ビリーバンバンがやって来ます。ギタリスト森正明さんも。 2006年09月01日
ビリーバンバンのお二人と初めてお会いしたのは2000年11月10日のこと。
国際ソロプチミスト米沢の主催で米沢市民文化会館にコンサートをやるというので、昔からのファンなので、何とかインタビューをさせてもらえないだろうかとダメ元で申し込む。
ビリーバンバンから快くOKの返事を戴いたのだが、諸事情からラジオ番組では流せないということになってしまいう。
折角、ビリーバンバンが話をしてくれるのに・・・私は、頭を抱えた。
私は、謝罪をし、正直に「インタビューをさせて戴いても、番組ではオンエアされなくなってしまいました。それでも、昔からお二人のファンなので、厚かましいお願いですが、お話しを伺えないでしょうか。」と虫のいい依頼を敢行。
なんと、快諾を得る。
ジ〜〜ン。
当日、米沢市民文化会館の控え室で、リハーサル後の午後5時から話を伺う。
テーブルを挟み、私の前に、ビリーバンバンの菅原孝・進兄弟が並んで座る。テーブルの真ん中に私のポータブル録音機を置いて、インタビューをスタート。
話は、デビュー前から、デビューに至るまで、師匠・浜口庫之助さんのこと、兄弟デュオの分裂、ソロ時代、再結成、そして今・・・と伺っていたら、午後6時30分からのコンサートまで、あと15分と迫り、マネージャーの熊本さんに促され、切り上げる。
「こんな、気持のいいインタビューは初めてだね。」と兄弟で言い合ってくれた。
こちらは、放送で、使用されないにも拘わらず、私の拙い質問に真摯に応えてくれた事に感謝の想いで一杯だった。
会場の1000人のホールは満席状態で、私は、最後列左端の席で鑑賞。「白いブランコ」「れんげ草」など馴染みのヒット曲が続く(「さよならをするために」はラストだった)。
コンサートの半ば、孝さんがMCで、私にインタビューされたことを話し、リクエストされたとP.P.M.の「風に吹かれて」「パフ」、ブラザーズ・フォー「500マイル」「七つの水仙」等を唄ってくれた。それらは、プログラムには無いものだった。
インタビューで、私が、その歌唱スタイルから、「ビリーバンバンのお二人は、学生時代にブラザーズ・フォー等のカレッジ・フォークの影響を強く受けていたのではないですか?」と質問をし、それに対し、「そうではなく、師匠の浜口庫之助先生の教えが大きく、だから僕らは、今もデビュー当時の音域と変わらずに唄っていられるんですよ。」と応えてくれたのだった。
そんなことから、アドリブで予定外のナンバーを唄ってくれたのでした。
その実力の奥深さにまたまた感動。
変わらぬ歌声、ハーモニー、幅広いレパートリー、観客を楽しませる話術・・・ビリーバンバンが、一流のアーティスト、エンターティナーであることを再認識する。
それ以来、幾度か、担当するラジオ番組に出て戴いたり、コンサートをして戴いたりと、お世話に成りっぱなしである。
そのビリーバンバンが、来る10月12日(木)に‘JAやまがた’主催で山形テルサホールでコンサートを行います。開演は午後2時(開場1時30分)。
なんと入場は無料、但し、入場整理券が必要です。JAやまがた本店・各支店に問い合わせ、申込みして下さい。[JAやまがた本店Tel.023-641-3121]
尚、ここ数年、ビリーバンバンのバックでギターを担当している新庄市出身の森正明さんもいらっしゃいます。
http://www.community-i.com/arai/dokkoi/column021.html
森さんは‘いいちこ’のCMでお馴染みのビリーバンバン「今は、このまま」(2001年10月〜2005年10月)、「君の詩」(2005年11月〜)のアレンジ、テレビ朝日時代劇『八丁堀の七人』(2006年1月〜3月)主題歌「春夏秋冬」、テレビ朝日『いまどき、ごはん』エンディング曲「ボクらはいつも片方の靴」の作曲を担当しています。
そして、司会は私が務めます。菅原兄弟(デビュー前は、この名前でCMソングを唄っていた)はトークでも楽しませますよ。
乞う、ご期待。
国際ソロプチミスト米沢の主催で米沢市民文化会館にコンサートをやるというので、昔からのファンなので、何とかインタビューをさせてもらえないだろうかとダメ元で申し込む。
ビリーバンバンから快くOKの返事を戴いたのだが、諸事情からラジオ番組では流せないということになってしまいう。
折角、ビリーバンバンが話をしてくれるのに・・・私は、頭を抱えた。
私は、謝罪をし、正直に「インタビューをさせて戴いても、番組ではオンエアされなくなってしまいました。それでも、昔からお二人のファンなので、厚かましいお願いですが、お話しを伺えないでしょうか。」と虫のいい依頼を敢行。
なんと、快諾を得る。
ジ〜〜ン。
当日、米沢市民文化会館の控え室で、リハーサル後の午後5時から話を伺う。
テーブルを挟み、私の前に、ビリーバンバンの菅原孝・進兄弟が並んで座る。テーブルの真ん中に私のポータブル録音機を置いて、インタビューをスタート。
話は、デビュー前から、デビューに至るまで、師匠・浜口庫之助さんのこと、兄弟デュオの分裂、ソロ時代、再結成、そして今・・・と伺っていたら、午後6時30分からのコンサートまで、あと15分と迫り、マネージャーの熊本さんに促され、切り上げる。
「こんな、気持のいいインタビューは初めてだね。」と兄弟で言い合ってくれた。
こちらは、放送で、使用されないにも拘わらず、私の拙い質問に真摯に応えてくれた事に感謝の想いで一杯だった。
会場の1000人のホールは満席状態で、私は、最後列左端の席で鑑賞。「白いブランコ」「れんげ草」など馴染みのヒット曲が続く(「さよならをするために」はラストだった)。
コンサートの半ば、孝さんがMCで、私にインタビューされたことを話し、リクエストされたとP.P.M.の「風に吹かれて」「パフ」、ブラザーズ・フォー「500マイル」「七つの水仙」等を唄ってくれた。それらは、プログラムには無いものだった。
インタビューで、私が、その歌唱スタイルから、「ビリーバンバンのお二人は、学生時代にブラザーズ・フォー等のカレッジ・フォークの影響を強く受けていたのではないですか?」と質問をし、それに対し、「そうではなく、師匠の浜口庫之助先生の教えが大きく、だから僕らは、今もデビュー当時の音域と変わらずに唄っていられるんですよ。」と応えてくれたのだった。
そんなことから、アドリブで予定外のナンバーを唄ってくれたのでした。
その実力の奥深さにまたまた感動。
変わらぬ歌声、ハーモニー、幅広いレパートリー、観客を楽しませる話術・・・ビリーバンバンが、一流のアーティスト、エンターティナーであることを再認識する。
それ以来、幾度か、担当するラジオ番組に出て戴いたり、コンサートをして戴いたりと、お世話に成りっぱなしである。
そのビリーバンバンが、来る10月12日(木)に‘JAやまがた’主催で山形テルサホールでコンサートを行います。開演は午後2時(開場1時30分)。
なんと入場は無料、但し、入場整理券が必要です。JAやまがた本店・各支店に問い合わせ、申込みして下さい。[JAやまがた本店Tel.023-641-3121]
尚、ここ数年、ビリーバンバンのバックでギターを担当している新庄市出身の森正明さんもいらっしゃいます。
http://www.community-i.com/arai/dokkoi/column021.html
森さんは‘いいちこ’のCMでお馴染みのビリーバンバン「今は、このまま」(2001年10月〜2005年10月)、「君の詩」(2005年11月〜)のアレンジ、テレビ朝日時代劇『八丁堀の七人』(2006年1月〜3月)主題歌「春夏秋冬」、テレビ朝日『いまどき、ごはん』エンディング曲「ボクらはいつも片方の靴」の作曲を担当しています。
そして、司会は私が務めます。菅原兄弟(デビュー前は、この名前でCMソングを唄っていた)はトークでも楽しませますよ。
乞う、ご期待。
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この記事へのコメント
3. Posted by 荒井幸博 2006年09月02日 21:16
はじめさん、れんげ草さん、ありがとうございます。
昔から好きで聴いていたビリーバンバンが、今も尚走り続けていることが嬉しいですね。
昔から好きで聴いていたビリーバンバンが、今も尚走り続けていることが嬉しいですね。
2. Posted by れんげ草 2006年09月02日 21:04
1969年にデビュ〜されてからと言うものは、ず〜っとその歌声に夢中になって居りました。でもその歌声は私から遠ざかり、聴こえなくなって居りました。でも数年前に ♪今は、このまま♪ に出会ってから、その歌声に再会してからと言うものは、以前にも増して「大〜い好き」になりました。コンサ〜ト後にサインをお願いしても、快く応じて下さりとっても嬉しく思って居ります。今、37年間の曲を追いかけて居り、素敵な曲達と出会って毎日が Happy! Happy! なのです。この曲が発表された頃は。。。な〜〜んて、思い出してしまいます。今、現代【B,Bの音楽】以外は、受付られないのです。。。
前々から欲しかった LP♪GOLDEN FOLK JAMBOREE♪も 落札できて Happy!! で〜す。
前々から欲しかった LP♪GOLDEN FOLK JAMBOREE♪も 落札できて Happy!! で〜す。
1. Posted by みちのくはじめ 2006年09月02日 10:55
ぼくの思い出にはいつもビリーバンバンの歌がありました。
特に「さよならをするために」は初恋の人に失恋をした時に大ヒットしていた曲でした。
いまでもオリジナル曲の「さよならをするために」を聴くと1972年当時のたくさんの思い出が走馬灯のようによみがえります。
特に「さよならをするために」は初恋の人に失恋をした時に大ヒットしていた曲でした。
いまでもオリジナル曲の「さよならをするために」を聴くと1972年当時のたくさんの思い出が走馬灯のようによみがえります。