2006年04月30日

旭山動物園

今日は子供を連れて旭川の旭山動物園に行った。
この動物園が話題になって久しいが、初めて行った。やっと行けた。
連休初日、しかも長期休園の後の夏の部の初日とあって、園内はゲロ混みであった。

旭山動物園を上野動物園をも凌ぐ全国最多入場者数に押し上げた
その功労者のシロート園長の奮闘記は有名なのでここでは触れないが、
動物をいかに色々な角度から見せるか、それに徹底的にこだわっているのがよく分かった。
パンダがいなくても、象がいなくなっても、ここまで出来るのだ。
そしてここの動物たちは皆毛並みや顔色が良く元気だった。
動物が生き生きといられる環境にも工夫が凝らされている事は素人目にも想像がついた。

観客へのサービスと動物への配慮。
聴衆へのサービスと楽員への配慮。

どっか似てるな・・。学ぶべき点は多いのかも。
と、どうしても我らが身に置き換えてしまった一日であった(笑)。

いや、札響の経営者がどうのって話しじゃないですよ!。念のため・・(汗)
も、もちろん楽員が動物ってわけでも・・な、ないっす!! (汗・汗)  

Posted by arakihitoshi at 01:06Comments(2) │ │雑感 

2006年04月27日

新書が流行ってる

先週末、札響のチェロ奏者6人らと
バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲を1曲づつ弾く演奏会を終えた。
共演ならぬ競演なわけだが、はっきり言ってわたしは
「人は人、自分は自分」と心底思えるほど強い人間ではない。
同僚奏者たちと張り合う気持ちもあるし、
自分だけが失敗したらどうしよう・・、という恐怖もあった。
そういう意味でバッハの偉大な作品を弾く以上に、
”競演”は精神的に相当にシンドいものがあったし、同時に勉強にもなった

ところで最近、新書が流行っている。
新書といえば少し前までは歴史や自然科学などを淡々と紐解くものが主流だったが、
最近流行っているのは少し違う。
「バカの壁」、「国家の品格」などに代表される、現代の物事の考え方を説く本。
「頭がいい人、悪い人の話し方」、「他人を見下す若者たち」などに代表される、
バカと利口を定義付けする本に大別されると思う。
他はインターネット関連、脳関連あたりか。
本屋はかつて無いほど新書コーナーが拡張され多くの新書が平積みになっている。

話しは変わるが、
先日新聞でネット上にいわゆるブログを書いている人が800万人に達したという記事を見た。
新生児や今際の際の老人を除くと、
日本人の約十人に一人がブログで自己を表現している勘定になる。
報道された800万人はYahooの様なポータルサイトが提供するブログ保有者の数だろうから、
例えばARAKIページの居候部屋の住人などは数に入っていないのだと思う。
そうなると800万人という数はもっと膨らむはずだ。
”活字離れ”などという言葉は全くの見当外れということになる。

この圧倒的なブログ数と新書の流行、実は無関係ではないと思う。
きっかけはどうであれ取合えず始めたブログも、
最初はミクロな自己表現で満足できたものが、やがて人の書いた文章が気になりはじめる。
そのうち自分の文章がどの程度のものなのか、延いては自分は頭がいいのか悪いのか?
という疑問が頭をもたげ、答えを与えてくれそうな新書が流行るわけだ。

これは前述のバッハの”競演の法則”から導き出された結論である。
皆「人は人、自分は自分」と思えるほど強くはないのだ。
やはり皆弱い人間たちなのだ
そういうことなのだ。これでいいのだ。  
Posted by arakihitoshi at 01:17Comments(0) │ │雑感 

2006年04月16日

脳が流行ってる

脳が流行っている。
東北大教授 川島隆太さんはテレビで毎日のように前頭前野について語っているし、
「脳にいい大人の塗り絵」や「大人の脳を鍛える簡単なドリル」などが本屋に溢れている。
さすがにドリルをやるつもりは無いが、わたしも脳には興味がある。
すぐキレる人にならないために、”ガマン”を司る前頭前野を鍛える事にも関心がある。

以前書いた事があるが、トークコンサートに出演して感じることに、
楽器を演奏する脳と、トークをする脳は明らかに違うと思う、ということがある。
演奏に集中しすぎると曲間のトークがまとまらず、
トークで興に乗りすぎると演奏が上手くいかない。
川島隆太さんのテレビを何気なく見ていたら、
音楽を処理するのは聴覚野のある側頭葉、言葉を処理するのは前頭葉ということだ。
やはり使う脳が違っていたのだ。

側頭葉と言えばバッハの側頭葉は異常に発達しており、
外から見ても頭の右側が大きく張り出していたそうだ。
頭蓋骨をも変形させる聴覚野の持ち主とはいかなるものかと恐れ入るが、
私事で言えば、あと1週間ほどに迫ったバッハの演奏会のための練習には苦戦している。
バッハの演奏というのは実に難しいというのは通説だ。
およそ世界中の演奏家に恐れられていると思う。
かのロストロポーヴィッチでさえ恐れ入るあまりついに晩年までバッハの録音を行わなかったほどだ。

何がそんなに難しいのか、その答えが見つかれば苦労はないのだが、
まずバッハの音楽は非常に単純。ほとんどが基本的な和音と音階だけで出来ている。
6曲ある無伴奏チェロ組曲も、今はない5弦チェロのために書かれた6番を除けば、
初見でも弾けるし、チェロを初めて1〜2年の人でも弾くだけなら弾けると思う。
それが、それがである、弾けば弾くほど訳がわからなくなり、
練習するほど下手になっていく気がするという恐ろしい現象に陥る曲たちなのだ。
ロマン派以降の例えばブラームスやラフマニノフのソナタは技術的にはバッハよりも
ずっと難しいが、演奏する身にとってはずっと気が楽・・という気がする。

さて、演奏会に向けて練習する過程はだいたいこんな感じである。
”萍鵡愼
譜読み(楽譜を読んで取合えず弾けるようにする)
2針腓CDを聴いてみる(わたしの場合、CDと共演もしてみる)
い気蕕すみ(フレーズや和声のことなども考えてさらい込む)
ハ寝士習(DATで自分の演奏を録音して打ちのめされながらさらに練習)

大抵の作曲家はイ力寝士習で録音を聴きながら
「ここの音程マズイ、この音はも少し長く・・」などと譜面にチェックを入れながら、
いわゆるダメ出しをして練習を続ければそれなりに形になっていくのだが、
バッハの場合は「ゲゲゲ・・・(`口´;)げはっ!。全然ダメじゃん!」
とダメ出しどころか良いところが見つからずに△良萋匹澆北瓩辰討靴泙Α
これは一つには、バッハの時代の演奏スタイルと現代の私たちが習得している
演奏スタイルが全く違う事も原因と思われる。
バッハの時代のバロック奏法では、全ての音は短く切って演奏される。
現代の私たちはレガート奏法という音を長く保つ奏法を身につけている。
バッハをレガート奏法で演奏すると、どうしても様にならない箇所が出てくるのだ。

ではバロック奏法で弾けば良さそうなものだが、そうなってくると現代のスチール弦
ではなくガット弦を張り、弓もバロック弓を使い・・・と大工事になる。
アンナ・ビルスマのようなバロックチェロの名手もいるが、さすがにそれは無理なので
普通は”バロック風奏法”という事になる。
この”バロック風奏法”で行くのか、レガート奏法で押し通すのか、折衷案を編み出すのか、
というところで大揺れに揺れるわけだ。

更に言うなら、バッハの無伴奏チェロ組曲はバッハの自筆譜が残っておらず、
スラーや強弱記号など、音符以外の記号が一切書き込まれていないバッハの奥さんの
マグダレーナ・バッハの写譜があるのみなのだ。
音符だけ、つまりフレーズも音の強さも何も分からない不完全な楽譜なのである。
およそ考えられないバッハ妻の失態のお蔭で、後世のわれわれはえらい迷惑をしている。
大バッハは本当はきっとこう書いたであろう、こうに違いないと、
歴史上多くの演奏家や学者があーでもないこーでもないと次々に校訂譜を出し、
今手元にあるベーレンライター版の能書きにも「少なくとも18人が校訂版を出した」
と書いてある。
ベーレンライター版が出た後にも更に沢山の校訂版が出てるだろうから、
バッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜は現時点で30種類以上あると思う。
現代の音楽界の潮流は古典回帰主義なので、ほとんどのチェロ奏者は
ベーレンライター社の”原典版”を使っているが、この曲に関しては以上の理由で、
ベーレンライターとて”原典版”ではない。

そういう訳で、
この曲は、音符だけ書かれた譜面を渡され、「あとはよろしく」と放り出された感がある。
”とにかく譜面に忠実に”という技が使えないのだ。
だからといって、好き勝手に思いつきで作っていくと歪で聴けた物ではなくなる。
とどのつまりは奇を衒うことなくゲルマン民族の伝統に基づいた解釈と慣習で、
基本に忠実に演奏するしかないのだと思う。
ハッタリが一切通じない音楽的な基礎力をさらけ出す恐ろしい世界なのだ。
この辺の話しは意を尽くせないがこの位にしておこう・・。

脳の話しから随分と脱線してしまったが、
4月23日の、札響のチェロ奏者らによる「6人のバッハ」の演奏会は、
かような演奏者の苦悩がある事に思いを巡らして聴いていただければ
脳の発達にもいいかもしれない。
少なくとも3時間に及ぶバッハの連続演奏会を黙って聴くことは、
”ガマン”を司る前頭前野を鍛えるには打ってつけである。  
Posted by arakihitoshi at 00:08Comments(3) │ │音楽 | 雑感

2006年04月07日

入学式事情

今日は上の娘の小学校入学式だった。
娘は私が30年近く昔に通った小学校に入学した。
私の頃の校舎や中庭も一部残っており、職員室の前の廊下に展示された
”小学校の歴史”で当時の様子を写した写真などを見ることができ、実に懐かしかった。
入学式では、かつて私も歌った校歌を自分の子供が斉唱する姿に、
スターウォーズ・エピソード靴鮓てスターウォーズ・エピソード犬墨辰靴繋がった
時の感慨に似たものを覚えた。

それにしても、入学式の様相も様変わりした。
この話しは言われて久しいので敢えて書くのもどうかと思ったのだが、少しだけ。

新一年生入場の父母席では、立ち上がったり三脚を立てたりしてわが子の姿をビデオに
おさめるのに必死なお父さんの姿が多数。さながらビデオ撮影会場であった。
こうして客観的に彼らの姿を見ると、あまり格好のいいものではないことが分かる。
「人のふり見て我がふり直せ」。今回わたしはビデオを持っていかなくて良かった。
今後も気をつけよう。

教室での説明会。
先生が生徒に学校での心構えなどを話してる。ここでも撮影会。
まあ邪魔にならないように写真を撮るくらいはいいとして・・、
が、しかし、度を越したマナー違反はいかがなものかと思うのだ。
こらーー!、そこのオンナー!、ケータイでメール打つのやめれ! 
おいおい! そのバカっぽい着メロは切っておけ!
そこのおっさん!、盗撮みたいなビデオの撮り方すなーー! 

(ノ`口´)ノ^┻━┻ (ノ`口´)ノ^┻━┻ 連続ちゃぶ台返し

先生が話しているのに、である。
こういう人は一部ではあるが、目立つんですよねーー。
わたしも偉そうなことは言えないが、人は人であるが、
もう少しなんとかならないものだろうかと思ってしまう。
一応”人の親”なんだからさ、と眉をしかめたのはわたしだけではないはず。

そういえば、今日は雪が降った。
入学式は4月だというのに何故か狙ったように毎年雪が降る。
三十数年前、わたしの入学式の日も雪が降っていた。  
Posted by arakihitoshi at 00:43Comments(8) │ │雑感 

2006年04月04日

こんな日本にだれがした!(1)

戦前の教科書にたしかこんな文章があった。
『乃木希助将軍は家族に手紙を書こうと思いました。
あいにく乃木将軍は便箋を持っていませんでした。
目の前に軍から支給された軍用箋がありましたがそれは使わず、
部下に「君は便箋を持っていないかね?」と訊きました。
部下もあいにく便箋を持っていませんでした。
「では諦めるか」と乃木将軍は手紙を書くのを諦めました。
最後まで軍用箋には目もくれませんでした』
(うろ覚えなので固有名詞やディテールは気にしないよーに。)

言うまでもなくこの話しは、公私をきっちりと区別しなさい、公共の物を私物化
するのは泥棒ですよ。という事を教えるための道徳教育と思われる。
なぜこんな事を書き出すのかと言うと、
最近の迷惑メール、迷惑電話、迷惑オフラインメッセージに辟易しているからである。
1ヶ月ほど前だったか、1週間振りにヤフーメッセンジャーを立ち上げたら、
大量の迷惑オフラインメッセージを一度に読み込みフリーズしてしまい、
結局ヤフーメッセンジャーを再インストールするハメになった。
『だだいまこんな娘がオンライン中です。http://***.**.*』みたいな
バカとしか言いようのないオフラインメッセージがほとんど全てだった。
「管理人は”オンライン”」という私のHPのトップページにアップしてあったアイコンから、
迷惑メール用アドレス収集業者の魔の手に私のヤフーIDがかかったらしい。

迷惑電話も実に多い。
わたしは仕事柄、昼間家にいることも多いのだが、
「佐藤(←ありがちな名字)ですけど、奥さんいらっしゃいますか?」
(後ろが騒がしく明らかにキャッチセールス電話)
こういう電話は練習中でも、朝シャン中でも、トイレタイムでも前ぶれもなくかかってくる。
わたしは家人が留守の午前中にトレイで用便中にマンガ本を読むのが至福の時間なのだが、
電話のベルによって問答無用で中断され、揚げ句がこうした迷惑電話で、
こともあろうに無言でがちゃっと切られた日には・・
(ノ`口´)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し である。

迷惑メールに関しては説明の必要もないが、
皆さんもさぞうっとーしー思いをしていることと思う。
最近のはプロバイダーやメーラーの駆除フィルターもくぐり抜けて来るモノも多い。
『こんばんわー、こないだの合コンではあんまりお話しできなかったけど、
ホントはあたしすっごい寂しがり屋なの・・、えへっ!。プライベートのアドレス
教えちゃうからメールしてね!』
なんてのは、ありありと出会い系サイトの呼び込みメールだと分かるが、
『こんにちは、先日お話しした件です。一応下記のURLにアップしておきましたので
ご参照下さい。 http://*****.**.**』
と来ると、「?」と思いながらもURLをクリックする人はけっこういそうな気がする。

いずれにせよこういうメールの送り主は、自分が小金を稼げればそれでいい。
他人が迷惑しようがカンケー無い。騙されるヤツが悪い、ということなのだろう。
しかし、仮に法律に触れていなくても、その根性は”泥棒”と全く変わりない。
泥棒はいけないという当然のルールが当然ではなくなったと思うしかない。

こうした社会を少しでも改善するには、前述の教科書の様な公私の区別や善悪の
分別を教える道徳教育を、学校と言わず家庭と言わず
教育の中心に据える必要があるのではないだろうか。
わたしも子育ての真っ最中であるが、善悪とは人間が先天的に与えられている感覚
によって得られるものではなく、やはり大部分は教育によって育てられるものだと思う。
たった一枚の便箋とて私用に使わない乃木将軍の精神はあっぱれである。という事だ。

こういう話しをすると「軍国主義教育」とか「右翼的」と
違和感を感じる人がいるのも知っている。
そういう時は文章の単語を少し置き換えるだけでオッケーである。

『労働者階級のミカエロフ君は家族に手紙を書こうと思いました。
あいにくミカエロフ君は便箋を持っていませんでした。
目の前に党から支給された人民箋がありましたがそれは使わず、
同僚労働者に「同志は便箋を持っていないかね?」と訊きました。
同僚労働者もあいにく便箋を持っていませんでした。
「では諦めるか」とミカエロフ君は手紙を書くのを諦めました。
最後まで人民箋には目もくれませんでした』

ね。たちまち真っ赤に染まるでしょ?  
Posted by arakihitoshi at 01:18Comments(0) │ │雑感 
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