夢あられ さんラスト出演 涙。『なつメロリクエスト電話でこんばんは!』
『なつメロリクエスト電話でこんばんは!』は、2007年3月26日放送分で10年6ヶ月の
歴史に幕を下ろしました。そして、10年4ヶ月の長きに渡ってパーソナリティを務めてくれた夢あられさんも最終出演でした。
この番組が始まったのは
1996(平成8)年10月11日でした。
住田英仁アナウンサーが一人でパーソナリティをされて幕を開け、2ヵ月後から、夢あられさんがアシスタントで加わり、二人で1年4ヶ月間、番組の黎明期を盛り立ててきました。
98年4月6日から、住田アナウンサーに替わって荒井がパーソナリティを勤めてきました。

以来、あられさんとコンビで9年、その屈託のない底抜けの
明るさと繊細な想いやりは、沢山のリスナーを励まし元気付けてきました。
26日の放送は、‘さよなら、ありがとう 夢あられさん’の
様相を呈していました。
本番前から、スタジオには 、あられさんに沢山の花束が届けられました。
1:メール「遅すぎた季節」ビリーバンバン 長井市30代女性(長井市でのコンサートを満喫。特に、この曲が好き。)
2:fax「ほんとにほんとにご苦労さん」ザ・ドリフターズ 山形市50代男性(長年、楽しい放送をご苦労様でした。)
3:葉書「贈る言葉」海援隊 長井市62歳女性(綺麗なチューリップのちぎり絵葉書で、あられさんに感謝を込めて。この曲には他にも3人から)
4:「涙のリクエスト」チェッカーズ 酒田市50代男性(最近から、この番組を聴き、好ましく想い、萬国屋でのファンのつどいに参加して大ファンになった矢先なだけに、あられさん卒業は悲しくてならない。涙。)
5:「RUN」長渕剛 酒田市56歳男性(世の中、目先の金だけじゃない、心が大事。夫婦で、この番組のファンになったばかりなのに・・・。)
6:fax「イムジン河」ザ・フォーククルセダーズ 鶴岡市50代女性(声を聴くだけでなく、唯一、パーソナリティと触れ合える番組だった。番組で韓国ツァーをやった時に参加。その時の公開放送でみんなで唄った思い出の曲。)
7:「アイドルを探せ」シルビー・バルタン 長井市54歳男性(番組開始から聴いている。長年、本当にご苦労様でした。98年10月に、希望者がスタジオにお邪魔し、レコードを持ち寄ってかけてもらったが、その時にかけてもらった思い出の曲。)
8:「また逢う日まで」尾崎紀世彦 山形市48歳女性(長距離トラックドライバーの夫は、今頃、那須インター辺りで聴いてくれていると思う。あられちゃん、また帰ってきて。)
9:「輝きながら」徳永英明 寒河江市57歳女性(この番組を聴くようになって3年半しか経っていないが、とにかく元気をもらった。癌克服)
10:葉書「月曜日にはバラを」稲垣潤一 山辺町畑谷50代女性(あられちゃんに贈ります。)
11:「上を向いて歩こう」坂本九 夢あられさん(ファンのつどいで、昭和歌謡うたごえメドレーで、最初に手話をやった曲。番組のテーマソングでもあり思い出深い。)
12:手紙「今日の日はさようなら」森山良子 山形市62歳男性(番組開始時は青森にいたので聴けなかったが、最近から聴くようになって毎週楽しみで仕方が無かった。残念。手紙には、ギターの弾き語りしている20歳の森山良子さんの写真がプリントされていた。)

あられさん、永年本当にご苦労様、
ありがとうございました。
そして、また帰ってきてください。


この番組が始まったのは
1996(平成8)年10月11日でした。

98年4月6日から、住田アナウンサーに替わって荒井がパーソナリティを勤めてきました。

以来、あられさんとコンビで9年、その屈託のない底抜けの
明るさと繊細な想いやりは、沢山のリスナーを励まし元気付けてきました。
26日の放送は、‘さよなら、ありがとう 夢あられさん’の
様相を呈していました。
本番前から、スタジオには 、あられさんに沢山の花束が届けられました。

2:fax「ほんとにほんとにご苦労さん」ザ・ドリフターズ 山形市50代男性(長年、楽しい放送をご苦労様でした。)
3:葉書「贈る言葉」海援隊 長井市62歳女性(綺麗なチューリップのちぎり絵葉書で、あられさんに感謝を込めて。この曲には他にも3人から)
4:「涙のリクエスト」チェッカーズ 酒田市50代男性(最近から、この番組を聴き、好ましく想い、萬国屋でのファンのつどいに参加して大ファンになった矢先なだけに、あられさん卒業は悲しくてならない。涙。)
5:「RUN」長渕剛 酒田市56歳男性(世の中、目先の金だけじゃない、心が大事。夫婦で、この番組のファンになったばかりなのに・・・。)
6:fax「イムジン河」ザ・フォーククルセダーズ 鶴岡市50代女性(声を聴くだけでなく、唯一、パーソナリティと触れ合える番組だった。番組で韓国ツァーをやった時に参加。その時の公開放送でみんなで唄った思い出の曲。)

8:「また逢う日まで」尾崎紀世彦 山形市48歳女性(長距離トラックドライバーの夫は、今頃、那須インター辺りで聴いてくれていると思う。あられちゃん、また帰ってきて。)
9:「輝きながら」徳永英明 寒河江市57歳女性(この番組を聴くようになって3年半しか経っていないが、とにかく元気をもらった。癌克服)
10:葉書「月曜日にはバラを」稲垣潤一 山辺町畑谷50代女性(あられちゃんに贈ります。)
11:「上を向いて歩こう」坂本九 夢あられさん(ファンのつどいで、昭和歌謡うたごえメドレーで、最初に手話をやった曲。番組のテーマソングでもあり思い出深い。)
12:手紙「今日の日はさようなら」森山良子 山形市62歳男性(番組開始時は青森にいたので聴けなかったが、最近から聴くようになって毎週楽しみで仕方が無かった。残念。手紙には、ギターの弾き語りしている20歳の森山良子さんの写真がプリントされていた。)

あられさん、永年本当にご苦労様、
ありがとうございました。
そして、また帰ってきてください。
この記事へのコメント
2. Posted by あらい 2007年03月28日 23:54
ありがとうございます。
夢あられさんに、本当に沢山の花束と感謝、そして惜しむ声を贈っていただきました。
夢あられさんに、本当に沢山の花束と感謝、そして惜しむ声を贈っていただきました。
1. Posted by 星のおじいさん 2007年03月28日 20:59
本当にご苦労様でした。イヤホンで聴きながら仕事をしていましたが、涙が出て、恥かしいですが、不器用なのでラジオを切りました。