2007年09月29日

繰り返しは「ナシ」で・・。

指揮者  (ニヤリとしながら)「繰り返しは有りで・・」
楽員たち (少々おどけて)「え〜〜?」 「マジで?」

何故ほとんどの指揮者は繰り返しをしたがるのだろう・・。
一方でほとんどの楽員は繰り返しが嫌いである。

例えばヨハン・シュトラウスの有名な「美しく青きドナウ」(略称:青ダニ)。
導入部が終わって第1ワルツから第4ワルツまで続き最後にコーダ(終部)がある。
各々のワルツには全て繰り返し記号が書かれており、コーダは数小節で終わる短いバージョン(第1コーダ)と2ページある長いバージョン(第2コーダ)がある(※)。
仮に全ての繰り返しを書かれている通りに行って長い方のコーダを演奏した場合の所要時間は22〜3分。
一方で、全ての繰り返しをせずストレートで進み短いコーダに進んだ場合の所要時間は10分弱。
この12〜3分の差は大きい。キツい労働時間は減るし、その分早く家に帰ってビールが飲めるというものだ(笑)。

”青ダニ”に限らず多くの楽曲には繰り返し部分が設けられており、繰り返しを実行するか否かは原則的に演奏者の裁量に任されている。
札響の指揮者お二人は繰り返しが好きなタイプの最右翼かもしれない。
今日は高関さんの第九の練習だったが、原典主義者の高関さんは他の指揮者がやらない2楽章の前半部分の繰り返しをしっかりやる。繰り返しのために書かれているいわゆる「1括弧」部分は滅多に演奏されないため皆演奏に不慣れである。この数小節だけいきなりオケがヘタになる(笑)。(本番は大丈夫です・・念のため)
ちなみにこの繰り返しをするために労働時間は7〜8分増える事になる。

尾高さんも繰り返し大好き指揮者の筆頭である。
つい先日もメンデルスゾーンの「イタリア交響曲」の第1楽章の”幻の1括弧”を演奏した。ほとんどの楽員はこの練習で初めて弾いた。弾き慣れた曲なのにこの部分だけオケが一瞬ヨレヨレになったのは笑えた。それを見てニヤついている尾高さんは相当なサディストである。

原典主義なのかサディストなのか、とにかくほとんどの指揮者は楽員の気持ちとは裏腹に繰り返しが大好きである。
私が知っている唯一の例外は故・山本直純さんであったろうか。
直純さんは練習でよく言っていた。「繰り返しは無し。みんなの好きな全スト(全部ストレート)だから」。
・・・本当に惜しい人を亡くした・・。

オケの楽員が繰り返えしを好きになる方法を今日練習場で皆と雑談しながら思いついた。
それは『演奏時間による給料の従量制』。
演奏時間が伸びるとそれだけ給料が上がります。
繰り返し大歓迎!!!。繰り返し全アリで皆大喜び!。


それは冗談として・・・。
かく言う私も繰り返しは少ない方が嬉しい。いえね、けして演奏を怠けたいと思っているのではないですよ!。ただ、短期集中というか。ギュギュ!っと凝縮した方がお客様にも喜んでいただけるのでは?と。そう思うわけですよ。

ただし私が死んだ時には葬式で同僚達にこうやって送ってもらうことにしている。
司会 「出棺は故人が生前に愛して止まなかった”青ダニ全スト第1コーダ”でお送りしたいと思います」
♪タラララ〜〜〜・チャチャ・チャチャ・・・

(※)第1コーダは本来男性合唱付きで演奏する時のために書かれたオプションです。知っていますので抗議のメールは送らないよーに!  

Posted by arakihitoshi at 00:42Comments(6) │ │音楽 

2007年09月17日

『かっこいい奴』(利尻・礼文の記憶)

1981年夏、今を遡ること30年近くになろうか。
高校1年生だった私は北海道利尻島鴛泊(おしどまり)港にいた。
その年の7月31日は日本全国で日食が観測された。皆既日食帯は樺太北部。当時は東西冷戦の最中で日食を見るために樺太に渡るなど想像も出来なかった。
なので多くの天文マニアが日本で最も太陽が欠ける宗谷岬を目指した。
天文少年だった私と友人2人の3人組も望遠鏡とカメラ、それに1週間野営するための荷物を背負って宗谷岬を目指したが、途中で気が変わり急遽利尻島のさらに北にある礼文島に目的地を変えた。

フェリーを乗り継ぎ礼文島の船泊(ふなどまり)という集落近くにあるキャンプ場にテントを張った。ここからだと島最北端のスコトン岬が目と鼻の先だ。(さらにその少し先に近くて遠いソ連があった)
緯度から言っても日本最北端の宗谷岬と何分も違わない。宗谷岬の日食率87%にいくらも劣らないだろう・・・。
それよりも、島の自然と静寂と、街灯がほぼ皆無の状態で撮影する満点の星空に期待が高まった。

2泊ほどしていよいよ日食の当日を迎えた。
キャンプ場には他にも若者グループのキャンパー10名程がいたが、皆黒い下じきを天にかざして太陽が欠けるのを待っている。
私たち3人は撮影のための器材準備で大忙しである。(しかも私が望遠鏡のバランスウェイトを固定するネジを忘れてきたことが発覚し、自体はさらに悪化した)
さすがに87%太陽が欠けた頃にはあたりが夜とも昼ともつかない奇妙な暗さにつつまれた。が、私は写真撮影でそれどころではなかった・・。
日食が終わった頃には私たち3人は完全に燃えつきていた。

芝生に寝転んで明るさを取り戻した空を見上げしばし放心・・・。
ふと持ってきたラジオをつけると、なんと!! 
宗谷岬は雲って日食が観測できなかったというニュース。
日本全国津々浦々晴れたのに、皮肉にも稚内だけが曇った模様・・。
と言うことは、私たちがたった今撮影した日食写真が日本で最も欠けた日食写真になったというわけで、全国から宗谷岬に集まった天文マニアには悪いが腹の底から笑が込み上げてきた。

写真は札幌に帰ってから現像し87%欠けた太陽を無事捕えていた。
その写真は「月刊天文ガイド」に投稿し、翌月の日食特集に大きく掲載された。
「天文ガイドに掲載された」という”経歴”はその後の私の天文部員としての高校生活の大きなハクとなった。
が、それよりも友人たちとのエキサイティングな旅行は良い思い出となった。


日食の後は昼は島の観光、船泊の村の喫茶店で食事をして夜は星の写真を撮る、そんな数日間を過ごしフェリーで帰途に着いた。
しかし、礼文→利尻→稚内 と行くはずのフェリーが中継地点の利尻で悪天候のため欠航になってしまった。
利尻の鴛泊港に降ろされはしたが宿を取る予算もなし。仕方なくフェリー乗り場の軒下に寝袋を敷いて一泊した。
夜明け前、カモメの鳴き声で目が覚めた。濃い霧で寝袋が冷たく湿っていた。

まだ人気のないフェリー乗り場のベンチで時間を潰し朝を待った。その日は欠航を免れなんとか9時くらいの便に乗ることができた。間もなく出港するフェリーのデッキから一夜を過ごした鴛泊の波止場を見下ろした。するとフェリーを見送る人たちの中にユースホステルの法被を着た若者が15名程フェリーに向って整列していた。その光景はその後もずっと私の記憶から何故か離れなかった。

若者たちは5人×3人くらいの隊列を組んでいた。膝の摺り出たジーパン、ヒッピーの様なモジャモジャ頭もいた。まだ70年代のバンカラ風が残る体裁だった。
男が10人、女が5人くらいだったろうか、するとリーダーと思しき男の掛け声を合図に彼らがフェリーに向かってがなり声で歌い踊りだした。リーダーがハンドスピーカーを持ち、ギターを弾く人一人。あとは歌と踊り。私たちは事情が飲み込めないまま彼らの歌と踊りに見入った。
その歌はこんなふうに聞こえた。

かっこいいわさっ!
かっこいいわさっ!
お〜〜〜△※@ お〜〜■●×〜〜(判別不能)いわさっ!
とめる女を振り切って すがる女を振り切って
かっこいいわさっ!
かっこいいわさっ!

衝撃的な光景だった。その後も折りに触れ思い出し、インターネットの時代になってからは「かっこいいわさ」とか「利尻 かっこいい」とか「歌 利尻 若者 1981年」などでググってみたがヒットしなかった。
私の中では幻の光景になっていた。

それが、最近お世話になっている某楽器職人が”70年代ユースホステルマニア”という非常〜〜に限定されたヲタク様であることが発覚し、彼に『幻のかっこいいわさ』の件を訊いてみた。
すると、「荒木さん、それは”かっこいいわさ”ではなく、”かっこいい奴”だと思いますよ」というお答え。
早速ググってみると見事ヒット

そのHPによると1977年〜1982年に利尻島のある経営不振のユースホステルを応援するために、全国から集まったユースホステルヘルパー(というのがあるんですね)の若者たちが歌と踊りを考案しユースの法被を着てフェリーを見送っていたらしい。
当時の写真や音源まであった。
「そう! まさにこれ! これだよ!!」 幻は現実であった。
歌詞も掲載されていたが確かに「かっこいい奴が、かっこいい奴が、・・・」となっていた。(歌詞を見ながら聴いても「かっこいいわさ」に聞こえる(笑))

かっこいい奴のリーダー格だった人が昨年作ったHPらしい。
その人は難病にかかり病苦の中で当時利尻で一緒に過ごした仲間達に励まされたらしい。
当座は回復したものの残り少ない命を利尻で民宿を営み皆に憩いを提供することに使いたい、と書いてあった。
昨年メンバーの一部が全国から利尻に集まった写真が掲載されていた。写っているのはいいおじさんおばさん達であり30年という時間の経過を感じた。しかし皆いい笑顔である。
HPには行方知れずのメンバーたちに「乞う連絡」の呼びかけがあった。

私は「かっこいい奴」の仲間たちとは一瞬すれ違っただけの人間だが、今だに忘れられない不思議なインパクトを彼らから与えられた。
HPからははかり知れない彼らのドラマを垣間見た思いがした。

利尻・礼文と言えば日食と共に思い出す「かっこいいわさ」の記憶である。
長年の謎が解けてスッキリした。そして彼らに少し羨ましさを感じた。  
Posted by arakihitoshi at 01:02Comments(6) │ │雑感 

2007年09月15日

脳無いメーカー

脳内メーカー 

こういうのはついついやってしまう。
自分の名前に始って、友人、知人、有名人・・・
「当ってる」とか「当ってない」とか思いながら止めどなく時間を忘れ入力している自分は猿・・?

ちなみに下の画像は私の脳内である。
(だから何だ?という気もするが)
脳内






  
Posted by arakihitoshi at 23:42Comments(5) │ │雑感 

2007年09月11日

ピリオド奏法嫌い

最初に私の立場を明確にすると、この奏法(?)は好きではない。
昨年はアーノンクールやノリントンの来日&TV中継などでピリオド奏法という言葉がブレイクした感がある。が、この類いの演奏スタイルがごく一部の指揮者によってではあるがモダンオーケストラにまで広がってきたのは今に始ったことではない。
楽譜のベーレンライター版(原典に忠実ということになっている)の隆盛といい昨今は古楽復興ブームである。(※が、私は古楽復興ブームを否定するものではなく、今回は古楽復興ブームと件のピリオド奏法は分けて考えたい)

さて、そもそもピリオド奏法とはなにか?
この言葉の定義は意外と曖昧である。
『古典派当時の演奏方法をモダン楽器で再現する』というあたりが基本コンセプトなのだとは思うが、録音も残っていない当時の演奏スタイル自体がはながだ曖昧でつかみ所がないし、奏法や解釈など何をとっても諸説あって特定しがたい。


目に見えるところではピリオド奏法と言えばノンヴィブラートということになるので・・、というかこれしか明確な特徴を探せないので今回はこの話しをする。オケの練習初日に「今回はノンヴィブラートで」と指揮者に指定されるとゲンナリしてしまうオーケストラプレイヤーは私だけではないと思う(というかほとんど皆だと思う)。
言うまでもないが私たち現代の奏者はモダン楽器でモダン奏法を訓練されて育っている。この両者にヴィブラートは不可欠である。音量や音色の抑制、フレージングに至るまで全てヴィブラートがあることを前提に考え出されている。これはベルリン・フィルであろうと札幌交響楽団であろうと現代の奏者であれば同じである。

指揮者の中には「皆さんヴィブラートは反射でかけていらっしゃると思うので、止めるのは難しいでしょうけど・・」と恐縮しながら前置きしてくれる方もいるが、これはとんでもない誤解である。現代の奏者にとって不可欠な表現手段であるヴィブラートを反射でかけている人など少なくともプロにはいないと思う。頭に浮かんだ音のイメージを再現するために最適なヴィブラートはなにか? 常に考えながらコントロールして左手を振動させているのだ。
ヴィブラートを止めるのが難しいのではなく、奏者としての自分の音楽的な感性に反するから止めるのが嫌なのだ。

そもそも、ベートーヴェンやシューベルトの時代は本当にヴィブラートをかけずに演奏していたのだろうか。1940年頃までのオーケストラはヴィブラートをかけていなかったとノリントンは考えているらしいが、本当だろうか?
私の持っている戦前に録音された古いレコートを聴いてもノンヴィブラートで弾いている人など一人もいないのだが・・。
カール・フレッシュ(1873-1944)は有名な「ヴァイオリン奏法の技法」のなかで、”ヴィブラートの指導は生徒本人のヴィブラートをかけたいという自然な欲求が沸き起こるまで待つべきである”、と書いている。(たしか書いていた・・)
また、レオポルト・アウアー(1845-1930)(この人はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の初演を「演奏不能な難曲」と言って断ったことで有名ですね) は1922年の著書「ヴァイリンの奏法」の中で、当時の奏者達がヴィブラートを乱用していることを嘆いている(らしい、ネットで拾いました)。これは逆に言えば当時既にヴィブラートが広く常用されていたことを意味している。

そう、ヴィブラートは1940年頃(あるいはそれ以前)に誰かが発明して急激に世界中に広がった、というようなものではなく、音色に対する欲求の末”自然に沸き起こる”ものだと思う。未開の土地を含めて世界中のおよそ目にするあらゆる楽器(人間の声も含めて)の奏法がヴィブラートを有していることからもそう考えるのが自然ではないだろうか。
それを理性と技術で体系化されたものをコントロールしながら使っているのが現代クラシック音楽である。
その中にあって1940年以前、弦楽器奏者はオーケストラで弾く時だけ頑にヴィブラートをかけなかった、とするのはどうにも合点がいかない。


さて話しは戻るが、われわれ現代の奏者は持っている楽器もベートーヴェンの当時とは違う。
仮に百歩譲って100年前のオーケストラがヴィブラートをかけていなかったとしても、弦もピッチも弓の形もベートーヴェンの頃とは全く違うモダンの楽器で、モダン奏法で訓練された奏者がヴィブラートを完全に止めて演奏することに一体どれだけの意味があるのだろうか。
ヴィブラートを止めた先に素晴らしい音楽があると言うなら止めてもいいのかもしれないが、逆に素晴らしい音楽があるなら止めなくても良いのではないか?(という言い方は少し意地悪か・・?、でもホンネである)

例えば「古楽風の響きに持っていきたいのでヴィブラートは控えめに」くらいなら分かるのだが、最近の流れはピリオド奏法という正体不明の言葉でくくられて極端な方向に行っている気がする。
以前、「バロックボー(バロック時代の弓)を持っている人は持ってきてください」と言った指揮者がいたが、そのうち「チェロの人はエンドピンを出さないでください」という指揮者が現われないことを祈ろう・・。


P.S.なんで「ピリオド奏法」と言うのでしょうか。ピリオドって「.」のピリオドでしょうか。どなたか教えてください。  
Posted by arakihitoshi at 10:52Comments(8) │ │音楽 

2007年09月10日

プラジャークS.Q.

kitara小ホールにプラジャーク弦楽四重奏団を聴きに行った。
プログラムはドヴォルザーク「アメリカ」、ヤナーチェク「クロイツェル・ソナタ」、スメタナ「わが生涯」という文字どおりチェコづくしのもの。
当代最高のカルテットによるお国ものの演奏は本当に素晴らしいの一語に尽きた。

今回は別の聴き方も楽しんだ。
4月にプラハを訪ねた折り、本拠地ドヴォルザークホールで同四重奏団の演奏を聴いてきたのだ。
今日のキタラではドヴォルザークホールと同じバルコニーの右側を取った。
輝かしい歴史のドヴォルザークホールとkitara小ホールの違いをプラジャークSQで体感するという趣向である。
まず第一印象は予想通り『石の響き』のドヴォ←→『木の響き』のキタラという違い。
第二にキタラの方がそれぞれの音はまとまって聞こえたが音源が遠い印象(すぐに耳が慣れるからマイナス要因ではないが)。
このあたりを敢えて二元論的に書くと『派手』ドヴォ←→『こじんまり』キタラという感じか。

こうなってくると好き嫌いや慣れの問題になってくると思うが、ドヴォルザークホールでは「響きすぎ」、キタラでは「地味すぎ」の印象を受けた。
あくまで私個人のたわごとです。気にしないでください(笑)。もちろんどちらも素晴らしいホールです。

それはそうと。
小ホールのピアノ椅子の軋み音は何とかならないのだろうか。
今日もメンバーが最初は椅子を交換したりしていたが、後半は諦めてしまっていた。

それから、客入りがイマイチだった。(6割〜7割くらい)
プラジャークが「アメリカ」やってこの入りだったら、弦楽四重奏では誰が何をやっても駄目。ということである。
今日の演奏の素晴らしさには弦楽四重奏の音楽的なポテンシャルを十二分に再確認させてもらったが、客の入りには弦楽四重奏の興行的なポテンシャルの低さを改めて思い知らされた・・・。(鬱)


P.S. プラジャーク弦楽四重奏団のセッティングは実に個性的である。1st.Vlと2nd.Vlがまるでプルトを組んでいる様に縦に並び、チェロはその分中央に寄り、ヴィオラはチェロに被さる様に中央に入り込む。
実はわがノンノン・マリア弦楽四重奏団は最近この”プラジャーク配置”(勝手に命名)を真似ている。やってみると実に合理的でお互いの弓が当らず目一杯近づいて座ることができる。当然その分アンサンブルも取りやすい。弦楽四重奏をやっている方々には是非お薦めしたい配置だ。  
Posted by arakihitoshi at 23:08Comments(1) │ │音楽 

2007年09月09日

蘇る青春

ついに小型船舶免許を取得した。
こんな感じである↓。
2級免許





20年ぶりの受験勉強は本当に楽しかった。
最近職場ではちょっとした免許取得ブームである。
ヴィオラのG君やコントラバスのM君は大型二輪を取得した。
免許の種類こそ違え、「(受験勉強をして)青春が蘇ったね」と意気投合した。

そこで!、”青春を止めるな”というどこかの総理みたいな一人スローガンの下、1級小型船舶免許ステップアップ計画に取り組むことにした。
それに2級より1級の方がどう考えてもカッコイイ。全国に数百万人いる愛人たちの「キャイーン」の声もより高まるというものだ。
1級は「沿岸から5海里(約9km)」という制限がなくなり「すべての水域」、つまり世界中の海に行ける免許である(※注)
2級の合格発表を待たずに、1級で使う教科書、問題集、練習用海図4枚、三角定規、コンパス、デバイダーを揃えてしまった。並べてみるとさらに本格的な装いである。
こんな感じ。↓
海図





2級から1級にステップアップする場合は実技試験は免除され学科試験だけ受ければよい。ならば必ずしも教習教室に通う必要もあるまい、と独力で勉強することに決定。申請なども自力で行う。これだと申請料、試験料、教材料合わせて1万数千円で済んでしまう。(そうしている人はけっこう多いようだ)
しかしねぇ、実際には小樽港内しか操船したことがない人間に、いきなり外洋まで行ける免許を与える制度はいかがなものか・・・?。まあ、よいと言っているのだからよいのかな。細かいことは晴れて免許を取得して外洋に出てからゆっくり考えることにしよう。


さて、話しは変わるが、以前このブログで”怪物ランド”について語ったことがあった。ここを参照
その後なんと!、ブログを見たファンクラブの中心メンバーの方(以下M・Zさん)からメールが来て、「よろしければ手持ちのビデオをDVDにしてお送りしましょうか?」というお申し出であった。
そしてM・Zさんもネットに怪物ランドの情報が非常に少ないことを嘆いておられた。
はなはだ恐縮しながらもお願いしDVD9枚に収まった「ウソップランド」と「なに、それ?」を入手することができた。

見ず知らずの私にここまで親切にしていただいて感謝に堪えない訳であったが、M・Zさん曰く、「パソ通時代は助け合いが当たり前だった」。うーん、確かに。私もあの頃の治安の良さというか、ネットの住人たちの同胞意識というか、要するに雰囲気の良さを懐かしく思う一人である。

それからは深夜に時間ができると「ウソップランド」を見る生活が始った。
”外苑東通りの狼”や”だってお友達になりたかったんだもん”などの名コーナーを見ては「うおーーー!、これ! これだよ!」と雄叫びを上げ、”♪正直じいさんポチ連れ敵は幾万ありとて桃から生れたもしもしカアカア・・・・”とTVと一緒に歌い、楽しい毎日である。
「ウソップランド」が放送されたバブル幕開け80年代後半の雰囲気も封じ込められており、自分の青春時代と重なって懐かしさひとしおである。こちらも”蘇る青春”であった。

まさかDVDが手に入るとは思わなかったが書いてみるものである。というか、”人情未だ薄れず”である。 


(※)海岸および平水区域から100海里以上は一定の資格を持った機関長を乗船させるなどの制限があります。  
Posted by arakihitoshi at 21:11Comments(7) │ │カヌー・船舶 
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