麻子にジャーマンアイリス

只今放送大学生徒の22歳です。マルチな日記をしたためています。主に写真が多いですが、主婦業(主婦じゃない笑)や、文学小説、詩、音楽などの物事に没頭中です。文学オタク?゚(゚´Д`゚)゚ 神奈川放友会リンク http://kanagawa-hoyukai.jp/ こちらは所属している放送大学のサークルです。

アタシなりの考察

フィンランド人について2

以前にも書いたように、基本的にフィンランド人の方はとても寡黙(シャイ)であり内気な面が見られます。言いたいのに言えないのではなく、言う必要がないので言葉にしないのです。日本人でも取っ付きやすい人とそうでない人とで色々いると思います。さて、フィンランド人は主に何を食すか? 意外とポピュラーな食べ物だったりします。私の友人はピッツァやラザニアを好んで食べるようですね。あちらではアメリカや日本のようにデリバリーするわけではなく、家にあるオーブン、窯などで焼いて食べます(そのへんはお調べを…)日本の一昔前と考えたほうがいいでしょうか。今や日本では一家団欒などどいう言葉が失われつつあるようですが、フィンランドではそれが当たり前のように家族みんなでゴハン、らしいです。なんと羨ましいことか。

私の友人のフィン人は相当なアニメオタクなので、少し前にファンレターを書きたいんだけど、君の友人で英語が話せる人いる?(多分相談したいんでしょう)ときました。しかし私は友人は少ないし、話せる人もいないので、率直にいないと言いました。私もペラペラ話せる段階にいっていないので、困ったモンスよね。ファンレターを書きたいのならば、自分のPCから公式HPにいき、英語で自分の思いのたけをぶちまければいいと思ったんすが……
相談するまでもないと思いますが…それが許せないのがフィン君かな?

Moi moi!((´ー`)/~~)

寄生獣

読んだ事のない人はいないであろう岩明均の「寄生獣」。私が初めて手にしたのはある中古本屋であった。父が読んでいたので、どんなものなのだろうかと興味本位で購入してみたのだ。しかしグロい系統が苦手だった私は、途中で手を止めてしまった。暫くして、再び手にしたのはその二週間後であった。やはり興味があったということなのだ。読後、高校生だった私にすさまじい影響を与えたのは言うまでもない。そして現在22の人間が、朝食を採っているときに7巻辺りを読んだ。やはり面白い。伏線の張り方、ストーリー構成、間の開け方、独特な絵。最近になりようやく題名の意味が判った私を、どうか責めないでおくれ。9巻で広川市長が『我々から見れば人間こそが地球を蝕む寄生虫!……いや、寄生獣か」と口にする。地球に生きる、現在の生き物の中で『人間』がピラミッドの頂点なのだ。あらゆる生き物を食い、無駄な思考をし(だからこそ喜びや幸せなどの感情があるのだろうが)、他の生き物を殺すのも容易なことだ。人間同士殺し合うこともある。最終話で浦上という殺人鬼が出てくるが、「答えろ! 俺こそが正常な人間だと。ただ本能に従っているだけだ」と言う。その前に出てくる役所で死んだ男(軍人)ですら、「大丈夫。俺にも区別できるようになった」などと口にする。これは殺した事で判る、一種の慣れではないだろうか?寄生生物と人間を区別できるのは、ただの人間にもできるということだ。しかし田村玲子(パラサイト)は、主人公である人間の新一の心を救う。なぜこんなことをしたのだろうか?これはパラサイトである田村が子供を宿したことで、母性本能を芽生えさせたと考えられると思う。また、前々から「我々は何故生まれてきた?」と、疑問を呈している事でも、人間と寄生生物を『対象』するのではなく、『相対』して見ている。人間という生き物に興味を持ち、そして「この前人間のマネをして…鏡の前で大声で笑ってみた……なかなか気分がよかったぞ」と言葉にし、息絶える。これは人間という生き物がただ単に羨ましかった、憧れていた、のではない。最期もパラサイトとして死んだが、我々は知らない、人間のことは知らない、耐えず溢れ出る疑問の答えが欲しかったのではないだろうか。不思議な生き物(人間)として。そして人間の心というものを知りたかった。田村玲子はパラサイトとして非常に異例な例だ。ミギーもか。好奇心旺盛で冷静なミギーですら、最後(今ごろ何してんだろうなあ)は新一を守るべく、前々から言っていた『献身』、つまり自分にとって損でも誰かの為に犠牲を払った。しかしパラサイトとしての生き方は変わらない。彼らは「この種を食い殺せ』という命令が来ており、次々と共食いまがいなことをしでかすが、人間にも問う。「人間には命令がきていないのか?」と。新一はなんだそれ、神様かなんかか? とあわてふためいてしまう。もし人間に命令が来ていて、地球上の頂点であるなら。「理性を保ち地球を維持しろ」などという陳腐な考え方しかできない自分がめっぽう恥ずかしい。しかし本能で繁栄し、殺し合うとなればこの考えももちろんNOだ。本能だけだとしたら、「殺し合い子孫を残せ」という突拍子もない答えがやはり出てくるだけだ。どちらも当てはまっていないような気がしてならない。しかし人間を最終的に終わらせるのは、人間自身か、自然ではないのだろうか?現在人間がしていることは、生き物の為ではない。人間が発端となり、環境が怒り出し、破滅になってゆくのではないのだろうか? 実際に何十億先、いや、そう遠くないうちにまず男性が滅びるという事実がある。ビックバンも象徴ではないだろうか。私には、人間が強いという意識は殆どもってない。そもそも「本能」と「理性」の狭間で生きる生き物がいること自体、今となってはおかしなことではないだろうか。本能は理性に勝てるのか? 理性は本能に勝てるのか? 負けていく人々もいる。変な話、それで地球は成り立っている。ミギーの言うように、地球は感情がない。だから格別地球のために~なんて口にすること事態、おかしな話だ。人間はさみしい。そして愚かだ。だから守る。しかし心には相当な暇がある。こうやってブログを書くことが暇なのだが。生きるのに精一杯な生物たちと、生きるのに余裕を持った人間たちと、どちらがより生きやすいだろう。私は人間なので、生きるのに精一杯な生き物の気持ちはまったく判らない。多分私が飼育しているモルモットは、「オレ飯。オレ寝る。オレ水のむ」と精一杯なのだろうと思う。人間ならば、「オレ飯くいてーけど、今ゲームしてえ。あ、やっぱ腹減った」と、余裕があると思う。
だいぶ話が脱線しました、すいません。寄生獣については語りたいことだらけでなかなかまとまらない。しかしこれだけは言える。寄生獣は素晴らしい作品だ。正気と狂気は紙一重だということも、自分が捻くれモンだということも判り、最終的には他の生物と人間が寄り添い生きる術を教えてくれる良い本だった。作者の頭の片隅には、以前からこのような題材があったらしいので、ヒストリエも読んでみようと思う。皆さんもどうぞ。

True blue (マドンナの曲!)

True blue

ねえ

なにか

聴いて

他の男の子たちが待ってるの
目の奥が見えて
でも前にこんな恋愛したことない
''私のドアすり抜けて歩いて待ってて''
そんな唇があって
船がたくさん売られてて
どこか行くの漠然としないでね
あなた私に子どもさずけたから だからよ

愛を信じて
あなたは私の夢の一つなの
あなたの心がグローブのように私にフィットしたわ
そして私はあなたを愛しブルーを信じ得るの

多くのセリフを聴いたわ
沢山の時間泣いちゃった
また涙の飴を落とさないでね
私は親友がいるからすごく楽しめたの
だからあなたを疑うとしても
不思議な愛がすべてあるの
思い出してよ懐かしくて考えちゃう
あなたの耳で言葉をささやいて

悲しいことはもう止めて バイバイしてキスするわ
太陽が空を飛び出して破裂しちゃう
あなたのようにいくつか世界の誰かを探した
判らないわよね 判らないこんなこと

愛を信じてベイビー 信じてね Oh ベイビー
愛を信じてベイビー それを信じて

信じて、だからあなたを疑うとしても
不思議な愛がすべてあるの
思い出してよ懐かしくて考えちゃう
あなたの耳で言葉をささやいて

愛を信じてベイビー 信じてね Oh ベイビー
愛を信じてベイビー それを信じて


That's tring......ギョッ(´;ω;`)

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