November 20, 2017

グアムのダイビングショップ物語2197―今日のグアムと、記録から消えてる?天山

guam1120val1944年6月19日、652空の第2航空戦隊第2次攻撃隊について書いた。
グアムに沈んでいる九九式艦上爆撃機(バルボンバー)22型について調べていくと、グアムのアプラハーバー内に沈んでいるこの機がいつどのようにして沈むことになったのかが最も気になる。
わかることならこの機に搭乗していた乗組員のお名前が知りたいと思い調べているわけだ。
そうすると、記録上に残されていない小さな空戦がこのグアム上空であったとしない限り、1944年6月19ー20日に行われたマリアナ沖海戦の第2次攻撃隊・宮内大尉率いる27機の内の1機であるとしか思えない。

グアムの博物館に展示されている九九式艦上爆撃機の機体後部について、いまだに水中の機体前部とセットで同じ機体であるという考えは捨て去ってはいないが、博物館はそんな考えを断ち切るように新たにエンジン部分をどこから手に入れたのか機体後部の前に設置して展示している。
まだそのエンジンが三菱製の金星エンジンであるかどうかは未確認だが、その九九式艦上爆撃機はタロフォフォの山中で発見されたとされている。
またそれは地元住民に6月19日にその辺りに不時着した様子を目撃されているということになっている。

あの作戦中に撃墜されたとされる九九式艦上爆撃機が9機となっている。
どの機が撃墜されたのかは記録が残っており、機体番号で言うと・・・。
321-221
321-222
321-223
321-227
321-229 以上空母「隼鷹」搭載機。
322-215
322-233
322-234
322-236 以上空母「飛鷹」搭載機。
となり、水中に残る機体はこの中の1機ということになると思う。
タロフォフォの機体もどれかとなるのだろう。
機体番号は推測によるものであり彗星や天山の番号は不明である。
零戦については艦爆隊ではないので、おそらく後の数字の一桁目が1となるのではないかと想像する。

このように色々な方が調べたものを参考にさせていただいている部分も多いのだが、どれ一つも自分の知っているものと数字が合わないものがある。
それは意図的なものなのか?
隠しておきたい何かがあるのか・・・?
それは艦上攻撃機・天山の数である。

零戦については2機編隊もあるがほぼ4機編隊で小隊をつくっていて1番機が小隊長である。
艦爆隊は全てが3機編隊の9つの小隊となっている。
艦爆隊でも彗星隊については2機・3機の編隊となっているが、指揮官の阿部大尉は唯一3機の編隊を組み、その1番機に搭乗しているが他の小隊は2機編隊である。
日本海軍では3機で編隊を組んでいることが多かったと思うが、アメリカが零戦とは1機で戦うなという作戦になり2機編隊で突っ込んで来ることになってきたための対応策であるのか、偶数の4機または2機で小隊を作っているのかもしれない。
九九式艦上爆撃機はこの当時になると性能は他と比べて著しく劣っているので昔ながらの3機編隊。
彗星は戦闘機の援護がなくても突っ込めるスピードがあるので偶数の編隊なのか。

その考えでいけば天山もスピードはある程度性能があるので偶数編隊となるはずで、2機ペアが2組の4機で小隊をつくっていることで違和感はないのであるが、誰も第2次攻撃隊で参加した天山を4機であるとしている方がいない。
零戦20+艦爆27+天山3=50機という切りが良い数字がよかったのか多くが天山は3機とされている。
まれに2機というものもあるようだが、実は天山4機の内2機が本来の艦上攻撃機としての使われ方で魚雷または爆弾を装着していた。
しかし2機の天山はそれらの装備を最初から付けず身軽なまま空母「龍鳳」から飛び立っている。

一つ考えられる理由に龍鳳の飛行甲板が特に短く、たとえば九九式艦上爆撃機では発艦できない。
発艦するためには風がある程度吹いて艦のスピードも速くて飛行甲板の短さを補わなくてはならないということがあるが、他の2機は爆装したまま発艦しているわけだ。
250m滑走に使えて艦の速力も34ノットだった第1航空戦隊に比べて、商船を改造した空母の飛行甲板が215mという長さなのと速力25ノットの第2航空戦隊の差は大きかったのである。

ではその丸腰の目的とは?
触接という役割で敵に張り付き、その位置などの詳細を知らせてくるものであるらしいのだが、なぜ天山がという疑問が残る。
そしてその天山4番機は触接の役割を担っていた機であり、ロタ島に帰着している記録なのである。
不時着ではなく帰着であり、今もそのエンジンとプロペラが残されているわけだ。

3機が出撃し3機ともが撃墜されているとされる天山。
無事に帰着している天山の存在は知られるべきではないものなのだろうか。

  

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November 18, 2017

グアムのダイビングショップ物語2196―今日のグアムと、ロタに残されてる航空機エンジンたち

652航空隊は戦闘機5個中隊、艦上爆撃機4個中隊、艦上攻撃機6個中隊の合計135機の内、第一航空戦隊が空母「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」。第二航空戦隊が「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」に配備される。
予定ではマリアナ沖海戦に使用される艦上爆撃機は彗星となっていたが9機だけの配備となったため残りを九九式艦上爆撃機が穴埋めすることになる。
しかし最新鋭の彗星は液冷のV型12気筒アツタ21型エンジンを積み込み、機首部分の空気抵抗軽減と合わせて九九式艦上爆撃機と同時に発艦することができない。
そのためマリアナ沖海戦緒戦である6月19日、第二航空戦隊・第二次攻撃隊は午前10時15分、指揮官・宮内安則大尉がまずは九九式艦上爆撃機の3個中隊27機。直衛零戦20機、艦上攻撃機1個中隊4機の51機で先発する。
遅れて10時45分、指揮官・阿部善次大尉率いる艦上爆撃機1個中隊(彗星隊)9機と直衛零戦6機の15機で後を追って発艦する。

しかし敵機動部隊がいるはずの合流地点に辿り着いても全く発見できない。
索敵範囲を広げて飛んでも見当たらず燃料が尽きかけて来る。
宮内大尉はグアムのオロテ岬にある第一滑走路へ着陸することにするが、F6Fヘルキャット30機に待ち伏せされ零戦14機、九九式艦上爆撃機9機、艦上攻撃機・天山3機が撃墜。
何とか着陸した九九式艦上爆撃機もアメリカ軍の行った爆撃により穴だらけとされていた滑走路のため、半数が損傷。無事に帰還したのは8機だけである。
阿部大尉もグアムへの着陸を試みるが、やはりF6Fに襲われる。
空母「隼鷹」発艦直後、阿部大尉の2番機、小瀬本国雄上飛曹と坂田清一上飛曹が乗り込む彗星と第三小隊長の岩井滉三大尉と吉本寳秀上飛曹の彗星2機、真鍋重信上飛曹が乗り込む零戦1機がエンジンや足が引っ込まないなどのトラブルで帰艦していて、12機で飛行していたが高度6000m付近で酸欠などの影響があったのか、さらに彗星1機と零戦3機が消えている。
最初のF6Fとの空戦で2つの火だるまになった機体を確認しているが、周りを見回すと阿部大尉の彗星1機だけとなっていた。

雲の中を飛んで何とかF6Fを振り切るがグアムの位置がわからなくなったとき、小さな島影が目に入った。
島の真ん中にまっすぐ伸びる滑走路も見えたため燃料ギリギリで着陸する。
そこに再びF6Fが銃撃しながら襲いかかる。
阿部大尉と中島米吉少尉は木陰に逃げ込むが、彗星は爆撃され炎上する。

また宮内大尉に率いられて出撃。撃墜を逃れた西谷一郎上飛曹、亀田稔飛曹長、藤川禎雄上飛曹乗り込む艦上攻撃機・天山4番機も同じ滑走路にかろうじて帰還していた。

この小島はロタ。

ロタには1944年まで日本の軍事基地はなく、6名の見張り役を置いているだけだった。
しかしサイパン・グアムへのアメリカ軍侵攻が始まり、3月に日本も陸海軍部隊をロタに配備し多いときには2000名余りが駐留した。
アメリカ軍がロタに上陸したのは戦後になってからのため陸上戦はなかったが、度重なる空爆と艦砲射撃により236名の日本兵が亡くなっている。
当初ロタの守備隊長として指揮していたのは陸軍の今川茂雄少佐であったが、不時着する航空機や艦船から流れ着いた海軍兵も多く集まり、彗星でロタに着陸した阿部大尉が海軍部隊の指揮官となり、10月には少佐に昇進し、そのまま終戦を迎えることになる。

guam1118suiseiguam1118atsuta全く知らなかったことであるがロタの空港の駐車場脇に航空機のエンジンが置いてあると言う。
屋根が付けられたりして保存しているわけでは全くなく野ざらし状態なので展示してあ
guam1118tenzanguam1118kaseiるとは言いがたいらしいが、零戦に搭載されていた中島の栄エンジン3基、天山に搭載されていた三菱の火星エンジンと彗星に搭載されていた愛知航空機のアツタ21型エンジンと思われる合計5基のエン
guam1118zeroguam1118sakaeジンたち。
天山と彗星はマリアナ沖海戦の記録から特定できている。
しかし零戦はと言うと・・・。
マリアナ沖海戦直前。
ヤップから飛び立った261航空隊の銀河10機と零戦4機の内3機が。
テニアンから飛び立った零戦12機の内2機がロタに不時着した記録が残っていた。
テニアンからの2機の搭乗員は終戦までロタに残っていたと言うので機体の損傷も小さく、ロタのどこかで零戦があればそれがこの2機の内の1機になるだろう。
ヤップからの零戦は大破という記録になっているので、この空港脇にある栄エンジンはヤップから飛び立った零戦のものと思われるが、搭乗員の記録は見つからない。

アツタエンジンについては21型と特定しているが、アツタエンジンは12型からスタートする。
燃料噴射式を採用し彗星の初期型である11型にはこのエンジンが使われている言われるが、カタパルト射出ができるように機体を改造した彗星21型にはアツタ21型が搭載されたとも言われる。
しかし機体が改造されて型番号の一桁目が2に変ったのに二桁目は1のままなので、これが意味するものはエンジンの変更はないと言うことになる。
一方、彗星12型の書類を見るとエンジンがアツタ21型から32型に変更されたと書かれているところから、彗星11型にもアツタ21型が採用されていたのではないかと推測されている。

天山の火星エンジンであるが、天山の要求性能を実現するためには三菱の火星エンジンではパワー不足で、機体設計をした中島としては中島の最強の護エンジンを押すが、結局護エンジンの製造を止めてしまうことになり133機の天山11型にしか搭載されていない。
以降の天山12型にはパワーは下回るが定評の三菱製火星25型が搭載されている。
ロタの天山が12型なのか11型なのか不明ではあるが、プッシュロッドの形状から三菱製であると思われるため、天山のエンジンも火星25型として問題ないと思われる。
しかし零戦の栄エンジンについては写真からは形式が不明である。
  
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November 17, 2017

グアムのダイビングショップ物語2195―今日のグアムと、大空を飛ぶように

guam1117ntro2guam1117intro1映画「永遠の0」の中で宮部中尉が夜中に、人知れず身体を鍛えていたことを覚えているだろうか。
今のように車のハンドルにはパワーアシストが付いていて指一本でも回すことができるような時代ではない。
何も障害物のない大空をまっすぐに飛んでいるという時代ではなく、やるかやられるかの空戦中とすれば、右へ左へだけではなく上下の動きを上手く使って敵を仕留める。
そのためには空気抵抗に必死に対抗して操縦桿を曲げなければならないのだ。
一り乗りの戦闘機であれば、そんな操縦と機銃を撃つという作業を一人でやらなければならない。
エースパイロットと呼ばれる人たちこそ操縦桿を操作する腕は鍛えていたんじゃないだろうか。
右手と両足で機体を動かし、左手でエンジン出力の操作プラス機銃をぶっ放すのだ。

guam1117intro3guam1117intro4攻撃機や爆撃機の場合、二人三人またそれ以上が乗り込む。
落とされれば被害はそれだけ大きくなるし目標を定めて攻撃態勢になれば機体はそのまま保たれ敵の攻撃を交わす退避行動は取れないので尚更だ。
しかし操縦士は操縦に専念し、攻撃、ナビゲーション、無線などそれぞれの役割が分担される。
一人分の目より二人三人の目で見るので索敵するにも帰還する空母を探すにも有利である。
そのため操縦桿は桿ではなく車のハンドルのうように両手で操作するタイプが採用されてる。
片手で桿を操作するよりも両手でハンドルを操作する方が力を入れることができるためだ。

グアムにある九九式艦上爆撃機は二人乗りであるが操縦席に桿が残っているので操縦桿であったことは間違いない。零式水上偵察機はどちらも残っていないが、この機体にはチョウチョみたいな形のハンドルが装備されていた。

今の航空機はセスナ機でもハンドルタイプのようだ。
やはり空戦という状況がなくゆったりと大空を飛び、もしも強風やパワーステアリングの機能が何らかの故障を起こしたとしても両手操作が可能だからだろう。
現在日本各地からグアムに遊びに来てくれてるみなさんが乗るのはボーイングの737、757、767、777だろうと思うが、歴戦のパイロットたちが乗っていた航空機と同じようにラダーペダルが今でも装備されていて、車のように現代ならハンドルだけで操作できるのかと思ったがそうではないらしい。
ただほぼラダーペダルが操作するものは自動で操作されているらしい。
もちろんパワーアシスト機能であらゆる操作は軽くできているらしいのだが、ハンドルのパワーアシストがなくなったとき今でも737はワイヤーで手動操作が可能で、その時は操縦士と副操縦士二人の力を合わせてよいしょっとハンドルを操作することになるのだそうだ。
うっかりワイヤーが繋がっていないその他の航空機はどうやって対処するのか聞き忘れた・・・。

guam1117intro5そんな大空を気持ちよく飛び回るように今日も一際透明度の素晴らしいグアムの海を左へ右へ。そして上下と自由自在に飛び回って来た。
本当にこんな素晴らしいシーズンにグアムに来なくていつ来るんだろう?!
今でしょ!(笑)  
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November 05, 2017

グアムのダイビングショップ物語2186―今日のグアムと、今日のレックスペシャル

guam1105cormoran3これバスタブだよね?!
船尾にあるバスタブより綺麗そうだし、ちゃんと船の床に固定されてる。
もっと近くで見たいなあ!・・・

この隙間を通り抜けらることができない!
見えてるのに!
guam1105crmoran2ライトがこんなに明るく照らせるのに!

ここで深度は30mほど。
ここまでそんな水深で来てるのに、一度上にあがって下がり直すっていうのもちょっとやりづらい。
次回のチャンスに回すしかないか。
それにしてもコモランの船内が意外と複雑だ。
そんなに船の幅もないし、まさかこんな横っちょにバスルームがあったなんで思ってもみなかったんでびっくりしたけど、そりゃあそうだよね。トイレと思われる部屋はけっこうあるけどバスルームと思われる部屋が全然見つからない。
こんなところにもあったのかぁ。
こりゃあ面白そうだ。

guam1105cormoran1この階段の下は入れるかなあ。
実際に浮いていた時も普通に上がり下がりしていた通路じゃなさそうだ。
階段の段が板状じゃなく棒状だから。これじゃあ完全にどこかつかまらないと動けないだろうし、階段じゃなくて梯子だな。
おそらく応急操舵装置でもあるのかもしれない。

レックスペシャルの初日はだいたい東海丸とバルボンバーで船と飛行機の両方をまずは見に行ってもらおうと思っている。二日間あれば、より奥の方にも案内できるのでまた東海丸に戻って来たり、木津川丸っていう深いのもある。
しかし今日のダイバーは飛行機よりも中に入ることができる船と、マリンダイビングを見て来ていただいてるのでグラビアにあったようなところで、二つの船を両方タッチできるところというリクエストなので、一本目はコモラン。
そして二本目はたっぷりと船上で写真を見ながら東海丸の船内を説明してからの東海丸となった。

しかし一人のダイバーがコモランでライトを落とした。
¥20000くらいするライトらしい。
落ちたときに言ってくれたら取りに行けたのかもしれないが、もう無理。
そのため東海丸でも真っ暗になるようなコースは取らない。

そうだ。
コモランからの帰りに日本人ダイバーグループとすれ違った。
アクアアカデミー以外でレックスペシャル的なことをやっている会社があるんだと思ったけど、ガイドからしてライトを持ってなかった。
レックスペシャルにはライトが欲しいと思うはず。船内を照らすことができたら倍楽しくなると思うけど。

guam1105futaまっすぐ降りて行って東海丸が沈むことになった魚雷痕。
そこにあるホワイトガソリンタンクの蓋。
開け閉めできるような蓋ではなく、こんなに沢山のボルトで締め付けられている。
中にはまだホワイトガソリンがあるのではないだろうか。

エンジンオープニングの予備発電機の隣にあったものはよく見ると
guam1105shelf棚だった。
うかつに触っちゃうと次のダイバーから後は見えなくなっちゃうから触ってないけど、木製だろうか金属製だろうか。
見た感じは木製に見えてるけど。



guam1105oil1そして前回写真に撮ることができた天井に溜まったオイル。
これは船内ではなくてアッパーデッキの船の縁だ。
左に傾いてる東海丸なので右舷側の縁でここにはダイバーの吐き出す泡も当たることがないだろうから、シルクルームのオイルと違ってオイルが固まりかけてる。
手で作った水流で動かせるが、もう液体とは言えないくらいに固まりかけてる。

guam1105oil2ずうっと縁を見て来ても、実はここだけにしかオイルは溜まっていない。
ほんの幅50センチほどだけだ。
なぜ?
この二本のパイプ。
当時はまだこの先にUの字のパイプが繋がっていたと思われるが、シルクルームからの排気と言うか換気と言うべきだろうと思うパイプなのだ。
何カ所もなくここだけにある二本のパイプの脇の船縁にオイルが溜まっているのは下のデッキのシルクルームから上に漏れて来た同じオイルなのだと思う。

分析する術があるのならこのオイルを持ち帰って調べてみたいものだ。
何のオイルなのかがわかるはずだ。
  
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November 02, 2017

グアムのダイビングショップ物語2183―今日のグアムと、この柱はどうやって曲がったか?

11月一回目のレックスペシャル。
沖縄でダイバーになり沖縄でよく潜っているというダイバーで本数はまだ多くないものの、アドバンスドダイバーですでにディープ、エンリッチドエアSPも持っているという、そりゃあ最初からレックダイビング好きなんじゃないの?っていう方。
ところがレックは初めてと言う。
やはりグアムで一番面白いと思う東海丸にまずはご案内となるのだが、どこまで行っていいのかが問題。
いきなり真っ暗になってもいけないだろうし、かといって深い方に先に行っとくべくだし。
レックに入る前に普通のダイビングを一緒に潜っていればそのダイバーをどこまで案内するかはわかるんだけど、初日の初対面がレックというリクエスト。
この後3日間でビーチも普通のボートもナイトも行くんだけど初日の最初がレックダイビング。
レックスペシャルツアーが基本的に午後開催なので深夜便でグアムに到着すると自然とそうなっちゃうのかな。

本当はライトがあるのでそういうことはないんだけど、ひと言だけ質問しておくことに。
「真っ暗になっても平気ですか?」
通常のライトさえ持っていないガイドが行く東海丸ではもちろん真っ暗はないわけで、それと同じレベルでは申しわけなく、ちょっとは「おお!」ってなる景色にしようと思うとやはり艦橋の下の方だったり、エンジンオープニング(機関室)なんだと思う。
誰がどう見てもわかる、知っている形のものや文字なんかを見ることができたらそれは興奮するよね。

guam1102tokai1エンジンオープニングと言っても3階建てなのでその一番上。
2基の巨大な6気筒ディーゼルエンジンのヘッド部分で、ちゃんとピストンが6本ずつあるのがわかるし、巨大なパイプがそれぞれのエンジンの真ん中辺りから上へと伸びているのも見える。
薄らと明るいところが見えるが、あそこが煙突の頂上だ。
エンジンからの排気を煙突へ導いているマフラーと言えばいいのだろうか。

guam1102tokai2最近使っている進入路はエンジンオープニングの上からではない。
上から来ると出て行くときと同じルートを通ることになるのでにごりが発生してしまう。上から降りて行くのは本来の乗組員たちの通った通りで面白いがなるべく同じところは通らない方が無難だ。
そのまま突き当たって上を見上げれば階段の上の方にスカイライトが見えてるし、青い明るい光が差し込んで来ていて、ここまで来ればライトがなくても泳げる。
楽しいかどうかは別としてだけど。



guam1102tokai3そして1フロア上には予備発電機が残されている。
ラジエーターグリルには文字が見えて、これはかなり興奮するものだ・・・と思う。
確実にKOHLERっていう言葉は調べるでしょ?!
アメリカ製のKOHLERは元々は発電機なんかを作っていた会社だ。
今はグアムにも取り扱い会社がイパオロード沿いにあるがホテルの洗面台などのメーカー名を見てみて欲しい。
日本でいうところのINAXとかTOTOみたいな会社と同じものを作っているようだ。
こうして見た文字を調べて行くっていう部分がレックダイビングにはまるきっかけの一つだと思う。

エンリッチドエアを使っているのでまだまだ余裕。
こんな深さのままどんどん行ける。
艦橋より前方には船艙が3つある。
その2つ目の第二船艙のセカンドデッキ(地下一階)は右舷左舷側ともにシルクルームだ。
シルクを濡れたりしないように入れておく専用の部屋で後部にも2つあるので、東海丸には全部で4つのシルクルームが装備され、後部のシルクルームの隣にはスペシャルルームという小さい部屋もあって、もしかすると金魚を運んだとすればその部屋に入れておいたのではないかと想像している。

横浜に浮かぶ氷川丸の第一船倉にもシルクルームがあったはずだが公開していないのでまだ見たことがない。
金魚を運んだ記録はあったし、今でも錦鯉は海外に向けて高価な輸出品の一つだ。

guam1102tokai4そんなシルクルームの天井に真っ黒なオイルが溜まっている。
なかなか写真ではよくわからなかったが今日は丸い玉になっているオイルがわかるように写真を撮ることができた。
魚雷を撃ち込まれたところにホワイトガソリンの大きなタンクはあるが、このオイルはどこから来たものか?
エンジンからとすると位置的に何故ここの天井に溜まっているのかということになるので、エンジン内にあったオイルではないと思う。

guam1102tokai5そのまま船首方向に向けて移動して行くと第一船倉が見えて来る。
ライトを当てずに自然光だけで撮ったので船艙の様子が逆によくわかる。
そして初めて気が付いたことが出て来た。
いつもライトの光を当てて景色を見ているので、たとえば曲がっている柱も一本一本を見てしまっている。
しかし並んだ2本を同時に見ると同じ方向に曲がっていることがわかる。
上からの力で押しつぶされたとは考えずらく、何故ならもっと太くて丈夫な壁や柱がいくつもあってデッキを支えているわけだから。
そうなるとこの細い柱の手前に置いてあった荷物が前方向に押し出されてぶつかり、そして曲げてしまったと考える方が納得できる。

ではいつぶつかった?
記録では東海丸は左舷側に当たった魚雷のため左に傾きつつ後から沈み始めたとなっている。
最初の沈没。
船体後部がまず着底して一度沈没が収まったとき、右舷側の艦橋の一部と船首は水面から出ていたという記録も残っている。
それが約3時間後に船体内の空気が抜けて行き全ての箇所が水中に沈んだとなっているのだ。

つまり沈没時の傾きで荷物がこの柱に当たったとすれば後方向に曲がらなければおかしいし、柱の前方には床がないため荷物は何も存在できない。
いつ曲がったんだ?
何がぶつかって曲げたのか?
けっこう長めの重たいものがぶつからないとこうは曲がらないと思う。
限りなく正解は見つけられそうもないけど、こういう謎がレックダイビングの面白さに繋がっていくのだ。  
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October 28, 2017

グアムのダイビングショップ物語2181―今日のグアムと、木津川丸に行って来た

guam1028kidu2もう一つ来るという噂もあるが台風が連続して通過して行きようやく天気の回復したグアム。
ちょうど沖縄辺りに台風22号が影響している頃かもしれませんが、レックスペシャルに行くことになった。
ポイントは木津川丸。
午前中にはちょっと見辛い山立てのポイントも今日ははっきり見える。
guam1028kidu3ボートに装備されているGPSの調子が悪く動いていないようだがおそらくこれなら間違いないと思う。
そして一番先に飛び込んでみると、ライトの準備をしている内の水深6mでマストが目に入って来た。
やっぱり透明度が必要なんだよね。潜降しながら進んで行った方向より左後にマストが見えた。これが見えてなければそのまま微妙に木津川丸を外してしまう位置に辿り着いてしまうところだったわけだ。
今度こそ山立ては完璧だ。

guam1028kidu13現在の木津川丸の目印になっているマスト。
この下に操舵室などがあったようだが、全くその部屋が何の部屋だったのか今のところ見当がついていない。
多くの船が左か右に傾いて沈んでいるものだが木津川丸は直立している。
これで船内がちゃんと部屋として残っていれば最高の沈船ポイントになるのだが、壁が東海丸などよりもずうっと壊れている。
沈んだのは東海丸が一年先なんだが、ほぼ壁は全てに穴が開いている。
もう一つ直立に沈んでいるからこその残念がある。
トラックなどでは気になっていなかったと思うが船内に砂が分厚く沈殿してしまってるため全く床部分が見えていない。
これではタイルだったのかデッキだったのかがわからない。

木津川丸が1941年5月11日に進水。
真珠湾攻撃の半年前のことでまだ徴用される前なのだが東京ー大阪ー神戸ー八幡を船団でおそらくは人を運んでいる。
そして1943年9月29日に雑用船として徴用。

guam1028kidu14guam1028kidu10ここで疑問が。
民間船に兵装するものだろうか。
今も木津川丸の船首には砲が弾とともに残っているが、1943年6月24日の日本海において潜水艦から雷撃を受けた際に3発発射して応戦している。
徴用される3ヶ月前のことだ。
guam1028kidu9guam1028kidu11また1900トンの木津川丸の船首には正直収まってないように見える砲は大型過ぎないか。
そして一発弾がなくなっている弾箱。

guam1028kidu12guam1028kidu8徴用後はパラオ・サイパンの南洋に輸送する任務に付いて
いるが積荷がはっきりしない。
1900トンと言う大きさから言ってもそれほど大量の物資を運ぶことはできない。
guam1028kidu1一つだけわかっている荷物は魚雷艇だ。
1944年1月佐世保から積み込んだ魚雷艇をパラオに運んでいる。
おそらくは中央部の一番大きい船艙に積み込んだと思われるが、この後サイパンに移動して、サイパンから3隻の輸送船(松江丸、新玉丸と)と駆逐艦3隻の船団でメレヨン守備隊を運ぶ任務が木津川丸最後のものとなる。
新玉丸はグアム東側のタロフォフォ湾に漂着。
木津川丸は駆逐艦の1隻・水無月に曳航されてアプラハーバーへ。
一旦グアムに退避し残った輸送船・松江丸は4月12日に南洋5支隊を無事にメレヨン(ヤップにある22の小島)まで届けることができた。

guam1028kidu5これは積み荷というような大袈裟なものではないだろうが、たぶんバッテリーと思われるものがたくさん残っている小部屋。
魚雷艇に使うものか、またはメレヨンまで運ぼうとしていたものか。

位置的にかなり船首近いので壁が曲線になるのはわかるがここまで曲線のものを見たことない。
guam1028kidu7guam1028kidu4こっちの写真は強度のためにこの太さの柱が必要だったが無理矢理人を通せるように造ったのか。1900トンの木津川丸の船艙部分は思わないが、艦橋のスペースがかなり小さいと思う。
guam1028kidu6
こっちの写真も中央の板状の棒が垂直のはず。
その左右2本の柱状のものはかなり後方に傾斜している。
壁は船首付近なので下に行くほど細くなるように傾斜している。
この大きな2本の柱は何を支えているのだろうか。  
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October 25, 2017

グアムのダイビングショップ物語2180―今日のグアムと、瀬戸内航路

guam1025map東海道本線の終着駅はどこか?
てっきり大阪であり、そこから先が山陽本線だとばかり思っていたけど。

1888年(明治21年)に神戸から下関まで鉄道で結ぶことを目的として設立された山陽鉄道だが、この年に開業したのは神戸ー姫路間だけ。
下関まで開通するのは1901年5月27日である。
その後1906年鉄道国有法により国が買収し、神戸ー下関間は山陽本線となり、1942年7月関門トンネルの開通によって終着が門司駅となる。

1884年(明治17年)瀬戸内海で個々に運輸を営業していた船主55名、合計93隻をもって大阪商船が設立される。
瀬戸内航路を主としてその営業を開始。
まだまだ鉄道が開通していない時代、瀬戸内海を移動する船だけが唯一の交通であった。

1871年(明治4年)5月、別府港が完成し2年後には大阪との航路が開通し有名温泉地としての別府温泉がスタートするのだ。
1900年(明治33年)5月には別府の街に日本で5番目となる路面電車が走り、そのために日本で2番目となる火力発電所が造られたことにより街灯が整備され、別府は不夜城となり益々活況を呈する日本有数の温泉街となっていき「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府。」というコピーまで生まれた。

関西から九州への旅は大人気。
目の前に広がる瀬戸内海は穏やかであり、大型の船ではなくても九州までの移動には最も適した交通であった。
そこに着目した大阪商船ではあったが、ほぼ同じ時期に山陽鉄道がライバルとして現れる。
山陽鉄道は十分に大阪商船を意識して、なるべく起伏のない線路を目指し、大山峠を越す区間だけは急勾配になったが、早く快適な旅を作り出すことで瀬戸内航路よりも鉄道に観光客が集めることに集中した。
1900年には日本初の寝台車を走らせたりもするが、あまりにスピードを求めたために乗り心地が悪かったり、事故も頻繁に起こることになってしまう。

一方の大阪商船は順調に集客数を伸ばしてはいるものの、使用する多くの船は200トン程の木造船のしかも20年近く酷使されたきたものでだいぶガタが来ていた。
そんな1887年8月、大阪商船は政府より助成金を受けられることになる。
その代わりにいくつかの定期航路を義務づけられることになるが、これにより新造船の開発・製造へと進むことができるようになった。

guam1025naruto-maru山陽鉄道が間もなく神戸ー下関間を全通するという1900年に竣工された紅丸。
1911年に大阪商船が運行を開始するが、それまでの船の中では最大の1000トンクラスであり船内設備も格段で、一等船室はベッド、二等船室は絨毯、三等船室も蚕棚を廃止し畳の大広間とし、500名近い乗客を運んだ。
船内から瀬戸内海を眺めながらの優雅な旅を演出し、紅丸は「瀬戸内海の女王」と呼ばれたが、それよりも10年早く下関まで開通していた山陽鉄道は、関門連絡船経由で大阪から博多まで20時間で結び勝負は明らかとなっていた。
確実に早く移動できる鉄道と船旅との比較は今と全く同じであり、危機を感じた大阪商船は鉄道が十分に整備されていない温泉の街・別府へ向かう航路に力を注ぐ方向に転換していくことになる。

guam1025fare紅丸のスケジュールは大阪の端建蔵橋の船着場を午前10時に出港し正午過ぎに神戸に入港。午後1時に神戸を出港し翌朝8時に松山港。午前8時に出港し午後1時頃に別府港着と言うものであった。
大阪から一日半かかる船旅ではあったがそれでも従来よりも1日早く到着することになったほかに、九州の一温泉地に過ぎなかった別府温泉を関西からの人気温泉地へと広めることになった。
また手狭になった端建蔵橋から天保山に新しいターミナルを建設しなければいけなくなるなどインフラの面でも影響を大きく与えた。

1921年(大正10年)には1500トンクラスの新造船・紫丸を別府航路に投入。
1924年には同じく1500トンクラスの二代目・紅丸が就航すると初代・紅丸は鳴門丸に名前を変えた。
しかし1941年太平洋戦争が開戦。1942年には大阪商船以外の瀬戸内海航路を統合経営する関西汽船が設立されるが、ついに1945年3月瀬戸内海航路はその運行を停止せざる得なくなる。

guam1025guide大阪商船の始まりであった瀬戸内航路。
現在は関西汽船から引き継がれた「フェリーさんふらわあ」や「名門大洋フェリー」が受け継いで運行しているが、近年にも新造船を導入するなど130年あまり経った現在でも瀬戸内航路は人気を博している。
  
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October 20, 2017

グアムのダイビングショップ物語2178―今日のグアムと、政府にできない日米友好に尽力した男

guam1020kingyo5どこまで控えめなんだと言うべきか。
誰かのせいにするのが得意って言うか。
人のいい話は表に出さないって言ったらいいのかって感じかな。
人を責める話は大好きなくせにねえ日本のマスコミ。(笑)

「日本本土を初めて爆撃したドゥーリトル中佐は大佐に昇進してルーズベルト大統領から最高級の勲章を贈られたがあなたはどんな勲章を貰ったのですか。」
1942年4月18日、ドゥーリトル中佐が指揮するB-25爆撃機16機が東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸を爆撃。
日本国民は敵の侵入を許した陸海軍を非難。
軍令部では高松宮殿下も出席しアメリカ本土を爆撃仕返すという会議が開かれたが、アメリカっていう国は国民をその気にさせるのが上手だ。
すごいものはすごいって素直に認める。
これならアメリカ人がお国のために頑張ろうって思うはずだ。

この前の零式小型水上偵察機がアメリカ史上たった一度だけアメリカ本土を爆撃した航空機だって話。
パイロットの名は藤田信雄中尉。
1945年2月16日、鹿島基地上空でF6Fヘルキャットとの一騎打ちで零式小型水上偵察機でヘルキャットを撃墜した海軍屈指のエースパイロットだ。

guam1020kingyo4空母から飛び立つ航空機とは全く違う。
知名度も役割も異なるのだが、最も違うのは潜水艦から飛び立ったら帰って来ることができる可能性が低い。
もし空戦になっていたとすれば戻るべき潜水艦の位置には戻ることはない。
100名近い乗員と潜水艦の位置をむざむざ敵に知らせることがあるはずもない。
一機だけで孤軍奮闘し撃墜されるか不時着するかの運命しか待っていない。
しかも零式小型水上偵察機は空気抵抗の大きいフロートを付け、星型9気筒340馬力のエンジンを積み、爆弾を装備すれば時速140劼離好圈璽匹精一杯で失速ギリギリだ。
たとえ作戦に成功し無事に潜水艦の脇に着水できても、クレーンで吊り上げ主翼とフロートを取り外さなければ潜水艦は潜航できず攻撃をまともに受けてしまうことになるのだ。

攻撃目標は市街地でも、サンディエゴ海軍基地でもなくただの山林だった。
アメリカに具体的な打撃を与えると言うものではなく、うまく風で火災が燃え広がればある程度の損害を与えることができ、何よりもアメリカ本土上空に敵機の侵入を許し爆撃されるという精神的なダメージを与えることが目的だった。

guam1020kingyo21942年8月15日午前9時。
伊号第25潜水艦は横須賀を出港。
作戦開始地点に無事到着するが悪天候のため潜水艦を安定させることができずに数日待機。その間に商船を魚雷で撃沈するなど成果をあげていた。
9月9日午前5時30分、奥田省三兵曹を偵察員に伴い藤田信雄飛行兵曹長(当時)はカタパルトで射出。
一度高度3000mまで上がりブルッキングスの街並が見えたところで高度を900mに下げて水平飛行に移った。
「爆弾投下!」
奥田兵曹に指示した藤田飛行長はレッドウッドの原生林に吸い込まれて行く爆弾を見え易くするためゆっくり旋回すると「爆発!燃えています!」
さらに2発目を投下するや潜水艦の方向に反転した。

伊号25潜水艦は帰路にタンカー1隻、商船をもう1隻、そして米潜水艦と勘違いしてソ連潜水艦を1隻撃沈し10月24日横須賀に凱旋した。

1962年内閣官房長官の大平正芳は藤田元中尉に連絡。
アメリカ政府より日本外務省に藤田信雄元中尉の身元照会があり、アメリカに来て欲しいというものだったが大平官房長官はこう言った。
「アメリカでは今も真珠湾攻撃など反日感情が根強い。唯一アメリカ本土を爆撃したあなたが渡米して報復を受けたとしても日本政府は一切関知しないと池田勇人総理も言っている。その辺りをご理解いただきたい。」
藤田元中尉への招待状には日米友好親善のためオレゴン州に爆弾を投下した貴殿と家族を招待したいとオレゴン州ブルッキング市市長のサインが添えられていた。
これをアメリカに呼び出して報復しようとしていると疑う藤田元中尉は、いざという時は腹を切る覚悟で先祖代々受け継ぐ軍刀を携えて渡米することになった。

これがアメリカの凄いところだ。
本心から藤田元中尉がたった一機でアメリカ本土まで辿り着いて爆撃したことを敵ながらアッパレとして爆撃されたオレゴン州のブルッキング市一番の祭に主賓として招待したのだ。
もちろん藤田元中尉の持ち込んだ軍刀の意味が全くなくなるのだが、まさかいざというときには腹を切るためとも言えず、ブルッキング市市長に日米友好の証であるとプレゼントして来たのだが、それが今でも図書館にFujitaコーナーとして展示されている。

guam1020kingyo3また藤田元中尉はレーガン大統領からもサイン入りのメッセージをもらっている。
アメリカに招待してくれたブルッキング市にいつかお礼をしたいと筑波万博にブルッキング市の高校生を3名自費で招待していたのだが、そんな日米友好の友情にアメリカ国民の代表として感謝の意を捧げますというものであったが、さらに立派で勇敢な貴殿の行為を讃えホワイトハウスに掲揚されていたアメリカ国旗までも贈られているのだ。
あのレーガン大統領からだ。

guam1020kingyo11997年9月22日、ブルッキング市議会は藤田元中尉を名誉市民として讃え永久に顕彰する決議をするがその直前に藤田元中尉はこの世を去ってしまう。
葬儀にはアメリカ政府から花輪が贈られているのだが日本政府からは何の挨拶もなかった。  
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October 18, 2017

グアムのダイビングショップ物語2177―今日のグアムと、零式水偵見たとき気が付いてなかったよ!

guam1018jake7零式水上偵察機。
零式三座水上偵察機と言う呼び方もあるが自分的には零式水上偵察機と言わせてもらいたい。
わざわざ三座というひと言を加える理由は零式小型水上機という同時期に開発された水上機があるからであるが、潜水艦に格納するために二人乗りにするなど小型化を計ったもので零式小型水上機と譲ってくれているんだから遠慮せずに水上偵察機と名乗りたいという理由だ。
また生産数が138機、終戦時の残存機は17機と言われているので現在レックとして語るときにほぼ零式小型水上機は出て来ないと思われるため混同することはないと思うためである。
ちなみに零式小型水上機は歴史上初であり最後であることを成し遂げている。

1942年9月。
伊25の搭載機である零式小型水上機が2回に渡ってアメリカ・オレゴン州の森林に焼夷弾を投下し火災を発生させた。
被害はほぼないがアメリカ本土の攻撃にただ一機成功した軍用機であり、アメリカ政府に与えた心理的影響は大きかった。
しかし日本海軍での通称は「金魚」である。(笑)

同じ航空機でも改良を重ねて行くに連れて型名が変化して行く。
零戦などは21型から64型まである。
零式水上偵察機は11型から始まるが、型は変わらずに装備が変った甲や乙がある。
型が変わらないと言うことは機体もエンジンも変っていないが、武装などの装備が改良改善されたということだ。
甲にはレーダーが付き、乙にはそのレーダーを発展させて水中の潜水艦を見つけることができるアンテナを装備したという変更であり、初期型で問題が発覚した機体とフロートを繋ぐ支柱と張線の改良を施されている。

guam1018jake2名前の通り偵察が主な任務の一つになるが、夜間の偵察の場合に厄介なのが排気管から出てしまう炎の灯だ。
これで位置がわかってしまい攻撃を受けることになる。
そこで排気管の先に消炎管を付ける改良を行うので、初期型を見分けるにはこの消炎管があるかないかが一つだと思っている。
そして着水時に強度が足りずに切れてしまうフロートを結んでいる張線と支柱の形。
guam1018jake6guam1018jake9これで初期型は見分けられると思っている。

つまり張線の数が減って支柱が丈夫になっている型が改良型だと思っているのだが、零式水上偵察機は1423機生産されている。
開発を行ったのは愛知航空機だが生産数は133機に留まっている。
名機・九九式艦上爆撃機の生産で忙しいというのが理由であると思うが、大多数は渡辺鉄工所による生産でおよそ1100機、残る200機ほどが広島海軍工廠が担っている。

ここからは推測であるが、初期型は愛知航空機で生産されたが実戦で運用されるうちに改善点が見つかる。
それを受けて増産体制に入った渡辺鉄工所が甲・乙の電探(レーダー)付きを生産。
そして広島海軍工廠が生産した200機の零式水偵は最終増産型と思われる単排気管採用でスピードアップを計ったものではないのだろうか。

guam1018jake8自分で鹿児島まで実物を見に行っておいて気が付かなかったことがある。
改めて撮影して来た写真を見てみて驚いた。
グアム、サイパン、パラオに沈んでいる3つの零式水偵察に残されている消炎管。
これを取り付けるには集合排気管である必要があるのだが、鹿児島に展示されているものにはどう見ても単排気管が飛び出ているのだ。

終戦時に残存していたものは200機と言われているが、外地に残されたものも多く、現在一般の方が見に行くことができるのは鹿児島の万世特攻平和祈念館。
ダイバーならこの他にグアム、サイパン、パラオで見ることができるだけだ。

サイパンでは長年零戦と思われて来た裏返しになっている機体。
零戦と思われるだけあってフロートは取れて一つは隣に沈んでいるがもう一つは紛失している。
砂地に埋まった形なのでコックピットなどは見ることができないが、グアムのものと違ってプロペラから水平尾翼付近までの下面については無事に繋がった形で見ることができるようなので、グアムでは確認できない部分が多いのだと思う。

guam1018jake4guam1018jake1確認したいポイント。
フロートのラダー。
爆弾倉の開閉装置、爆弾取り付け装置。
爆撃照準窓。
写真偵察窓。
爆弾倉わきにあるフロート取
guam1018jake5り付け張線固定部と支柱取り付け部。
右主翼のピトー管。
写真からは消炎管が確認できるので、グアムとパラオと同型の零式水上偵察機であると思われる。  
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October 15, 2017

グアムのダイビングショップ物語2174―今日のグアムと、一式陸攻を見れるかもしれないサイパン遠征(笑)

guam1015一式陸上攻撃機。
略して一式陸攻と呼ばれる。
零戦などと比べると太い胴体がどんくさそうなデザインではあるのだが、実はかなり苦労して開発された高性能機。
旧型攻撃機と同じパワーのエンジンのままで乗員や武装で重量が増えたにも関わらず、2基のエンジンだけでこれだけの性能で飛べること自体が素晴らしい。
現代にはワンショットライターという不名誉な渾名と、防御について疑問視する話が伝わっているが、実は当時目撃され撃墜されて行く一式陸攻の多くは火を噴いていなかったという証言がある。
米軍の最新鋭戦闘機であるF6Fヘルキャットに追いつめられた一式陸攻ではあるが、最後は撃墜を諦めて帰って行ったという米軍の証言も残っている。

guam1015betty2戦闘機とは違い一式陸攻の役割は高空から爆弾を落とす。
水面近くを敵艦船に接近して行き魚雷を落とす。
いずれの攻撃にしろ狙いを定めたら方向は変えない。
後は最も命中の確率が高い距離まで詰めておいて攻撃をするだけなのだが、この間に敵の攻撃が最も集中するはずだが一切逃げないで自分たちの役割を果たす。
機内にいる7人の誰も文句を言わず、任務の遂行に専念するのだ。
その結果撃墜されようとも。
そのため他の航空機に比べて帰還してる確率は低い・・・。

guam1015betty3もちろん戦闘機はそんな一式陸攻を必死に自分を盾にしても守ろうとする。
一式陸攻からも機銃で応戦するが、自分たちという的は動かすことはないのだ。

グアムでは見ることができない一式陸攻を何で急に語るかと言えばもちろんサイパン遠征の予習だ。
それにしてもこれだけの航空機のレックがあるというのはやはりグアムよりもサイパンの方が激戦だったということなんだろうか。
ネットで出てくる写真には格納式のランディングギアと機銃、そして2種類の座席のようなものを見ることができる。
ビーチチェアのように見えるものは今のところ全く見当が付かないが、もう一つしっかりした座席はおそらく正操縦士か副操縦士または指揮官席のどれかではないかと思う。
砂に埋まって見えていない太もものが当たる部分、座面の形が見えていればまた候補が狭くなるかもしれない。

guam1015betty4ちなみにトラックに沈む一式陸攻にも座席が残っている。
墜落現場に辿り着いたとき、山本五十六大将は機外に投げ出された座席に座り、太刀を地面に立てて息絶えていたという言い伝えがあり「この椅子がそうか!」と思ったことを思い出すが、これはたぶん正操縦士の座席と思われる。
座面の股部分が窪んでいるのは操縦桿を引いたときに必要なスペースだと思うので、その後の座席にはこの窪みがないのではないだろうかと思っている。
もちろん副操縦士の座席も同様に窪んでいるが、レバーが右手側にあるのは右側の座席であると思われる。

では機銃はどの部分のものだろうか。
一式陸攻には機首と尾部、それに上部と左右にドーム状の機銃座がある。
戦闘時には操縦士の二人を除く5人がそれぞれの機銃射手となるわけだ。
写真の解説には二式大艇で見る機銃と同じと書いてあるので20ミリ機銃だと思う。

ここで一式陸攻の型が問題になる。
11型には20ミリ機銃が尾部だけで他の機銃は7.7ミリである。
サイパンの一式陸攻が11型だとすれば残っている20ミリ機銃は尾部のものとなるのだが、機銃と一緒に残っている銃架の形状がしっかり床に固定するようになっている。
しかし尾部はほぼガラス張りになっていて視界を確保しているので、尾部用の銃架は形が異なるはず。
そうなると一式陸攻でも22型であると言う可能性が高いことになる。
22型の場合は機体上部の機銃も20ミリに強化されているのだ。

guam1015betty5さてトラックの一式陸攻に戻ってみると、これが上部銃座だ。
しかしここには20ミリ機銃は付かない。
20ミリの破壊力がある重たい機銃をセットするために、この上部銃座は改良されていなければならないのだ。
従ってサイパンの一式陸攻は11型ではなく22型ではないかと推測できる。

一式陸攻の機長、地井武男が恰好よかったなあ。
機長以下7名が自らの意思で大空に散って行ったのだ。
映画「大空のサムライ」
  
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October 14, 2017

グアムのダイビングショップ物語2173―今日のグアムと、二式大艇を見に行くサイパン遠征

ほぼ韓国人に首位を奪われた日本人。
サイパンの様子を見ても一度追い抜かれた順位が元に戻せることはない・・・。
あれだけドル箱だったサイパンのマニャガハ島に今は訪れる日本人なんかいない。
これからグアムもアジア人に勢力を広げられて、あんな人たちと同じホテルになんか泊まれないって言われちゃうんだろうなあ。
それを防ぐには今が踏ん張り時なんだけど仕方ないね。
今の状況はいくら航空運賃を下げても見送りの人には関係ないのかもね。
くれぐれもグアムに来ることは相談しないようにお願いします。(笑)

そういうことで、サイパン遠征に行く計画を立てたので興味のある方はご連絡お待ちしております。
日程は決定ずみ。
11月25〜29日
ダイビングは26〜28日で最大9ダイブ(予定は8ダイブ)。
ポイントはサイパンの親友インストラクターにお任せなので未定だけど、ボート4ダイブ+ビーチ4ダイブの予定。
一押しはラウラウビーチのアジ玉。
史上最高の群れの大きさらしい。
グロットはどうなるかなあ・・・。
あの階段を上がる体力が今の自分にあるのだろうか・・・。(爆笑)

前置きが長くなったけど本当に語りたいのは二式大艇。

サイパンのレック調査は素晴らしい。
昨年のサイパン遠征でPB2Yコロナドを見せてもらった。
不思議なことに主翼は全て揃っているし、4基分のプロペラは全て揃ってるのに胴体がどこにもない。
グアムのレックと違って比較的浅いところに沈んでいるので、後から回収されてしまっている可能性があると思うが、他のレックもパーツが大きく欠けている。
しかし2回目のコロナドで砂地からちょっと見えていた金属部分を持ち上げて、どこかの出入り口と出入りに使ったと思われる把手がついたパーツが出て来た。

サイパンではそうして日々何か出てくるんじゃないかと探しているのだと思う。
銘板という驚くべきものまで発見してる。
そんな情報をちょっと見つけて勉強させてもらいながら、自分の知っている情報と重ね合わせてみた。
長年B-29と言われていたものが実は二式大艇だとわかったレック。
自分がサイパンにいたときにそう言われて以来レック好きになったきっかけのレックでもある。

guam1014emily6guam1014emily9最初のパーツは機首室右舷側のハッチ。
機首の20ミリ機銃座のすぐ後にあるハッチは明かり取りも兼ねるため窓が2つ開いてるが、ここは乗り降りに使うことはほぼなく、ハッチの直ぐ
guam1014emily1下にある金具に係留用ブイのロープを留めるために身を乗り出すハッチ。
内側から見るとこうなっている。
機首室は前方の敵を撃つ機銃射手。
爆撃の際の狙いを定める役割。
係留ブイの確保などなどの作業を行うスペースで操縦装置のある前方室から階段で降りて来る。
そしてはっきりわかっていなかったトラックで見たパーツがこのハッチ部分だと確認できた。

自分がサイパンで潜っていたときにこんなハッチを見た記憶は全くないんだが、これも最近見つけられたみたいでサンゴにハッチが立てかけられている写真を見た。
そのハッチにはガラス窓が一つあり、上部と思われる淵にはハッチの開け閉めに使われていたと思われるヒンジ状のものが残っている。
窓ガラスの数とハッチの開け閉め法が機首室右舷側のハッチと合致していない。

guam1014emily10guam1014emily7自分でも全くその存在を知らなかったハッチがもう一つあった。
鹿屋基地に世界で唯一残されている二式大艇は地面から見上げるだけでとても機体上部は見ることができない。
いくつかある資料を見てもあまり天井部分の写真はないのでそんなもんがあるとは思っていなかったが、天井部分にもう一つハッチがあった。
前方室の主操縦者席の後方にある機関席。その少し後の天井には、主翼や胴体の点検のための昇降ハッチがあり予備の銃座としても使われることがあるため、足場も取り付けられている。
上部から見ると銃座として使用する時のためにハッチ前方には遮風板も設けられている。
そしてこのハッチは内側にヒンジで開閉できる仕組みであり、よく見るとガラス窓がヒンジ側に一つ付けられている。

ハッチ現物がサイパンで見ることができるので最終確認はサイズだ。
これら二つのハッチのサイズはかなり近い数字だ。
係留ブイを確保するためのハッチは680X440弌
昇降ハッチのサイズは710X460个覆里任修虜垢錬押腺灰札鵐舛靴ない。
計り方には細心の注意が必要だ。

guam1014emily8guam1014emily2二式大艇は当初正式名に11型と付けられているが、同機体によりパワーアップされた火星エンジンの22型を積んだ後期型もある。
型式名には特に違いがなのだが、エンジンのパワーアップの他に武装も強化されたようである。
当初は20亠―藤橘腓梁召7.7个癸缶臍備されていたが全てを20个吠儿垢気譴燭隼廚錣譴襦
そして些細ではあるが機体の改造とも言える安定ヒレ。
離水時の安定が悪かったための改善をはかるためのヒレを胴体の第二ステップ後方に付けられた。
その機体を12型と呼ばれることもある。
トラックで見ることができる二式大艇にはこの安定ヒレがなかったようなので後期型ではないと言うことだろうか。

uam1014emily3その他よくわからない穴がいくつかあったが、それも今回の確認でわかったことがある。
この写真ではどこの部分であるかなかなかわからないが左主翼と胴体の付根で、左が機首側。
緑色塗装部分に小窓があるのはわかるが白い塗装の主翼側の小窓は何だと不可解だったが、この3つの小窓の真ん中は開閉し、下方を狙うことができる銃座用となるのだった。
guam1014emily11guam1014emily12まさか主翼の内部に人が入ることができるとは思ってもみなかった。
モノクロ写真ではわかりづらいが何本も走るワイヤーが固定されている部分が胴体の壁。
その裏側は主翼内となっている。

guam1014emily4後部機銃座の少し前方、尾部室の底面には大きな扉がある。
爆撃用のようにも見えるがここも予備の銃座。
観音扉のように開き下方に向かってうつ伏せになり攻撃をするためであるが、この予備銃座を使うことはほぼなかった。
敵戦闘機と空戦になった場合、二式大艇は海面すれすれまで高度を下げ、回避しながら逃亡するのが通常。
そのため下方には攻撃するための敵機がいなかったわけである。

guam1014emily5最後の穴はこれだ。
なぜ日の丸のど真ん中にこんなちっぽけな穴が開けられているのだ。
ちょうど後方室と後方無線室との隔壁部分にあり、燃料タンクの換気口のようだ。
何も日の丸の中に付けなくてもいいと思うのだが・・・。

あまり知られていないがサイパンに沈むレックの航空機。
これがグアムの比じゃあない。
丸々残っているものは多くないのだが、この二式大艇の他、零式水上偵察機、PB2Yコロナド、一式陸攻、PMBマリナー、F6Fヘルキャットまで沈んでいるらしい。
  
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October 10, 2017

グアムのダイビングショップ物語2171―今日のグアムと、用意周到だったわけか

guam1010spn2guam1010spn1サイパンの様子を聞いてもそうだがグアムも1944年にならないとほとんど大きな戦いはなかったようだ。
グアムの一番有名で面白いレック・東海丸は1943年の8月に沈められているが、大きな
guam1010tokai戦いがあったわけではなくグアム周辺を警戒監視していた潜水艦が「隙有り!」ってことで雷撃しただけだ。
空爆があったわけでもなく、東海丸乗組員は海に飛び込めば全員が日本の警備艇に救助されている。
まだまだ日本はより南のラバウル辺りでの戦いに集中していた時期である。

guam1010kitz2guam1010kitz1しかし1944年も4月になって来ると日本のディフェンスラインがマリアナ地域まで押し上げられて来る。
4月8日、米潜水艦シーホースがグアムの東方海上でサイパンからメレヨンに向けて航行中の潜水艦母艦・新玉丸を雷撃し航行不能に。同日タロフォフォ湾に漂着し座礁してしまう。
シーホースは船団を組んでいた木津川丸にも攻撃し木津川丸も航行不能になるが、駆逐艦・水無月に曳航されてグアムのアプラハーバーに退避する。
さらに木津川丸は6月11日に空からも攻撃され沈没は免れるが6月27日に砲撃にて沈没することになる。

guam1010pby25月になると米軍基地マーシャルから飛び立ったB-24爆撃機と哨戒爆撃機PBYカタリナがサイパンをグアムを爆撃開始。
5月6日には日本の戦闘機がこれら5機を撃墜。
この内の1機のPBYカタリナがグアムのタモン沖で撃墜され、そのフロートの一つがガンビーチの水深27mに今も沈んでいると推測している。
これ以降爆撃が頻繁になり6月11ー12日には、米空母から飛び立っ
guam1010pby1た航空機216機とマーシャル基地から飛び立ったB-24とPBYカタリナが、日本の航空機150機、特設運搬船を12隻と多数の漁船を攻撃。
アプラハーバーにいた木津川丸は12隻の内の1隻と思われる。

6月15日、米軍はサイパン上陸作戦を開始する。
それと同時に空母・アイダホとペンシルバニアから飛び立った96機の爆撃機と46機の戦闘機がグアムを3時間に渡って攻撃。

guam1010kinai1943年2月23日、畿内丸とともに船団を組んだ日祐丸が呉からグアムに向けて護衛なしで出港。
翌日魚雷敷設船・夏島と水雷艇・鳩と合流し護衛されながらグアムを目指す。
3月2日、グアムの南西沖で米潜水艦・ハリバットから魚雷2発。
大砲で応戦した日祐丸は何とか逃げ切る。3月5日には護衛の2隻が離れるが仮装巡洋艦・浮島丸に会えることができ曳航されて3月
guam1010torp6日にグアムのアプラハーバーに入港。
7月16日に一度呉に帰港するが、25日には再び呉からグアムに向かう。
途中の経緯が不明だが、そのまま翌年の6月15日、カブラスの桟橋に修理のために接岸していた日祐丸も空襲される。
日祐二丸も12隻のうちの1隻と思われる。
沈没は免れるが25日には砲撃により損傷し、7月13日に沈没。

これらの攻撃は全て6月18日に予定されていたグアム上陸作戦のために行われているが、6月16日、フィリピンにいた日本の機動部隊がマリアナ方面に向けて移動開始するのを見てグアム上陸作戦は延期。
来るべくマリアナ沖海戦に向けて準備を迎撃体制を整える。

guam1010val1guam1010val26月19ー20日のマリアナ沖海戦で日本は3隻の空母、476機の航空機を失う大打撃を受けほぼ壊滅状態。
空母も航空機もほぼ全てをこの戦いで失った日本はもう為す術もない。
19日にグアムのオロテ基地に着陸体制を取った九九式艦上爆撃機や零戦を待ち伏せていたF6F戦闘機30機が襲いかかり、無事オロテ滑走路に着陸したのは零戦5機と九九式艦上爆撃機8機だけだった・・・。
大多数の航空機がF6Fにやられたのか!?
零戦隊長の小林大尉は5機のF6Fを撃墜しているのにか?

guam1010val36月15日の空爆目標はグアムのオロテとティザン(現グアム空港)の滑走路も含まれていた。
凸凹にされた滑走路に入って来た多数の航空機は、このクレーターによりクラッシュしてしまったのである。
確かにオロテの滑走路脇で破壊されている九九式艦上爆撃機の写真が残っているが、あれは1機だけのことではなかったのか。

guam1010guam米軍が新たに設定したグアム上陸作戦開始は7月21日。
この上陸に備えて行われたのが6月末から7月初旬にかけての爆撃。
この作戦に参加していた一人の若い大尉は空母・サンジャシントからTBFアベンジャー雷撃機で飛び立った。
小笠原の父島付近で撃墜された彼はパラシュートで脱出し救出されるが、彼の名はジョージ・ブッシュ。
1988年から1992年まで米国の大統領を務めた。
しかしこの攻撃は7月ではなく9月のものであるという説の方が有力である。

東海丸を除く、木津川丸、日祐丸、新玉丸、九九式艦上爆撃機、ガンビーチに沈むPBYカタリナのフロートは全てこのグアム上陸作戦に備えて行われた米海軍の攻撃に関わるものである。
  
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October 04, 2017

グアムのダイビングショップ物語2169―今日のグアムと、SOUNDING HOLD 4

guam104cement1サイパンじゃないぞ。
グアムにもこんな、ボートが船底を砂地にこするまで接岸できるビーチがあるんだね。
おそるべしパラオ人だ。
普通はこんなところに上陸しようと思わないけどね。こっちも人のボートだし本人が勝手にどんどん浅瀬に入って行くから止めないけど、(笑)ちょっとツーリスト気分になったよ。

guam104cement2でもってさらにこんなところにも上陸だ。
前々から行きたいと思っていたし、潜って見てみるとボートがここに横付けするのは可能だとも思っていた。
でもね途中の凸凹を考えると「そこに付けて」とは言えない。
でも本人が勝手にどんどん入って行くからね。
水中を見てても最近になって捨てられて増えたゴミがある。
スパムとかコンビーフとか、安くて簡単にご飯さえ炊けば食事ができるもんの缶ばっかり。
誰かが上にいることがあるなとは思っていたけど、実際に上がってみるとどうやらフィッシャーマンたちの休憩場所と言うかキャンプ場みたいな様相だ。
魚捕り用のネットなども散乱してる。どうりで水中にも落ちてるわけだ。

guam104cement6よく晴れて太陽がギンギラギンのときにはこの下がいい撮影ポイントだ。
似非ロタホールだ。
アメリカンタンカーでも最大級の部屋。
アッパーデッキにある小さい穴から進入する部屋ではない。
そうなるとほぼ限定できて来る。水中には長い階段も落ちている。
このことからこの穴には水中に落ちている長い階段がこんな風にかけられていたと推測している。

guam104cement5本来は階段を上がり切っても部屋の中であったはずなのだが、この場所には屋根部分が残っていない。
そんなアッパーデッキにこんなもんがあった。
「SOUNDING HOLD 4」
燃料を溜めて運んで来た大きな部屋のうちのNo.4っていう意味なのか?
サウンディングっていうのはどういう意味なのか?
アメリカンタンカーのこの部屋は確かにでっかくて燃料を大量に蓄えられていたとは思うのだが、階段が下の方まで続いているということは人が降りて行ったスペースでもあるはずだ。
しかも防水ケースに入れられた照明用のライトまで階段の左右に付けられて残っている。
このライトとサウンディングっていうのは繋がっているのだろうか。

guam104cement3guam104cement7バルボンバーからセメントバージにダイビングする予定なのだが、今日はすっかり水面上のものが気になっていちいち水面上の部分に上陸してみた。(笑)
ここはアメリカンタンカーに何回も行っているダイバーならわかるはずだ。
船首に一番近い建物で、天井にでっかいエレファントイアが生えてるところだ。
形や中にあるものは同じに見える。
水中と空気中とでは同じ時間が経過してもこんな風に劣化の違いが出て来るのだ。
何のためにあった部屋なのか全くわからないけど。

guam104cement4guam104cement9ここに沈められている5つのセメントバージ
基本的には同じサイズで同じデザインだと思っていたが、微妙に形が違っている部分があることに気付いて来た。
船首や船尾もちょっと違う形をしていたりする。
同じ会社が全てのセメントバージを造ったわけではないので当たり前なのかもしれないが。
これは船首付近のボラード。
浅いのはセメンドバージNo.3で深いのがセメントバージNo.5、つまりアメリカンタンカーだ。
  
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October 03, 2017

グアムのダイビングショップ物語2168―今日のグアムと、ホワイトガソリン

guam103tokai3白ガソリン(ホワイトガス)。
現在ではキャンプ用品のランタンやストーブの燃料として販売されているし使用されていると思われる。
では他に用途はないのか。
洗浄用という使い方も知られているが他には用途はないのか?
オクタン価が低いので車などのエンジンを回すには向いていないが、逆に不純物が入っていないので燃えるときに出る煤も少なく環境への影響は少ない。

guam103tokai1実はまた一つ読めなかった文字が判明した。
魚雷痕の辺りの透明度が今日はまあまあだったので見通すことができた。
これらの鋼材は魚雷の影響で曲がったものと思っていたが(魚雷で曲がったものもある)、これは魚雷を受けたのと反対側だ。
それによく見てみると並んでいる鋼材全てが同じ形に曲がっている。
そして側にはその形にちょうどはまるものが転がっている。
大きな立方体の金属製容器だと思われる。

guam103tokai2その辺りを調べてみると以前は全く何が書いてあるのかわからなかったつぶれた文字が形を帯びて浮かんで来た。
金属製の容器であるとわかって見ているせいもあるが、WHITE FUELと書いてあるように見える。
自分のディーゼルエンジンを動かすための燃料ではなく、なぜ白ガソリンをこんなに大量に積み込む容器を備えていたのか。
なぜ魚雷を撃ち込まれて火災などが発生したときに爆発しなかったのか。
やはり停泊してから7ヶ月経っていれば中身は空っぽであったのだろうか。
まだまだ面白い謎が出て来る東海丸だ。

guam103tokai5本当言うと、このでっかい立方体の容器を見たときはオイルの入れ物と思った。
シルクルームの天井に溜まっている大量のオイル。
ダイバーの泡がそのオイルに飛び込むとまるで生き物のように黒い丸い玉がうごめく。何回かあそこに手を突っ込んでみたいと思ったがその後の後悔を思うとやはりまだやったことはない。
そのオイルがどこから来ているのかという謎が解決されるからだ。
しかしそれがホワイトガソリンと出たからまた謎が増えちゃった。

guam103tokai4今日は厨房脇のではなくメインの消火設備にある二酸化炭素のボンベの部屋。
ここは内部に入ることも顔を突っ込むこともできないのであまり来ない部屋だが、ところどころに開いてる穴からカメラを突っ込むとこんな風にボンベが立って並んでいるのが見える。
この消火設備をシルクルームのためだと思ったわけだが、ではシルクルームに二酸化炭素を送り込んだものの痕跡があるのか。

これはシルクルームの通路側、船の中央よりの天井にあるパイプのようなもののまとまりだ。
これが消火用の二酸化炭素を吹き出したパイプであるのかもしれな
guam103tokai6い。

やはり厨房に行くなら配膳室とダイニングや鍋などを上げ下ろししたエレベーターなどの関連施設を見たらストーリーがつながって楽しいと思う。
消火設備を見たなら、それを送って消火する部屋を見ないとだ。

  
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September 29, 2017

グアムのダイビングショップ物語2165―今日のグアムと、レックダイバー続々

guam929kame1毎回のダイバーは1人か2人だけどレックスペシャルツアーに来てくれる人が目立って来た。
まだアクアアカデミーのホームページでしか告知していないのだがどうやって見つけ出してくれてるんだろうか。
「レック」というキーワードで調べると言っていたがなるほどね。
レックとグアムの二つのキーワードはアクアアカデミーしか出て来ないのかもしれない。
そしてそれだけレックに興味があった人がいたってことだ。
先日なんかはトラックに行くのにグアムを経由するんだけどって言う人が「グアムにレックがあるなんて知らなかった。」って言って今度グアムにもダイビングに来たいって。
女性ダイバーだった。
レックダイビングが広まっていくのはいいね!

グアムのレックが初めてと言うダイバーを連れて行くのはやはり東海丸。
セカンドダイブはもっと船を見たいと言われれば再び東海丸、またはコモランを案内するし、そういう意見がなければ九九式艦上爆撃機(バルボンバー)。
船を見たら次は飛行機でしょう。
それに後半はセメンドバージも見てもらえるのもいい。

で、お客様の反応はと言うと・・・。
東海丸を案内してる時の反応は凄い。
「お〜!」
って言いながら興味深そうにあっちこっち写真撮って付いて来てくれてる。
バルボンバーに行くと何だか暇そうに見えたりもする。
だからセメントバージに移動すると、また色々カメラを向け出してくれる。

guam929val1何回もグアムに来てくれてるダイバーの場合はどちらも同じように興味を示してくれるけど、やっぱり初めて見たら小さい飛行機より大きい船の方が見るもんいっぱいあるし、第一船には中に入ることができるけど飛行機は入ることが出来ない。
これ重要かもね。
自分的にもバルボンバーの何を見に行くと言うテーマが最近はっきりしなくて、あらかた調べ尽くしてしまったのかということがある
guam929val2のかもしれない。
何か文字のようなものが出て来てくれれば面白そうなんだけどなあ。

そんなことを期待してエンジンをアップで撮ってみてるんだけどね。  
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September 27, 2017

グアムのダイビングショップ物語2164―今日のグアムと、順調だったカタリナの確認作業

guam925catalina1長く活躍したし、日本の海上自衛隊にも2機あったこともあるのになかなか詳しい資料が見つからない。
PBYカタリナ。
1935年に量産が開始された航空機で、開発当初は哨戒飛行艇であったが正式採用時には哨戒爆撃機となり名称もXP3Y-1からBが追加されPBYとなる。
Yはコンソリデーテッド社のものであることを示すもので他にボーイング社も生産し、それはPB2Bと呼ばれた。
日本式に言えば95式大型水上艇って感じか。
二式大艇より7年も古いのか。

guam927catalinaこれは着水するところか離水するところなのか?
機首が上がって行く気配がないので着水したところのようだが、これがカタリナのわかり辛かった部分。
両翼の端に付いているフロートが今は降りている状態だが、空中に上がればこのフロートが持ち上がって主翼の先端に格納される。
guam925catalina5するとフロートなど全くない飛行艇のような、でも陸上にも離着陸できる大型飛行機に見えるようになる。
そんな姿をしているので飛行艇だと思っていない人も大勢いることだろう。
自分もそうだったように。

ではこのフロートはいつ上げ下げできるのか?
フロートを卸せば主翼の先端は流線型ではなくなり、長さも片翼2フィートずつ短くなる。
果たしてその短い主翼でちゃんと飛べるのか。
現在の航空機の車輪と同じで飛び立ちながら、または降りてきながら上げ下げするのだろうか。

サンディエゴで手に入れたフロートのサイズは全長3m10僉
それを確認するダイビングに行く機会があった。
レックスペシャルでダイビングに来てくれてるダイバーなので巻尺を持ってガンビーチへ。
さすがのレック好きダイバーで巻尺の片方を言わなくても持ってくれたし。

guam925catalina2105僂箸い数字が見えているが、巻尺が150僂靴ないものなので、この前に2m分は計ってあるので、ここは3m5僂任△襪海箸砲覆襪、ガンビーチに沈むフロートは先端が欠けている。
何でそういう形なのかはまだわかっていないが、無くなっている先端部分のところにちょうど隔壁があることがわかった。
なぜそんな短いサイズで分かれているか理由はわからないが、絵的に見てたぶん20僉■献ぅ鵐舛曚匹猟垢気あると思う。
フロートの全長から20僂鮑垢薫くと2m90僂箸覆蝓▲侫蹇璽箸慮綯爾サンゴに埋もれてしまってはいるがちょうどその位置にフロートの後端が埋まっているように見える。

guam925cataliba4guam925catalina6全長は思った通りのもので、このフロートがカタリナのものであることが証明されていっている。
サンディエゴの博物館で実物を見たとき、フロートの後端の上部(翼に収納されている時は内側)とフロート先端の底側(収納されている時は外側)にロープをかけるリングが付いていた。
これがかなりの手がかりと思っていたのだが、現在のガンビーチのフロートの先端は失われているし、後端はサンゴに埋もれてしまっていて残念ながら確認できない。

guam925caalina3あと確認できる部分はないかと幅のサイズを計測してみた。
尖った先端は無くなっているがその部分を一つ目として3つ目の桁の部分が最も幅が広いように見えているので、その部分の幅を測ってみた。
70僂世辰拭
しかしカタリナの資料を見てみると2フィート。
つまり60僉ΑΑΑ
10僉■乾ぅ鵐舛琉磴い出てしまった。
計測部分が違っているのか、このフロートがカタリナのものではないと言うのか・・・。
まだ調べる必要があるが、サンゴは無理として砂地の部分はほじくってみたいと思うのが次の調査になるのだろうと思う。  
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September 25, 2017

グアムのダイビングショップ物語2162―今日のグアムと、九九式艦上爆撃機のコックピット内

guam926val1九九式艦上爆撃機の22型であることは間違っていないはず。
プロペラのスピナー。
爆弾投下装置の形状。
どちらも22型であることを証明しているはずであるのだが座席の固定の仕方が納得できない。
現在の偵察員用座席は前を向いていて通常の飛行体制の位置で固定されている。
guam926val3しかし戦闘時には座席の向きを後に変えて機銃を後方の敵機に向けなければならないはずで、この図解によれば座席は回転して通常位置よりも高くならなければならない。

座席の下を覗いてみると、横棒に固定されて駅のホームにある冷たいプラスチックの椅子のようになっていてどう見ても回転するようには見えていない。
回転するには固定棒は垂直方向になければならないと思うがそれらしいものは見当たらない。
座席の高さは合っているように思うが、どうやって高さと向きを変えられたのかがわからない。

マリアナ沖海戦に参加したこれら27機の九九式艦上爆撃機。
本来は新型機の彗星が作戦にあたるはずであったところが数が間に合わずに彗星は9機のみで大半は旧式の九九艦爆だったため、空母からの出撃時間をずらしてスピード調整するなど無理矢理の作戦となった。
つまりこの作戦が九九艦爆のほぼ最後の戦闘。
機体の整備や修復も難しくなって寄せ集めのパーツを使ったことも想像できる。
もしかするとこの座席の固定はそういう経緯で図解のものと異なっているのかもしれない。

座席の背もたれの上に残るレールは機銃を固定するためのものだ。

guam926val2操縦員の方に目を移す。
足元にはラダーペダルがはっきり見てとれる。
その手前に倒れているのは操縦桿。
もっと重厚な造りかと思っていたが意外なほどにチャチなただの棒だ。
その他にはワイヤーがごちゃごちゃしているのはわかるがなかなか特徴ある形のものが見えない。しかしラダーペダルの上の真ん中辺
guam926val4りに丸い枠が宙ぶらりんになっている。

通常の計器類はしっかり計器パネルに固定されていたがコンパスだけは球体をしていて微妙に動かなければ役立たない。
位置的にも合っている。
おそらくはここにコンパス、羅針儀があったところだと思われる。  
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September 24, 2017

グアムのダイビングショップ物語2161―今日のグアムと、東海丸ガイド

guam924tokai2今日は東海丸の写真解説をしようと思う。
東海丸を潜る日本のダイバーもちょっとずつ増えて来てるし、以前みたいに外洋が荒れてるときに嫌々潜るのと違ってきているように思うので、そんなダイバーたちにさらに興味を持ってもらえることを願って。

ただ船内はけっこう入り組んでいて、デッキを上に下に移動してる
guam924tokai1と位置関係がわからなくなりやすいので自分で行くのではなく、ガイドをしてもらうようにお願いします。
最初は船首の下部分。
1930年にそれまで日本の船が50日間、欧米の船で35日間かかって渡っていた横浜ーニューヨークを25日間で走り切るというスピード記録を打ち立てたとき、欧米は「日本は鉛筆のようにとんがった船を造って来た!」と言って驚嘆した。
その鉛筆のようなとんがり方をした船首の下側は、鉄板と鉄板を合わせてはいるが、その隙間はほぼないだろうという薄さをしている。
ちょっと深度は深くなるが、驚いて欲しい。

guam924tokai3お風呂場。
アッパーデッキ(艦橋の1階)の右舷側にあるところなので、乗船客ではなく乗組員用の風呂と思っている。
こんな湯船が2つあって、その間には下水管の太いの一本曲がって通っている。
その下水管の上には穴が3つ開いていて、それぞれの上には洋式トイレが載っていた。同じ下水管の位置に2つ、曲がった位置に1つ穴があるのはトイレの扉を開けるためのスペースを確保するためで、2つの穴は女性トイレ用で1つの方が男性用として使われてたはず。
その位置関係がわかれば湯船も男性用と女性用ということになる。

これは文字通りの湯船であり浴槽ではない。
船上で水は大変貴重なものとなり当然この湯船も海水を暖めたものであり、上がり湯として真水のお湯を一杯浴びられたのではないかと想像するが、それ用の器は見つかっていない。
当時のアメリカでもシャワーはまだ一般的ではないという話もあり、この湯船からお湯をすくってかぶったはずで、そこに人が浸かってしまうことは考えづらい。
浸かるには微妙に深過ぎるのと縦横にサイズが狭くて、これでは一人しか浸かることができないことからも浴槽ではないのではないかと思う。

guam924tokai4ブリッジデッキ(艦橋の2階)にある配膳室。
床から15センチほど基礎が出っ張っていて内部は小さいタイル張りになっている部分だ。
本来は壁で囲まれていて、隣のダイニングルームに料理を出す為に皿に料理を盛りつけたりした部屋。
この流し台は使った皿などを洗うためのもので、この流し台の隣には下のデッキから料理を上げてくるエレベーターも備えられていた。
現在はただの四角い穴が開いてるだけだが、現代でも2階建てのラーメン屋さんなどにある料理を上げ卸しする小さいエレベーターがあったところだ。

guam924tokai5guam924tokai6第三船艙。
東海丸の前から数えて3つ目の倉庫は艦橋のすぐ前だ。
元々東海丸はグアムに辿り着いてから7ヶ月間、ほぼ動いてはいないので積み荷らしきものはない。
横須賀から運んで来たものがあったとしたらそれはとっくに卸されているはずだ。
艦橋側に寄せて置かれているパイプ状のものはただそこに置いただけのものと思われる。
そしてもう1デッキ分下がってみると船艙の穴には蓋がしてある。
もしかすると、この蓋のしたに何かがあるかもしれないがこの蓋を取ることはできそうもない。
これより前方の船艙に行くとドラム缶や鉄鋼材などが積まれていて、東海丸の事故報告書によれば沈没時の積み荷は鉄くず450トンという記載があり、それらはどこから来てどこに運ぼうとしたのか悩んだ時期もあるが、自分の結論は船のバランスを保つためのバラストであろうと思っている。

guam924tokai7第四船倉の魚雷痕。
東海丸が沈没した原因になった1943年8月27日に撃たれた魚雷の1発がここに当たった。
水深が30mほどで深いは深いが、それよりも水底の砂地に近いので、ここの透明度が良いということはあまりないので注意が必要だ。

guam924tokai8その少し上、サードデッキ。
艦橋が3階建てのビルとしてその地下2階に当たる。
そこには東海丸が当時にはあまりなかった設備、冷凍貨物室がある。
これを装備することによって貨物の注文を多数受けることに成功しているのだ。
ちなみにこの中は入らない。
魚雷痕を見に行ったときのついてに見て来るだけだ。

guam924tokai9その一つ上のデッキには食料庫がある。
倉庫なんだから光などは逆に食料を悪くしてしまうのではないかと思っていたが、ここには丸窓が3つもある。
貨客船から徴用された後も食料庫として使ったようで、汚れ物を積み込んだ形跡がないようだ。
グアムに入港して7ヶ月もいれば、きっとこの倉庫は空っぽで食料は小舟でグアムから調達してきたのだろうと推測する。

guam924tokai10食料庫は一つではない。
これは右舷側だが左舷にもあるし、上のデッキにもある。
これは上のデッキに上がって行く階段だ。
他の階段と同じくステップは無くなってしまっているが、ここのは細い手摺が両側に残っている。
上のデッキの床から上に手摺が伸びているようには思えないので、体力がなかったり、持って来る食料が重かったりするとこの階段の上り下がりは辛そうだ。

guam924tokai11さっきの配膳室の一つ下のデッキにある厨房。
床は小さいタイルで覆われている。
左側には調理する鍋を5つ載せることができるかまどで、右には食材を洗うための流し台。
そして部屋の中央には調理するためのテーブルが置いてあった。
しかしメインの調理器具は、写真に入っていないが手前の入口脇に2つある蒸気で調理する大きな給食用のような鍋だと思われる。
大海原の真ん中では火災が心配で基本はエンジンの熱からいくらでもできる蒸気を使う方が安全だし、食材も美味しく調理することができる。

guam924tokai13東海丸の消火設備には二酸化炭素のボンベが沢山積み込まれている。
火災発生時にはその部分を隔離して二酸化炭素を流すことで消火することになっているのだが、そのスペースに人が残っていれば呼吸できなくなる。
隔離するための壁や扉もはっきりとは残っていない。
おそらくメインの二酸化炭素消火設備は、東海丸の前後に作ってあるシルクルーム用であるのではないか。
そこには人がいることはないだろうし、しっかりとシルクルームには扉が付いている。
最も貴重な積み荷を守りたいし、またシルクは燃え易かったろうし、一番心配な部屋であったのだろう。

guam924tokai12そして厨房の隣にも二酸化炭素のボンベが6本積んである。
おそらくは厨房用のものだと思うのだが、その部屋にはこんなものが壁に設置されている。
今も解明できていない代物だが、両側にはモーターがあるように見える。二つのモーターの内側にある丸い円盤のようなものはモーターで回転するのではないだろうか。
その上には穴があいているパイプ状のものがあるが、ここにホースをつなげて火災の局所的に二酸化炭素を送って消火するというのは可能だろうか。

一緒に潜っているダイバーがビルの消火設備の工事に関わったことがあるという方だったので興味深そうにタンクなどを眺めていた。

guam924tokai14これがシルクルームの扉だ。
第二船艙と第五船艙のセカンドデッキ(地下1階)の両サイドにはシルクルームが設置されていて、これが日本の貿易黒字を作っていた商品・シルクを濡らさず、汚さずに質の良いまま運ぶための専用倉庫で、空調も整えられていた。
扉の付いた部屋ということは、シルクはクレーンなどを使った機械積みはできずに全て最後は人力で運び入れたし、港に着いて鉄道に載せ替えるにしても手積みだった。
米の40キロ入りほどの大きさの俵状にまとめられていたのだ。  
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September 23, 2017

グアムのダイビングショップ物語2160―今日のグアムと、レックスペシャルティの疑問

guam923cormoran2普通のダイビング、通常のエアを詰めたタンクを背負って潜るダイビングが長く行われて来て、そろそろ新規のダイバー獲得が難しくなったようだ。
各地のリゾートではそういう気配はあまりないと思うが都市部のショップやインストラクターの間ではかなりそういう傾向があるのだと思う。
地方のショップなどは世界各地のリゾートに引率して行くツアーを企画して集客できているところもあるだろうが都市部ではやはり簡単ではないと思う。いまどきは海外旅行など一人でも簡単に飛んで行っちゃう人が多くなっている。
ダイバーを増やしてこその収益をあげているダイビング指導団体にしてみればダイビングツアーより確実にスクール(講習)が増えてもらわないとだ。

このような背景でテックダイビングというダイビングが盛り上がり始めている。(とっくにだけど)
グアムに来るダイバーたちも持って来るBCDにバックマウントが増えていることを見ても、コテコテのテックダイビングではないけれどテックっぽい方向に興味が向いているのは確かなようだ。
お蔭でレックダイビングが盛り上がってきているんだと思う。
テックでどこに行く?
今まで見に行くことができなかったレックなんていうのは恰好のテックダイビングの目的なんだと思う。

グアムではまだまだエンリッチドエアを使って潜るくらいしか一般的にはなっていないが、しかしこんな風にタンクの中身をエアから変えるだけで、まるで魔法を使ったみたいに格段にレックを楽しめるようになっている。
アメリカ人たちにとってみればずうっと前からレックは好まれてはいたが、なにせ日本人ダイバーがボートの大半を占めていた時代には誰もレックに行くことに同意なんかしないから、週末の午後から別のボートを仕立ててレックに行っていた。
その回数がかなり増えている。
以前は月一くらいだったのが今では毎週末にどれかのボートがレックスペシャルを行っている。

そんなレックの人気に伴って安全策が計られ、今ではダイビングショップのインストラクターでも普通にボートには乗れない。
一緒に行くダイバーが日本からであってもアドヴァンス以上の資格のコピーを持って初めてボートの確保ができるのだ。
そしてインストラクターたちがレックスペシャルティを売り始めた。
利益をあげるために当たり前のことだ、とは思っているし自分もできれば売りたい。

guam923cormoran3しかし日本から数日間だけレックに潜りに来ているダイバーにとって、一日分が講習に使われることになるのは痛い。見に行くべきところに行かずに講習のためのダイビングに徹しないといけない。
たとえばこのようにラインを引っ張って泳いで行き、最悪迷子になりそうになってもこのラインを辿ってくれば元の入口に帰って来ることができるのだ。
自分もエンジンオープニングの奥深いところだとか、真っ暗で来た方向がわからなくなる状況には絶対に欲しい器材だし、使い方は知っておくべきであることは間違いない。

ところがだ。
このラインが張られたところを他のダイバーは通れなくなっていないか。
我々が中から出て来ようとすると、どこから来たんだお前ら。ラインの邪魔だよ。俺たち講習中なんだぞ!っていう目で睨むけどね、逆にこのラインが邪魔だよ。
同じところに同じように全員でラインを張ることないんじゃないの?
そもそもレックでやらなくてもいいんじゃないの?
水中という浮遊する環境で如何にこんがらずにラインを引っ張って行くかっていう練習でしょ。水深30mで一人一人がラインを張り終えるまで他のダイバーが待っているというシーンを見たけど、安全なのそれ?
深度なんかプールでもいいんじゃないのか。
レックダイビングを楽しんでる他のダイバーの邪魔までして堂々とやるものだろうか。

このまま行けば今度はレックスペシャルティを持っていないと参加できないなんて話が出て来たりもするんだろうなあ。
でもね、ずうっと前からレックダイビングを楽しんでるダイバーが大勢いる。
トラックなんか全てのダイバーがそうだよね。
そこにレックスペシャルティっていうものを持ち込んだのは絶対に後だよ。
安全にレックダイビングを楽しむ術を知っていないとできないことだと思うし、だからこそガイドを付けて船内を案内してもらってダイビングしてるんだ。
ボートだけ出してガイドを付けないで潜らせるのは自由だけど、だからこそこういうラインを張ることが一人一人に必要になるんだろうけど、船内中にラインが何本もある方が危険だよ。

guam923cormoran1ダイビングを自由に自分たちだけで行うためのダイバーライセンスカードだけど、レックに関してはガイドを付けるべきじゃないのか?
レック内の案内だけではなく、そのレックの時代的背景やレックの歴史。それを説明しながらレックダイビングを楽しむ。
その方が絶対楽しいに違いない。

とにかくレックダイビングを楽しんでる我々を白い目で見るのは止めてくれ。
そしてラインが邪魔だよ。
ラインを使うということは他のダイバーはそうそう通らないところのはずだ。唯一進入する自分たちの命綱のはずだと思う。
普通に誰もが通るところにラインは要らないはずだよ。
  
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September 22, 2017

グアムのダイビングショップ物語2159―今日のグアムと、三振は免れた

guam922kidu1ビビったなあ〜。
これでダメだったら三振アウト!っていう状況。
でもボート2隻で来たし、一隻にはGPSも付いてるし、これで見つからなかったとしても自分の責任ではないので、他のダイバーと一緒になって「どうしちゃったの?」って言ってたらいいよ。

今まではほぼメインマストの真上からのアプローチだったので水深が6mを過ぎれば上から見えていた。
しかしそのマストを少し外してしまうと、水深30m付近まで行かないとデッキ部分などは見えない。
それがここのところの透明度の悪さと相まって見つからなかった原
guam922kidu2因だ。
今日は他のダイバーたちがそっち方向に向かっているので、まだ見えてはいないんだけど信じて潜って行く。
そして見えて来た木津川丸は中央の船艙部分。
微妙なところに来てしまうとどちらが船首でどちらが船尾かがわからない。
そんなときはデジカメのGPS機能だ。
guam922kidu3小さく見えてるコンパスで何とか方向を確定。

今日の目的は船首の大砲だ。
この大砲が残っていることと、垂直に着底してくれているお蔭でグアムの沈船で最もそれとわかる姿形を見せることができるんだ。
まずは船首に向かって見える大砲の形。
大砲の台座に載っていて、手前に見えてる四角い箱状のものは4箱の弾のケースだ。

東海丸の空になっている弾の箱と違って今も残っている弾。
これは一番左側の箱だが、戦闘態勢ではなかったし、最後は自沈処
guam922kidu4分のようになって沈んだはずであるのに弾が残されたままというのがちょっと納得できない気もするけれども空箱よりずうっとワクワクするダイビングをすることができている。

ゾウの鼻みたいに見えているこれは大砲の砲身の穴。
これくらいの口径の弾はどれくらいの威力があったのだろうか。
そもそも撃ったことはあったのだろうか・・・。

最後は大砲を後方から見た姿。
こんな大砲が船首に備え付けられていたってだけで、どんだけ防御の効果があったのだろう。
guam922kidu5海岸線の防備のための大砲が不足して来るようになると、船の船首に付けられていた大砲を外して海岸に設置したそうだ。
元々船の上にあった大砲と陸上用のものとでは目標の狙い方などが異なるらしく、命中精度はかなり低いものであったそうだが。
外されてしまって丸腰になった艦船たちはどうなってしまったのか。

当時の船長たちの意見では、アメリカの潜水艦から潜望鏡で覗いても船首に電柱をぶった切って大砲のような形にしたものを設置しておけばかなりの割合で大砲と思われ、攻撃を防ぐことができたそうである。
  
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September 09, 2017

グアムのダイビングショップ物語2153―今日のグアムと、博物館と対決か

guam909zero2零戦52型に装備されていた20ミリ機銃2挺(主翼の左右)と7.7ミリ機銃2挺(機首)の武装を強化した52型丙には20ミリ機銃は変らないが、7.7ミリ機銃を13.2ミリ機銃に変更。機首に1挺、左右の主翼に2挺装備された。
その後、零戦史上最悪と言われた52型のパワー不足を補うために、水メタノール噴射装置と呼ばれるターボエンジンに付けられるインタークーラーのような装置を付けた栄31型エンジンを採用した零戦53型が開発されるが量産されることはなかった。
そして零戦の量産された最終型と呼ばれる62型が戦争末期に開発される。
52型の胴体下に爆弾懸吊架を取り付けたもので最早零戦とは呼べるものではなくなっている。
零戦本来の戦闘機であることを捨て爆撃機に仕立て上げられたもので、特攻用と言っても過言ではない。
53型同様に63型も水メタノール噴射装置付きの栄31型エンジンの開発が遅れたことにより、水メタノール噴射装置なしの栄31型エンジンを使用したもののほとんど生産されてはいないが、62型は三菱で158機、中島で数百機生産されたようで、これが62型が最終型と呼ばれる所以となる。

guam909zero1このことからサンディエゴの航空宇宙博物館に展示されている零戦63型であるが、62型である可能性が高いのではないかと推測する。
展示されてる機体をよく見てみると62型であるという特徴はあると思う。
胴体下には爆弾懸吊架が確認できるので52型までの機体ではない。
機銃も20ミリと13.2ミリが並んで主翼内に収められている。
しかし水メタノール噴射装置付きの栄31型エンジンを積んでいるにしてはカウリングの外観が52型と変らないように見えてるのではないか。
63型とすれば、エアインテークを大きくしたためカウリングがもう少し大きく見えているはずではないか。

guam909zero3博物館のガイドが「これは零戦63型で・・・」と説明したときに「え!?」って言って反論しようとしたのではあるが、その根拠を正確に言える記憶が足りなかったので納得しないながらもそのまま帰って来てしまった。
もう一回行くことがあれば是非ともこの辺を突っ込んでみたいと思う。

guam909sbc1guam909sbc2太平洋戦争中の日本の天敵とも言える米軍機。
その一つがSBDドーントレス。
二人乗りの偵察爆撃機という位置づけになるが、日本の九九式艦上爆撃機と同じ時期の急降下爆撃機だ。
九九式艦上爆撃機のダイブブレーキもいいアイデアであるが、ドーントレスの穴あきフラップは賢い設計であると思う。
この爆撃機に日本はやられた。
映画「永遠の0」で主人公演じる岡田君が「そんなことしてたら間に合わない!」って言った空母・赤城はこのSBDドーントレスの爆撃で沈没してしまう。

guam909f4u1もう一機。
戦闘機のF4Uコルセア。
この特徴ある主翼の形は遠くからでも確認できたと思われる。
ハワイの水中で見ることができる航空機でもある。
この特徴あるガルウイングは飛行性能のためと言うものではなさそうであり、プロペラを大きくすればスピードが出そうだという考えであっても、滑走路の高さで地面にぶつかっては困るので車輪を長く作らなければならない。
しかしそうなると日本の紫電も同じように車輪を長くした結果のマイナス要因が大きく、あっという間に紫電改が現れるのである。
そこでコルセアは車輪が取り付けられる主翼部分を折り曲げて地面に近づけた。
その結果前方下方のに視界の改善も併せて可能にしたのだ。

guam909f4u2武装は12.7ミリ機銃を6挺。
零戦の20ミリ機銃には破壊力が劣るが、零戦乗りの間でも弾数が多くない20ミリよりも13.2ミリを好むパイロットが多く、各基地での整備・改造で20ミリに代えて全ての機銃を13.2ミリに代えていた部隊も存在するくらいで、このコルセアによって大空の宮本武蔵・武藤金義が乗る紫電改は撃墜されたとなっている。
真っすぐは速いけど技術がないんだよなあっていうピッチャーみたいな航空機であるというのが自分の印象だ。

さすがにアメリカで、日本なら零戦かそれ以降の戦闘機しか見ることができない現代、そんな日本人自慢の零戦と戦った航空機の実物を見ることができるのは素晴らしいことだ。
  
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September 08, 2017

グアムのダイビングショップ物語2152―今日のグアムと、空母「ミッドウェイ」

guam908mw1ミッドウェイ級の1番艦。
空母ミッドウェイ(CV-41)は1945年の太平洋戦争が終了直後に就航。
ベトナム戦争や湾岸戦争に参加。
1972年には日本の横須賀に配備され1991年まで母港を横須賀としていたが、インデペンデンスと交代。
1992年に退役。
ミッドウェイ級の姉妹艦ルーズベルト、コーラルシーがスクラップ処分される中、2004年からサンディエゴで博物館として今も海軍埠頭に係留されている。
1945年9月10日就役から数えれば72歳になったばかりだ。

サンディエゴ。
メキシコとの国境にあるこの街は基地の街であり、ミッドウェイが係留されているサンディエゴ海軍基地や、トップガンの舞台となったミラマー海兵隊航空基地などがある。
日帰りで来ているのでトム・クルーズたちが飲んでいたバーなどもあるのだが行くことはできない。
このミッドウェイだけで一日あっても時間が足りないかもしれないのに午前中はカタリナも見に行っちゃってるので、こりゃあ今回はちょっとさらーっと見るようかな。(ってまた来る気か?)

guam908mw4guam908mw5空母と言えばフライトデッキ。
20年前に横須賀からグアムに来て一般公開をしてくれたキティホークでもフライトデッキには入れてくれなかった。
あの巨大な海の上に現れたス
guam908mw6ペースに立ってみたいものだった。
だからほとんどの人がフライとデッキに立ったことなどないだろうが、太平洋戦争時代では真っすぐな滑走路が一本あるだけの直線式フライトデッキだ。
日本の空母・赤城や加賀などには3段のフライトデッキを持つものもあったが、現在全て一つのフライトデッキになっていることからあまりメリットがなかったということだろう。
これが現在はアングルドデッキと呼ばれる着艦と発艦用の2本の滑走路を分けられる形になっている。
このアングルドデッキのもう一つのメリットが滑走路を長くできる点だ。
guam908mw3
ただし発艦と着艦を同時に行うというものではない。
Vの字型に枝分かれしているだけであるが、着艦して来る航空機が失敗し、タッチアンドゴーをするときも前方に発艦する航空機がいないので安全に行えるためだ。
何せミッドウェイには100機以上の艦載機が積み込まれているのであってフライトデッキに何もないところに着艦して来るわけではな
guam908mw7いのだ。
そしてミッドウェイは1952年イギリス海軍の空母・トライアンフのアングルドデッキへの着艦成功を受けて、同様のテストを行ったアメリカ最初の空母だ。

このときのアングルドデッキの角度は進行方向から10°の角度が付けられていたが現在は9°となっている。
guam908mw11guam908mw9おそらくは取り外されているのだろうがカタパルトがこのフライとデッキに見当たらなかったのは残念だったが、航空機が多数展示されていた。
さらに艦橋にも行くことができるようになっている。
guam908mw10中のスペースが狭く一方通行で案内してもらわないと収拾付かなくなるので、ここへ上って行くにはツアーに参加することになる。
人の後についてゾロゾロ移動していくので、前の人のケツはよく見えたけどどこをどうやって移動しているのかが把握できない。
説明では艦橋の中は大きく分けて3つ。
操縦するために指示するための艦橋。
離発着する航空機の管制塔の役割をする艦橋。
そして海図を見たりしながらの作戦を立てるための艦橋。

guam908mw2全長300m弱もあるミッドウェイはとにかくでかい。
順路に従わないと迷子になるのは間違いないが、日本の例えば氷川丸のように順路に沿って行けば最後まで一通り回れるというのと違って、エンジンを見に下のデッキへ降りる階段への順路はそのまま入口のデッキに戻って来る。
フライトデッキへの順路はまた入口のデッキに戻って来ると言うようにミッドウェイの全ての見学が出来たかどうかさえわからない。
たぶん見ていないスペースはかなりあるように思う。
エンジンを見に下のデッキには降りて行ったがエンジンまでは行かないうちに上に戻るコースになっている。
guam908mw12通路の端から下を覗いてみたがまだ3つ分ほどのデッキが下にあった。
その許された範囲の一番下がここだ。
ここでエンジン出力の調整や舵を操作していたようなのではあるが、ミッドウェイは4軸。
この3つの舵輪は何を操作するのか。
ここに70歳を軽く越えてる退役軍人と思われるおじいさんがいて、なんでも質問に答えるぞって言ってくれてはいるんだけど人が大勢いて時間が足りない。
サンディエゴを午後3時には出発しないと途中の渋滞が大変そうだ。  
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September 07, 2017

グアムのダイビングショップ物語2151―今日のグアムと、ガンビーチのフロートはカタリナだ

guam907pby3PBY Catalina
1936年から1945年まで生産された数は3305機。
パラソル式の主翼に2基のエンジンが装備され最大速度は280/hと決して速くないが、航続距離は4800勸幣紂O続飛行時間は15時間にもなった。
その使い勝手のよさから戦後も旅客機や消防機として活躍。1956年日本の海上自衛隊にも2機が供与されたが1960年には除籍されてい
guam907pby1る。

1944年6月のマリアナ沖海戦のおよそ10日前、サイパンに続いてグアムへの上陸作戦を企てていたアメリカは、それに先立ってグアムの海岸線を上陸に備えて守りを固めている日本軍の守備隊を空爆していた。
guam907pby4攻撃に使われた航空機はB24爆撃機とPBYカタリナ哨戒機。
上陸予定地点はグアムの地形から言ってタモン、アサン、アガットの3地点。
断崖絶壁ではなくビーチ。サンゴ礁のリーフからビーチまでの距離が短いという上陸に適しているところはこれらの3地点しかない。

日本軍もそこの守備隊に力を入れて準備していてアメリカの記録に
guam907pbt6よれば、上陸作戦直前の攻撃中に5機の航空機が日本軍により撃墜されているという。
機種は限定されていないが攻撃に使われた航空機は上記の通りだ。
少し前にグアムの新聞でイーストハガニアの水深90僂粒つ譴帽匐機の一部であると思われるパーツが発見され写真が載った。
どの部分かは不明だが戦闘機など小型航空機のパーツでない。
タモンビーチから攻撃を受けてイーストハガニア辺りで墜落してい
guam907pby5たとしてもおかしくない。
そしてそのパーツはその周辺に何かの航空機が沈んでいるという証明であるだろう。

ガンビーチの水深27mの海底にフロートと思われるものが沈んでいる。
何十年も前からダイバーたちはその存在を知っているが、誰もその正体を言える者がいない。もし知っている者がいれば今頃は◯◯のフロートと言われているに違いない。
自分にしても全く手がかりがなく調べようもなかったため、それ以上の興味を惹くことはなかった。

しかしフロートの形状には実は特徴があったのだ。
最近見ることができるようになった零式水上偵察機のフロート。
3人乗りの水上飛行機であるが飛行艇の大きさにはとても及ばない。それでもフロートはガンビーチに沈むフロートの長さの2倍以上はありそうだ。
そんなフロートが左右2本セットになって水面を滑走できる浮力を確保しているわけで、ガンビーチのフロートではたとえ2本セットになっても人が乗る航空機の浮力は確保できない。残る可能性は飛行艇の補助フロートだ。
そしてその特徴とは、フロート上面に曲線が使われていないことだ。
水中に入る底部分が船のような形になっていることは誰もが理解できるが、上面にしても平な形をしているフロートはない。
ところがガンビーチのフロートは底部分は埋もれているので確認できないが上面はかなり平らな形をしている。

B24は飛行艇ではなくエンジンを4基備えた大型爆撃機なのでフロートはない。
カタリナも飛行艇であることは胴体を見ればわかるのだが補助フロートが装備されていない・・・ように見えていた。
80年以上も前の航空機に主翼の先端が主翼から外れて垂れ下がると補助フロートになるという、飛行中の空気抵抗を減らせるという構造をしていてどれも飛行中の写真だったりするので補助フロートの存在に気が付かなかったのだ。

guam907pby2このフロートが主翼と一体化するというアイデア。それを可能にするには主翼収納時のためにフロートの上面を平にして主翼との接続面になるべく隙間を作らない形状が求められたのだ。
そんなカタリナがサンディエゴの航空宇宙博物館に展示されていることがわかった。サンディエゴはロスアンゼルスから200劼曚匹竜離だ。
これは行くしかない。

一般客と違う迫力が身体から出ていたのか博物館の係員がずうっとガイドしてくれたのは有り難かったけど、自分の興味はただ一つカタリナだけなので、カタリナから離れないで主翼の先端パーツの写真だけを熱心に撮影してるのを不思議そうに見ていたが、思った通り先端のフロートは主翼に格納されていた。
でも想像よりもフロートと主翼の隙間は大きく、かなりフロートの形状は見ることができた。
肝心のガンビーチのフロートは今までサイズを測ったことがなかったので不明だが、見た限りは同じサイズであるように見える。
正確なフロートの全長がわかった。
3m10僂澄

guam907pby8guam907pby9もう一つガンビーチのフロート上部には金属性の何かワイヤーよりも太い棒状の物を接続し、フロートが動いてもその接続された棒状のものと分離しないように可動式にするためのパーツが残っている。
guam907pby7guam907pby9その棒状の物とはおそらくX型に出ているフロートの支柱だろう。
金具の位置も合っていそうだ。
さらにガンビーチのホロートの先端が欠けているが、それはちょうどこのイラストの先端の尖った部分と合っていると思う。

きっとこの周辺にはカタリナの本体があるぞ。  
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September 02, 2017

グアムのダイビングショップ物語2146―今日のグアムと、上陸用舟艇LCVPではないのか

guam902lcv4もうちょっと手前に置いてくれたら良かったのになあ。
この写真と比較してみると、ほんの2〜3mだけ岩の積み上げを避けてくれていたら上陸用舟艇・LCVPの全景が見えていたんだと思う。
40人ほどの隊員を乗せて上陸地点に向かう。
エンジンは2基のディーゼルエンジンと思われる。(エンジンが1基という資料もあるが)
LCVPの幅も全長もグアムで使われてる大型のダイビングボートよりも一回り小さいと思うが、鉄でできてる重たそうな船体を動かすためエンジンの大きさはダイビングボートよりもいくらか大型エンジンであるように見えている。
操縦士一名に機銃射手2名が上陸隊員の後に乗り込んでいる。

guam902lcv1上陸時に開けられる前方のゲートは岩の下に埋もれているので見ることができないが、後方部分は割としっかり見ることが出来る。
一番後方部分の下側にはプロペラとラダーが見える。
右舷側のプロペラは無くなってるし、左舷側のも羽の全ては残ってはいない。
おそらくは4枚羽ではないかと思う。
そしてプロペラの上部にはトンネルが設けられている。

guam902lcv3エンジンは6気筒か?
ピストンが直列に並べられていて、同型のエンジンが左右に確認できる。
キャップが無くなっているが冷却水タンクも確認できる。
LCVPの資料を見ればエンジンは250馬力ほどのディーゼルかガソリンエンジンが1基となっているので、別の型の上陸用舟艇である可能性も残るが、全体の形にLCVPではないという部分は今のところあまり見られない。

guam902lcv2バッテリーのスイッチか。
左右のエンジンの前に取り付けられている。
このスイッチの向こう側は隊員を乗せるスペースになっているので、ここがLCVPとは違うのかもしれない。
LCVPは1基のエンジンの左側にステアリングと操縦士が乗り込むスペースが付けられているが、この上陸用舟艇の場合は乗り込む隊員たちと同じスペースに設けられたステアリングを操作することになるのだと思う。
2名の機銃射手のスペースも同じ場所にはない・・・。  
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September 01, 2017

グアムのダイビングショップ物語2145―今日のグアムと、救命ボートの滑車

昨日と明日はボートをチャーターしているのでレックでも何でも行けるんだけど、ダイバー全員がレック好きというわけではなくブルーホールをリクエストしている。
しかし・・・、台風の余波で外洋には明日も出られそうになく必然的にレックになりそう。
今日は他にもう一組アメリカ人カップルダイバーがいるんだけど東海丸をリクエスト。
やはり今日もレックだな。

ブルーホールをリクエストしていたダイバーはライトを持っていない。
だからコモランの船内にも入ろうとは思ったけど、東海丸とコモランのギリギリ今はぶつかってないうけど超接近している辺り。
そこには先に沈んでいたコモランの大きなラダーがあったんだけど、東海丸がのしかかってきて大きく折れ曲がっている。
今でこそギリチョンぶつかってなく見えてるが、東海丸が沈んで来たときにかなりぶつかっている。
コモランのプロペラシャフトで東海丸の船底には穴があいてる。
ところが垂直に近い形で沈んだ東海丸も時間の経過とともに船内の空気が抜けたりして約3時間後には左に傾いて横倒しになった。
この傾きでぶつかっていた2隻の船体は微妙に離れて、ギリチョンでぶつかってないという今の形になったのだ。

guam901tokai4昨日木津川丸を発見できなくてやむを得ず東海丸に来たとき、深いところには行けなかったのでボートデッキに残っている救命ボートの支柱の先端に滑車が付いていることを聞いた!
一緒に潜ったダイバーが「残っているんですねえ!」って。
長年潜っていて全く気にも留めなかった滑車。
慣れのせいで目が節穴になっちゃってるんだよね。
今日再び東海丸を訪れることができたので忘れないうちに見てみた。
確かに滑車だな、これは。
しかも二重になっているよ。
救命ボートの支柱については造られたときと違うところに付いていたりして謎が残っているが、とりあえず次回氷川丸に行って確認したいことができた。
滑車の形状だな。

レックと言うよりも魚などの生物を狙う。
そうは言っても魚はどうしようもないので、こういうときはウミウシだ。
特にここではチータウミウシという誰の目にもしっかり見えるし色合いも撮影意欲をかきたてる被写体だ。
一応目はチータウミウシを探すが、できたら東海丸ウミウシもいい加減に見つけておきたいという目にもしておかないとだ。

guam901tokai1一匹見つけた!
ほぼ1年ぶりじゃないかなあ。
多分最後は昨年の今頃だったか春だったか、マリンダイビングの撮影で来たときにカメラマンに撮ってもらおうとライトで示して素早く場所を離れたら、カメラの調整をしてさあウミウシってなったとき見失っちゃった。
キョロキョロした後「どこか行っちゃったぁ〜」ってはっきり声が聞こえたんで引き返してもう一度ライトを当てたんだったよな。
よくあんだけ明瞭に言葉を出せるもんだと感心したんだよね。
それ以来だ。

guam901tokai2guam901tokai3そしてお目当てのチータウミウシ発見。
この写真は趣が違って見えることだと思うけど、同じ時の同じ被写体。
ただこれを撮影したダイバーがフィンで思いっきりこいつらを蹴散らしたのでヒラヒラ舞ってバラバラになっちゃったんだ。
だからせめて二人を一緒にしてあげようと思ってくっつけたらあっという間に繋がって仲良く歩き始めたんだ。
また元のところまで帰るんだろうか。  
Posted by aquaacademy at 15:33Comments(0)

August 31, 2017

グアムのダイビングショップ物語2144―今日のグアムと、見つからない木津川丸

guam831jake2木津川丸ヤバいです・・・。
山立てのためにボートを出してみたりまでしたし、かなり自信はあるんだけど、何せ最も浅く出っ張ってるメインマストでさえ水深20m。
マストのてっぺんは直径70−80センチの円形が2本あるだけでよほど透明度がよくなければ見えていない。
ここのところの荒れ荒れ模様でアプラハーバー内の透明度もがた落ちで、水底近くの透明度は3m。真ん中辺りでだって5mも見えてない。
全く何もない青い世界に目を凝らしていると、色々と何かあるように影が見えて来るんだよね。
思わずそっちに泳いだりしている内に方向感覚もわかんなくなって来る。

一回目は水深20m。
マストが見えない。
二回目は水深25m。
木津川丸の上であればそろそろこの透明度でもアッパーデッキが見えるはずだ。
TG-3のスイッチを入れてモニターに出て来る小さなコンパスを頼りに北に移動してみると、ロープが見えて来たのでもう少し深度を下げたが何も見えない。
そのロープを伝って浮上していくと水深4mにブイが付けられていて垂直に水底まで降りているようだ。
何かレックがあるのか?!
もう自分も潜降も限界が近い。
レックスペシャルのダイバーと降りてみることにする。
今日のタンクはエンリッチの29%だ。
さっきの水深25mでは何もないのでさらに降りて行く。水深30m。そして水深40m近くなってようやく水底が見えた。
エレファントイアも生えてる。
しかし限界を超えてるためダイブコンピューターがアラームで知らせるし、自分もこのままこんなところでダイビングするつもりはないので、再び浮上だ。
今度は安全停止も行う。
見つからない木津川丸。

guam831jake3今回は申し訳ないが木津川丸を諦め東海丸に移動する。
タンクのエアも窒素ももうファーストダイブとは言えないので、東海丸の船首の砲台周辺が狙いだ。
明日はレックスペシャルではない。
外洋が荒れているのでレックと言うチャンスはあるが今日のうちにマニアックなポイントは行っておきたい。
セカンドダイブは零式水上偵察機だ。

guam831jake1予想はしているがここも透明度はない・・・。
水深15mの潜降地点では10m以上ある透明度だが、零式水偵は砂地の水底にあるため、ここの透明度は夏の伊豆の透明度もビックリの1mもないのかもしれない。
ライトがこちら方向を向いていないと見失うほどだ。
逆に一点をよく見ることになるので電探と呼ばれるアンテナの付根に残る部分を見ることができた。
単に円柱形のパイプ状のアンテナだけではない形のものが付けられていたのだろう。

guam831pier減圧をかねて浮上前に燃料補給用の桟橋跡を見ることにする。
ここに大型船を付けて燃料を補給していたのだろう。
岸から近いところでも水深はある程度深く大型船も横付け可能である。  
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August 23, 2017

グアムのダイビングショップ物語2136―今日のグアムと、レックスペシャルを商品化するにあたり

レックスペシャル。
ちょっと反応が出て来つつあるツアー。
誰も行ってくれないのでボートをチャーターして好きなレックにダイビングに行くツアーだけど、ポイントは自由ってことだね。
まあせっかくだからレックに行くべきなんだけど、レックに行きたいのはやまやまだけどダイビングが久しぶりなので今日はコモランとバルボンバーとセメントバージへ。

guam823ws1コモランのセカンドデッキは絵になる。
壁の仕切りが少なくて突き抜けてるスペースには3等船室がいくつも並んでいて、途中にアッパデッキから下のデッキまで抜けてる荷物揚げ卸し用の穴が作られているので外の青い光が入って来ていて真っ暗になっていないし、自分たちダイバーの照らし出すオレンジ色系の灯の色との組み合わせで水中映像がきれいになる。
90名ほどしか乗船客が乗らない前提の東海丸に対してトイレが多いことがわかって来たけど、今日はそのトイレの壁と言うか柱と言うかのギザギザのところに左側頭部が激突。
絶対血が出てる痛さに絶叫がコモランの船内に木霊してた。
その部分がどうなっているのか即自撮りしてみたけど、あまりよく見えない。
てっきり緑色の血が写ってるかと思ったけど、痛かった割に傷は浅かったみたい。

guam823ws2レックスペシャルツアーと商品化したので、しっかりと案内しないと。
以前のようにときどきしかダイビングに行くことができないけど、行く場合はみな気合いの入ったダイバーでそれぞれが興味のあるところを調べるというスタイルと違って、色んなダイバーが興味を示しそうな部分を見せる必要があるので、自分のカメラは持って来ている場合じゃないかもしれない。
例えばバルボンバーは引っ繰り返ってるので、パッと一目で航空機だとわからない人もいるだろうし、おまけに機体後部が失われているのでどの部分なのかもわからない人もきっといる。
そこで操縦士の足元にあるラダーペダルなどは興味を惹くものになると思う。
残念ながら自分のマスク越しの目では全体を見ることはできない。こうして写真を撮ってそれを再生してモニターで見せることになる。

guam823ws3ちゃんと飛行できる状態であれば見ることができないエンジン部分。
バルボンバーのエンジンとプロペラは機体から外れて前のめりで水底にある。
3枚プロペラの一枚は誰かに切断されて持ち帰られているが、ちゃんとプロペラやエンジンの大きさは見ることが出来る。
三菱製の金星エンジンはこの九九式艦上爆撃機の他にも零式水上偵察機など多くの航空機に使われた名エンジンであり、零戦に搭載されていた中島製の栄エンジンと共に日本が誇る素晴らしいものだ。

他のいくつかある特徴から間違いなく、この航空機が九九式艦上爆撃機であり零戦ではないことがわかってはいるが、このエンジンが栄ではなく金星あることがこのエンジンを見れば証明することができる特徴があることも興味深いものになるだろうと思う。
ちょっとマニアックだけど。

guam823ws4完全な部屋ではなくなっているこのスペース。
東から見て2番目に並べられてるセメンドバージの大きなスペースは晴れているとかなり絵になるところ。
特にワイド好きなカメラ派には興味がそそられるものだと思う。
しかしここがいったいどの部分なのかが謎であったが、今日ちょっとあそこかもしれないと思った手がかりがあった。
元々ここまでずどーんと抜けてる空間はセメンドバージには多くはなく、ここまで大きいことがここがどこであるかを選定する一つの要素にはなっている。

この陸上に出てしまっている四角い穴。
上に上陸しないとはっきりと見ることはできないが、ここはセメントバージ中央部の防水されたシーリングライトがあるところではないだろうか。
ちょうどこの四角い穴の下には壊れた階段も落ちている。
ただここがアメリカンタンカーと比べてあの部屋ではないのかという想像をすることは自分にはとても楽しい。
しかし初めてここに来たダイバーで、アメリカンタンカーに潜ったことがないダイバーの興味は惹かないだろうなあ。(笑)
  
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August 03, 2017

グアムのダイビングショップ物語2122―今日のグアムと、特別なビールではないのか

トラックでレックダイビングを楽しませてくれている日本人ダイブショップ・トレジャーズのインストラクターから興味深い情報をいただいた。
「ビール瓶が木箱に入っていて紙のラベルがまだそのまま瓶に付いている・・・。」
https://blogs.yahoo.co.jp/chuuk_dive/64210894.html


開戦当初こそ勢いの良かった日本ではあるが、徐々に攻め込まれて行く。
南太平洋まで広げていた陣地も徐々に攻め落とされ、守備ラインを北に押し上げられ1944年に入った2月17ー18日には日本海軍の最大の基地であり前線基地であったトラックが。
3月30ー31日にはトラックからパラオに移した前線基地も叩き潰されてしまった。
日本は大多数の艦船や航空機を失い。この後サイパン・グアムの絶対国防ラインも突破され、全く歯止めが効かなくなり、本土への大空襲。沖縄での最後の激戦、そして終戦を迎えて行くことになる。

世界的に有名なレックダイビングスポットであるトラックには世界から大勢のダイバーが訪れているが、その魅力の一つが50隻近い艦船の他に航空機も多数見に行くことができることだ。
特に艦船については、それぞれの名前やどのようにして今トラックに沈んでいるのかがかなり詳しくわかっているところも魅力だろう。
ほぼ全ての艦船が1944年2月17ー18日に沈んでしまったのだから。

空から何百もの航空機が爆弾や魚雷で攻撃を仕掛けて来る。
必死に回避行動を取る日本艦船たちだが、トラック環礁には美しい小さな無人島が無数にあって、逃げ惑う内に座礁してしまうものもいてその回避行動は困難を極め、2日間の攻撃の後にはほぼ壊滅状態となった。

日本にとって太平洋の島々は、米軍艦隊への攻撃上絶対に必要な前線基地。
一方、東南アジアの国々は燃料など資源確保に絶対必要であった。
つまりこの2つを奪われれば丸腰になってしまう日本であったわけで、自ずと敵の攻撃目標は定まっていく。
その攻撃目標がどんどん北に上がって来ているのだから、トラックやパラオの攻撃は読めていたはずである。具体的にいつとは言えないまでもおおよその推測は可能だったと思われる。

1944年2月4日。
アメリカの偵察機がトラックに飛来した。
このことからトラックへの攻撃が近いと判断した日本海軍は、連合艦隊の主力艦船を日本本土へ。空母などの機動部隊をパラオへ退避させることになり、連合艦隊旗艦である戦艦武蔵もパラオに移動した。
しかし多くの徴用船はトラックに残したままだ。
トラックの陸上に備蓄してあった大量の燃料など貴重な物資もそのままトラックに残した。

敵の攻撃近し。
とわかってとった行動であるにも関わらず、これだけトラックに残したままにしておいたことも驚くが、もっと驚くことがある。
トラックに今も沈む艦船・軍艦の内、少なくとも15隻以上は2月に入ってからのトラック入港である。
敵攻撃が近いならトラックに来させないようにするべきだったろう。
多くが元商船を徴用した艦船であり、燃料や物資そして人員をトラックに運んで来たものである。

ガタルカナルや硫黄島のように激戦に次ぐ激戦となり、孤立してしまい後方より物資や人員が補充されなかった戦地では食料はおろか武器弾薬さえも底をつき、人々は飢え、万歳突撃か自決しか残された道がなかった状況もある。
日本国内でも様々なものが配給制になっていたはずである。
しかし前線基地、特に司令本部がある戦地では食料や酒までかなり豊富に備えられていた。

連合艦隊主力や空母機動部隊が退避していったトラック。
2月17ー18日の大空襲はもう目前である2月16日夜。
南方視察を行って来た陸軍参謀本部と海軍軍令部の一行がその帰路トラックに立ち寄った。
お疲れさん会であろう。幹部たちは接待のため夏島(デュブロン島)の料亭で宴会を催し、中にはそのまま料亭で宿泊していく者も現れた。
連合艦隊司令官がトラックを離れた後を統率するのは残ったトラック現地の最高指揮官。
2月17日の攻撃はないとし警戒体勢を緩め、本人は早朝から釣りに出掛けて行った。
下の者たちも幹部たちは料亭で宴会してるし、指揮官は釣りに出掛けちゃうしで、警戒態勢を続けるのも変であろうという空気が漂っていたらしい。

そして2月17日早朝。
多くの幹部が基地に不在という中、トラック大空襲が始まるのである。

木箱に入ったビールがあると言う、りおで志ゃねろ丸は特設潜水艦母艦であったが特設運送船に変更されている。
2月3日に横須賀を出港したりおで志ゃねろ丸はおそらく様々な高級品を積み込んだと思われる。
向かう先のトラックはまだ日本海軍一番の基地であり、連合艦隊司令長官・古賀大将も就任しているトラックである。

自分がトラックで潜った経験では富士川丸にも大量の大日本ビール瓶が散乱していた。
もちろん木箱入りではないし紙のラベルも全てなくなっているのでビール瓶に刻印された会社名から大日本ビールと言っているだけだ。
ビールはすでに1940年に配給制が始まっている。
途中配給の方法は色々と変っているが1943年5月からはラベルからビール名はなくなっている。
書かれているのは麦酒であることと会社名だけで、それは1949年まで続き、その間には◯◯ビールを飲みたいだのなんだのの選択はできなかった。

りおで志ゃねろ丸の木箱入りビールのラベルにはASAHIの文字の一部が見えてる。
つまり1943年5月よりも前に製造されたビールなのかとなるが、そんなに古いビールが美味いのか?
そうでないとすれば、軍のお偉方向けのスペシャルビールなのか。だからこその木箱入りなのかもしれない。
しかし大空襲が迫っているという緊迫した時期に、お偉いさんのために特別なビールを運ばせる。
接待のために宴会を設けなければならない。
戦国の殿様の時代から代々続くご機嫌取りか。
それが重大な結果を招いている例はいくらでも挙げることができ、何回痛い目に合っても懲りない日本人なのかもしれないが、今現在もそういう警戒態勢をとることもなくミサイルは日本近海に落とされている・・・。

これから挙げる艦船たち。
山鬼山丸を除いて一度も潜ったことがないが、おそらくビール瓶をたくさん見ることができるのではないだろうかと思っている。
なぜなら緊迫した状況のトラックにわざわざ2月に入って送り込まれている。
2月に入港している艦船はまだあるが、燃料などを運んでトラックに来ていると思われるため除外してある。
そして出港地が横須賀で確実に物資を積み込める港からであることだ。

guam803sanサンフランシスコ丸
1月10日横須賀出港。東京港に立ち寄るが再び横須賀に戻り、トラックに出港。
2月4日トラック着。



guam803hanakawaHanakawa丸
1月25日横須賀出港。
2月4日トラック着。




guam803reiyoReiyo丸
Hanakawa丸とともに船団を組んで1月25日横須賀出港。
2月4日トラック着。




guam803taihoTaiho丸
1月31日横須賀出港。
2月13日トラック着。




guam803sankisan山鬼山丸
もしかするとTaiho丸と船団を組んでの出発だったかもしれないが、1月31日横須賀出港。
Taiho丸より1日早い2月12日トラック着。



guam803rioりおで志ゃねろ丸
2月3日、駆逐艦「夕月」に護衛されながら横須賀を出港。
2月11日トラック着。
何だかりおで志ゃねろ丸特別扱いにも見えるが、夕月が守ったのはまさか木箱入りのビールか?!

これらの艦船にビールなどの積み荷が実際にあったかどうかはわからない。
潜ったことがあるのは山鬼山丸だけで、記憶にあるのは大量の弾と薬瓶でビール瓶があったかどうか記憶にないんだから。
それらの詳しい情報は是非トラックにダイビング行って見て来て教えて欲しい。
頼もしい日本人ダイブショップ「トレジャーズ」にお願いするといいと思う。
また元ネタの記事は上記のブログから拝借したものである。


  
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July 28, 2017

グアムのダイビングショップ物語2117―今日のグアムと、グラスブレークウォーターの2つの出っ張り

guam728umiushi昨日まで全く影響がなかった台風5号。
迷走した挙げ句に西寄りにそして南寄りに戻って来るというへそ曲がり台風がグアムに影響ある海域に来たということか。
まだまだホテルのビーチやアクアアカデミーがダイビングしているボムホールなどへの影響は皆無だが、アルパット島辺りに打ち寄せるうねりが波しぶきを上げ始めたので、海面上が煙ってみえるようになって来た。
しかし今日のボートダイビングはアンフィシアター。
グアムの北側にあるポイントでボートが出港してから45分くらいかかるんだけど、位置的には桟橋から発電所の向こう側に突き抜けて行けたなら5分で到着する距離なんだけどね。
カブラスアイランドと言うくらいで昔は外洋に通じているチャネルがあったんだろうけど、今はグラスブレイクウォーターを端から端までグル〜ッと回り込んで来ることになるので遠い感じ。
おまけにうねりが南西から来ているので行きはよいよい帰りは怖いってやつだ。
透明度も予想通りだったので、ここの内容は省略する。(笑)

セカンドダイブはフィンガーのドリフトって言うんだけど、一人がアメリカンタンカーに行ったことがないっていう話でそこに行きたいと。
よくぞ言ってくれたよね。
今日のキャプテンは珍しいところに行くのが好き。
だから当たればOKなんだけど、そういうキャプテンも行き慣れていないところだし我々ダイバーも行き慣れてないわけなんだよね。
おまけにすぐドリフトっていう話になるので、それってはっきり言うと知らないところをただ流して泳いで行くってことになっちゃう。
アンフィシアターは昔々は結構ダイビングしたので、ブイから出発して戻って来るダイビングは組み立てられるけどそのまま行っちゃって〜は当てなんかなくて、何か出てくれ〜だよ。

guam728ameriacntankaerタンカーからドリフトしていいよって言われたらいつもなかなか行けないセメンドバージNo.4とかにも足を伸ばせていいんだけど、なぜかタンカーのドリフトは誰もやらないんだよ。
でもタンカーならダイビングを組み立てられるし、水中ライトのいいやつを全員持ってるし、そして何よりもアンフィシアターより透明度が良いっていうのが最高だったね。
記念撮影用にアメリカ国旗も格好良く付け替えられたみたい。

そしてふと思ったことがある。
前から気にはなっていたんだけど偶然にそうなっただけと思っていたのが、グラスブレークウォーターにある二つ出っ張ったところ。
出っ張らせた分だけ積み上げた岩も多く必要だったろうけど、なぜ真っすぐ平にしなかったんだろう。
見た目も真っすぐな方が絶対いいと思う。
それが何だか今日はピンと来た!

BlogPaint1944年から作り始めた防波堤。
グラスブレークウォーター。
浅瀬のサンゴ礁に岩を積み上げて作られた防波堤なので外側を見てみるとサンゴ礁の向こうには真っ白い砂地も広がっている。
その防波堤の基礎にハワイから燃料を運んで来てお役御免になったセメンドバージを利用する計画。
ここのサンゴ礁は東へ行くほど幅広くなるし、サンゴ礁の内側の砂地も浅く広がって行っているので岩を積み上げるのも比較的簡単だったはず。

guam728tanker1そろそろサンゴ礁の幅も狭くなっていくし、その両サイドの水深も深くなっていく。
そこで投入するのがセメンドバージNo.1。
当初考えた計画はサンゴ礁の浅瀬にセメンドバージNo.1を載せて、さらにその上や隙間に岩を積んで防波堤を作ろうとしたはずであり、その通りの工事を行った結果。
「これは大変だ!手間と時間が掛かりすぎる!」って思ったのでNo.2からは積み上げる岩のすぐ脇に沈めて岩が崩れていかないようにストッパーにしようと作戦変更。
後はどの部分に置くか?であったろう。

guam728tanker2そこでまずは基準となる地点に岩を積み上げて行き、その岩の塊どうしを繋いで行くように岩を積み上げて行けば真っすぐな防波堤ができあがるはず。
第一の目印ポイントは西南西に伸びていた浅瀬のサンゴ礁が南西方向に曲がる地点。
つまり右側の出っ張り部分だ。
この岩山を最初に設置した後は、残るセメントバージ4隻をなるべく均等に並べて行くように距離を測って行って、その終わりの部分にもう一つの岩山を築いた。
後は真っすぐ二つの岩山が繋がるように岩を積み上げて行くだけだし、その内側には均等の距離でセメントバージを置いて行けばいい。

guam728lightbeam水中で見えていない部分を白い線で書き加えてあるけど、No.2〜4はほぼ均等に並べられたし、グラスブレークウォーターの上を走る道路がやけに一直線の真っすぐさであることがこの推測を裏付けていると思う。
推測できないのが何故セメンドバージNo.5。つまり現在のアメリカンタンカーはグラスブレークウォーターから距離をおいて水深30mの海底に置いたのかだが、工事を進めて行くうちに、これはどこまで補強の役に立っているのか?とか、こういうのって将来ダイバーたちが潜って楽しめるんじゃないの?という意見も出て来たことが想像できる。
そこで最後は将来のダイビングスポットという目的で敢えて沈めたように思うのだがどうだろう。

ちなみにアメリカ国旗を付けたりしてアメリカンタンカーと呼ぶようになったのは近年と思われる。
1979年発行のダイビング雑誌にはオイルタンカー呼ばれていたことが確認されている。  
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July 21, 2017

グアムのダイビングショップ物語2113―今日のグアムと、解放記念日に紫電改を思う

guam721liberation音もなく滑空して来たと思ったら右に旋回し、水面着水寸前に機首を持ち上げて見事な姿勢で不時着水した機体は100mほど滑走した。
急いでボートで救出に向かうとパイロットが見えたが脱出する様子もなく、機首から逆さまに沈んで行ってしまった。

愛媛県南宇和郡城辺町(現愛南町)久良湾の沖合40mで1978年11月発見。
翌年7月14日に愛媛県が引き揚げ、現在は南レク馬瀬山頂公園・紫電改展示館に展示されている。
1944年7月24日、広島の呉を攻撃するため四国南の米機動艦隊から発進したおよそ500機に立ち向かった343航空隊・剣部隊21機の紫電改が豊後水道で迎え撃った空戦の結果、F6Fヘルキャット・F4Uコルセア・SB2Cヘルダイバー偵察爆撃機合わせて16機の成果が確認されるが343航空隊の6機が未帰還。
この6機の内の1機が不時着する様子に目撃者がいたのだ。

その一年前。
1977年9月25日。
豊後水道の愛媛県と反対側である宮崎県東臼杵郡門川町で発見され後に引き揚げられた誉エンジンがある。
エンジンには「いかり」のマークが入っており、海軍機に搭載されていた誉エンジンであることがわかる。
誉を積んでる海軍機は、銀河・流星・彩雲・烈風・天雷・連山・紫電・紫電改となるが、烈風・天雷・連山は実戦に配備されていない。銀河・流星はこの周辺で落ちた記録がない。
残る彩雲・紫電・紫電改は343航空隊で使用されていて四国・九州方面で作戦していたので可能性がある。
そして343航空隊の記録を調べると門川町の辺りに落ちた可能性のある航空機は7月24日の豊後水道上空での空戦しかない。その日に未帰還となった紫電改6機の内の一機である可能性が高い・・・。
しかし門川町では空戦や航空機の墜落を目撃した人がいなかったのだ。
ところが10年程前に漁師の芝エビの底引き網に重いものがかかり、漁船2隻で引っ張って来たが底がかりしてそれ以上動けなくなって網を切断したことがあることがわかった。
その後ダイバーたちがエンジンを見つけて引き揚げられたわけだが、機体そのものもその沖合5キロ程のところにまだ残っているということになる。

これで6機の内の2機が確認されたことがわかったので、もう一度1944年7月24日の豊後水道上で行われた激戦の様子を振り返りたい。

7月24日、剣部隊が飛ばせる紫電改は戦闘301、407、701から8機ずつの24機だけだった。
しかしエンジン不調で引き返した機が3機あったため21機の出撃だった。
対する敵は500機という情報から源田司令はできるだけ後方の編隊にぶつける作戦を考えた。
基地を発進して40分、10時を少し回ったところで四国最西端の佐田岬の会敵地点に高度6000mで到着したとき、高度1500〜2000mで豊後水道を南下中の敵戦闘機と爆撃機約200機を発見。
総指揮官・鴛淵大尉の701飛行隊8機を先頭に、右翼が松村大尉率いる301飛行隊。左翼は光本大尉率いる407飛行隊の隊形で佐田岬から南下すると20〜30機の編隊に分かれて後から後から続く敵機群の後方部隊に向けてまず松村大尉の301飛行隊が攻撃開始する。
鴛淵大尉は先行している編隊と差が開いてる一編隊に向かって一気に機首を下げたと同時に701飛行隊と407飛行隊も突撃開始した。

7月24日の午前8時、空母・ヨークタウンから8機のF6Fヘルキャットと4機のF4Uコルセアが250キロ爆弾を抱えて呉を目指して発進。
その他8隻の空母から飛び立った数百機の攻撃隊は四国南岸から4000mの高度で進入し、呉に近づく前に高度を4500mに上げて旋回。
標的は戦艦・長門、軽巡・大淀と利根、その他多数の小型艦艇。

空母・ヨークタウンから発進し攻撃を終えた米88戦闘中隊が豊後水道を南下する帰路。
10時5分、最初の343航空隊との接触は戦闘301の武藤少尉と僚機が水の子島灯台付近で、TBFアベンジャー雷撃隊から遅れていた2機のF4Uコルセアだった。
それを見た松村大尉は僚機とアベンジャーに向かう。
最初の武藤の攻撃でスペックマン大尉のコルセアが撃墜。残されたアプルゲート中尉の救援に向かったのはF6Fヘルキャットに乗るケーグル大尉とネイヤー中尉。
そこに襲いかかる紫電改はネイヤー中尉をあっという間に撃墜。
アプルゲート中尉は180°の急旋回で敵編隊の2番機を攻撃。命中された紫電改は垂直に降下。しかしアプルゲート中尉の後ろには別の紫電改が。さらに背後には紫電改を撃墜したばかりのケーグル大尉が張り付いて機銃を発射すると機体尾部全体がなくなっていた。
おそらく撃墜した1機目は米田機、もう一機が今井機である可能性が高いと米側は言う。

アプルゲート中尉とケーグル大尉が合流し離脱しようとすると1機残っていた紫電改がアプルゲートに上方攻撃を行い、そのまま2機の前方を横切って切り返すと射撃しながら突っ込んで来る。
アプルゲートは150mまで接近し弾を撃ち尽くした。
お互いに命中弾があったはずでアプルゲートは衝突を避けるために急降下するが、2機は3mの至近距離まで接近。その紫電改は風防を吹き飛ばし横転して見えなくなった。
この紫電改が武藤機ではないかと米側は言うが、米田機が不時着した後「敵の顔が見えるところまで接近した」と話している。
アプルゲートはパラシュートで脱出。

米49戦闘中隊の報告書によるとウイリアムズ大尉と列機ギブソン大尉が遭遇した紫電改2機を追撃したが、ウイリアムズ大尉が撃墜した紫電改がギブソン大尉が落とした紫電改よりも白煙を多く吐いていたとある。
日本の戦闘概要によると、鴛淵大尉はエンジンを撃たれたと記録があり、ウイリアムズが鴛淵機を、ギブソンが初島機を撃墜したと思われる。

もう1機ある。
第2中隊第1小隊第2区隊3番機の溝口機は豊後水道付近で増槽を落下できないまま交戦と戦闘概要に残されている。
米49戦闘中隊のヤンシー中尉は増層タンクについて触れていないが、単独で飛行する紫電改を豊後水道の九州側で撃墜したと言う。
これで6機を撃墜したパイロットとその様子が判明したことになる。
米側の意見のため、紫電改6機の搭乗員たちの活躍の様子は少ないが、一様に優秀で勇敢なパイロットが戦争末期のこの時期にまだいたなんて信じられないとコメントしている。

燃料がなくなり戦闘空域から離れ大村基地に帰ってくる紫電改はほとんどが単機、または2〜3機の小グループで激戦の様子がうかがえるが、上々の成果を上げた343航空隊。
しかし隊長はじめベテラン搭乗員たち6名が帰らなかった。
301飛行隊の鴛淵孝大尉、鴛淵大尉の3番機として護衛を務めた初島二郎上飛曹、武藤金義大尉と同じ区隊の米田伸也上飛曹、今井進一飛曹。407飛行隊の溝口憲心一飛曹である。

まだ門川町の海底で、もし増層タンクが残っている紫電改が眠っていれば、それはかなりの確率で溝口機であると思われるが、久良湾で見つかった紫電改については決定的なものが何も見つかってはいない。
しかし機体尾部が吹っ飛んで落ちて行ったと言われる今井機、風防が飛んだとされる武藤機。
米側の証言が正しいとしてこの二人の紫電改ではない。
搭乗員が調整した座席の位置が沈んでも変っていなければ、長身であった初島上飛曹の一番下げていた位置とは異なるため初島機も除外されるかもしれない。
また米田上飛曹は不時着の後に妹に敵パイロットと顔が見えるほど接近したと話しているが、久良湾の紫電改には搭乗員が乗ったまま沈んで行ったという目撃証言があるので米田機も除外すると・・・。
残るは総指揮官である隊長・鴛淵大尉が搭乗していた紫電改なのかもしれない。

今日はグアムに米軍が上陸を開始して日本からアメリカに解放した記念日であるが、それから3日後にあの紫電改6機が撃墜された7月24日でもあるのだ。
  
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July 15, 2017

グアムのダイビングショップ物語2111―今日のグアムと、ダイビング始めたばかりのレックスペシャルツアー

guam715ws2ダイビング始めてまだ1〜2ヶ月。
オープンからアドヴァンスを取って、器材を買い揃えた。
よっぽどダイビングにはまったみたいな二人はまだアドヴァンスを取らない段階でレックスペシャルツアーの申し込みをして来た。
東京・高田馬場でアクアアカデミーの電話受付をしてくれてるダイビングショップ・ブルーサブ。
まだレックスペシャルツアーのことはブルーサブにも知らせていないのに二人は知っていて、ブルーサブを通して予約するもんだからブルーサブもびっくり。
「アメリカンタンカーとか普通のとこでいいんじゃないの。」
まだまだ初心者だし、レックがどんだけ好きかわかってないしの話なのであまり気合い入ってない。

そしてグアムに到着した二人は、日本でドライスーツで潜っているのでウェットスーツと、レックダイビングだって言うのに肝心のライトを持っていなかった。
最近のライトはかなりの高性能なので値段も高額なものが多く、それをレンタルで揃えておくってわけにはいかない。
「どのライトにしようか迷っているうちにグアム旅行になっちゃったんですよ。」
まあ今回は東海丸の紹介編とバルボンバーに行こうと思っているのでライトがなくても何とか楽しめるコースを考えていた。
自分のライト一本で何とかなるでしょ。

guam715ws1まずは乗船口から艦橋内に入る。
すぐ上のデッキのブリッジデッキに上がって配膳室の流し台。
初体験の船内は東海丸が傾いていることもあって安定していない。でも慌てている様子もないので次は風呂とトイレを上から覗き込む。
流し台の方に戻ってエンジンオープニングに進入するが、今日はそのまま天井のスカイライトの窓ガラスの厚みを感じてもらって船外へ出ることにする。
初めての沈船内は10分ほどで、ボートデッキで1930年に日本のプロゴルファーが第二回海外遠征でニューヨークに行くときに記念撮影をした地点を確認。
そのまま船首へと向かう。

大砲の台座と弾丸のケース、船首と散乱した太いワイヤーの束。
これらはみんな当時のことを思い浮かべることができる貴重な材料なのでスレートに書いて紹介。
後で解説するときのために記憶にとどめてもらう。

guam715boat1ここで面白い写真を紹介する。
東海丸がたぶん東南アジアのどこかの島かと思われるところに入港しようとしているところだと思う。
白く塗られている艦橋部分の一階に見えているところがアッパーデッキ。
その上がブリッジデッキでここが客室用のスペース。
その上は救命ボートが2つ見えているが、その前方に船長たち船員用の船室があり、ここがボートデッキと呼ばれる。
そしてボートデッキに立っている子供のちょうど上にはもう一つのデッキと船室があるが、この部分がフライングブリッジデッキと呼ばれる操舵室である。
が、今は全く何も残っていないので、このデッキの存在は多くの人が気が付いていないかもしれない。

guam715boat3guam715boat2では現在の東海丸の水中写真と比べてみると・・・。
不思議なものがあることがわかる。
救命ボートを吊るしている棒だ。
現在の東海丸の右舷側には3本の棒が残っている。一番後と真ん中の棒は当時の位置であることがわかり、この二本の間に一隻の救命ボートがあったはずだ。
しかしもう一隻分の救命ボートを吊るす棒はなくなっていているのに、何故か一本だけ追加されている。
ちょうどボートデッキに子供がいた辺りから上に向かって救命ボート用の棒が一本だけ上に伸びている。

当時のフライングブリッジデッキがある状態ではここに救命ボートを吊り下げるスペースはないようだ。
それに一本だけでは救命ボートは吊り下げられないではないか・・・。
ではいつ何のためにこの棒は取り付けられたのか?!
こういうのがレックダイビングの楽しみなんだよね。

guam715ws3続いてバルボンバー。
九九式艦上爆撃機22型。
ここで初めてのフリー潜降プラス、初のウェットスーツダイビングでレンタルスーツだからウエイトは自分が設定している。
当然重すぎないウエイトを考えて、渡しているのは1キロ。
なかなか潜れないと思ったのかヘッドファーストで降りて来たところ耳抜きができないという初体験ずくし。
「耳が痛い」というサインをもの凄い勢いで送ってくるけど、こちらはわかったと言って待つしかない。
サインを繰り返すけど人の耳のことは助けることもできないわけで、上に上がって直せといって放置する。
もしかしたら日本では助けられていたのかもしれないけど、自分でフィンを使って上がれる力はあるし、ここはスパルタだね。
そんなときに絶好の位置にでっかいタイマイが泳いで来たから激写しちゃった。

guam715ws5guam715ws4無事耳抜きが完了して、偵察員席と無線機。
三菱製の金星エンジンと集合排気管。
操縦士席に残る操縦桿やラダーペダルを見てセメントバージへ。
バルボンバーが水深25mにあるのでここで一本分滞在するわけにはいかないけど、その分後半浅いところのセメント
guam715ws6guam715ws8バージへも行くことが出来るので2倍楽しめる。
今日はセメントバージNo.2の応急操舵室とセメントバージNo.3の船首。
特に船首は、もう安全停止も終了していたので乗ってみ
guam715ws9た。
立ち上がってボートを呼ぶこともできると思っていたのでシグナルフロートはボートに置いてきたし。(笑)  
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