September 30, 2016

正しさそのものに力があるのだろうか?

長谷川某の文章は当初のそのものを記録しておくのが必要です。
「正しい」「勢力」により一旦抑制されているのですが、それは勢力という力によるものであり、正しさにより抑制されているかどうかは、わかりません。
つまり、正しさそのものが力を持ち、抑制力を持つのだろうか、というと、はなはだ心もとなく、悪が力を持つ可能性も大きいからです。







http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48479701.html

自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!
私は「健康保険制度」と「年金」をすべて解体すべきだと考えています。
それを実行できる政治家がいるのかどうか…結論から言うときっと現れないことでしょう。でも、私は考えています。それが日本を再生させる極めて有効な手段だと。

今の日本には「不安」が広がっている、と多く報じられています。本当にそうでしょうか?「不安」なのでしょうか?
私はそれを厳しく否定します。違う。「不安」ではないのです。
日本人は確かにリテラシーのない国民ですが、それでも「バカ」じゃあない。ある程度の「真実」を見抜く力を持っている部分は多い気がします。
そして日本人は「気づいている」のだと思うのです。「不安」なのではなく「ちゃんと分かってしまった」のではないかと思うのです。ネットの普及によって。

もう、年金のシステムなんて、とっくの昔に完全に崩壊していることを。
もう、健康保険のシステムが、完全に時代に合わなくなってきていることを。



先日、ある「人工透析」を担当しているお医者さんと話をする機会がありました。皆さんは「人工透析」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

週に2回も3回も病院通い?
可哀想に!
美味しいものも食べられないの?
カワイソウに!

病院で患者さんと対峙している多くのお医者さんは、少し違う印象を持っているそうです。

「はっきり言って大半の患者は自業自得」
「患者さん?お金にしか見えないですね」
「まー、人工透析を見てると、日本の未来はないってよくわかるwwww」

どうして一般の方々との認識がそこまで違うのでしょう?病気で苦しんでいる人たちではないのでしょうか?

私たちの体には「腎臓(じんぞう)」という内臓があります。一人の人間に二つずつあります。この腎臓の役割は血液の「ろ過」です。体を流れる血をキレイにしてるんですね。
が、その機能が低下してしまう状態だと、血液がキレイになりません。
そこで、人工的な装置を使って、週に3回ほど病院に行き、血液をキレイな状態に変えてもらう訳です。でなければ死んでしまいます。

が、その腎機能の低下を招く原因とは一体何なのでしょう?あるお医者さんの話をよく聞くと、

「遺伝的な疾患も確かにあります。しかし、私の見立てでは…8〜9割ほどの患者さんの場合「自業自得」の食生活と生活習慣が原因と言わざるを得ません」

どういうことでしょう?



そもそも、人類は現在の食生活では、栄養過多状態が行き過ぎていると指摘されています。あまりにも恵まれ過ぎているのですね。
それなのに、運動はしない。営業だ、お付き合いだ、と言い訳をしては、飲みに行って暴飲暴食。のんびり家にいながらお昼のワイドショーを見ながらお菓子を暴飲暴食。

で、ちょっとだけ専門的な言葉を使いますが、日本のHbA1Cの測定値(JDS)での正常値は4.3〜5.8%と言われています。ええと…「HbA1C」ってのは…あれですよ、ほら。新橋のサラリーマンたちが
「俺、7超えちゃったよ〜ヤバいよ、やばいよ〜」
とか言ってる数値ありますよね?要は食べ過ぎたり、運動不足だったりするとダメになる数字って思っておいてください。

「人によって原因は様々です」とか、それはそうなんだけれど…基本的には今の日本の透析患者の一般的な…というより大多数の流れってこんな感じなんです⇩

・バカみたいに暴飲暴食を繰り返す
・腹は出る、腰は痛める。周囲に注意されているのに、無視。
・それでも食べ続け、運動もしない。
・周囲は必死に注意。でも無視。
・で、糖尿病になる。
・にも関わらず、運動もしない、食事も先生から言われたことをろくに守らず好き放題。

で、ついに「人工透析患者」さんに。

きつい言い方していますが、本当にこれらがかなりの割合に上るのだそうです。決して派手に話を盛っている訳ではないのです。
で、その患者さんにどういう対応が行われているのかって話です。

人工透析患者は「身体障がい者1級」に該当するようになっています。
え?身体障がい者?
そうです。人工透析患者は「1級の身体障がい者」に認定されます。で、そうなるとどうなるか

・映画館の利用が常に半額(者1人同伴も半額)
・公共交通機関の利用料の半額(者1人同伴も半額)
・タクシーの初乗運賃の無料チケットが貰える(1枚1枚にに利用期間の設定有り)
・高速道路の利用料金の半額

など、様々なサービスが受けられます。もちろん、ディズニーでもほとんど並ぶ必要がありません。だって障がい者ですから。横入りし放題です。

で、「1級」なので「障がい者年金」がもらえます。毎月かなりの額ですが、それらは地方自治体によって差があります。さらに、彼らは「医療費」をすべて無料で受けられます。だって「1級障がい者」ですから。



これらのシステムは医療従事者にとっても「金の成る木」です。
人工透析は一度始めたら、絶対にやめられません。毎週、必ず3回は透析に来てくれるのです。こんなお金を散々落としていってくれる患者はいません。

ちなみに、透析患者には一人年間500万円かかります。
日本人の平均年収以上ですね。
必死に払ってる保険料、そうやって食いつぶされ続けているのです。

なので、透析を中心にやっている病院は大変なもうけを毎月出しています。しかも、相当に楽な運営状況だと思っておいてください。だって他の医療好意も「大丈夫、あなたは全額タダですから」といえば、患者さんも安心して『薬はもらい放題、医療し放題』の世界が広がっているのです。





何なんだよ、これ。





皆さん、冷静に考えてほしいのです。もう一度言います





何なんだよ、これ。





先日あるタレントさんとロケをしました。そのタレントさんは太り過ぎにより、HbA1Cの数値が7を超えてしまっていたのです。で、そのタレントさんの肉体改造をしよう、というロケです。

そこで、正確な指導による運動、正確な食事による栄養バランスの充実。いくつかのプログラムを作り、
・毎日3食、バランスの取れた食事をとり
・毎日、わずか15分だけの運動
を取り入れたところ…

彼のHbA1Cの数値は、わずか2か月で5まで回復したのです!!!たった2か月でよ?

日本人、運動不足なのです!
日本人、栄養バランス、悪すぎなのです!!

なのに、周囲が注意しても聞かず、病院に行っても先生の言うことを聞かず、何年もかかって体を蝕み、何年も周囲に迷惑をかけ続けているバカたちが…

健康を意識し、
毎日、ランニングをし、
お金を出して栄養バランスの良い食事をとっている人たちから保険料を巻き上げ、その金を使って、

ディズニーの横入りをし、
全額タダで医療を受け続け、
毎月『障がい者年金』を支給され
タクシーにタダ乗りしているのです。





保育園に入れなくても日本は死ななくていいと思いますが、もう一度声を大にして言いたい。

何なんだよ、これ。

年金システムと保険のシステムを考えたバカ、全員死んじまえ!



今の日本は夏の間に遊びまくって、働いているアリさんをバカにし続けて、演奏するどころか寝そべってグウタラしていたバカキリギリスたちが、必死に働き、真面目に生き、食料を冬に向けて備蓄していたアリさんの食糧庫から、

だって俺たち、餓死しちゃうし〜
日本は「最低レベルの文化的な生活」が出来るはずだし〜

と我が物顔で、食料を取りまくっていっているのです。そして、アリさんたちはあまりに食料を取られ過ぎているために、子供すら作れなくなっているのです。

なんなんだよ、これ。

キリギリスは餓死しなければいけないのです。でなければ、アリさんはやる気を失うのです。やる気を失ったアリさんがキリギリスに変身してしまうのです。それは当然の流れなのです。だって、人間の脳は「出来るだけ怠ける方向に」動くように出来ているからです。

喜んでいるのは「キリギリスさんがかわいそうでしょ〜」とのたまってる「自称:人権派」を名乗るバカだけという現状。「優しいこと言ってる自分が大好きな」人間達ですね。あのバカたち、オナニーしてるだけです。救おうなんて思っていません。「救ってる自分」が気持ちいいからやってる連中です。

日本の利権まみれの保険システムと年金システムなんぞ、1秒でも早く解体しろ!日本の病魔の一つが「保険」であることは確かなのです!







※注:本コラムは記事内にもありますように「先天的な遺伝的理由」で人工透析をしている患者さんを罵倒するものでは全くありません。誤解無きようにお願い申し上げます。

















http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48315736.html

2016年08月27日
高畑淳子さんにあの場で「息子の性癖について」。僕であったら聞くと思います。その理由です。
女優の高畑淳子さんの会見。

なんであの時間に?
そもそも、記者会見を何で母親が?
それ以上に気になるのが…ちゃんと被害者の方に『会見していいですか?』って聞いたのかなぁ…

など、いろいろ言いたいこともありますが、それ以上に今ネット上で話題となり問題となっていることがあります。
それが『グッディ』や『ミヤネ屋』さんのリポーターが質問した「息子の性癖について」の話です。こちらでも取り上げられています。

■高畑淳子謝罪会見、裕太容疑者の“性癖”を詰問したフジテレビ『グッディ!』大村正樹アナに非難轟々(日刊サイゾー)

これは世間で言われている非難の声は当然理解できます。
そして、その非難が起こることもすべて踏まえた上で…もし私があの場にいたら…私も同じ質問を確実にしています。

繰り返しますが、こうやって非難されることを分かった上で、です。みなさま、少しだけリポーターという職業を…実際に14年間していた私の経験談にお付き合いください。



「お前が相手の答えを勝手に決めつけるな!」

私は朝の情報番組で10年半。その後、NYからの中継を2年間。新人時代に8か月間ニュースでリポーター生活を送っていました。
リポーターという仕事は過酷ですが楽しい。ニュースの現場に立ち会える喜びは他の何事にも代えられないほどのやりがいと刺激を感じられるものでした。
もちろん、時にはつらい現場にも立ち会うことになります。

息子さんを無くしたばかりの父親にマイクを向けたときは胸が張り裂けそうになりました。自分がこの相手の立ち場だったら辛いだろうなぁ…。でも、その場で私が遠慮したり、変に同情したら、その場で実際に起きた「悲劇」はニュースとして全く伝わりません。
被害者のご遺族たちは「少しでも自分と同じように悲しい思いをする方々を減らしたい」と願っている方がほとんどでしたから、私たちの仕事は「伝えること」だと割り切るしかありませんでした。その過程で…辛い、もう一度ご遺族を傷つけてしまう質問も浴びせなければいけませんでしたが、それを同情するのは視聴者の方に任せるしかありません。私たちは「伝達者」なのだ、と腹をくくっていたものです。

そんな中、厳しく上司から叱責を受けたことがありました。

私があるレイプ事件の取材に行っていた時です。

私たち取材班は他局に先駆けて、加害者男性の親族にたどり着きました。その段階で独占のインタビューです。私はいくつもの質問をしました。すると横から先輩ディレクターが執拗に
「容疑者の男性の性癖に気付くことはなかったか?」
と聞くのです。

私は疑問を感じました。
一緒に住んでいる肉親であればまだ分かりますが、親族です。いくらなんでもいい歳の若者が自分の性癖を親族に見せるでしょうか?

しかし、次の瞬間、その親族は信じられないコメントをしたのです。

「実はあいつは…我々親族の中でも心配になることがあったんだ。昔からアニメの女の子のポスターを破ったり、顔の部分を執拗に引き裂いたりして…それで嬉しそうな顔をしてた。我々も、少し『あいつ、ああやって喜んでるんとちがうか?』と話題にしたこともあったんです」

これは重要なスクープとなりました。
性的サディズムは生まれつきの性癖です。どこかしらにそのサインが出るときは…実は少なくありません。なんと、そのレイプ犯はアニメのポスターに自分の歪んだ性を吐き出し続け、ついに一線を越えて少女に対して犯行に及んでいたのでした。

取材が終わって、私はその先輩ディレクターにかなりきつい口調で叱責されました。

「なんであそこで性癖についての質問が出来なかったか?」

私はいくらなんでも親族に自分の性癖は教えていないはずだ、と考えた、と答えました。するとその先輩ディレクターは私を怒鳴りつけてきました。

「それはただのオマエの想像だろう!相手の質問に対する答えを、オマエが勝手に決めつけるな!」

言葉を失いました。確かに、と。
そこに「異常」な事件は確かに起きているのです。私の想像の範囲では起こりえないことがすでに起きているのです。

否定され「何も分からない」と答えられることが当然であっても、1万分の1の可能性で何らかの答えが得られる可能性はあるのであれば、それは私たちが聞かなければいけない質問だったのです。


俺たちにしかマイクは向けられない!

そのディレクターとは夜、取材を終えて飲みに行きました。その時に語ってくれた言葉は私にとってとても大切なものとなりました。まだ私が入社2・3年目のころの話です。

「長谷川な、お前の気持ちはよく分かる。でもな、あの現場に、あの取材対象に…日本全国の視聴者が全員話を聞きに行けるのか?行けるわけないだろ。
俺らはその権利を与えられている。事件現場に行けるのなんてごくわずかな人間なんだ。そのごくわずかな人間のお前が質問をしなきゃあ、視聴者は永遠に、その解答を得られないんだよ。チャンスを失うんだよ。お前はそういう立場にあるんだから、嫌われてでも聞くところは聞かなきゃいけない」

キー局でも、私が所属していた番組は視聴率がダントツの1番の番組でした。私が出ていた8時台の視聴率は高ければ15%くらい行くこともざらにあった時代です。テレビの前には、概算で1800万人もの方々が視聴している可能性も否定できません。
もし私がひるんで質問をしなければ、それだけの数の人たちの「知る権利」が失われます。私が嫌われる、とか怒られる、は忘れろ!と叱られました。そして、その内容は私も納得できることでした。



冒頭で少し触れた通りで、私個人の印象としては、今回の件で高畑淳子さんがあの時間帯に記者会見を開く必要まであったのかは…少々疑問である部分はありますが、それでも、あの場において「質問をするチャンス」はリポーターをはじめあの場にいる人間しかできないことです。で、あればどれだけ非難をされたとしても「必要な質問」はするべきだと考えます。

今回の高畑容疑者の許されないレイプ事件は、彼の供述によれば
「性欲が抑えられなかった」
ということ。警察がこういう時にウソを発表するとは考えられません。と、言うことは高畑容疑者は警察に今回の事件を起こした理由として
「自らの性欲」
が原因だと話していると想定できます。

性欲は普通の人は抑えるものです。

それを押さえられなかった。しかも、芸能界の多くの場で、高畑容疑者の「異常な性欲の高さ」を目にした目撃談などが報じられ始めていました。

つまり、今回の許されざるレイプ事件の根底の一つに「高畑容疑者の異常ともいえる性欲(性癖)」が挙げられることは…残念ながら明らかです。

で、あればタイトルにある通りで、もし私があの場にいた場合…私もあの質問はしていると思います。結果、高畑淳子さんは「何も知らなかった」だけで、その解答を勝手に私が決めるわけにはいきません。1万分の1の確率で何かを知っている可能性があるためです。


リポーターとは、世間から叱責されることを受け入れている仕事

では、今回の多数のお叱りを、今回あの場で質問したリポーターたちはどのように聞いているのでしょうか。
これは私の想像でしかありませんが…黙って受け入れていると思います。

あの時に質問したフジテレビグッディのリポーターも読売テレビのミヤネ屋のリポーターも、私よりも多数の現場を踏んできている大ベテランの人物です。人間として決して礼を失した人物ではありません。現場のスタッフも、彼らのことは全幅の信頼を寄せている二人です。

恐らく、あの二人であれば、心の中で高畑淳子さんには頭を下げながら質問したのだと思います。でも、繰り返しますが、今回の事件は「高畑容疑者の性欲」が大きな原因となっている以上…あの場で聞かない訳にはいかない質問です。生中継されている以上…こうやってバッシングを受けることも理解したうえでの質問でしょう。私が現場にいても同じことをしていたと思います。




ただ、もちろん世間の皆様がこうやって嫌な気分になり、バッシングをするお気持ちも重々分かります。当然だと思います。私も最初の頃、よく慣れずにディレクターと衝突していました。「かわいそうだ!」と。
皆さんはそのままでいいと思います。当然のお気持ちだと思います。実際に極めて悪質な質問を執拗に投げかける取材陣も少なくないからです。

ただ、今回に関しては、私もよく知る、尊敬できるリポーターの方だったので、悪意を持ってした質問などではないことは私が保証します。そこは私を信じてください。

難しいですよね。取材は。その時々によってすべて変わりますし。
誠意を持って現場に当たるしかない、と私は思っていますが…未だに正解など見つけられない日々は続いています。




  
Posted by aratori at 23:08Comments(0)社会 

September 19, 2016

「焼酎のオシッコ割り」

@aratori
飲尿療法の初方法として、以前から在宅時は全飲みしているわけですが、晩酌すればするほど、尿量も、従って飲尿量も増大してしまう。
そこで、「焼酎のオシッコ割り」を初めて体験なう。
「なかなかイケル」(笑)  
Posted by aratori at 01:05Comments(0)健康法、飲尿療法、排便デトックス 

September 17, 2016

秋のダイエット、チャレンジ〜〜

秋の兆し、あすからついに最高気温が30度を下まわる。
きょうは勝負をかけよう。
酷暑時は3000kcalを超えていた食事を次第に2000に近づけていたが、きょうは1500まで半減させよう。10月には一時的に1000の餓死気分が目標だ。
秋のダイエット、チャレンジ〜〜(笑)  
Posted by aratori at 08:19Comments(0)健康法、飲尿療法、排便デトックス 

September 14, 2016

ライブとハンドセラピーのお知らせ 2016.09.17(土) Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場

ライブとハンドセラピーのお知らせ 2016.09.17(土) Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場

場所:ゼスト御池(地下鉄市役所前駅直結の地下街)西端の御幸町広場

Jun & Aratoriの演奏は

17:30-18:00頃

です。

毎月第1,3土曜日「音楽ひろば」の最後です。

http://musickyoto.com/2016/07/17/%EF%BC%99%EF%BC%8F%EF%BC%91%EF%BC%97/

<御池合唱団>
13:30-15:30
どなたでも通りすがりでその場で参加できる合唱団です!

<アフターライブ>
15:30-18:00
30分単位で4-5バンド出演します。



●アラトーリのハンドセラピーは、
13:30頃から17:30頃までやっています。
  
Posted by aratori at 13:36Comments(0)JUN+Aratoriデュオ | アロマテラピー、触覚、手

September 09, 2016

2016.09.09 月齢7上弦の半月、地獄のイメージ

きょうは秋分の2週間前で、月齢は7で最も苦の上弦の半月、台風崩れの低気圧は本州をすぎ一気に秋の陰気の気配。
地獄に落ちて、あがいても、あがいても、はい上がれないイメージで、きょうも一日がんばりましょう。  
Posted by aratori at 08:09Comments(0)陰の方法 | 

August 31, 2016

ライブとハンドセラピーのお知らせ 2016.09.03(土) Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場

ライブとハンドセラピーのお知らせ 2016.09.03(土) Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場

場所:ゼスト御池(地下鉄市役所前駅直結の地下街)西端の御幸町広場

Jun & Aratoriの演奏は

17:30-18:00頃

です。

毎月第1,3土曜日「音楽ひろば」の最後です。

http://musickyoto.com/2016/07/17/%EF%BC%99%EF%BC%8F%EF%BC%93/

<御池合唱団>
13:30-15:30
どなたでも通りすがりでその場で参加できる合唱団です!

<アフターライブ>
15:30-18:00
30分単位で4-5バンド出演します。

●また、アラトーリのハンドセラピーは、
13:30頃から17:30頃までやっています。


  
Posted by aratori at 09:25Comments(0)JUN+Aratoriデュオ | アロマテラピー、触覚、手

August 26, 2016

『親指脱力法により優しくお撫でいたします---優しいタッチングとは』

この50枚のエッセイは、ぼくが、後数カ月で60歳になるにあたって、「残りの人生を、どのように生きるか」という、自分にとってのHow To Liveを書いたものです。

「親指脱力法によって優しく撫でる」「優しいタッチング」によるリラクセーションを、ジャズピアノ、介護、アロマセラピー、そして排便(前立腺)について関連付けて述べます。



『親指脱力法により優しくお撫でいたします---優しいタッチングとは』

ジャズピアニスト兼ホームヘルパー兼アロマセラピスト(兼男性)である筆者が、
優しいタッチング(タッチング:触れること)を考察するエッセイ

by アラトーリ(歳森彰;Akira TOSHIMORI)
ネット公開2016.08.26
http://blog.livedoor.jp/aratori/archives/2016-08-26.html



目次

---初めに

---ビデオ(親指震わせ。手指と足指の連動。胸とお腹へのセルフタッチング)

---『親指脱力法により優しくお撫でいたします』の動機

---カルテ演習(男性セラピストの苦労)

---ハンド中心リラクセーション法とは

---ハンド中心リラクセーション法の中心概念

---介護「優しく背中を撫でて排便を促す」

---手の触覚の気持ちよさと苦しみ(前のエッセイより引用・改変)

---セルフリラクセーションとは苦への対応

---タッチング技術「タッチングを対象との距離による類別する」

---男女問題とタッチング

---タッチングの倫理---正しいタッチングを考える

---親指の方法。ホモ・ハビリスの親指。宮本武蔵の剣の握り方(前のエッセイより引用・改変)

---セルフ直腸(前立腺)タッチング排便法

以上目次





---初めに

このエッセイは、筆者(歳森 彰:としもり あきら)が、AEAJアロマセラピストを取得するにあたって、2016年2月にカルテ演習と実技試験が修了してから、半年経った段階でまとめたものです。

まだアロマセラピストとして、さほど経験がないのに独自概念と方法についてエッセイを書くのは時期尚早という考えもあるかもしれませんが、逆に、最初の段階だからこそ、今のうちにまとめないといけない、という義務感を感じています。

というのは、私は、日本でよくある「まず教え込む。ひたすら覚える。独自の思考は後回し」という教育方法に非常に反発を覚えるものです。知識の吸収と同時に、最初から独自思考して試行錯誤しなければ、いつまで経っても創造できない、と思います。そう考えて、自分を奮い立たせて、このエッセイを書きました。

また今、私は、さまざまな「優しく撫でる」技術についての試行錯誤が進んでいて、数年後にエッセイを書くなら、それら技術を中心として書くことになり、今の段階の概念志向が薄れるかもしれないからです。

セラピストの実技試験とカルテ演習は独学受験しました。それは、男性受講クラスがないこと、あっても男性クラスメイトがいないこと、長年ジャズピアノの奏法として訓練してきた「親指脱力法」をアロマセラピートリートメントの方法として応用すれば、独自手技を開発できるかもしれないという希望を抱いたからです。

「親指脱力法」は私の専売特許では全くありません。さまざまな楽器を演奏する時に、多くのミュージシャンが意識的、無意識的に行っている方法です。

2015年4月より初めてAEAJアロマセラピーを勉強し始めたのですが、検定1級から、インストラクター、セラピストと進み、実技は8カ月の間に100回強のトリートメント自主練習し、ひたすら教則ビデオのコピーをしました。

実技試験とカルテ演習が2016年2月に修了してからは、自由な立場になり、ひたすら独自方法である「ハンド中心リラクセーション法」にまい進しました。その方法については、後で詳しく述べます。

「ジャズピアニスト兼ホームヘルパー兼アロマセラピスト(兼男性)」という自己紹介を詳しくいたしますと、

京都大学理学部(数学科)2回生(19歳)の時にプロジャズピアニストになったものの、「科学の真理を発見するためにはジャズを研究すべきだ」と思い込むようなナイーブさゆえ、プロとしての自分の演奏がイヤでイヤでたまらなくなり、20代後半で10年間のプロ活動は休止、その後20年ほどひたすら訓練を重ね、48歳で活動再開したものの、59歳の現在まで食えないジャズピアニスト、

兼、

56歳で初めて人にタッチングする仕事(身体介助など)を始めたところ、初めて天職に出会い、以来3年半経験した高齢者ホームヘルパー(1年半前からは視覚障がい者のガイドヘルパーも始めました)、

兼、

1年半前にアロマセラピーを初めて知り、AEAJの検定1級、インストラクター、セラピストを勉強し、カルテ演習と実技は独学受験で、2016年2月に修了、2016年5月に正式資格取得したばかりの男性アロマセラピストです。

私は後数カ月で60歳ですが、50歳になってからは「老化を成熟の方法とする」ことについて常に考え、「60歳以降どのようにジャズピアノを弾くのか」「何の感覚を重視するのか」を考えたところ、「聴覚と視覚は衰えるので、それは触覚に違いない」「触覚でジャズピアノを弾こう」「独りでに手が動く境地」を目指そう、ならば、「人を優しく撫でよう」と思い至りました。

『親指脱力法により優しくお撫でいたします』

という指標(キャッチ)は、私が従事する3つの分野を関連付けるもので、人生最後の20年を、この指標により生きようという決意を、このエッセイで表明したいものです。その指標の具体的表れは次のものです。

・ジャズピアノを弾く時、基本的には、鍵盤を優しく撫でたい。

・ホームヘルパーをする時、親指を脱力して、苦楽を受容したい。

・アロマセラピストとして、クライアントに対して、何かをどうしようと意図せずに、ひたすら、親指を脱力して、優しくお撫でしたい。

・日常生活で、ちょっとした自分の意図や、ちょっとした自分の怒りを、親指脱力法で和らげて、思い通りに「ならない」ことを受容し、行動をまごつかせたい。

・強い力に対しては、親指脱力法で、びびって、後ずさりしたい。

・車やバイクや自転車を運転する時や、徒歩で通行する時も、親指を脱力して、できる限り、譲る態度を取り、安全運転したい。

というような決意です。些細な願望ですが、私はそれには進化論的とも言える理論づけが必要だと思います。進化論的というのは、200万年前に現人類の祖先ホモ・ハビリスが誕生して親指が他の指と対抗運動ができるようになった時から、われわれ人間は親指による操作能力により自我を作ってきた、その自我を柔らかくする(リラックスする)ことだからです。

また私は「排泄こそが人間の幸せ」と思っています。緊張と弛緩(リラックス)に関係する排泄(緊張できなければ漏れ、リラックスできなければ詰まり)は、このエッセイの一つの軸をなしています。

具体的に、このエッセイの最後に、

「セルフ直腸(前立腺)タッチング排便法」

について述べたいと思います。これも「優しいタッチング」の応用であり、女性にとって乳腺が因果な器官であると同様に、男性にとって因果な器官である前立腺のリラクセーションにもなります。後述します。

このエッセイは、アロマセラピーに関わる方々だけではなく、タッチングが重要な要素であるさまざまな仕事や活動に従事されている方に読んでいただきたいと思います。

また男性視点の苦労と工夫、思考が含まれていますので、特に男性に、お役に立つかもしれません。




---ビデオ(親指脱力法。手指と足指の連動。胸とお腹へのタッチング)

動作に関する方法を考察する時は、言葉よりも、まずビデオだと思います。「百聞は一見に如かず」です。ご覧ください。

ビデオには、さまざまなことが表れます。直観で理解できること、スキルはもちろんのこと、ポリシーも生き方も哲学も表れるかもしれません。

以下の5つのビデオをこのエッセイのモチーフといたします。

(1)手の親指震わせ
(2)ハンドトリートメント、女性クライアント
(3)ハンドトリートメント、男性クライアント
(4)ジャズピアノ奏法、左手指と左足指の連動
(5)ジャズピアノ奏法、胸とお腹にセルフタッチング

YouTubeで「親指脱力法で優しく撫でる」で検索できます。




(1)手の親指震わせ

『親指脱力法で優しく撫でる(1) 2016.08.10 aratori trembling thumb』1:07
https://youtu.be/HrrUZ6Y1PDU
(埋め込みコード)


親指脱力法の現れ、または訓練の一つは、この親指震わせです。

このビデオでは、親指を「5秒間平静、5秒間震わせ」を数回繰り返しています。

平静と震わせを交互に行うには、かなりの精神をコントロールする力がいります。

平静の時のコツは、例えば、

「波一つない広い湖面が月に照らされているイメージ」

です。震わせの時のコツは、下に書いています。

この震えは、随意的に細かく動かしているのではありません。多少の随意運動はありますが、自然に震えるようにしているところに、ご注目ください。

私は、40年前に、親指を脱力してジャズピアノを弾くとスウィングするような気がすることに気づきました。それは、実際にスウィングするのではなくて、スウィングするような気がするのですが、それを長年、試行錯誤してきました。

私はアロマセラピストの資格取得した今春から、ある地下街の広場で、そこでは月2回、音楽広場と名付けられ、通りすがり合唱団や、いろんなバンドや私もライブをしているのですが、その広場でハンドセラピーを始めました。お客さんがいない時は、ミュージシャン仲間に「サクラでさせて」と呼びかけて、ハンドセラピーをしています。

文字通りの触れ合いにより、ミュージシャン仲間と、音楽がだんだん通じ合っていっている、と感じます。

そこで、私は、この親指震わせを勧めるのですが、時に最初からできる人がいます。ミュージシャンとしては、とても優しい音を出す人が、この親指震わせができます。

そのコツは、

「非力(ひりょく)のエネルギーを親指に送る」

ことです。非力とは、その心理状態としては、

「ああ、できない」
「ああ、だめだ」
「ああ、崩れ落ちそう」

というような心理であり、

「よーし、打ち勝つ」
「負けてたまるか」
「おりゃー、ゲットしよう」
「手放すものか」

とは逆の心理です。後者の心理の時、親指には当然、力が入ることはおわかりだと思います。

感情の4タイプ「喜怒哀楽」の言葉を使えば、このビデオ「震わせと平静」は「哀楽」に相当します。

・震わせ→非力→哀→悲しみ→肩やデコルテ(上胸)を震わせて涙を流す

・平静→楽

女性はデコルテを開ける服を着ることが多いですし、涙によるデトックス(解毒)は得意ですので、男性に比べてデコルテが豊かな人が多いと思います。

本来ならば女性は、親指脱力は得意なはずですが、現代社会では競争と緊張を強いられ、親指に力が入って反り指になっている人が多いようです。

さて、私は後数カ月で60歳ですから、親指震わせは、もしかすると、老化(エイジング)による老人性震え、専門用語では「老人性振戦」かもしれません。そのような解釈もありえます。

親指が震えると、コップを落としそうになります。しかし、その時は、ある工夫をすればよいです。つまり、

「両手でコップを持つ」

すると、親指は浮かせ、他の指で持つことになります。

これは優しい仕草ですね。日本で、うやうやしく物を授受する時、両手を使いますが、それは親指になるべく力を入れない仕草とも言えます。

日本には握手の習慣がありません。日本人と握手するしようとすると(私も日本人ですが)、時々、ほとんど握らないで、握られるままに任せる人がいます。親指になるべく力をいれないことが「うやうやしさ」「優しさ」であるとの心理を持つからだと解釈できます。

また、日本舞踊や歌舞伎では、親指を他の指の内に入れるようにして隠す仕草が多いです。

つまり、日本文化は本来、親指脱力を文化に組み込んでいます。

歯医者さんで歯をガリガリ削られている時、ついつい、手を握りしめがちで、親指に力が入ります。そのような時、

「両手を組み、親指を浮かせる」

と、手を握りしめる動作から逃れられます。手に力を入れて握りしめていると、余計、緊張します。

その両手を組む仕草は、お祈りをする仕草でもあります。それは心の平静を求める仕草です。

「親指震わせと平静」「哀楽」は関係しているようです。

また、日常のセルフマインドコントロールとしても、怒られた時、親指を震わせて親指を脱力することで、気持ちを軽くすることができます。

自分の方に怒りが起こった場合は、どうでしょう? 怒りの瞬間、親指に力が入っていませんか?

その瞬間、親指脱力法を取ると、自分の怒りをやわらげることができます。あるいは、怒りが起こるまでに、前もって親指脱力法を取っておくと、怒りが起こらないようにできます。

シェークスピアの『マクベス』のある一節に、「察知能力が敏感な人が、親指が独りでに震え出すことで、魔物が近づいていることを察知する」というのがあるそうです。これは人から聞いた話で、引用文献は示せません。

30年前位にESP(超能力)が流行したころ、中国でESP少年少女を集めた学校がテレビで紹介されたのですが、その子たちは、折りたたんだ紙の裏側か、2枚目に書かれた文字を指で読むのです。

私はESPには全く興味はありませんが、その指が親指であることには非常に興味があります。

「親指で探る」

仕草なのです。

指圧は親指でポイントを探りつつ押す手技です。親指脱力法を取るなら、探ることはできても押せませんので指圧は不可能になります。

どうして、探る指は親指なのでしょうか? 

どうしてかは、わかりません。

40年前に気づいたジャズピアノの話に戻って、

親指を脱力し、親指で探るように弾くとスイングする気がするのです。親指脱力法を40年すると実際にスイングするようになりました。相変わらずスイングするような気がするだけかもしれませんが。

以上で、欲望、執着、怒りを脱するために、親指脱力法(親指震わせ)が有効であることを述べました。

このエッセイでは「喜怒」の方には触れません。「哀楽」つまり「親指震わせと平静」を中心に、このエッセイを書いているのが、現在8月で秋分前であることにもよります。

太陽の年周としては、秋分は「哀楽」の時期で、春分は「喜怒」の時期ですから。春分前にこのエッセイを書けば「喜怒」のことばかりを書くかもしれません。

私は、太陽の年周の光の変化を感じる植物のように生きたいと思っていますので、申し訳ありませんが、書く時期によって書く内容が変わることは、致し方ありません。

なお、今、私が、手親指震わせの次の課題として取り組んでいるものは「足親指震わせ」です。数年後にご紹介できると思います。




(2)ハンドトリートメント、女性クライアント

『親指脱力法で優しく撫でる(2) 2016.07.11 hand female』3:50
https://youtu.be/WmnZxZ14Ibg
(埋め込みコード)


(3)ハンドトリートメント、男性クライアント

『親指脱力法で優しく撫でる(3) 2016.07.12 hand male』3:23
https://youtu.be/OaCVAyrYXXc
(埋め込みコード)





この2人のクライアントは筆者の手技に慣れておられることと、お2人共、その時は好調でしたので、スムースに手技が進んでいます。不調な時は、片手のハンドトリートメントだけで30分かかることもあります。

この(2)(3)のビデオで注目していただきたいものは3つあります。

まず1番目として、

ハンドに関しては、男性クライアントは筋骨がガッチリしていて、女性クライアントはキャシャです。その両者に対して、同じように「優しく撫でる」手技をしていることです。

「親指脱力法で優しく撫でる」ことは、男vs女、ガッチリvsキャシャという差を乗り越えることができます。

もし、筋肉への手技ならば、ガッチリ型と、キャシャ型では、力の入れ具合、手技の方法が異なってくることでしょう。優しく撫でる手技は、皮膚表面を撫でるだけで、筋骨には到達しないのです。

セラピストの方ならば、ガッチリ型のクライアントに対して、ついつい、力を入れて効かせる手技を取りたくなる願望を抱くことがあると思います。そこを、あえて、軽く、優しく撫でるだけの手技を取るのです。

2番目として、1番目から導かれることですが、若vs老、さらには、健康vs病弱という差を乗り越えて、両者に適合するのではと考えます。

お二人共、筆者の手技に慣れておられますので、かなり、撫でるスピードを上げている場面がありますが、最後には、最も遅いスピードで移動させています。

それらのスピードコントロールにより、若vs老、健康vs病弱において、後者ではより遅いスピードにすることで、両者に対応できます。

これにより、介護分野においても安全な手技となります。

3番目として、注目していただきたいものは、足の指の動きです。これは次の(4)のビデオで述べます。



(4)ジャズピアノ奏法、左手指と左足指の連動

『親指脱力法で優しく撫でる(4) 2016.06.29 Aratori: to touch the floor by fingers of left leg and play by left hand』2:12
https://youtu.be/E4mZ8V0Zgz8
(埋め込みコード)



ジャズピアノを弾く時の、左手指と左足指の連動についてのビデオです。

左足指の動きに、ご注目ください。

ピアニストにとって左右の問題は最重要問題の一つです。多数の人の利き手は右手ですが、ピアノは右手は高音、左手は低音です。右手(高音メロディ)に意識が行きやすいですが、左右の意識のバランスを取るためには、むしろ、左手(低音)に意識を向ける必要があります。

この演奏では左手でベース音を弾いていますが、左手は、おろそかになりやすい、もつれやすい、音が切れやすいのです。どうすれば、左手(低音)に意識が向けられるのか。

ある時、左手がもつれかけていたとします。

「あ、もつれかけている。いけない、立ち直さなくては」と思います。

その時、左手に脳から直接指令をおくる、つまり、通常の意味で、左手をコントロールしようとすると、たいていは、その自分の意図に反して、もつれを立ち直すどころか、破たんします。

それが、この動画のように、左足指の触覚を使えば、左手は破たんしないのです。

「脳から左手へ」という意図の系統よりも、左足指から左手指への触覚の系統の方が、はるかに信頼がある、確実だ、近接している、ということです。

この足指の方法は(2)(3)のハンドトリートメントの方法と関連します。

赤ちゃんの手足の動きを観察してみてください。赤ちゃんの仕草は、かわいくてたまらないのですが、特に、足指の動きがかわいいと思いませんか?

成長に従って、足は二足歩行の任務にたずさわり、足指は動かなくなります。ホントはバラエティある歩行のためには、バラエティある足指の動きが必要かもしれませんが、現代の平坦な道を単純に進むことが多い歩行では、足指は固まってしまうのです。ましてや、足指を締め付ける先細り靴を履いていれば余計です。

赤ちゃんの足指のかわいい動きに、もう一度なってみたいと思われませんか?

私は60歳以降の人生で、少しでも、それに近づきたいと思うのです。

高齢者用デイサービス(日中の間、その施設に行き、入浴、昼食、リクレーションなどをする)の体操で、どこでもやっているメジャーな体操の一つは、

「足指でグーパーする(じゃんけんのグーとパー)」

ことです。足指を動かすことが、老化防止の有効な方法なわけです。

赤ちゃんの足指に60歳からなれるわけがないのですが、

私はそれに向けての具体的な訓練をしています。私は長年、入眠時や、夜中に目が覚めた時、指を動かすセルフリラクセーションをしています。親指震わせなどですが(他の指のことはこのエッセイでは触れません)、今はそれと同時に足親指震わせをトライしています。多分、数年かかると思います。

以上のことは、手で優しく撫でる手技にとって、足指との連動が有効である、という考えに基づいています。





(5)ジャズピアノ奏法、胸とお腹にセルフタッチング

『親指脱力法で優しく撫でる(5) 2016.06.29 Aratori: touching chest and stomach: 胸とお腹にタッチング』4:04
https://youtu.be/wQGUW3zKIHo
(埋め込みコード)


私たちは、胸に関して、心と関連付ける言葉を多く持っています。

・胸に手を当てる(反省する仕草や、お祈りする仕草、神に誓う仕草)
・胸が苦しい
・胸がムカムカする
・胸がつかえる。胸のつかえが取れる

などです。また、お腹に関しては、裏表の精神と言うべき言葉を多く持ちます。

・腹黒い
・腹を割る
・切腹して潔癖を見せる
・太っ腹
・腹の底力(そこぢから)

などです。

自分の胸とお腹に優しくタッチングすることで、自分の心がどのように働いているか、わかるような気がします。

女性は胸を意識する場合が多く、男性はお腹を意識する場合が多いですが、ここでは、ことさらに性差については言わずに、とにもかくにも、自分の胸とお腹にタッチングして、両者の動きと関連性を知ることが大切だと思います。




---『親指脱力法により優しくお撫でいたします』の動機

この方法を思いついた動機をリストします。

・40年ほど前からジャズピアノ奏法や、日常生活の動作の方法として「親指脱力法」を考え、試行錯誤してきた。

・ピアニストが最も痛めやすい指は親指である。親指は脱力して探る作業を主にすればよい。

・知人の女性セラピストが、働いていたリラクゼーション店で、店の方針として「親指で押せ押せ」「揉め揉め」と指示され、右親指がヘロヘロになり、後遺症が残り、なかなか治らなかった。それは、かわいそうだなあ。セラピストにとって、そうならない、よい方法がないだろうか。

・知人の男性セラピストが、ガタイのよい体育系男性セラピストが多いリラクゼーション店で働いていた。そこで、体の凝りをほぐすセラピーをしていると、自分の体がもたなくなり、セラピストの仕事を断念した。私自身も老年に入るので、老年の体力にふさわしい手技があるのではないだろうか。有効な手技がないものだろうか。

・親指が疲れてジャズピアノが弾けなくなるといけない、それは避けたい。

・ある素晴らしい指圧師先生の手技を受けた時、そっと親指で押されるだけで世界が広がり、私と指圧師先生は通じ合った。しかし、その日から2日間、眠くて眠くてたまらなかった。指圧師先生は「自分の存在は親指だ」「親指は意図だ」と言った。私が長年、親指について考えてきたことと一致した。ただし方法は異なる。

・親指は意図の指であり、親指脱力法により意図を緩めることで、よりよい奏法、手技ができるのではないか。

・親指を脱力することで怒りやフラストレーションを安定させ、優しくなれる。

・リラクゼーション店で、強い圧をかける手技を受けた時、その日から3日間、だるくて、しんどくてたまらなかった。私はもう老年なので、弱い圧でないとダメだなあと思った。

・弱い圧だけで、つまり優しく撫でるだけの手技を開発できないだろうか。

・そもそも手技とは、クライアントの心身を操作(コントロール)するものなのだろうか。操作しない手技はないだろうか。

・クライアントの心身を操作する代わり、クライアントのセルフリラクセーション力を育てる手技がないだろうか。治療に対して自己治癒力の概念があるように、リラクセーションに対して、セルフリラクセーションの概念があるのではないだろうか。




---カルテ演習(男性セラピストの苦労)

カルテ演習とは、AEAJのアロマセラピスト資格を取るための実技分野の必須演習で、協力者さん6人以上に延べ30回のボディトリートメント(コンサルテーション、フェイスなども含む)を行い、詳細なカルテとレポートを書くものです。

カルテ演習で、まず、当たった壁は、男性がアロマセラピストを目指すことの苦労です。

●男性がアロマセラピストを目指すことの苦労について

男性がアロマセラピストを目指す場合、男性特有の苦労があります。その苦労はアロマセラピストになっても多くが続くでしょう。

実技クラスのクラスメイトが多ければ、お互いに協力者になり合うことができます。また、大きなスクールでは自主練習のための複数のマッサージベッドを用意しているところもあるようです。

しかし、そういう有利さは女性がアロマセラピストを目指して勉強する場合です。男性アロマセラピストを目指す人は、ほとんどいませんので、自分一人で孤独に苦労する必要があります。

一方アロマセラピーを受けることは、男性よりも女性の方が格段に関心がありますので、協力者さんも、将来のクライアントも、多くは女性が対象となります。

私は独学受験しましたので、協力者さん探しに苦労しました。お願いの仕方は、

「アロマセラピストの資格取得勉強のために、モデルさんになってもらいレポートを書くことが必須なのです。モデルさんになっていただけないでしょうか。もちろん無料です」

とお願いします。すると、

「資格取得の勉強のためだから、協力してあげようかな。サロンで受けたら高いみたいだし無料ならいいかな」

という感じで、多くは受けてもらえました。1人が男性の他は女性で、計10人の協力者さんにご協力いただきました。6人分のカルテでよいのですが、あえて多めに声かけしました。

というのは、資格を取ってから、ささやかな自宅サロンでプチプロするため、無料体験をお誘いするよりも、勉強段階の方がお誘いしやすい、と思ったからです。

また場所の問題もあります。私の一人暮らしの自宅である小さなワンルームマンションを、ささやかな自宅サロンとして小ぎれいにしました。かなりの手間がかかりました。

そうやって始めた、最初の1-2回が最も重要です。男性アロマセラピストが女性クライアントにトリートメントする問題の多くがその1-2回でクリアされ、通過儀礼になります。配慮と丁寧さ、さりげなさ、キャラクターで安心感を持ってもらい、クライアントの事情を考え、要望を聞いて、信頼を得ないといけません。

手技の心地よさについては、たとえ1回目は勉強中だからかんべんしてもらえるとして、2回目ではクリアしないといけません。結局は1-2回が通過儀礼なのです。

皮膚が、かぶれやすい協力者さん2人に対しては、ご本人の希望もあり、トリートメント後にシャワーを使っていただきました。シャワーは高級サロンでないと使えませんので、ささやかではありますが自宅サロンの強みとなりました。

自分のキャラクターに関しては、私は、アロマセラピーの勉強を始める3年前に高齢者ホームヘルパー(訪問介護士)になり、一人暮らしの男女高齢者のお宅に訪問して、身体介助、生活援助、また、お悩み相談、愚痴の聞き役の経験をして、また3年間でも何人かの担当利用者さんが亡くなり、終末の生活ケアができたという経験を積みました。

そうやって「優しい男性ヘルパー」のキャラクターを作って行ったことは大きい要因と思います。私自身、「その3年の経験があるから、男性アロマセラピストになれるかもしれない」と思い、踏み出したのです。

さて、そうやってカルテ演習がすんで、実技試験をクリアし、セラピスト資格が取得でき、協力者さんに「今後は有料になりますが続けませんか」とお誘いすれば、少しの方が続けてもらえ、プチプロになれました。このことは、クラスメイトの協力者さんでは無理でしょう。

お客さんは少ないのですが、経費のかからない自宅サロンで少しでも有料のお客さんがいるというのは、自分の手技を磨き続けるためには非常にありがたいことです。また最初から継続してクライアントの変化を見続けるというのも貴重な経験になります。

結局、男性セラピストにとって最初の勉強段階から、いきなり困難が始まりますが、女性クライアントに対しては、一旦信頼していただけ、なじみができれば、継続性があると思います。

それを考えると男性ゆえの実技勉強の苦労は大きいですが、苦労すればするほど報われると思います。




●次に、私の身体面での苦労話です。

AEAJアロマセラピーのトリートメントは、軽擦、強擦(母指強擦含む)、揉捏の3つの手技を主にしたソフトな手技が基本なので、セラピストの手には負担が少ないはずなのですが、がんばり過ぎたせいか、または、最終目標の実技試験を目指して、初心者ゆえのカッコつけすぎたせいで、実技修了後、左肩がひどい60肩になり、ヘルパーだけでなく日常動作で激痛と悶絶を経験しました。半年後の2016年8月現在やっと、ほぼ快方に向かおうとしているところです。

カルテ演習と実技試験が終わった2016年2月以降は、アロマトリートメントでは、軽擦(優しく撫でる)しかしておりません。親指脱力法を取っていますと、強擦(母指強擦含む)や揉捏はできません。親指脱力法を自分のアロマトリートメントの中心に置こうと決意しました。

60肩は脇を締めて肩関節可動域を制限して、肩関節を安静にしておけば(私は40肩も50肩も経験して同様に半年で自然治癒しました)、その姿勢でもピアノは弾けますし、ヘルパーも何とかできます。親指を痛めて腱鞘炎になるよりかは、ピアノ演奏にとってはるかにベターです。

実技試験がすんだので、私は、晴れて、「優しく撫でる」だけの手技で今後はやっていこうと決意したのです。「押さない、揉まない、圧をかけない」です。

ですから、この次に述べる、優しく撫でるだけの「ハンド中心リラクセーション法」の発案は、身をもって知った「60肩の激痛と悶絶」に対する防御的な身体の使い方でもあります。




---ハンド中心リラクセーション法とは

この方法は、ボディトリートメントにおいて、ハンドを中心に考えます。つまり、触覚が豊かで、デリケートで、身体の末端であるハンドを中心に考えます。

ボディトリートメントの順番としては、まず、仰向けで次のデリケート部位をします。

(1)ハンド(主に手のひらと手指)
(2)足指
(3)お腹

ハンドが十分にリラックスすれば、ボディ全体がリラックスする、という考えに基づきます。

まず最初にハンドを十分にトリートメントして、足指と続き、次に、別の意味でデリケートな腹部(骨に覆われていない内臓があり弱い)をトリートメントします。

セラピストのハンドとクライアントの身体がシンクロナイズするまで念入りにデリケート部位をトリートメントします。それらデリケートな部位をリラックスさせるだけで、クライアントのボディ全体がリラックスします。

すると、次に進む、筋骨がしっかりしている足全体、最後に行う背部に対して強いトリートメントは必要でなく、ソフトなトリートメントだけで満足させることができます。

その他の要点は、

・押さない、揉まない、圧をかけない。

・親指脱力法で、優しく撫でる。

・親指脱力法で、セラピストの手は疲れない。

・優しく撫でるスピードを、「静止、ゆっくり、普通、速い、最速」まで変化させ、その時々で適したスピードを使う。

・最後に背中や肩にトリートメントを行う時には、すでに、ほとんど、ほぐれている状態になっている。

・クライアントに、凝らないためのセルフリラクセーション力を身につけてもらう。

・優しく撫でるハンドイメージが、セルフリラクセーションの中心となる。

・クライアントが日常や特殊な動作をする時も、そのハンドイメージにより、過度にがんばって動作しない、無理な動作をしない、つまりリラックスして動作をすることで、自ら凝りを避ける。

となります。




---ハンド中心リラクセーション法の中心概念

ハンド中心リラクセーション法の中心概念は次の2つです。

(1)セラピストもクライアントも共に能動かつ受動である

(2)心身の中心を手とする(手で心身を認識する)

それぞれについて説明します。

(1)セラピストもクライアントも共に能動かつ受動である

・クライアントの能動性をいかにして引き出すか?

・クライアントの能動性が出るまで、じっくり待つ

・セラピストとクライアントの相互性

例えば、お腹を優しく撫でながら、お腹が逆に、手を押してくるのを待つことです。

お腹が手を生き生きと押してくる、というのは、緊張していたお腹が生き生きとしてくることに他なりません。

その瞬間まで、セラピストは待ちます。

そのためには、セラピストの手には、デリケートさ、優しさ、忍耐力、受容などが必要です。

・「手がお腹に働きかける」「お腹が手に働きかける」

・能動性をなるべく抑えること

そのポイントは「親指脱力法:非力のエネルギーを使う」ことではないか、と考え、試行錯誤を始めたのです。

(2)心身の中心を手とする(手で心身を認識する)

私のジャズピアノ奏法の中心概念は、この「心身の中心を手とする(手で心身を認識する)」ことでしたが、それには長い年月がかかりました。

その中心概念以前に、呼吸、顔の表情、光の感じ方、お腹、足、手、さまざまなことを、まずは中心において試行錯誤して、それらに習熟しないといけません。そうした後に、改めて手を中心として、すべての心身を関連付けます。つまり、手で心身を認識します。

しかし、上のプロセスには楽器と音が含まれていません。音も含めて「手で心身を認識する」ことは至難の技です。

ピアノは音が媒介となり聞き手とつながりますが、トリートメントは手がクライアントに直接触れます。クライアントを優しく撫でることを始めて、初めて私は、上のプロセスをはっきりと意識することができました。

下記は、あるクライアントに初めて「ハンド中心リラクセーション法」によるトリートメントを行なった時にもらったコメントです。

--------
(a)初めての異次元体験だった。夢を見ているような、魂がどこかに浮くような、上から自分を見ているような感じだった。精神と身体のコンビネーションがあった。

両足の指を、セラピストの両手により、それぞれ別々の動きで撫でられる、という、手指の動きに感銘を受けた。今まで受けたストロークは規則正しい動きだった。それが規則正しいのではなく、Fの揺らぎのような動きである。それが気持ちよかった。

(b)男性にトリートメントを受けたのは初めてで、女性より手の面積が大きく、一気にオイルの滑らかさが広がり、心地よかった。(筆者による注:オイルの量は多目に使う)

(c)筋肉をほぐすのではない。力と力のぶつかり合いではない。よくあるマッサージのように痛いのでなく、自らのリラクセーションの力「自己リラクセーション力」でリラックスする方法である。それが気持ちよかった。
--------




---介護「優しく背中を撫でて排便を促す」

●まず介護は、広い意味でコメディカル(医師の指示の下に業務を行う医療従事者)の一員と言われますが、よく介護を考えると、医療とは、ずれた存在です。

介護の基本概念は、

・人間の尊厳
・自己決定
・自立支援(自分ができることは自分でするように支援する)
・スピリチュアルケア

です。介護は、治療が中心ではない代わりに、それらの概念を強く打ち出すことができます。

くだけた言い方としては、上の概念のそれぞれとの1:1対応はありませんが、

・寄り添うこと
・聞き役になること
・理解すること
・たたえること

となります。

●自己決定の概念は、医療と介護の間の問題として重要なので、例をあげます。利用者さんがタバコを吸い続けるのも自己決定に任せるということです。

タバコを買う買物代行は、なぜか女性ヘルパーよりも男性ヘルパーに頼むのです。私はタバコは生まれてから1本も吸ったことはなく、タバコは大嫌いなのに、です。もちろん、タバコを買うのは介護として表向きは「よからぬこと」ですので、記録表には「タバコ購入」とは記録しません。

あるいは大手の訪問介護事業所のように組織全体としてタバコ購入はしない方針を100%貫くという強い態度もありえるでしょう。私が登録している事業所は小さなところです。

さて、そのような部屋は煙たいのですが、ヘルパーは「煙たい」と言葉に出す代わりに、少し咳き込んで、煙たい空気を見上げればよいのです。すると、ヘルパーの訪問前には、利用者さんは窓を開けて換気しておいてくれます。

ヘルパーには、医療のようにアプリオリで「タバコは止めてください」のような強い権限は与えられていません。信頼を得て、初めて、ヘルパーのことも尊重してもらえます。

ヘルパーにとって、信頼や尊重はバーター取引に似ています。「よからぬ買物」と、「煙たい空気の換気」というバーター取引のように。


●さて、介護とアロマセラピーの関連付けとして、私は、アロマセラピートリートメントをするようになったおかげで、タッチングに慣れて、ホームヘルパーの仕事においても、タッチングでき出したことは、うれしいことです。

例えば、サービスが終了して退出する時、利用者さんにより、場合により、「失礼します」と言う時に、さりげなくタッチングでき出しました。

また、一日の大部分をベッドで寝て過ごす利用者さんが、テーブルで食事を始める前に、優しく肩を撫でて、食事への身体的、気分的用意に向けるようにすることもあります。

触れ慣れてきたのです。

触れ慣れるには、ボディのさまざまな部位に、じっくり触れることで、ボディのそれぞれの部位の意味を、手の感触を通じて理解することが大切だと思います。

また逆に、なぜ、この社会ではタッチングコミュニケーションが閉ざされているのか、という疑問も強く感じます。

というのは、

介護の学習には、車いすへの移乗などの具体的なスキル以外に、会話に関するものが、そこそこの分量として含まれます。会話の前提である傾聴、会話を成り立たせるための理解、また心理学やコミュニケーションの一般理論といった会話に関するものです。

現場においても会話は重んじられています。しかし、介護保険請求の証拠となる記録表には、会話というサービス項目はありません。掃除しながら布巾を手に持ったまま会話して、その会話が非常に重要なものであっても、サービス項目は会話ではなく掃除です。

そこで当エッセイの本題に戻りますが、会話と似ていて重要なものとしてタッチングがありますが、タッチングに関しては、ノンバーバルコミュニケーション(言葉によらないコミュニケーション)の一つとしてスキンシップがある、程度の紹介しかされていません。

なぜ、タッチングのことは介護の学習において、ほぼ触れられていないのでしょうか?

不思議に思います。

私がこのように複数分野でのタッチングについて考察することが、タッチングが重要視される一助になれば幸いです。




●「優しく背中を撫でて排便を促す」

老老介護において、ヘルパーが高齢の男性利用者さんをベッドからポータブルトイレに移乗介護し、妻様が浣腸し、排便を待つ、というのは排便介助の一つのパターンです。

排便の待ち方についてです。

ヘルパー慣れしていない利用者さんの場合、初めて他人であるヘルパーが排便時に傍にいることに対して気を使われます。つまり、介護の重要な概念である「寄り添う」ことができないのです。

排泄行為は、赤ちゃん時期を過ぎ、幼児、子どもと成長するに従って、トイレという密室で一人でするようになります。最初は一人でトイレに入ることが怖いですが、だんだん、逆に、人に見られることが恥ずかしくなります。羞恥心、プライバシー、隠すこと、距離をおくこと、という人間の本質の重要な部分が育ってきます。

気心が知れた夫婦で排泄介護が行われることと、ヘルパーという他人がそれに加わることは、状況は全く異なります。

例えば、排便を待つ時は、便の匂いも気にされ、ヘルパーは別室に移動し、空気清浄機をONにして待機する、という具合です。

しかし、年月をへて、いろいろな大変な介助を経験していき、サービス毎に排泄の喜びを共有するうちに、ご夫婦は、ヘルパーが排泄行為の傍にいること(寄り添うこと)に慣れてきます。

ヘルパーも、排泄の喜びを共有することは、ご夫婦の幸せを共有することだ、と感じます。それは、

「排泄こそが幸せだ」

ということだと思います。

そうやって、なじみがでると初めて、ヘルパーはタッチングが可能になります。排便を待つ時、背中を上から下へ優しく撫でるのです。


●排便のメカニズム

ところで、排便のメカニズムは、排便を、

「緊張して抑制すること」vs「リラックスして促進すること」

のせめぎ合いです。

しかし、そこに、

「ウンチをきばって(いきんで)出す」

という私たちの排便に対するメンタリティがあるので問題は複雑になります。

「きばる」ことは体性神経により随意的に行います。腹圧をかけて「いきむ」ことです。いきむことで出そうなウンチは出すことができます。しかし、出すことができるのは、あくまで出そうなウンチであり、奥にあるウンチは、いきんでも出ません。

奥にあるウンチを出すことができれば、便秘にはならなく、いつも、残便はなく、すっきりです。奥にあるウンチが出てくるには特別なリラックスが必要だと思います。

ウンチが体内から外界に出る際である肛門には、外肛門括約筋と内肛門括約筋があります。

外肛門括約筋は随意筋なので、「締めてウンチを出ないようにすること」、逆に「緩めてウンチが出るようにすること」を意図的にできます。

しかし、内肛門括約筋は不随意筋なので、意図により、「締める」「緩める」はできません。お尻の穴に浣腸や指を挿入しようとしても、外肛門括約筋はなんとかなっても、内肛門括約筋が緊張していると、なかなか入りません。緩めようと意図的に思っても、そもそも不随意筋なので、思い通りにはいきません。

この思い通りにいかないことを、何とかするのが、私が長年、訓練してきたジャズピアノ奏法の困難なところと似ています。

また、大腸の蠕動運動がウンチを「送り出す」ことは不随意です。不随意なものを促進するには自律神経の副交感神経が働かないといけません。

単純な構図としては、不随意運動をつかさどる自律神経(交感神経と副交感神経)において、

排便抑制:緊張:交感神経
排便促進:リラックス:副交感神経

です。これは、あくまで、不随意運動に関することです。自分の意図ではどうにもならない部分のことです。

ウンチを「送り出す」ためには、「朝、牛乳を飲む」とか、いろんな工夫が言われています。私の工夫は次に述べる直接的タッチングです。これについては、エッセイ最後の「セルフ直腸(前立腺)タッチング排便法」で詳しく述べます。

実は、私は、5年前から、ウンチをきばって出すことは全くしておりません。ウンチを出す時は、使い捨て手袋を使い、中指を肛門に挿入し、シャワーでお湯をかけながら、「固いウンチならば、くずす」「粘っこいウンチならば、溶かす」そして、お湯に誘われて出るのに任せます。

すると、全くきばる必要はありません。

この方法の利点は、

・ウンチがスムーズに出る(ウンチが肛門通過時に圧力がかからない)ので、痔にならない

・直腸が完全にきれいになる

・指で直腸に「優しくタッチング」することで副交感神経が働き、上の方からウンチが送り出される

・つまり、便意がなくてもウンチが出る

・残便がなくなるので、すっきりする。表情がよくなる。きれいな顔になる。

・きばらないので疲れない。全くきばらない排便が常に実現する

ということです。よくない点は、トイレが汚れるので、毎回、本格的トイレ掃除をしなければならないことです。

ここで私が提起したい問題は、

「きばる」という緊張行為が、果たして、排便に対してプラスになっているのか?

ということです。

肛門すぐ近くの直腸に溜まっているならば、腹圧をかけて、きばって押し出すことできるでしょう。しかし、そのウンチが固ければ、肛門を通過する時に切れ痔になるではないですか。

別のある高齢男性利用者さんは、デイサービスの送り出しのサービスだったのですが、サービス中にトイレに行かれます。しかし、10回中1回しかウンチは出ないのです。10回中9回は、トイレから疲れ果てて戻り、

「しんどい。なんぼきばっても出ない。ほんの2-3cmのところにあるのになあ」

と言われます。きばって押し出すのは、もう無理なのです。すっきりしない状態のまま、その日は生活しないといけないのです。何とかしてあげたいと思っても、ヘルパーは看護師のように肛門内にタッチングすることはできません。

その利用者さんは、若い時から慣れている自然排便しか受け付けないのです。洗浄便座さえダメなのです。

そこで、もうすぐ60歳の私は次のように考えます。

・スムースな排便は「リラックス」を追求するためには避け得ないことである

・デトックス(解毒)の意味で、排便は多く行うほどよい

・緊張して(きばって)ウンチを出すのは、もう古い方法である


●さて、再び、

「排便を待つ」時に「背中を上から下へ優しく撫でる」ことを始めました

というところに戻ります。

妻様は、

「がんばって」
「時間のことがあるよ」
「さあ、きばってや」

と夫様に排便を促します。

上に述べたように、私たちの排便文化には「きばる」ことが組み込まれているからだと思います。

夫様も、ポータブルトイレに座り「痛い、痛い」と言いながら、思い切り、きばるのです。どこが痛いのでしょうか、わかりませんが、どこかが痛いほど、きばるのです。

痛々しいのです。

そこで、私は、

「優しく撫でよう」

と思ったのです。撫で方は、下着シャツの上から、

・右手で

・圧はかけません

・親指脱力します

・上から下へ優しく撫でます

・仙骨辺りで、少し肌に触れながら、手をそっと丁寧に離します

という具合です。それで、排便が促されるのでしょうか?

それは、まだ言えません。今のところ、

「優しく撫でるタッチングによりリラックスして副交感神経が働き排便が促される」

という仮説があるだけです。

大分以前、テレビで放映されたのですが、動物園のライオンだったか、トラだったか、お母さんが赤ちゃんのお尻をペロペロなめるのです。すると赤ちゃんはウンチする。そのウンチをお母さんはペロリと食べるのです。そうやって、赤ちゃんのウンチの成分に対応して、お母さんのオッパイは成分的に変化するのでしょう。

その「ペロペロなめる」のも優しいタッチングと似ているなあ、とそのテレビを思い出しました。

上の仮説以外の考察としては、

・ご夫婦の緊張的な心身を和らげるために、ヘルパーが媒介役になる

・優しく撫でるという弛緩的な動作、心理をパフォーマンスする

また、なじみが左右することとして、

・最初はヘルパーになじんでいないので(匂いを気にされていて、排便行為に寄り添えなかった)、タッチングにより、却って緊張したかもしれない、ということがあり、タッチングが必ずしもプラスに働かないこともありえる。

・排便がうまくいくと、「あーよかった」と、ご夫婦とヘルパー3人で、幸せ感を共有するようになる。個人的な行為である排便が、ヘルパーと共有された行為になるまでに年月がかかる。

・方法の効果は不明でも、方法自体になじむことで「お約束効果」(習慣性効果)がある。いつもしている方法で、いつも排便できる安心感が出てくる。

・ヘルパー自身がアロマトリートメントやハンドセラピーで撫で慣れれば、なじみ感を表現できるようになるかもしれない。

そこで、私は、

「よし、積極的にタッチングに関して、まい進しよう」

と決意しております。




---手の触覚の気持ちよさと苦しみ(前のエッセイより引用・改変)

私が何の感覚を頼りにピアノを弾くか、というと、若いころからたどると、視覚から聴覚へと変化して、そして最近は触覚へと変化しつつあります。視覚でピアノを弾くとは、楽譜と鍵盤を見て弾くことです。私は、その忙しく視覚を使う動作を、「うるさい視覚」と感じます。つまり視覚が聴覚のじゃまをします。だから、ミュージシャンは、よく目をつむって演奏します。

また、数年前、無音ストリート(ワイヤレスヘッドフォンできくことができるが外部的には無音であるストリート音楽パフォーマンス)をよくしていた時は、通りすがりのオーディエンス(観客)と、聴覚ではなく視覚によりコミュニケーションをしましたが、何らかの音楽を想像してもらえたかもしれません。

一方、聴覚は、「聞こえ方」が学習と習慣、気分、感情、呼吸、体の状態などに影響され、不安定です。不安定な聴覚の追求により精神性、身体性を追求することができ非常に面白いですが、その不安定さに私は50年間、悩まされてきました。

それに比べて触覚は安定するように思えます。「長年修練してきた職人の手は触覚を頼りに独りでに動く」という意味で触覚は安定するのではないか。私は老年期は触覚を頼りにピアノを弾きたいと考えるようになりました。

今回のエッセイのビデオ(4)では手指の感触と足指の感触を連動させてジャズピアノを弾いています。ビデオ(5)では胸とお腹の感触を元に弾いています。

ビデオ(2)(3)のハンドトリートメントでは、手のひらと手指の感触が、クライアントのハンドの起伏を独りでに読み取って、撫でています。

私は今、高齢者のホームヘルパーだけでなく視覚障がい児のガイドヘルパーもしていますが、彼/彼女らは初めて出会った物の触覚を飽くなく楽しみ、認識しようとしています。彼/彼女らの手は、点字文字の感覚受容器官でもあり、優しくデリケートです。指ですらすら点字を読んでいる時は気持ちよさげです(ただし点字初心者の時の学習は非常に苦しかったと彼/彼女らは言います)。

指で考えているように見えることは、ピアニストと似ます。気持ちよい触覚から認識に至るという認識プロセスがあるのでしょう。

触覚は気持ちよいです。

一方、苦の触覚もあります。私は子供のころアトピー性皮膚炎を持っていましたが、幼児のころの思い出として、ステロイド軟膏を使うと比較的すぐに、きれいな皮膚になる代わりに、その皮膚は薄く、痒みが増します。そして掻くことの欲求に負けると、一瞬の気持ちよい触覚を味わった後には、薄い皮膚はたちどころにズル剥けとなります。さらに少しでもズル剥けではない、掻けば気持ちよい場所を探して掻くと、一帯は全てズル剥けとなります。

その地獄のような気持ちよさ、かつ苦の触覚は、私の精神あるいは原罪意識にとって一つの原点です。もっとも今から思えば幼児の私に原罪があるのではなく、ステロイド軟膏という拷問器具のせいであったのでしょう。

成人して以来、私は「掻くことの欲求」に決して負けなくなりました。ただし薬剤の副作用による異常な痒みには負けないとは言えません。ですから痒みを引き起こす薬剤は断固として使わない、という決意ができました。つまり治療法においては痒みの問題を最優先したいです。我慢できない痒みこそが私にとって地獄であるからです。

私は現在も敏感肌で、光毒性のある精油を使わなくても日光皮膚炎になります。敏感肌皮膚炎対策として過去10年は、多量のビタミンB摂取、多量のハトムギエキス(ヨクイニン)摂取などで、痒みを抑えてきました。

1年半前から飲尿療法を始めました。最初は、朝一番の自分の尿を、吐き気を抑え一口ずつ飲んでいましたが、1年たち慣れて一気飲みができるようになり、その後、在宅時は全部飲尿しています。1日に1から1.5Lほど飲んでいます。

現在は多量飲尿療法のおかげかどうかはわかりませんが、多少の皮膚炎にはなるものの、痒みから解放されました。現在の私の手は、人生の中で最もきれいになっています。それで幸いアロマセラピストができています。

もっとも、手がきれいになっているのは、飲尿療法のおかげではなく、アロマセラピートリートメントを常時しているのでオイルと精油が自分の手にもつくことのおかげかもしれません。

以上、触覚の気持ちよさがクローズアップされることが多いですが、私にとっては、約60年の人生の中では、触覚の苦しみの方が、比率としては、はるかに多く、私の精神に刻み込まれています。




---セルフリラクセーションとは苦への対応

上に苦の感触について述べましたが、私は、優しく撫でる手技のためには、セラピストは強い精神力を持たなければならないと思います。正確に言うと、手の触覚と動きで、苦に対応してきた長い経験が必要であり、結果として強い精神力を持つのだと思います。

セラピストはクライアントの苦を受け入れるのではありません。手が、その触覚を頼りに、苦を探し、苦と対応する技術を持つのです。

優しく撫でること、優しいタッチングは、苦と対応する技術です。

クライアントはさまざまな固有の苦を抱えていますが、自分の苦と対峙することは、余計苦しいので、通常は苦から逃げています。対応できないなら逃げるのは正しいことです。

その苦を、セラピストの手は独りでに探し、対応します。クライアントは単に「気持ちよい」でよいのです。

しかし、クライアントは、セラピストが自分の苦と対応しているのを見て、一緒にその苦に向かう人がいる、という共同性を感じてもらえばよいと思います。

苦を取り除くのはクライアント自身です。セラピストが行うのは一時的な気休めです。



---男女問題とタッチング

私は男性ですので、このエッセイは、特に問題意識を共有する立場である男性に向けている部分もあります。

タッチングは男性にとって攻撃やタブーのニュアンスを含み、場合によってはセクハラ犯罪にさえなりえます。

現在の日本社会では、男性にとってタッチングコミュニケーションは閉ざされています。どのようにして、タッチングコミュニケーションを取り戻したらよいのか、という問題意識を持ちたいです。


●なぜ日本社会では男性にとってタッチングコミュニケーションは閉ざされているのか?

まず、挨拶としてのタッチングコミュニケーションがないことがあります。

欧米では、初対面の人との挨拶として、握手、ハグ、そして、ほっぺへのキスさえありえ」ます。また、目上の人に対する敬いのキスもあります。それらの儀礼は、タッチングコミュニケーションの正しさを保証します。

医師にとって、タッチングは、第一義的に診察でありますから、ある種の特権が与えられています。ヘルパーには与えられていません。なじむこと、お役に立つこと、信頼を得ることにより、許容されます。

日本にはタッチング挨拶がない、というのは、男性ヘルパーにとって、「タッチングにより悪い行為をするのではないかという疑念」を完全には払しょくできないことを意味します。

ケースバイケースで信頼と許容を作り続ける必要があります。これには大変な努力が必要です。


●今世紀に入って本格的に、女性が従来男性従事分野に参入し出すと共に、男性が従来女性従事分野に参入し始めました。

ある高齢男性利用者さんは、介護保険開始以前に、ご自身で介護サービスを立ち上げた方でした。その方は、いつも私に対して言われていました。

「ヘルパーは大変な仕事やなあ、感謝せな」

と。そのようなことを言われるのは、ご自身が介護側に立った経験ゆえでしょう。また、

「昔は、男性ヘルパーは全くおらなんだ。みんな女性だった」

と。つまり20年前は(その方の周囲では)男性ヘルパーは皆無であった、ということです。

今世紀に入っての男性の参入分野は、男性保育士、男性介護士、男性看護師などです。

●昨年、介護の実務者研修という講習を受けました。そのスクーリングには実習もあります。クラスメイトは、私一人が男性で、後は女性、何人かの講師も全員女性でした。

実習になった時、2人組になり、それぞれが半身が麻痺であると見立てた利用者役とヘルパー役になり、ヘルパー役が利用者役のパジャマを着脱介助します。もちろん通常の着衣の上からパジャマを着脱するのです。そこで、(ぼくの相手として)

「男性職員を呼んできます」

それだけではなく、その時、講師の方が私に、

「女性相手だったらよかったのにね」

と言いました。その時の私の心境はいかがばかりだったでしょうか?

「(土下座して)男性で申し訳ありません」

です。

しかし、現在の男性ヘルパーは、このバリア、または冗談を甘んじて受容する必要があります。親指脱力法で受容いたしましょう。

問題は、タッチングという行為そのものが毀損されることです。

それは残念でたまりません。

何とかして正しいタッチングについての論理を得たいものです。


●私は普段から、できる限り「ズボンとスカート」の両方を履くようにしています。最近は中高年女性が体型をモデレート(穏健)に見せるためのチュニックのような大き目の服が安く売られています。中高年女性にとってズボンとチュニックを着るのは、もはや定番です。ダボッとしていて男性でもサイズは合います。

この着こなし方を性(セックス)の面から説明するなら、ズボンとスカートの両方着用によりセックスを隠すことができます。ズボンだけ、またはスカートだけならばセックスを隠していなく、むしろ顕示しています。

クラシック音楽などの合唱団を見ると、あまりにも男女が服装において分離されていて違和感を覚えます。セックスの顕示がきつい、と思います。

また、日本の警察官の服装も女性はスカートというのは、セックスの顕示がきついです。

女性が履くスカートはセックスを半分オープンにさえしています。男性が履くズボンも着方によっては男性のセックスを目立たせています。

ズボンとスカート両方を履けばセックスを隠すことになり安心できます。

多分、中高年女性は体型をモデレート(穏健)にできて安心するのだと思いますが、セックスの顕示に関してもモデレート(穏健)にできて安心するのではないでしょうか。

このエッセイのキーワードはタッチングですが、上の意味でのモデレート(穏健)さはタッチングの問題を考える時、プラスに働くと思います。


●2011年以降、EU(欧州委員会)は「欧州での上場企業役員の女性比率を2020年までに40%に引き上げるというクオータ制(割り当て制)」目標をかかげました。というのは、その比率は、2010年10月で11.8%、2012年1月で13.7%であり、1年少しで1.9%しかアップしていないからです。

ところが日本におけるそれは2011年4月でわずか1.1%です。EUの方は「1年少しで1.9%アップして」躍起になっているのに、そもそも日本では1.1%しかいないのです。

日本社会では性別役割分担がきついです。その代わり、男性がしだいに参入している分野では男性に対してバリアがしかれていると感じます。


●アロマのI先生は男性で、アンチタッチング派です。「人に触れられるのは嫌い」と言われます。女性でやたらタッチングコミュニケーションを取ってくる人がいますが、近い距離に入ってこられるのは嫌だと言われます。

「向こうがタッチングしてくるのと同じように、こちらがタッチングすると、えらいことになる」

と。確かにそうです。この場合、男性のタッチングと女性のタッチングは全く意味が異なります。女性のタッチングはフレンドリーでも、男性のタッチングはタブーです。

それを考えると、男性に対してやたらタッチングしてくる女性は、フレンドリーには違いないのですが、男性の「えらいことになる」機微や苦労に対して鈍感だと言えます。


●女性ヘルパーや、女性ケアマネージャーが、性格の荒い男性利用者さんに対して、やたらタッチングして、すると男性利用者さんはネコのようになるのです。

「ネコ撫で」

です。

もちろん、親しみ、なじみは介護で重要ですから、そのためのタッチングだと思います。が、その男性利用者さんは、私がタッチングすると、思い切り、私の手を払いのけるのです。

手が払いのけられる私としては、女性のタッチングは、ある種、

「先手必勝の手なずけ」

であるとも見えます。

いえいえ、女性のタッチングは、フレンドリーに向かって、まい進していただくのは、もちろんよいのです。フレンドリーなタッチングであってほしいのです。

それをとやかく言いたいのではなく、少しは、うらやんでいるかもしれませんが、ホントは次のことが言いたいです。

男性が女性にタッチングするには、きちんとした状況を組み立て、目的化し、どのようにタッチングするかを論理化してからでないと、できない、ということです。


●ホームヘルパー(訪問介護士)を始める前は、「男性ヘルパーが、高齢とは言え女性利用者さん宅に訪問することってあるのかなあ」と疑問に思っていました。

それは信頼となじみが得られることにより、可能になります。

ある高齢女性利用者さんは、若い娘時代に、戦争中で外地にいて、日本に引き上げる時の怖い思いが今も残っています。戦争の遂行者は男性だったわけですから、結局のところ、男性が怖いと。男性ヘルパーも無理とのこと。

そういう利用者さんは、もう高齢なので、一生、家族以外の男性に、「信頼となじみ」を抱くことはないでしょう。最初から、「致し方ありません」となります。

信頼となじみは、無理な場合は、絶対無理なのです。


●ホームヘルパーの、ある女性高齢利用者さんが、ご近所さんの女性と話されていました。お二人とも、お子さんは娘さんだけ、ということで、

「娘は気がきつくて。1つ言ったら、10返ってくる」

「こんな優しい息子がほしかったなあ」

と私のことを言ってもらえました。もちろんホームヘルパーは1時間などの限定的な時間だけのコミュニケーションですから、よいところだけを見てもらえるでしょう。

そのように理想的な息子のモデルとして扱っていただくことも、ありえます。

私は3年半前にホームヘルパーを始めてから、介護の勉強を兼ねて、毎日、80歳少しの母親に電話しています。ほとんどが聞き役をしているだけです。「1つ言ったら、10返ってくる」の正反対の方法の勉強です。


●ここ日本は男性のタッチングについて閉ざされた社会なのですが、もし、ハグの習慣のある社会ならば、というのも想像してみないといけません。そのような社会では、男性ヘルパーは、高齢女性利用者から「もっとスキンシップをして」と要望されるかもしれません。

今のところ日本ではそれはありませんが、将来はわかりません。

やはり、ケースバイケース、その時々で、慎重に考えること、また、全体の概念をきちんと整理しておくことが大切だと思います。

「もっとスキンシップをして」に対しては、礼儀正しいタッチングで受ければよいです。

タッチング分野に参入する男性は、フロンティア精神が必要だと思います。私自身、フロンティア精神を、今、この文章を書きながら、かきたてております。




---タッチングの倫理---正しいタッチングを考える

上に述べた「タッチングと男女問題」に続きますが、男女問題を超えて一般化します。

タッチングに関して、さまざまな配慮が、もちろん大切です。タッチングの倫理まで大げさに言わなくでもよいのではと思われるかもしれません。

しかし、タッチングがタブーであり、タッチングに関して追い詰められている男性の立場としては、「正しいタッチング」を考えることは、タッチングを扱う従事者として、サバイバルのために必要だと思います。

女性にとってタッチングすることは、たいていは犯罪にはなりませんが、男性にとっては、犯罪になりえるのですから。女性はタッチング「される」リスクを防御しようと思うと逆に、男性はタッチング「する」リスクを防御する必要があります。

ですから、大上段に振りかざして「タッチングの倫理」を構えないと、信頼を得られないという恐れをいだくのはリスクマネジメントです。

一方で「さりげなさ」は重要で、「意識しない、意識させない」ことも大切な心の技術ですから、経験を踏むことで慣れる必要があります。

以下に、ホームヘルパー(訪問介護)の、あえて男性の高齢利用者さんの例を3つあげます。


●ある高齢男性利用者さんのサービス終了時に、「ありがとうございます」と言い、手にタッチングして挨拶することを始めました。

しかし、右手(利き手)に触ると、図らずも払いのけるように、右手で敬礼のような仕草をします。やはり右手は、強い手であり、その手を抑えるのはよくないのです。

それで左手にそっとタッチングして挨拶することにしました。できればこちらも左手でタッチングするのがよいと思いました。

右手で強い仕草を取るというのは、昔は男性は、右手(利き手)で攻撃する意味から来ているかもしれません。それを抑えられると、防御本能が働いて、図らずも払いのけようとしてしまう。

利き手でない左手に優しくタッチングすべきである、と思いました。

でも妻様は、私が夫様にタッチング挨拶する様子を見て、とても微笑んでおられるのです。男性同士のタッチングは高齢男性にとって珍しく、親しい友人でもしないのかもしれません。妻様は、夫様が男性ヘルパーのタッチングを、戸惑いながらも受け入れるを見るのは、楽しいのだと思いました。

●別の高齢男性利用者さん、怖がっていた手術の前、これから入院するという時のことです。

前回の入院時には、「また天国で会おうか、いやオレは地獄やから会えへんな」みたいな毒舌を言われる利用者さんでした。

その後、ヘルパーに慣れたのでしょう、「お元気で」と言い、利用者さんの片手を、両手で優しく包むようにタッチングしました。すると利用者さんも「あんたもな」と、両手でヘルパーの手を包むようにされたのです。

「あ、やった〜オレは地獄やから会えへんな、じゃなかった〜」

私も、「ぼくも地獄ですからお会いできますよ」と返すのも悪くはないのですが、ニヒルな挨拶より、「礼儀正しいお別れの挨拶」は格段に重要なことだと思います。

正しいタッチングができたと思う瞬間です。


●また別の高齢男性利用者さん、当初、通常通り、暖かい対応をしていたのですが、怒りを表出され出し、自分の思い通りにいかないと、私に無理を言い出しました。

私は例によって親指脱力法により、耐えていたのですが、さすがに、その対応は苦痛でした。ブルブルと私の体が震えるほどまでになりました。それこそがビデオ(1)の親指震わせの現れなのですが。

そして、耐える日々が続いた後、勤務曜日の変更のため、そのサービスを上がることになった最後の日、「これで終わりますが、ありがとうございました」と、思い切り心を平静にして、両手で優しく包む礼儀正しい挨拶タッチングを、こちらからしました。

すると、

「いろいろ無理言ったこともあるかもしれないが、ありがとう」

と心を込めて受けていただけました。その経緯を今このエッセイを書きながら思い出すと涙が出てきます。

その後、サービスに入ることがあったのですが、いっさい私に無理は言われなくなりました。私の願望も込めた推察では、その利用者さんの怒りの表出が抑制され出したのでしょう。

怒りの表出は自分自身にストレスを与えます。その利用者さんはリラックスする方に踏み出したのではないでしょうか。

両手で優しく包む礼儀正しいタッチングが、リラックスに向ける力を発したのだと思います。タッチングはわきまえてすれば、ただそれだけで、力のあるものだと思います。単に気持ちよいだけで捉えてはいけないと思います。

正しいタッチングのためには、強い精神力を持たなければならないと思います。

以上、正しいタッチングについてでした。正しいタッチングというのは、整然とまとめて書けるようなものではなく、ケースバイケースにより、忍耐と思考のプロセスを積み重ねることだと思います。




---親指の方法。ホモ・ハビリスの親指。宮本武蔵の剣の握り方(前のエッセイより引用・改変)

●ピアニストの手の故障

ここでピアニストの手の故障について文献を見ましょう。やはり親指を脱力することで手の故障はかなりの場合、避けられることがわかります。

-----------------引用始め

酒井直隆『解決!演奏家の手の悩み ピアノの症例を中心に』

酒井氏は医学博士、工学博士で音楽家専門外来で30年近く音楽家の手を診てきたということです。演奏家(主にピアニスト)の手の故障は、

腱鞘炎 31%
付着部炎24%
筋肉痛 16%

であったとのこと。

何でも腱鞘炎と思う場合が多いが、腱鞘炎は腱鞘の存在する部分にしか生じない。手首の親指側の部分、手のひらの各指の付け根の部分が痛む場合がほとんどである。

付着部炎(筋肉・腱が骨に付着している部分の炎症)は肘に多く見られ、和音や連打などで付着部にストレスが加わる場合に生じる。

筋肉痛は、
肘と手首の間の腕の部分(前腕)の、指を伸ばす筋肉(上側)と指を曲げる筋肉(下側)になることが多い。この場合、筋肉に触れると強張っていることが多い。
また筋肉痛は、親指の付け根のふくらんだ部分(母指球筋)にも多く見られる。

故障の原因となるテクニックは強く打鍵することではなく、

オクターブ 43%
和音 32%
フォルティッシモ(非常に強く) 8%

であった。

オクターブの手の形は、人間の手にとって極めて不自然な筋肉の負担を強いる体勢である。
-----------------引用終わり

私はジャズピアニストですから、何を弾くかは自由であるので、元々オクターブを避けて弾いてきました。正確に言うと、オクターブを片手で弾くことはせず、両手で弾いてきた。その方が手は痛くないし私にとって自然です。

オクターブを弾かないなら、親指に力はあまり入りません。

私は常に、何を弾くか(オクターブ)よりも、どのように弾くか(親指を脱力する)を優先してきました。親指に力が入るなら、オクターブを弾くことは断念してよいと思います。



●人間の進化史上で親指は

人間の親指がサルとどのように異なるのか、また、進化史上で親指がどのような意味を持つのか、文献を見ましょう。

以下の3つ引用は、

「手について多様な視点から考える」(東京大学 大学発教育支援コンソーシアム 半日体験ワークショップ 第二回」
http://coref.u-tokyo.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/TE_WS_WORKNOTE.pdf

で紹介し引用している部分が主です。

-----------------引用始め
おや指をほかの指と向かい合わせる動きを対向運動というが、人間のばあいは、どの指とも対向させることができる。しかし、原猿類や新世界ザルは対向運動はまったくできず、旧世界ザルや類人猿になっても不完全にしかできない。

おや指をほかの指とくにひとさし指の先と向き合わせることができるということは、手のはたらきを高めるうえでたいへん重要なことである。

「つかむ」動作(握力把握)だけでなく「つまむ」動作(精密把握)ができる…

鈴木良次『手のなかの脳』東京大学出版会、1994 年
-----------------引用終わり


-----------------引用始め
何らかの形態の手と親指が現れるのは、それ(古い時代のサバンナの猿人たちが直立二足歩行を始めたころ)より4000万年前の原猿類にさかのぼる。人類の進化の原点だ。だが、少なくとも私たちが見慣れているような手が登場するのは比較的最近になってからである。…

(ヒトの祖先の)親指が今のような形で向かいあうようになったのはせいぜい200万年前だろうと言われている。…

(そのホモ・ハビリスの脳の)容積はわずか680ccほどしかなく、現代人の平均の半分程度にすぎない。…

ハビリスの手の親指は長く、4本の指と完全に向きあうことができ、基本的に私たちの親指とまったく変わらない。ネイピア(発見者の一人である霊長類学者のジョン・ネイピア)はこう指摘した。ハビリスの手の親指は長く、四本の指と完全に向きあうことができ、基本的に私たちの親指とまったく変わらない。「親指のない手は、よくて『先の合わない鉗子(かんし)』、悪くすればただの『動くフライ返し』だ。親指がなければ、手は進化を6000万年逆戻りする。6000万年前は親指だけを動かすことができず、親指は単に五本指の一本にすぎなかった。人類はかなり平凡な霊長類から進化したが、その背景には、親指の対向性がどれだけ重要な役割を果たしたことか。その点はいくら強調しても足りない」


手の親指が、道具作りを可能にしただけでなく、新しい心を形作りはじめたのだ。リーキー(発見者の一人である人類進化学の長老、ルイス・リーキー)とネイピアものちにこう主張している。ホモ・ハビリスがほかの霊長類と一線を画すことができたのは、道具だけでなくその心に原因がある、と。もっと正確に言うなら、道具を考えだし、道具を作れる脳をもったことが、彼らを特別な存在にした本当の要因である。

チップ・ウォルター(著)、梶山あゆみ(訳)
『この6つのおかげでヒトは進化した: つま先、親指、のど、笑い、涙、キス』
早川書房、2007年、PP82-89
-----------------引用終わり


親指は人間を決定的に進化させ、知能、感情などをゲットしました。しかし、それらのゲットの先にあるものは執着ではないでしょうか。執着を捨てる(手放す)ためには、200万年前、われわれの先祖が親指によって他の動物に対して決定的に優位性をゲットした頃に戻って、親指の脱力(リラックス)を考えてみましょう、というのが私の提案です。


前回のエッセイで

「a.親指で暗やみを探る」
「b.人指し指で明るみを指す」
「c.薬指と小指で握り親指と人差し指は浮かせる(宮本武蔵)」
「d.中指と薬指で持つ(キツネの手)」
「e.全指を反らせる」

のように指の使い方を設定しました。そのCについてです。

●「c.薬指と小指で握り親指と人差し指は浮かせる(宮本武蔵)」

この動作は宮本武蔵の剣の握り方です。

---------引用始め
太刀のとりやうは大ゆび人指(ひとさし)を浮ける心にもち、丈高指(中指)はしめずゆるまず、くすし指小指をしむる心にして持つ也。手の内にはくつろぎの有る事あ(悪)しし。敵をきるものなりとおもひて、太刀をとるべし。敵を切時も手のうちに変りなく、手のすくまざるやうに持べし。若し敵の太刀をはる事、受る事、あたる事、おさゆる事ありとも、大ゆび人さし指ばかりを少し替わる心にして、兎にも角にも、きると思ひて太刀を取るべし。ためしものなどきる時の手の内も、兵法にしてきる時の手の内も、人を切るといふ手の内に替わる事なし、総じて、太刀にても、手にても、いつくと云事を嫌ふ。いつくはしぬる手なり。いつかざるはいきる手也。能く心得べきもの也。
宮本武蔵『五輪の書』(宮本武蔵は1584-1645。ちなみに江戸時代は1603から)
---------引用終わり

今は時代が異なるので、「敵をきるものなりとおもひて」とは思わないで、むしろ、すみやかに相手に「譲る」ことを考えればよいのです。そのためにはリラックスして、全部の指で握り締めずに、握り半分、浮かし半分にすることです。

親指と人差し指は継続的には力を入れないで「大ゆび人さし指ばかりを少し替わる心にして」基本的には自由にします。

車の運転についての安全運転の標語に「ハンドルをしっかり握る」がありますが、それは間違いです。「c.薬指と小指で握り親指と人差し指は浮かせる(宮本武蔵)」のようにするのがよいです。

事故を未然に避けるためには、

「いつくはしぬる手なり。いつかざるはいきる手也」
(人差し指と親指の動きと感覚を固定させないで、リラックスし、事故を避ける)

私は125ccのバイクでホームヘルパー先を回っていますが、「c.薬指と小指で握り親指と人差し指は浮かせる(宮本武蔵)」の握り方でバイクのハンドルを握って、安全運転に努めています。この握り方で有効になることは3つあります。
(ただし武蔵は気持ち浮かせる、のように言っていますが、私は拡大解釈して、実際に浮かせます)

1つ目は、薬指と小指で、「手の内にはくつろぎの有る事あしし」のように、ハンドルを隙間なくしっかり握ることです。

2つ目は、浮かせた「b.人指し指で明るみを指す」ように、特に高速運転の時、1秒に数回でも信号や対向車を指差し確認する(するような気持ちになる)ことです。

3つ目は、浮かせた「a.親指で暗やみを探る」ように、未来に起こるかもしれない状況を、もしかして起こるかもと、心を震わせることです。もちろん、その時は自然と低速となります。

また、「a.親指で暗やみを探る」により歩行者など交通弱者に対する優しさを強化することができます。優しい低速運転は、後ろに迫ってくるイライラ車を怒らせますが、その時に、思い切り親指を脱力し、イライラ車にさえ進路を譲ります。優しさは譲ることができなければ弱くなるが、譲ることで強化できます。

まだバイクの話題が続きますが、私は黄色信号で誰よりも早く止まります。それは時々危険運転となります。後ろに迫ってくるイライラ車が追い越して黄色信号を突っ走ることがあるからです。その時、「a.親指で暗やみを探る」を行うのは難しいものの、瞬間的に「a.親指で暗やみを探る」の気持ちになり、後ろのイライラ車をサイドミラーで確認し、左側に進路を譲ります。

以上、宮本武蔵の「敵をきるものなりとおもひて」の考え方を、「譲ること」へ応用することについて述べました。




---タッチング技術「タッチングを対象との距離による類別する」

技術は重要です。

技術に従事することで、没頭の姿勢を示すことができます。没頭の態度は必ずしも善意というわけではありませんが、悪意に取られにくくなります。

ただし、余裕なく技術に従事することで、その場に起こる微妙な変化を見逃すことにもなります。すると鈍感なセラピストになってしまいます。

「優しく撫でる」技術とは何でしょう。今の私にはまだ言えません。技術をまとめることができるには後、数年かかります。


●素晴しい指圧師先生に教えてもらったタッチングの4種類の類別です。

タッチングと対象との距離による類別です。

(1)触れないタッチング。少し離れて手かざしします。

動作としては、新興宗教でよくある手かざしと同じですので、オカルトやスピリチュアル系と混同されないように注意しないといけません。

例えば、指揮者が離れた演奏者に、手のひらを向けて優しく撫でるような動作をする時、触れないタッチングの一種と考えられます。

ビデオ(5)で胸とお腹にタッチングしながらジャズピアノを弾きましたが、そのタッチングを少し離れてすることを今はトライしています。実際に触れるタッチングよりも、手の力をより訓練できます。数年後に書くエッセイには、これを話題にしたいと思います。

(2)手当てする。動かさない、撫でない。

イメージ豊かなクライアントは、動きを嫌う場合があります。そっと、手当てしているだけで動きのイメージを、セラピストとクライアント双方が感じるからです。

また病気のある人、衰弱、老化がかなり進んだ、弱くなっているクライアントの場合、そっと手当てするだけがよいです。

(3)通常の優しく撫でる。

超ゆっくり、から、超速く、までスピードコントロールしながら。

(4)タッチングしている場所とは別の部位を対象とします。

例えば、手指先、足指先を撫でることで脳を対象として、イメージを喚起します。

別の例では、2か所を同時にタッチングすること。

デコルテとお腹を左右それぞれの手でタッチングして関連付けます。女性の場合、バストが両者を分断しています。食べ物の通り道は上から下です。胸管から静脈角へのリンパの通り道は下から上です。そのような重要な通り道を、女性の場合、バストをトリートメントできないことにより、分断されています。

それを、セラピストが左右の手で、それぞれ、デコルテとお腹をトリートメントすることで、セラピストの内部を通じて、別の部位を関連させることができます。

これらについては今は試行錯誤なうですので、数年後のエッセイに書きたいと思います。




---セルフ直腸(前立腺)タッチング排便法

この方法は、シャワーをかけながら自分の肛門から指をインサートして優しくタッチングするものです。これまでに書いたことのように、私は「排泄こそが人間の幸せ」と考えるのですが、この方法は幸せな排便法です。

また男性にとって、まだあまり注目されていなく、それがどこにあるかも知らない人が多く、しかし、昨年2015年、男性のがんの罹患数が1位となった前立腺リラクセーション法でもあります。

男性にとっての前立腺は、女性にとっての乳腺と似ています。共にがんになりやすいですが、扱われ方とイメージは全く異なります。

女性の乳がんについては、「セルフタッチングすることで、早期発見しましょう」とよく言われます。ピンクリボン運動は、女性がバストをセルフタッチングすることで乳がんの早期発見を喚起する運動です。イメージは「きれい」です。

夜、京都タワーがピンクの光に覆われることは、ピングリボン運動のアピールの一つです。

では、前立腺は?

前立腺のセルフタッチングは、ディスポーザブル手袋をつけて、肛門に指を挿入することです。ピンクリボン運動に対して、どのように名付ければよいでしょうか?

「ウンチまみれ前立腺タッチング運動」

でしょうか? このうえなく汚いです。

京都タワーを何色の光で覆えばよいのでしょうか?

ありえませんね。

この汚いトピックを、このエッセイに入れるために、私は大変な覚悟をしております。しかし、後、数カ月で60歳になるのですから、残りの人生を、覚悟して生きようとしております。4分の3の人生が過ぎて、後4分の1しかないのですから。

しかし本題は、あくまで、セルフ前立腺タッチングではなく、セルフ直腸タッチング排便法です。

ディスポーザブル手袋をつけて、直腸を指で、優しくセルフタッチングすることで、自然な排便を促すことができます。

ちなみに使い捨て手袋は、いろいろ試した結果、「ミドリ安全 使い捨て 天然ゴム手袋 ベルテ610N 」が、私の肛門には優しいです。もっとよいものがあれば、どうかお教えください。

あくまで優しいタッチングです。

摘便には便を摘み出すというニュアンスがあります。そうではなく、優しくタッチングすることで、自然と大腸蠕動運動が促され、ウンチが送り出されてくるのです。

この排便法を始めて最初のころは、ついつい便を掻き出すように指を動かして、その結果、少なからず出血して、びっくりした記憶が、何度もあります。

直腸は出血しやすいのです。男性同性性行為によってエイズが感染しやすい、というのは、直腸が出血しやすいということで実感できました。

排便行為ですので、ついつい、「きばる排便文化」によって、便を出そうと能動的に指を動かしてしまうのですが、優しくタッチングしながら待つことで、副交感神経は働き、便を送り出してくれます。

副次的効用として、排便終了後に、前立腺がリラックスして、残尿が出てきます。それはホッとするようなリラックスです。

私は、この排便デトックスを1日2回しています。その度に本格的トイレ掃除が必要となるので大変です。

前立腺にタッチングすることを目的とするのではなく、あくまで、直腸に優しくタッチングします。

通常、排便行為は、便意があって行います。道具を使う、浣腸や大腸洗浄は、道具の使用により便意を喚起します。

便意が全くなくても不思議なことに、セフル直腸タッチングで、上の方から便が送り出されてくるのです。

普通の排便ならば便意がなくなると、排便を終了します。ところが便意が終わっても、優しい直腸タッチングによって、上からウンチが送り出されてくるのです。

また、逆に全く便意がないのに、指を挿入すれば、多くの便に触れることがあります。このことには、びっくりしました。これほど肛門からすぐのところに便を溜めているのに、半日の間、それに無意識になっているのだなあと。我慢しているのだなあと。

ウンチを漏らさないために肛門括約筋を緊張したまま、ほぼ半日を平気な顔をして過ごしているのです。しかし、それは平気な顔ではなくて、ひょっとして不自然な顔になっているのにちがいありません。

きれいな顔になるためには、なるべく大腸に便がない状態がよいことは当然でしょう。

私たちは、子供のころの、排便を抑制するための恐ろしいほどの緊張を、その後の慣れによって、全く忘れてしまっているのでは、と思います。

私は男性ですから、男性のメンタリティとして実感できるのですが、小学校に上がってから、男子は排便を必死になって我慢する習慣をつけていきます。

男子トイレは、小と大とに分かれています。小は隣同士、並んでします。大は個室でします。男子にとって大に入ることはタブーです。

最近、ある自治体では、男子のトイレを全て個室にすることを計画しました。引用します。

----
ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160611-00009813-kana-l14

神奈川新聞 2016年6月11日(土)12時6分配信

学校で大「恥ずかしい」→全部個室にします

◆大和、全市立小中学校で完全個室トイレ

 大和市教育委員会は本年度から、全28の市立小中学校で一部男子トイレの完全個室化に乗り出した。小便器のないトイレ環境にすることで、「学校で大便がしにくい」との子どもたちの事情に配慮した。市教委によると、全校を対象とした個室化は神奈川県内で例がない。

 小学校19校、中学校9校の1階トイレの1カ所で小便器をなくし、全て個室にする。小便器と個室が同じトイレに併存することで、「個室に入るとからかわれやすい」との子どもたちの心配を解消する狙いだ。

 大手住宅機器メーカーが約千人の小学生を対象にしたアンケートによると、男子の4割が学校で大便をしたくないと回答している。「恥ずかしい」「からかわれる」との理由が目立った。

 子どものトイレ事情は、市議会3月定例会でも取り上げられた。市教委は「学校で大便を我慢し、下校中に漏らした」との深刻な悩みも把握。障害者差別解消法が4月に施行され、性同一性障害の子どもにも配慮し、個室化を決めた。

 老朽化したトイレの改修事業に合わせて着手する。本年度は小学校4校、中学校1校が対象で、事業費は改修を含めた全体で約2億8千万円。2017年度も小中計5校で予定されている。

 一方、県内で個室化に失敗した例もある。茅ケ崎市教委は01年度、試行的に市立小学校1校で導入。ところが、立ったまま大便器に小用を足すことで床の汚れが目立ち、児童の多数が「大便のしづらさは変わらない」とアンケートに回答したため、13年度に小便器併存の従来の環境に戻した。

 全校への導入も検討されていたが、結局は断念。茅ケ崎市教委の担当者は「個室に長くとどまると大便をしていると連想され、うまくいかなかった。ハード面の整備だけでは難しい」と打ち明けた。
-----引用終わり

最後の結論は、「ハード面の整備だけでは難しい」とのことですが、このように排便の緊張とリラックスについて目を向ける時代になったこと自体、よいことだと思います。


●ところで、私はホームヘルパー(訪問介護士)を3年半前に始めましたので、他人のトイレ掃除に慣れてきました。最近はカフェなどのトイレに入って汚れていると、自然に掃除するようになっています。個室(男性の大用トイレ)なら誰にも見られずに掃除はやりやすいのですが、何とか心を強化して、将来は、公衆の面前である、男性の小用トイレで、(そこにはよく「一歩前に進みましょう」とか書かれています)小便器の手前に尿がこぼれていることは非常に多いのですが、それを、公衆の面前で掃除してみたいものです。

数年前に、あるお店のトイレで次のメッセージを見た時は、とても明るいショックを感じました。

「男性も座ってオシッコしましょう。家でもそうしましょうね」

(立ってオシッコすると、オシッコは便器以外に散らばりますので、その防止のためです)

という張り紙メッセージを見て、私自身は昔からそうしていたのですが、

「みんな、そうしようよ」

と大きな声で呼びかけたくなりました。そのコツは、

「ズボンを履いたまま便器に座る」

ことです。すると便座になるべく肌が触れなくてよいでしょう。

ところが依然として、多くの男性が洋式便器に向かって立って排尿しています。

ですから、上の新聞記事にありますが、「ハード面の整備だけでは難しい」の対策としてするべきものは、

「男性も座ってオシッコしましょう。家でもそうしましょうね」

の教育なのです。

ところで掃除の仕方は、最近は便座洗浄液がよく備えられていますから、

(1)トイレペーパーにその液をつけて、まずレバー、スイッチなどを拭く

(2)便座を拭く

(3)最後に床を拭けばよいですね。さすがに手ではしません。靴でペーパーを踏んずけて拭きます。

(4)そして排尿後に、ペーパーのきれいな部分をつまんで便器に入れ、流しちゃう。

きれいな順に拭くのが、トイレ掃除の正しい方法です。


●私は若いころから前立腺の不快感を覚えていましたし、中年以降は多分前立腺の働きによると思われるのですが、残尿とその漏れに悩まされました。

そのような男性は多いのではと推察します。さらに、老年に入ろうとしている私としては、前立腺をいかにしてフェードアウトさせるか、ということに注力したいです。

老年期には本来は前立腺は縮小するはずですが、現代では肥大して排尿を止めてしまう。また前立腺がんは成長するのに30年もかかる、ということです。60歳の私としては、もし前立腺がんがあるとすれば、今、すでにあるわけです。

女性にとって母乳を出すための乳腺とバストは、母乳以外は、女性性のアイデンティティのためにしか必要ありません。私は、女性をトリートメントして、デコルテとお腹の関連性が、バストによって分断されているのを実感します。

例えば、豊かな生き生きとしたデコルテを持っている女性なのに、溜まったウンチによって緊張を強いられているお腹、という分断です。きついブラジャーは、その分断に寄与しているでしょう。

男性の前立腺も老後は縮小してしまえばよいのですが、そうは簡単にはいかず、因果なものです。

前立腺のトピックは、性と排泄に関わりますから、2大タブーに関わることになります。


●2015年予測として、がんの罹患数(新たにがんと診断されるがんの数)では、男性の1位は前立腺、女性の1位は乳房であるとのことです。

女性の乳がんのことは、ピンクリボン運動で有名です。「バストタッチングして、セルフ診察しよう」ということです。

そうやってセルフタッチングする時は、決して力を入れて揉んだりはしないでしょう。つまり、優しくタッチングすることでしょう。セルフバストタッチングは乳がんのセルフ診断として推奨されるわけですが、もしかして、セルフバストタッチングの優しいタッチング自体が、がん予防に役立つかもしれません。

乳房も前立腺も生殖器または性器の一部ですが、消化器や呼吸器など生きるために常時、必須なものと比べて、人生の一部の期間や時間以外は無用のものです。

前立腺は男性にとって、もしかして、いわゆる男性的行動(闘争本能やマウンティング行為など)の大本となるような器官かもしれなく、それを何とかリラックスさせるのは、男性にとって、重要であると思います。

前立腺は筋質であり、排尿や射精を前立腺の緊張により止めることができます。男性は、股間付近の筋肉を緊張させることに、小学生のころから、上の新聞記事のようにセルフ緊張させてきたのではないでしょうか。

前立腺肥大や、前立腺がんの治療のために、前立腺を切除すると、排尿を止めることはできなくなり、バルーンカテーテルを尿道に挿入したままにして、尿パックに尿を貯めることになります。

もし、寝たきりならば却って、オムツ替えの手間はかからずに、介護は楽になります。常時オムツに排尿するより、尿パックに尿が貯まることで楽になります。

しかし、願わくば、排尿機能を保ったまま、前立腺が縮小する、あるいはリラックスしてほしいものです。


●さて前立腺マッサージは、どのように扱われているのでしょうか?

英語版wikipediaによれば、

「前立腺マッサージ(prostate massage)は、性的刺激または医療目的のための男性の前立腺のマッサージ刺激です」

とあるように、アンタッチャブル(近づいてはならない)領域です。

医療としては、例えば、「急性細菌性前立腺炎にとって前立腺マッサージは禁忌となっています」とあります。

「マッサージが行われた場合に感染が体内の他の場所に広がることができるので、前立腺マッサージは、急性前立腺炎を有する患者に対して行われるべきではありません」

とのことです。また、

「前立腺マッサージは、しばしばオルガスムに達するために、性的刺激のために使用されます」

とあり、風俗分野でよくされるようです。

しかし、両者と、私が今書いている直腸セルフタッチングとは関係ないように意図したいです。

●快適な下痢便デトックス

下痢のメカニズムを考えてみましょう。誰でも、下痢の時、刺すような下腹痛を経験されたことがあることと思います。

刺すような痛みを感じる下痢便(水便)噴出が、「セルフ直腸タッチング」つまり、直腸に指をインサートして、優しくタッチングすることで、快適な水便噴出となります。

排便は緊張と弛緩のせめぎ合いと見ることができます。緊張することで漏れない、弛緩することで出るわけです。

下痢の時は、その「せめぎ合い」のボルテージが高まります。つまり、緊張も弛緩も両者ともに極度に高まります。

これは常識的に理解できます。下痢は何らかの原因によって便を超特急で押し出そうとします。それに対して、社会生活を営んでいるわれわれは、トイレ以外で下痢便が出るのを絶対に阻止しないといけません。人前で水便が噴出するなんてことは考えたくもないでしょう。

水のような便ならば、なおさら出そうになりますので、緊張して阻止しようとする圧力も高まります。

せめぎ合いの矛盾が極度に高まります。

そしてトイレに座り、下痢便が出ている少しの間はホッとするような気がしますが、その直後に、刺すような痛みがきませんか? それは、残便を、極度に緊張して阻止しようとする圧力のせいではないでしょうか。

その緊張をセルフ直腸タッチングでリラックスさせることができます。

すると下痢をしても気持ちよいだけで、刺すような下腹部痛はなくなります。

下痢の原因が菌や薬害によるならば、その原因自体の腹痛があることでしょうが、下痢便を、押し出す・阻止する矛盾による下腹部痛はなくなります。

●私が日常的に経験している下痢(水便)を次に述べます。

すでに書きましたが、1年半前から飲尿療法を始めました。今は、在宅時は全部飲尿していますので、1日に1から1.5Lほど飲んでいます。

飲尿療法を、医学研究者は誰も研究しないと思います。というのは、次の理由によってです。

・それぞれの被験者が自分の尿を飲むのですから、尿に個別要素が多くて、同じ薬を飲む被験に比べて複雑になりすぎます。

・誰にとっても自分の尿は無料であるので、製薬会社は利益を得ることはできません。

・喜んで被験者になる人は飲尿愛好者であるがゆえ良い効果があり、逆に飲尿を嫌がる飲尿忌避者は嫌なことを強制されることによる悪い効果があるというように、心理的影響を強く受ける可能性があります。となると、結局、「飲尿愛好者には効果があるが、飲尿忌避者には効果がない」という「信ずるものは救われる」的な結論しか得られません。

さて、飲尿療法には、嗅覚の特質がよく現れます。

「味は我慢できても匂いは我慢できない」

ことです。匂いは直接、吐き気という行動と結びつきますので、吐き気を抑えるのは至難の技です。

一方、味の方については、よく「何を食べたか、飲んだかで味が変わるのじゃない?」と聞かれます。

しかし、そもそも尿は血液を濾したものですので、では、何を食べたか、飲んだかで血液の味が変わるのでしょうか?

母乳は乳腺の働きにより、尿と同様に、血液から生成されます。ですから、お母さんが、何を食べたか、飲んだかで母乳の味が変わる程度には、尿の味も、何を食べたか、飲んだかで変わることでしょう。

私の尿の味に関しては、

鬱陶しい天気で、雨が近づいている時、ものすごく、まずいです。今年の場合、7月から8月前半にかけて、そのような日が多かったです。

その尿を飲んだ後は、口が味わう味は我慢できても、お腹が「その味」にびっくりして、15分ほどで水便が噴出します。下痢です。

そこで、中指インサート、優しい直腸タッチング方法を取ることにより、快適な水便噴出が実現します。

その方法をまとめると、

・ディスポーザブル手袋をつける

・シャワーをかけながら、肛門に指(中指)をインサートする

・肛門(内肛門括約筋)が閉じてなかなかインサートできない

・意図的に肛門を開こうとしても余計閉じる

・ベビーローションを使うとヌルッと指が入る

・水便の時は内から押し出す圧力により簡単に肛門が開く

・グリグリとマッサージするのではなく、摘便のように指で便を掻き出すのではなく、指で優しいタッチングするだけ

・優しいタッチングにより内肛門括約筋は弛緩する

・副交感神経が働いて大腸蠕動運動が活発になり、便が送り出される

・指で優しいタッチングによりリラックスし、緊張がなくなり、痛みが起こらない

・快適な排便が実現する

・トイレを念入りに掃除する

というものです。

以上「親指脱力法によって優しく撫でる」「優しいタッチング」によるリラクセーションを、ジャズピアノ、介護、アロマセラピー、そして排便(前立腺)について関連付けて述べました。






参考文献
●前回のエッセイは下記のものです。

「ピアノが楽に弾けるための(パソコンのキーボードが楽に打てるための)ハンドリラクセーション概論
--- ハンドをリラックスするための根本概念」

by アラトーリ(歳森彰;Akira TOSHIMORI)
ネット公開2015.08.05
http://blog.livedoor.jp/aratori/archives/52137281.html

  
Posted by aratori at 21:08Comments(0)アロマテラピー、触覚、手 | 健康法、飲尿療法、排便デトックス

August 13, 2016

ライブとハンドセラピーのお知らせ 2016.08.20(土) Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場


ライブとハンドセラピーのお知らせ 2016.08.20(土) Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場

場所:ゼスト御池(地下鉄市役所前駅直結の地下街)西端の御幸町広場

Jun & Aratoriの演奏は

17:30-18:00頃

です。

毎月第1,3土曜日「音楽ひろば」の最後です。

http://musickyoto.com/2016/07/17/820(土)「音楽広場」@ゼスト御池御幸町広場(/



<御池合唱団>
13:30-15:30
どなたでも通りすがりでその場で参加できる合唱団です!

<アフターライブ>
15:30-18:00
30分単位で4-5バンド出演します。

●アラトーリのハンドセラピーは、
13:30頃から17:30頃までやっています。
  
Posted by aratori at 01:36Comments(0)JUN+Aratoriデュオ 

August 12, 2016

2016.08.16 Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場 19:00-19:30

2016.08.16 Jun & Aratoriジャズスタンダードデュオ@ゼスト御池御幸町広場
19:00-19:30


8/16(火)大文字特別ライブ 17:00〜20:00ごろ(大文字点灯まで)

の最後から2番目です。

http://musickyoto.com/2016/07/17/816%ef%bc%88%e7%81%ab%ef%bc%89%e5%a4%a7%e6%96%87%e5%ad%97%e7%89%b9%e5%88%a5%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%96-1700%e3%80%9c2000%e3%81%94%e3%82%8d%ef%bc%88%e5%a4%a7%e6%96%87%e5%ad%97%e7%82%b9%e7%81%af/




  
Posted by aratori at 22:35Comments(0)JUN+Aratoriデュオ 

August 10, 2016

2016.08.10 aratori trembling thumb 手の親指震わせ(親指脱力法)


今、一般的なタッチングについてのエッセイ書きに集中しています。私は、タッチングにおいて「親指脱力法」が重要だと思っていて、その現れ、または訓練の一つである「親指震わせ」の実演ビデオと解説の一部です。



(1)手の親指震わせ(親指脱力法)

2016.08.10 aratori trembling thumb

https://youtu.be/HrrUZ6Y1PDU




親指脱力法の現れ、または訓練の一つは、この親指震わせです。

このビデオでは、親指を「5秒間平静、5秒間震わせ」を数回繰り返しています。

平静と震わせを交互に行うには、かなりの精神のコントロール力がいります。

平静の時のコツは、例えば、

「波一つない広い湖面が月に照らされているイメージ」

です。震わせの時のコツは、下に書いています。

この震えは、随意的に細かく動かしているのではありません。多少の随意運動はありますが、自然に震えるようにしているところに、ご注目ください。

私は、40年前に、親指を脱力してジャズピアノを弾くとスウィングするような気がすることに気づきました。それは、実際にスウィングするのではなくて、スウィングするような気がするのですが、それを長年、試行錯誤してきました。

私はアロマセラピストの資格取得した今春から、ある地下街の広場で、そこでは月2回、音楽広場と名付けられ、通りすがり合唱団や、いろんなバンドや私もライブをしているのですが、その広場でハンドセラピーを始めました。お客さんがいない時は、ミュージシャン仲間に「サクラでさせて」と呼びかけて、ハンドセラピーをしています。

文字通りの触れ合いにより、ミュージシャン仲間と、音楽がだんだん通じ合っていっている、と感じます。

そこで、私は、この親指震わせを勧めるのですが、時に最初からできる人がいます。ミュージシャンとしては、とても優しい音を出す人が、この親指震わせができます。

そのコツは、

「非力(ひりょく)のエネルギーを親指に送る」

ことです。非力とは、その心理状態としては、

「ああ、できない」
「ああ、だめだ」
「ああ、落ちそう、崩れそう」

というような心理であり、

「よーし、打ち勝つ」
「クソッ、負けてたまるか」
「おりゃー、ゲットしよう」
「手放すものか」

とは逆の心理です。後者の心理の時、親指には当然、力が入ることはおわかりだと思います。
  
Posted by aratori at 21:52Comments(0)アロマテラピー、触覚、手