ。
これらのどこでもいいよって言ってみると、グラスブレイクウォーターはどうだ?って言うんで大賛成。
何故なら頑張って泳げばスコーシアを見ることができる。

guam614scotia1guam614scotia2だいぶ遠くにアンカー落としたなあ。
これで流れが逆だったらどうしようもなくなるので飛び込んでみる。
す〜って毎秒1フィートくらいでスコーシアに向かってる。ちょっと速過ぎるかも。
アクアアカデミーにしては珍しくBCにエアを入れてエントリー。
浮いて流れているうちにスコーシアに近付いて、エアも窒素も節約できる作戦。
だいぶ流れてるのでフィンは泳ぐためじゃなくてブレーキに使わないと。
水底にスコーシアのパーツらしきものが見えたので潜降。
泳ぐなって言うのにどんどん泳ぐダイバーがいたりするので「止まって!」っていうサインを出す。

guam614scotia3まだスコーシアの座礁地点から離れているんだけどかなり大きいパーツだったり、特徴ある形の物だったりしてなかなか興味深い。
何もパーツがないところでも真っ白い砂地が広がっているし、水面からはたっぷりと太陽光が差し込んでいるので、そんな砂地を見ているだけでも癒される感じで楽しい。
こんな浅い深度なのにこの距離をこんなに大きな重たいものが流れて来たっていうのも不思議だし、この海域って割と東に向かって流れていることが多いように思うんだけど、これらの大きなパーツは西に流れて来てる。
あんまり東側にパーツは散らばっていないような気がするんだけど、東はもっと遠く離れて流れちゃったのかもしれない。

guam614scotia5初めてレックダイビングをしているんだけど、今日のダイバーたちはなかなか面白いところに注目してる。
これはレックダイビング好きになりそうな予感。(笑)
アメリカンタンカーで船内に入ったりしてみたらもっと盛り上がったのかもしれない。
エントリーする前の説明で113年前に座礁して動けなくなって、そのまま崩れて海に沈んでしまったんだけど、そんな113年前のロープの固まりがあるんだよって教えておいた。
実物を水中で見た時はかなりテンション上がっていた。
カチカチにサンゴ化してしまっているけど、ロープのねじりなどははっきりとわかる。

guam614scotia7guam614scotia6これは左舷後方のボラード。
固まってるロープの太さがちょうど良い大きさだと思う。
この前のシャフトの繋ぎ合わせ目に付けたゴムのカバーって言ったものよりだいぶ太いシャフトに同じようにゴムのカバーのように見えるものが付けられている部分。
だけどこれはゴムカバーじゃないように思うし、太さはプロペラシャフトと同じだと思う。

guam614scotia4guam614scotia8これはすぐに目に入って来るんだけど、一番探しているのは蒸気タービンのブレード。
おそらくこれらのパーツは近いところにあったと思うんだけど。
今日初めて見つけたのがこのワイヤー。
その先がどこにいっているのか見えないけど、スコーシアで初めて見つけたワイヤーだと思うものだ。

guam614scotia9船尾で一際目立つこのパーツ。
回転するものであることは間違いないと思うけど、これは何?
写真は前にも載せているけど今日はダイバーがそこに来てくれたのでサイズ比較のためにもう一度。
それにしてもやっぱり今日のダイバーたちはレックに興味を持ってくれてるんだと思う。
だって今までこうして触ったりしたダイバーいないもん。
先週同じ会社の社員旅行で来たダイバーは見向きもしなかったけど。(笑)  
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June 08, 2017

グアムのダイビングショップ物語2086―今日のグアムと、スコーシア

guam608lovekame出港前に一本目はブルーホールにリクエストが入ってるけどいいか?
いいよ〜。
セカンドダイブはどこ行くって聞くからほぼ冗談で東海丸って言ってみたら、ダイバーたちはおお!いいじゃんってなったんだけどボート会社的には二本とも深いのはダメっていう基準があるらしい・・・。
余計なこと言っちゃったね。
でもやっぱりこのボートだとレックに行く確率は高くはならないのね・・・。

幸いなことに次のポイントが消去法的に消えて行って、何とスコーシアっていうことに!
やったね!

あんまり久しぶりに来るので白い砂地の場所間違えちゃったよ。
泳いでも泳いでもスコーシアの破片さえも見えなくて通り過ぎちゃったかと思ったけど、こんなに端っこだったっけ?!
元々グアムに沈んでしまうことになった原因が港の入口をちょっと間違えてサンゴ礁に乗り上げちゃったっていうことなわけで、そりゃあとんでもなく入口から離れてはいないわけだよね。

先月パラオで駆逐艦「五月雨」の捜索ダイブの写真を見ているので、グアムのスコーシアはちょっと似てる感じかな。
全体的に崩れて潰れちゃった感じで沈んでいるので、船内というスペースはない。
一番目立つ物は蒸気を貯めておくための大きいタンクと船底に張り巡らされたキール(背骨)とフレーム(肋骨)。
その上にあったであろう船室やエンジンオープニングや船倉は全くわからないくらいに崩れてしまっている。
五月雨も浅いサンゴ礁に座礁してしまった後に魚雷や爆撃、長い年月風波にさらされたことで崩れてしまっていたようだが、スコーシアも同じことである。

船首の方に行くとサンゴ化してしまってるロープの塊がいくつかあったりして、今のところこのロープが唯一人の気配を感じることができるものだと思う。
誰かが丸く束ねてデッキに置いておいたものだろうから。
今日はエンジンやそこからプロペラシャフトに繋がっている部分に注目してみる。
バラバラにパーツとして散らばっていたとしても、その形状に特徴があるはずだから、それが何のパーツかはわからなくとも推測はできるだろうと思う。

guam608scotia1guam908scotia2これはこのまま扇形なのか本当は丸い円形だったのかわからないが、ギアだね。
直径は80ー100センチはある大きいものでエンジンがあった付近にあるので、エンジン寄りのパーツのはず。
こちらは完全に円形のギアがいくつも繋がっているもの。
一枚だけサイズが大きいね。
サイズはダイバーの手が入っているのでわかると思う。

guam608scotia3こっちのは金属ではなくてゴム製?
たぶん内側のシャフトがここで接続されていて多少折れ曲がる動きをするので潤滑油的なものが飛び散ったりしないように、異物がそこに付着しないように付けたカバーではないかな。

これらは比較的エンジン本体よりにあるもの。

guam608scotia5そのまま船尾方向に移動して行くと、ところどころ接続されていたり、サンゴや岩がかぶさって繋がって見えないところもあるが、基本的には真っすぐに伸びてる太いシャフトが2本平行に見える。
そしてその一番後端と思われる部分がこれ。
ブレードは失っているが、これはプロペラ用のシャフトだろうと思う。
2軸であったと書かれているので2本あることも頷ける。

guam608scotia6そして何よりもそのほぼ真上。
スコーシアの船尾は左舷を下側に傾いているので、船が水面に浮かんでいるとしたらほぼ真上にはどう見ても船尾がある。
全長の大きさからすると少し小さいようにも思うが、やはりこの時代の船は長さに比べて幅が小さく、船尾の形状も船首のように細くとんがっていたのだと思うので、こんなもんでないだろうか。

guam608scotia4蒸気を貯めるタンクと同じくらいに大きくて形に特徴があるのがこれ。
これも円形だったのか、それとも扇形だったのかわからないが、確実に回転するもののはず。
しかしこんな大きなパーツが船尾のプロペラの近くにあったものだろうか。
メインデッキより上の部分にあったとは考えられず、形に特徴があるのに全く何であるか想像がつかないという、ある意味かなり謎のパーツである。  
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June 06, 2017

グアムのダイビングショップ物語2085―今日のグアムと、大阪商船株式会社

guam606firstOsaka大阪商船の最初は瀬戸内海を大阪から人を九州方面に運ぶために作られた会社だった。
当時まだ山陽本線が開通していない時代。
九州へ行くためには船を利用するしかなかった。
江戸時代みたいに歩いて行った人は別としてだけど。
そこには金儲けが激しく絡んでなかなかきちんと会社体勢で営業してなかった時代に、瀬戸内の船を50隻余りまとめてスタートしたのが大阪商船株式会社。
1884年のことである。
日本郵船は翌年に始まっている。
しかし山陽本線が開通すると時間的に圧倒的に有利な鉄道に取って代わられるのは言うまでもないが、人から物へと運ぶ物は変わって行き、国内から世界へと出て行く上で船は確実に重要なものとなり大阪商船はどんどん大きくなって行くことになる。
当時の本社ビルは大阪府北区富島町。
現在の西区川口というところらしいがすぐ前が川のようである。

guam606 kobeguam606kobenow大阪湾の水深は浅く、その湾から遡る川の水深はもっと浅いため物流の中心は大阪からもっと大型船が入れる神戸に移って行くことになり、さらに東南アジア・中国・朝鮮への玄関口は瀬戸内海よりも九州の門司の方が有利となって行くため、神戸支店と門司支店は大阪本社よりも立派な建物が先に建てられることになる。
1922年4月3日、神戸市海岸通5番地(現、海岸通3丁目17番)に完成した神戸支店はその界隈で一際目を惹くもので、今もそのまんまの姿で商船三井ビルディングとして残っているが、95年も前に建てられた建物である。

guam606moji門司支店などは神戸支店よりもさらに5年も早い1917年4月に完成していて、グアムにドイツ船のコモランが沈んだのと全く同じ月であるから、時代は第一次世界大戦真っ只中ということである。
そしてその建物は現在も残っている。

それから遅れて1925年。
大阪本社を新しく移転することにする。
船の数も前とは比べ物にならないくらいに増えていき、それに伴い店員(従業員)も増えていった。
それまで各地に建設して来た支店ビルを考えると、莫大な建設費用のための借金に不安が残る。
guam606osakaguam606osakanow時代は世界大恐慌へと進んで行き、大阪商船だけでなく日本の商船業界そのものの存続の危機が見え始めていた。
東海丸などの高速船の計画が始まるのもそういう時代だったための最後の切り札である。
本社ビルを新しく建設するにも今までと同じではない、より安全策を考えた。

それは宇治川電気(現、関西電力)と日本電力と共同で大阪ビルヂングを作ることであった。
不動産業に乗り出そうというのである。
大阪本社ビルは必要とするよりも大きく建てることで、テナントを入れてその家賃収入を得ることができることになる。
大阪市北区宗是町1番地(現、中之島)がそこである。
現在はダイビルと呼ばれ、大阪ビルヂングという会社名もダイビルに変わっているが、大阪の大とビルヂングのビルを取って省略しただけでダイキンみたいなもんだね。

2009年に一度解体された大阪本社ビルは、高層ビルに建て替えられたが2013年、その高層ビルの根元には当時の大阪本社ビルが再築されている。

guam606osakamarine&fireそれまでどれほど支払って来たのかわからないが、輸送する荷物や船のもしものときの保険。
その莫大な保険料金を自社内で何とかしようと考え、大阪海上火災保険株式会社を大阪市北区堂島浜通2−2(現、上福島1丁目か?)に興した。
保険料金が莫大なのか、その保険を作ってくれる会社がなかったのかはわからないが、この大阪海上火災保険が当時の大阪商船の全ての船と荷物・乗船客のもしものときに備えられていた。
そしてこの会社が現在の三井住友海上火災保険へとつながって行く。
当時の場所を辿ると、現在の東洋紡辺りだったのではないだろうか。

さて日本の港と言えば横浜である。
シルクは当時横浜港からしか出港させていないため神戸がどんなに良い港の条件を備えていようとも横浜の港が一番栄えて行くことになる。
大阪商船も当然そのシルクをアメリカに運んでいたわけで、そのエース的な船が東海丸たち4隻に傭船2隻を合わせた6隻であり、他の路線とは別格のニューヨーク急行線と名付けられ、さらに日本初の三菱純正ディーゼルエンジンを積んだ、より高速で高燃費の南海丸たち2隻もこの急行線に加わることになる。
何と同型船が8隻も造られたなんて前代未聞じゃないのか。

guam606yokohamaそんな横浜支社ビルはと言うと現在は全く残っていないようである。
1893年に代理店として横浜がスタートするが、あまりうまく運ばずに店長の交代や代理店会社の入れ替えが起こっている。
そしてついに1916年に本社直轄の出張所を横浜市山下町50番地に開設。
翌年には支店に昇格。
1919年4月13日、隣の51番地にあった煉瓦造り4階建てビルを買い取って移転した。
おそらく山下町の名前は変わらずに残っているので、そのどこの場所が該当するのか。

1923年9月1日。
関東大震災が発生。
横浜港も大きな被害を受けるが横浜支社ビルは倒壊。その後に発生した火災で消失してしまう。
店員12名ら合計19名の死者を出してしまうことになった。

しかしこの関東大震災が神戸港にとってチャンスとなる。
横浜港だけに限られて扱っていたシルクの輸出が横浜港の被害により中断した。そこに名乗りを上げたのが神戸港であったが、横浜港もその利権を取られては一大事と驚異的なスピードで復旧。
ここからシルクの輸出は横浜と神戸の二港で行われることになる。
大阪商船横浜支社も事務所がないとは言っていられない。
そこで大阪港から大阪商船の富士川丸(トラックに沈んでいるものとは別である)を回航。浮き事務所として使うことにする。
さすがに商船会社だね。

guam606tokyo大阪ビルヂングが大阪本社ビルを完成させた2年後の1927年。
いよいよ東京にビルを建てることになる。
東京支社である。
外観は全く別の物であるが大阪本社に負けない立派なビルが建てられたのは麹町区内幸町1丁目3番地。
現在の千代田区内幸町1丁目2番2号。
何と現在そこにあるビルは日比谷ダイビル。
ダイビルと名前を変えた大阪ビルヂングが現代も息づいているのである。
大阪商船は商船三井となり、大阪海上火災保険は三井住友海上火災保険となって、そして大阪ビルヂングはダイビルとなって現在も脈々と当時の業務を引き継ぎ守っていることに驚かされる。

guam606osakachikukouところで大阪商船の歴史の中に出て来ない建物が現在残っている。
大阪港の商船三井築港ビルである。
乗船客の待合所的な役割であったのではないかと想像はするが、当時その建物の役割は何であったのだろうか。
そして多くのビルが建て替えられているにも関わらず、何故築港ビルは今も残っているのか・・・。
ちょっと調べてみたいところだが、最後にあっと驚く写真がある。

guam606newyork大阪本社も東京支店も神戸支店もちっぽけなもんだ。
これは本当に同じ時代の写真なのか!?
こんなアメリカを生で見て聞いている商船会社の人間なら決して誰もアメリカに喧嘩を売らなかったろうなあ。
レベル違い過ぎ。
このでっかいビルの中に大阪商船ニューヨーク支店が入っていたのである。  
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May 24, 2017

グアムのダイビングショップ物語2078―今日のグアムと、アンカーと鎖

guam524anchor2お前の目は節穴か!
東海丸のアンカーと同じデザインのものがコモランの廊下に突き刺さっているだけではなく、横っ腹に落とされて放置されている。
そして何と何年見て来たんだよ!っていうブルーホールの小山脇のブイのアンカー。
これも同じデザインだった・・・。

guam524anchor1どうやらストックのなくなったストックレスアンカーと呼ばれるものの中でも日本工業規格の標準型であり、JIS型と呼ばれるデザインらしい。
アンカーにそれほど拘っている時間もないだろうし、同じ形のアンカーが沢山の船に付けられていたようだ。
後はサイズや重さなどが船の大きさによって違っていたとは思うので、やはりサイズを計ることが必要だ。

ただ、日本工業規格ということはアメリカの船のアンカーは違うのか?
そしてコモランの横っ腹のアンカーもブルーホールのアンカーも日本の船のアンカーである可能性が高いということか・・・。
ブルーホールのアンカーは元からあそこにあったのだろうか。
運ぶ訳ないよなあ。

guam524chain2guam524chain1そうだ鎖はどうだろう。
特徴的な鎖にアンカーが付けられていて、戦艦・比叡の鎖も同じものだった。
この鎖も日本工業規格だったりするのかもしれないが、鎖なんてアンカーよりも資料がないように思うなあ。
それに水中の鎖が今や鎖だったことさえわからないくらいの状態になっているので、全く特徴ある形かどうかの見分けが付かない。

guam524damageレックダイビングとして見に行っているこれらのレックたち。
時間の経過とともにかなり朽ち果てようとしているレックも多く、また何者かによって勝手にサルベージされてしまっているレックもかなり多くあるらしい。
跡形もなくなってしまうわけだから経年変化どころの話ではなくとんでもないことだが、こんなことにも気をつけてもらいたい。
現代は海図にもレックが記入されていたり、船に装備されている海底測量機の性能も高くなっていて、自分の下の海がどうなっているのかがかなりわかる状態。
それなのについ最近どっかの船が東海丸にアンカーを落とした形跡がある。
それこそアンカーが残っていればどこの船だか見つけてやりたいものだが、慌てて引き揚げたのか壊された船縁と飛び散った錆が残っているだけだ。

自分のレックの写真には基本的にダイバーなどは入れない。
何故ならレックが傾いて沈んでいることが多く、そうなるとカメラもその傾きに合わせて撮影するためダイバーなどが入り込むと妙なことになってしまう。
だからマリンダイビングなどの撮影は不向きなんだよなあ。
必ずモデルを写し込むわけなので。
でもカメラをその傾きに合わせてあげないと全く訳の分からないガレキの写真になってしまうんだよ。
だからあまり知らないダイバーたちがガレキって呼ぶことになっちゃうんだよなあ。最低でもレックで写真を撮るダイバーにはカメラを傾けて欲しいもんである。

guam524sakana1でもこんなときはね。
珍しく東海丸の中にナンヨウツバメウオがいるんだもん。
カメラは東海丸の傾きを無視してる。
だからナンヨウツバメウオは正しい形で見えるけど、背景が東海丸の壁なのか床なのか天井なのかがわからないでしょ!?


guam524sakana3guam524sakana2  
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May 23, 2017

グアムのダイビングショップ物語2077―今日のグアムと、コモランの乗船客スペースはどこだ

guam523cormoran2最近すっかりコモランにはまってる。
以前は東海丸で見に行きたいところが山ほどあって全くコモランは無視してきた。
でも東海丸も調べることが一段落して来た感じで、今東海丸には謎があまりなくなってきた。
ギャレーの脇にある消化用炭酸ガスボンベ室の中にある、ホース巻き取り用のロールがはまっていたようなものはまだ解明できてない。
1943年1月11日に横須賀を出た船団は一つしかないけど、東海丸は本当に平洋丸と船団を組んで出港したのか、それとも船団を組んだように見せかけてバラバラに出港したのか?
これらは潜っても解明できない。
それについての資料探しが必要なんだけど、壁にぶつかって進めない。

guam523cormoran1それと、東海丸はデッキが何層も重なっていて、深く入り組んだ形なのでお客様ダイバーを一緒に侵入して行くことが難しいこともあるんだけど、コモランは全長こそ東海丸に近いものがあるけど、幅は小さいし、デッキはアッパーデッキの下にあと2つほどしかないので、水深は30mにはなるんだけど比較的簡単に侵入して行くことができるので今回も3日の間に2回侵入できてる。
自分が知りたい興味深いところをお客様ダイバーと共有することができる。
コモランも東海丸も両方見るのではなく、コモランに的を絞って潜ることで今までは行かなかったデッキを楽しむことができるようになった。
各ダイバーがライトを持っていることが必須だけどね!

やっぱり100周年のおかげかな。

東海丸の艦橋内のアッパーデッキは乗組員たちのスペースで、その上のブリッジデッキが乗船客用のスペース。
部屋の扉を開けた瞬間に寝癖の付いた髪の毛のまんまの乗組員と鉢合わせになることはなく、おもてなしのスペースと動きやすさ優先のスペースとは区切られてる。
しかしコモランにはそういう上下の区別ができない。しかもアッパーデッキにがほぼ最上階なのに乗船客用のスペースがあると思えないということは、乗船客スペースもアッパーデッキよりも下になることになる。
でっかい窓もないし、薄くらい部屋だなあ。

さらにコモランが2年余りグアムで拘留されていたとき、コモランの中には200名以上の乗組員が生活していたと言う。
どこにそんなスペースがあるんだ?

guam523bath1guam523bath2意表をつく位置にあるお風呂。
床にはタイルが敷き詰められていて水場であることがわかる。
バスタブが右舷側に一つしか確認できないけど広さ的には
guam523bath3左舷側にも同じようにあっておかしくない。
排水パイプが付く洗面ボウルも確認できるんだけど、デザインがやけに洒落ていて実用性一点張りではないように思う。
と言うことは本来コモランが客船として動いていた時代には乗船客用の風呂場であったのだろうか。
沈んで100年経つのにバスタブの中にはまだ白く当時のバスタブのまんまの表面を残している

guam523toilet1guam523toilet2そのままセカンドデッキの高さを前方に進んで行くと、もう一つ水場であったスペースがある。
ここは畳の四畳半ほどの広さで、壁側に水道管らしきものがあるところをみると男性用のトイレであったように思われ、ここにバスタブは入れないと思う。
そしてその並びには大部屋と思われる部屋があり、相当な人数が寝起きすることが可能であることがわかる。
おそらく乗組員たちのスペース。
guam523cormoran3途中には右舷と左舷が扉で仕切られ中央部分は貨物用のスペースであっただろうと思うところもある。

これがコモランのエンジンよりも後方のセカンドデッキの様子である。
サードデッキと思われる部分にはちらっと見ただけだが、冷蔵室でもあったのか!?冷却用のパイプがくねっているものが見えた。
だいぶ船底に近付いていて壁も湾曲してきているし、そこまで下の層に乗船客を入れるとは思えない。
でも乗船客用の風呂場が船尾にあったとしたら前方に乗船客室を作っているとは考えずらくはないだろうか。

まだまだ解明できないところがたくさんあって、ちょっと楽しみ。
エンジンはエンジンで蒸気エンジンってどんな形してるの?っていうでっかい謎もあるし、だいぶ潜らないとダメだね。
それに何だかまだ遺留品のようなものもある気がする。
沈む直前まで戦闘態勢ではなく生活していたスペースだったので色々散乱してるはずで、東海丸よりも空っぽ感がしないように思うので、そっちも気にして潜っておかないとだ。
次回はいつ行けるか?
  
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May 18, 2017

グアムのダイビングショップ物語2074―今日のグアムと、零式水偵の謎

guam518reisui3零式水上偵察機を水中で見ることができるところは他にどこだろう?
自分の知っているのはサイパンのマニャガハ沖で、裏返しになって沈んでいてほぼ砂に埋もれてるもの。
昔は零戦ポイント呼ばれていて長い時間が経過したが1987年に三菱重工の方に「これは零式ではあるが戦闘機ではないので零戦ではない。」と教わり、引っ繰り替えしたら座席が3つ出て来るはずだと。
そしてもう一カ所がグアムのアプラハーバーの中で最近知ったところだ。
他にまだ見に行ったことはないが、パラオでは水深10mほどのところに一機、岩に囲まれて絶好の隠し場所だった浅瀬にプロペラの先端を出しスノーケリングで見に行くことができるところに数機。
これら以外には知らない。

guam518nishikitaiteiトラックに零式水上偵察機があるとは聞いていないが二式大艇がある。
サイズはだいぶ違うが零式水上偵察機と同じ水上飛行艇だ。
これらの水面に降りることができる航空機たち。パラオの零式水上偵察機を除いてどれもが裏返しで沈んでいる。
当たり前と言えば当たり前。
水面に浮かぶためのフロートが付けられた航空機である。
沈んで行けばフロートが最後まで浮かぼうと残る訳だから逆さまに引っ繰り返ってしまうに違いない。
たとえ着水したときに上を向いていたとしてもだ。

guam518reisui2ところがパラオの水上偵察機はどうだ。
全て引っ繰り返ってはいない。
そして鹿児島の万世で見た零式水上偵察機。
展示されているものにはフロートが両方とも残っていない。
水中で発見されたときの姿をそのままで展示されていると言われ、実際に水中で発見された当時の写真を見ても上を向いたまま砂に埋もれていた。

なぜだ。

guam518valフロートの付いていない航空機を水中で見ると、上を向いたままだったり引っ繰り返っていたり様々だ。
たぶんそれは水面に落ちた時の状況によるのだろう。
同じグアムに沈んでいる九九式艦上爆撃機は昔は上を向いていたそうである。
それを引き揚げようとした者が失敗して二つに折れ、引っ繰り返ってしまったらしい。
あの九九式艦上爆撃機が沈むことになった状況から推測すると、グアムのオロテ岬上にある滑走路に着陸しようとしていた中で零戦に援護されながらも撃墜されそうになり、しかしまだ機体のコントロールができていた。
二人の乗員は上空から見えたサンゴ礁の浅瀬。
今ではそのサンゴ礁の上に岩を積まれブレイクウォーターと言われる防波堤のようになっているが、それはグアムがアメリカに奪われた1943年から1946年の間に造られたもので当時はない。
その浅瀬の脇に何とか着水できれば沈む前に脱出して浅瀬を伝って陸地に帰ることができる。
そう思ったに違いない。
だからあの二人の乗員たちは助かったと思っている。
運命の分かれ目は着水時の機体の姿勢だ。

guam518reisui5パラオのアラカベサン沖に沈む零式水上偵察機は基地から離陸して間もなく撃墜されたという意見が多い。
着水の失敗と言う人もいる。
しかし機体とフロートを固定する脚はそんなに丈夫だろうか。
もっと強度を高めたくても飛行時の抵抗を考えるとあの程度の太さの脚しか付けることができず、それを補うためにワイヤーが付けられてもいる。
撃墜されたのならフロートは機体から取れてしまうだろうし、上を向いたまま沈んでいることが納得できない。
写真を見る限り、アラカベサン沖の零式水上偵察機には右側はないようだがしっかり左のフロートは残っている。

guam518reisui1guam518reisui4一機だけ沈んだ様子がわかっている機体がある。
鹿児島の万世のだ。
乗員3名は無事に生還して平成までお元気でいたので、雑誌に寄稿した方もいるし、当時の様子を話してくれてる方もいる。
沖縄から戦闘機に追われて逃げ帰り、知覧の基地に降りようとしたところ敵機と間違えられて高射砲を撃たれ、最後は燃料切れで不時着水した。
体勢を崩した着水だったようで木製だった尾翼の先端につかまって泳いで岸に帰り着いたと。
つまり機体がかなり壊れたということでフロートはどちらも残っていないのと尾翼が一部しか残っていない。
しかしそのまま上を向いたままで沈み、プロペラは三枚とも無傷。

このことから鹿児島の零式水上偵察機は水平を保ってはいたものの、尻を下げ過ぎて着水。
尾翼とフロートが壊れ、その外れたフロートのお蔭で上を向いたままの姿勢で着底した。幸い沈んだところの水深は浅かったので機体がバランスを崩す間もなかった。
という推測ができるのではないだろうか。

guam518reisui6それともう一機、記録はなくても沈み方が想像できるのがパラオの浅瀬でスノーケリングで見に行くことができる零式水上偵察機。
近くの洞窟に隠してあった機体の中の一機であり確実に海に浮かんでいたはずで決して飛んではいない。
上空から航空機の攻撃で沈んだに違いない。
かなり機体は壊れているように見えるが、それは近年に人が色々外して持って行ったということもあるはず。
また攻撃は爆弾ではなく機銃掃射だろうと思う。
そこで沈んだ原因はフロートの浸水により浮力を失い、そして今のように海中にあるのではないだろうか。

同じようにアラカベサン沖の零式水上偵察機。
アラカベサンは水上飛行機の基地だった。
アラカベサン沖とはどの程度の距離なのかは行ったことがないのでわからないが、地上にあったらいざという時に飛び立つのが遅れる。数機は水面に浮かべておいて全く不思議ではない。
インターネットで見た写真の中にフロートの上部に大きな穴が開いているものを見た。
おそらくあの穴などにより浮力を失って沈んだのではないかと思うのだがどうだろう。
もちろん機体後部がないなど他の損傷もあるが、逆に機銃掃射でフロートにだけ当たる方が不自然で機体後部も機銃により破壊されたのではないか。

本当に人の褌で相撲とってるみたいで申し訳ないし、まだ見たこともないパラオの零式水上偵察機ではあるのだけど、何でパラオの零式水上飛行機だけが上を向いているのかが不思議でならないのだよなあ。
  
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